死刑にいたる病のレビュー・感想・評価
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わりとグロめ、弱い人は鑑賞注意
サダヲのぐりっとした黒目と目尻に下がった涙袋がいい。
映像も面会室のライティングや演出がいい。
ガラスを超えて届く洗脳の声、言葉だけで脳裏に見える過去の風景、心臓部分に映した映像は心の中にあり続けて舐って反芻している表現、密室で限られた照明を駆使した演出がにくかった〜。
知能の高いサイコパスってほんとうにあんな感じなんだろうな。
主人公もやんわりと懐柔させられて強気になったり話し方や雰囲気も変わっていく感じも過度じゃなくて、ほんとうにうっすら変わっていく様がリアルでいい。
でも、やっぱりEXILE系の俳優さんがでてくると興醒めしちゃうんだよな〜。あのキレイな顔にアザがあったとて、全然アリでしょ。って思っちゃう。そもそも演じてます〜って感じに見えちゃう。ウィッグだしね。
あと、彼女の元にもお手紙だしてサダヲのところにいってたなら弁護士さんから共有されるでしょうよ。
そんでもって、手の傷見て白いトップスで拭かないでしょ、布面積の多くて赤系のフレアスカートなら迷わずスカートでしょ、てかハンカチ出すでしょ。そんでもってそんでもって、舐めないでしょ。不衛生すぎるし、私だったら舐められたくない。。。水で洗ってくれ〜〜〜〜〜〜!というツッコミはさておき。
想像以上にグロめ描写だった。特殊メイク班に拍手。でもあんなに手首ざっくりいかれてたら多分木をつかむの無理なのでは。。そしてまだ逃げるもんなのね。
グロいシーンが多くてキツかった。 殺人や拷問をする理由や美学も分か...
グロいシーンが多くてキツかった。
殺人や拷問をする理由や美学も分からなかった。
子供が手懐けられて痛い遊びをした理由も分からないし。
最後のシーンも何故彼らに繋がりがあったのかも分からなかった。
ちょっと私には難し過ぎた。
「特別な何かでありたいからね。○○の息子だと思えて、強くなった気がしただろう」というのは、共感できた。
面会室で相手と自分が重なるシーンも想像を掻き立ててしまうカッコいい演出だった。
とんでもないサイコサスペンス
レビュアー諸氏がこぞって指摘しているとおり、本当に怖い、怖い、筆舌に尽くしがたいくらいに怖い映画でした。
評論子が「怖かった」というのは、主に二点。榛村が他人の肉体的・心理的な苦痛に(異常なまでに)無関心・無頓着であったことと、(これまた異常なまでに)人の心に入り込む術を心得ていたことでした。
前者については、被害者が彼の拷問に塗炭の苦しみを味わっていても、顔色一つ変えないこと。行為に際して、笑みすら浮かべられること。
後者については、彼が被害者となるべき少年・少女と、いとも簡単に信頼関係(ラポール)を築けてしまうこと、そして、築いたラポールを、いわば橋頭堡として、被害者の内面に入り込み、被害者を自在に操ることがてきることです。(刑務官とも雑談を交わす関係になり、面会時間の制限に、立ち会ったワタナベ刑務官には、こっそり便宜を図ってもらったりできることも同様。)
いったいせんたい、何を食べたら、こんなに安々と人の心に入り込めるようになれるのでしょうか?
…いえ、食べ物のせいではないことは、評論子も重々承知はしているのですけれども。(苦笑)
それらの彼の特性・特質が、彼の犯罪性向をいっそう強固なものにしていることは、疑いがありません。
実存主義哲学の創始・キルケゴールは、絶望を「死にいたる病」と評しました。
本作の題名どおり、この矯正不可能とも思われるような榛村大和の強固な犯罪性向が、彼の「死刑にいたる病」であることも、また間違いのないことだったと思います。評論子は。
(追記)
しかし、ぴったりなキャスティングでしたね。阿部サダヲは。
彼の大人しそうなキャラクターと柔和な笑顔、柔らかい物腰が(その残虐性をすっかりカモフラージュして)被害者の心の中にすっと入り込んでいく悪魔の役柄としては。
もちろん、そういう風貌だけでなく、役者としての彼の演技が、なおいっそう本作に「すご味」を加えていたことは、今さら評論子が指摘するまでもないことと思います。
「普通」に対する憎悪
過酷な環境で育ってきたであろう榛村(阿部サダヲ)は、きっと「普通」に憧れていて、なんで自分の周りには・自分にはこんな簡単な「普通」なんてものが手に入らないのか。愛し求めていたが手に入らず憎しみに変わり、その気持ちも振り切って絶望となり無感情になる。愛の反対と言われる無関心や憎しみやらで心が染まり、「普通」を持つ青春真っ只中の輝く少年少女をターゲットにして「痛み」という非日常で被害者から「普通」を削りとる実感を得て、生を感じ取り、自分のものにしていた気がする。その殺人が続いたことで榛村にとって連続殺人とその残虐な行為が「普通」となっていった。榛村がその「普通」に無意識か意識的にか気づいたがために、これではいけない俺もその普通の人間になってしまうという焦りから、これまでの殺人とは異なる殺人を犯した。ようにも見えた。
榛村は死産で生まれた赤ん坊の処理については、子供の幼稚さとその環境で生きていくための対応だったように見られるが、その描写や殺人シーン拷問シーンがなぜあれほどリアルにする必要があったのか。「ホラー映画」なのかとおもうくらい。「残虐な行為を(見た目)普通の人間が行う」という掛け合わせが不気味さを演出するのだと思いますが、死産の赤ん坊を処理するシーンは榛村の無感情さを見せるための演出かと思いますが、見てられないほどリアルな描写をされていた。
「死刑にいたる病」という「病」の意味は、病気の他に悪い癖。欠点。気がかり。苦労の種などがあった。タイトルは意外とシンプルなんだなと思いました。
予告から目が黒くて大好きな阿部サダヲ
すっごい好き。
やっぱり、最後にタイトルまで合わせて映画だなあと思いました。
劇場で見てよかったです。
普段の印象と違った面を見せることで映画全体の不気味さが増すのナイスキャスティング。
明るいだけじゃなくて明るさの中にある不気味な阿部サダヲを引っ張り出してくれて感謝……!
タイトルに納得
よくある猟奇殺人ものとは一線を画す話運びが引き込まれる 阿部サダヲは期待したほど怖くないけど、サイコパス感がよく出てて、またその出世まではあえて掘り下げない(そこを描くと途端にチープになると思う)のがよかった
死刑に至る病 そのタイトルが見事に結実するラストに震えた
原作だと違うのかな?
原作未読。主人公は頑張ってたけど、それ以外はうーん。
中山美穂、岩田はなんか浮いてる感。
サイコパスの阿部サダヲも違うかなぁ。この手の人を操るタイプのサイコパスって、現実は分からないけど、フィクションでは良くも悪くも魅力的な人間が多いけど、それが感じられなかったなぁ。って言うか、チェーン店なら兎も角、個人経営の店の常連が被害者って共通点有ったら、警察の容疑者リストに上がりそうだけど、捕まったのが捕まえていた被害者に逃げられたからって・・・・
殺人鬼に魅せられる
Paraviで鑑賞(レンタル)。
原作は未読。
本作の白眉は、阿部サダヲと岡田健史(現・水上恒司)の演技対決でしょう。榛原と雅也が東京拘置所の接見室で対峙するシーンの緊迫感溢れるやり取りは終始鳥肌モノでした。
仕切りのガラスに映る榛原の像が、ふたりが会う回数を重ねていくごとに次第に雅也と重なっていく演出も巧み。雅也が榛原に魅入られていることを暗示していて不安が募りました。
雅也も自信が湧いて来たのかだんだん人柄が変化していったし、それを表現した岡田健史の演技力がすごい。対して阿部サダヲの、底知れぬ怖さを滲み出す演技も絶品でした。
[余談]
阿部サダヲの目に吸い込まれそうになりました。標的を操縦する際の、なんの感情も読み取れない奈落みたいな目に。
不気味で怖いのに、何故か目が離せない。すっかり魅入られて、底無し穴に自ら足を踏み出してしまいそうになる。
術中にハマりそうになりました。危ない危ない。
※修正(2024/06/09)
阿部サダヲ、じゃない方が、、、
阿部サダヲさんは好きだしお芝居も素晴らしいのはもう言わずもがな。ですが、、
この役に関しては平凡なパン屋も似合わないし、人をマインドコントロールできるような魅力は感じられなかった。
素晴らしいね、という目は常に死んでたし
兄弟を切りつけ合う場面とかキャッキャ楽しんでる様子
二面性は全く無かった、、、
(他の人を出すのはアレだけど、思いつくのはスマホ落とした〜の成田くんとかのイメージか、小日向さん向いてそう)
岡田くん(水上?)も虐待を受けて自尊心が低い少年には全くみられなかった、、そもそも父親がいる実家に行きすぎ。
あとラストがめちゃくちゃ意味不明だった、、
全然繋がりも感じなくてビックリというか、
え?って感じ。
他にも「?」はたくさんあったけど割愛する。。
この映画でわーって思ったのは
映画ビンチェンソナタリの『ナッシング』と
カフカの『変身』が出たこと。
どちらも大好きな作品!!!
(だけどこの話と関連性は。。。?)
これが本当に、エンタメでいいのだろうか。
人の底にある闇や悪?の部分を炙り出して、
あぁ怖いな、でも怖い物みたさでついつい観てしまう。。
目を背けたくなるような闇や欲望を、誰しもが持っている。
そんな映画は本作に限らず、今の時代はたくさんあると思います。
私も昔は園子温の作品などを恐ろしいと思いながらも喜んで観ていた方ですが、時は経ち、自分も親になってみると、もはやこのような作品を私も、そして少なくとも子供には観て欲しくないな、と思うようになりました。
明るく希望に満ちた作品ばかりを、とそこまでは思っていませんが、特にこういった作品に多い猟奇的なシーンを、そこまで克明に描く必要がはたしてあるのでしょうか??
本当に残忍なシーンを観て、これは映画だ、現実とは違うから、と全ての人が分別できるのでしょうか?
もしかしたら精神的に不安定だったり、心が危うい状態の人のトリガーになってしまう可能性は皆無なのでしょうか??
私は、映画だけに限らず、エイターテイメントとは、いつも誰かの「希望」であって欲しいと願っています。きっとそれは、自分の子供が、いや全ての未来ある子供や大人にとっても、そうあって欲しいと願っているからです。
結論として、私は自分の子供に観て欲しくないな、と思うような映画は好きではありません。
そういう物がエンタメとして未来永劫まで伝わる名作になるとも思いません。
誤解無く言えば、俳優の皆さんの演技は本当に素晴らしく、逆にだからこそ、余計に恐ろしく感じてしまった事は事実です。
これらは私の狭量な考え方かも知れませんが、私はこの作品を観て、凄い作品だ!という数々の賞賛のレビューを観ながら、ただただそれも恐ろしく、そう思いました。
久々におおっとなりました
仕掛けがある映画でした。
どれがホントでどれが嘘か、
ストーリーの真実がなんなのか少し考えた面白い映画でした。
拷問シーンはお笑いに見えました笑
フラットにしたかったのかな。
終わり方が視聴者の想像にパターンなのか、
どうなったのか気になる終わりでした。
2022 215本目
ん~。思ってた通り会話劇でした。
最後は、あぁそうなんだと笑
阿部さんの役柄というか色んな役を演じられてすごいなと思いました。
中山美穂さんは、思いの外印象に残らなかった。
しかし、2時間弱は長く感じてしまいました
阿部定も驚くシリアルキラーを好演
本作の主人公は自閉的な大学生筧井雅也。
大学受験に失敗し、いわゆる
Fラン大学の法学部の学生として孤独な日々を過ごしていた。
そんな彼が帰省し、実家に届いた一通の手紙からこの物語は始まる。
送り主は中学生の頃、交流を深めた心優しきパン屋の店主榛村。
当時父親から暴力を受けていた雅也は、塾に行く前に立ち寄るそのパン屋で榛村と交流を深めていった。
しかし、その榛村という人物は24件の殺人事件の容疑者として起訴され、死刑判決を受けていた。
そんな中、面会室で再会する雅也と榛村。
榛村が冤罪だと主張する9件目の殺人事件を追う内に雅也は自分のルーツを探ることとなる。
結末は案の定バッドエンドというべきか。
榛村のその「DNA」は確かに受け継がれ、病はさらに感染していく。
事件の真相は解明されたが、「死刑に至る」その病原菌までは断ち切ることはできなかった。
今回のシリアルキラーを演じた阿部サダヲの淡々と人々を翻弄する「瞳」の演技はとてもリアリティを感じた。こういう人物は実際にいるのだと。
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