茲山魚譜 チャサンオボのレビュー・感想・評価
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【”王すらもいない世界を・・”学問を学ぶ真の意味を、豊かな海と海の幸と共に描いた作品。流刑になった豊富な知識を持つ清廉な気性の学者と、漁夫との終生の交流と絆を描いた作品でもある。】
■19世紀初頭の朝鮮。
幼き王、純祖に代わり実権を握った祖父母貞純は天主教と関わりの深い学者丁三兄弟を迫害する。
黒山島(茲山)に流刑となった長兄、丁若銓(ソル・ギョング)」は、そこで豊かな海と自然にめぐり会う。
海の生物の魅力に取りつかれた彼は、庶民のための“海洋学書”を書き記そうと決心する。
そんなある日、丁若銓は誰よりも海の生物に詳しい心優しき、若き漁夫・昌大(ピョン・ヨハン)と出会う。
四書五経を学びたい昌大と、“海洋学書”を書きたい丁若銓はお互いに知を与えあい、次第に深い絆を築いていく。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・海洋生物学書「茲山魚譜」が、生まれた経緯を、学問を学ぶ大切さを時にユーモラスに、時に当時の腐敗し切った支配層、両班の姿を交えつつ、描き出している。
・昌大が、丁若銓の指導の下、知を蓄えていく様を見た、それまで妾の子として見下していた、両班の父、張が彼を、両班にしようと画策し、昌大は丁若銓と、袂を分かつ。
ー このシーンでの、丁若銓を演じた韓国の名優、ソル・ギョングが言い放った言葉。”偉くなって、金を稼ぎたいだけだろう!”
俯く、昌大。印象的なシーンである。ー
・そして、両班になった昌大が知った、腐敗し切った支配層、両班の民を人として扱わぬ姿。
ー 丁若銓が且つて言った”王すらもいない世界を・・”と言う言葉の崇高さが、心に沁みる。-
<時代劇の巨匠とも呼ばれるイ・ジュニク監督が、こだわりの水墨画のように美しいモノクロ映像と共に、不思議な縁で結ばれた師弟の行く末を感動的に描き上げた作品である。
良作であろう。>
キャスト
魚とひな鳥の物語
ソル・ギョングさんにとって、この映画の骨子はとても共感できたんだろうと思いました。表情がとてもイキイキして韓国の良心を背負った役者冥利につきますよね。
相方のピョン・ヨハンさんがまた素晴らしく、学問に飢えた漁夫の立ち位置で、師弟関係になる役を見事に演じきって・・
多分この映画の白黒映像は、この今の時代にあっては時代劇たる韓国の黒島であっても、本土の描写にあっても余計な夾雑物をはさみたくないという監督の強い意志なんでしょうね!?
実はこの映画興味は大いにあったんですが、見逃しかねない状況で3連休に合わせやっとまだやっている小屋があってという鑑賞だったんですが、とても心に深く突き刺さりました。こんなに純粋な師弟関係ってやはり時代が大事なんで、とても今の情報社会にはそぐわないんだけれど、結局人の関係性って一歩自分を引いて相手の状況をみながら、そこはより良き選択を考えるべきだということ。
特に今のような時代には、とても必要なんじゃないかなって結論。
今年観るべき映画の1本ですよ。(ひな鳥はネタバレしそうで、ふれなっかたですが、後半の一瞬、カラーで美しい飛翔の瞬間が観られます。暗示としても素晴らしかった!!)
学ぶという事は。。。
ソル・ギョング主演で、昨年本国で各章を受賞していたので、
『時代ものかあ』と最初は思ったが、やはり観る価値ありと判断して劇場公開ぎりぎりになってしまったが、行ってきた。
この作品、約220年前の朝鮮王朝末期の話だが、口コミ通り時代劇っぽくはないし、コメディ要素もあり。ソル・ギョング扮するチョン・ヤクチョンとピョン・ヨハン扮するチャンデの師弟関係の人間ドラマで、まったく出自の異なる2人が心を通わせる様は、個人的に『グリーンブック』を少しだけ彷彿させた(あくまで少しだけ)。
この映画の良いところは、学問を学ぶ上で結局何が大切なのかを再確認できた。
冨を得るため学を手に入れる、と言うのももちろん必要だが、流刑に遭い、すべてを失い島にやってきたヤクチョンが学んだのは、生きる上での知恵であった。
またこの映画は名言に満ち溢れている。多すぎてしっかり覚えられないくらい。
本作はある意味、教育の映画であり若年層こそ観るべきはないのか(と言っても絶対に興味ないだろうし、実際観客は私以外年配ばかり)。
本作を鑑賞後に思ったことは、何か学問書でも買って学びたいなあ、と思った。
財を成すための勉強より生きる上での知恵って尽きないもんな。
あと役者陣の徐々に老けていく(大人になっていく)様が、モノクロだとメイク感がなくて、よりリアルで感心した。
やや過剰なストリングスのBGMと、最後若干おセンチ入った以外は素敵な良い映画でした。
ただ、字幕が、個人名前や役職のほとんどが漢字表記で序盤はとても覚えづらかった
また良作に出会えた
学を着けて意気揚々と官僚になるも、現実は、、というのがとてもやりきれない思い。
シンプルに学びたいという気持ちでいた時が一番幸せだったのか。
どこにいても、気持ちさえ有れば人生は輝くのですね。
心洗われる
何の先入観もなく観賞。韓国の歴史モノをみること自体初めてでした。
「鶴のように(綺麗な)人生もいいが、泥の中で一生懸命生き抜くのもまた人生だ」という台詞には思わず涙😭
みんないい生活したいのは同じ、でも本当の幸せは高望みしないとこにあると受け取りました。そのほどほどが難しいことなのだと思いつつ
躍動する「知」
史実に基づいた映画で、朝鮮王朝時代の離島が舞台で、モノクロ。これだけで判断すると芸術系の映画のように思われるかもしれないが、本作は、良い意味で大衆映画である。テンポもよく、登場人物(役者)が魅力的である。
テーマはいくつか埋め込まれている。宗教、身分制、学問などである。その中でも、学問が大きいように思った。学問とは何か、何のために学ぶのか?そうした事を楽しみながら考えさせられる映画である。
貴族(両班)のたしなみである儒学を熱心に学ぶ漁師の青年、その青年の手助けを得て魚介類の生態を学ぶ儒学者。その学びの先には何があるのか、その学びは彼らに何をもたらすのか?それは、必ずしも幸せばかりではなかった。しかし、学びに打ち込んでいる両者の姿は、とても幸せそうで、精神が躍動しているのがスクリーンから伝わってきた。学ぶ事は快楽なんだと、改めて教えられた気がする。
モノクロ映像が抒情感を更にアップ。
普通に勉学に臨めない時代はどこの世にもあって学びたい人々はその時代をどう過ごすのか。普通は出会う事のない漁師の若者と流刑にされた官吏の学を通じた交流がモノクロームの世界で描かれる。月の明かりも海の荒波も色がついていないのに映像が美しい。流刑の地の人々の暖かい交流もほっこりみもの。貧しくても人とのつながりがしっかりしている方が幸せ。
自然との共生 SDGsの時代に示唆するもの
立派な学者である主人公は儒教社会への忠臣を問われ島流しにあう。そしてそこで生活に根差した学問の魅力を発見する。彼を触発したのは島民の暮らしや生活感情であったし、またもう一人の主人公である青年の好奇心であった。青年は学問を積み、学者先生が落ちてきた官僚の世界を目指す。しかし、現実の世界は学んだ世界とはかけ離れた穢れた世界であった。そのことを思い知った青年は島の生活へと戻ることになる。
モノクロームで表現された島の美しさは、自然と人間の距離を縮めてくれる。抽象的な観念や技術論にからめとられた現代人への警鐘と受け取った。
今年(2021年11月20日時点)では文句なく最高難易度クラスの映画(説明入れてます)
今年181本目(合計245本目)。 ※日をまたいでいますが、20日(シネマート心斎橋さん)です。
映画のポスター等を見ると、海洋生物などを研究する人物を描いた作品なのかな?と一瞬思えますが、それはトラップ(まぁ、公式も意識していないと思いますが…)。
それも一応でますが、実話ベースのお話なので、19世紀の朝鮮半島時代の事情を知らないとわからない部分や、流刑にされたとはいえ地位の高い人物であったため、漢文をたしなむ内容や、「論語」や「大学」などの中国の思想書の話まで出てくるので、恐ろしく理解難易度は高いです(余りにも難易度が高すぎるセリフは、右側に補足説明が入るくらい)。
多くの方が書かれている通り、エンディング間近以外はモノクロ構成。これは好き嫌いあるのかなと思います。あえてモノクロ構成にしたことで当時の雰囲気を出したかったのかなとも思えるし、この作品は古い時代のリバイバル放映でもない)
上記に書いた通り、恐ろしく理解難易度が高い映画です。日本の高校世界史では19世紀の朝鮮半島の歴史はほとんど扱わず、内容も説明不足の部分もやはりあるからです。さらにそこに漢文(漢詩の話。主人公はハングルではなく、漢字を扱って書物を書いていた)の話やら、中国の思想、さらに当時の朝鮮半島の身分差別の問題まで出てくるので、理系文系両方の知識が求められるという、「最後の決闘裁判」をはるかに超える超コアな映画です。
実際、視聴前に多少、下記(最低限書いてます)の知識がないと、何がなんだか不明な展開になってしまい、「海産物よかったなぁ」というわけでもなく(海産物を扱った映画にも一瞬思えるが、海産物の話は3割も出ない)、かなり難しい映画になってしまっています。
※ 今はコロナ事情で無理ですが、韓国から大阪市(現在、この映画はシネマート心斎橋さんなど少数でしか放映されていない模様だが、今後増えることは告知されている)に旅行したネイティブの方がみて、やっと理解できるのでは…というくらいです。
日本では大学で近代朝鮮史を専攻しましたというレベルの方以外、もう予習必須で、それで6割~7割か…というくらいです。
この実在する登場人物は3人兄弟で、いずれも実学(特に西洋技術)を得意としており、現在のスウォン城(水原城)の構築も、末弟の指導・経験に基づくものです(特に建築に詳しかった模様)。また、本映画の主人公の残した海産物に関する書物は、現在では韓国では当たり前のように幼児・子供が読む「水産物図鑑」の原点となったと言われる書物です。
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(減点なし) 上記に書いた通り、2021年(10月20日時点)では、「最後の決闘裁判」(この映画も、日本では世界史で百年戦争を扱わないので、字幕不足も相まって理解が難しかった)をはるかに超える難易度になってしまっています。
とはいえ、110分ほどで扱える内容には限界があり、韓国映画という事情がら、ある程度行かれる方は「最低限の予習はしているのだろう」という暗黙の前提知識があるようで、そこはもうしょうがないと思います。本来的には「パンフレットと抱き合わせにするのは好ましくない」と思いますが(以前書いた通り)、とはいえパンフレットも700円と良心的ですし、字幕内のやや配慮が足りない部分も、ちゃんとこちらでは補われています。
また、パンフレットも本映画だけではなく、趣旨的に類似する映画・書籍の紹介などもあり、単純に「パンフレットだけ」という状況でもありません。
本来的には抱き合わせ前提は好ましくないのですが、この映画を完全に誰でもわかるように描こうと思うと240分コースであり、そんなのはもう無理なので、仕方がないかと思います。
(減点なし)私はシネマート心斎橋さんで観たのですが、ポスターの左側に、映画雑誌や新聞の紹介記事などの切り抜きが張られています(著作権的な問題はとりあえず度外視)。ひとつだけ「朝鮮半島最南端に流刑され…」という記述があるのですが、李氏朝鮮で最南端は済州島であり(李氏朝鮮時代には、領土の一部としてみなされていた)、本映画の黒山島ではないはずです。事実、映画内でも「最西端のこんな場所に流刑されちゃってかわいそうに…」という字幕が出ることからわかる通り、字幕が正しく切り抜き記事のミスなのですが、シネマート心斎橋さんでこのミス逃しは良いんでしょうか…?(シネマート心斎橋さんは韓国映画を多く流すので、この程度のミスは自分で修正して読めってこと?)
(減点なし)「西海と東海では同じ魚でも構造が微妙に違うの」という趣旨のセリフが出るところがあります(始まって30分くらい)。ここは結局、
・ 今の日本海呼称問題
・ 黒山島から見たときの、西/東の概念
…のいずれにも読めるのですが、後者だとその範囲で魚の構造が違うというのは地理スケールとして微妙なので、前者と解することができますが、当時(この映画は1801~を描く映画)では「日本海」「東海」という呼び方の問題を誰も議論していなかったのは明らかで、そこで逆に日本に配慮して「日本海」と言う方がむしろ珍妙な映画になるので、そこも減点なしにしています。
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▼ 参考(本映画の前提知識)
天主教徒弾圧事件(辛酉教獄) 1801年に起きたキリスト教弾圧事件。多くの被害者を生んだと言われます。この弾圧はもう1回あり、キリスト教信者のみならず、西洋文化や技術を否定したため、アヘン戦争(1840ごろ~)以降も朝鮮半島は「取り残される」形となり(宗教弾圧がひどく、戦争に耐える状況ではなかった)、結果的に朝鮮半島の近代化が遅れた一因と言われます。
漢詩などを読むシーン 上記に書いた通り、流刑されたとはいえ、身分の高い人物で、当時はまだハングルよりも身分の高い人は漢字で読み書きするのが普通でした。そのため、いわゆる漢詩(5文字、5文字、5文字形式や、7文字、7文字、7文字形式等)をたしなむのが普通で、序盤にその話も出ます(突如登場し、字幕にいきなり出てくるが、字幕は漢字「しか」ないので何かわかりづらい)。
「論語」や「大学」などの描写 上記と同じく、やはり身分の高い人は、朝鮮半島といえども、まだこの当時の「論語」などを自由自在に読めて理解できるのが当たり前でした(だから、映画内でも漢字でしか出てこないし、ハングルも出ない。エンディングクレジット以外、ハングルはほぼほぼ出ない、ある意味珍しい映画)。これらの思想は日本では高校では「倫理」などで扱うかと思いますが、必須科目でもないですし、多少出る程度なので、「あれば有利だが、ないと何が何だか理解できない」状況でもないです。
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後期李氏朝鮮時代の風俗や韓国のルーツに触れる
素晴らしい作品だった。
役者さん達の演技も実に素晴らしかった。それぞれが個性的でメリハリがあり現代韓国映画での演技の臭さほ微塵もない。
それにさても、かの時代は静かで愉快な朝鮮人で、礼節ある風俗と共に描かれているのが李朝時代の美術や民芸を知るものには嬉しい作品だ。
そこには、日本と同じ儒教を学びつつ西欧からの知識や宗教を困惑しながら学ぶことを探求し、
現社会との相剋を多くの人たちがそれぞれの道を歩み生きてゆく同じ時代の潮流を東洋人として感じることだ。
そう、こんな文人墨客な社会が、朝鮮にもあり、それがありありと描かれているのが愉快しい。
やはり、中国、朝鮮、日本は同じ命脈であることがよく分かる。
更に、ベトナムも含めて東アジアがもっともっと仲良くなれるなってもらいたいと感じずにはいられない。
映画として、ただ残念なのは後半のマラ切断事件は生々しく鮮烈過ぎることには閉口してしまう。
よくある師弟ものですが、師弟の絆に感動します。役者たちも、ソル・ギ...
よくある師弟ものですが、師弟の絆に感動します。役者たちも、ソル・ギョングは渋くてカッコいいし、イ・ジョンウンは妻役としていい味だしてます。「金子文子と朴烈」にも似たテイストで、まあまあ面白かったです。
今は亡き父の姿を思い出した
今は亡き私の父は好奇心旺盛な人だった。小学生だった私に水槽の水の量をどうやって測ったらいいのか相談したり、看板に書いてある言葉がどんな意図で書かれたのか話し合ったり。息子を試すのではなく自分が知りたいから、身近な人に聞いているという感じだった。穏やかなのに内に秘めた熱を持っていて、自然と人が集まってくる。本作に出てくるヤクチョンを見て、なぜか父を思い出してしまった。
島に流刑となり、絶望するのではなく新しいことに出会えると考えるヤクチュン。自分の知らないことに詳しい若者に素直に教えを請う。そして島の若者・チャンデもヤクチュンの人柄に触れ師と仰ぐようになる。
そんな2人のやりとりや、島の人達との交流がとてもよかった。だから後半しっくり来なかったのは残念。あまり感動できる終わり方ではなかった。ここらへんは史実に基づく話だからあまり脚色できなかったのかもしれない。いや、映画なんだから史実に忠実じゃなくたっていいじゃないか。
本を書いているヤクチュンの姿を見て、そういえば父はかなり年をとってから習字を始めたななんて思い出していた。こんな映画観たんだよなんて話を父にしたことはなかったが、この映画だったらそんな話をしてもよかったな。
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