明日は何して遊ぼうか。他愛のないことを考えて過ごす今日がなくなった。
不規則な起伏を描く感染者数は、押したり引いたりを繰り返し先が見えない。折角の計画があっけなく白紙になったり、楽しみにしていた公演が中止に追い込まれてしまうこともしばしば。明日が見通せないから、約束を交わすことも激減している。
こんな宙ぶらりんな状態を体現したのが、『声もなく』で15キロもの増量で役作りをしたユ・アインである。
映画のタイトルが示す通り、青年は声を発することが出来ないが、その理由は説明されない。ティンは親代わりのチャンボクと一緒に卵を売って暮らしている。養鶏場といえば『下女』が思い出されるが、ここは脱線しない。
このコンビには仕事がもうひとつある。鶏舎は悪党の粛正の場であり、ふたりは葬られた屍体を処理をしているのだ。
ある日、ヤクザのボスが「ある人物を匿ってくれ」と依頼する。犯罪組織からの命令とあれば絶対服従だ。指定された場所に行くと、ウサギのお面を着けた少女がいた。身代金を目当てに誘拐されたのだ。俺の家だと目立つからというチャンボクに押しつけられ、ティンは少女を自転車に乗せると衣類やゴミが散乱し足の踏み場もない荒ら屋に連れて帰る。
翌日、鶏舎では少女を匿えと依頼したヤクザが吊るされている。闇社会とは呆気がない。昨日の雄は今日の負け犬に成り下がり、無様な姿を晒している。
この先の展開はネタバレだらけになってしまうので抑えるが、約束主が屠殺されたふたりには次のプランがない。明日が見通せない宙ぶらりんな状態となった所で、物語は予期せぬ展開へとなだれ込んていく。
卵から始まり、自転車、散乱した衣類、キツネのお面、悪党が着ていた高級スーツ、荒ら屋を取り囲む田園地帯、思わぬ所から飛び出す周到な仕掛けが、後半にはきっちりと回収されていく描写の妙が冴える。
言葉を介することなく、不確かな今日を終わらせようとする青年の姿は、明日への確かさを求めながらも宙ぶらりんな日々をやり過ごす我々の今と重なるのではないか。確かさを求める時代に現れた異色のサスペンス『声もなく』は、上質な人間ドラマでもある。
その結末を残酷と観るか、明日への希望と受け止めるか。その答えは、映画館のスクリーンに浮かび上がる。