死刑にいたる病のレビュー・感想・評価
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花びらが舞っていたのかと…
狂っているが、頭のキレすぎるサダヲが怖かった😵💫
ラストシーンの主人公が謎を解いてからの、
彼女のバッグからA4用紙が出てきた日には
爪が花びらみたいだったなぁ…🥶
逆らうことができないマインドコントロールなのか、水平思考なのか
詐欺師は物凄くいいやつだといいますが、この話は殺人鬼以外はみんな嫌な奴として作られています。
相対的にも阿部サダヲ演ずる殺人鬼がものすごくいい人に見えてしまうように・・・
カラコンも相まって非常に怖いです。
奥さんを家政婦扱いする父親とか、酒が苦手な若者にムリヤリ一気飲みさせようとするパワハラ親戚、友達にマウントを取るため関係ない飲み会にイケメンの主人公を呼び出す女学生とか、同じサークルのチャラい学生、本当に碌な奴がでてきません。
なかでも主人公がとんでもなく嫌な感じで、これだけのイケメンでこんな斜に構えてたら絶対友達にはなりたくない。
嫌な奴ではありませんが、自分ではなにも決められない中山美穂も最初は変な奴だと思いましたが・・・
序盤は不愉快極まりない登場人物によってひたすら不快ですが、面会を境にヒトコワに
偽りの「天才」と、その感染者たち
私は白石監督の作品は『孤狼』シリーズしか拝見しておらず、このレビューはいわゆるミーハーのそれになってしまうだろうが、ご容赦いただきたい。
まず白石監督の画について。
土砂降りのなか、雨に濡れる混凝土が美しく黒々と艶めき、作中で重要な意味をもつ「暴力」が、劇的にふるわれる……
『孤狼』にも見られたこのモチーフは本作でも健在であり、他のシーンとは一線を画すかたちで照り映えていた。それは主人公がサラリーマンに逆上するも絞殺未遂に終わり、己の「平凡さ」に気づく重要なシーンである。それに続く性愛成就のシーンも雨があり、自動車という無機物が欲情した主人公の獣性を受け止める台となっていた。
このモチーフを見るたびに私はフランシス・ベーコンという画家の作品を思い出さずにはいられない。彼の有名な『叫び』の諸作は横溢する痛みの、受け手の感性にじかに作用する表現であり、四方を無機物に囲繞された現代人へのメタ認知にほかならない。
白石監督の作品にも「痛み」はつきものであり、そこが非常にベーコンの諸作と私の中で照応するのである。
さて、本作の主題は「痛み」であり、またその共感および自閉であることは明らかである。
榛村は人を痛めつけ、惨殺する。
同時に彼は素晴らしく社交的で、善人にみえ、人心の掌握に長けている。
この矛盾するかのような要素を人格に併存させた、いわゆるサイコパスである榛村はある種のカリスマを備え、あたかも教祖のように人を自分に「感染」させてしまう。その感染力は強烈で、主人公を含めて多数の被害者たちが文字通り「感電」したかのように、彼に魅了されてしまう。
しかしながら、彼のその恐るべき独創性は、策謀と虚偽と破壊しかもたらさない。なるほど、彼は人の心を読み、それを思うまま操ることに長けていることは間違いない。だがそれは、彼の知性におそらくは殆ど先天的に、偶然備わっていた技術にすぎない。彼は人心に関わる高度な知見と勘を有する「技術者」、熟練工だったのである。
彼があれほど犠牲者を痛めつけるのは、彼に痛みが、つまり他人の痛みを自分のものであるかのように感じとる力が皆無であるという証拠である。彼の「共感」はどこまでも自閉的である。彼はカリスマではあっても教祖ではない。彼には導者として、共同体を構築し、それを運営してゆく能力がないからである。
自分が「非凡」なものでありたいという願望は誰しもが抱くものである。最近はサイコパスがそのわかりやすい人格としてしばしば挙げられがちで「サイコパス診断」なるものすら存在する。
しかしながら、「非凡」さの理想としてサイコパスを見ることは大きな過ちであることを、本作は嫌というほど明瞭に諭してくれている。
その独創性は創造的でない。
その独創性は自己完結し、破壊しか生まない。
サイコパスは世の言う「天才」ではない。天才の業績は功罪はあれど、必ず共同体や人類種へと還元される。サイコパスの所業には還元されるものがない。自己満足な殺人と操縦のあとには、ただ喪失と、痛みと、虚しさが残るだけなのだ。
阿部サダヲ演じる榛村が、終盤自分の戦利品を燃やし、あるいは流してゆくシーンを思い出してほしい。あそこに存在していたのは、虚しさだけである。何もないのである。彼がどんな思いでカフカを読み、『アンの結婚』を観たのか。私には解らない。そして解りたくもないし、解る必要もないのだ。
「悪のカリスマ」は確固とした共同体を創り得ない。共同体は創始者の因子を育み、そこからやがて新たな天才が生まれて多くの実りをもたらす。因子とは個人を元にして、けれども個人を離れることで生じる遺産のことである。
しかし「悪のカリスマ」はどこまでも自我に固執し、因子を残すことはない。そこから生まれるのはその意のままになる愚劣なエピゴーネンか、ナイーブな模倣者のみである。
一番最後のシーン、宮崎優演じる主人公の彼女は、独創的な殺人者、ある種の天才と化していたのであろうか。
私は否、と言いたい。彼女は榛村に操縦された感染者であったに相違ない。誰かを「好き」になることなど、精神病質者にはありえないのだから。
観たかった映画なんだが…
残酷なシーンからはじまったとき、この映画を観ることを決めて、映画館に来て、チケットを買ったことを少し後悔しました。
だって殺し方が残酷すぎるんですよ。あれを24人も殺ってるなんて、怖すぎる。
1人目、2人目と、殺すシーンが出てきて、「おいおい24人全員観ることになるんか!?」と思った。とりあえず、全員でなくて良かったが、別の恐ろしさが続く。
あと、榛村は雅也の父親ではないかと思った人、多いんじゃないかな。いや、もう絶対そうだと思いましたもん。だって殺人未遂ですぜ。
また、加納灯里の「爪…はがしたくなる?」最後のこのセリフは怖い、怖すぎる。榛村と加納灯里は繋がってたんですね。榛村は、殺す事ができなかった雅也を心残りとして、加納灯里を使って雅也を追い込もうとしたんではないかと想像しました。榛村が刑務所の中から、加納灯里を自分の手足とするシーンなんか無いし、そんなことは無いのかもしれないけど、想像力をかき立てられる凄いストーリーと映像でした。
期待しすぎ
に要注意。
私は完全にソレ。
なんの期待もせずに鑑賞していたら評価はもっと高く付けているはずです。
殺人鬼と
過去にその人物が営んでいたパン屋に通っていた当時中学生、現在大学生の男の子が
メインのストーリー。
前半はグロ描写があり、私は苦手な為目を背けてしまいましたが、思っていたよりもグロは軽めでした。
観ている最中は、そう繋がるのかーと妙に感心しながらみてました。
観終わって2日ほど経ちますが、
後を引く感じはほぼなく、
期待しすぎだなぁーっていうのが今出てくる感想です
岩田さんの配役はちょっとミスマッチでした(私的に)
顔が綺麗すぎて、ストーリーから違和感を感じてしまいました
岡田さんに関してはとても良かったです。
普段の好青年ぽいイメージとは全く違って、
姿勢や表情、声のトーンと、覇気のない口調に、一歩テンポが遅い喋り出し。
その辺りはかなり好きでした。
あと意外とキスが上手。
日本の俳優さんキス下手だなと感じることが多いけど、彼は上手そうに見えました(かなり失礼)
既成事実と信じた真実の崩壊
大学生の雅也の元に24人を殺した連続殺人鬼から一通の手紙が届いた。
その殺人鬼の名は榛村大和。雅也が幼い頃通っていたパン屋の優しい店主だった。
手紙の通りに彼に会いに行くと、雅也はとある頼み事をされる。
それはたった一件の冤罪証明。
妙に興味を惹かれた雅也は1人で捜査を始めるのだが…
白石監督の最新作。
意外にも評価があまり高くないが、孤狼の血と並ぶ傑作だと思う。
自分はこの手の作品の展開を読めないことが多いが、本作は珍しく最後の展開を含め予想が当たった。
それでもなお面白い。
この作品の面白さはただのサイコスリラー作品以上のものがある。
※ここからは抑えてはいるものの、ややネタバレしているので、鑑賞予定のある人は見ないことをおすすめします。
まず、悪役がしっかりと悪役だった点。
途中でとある事実(?)が発覚し、他人事が自分事になることで、雅也と榛村の距離が近づく。
しかし、あくまでも雅也は正、榛村は悪としているところがとても良かった。
24人、若しくはそれ以上の高校生をいたぶった上で殺した連続殺人鬼。そこに情なんてものは必要ない。
榛村が発している負の空気、そして雅也が徐々に沼の深みへと足を踏み入れていく陰湿さが生々しく、完璧なる悪であった。
グロいと評判だったが、グロいよりは痛いじゃない?
それ以上に邪悪な阿部サダヲが何よりも恐ろしい。
予告からも滲み出ていた色を失ったあの真っ黒な目。
大きなスクリーンで見ると引き込まれてしまいそうな魅力的な目にも感じた。
あんな目、常人ではとても出来ない。
そして、多くの人が驚いたであろう宮崎優さん。
個人的には前から密かに来そうだと応援していたので、ようやく本領発揮といった感じで内心ガッツポーズ。
孤狼の血の阿部純子さん然り、白石監督の描く雨の夜に求め合ってその後あっさりと落としてくるヒロインが本当に良い。
是非この映画を足掛かりに様々な作品に出演してもらいたい。
あのラストカットを魅力的と呼ばず何と呼ぶ。
冒頭では川にパラパラと撒いているものが花びらに見えたため、何か分かった瞬間戦慄した。
自分も取り込まれてしまいそうになった、榛村の当然かつ無意識な罪の連続、継続、そして継承。
ただただヤバいやつ。
サイコパスの真骨頂を見た。
もっと、もっとゾワゾワしたかったな。
なんだかこの時期の邦画、豊作ですねー。
一言。面白かったです!!!
少々エグいシーンありますからプチホラーかもしれませんが、まぁサイコ系推理モノですよね?巧みな展開で観客はうまい具合に弄ばれますよ。そう言う点では心地よかったなぁ。ほほー!って感じ。
映像としてもさすが白石監督のバイオレンスシーンやシーンとしての伏線回収など、これまた巧みに楽しませてくれますね。物語だけではなく人物像までも映像に映る印象が変わって見えてくる感じがよかったなぁ。作品の厚みが出ますよね。
原作は未読です。どこまで忠実なのか?はわかりませんが、カラクリがちょっとてんこ盛りすぎた感はありました。途中までは現実味ある気持ち悪さだったんですが、クライマックスに近づくに当たり、なんだかディズニー制作に移ったスターウォーズのように、なんでもできるフォース感が邪魔しちゃいまして・・・・。「実は・・・こんなことが・・・」に思いっきり違和感が。それが邪魔しちゃったんだよなぁ。それと、やっぱ精神的に追い込んで欲しかったんだよなぁ、もっともっと。ちょっと色々と簡単にわかりすぎてしまい・・・。
主人公の精神を破壊してしまうくらいに追い込んで欲しかった。
けど、面白かったです。
白石和彌監督の今後を憂う
(白石和彌監督愛が強いためやや辛口となります。)
何故こうなってしまったのか。主人公がFラン大学に入学して本人も家族もそう思っただろう。そして映画を観終えた私も思ったのだ。どうしてこうなってしまったのか。
映像はよい。アクリル板に写るシリアルキラー榛村と大学生・雅也の距離感が美しい。花弁のように散る事後の爪が美しい。阿部サダヲ感が鳴りを潜めた狂気の演技も良い。それなのに、何故こんなに私は落ち込んでいるのだろう。
比較的予定調和に進むストーリーも、別にそこまで悪いわけじゃない。むしろ最後のシーンはなかなかに鳥肌がたつ。宮﨑優という役者を知らなかったが、間違いなく光っていた。血を舐めるシーンは全く理解に値しないが、それは彼女のせいではない。
実はもう分かっている。このストレスの原因は金山なんだ。冒頭から「この人、重要人物です!覚えておいてね!!」と、地上波初登場の映画のように下世話な説明テロップを従えて(のように見える)堂々と登場。この見るからに意味ありげな男が恐らくストーリーに絡みつつ、そして恐らくは犯人でないという所まで容易に想像できてしまう。だから殺人現場で女性が泣いて拝んでいたと聞いても「あー…」。(CGで若返ったTikTokのようなチープな映像内に)長髪の子どもが出てきても「あー…」。いかにもなエンジニアだし、車に乗ってるロン毛も悪目立ちして仕方がない。雅也に告白する大切な演技も相変わらず不完全燃焼。いやはや、こんなサスペンス楽しくないよ。
「監督うっ!うちの岩田のシーンを増やしてくださいよぉ」
なんて妄想が止まらない。そうでも思わないと、あの違和感が収まらない。大丈夫?日本のエンターテイメントは大丈夫なの??
孤狼の血LEVEL2あたりから、大人の事情を消化しきれずにいる白石監督の姿にヤキモキする。彼の作品にEXILEや乃木坂は必要なのか?新作が発表される度に映画館に向かっているのだけれど、そろそろサブスクでの公開を待つ方向の切り替えてもイイのかしれないな…。悲しい。
観た後はタイトルに納得
連続殺人犯の連続殺人の内1件の
冤罪を調べる大学生の話。
あー重い!
殺人事件などが報道されるたびに
「これって報道されたら模倣犯を生む危険性が
あるのでは、、」
って心配してしまうことないですか?
この映画はその感情が爆発します。
犯人が捕まってもまた別の誰かがやるし
その連鎖はいつまで経っても止まらないのです。
ラストはまあまあびっくりしました。
タイトルどういうことかな?と思ってましたが
ほんとに病でした。
衝動とかじゃなく内から来る動機って
どうにかできるものではないんだなと思いました。
それに加えて
警察、検察、弁護の闇も描かれて
もう未来がございません!
危険はすぐ身近に潜んでると思わせてくれましたが
感動や面白さよりも絶望が勝ってしまいました。
俳優陣は1人のマッチョを除いて
皆さん実力派で、引き込まれました。
特に阿部サダヲさん演じる殺人鬼の
賢くて不気味なキャラはとても魅力的でした。
目の演技すごい!死んでますやん!
夢に出てきそうなくらい怖い目でした、、
心がざわざわする映画
親子でとか好きな人とはあまり見たくない映画ですね。
死刑囚である榛村みたいな人がホンマにいたらイヤやなあと心から思えました。彼の誘いかけ・お願いに乗る雅也もどうかしていると思いますよ。心の隙間にうまいこと入り込まれてしまうのでしょうね。村のおっさんの「俺あ、あいつのこと嫌いじゃないんだよな」という榛村に対する感想。これが榛村に対する一般的な普通の人の感想なんでしょう。とても恐ろしいです。人間不信に陥るような感覚、心の中の弱い部分をいじられるような感じ、そして最後まで榛村の手の中にあるというラスト。とても心がざわつく映画でした。
あまりにも良い実写化すぎる
私はサイン本を所持する位原作が好きな櫛木理宇ファンなんですけど、そんな立場から今回の映画について述べますね。
第一に感じたのは原作への深いリスペクトです(ろくろを回すポーズ)本来実写は原作を1部カットして作るからその取捨選択が非常に重要やけどもこの映画はそれがべらぼうに上手い。他の実写にも見習って欲しいレベルに上手い。というかちゃんとしている。絶対外しちゃいけないところを抑えている。
そして阿部サダヲの演技が良い~~~ここのキャスティングだけ原作と違う感じで出てきたから疑問やったけど全部見て納得しました。
もし原作通りのモデル並みの美形設定を遵守してイケメン俳優がやってたら浮世絵感が強くてここまで恐怖が現実に侵食する感じはなかったと思うし、あとは美形設定を無くすことによりそれに関するエピソードを削れたので上手い原作カットのやり方だなあと思いました。原作は原作の、実写は実写のそれぞれの魅力が引き立ってて最高でした。
映画がとってもいいからこそ原作も読んで欲しいとなる映画でした。原作読んでくれ!!!!
完全に"凶悪"の下位互換
もっと狂気的だったら・・・。だけど
答えは原作の中に、、、
阿部サダヲさんが主演ということで、絶対アタリだろうなと思い、観に行きました。
結論から言うと、アタリはアタリでした。
俳優のみなさんの演技力はさることながら、こちらにもジッとり、イヤ〜な空気をずっと漂わせる演出、脳裏に焼き付く辛辣な描写。
どれをとっても素晴らしい映画だったと思います。
ただ、鑑賞後、何かが足りない、欠落している、という印象を持ちました。
榛村大和がそこまで魅力的か?(阿部さんごめんなさい)
だとしても、それはどこでどう身につけたのか?
虐待を受けていたとはいえ、なぜそれほどの人数を手に掛けたのか。
なぜ被害者の爪を収集していたのか?(←これについては劇中で、被害者の指や爪が榛村の母のそれに似ていたという描写がありますが、だからと言ってそこまでするかな?という疑問が残りました)
あとは、被害者の遺体(骨)を庭木の下に埋めていたことです。
殺人犯の気持ちは分かりませんが、都合の悪いものはどこかに埋めて終わりなのでは?と思いました。
なぜわざわざその上に庭木を植え替えたのだろう、、、
と、様々な疑問がありましたが、原作を読んで全ての謎が解けました。
映画を観た後は「こんな残忍な人、滅多にいないよね」という印象でしたが、
原作を読んだ後は「家庭環境やその生い立ちで、人はどんな酷いこともできてしまう」という印象を持ちました。
原作のほうが榛村の生い立ちについて、より詳細に書かれています。
わざと映画の方はそういったところを省き、あくまでフィクションというスタンスを保ってくれたのかなと思います。
すごく痛そう
『羅生門』に通底
物語の事情背景を提示する冒頭の展開は、非常にテンポが良く、中で残酷なシーンも織り交ぜながらも、カットを小刻みにつないで次々とシーンが入れ替わり、一気に観客を本作の独特の世界に引き込むことに成功しています。そのシナリオと手法は巧みです。
少年少女24人を殺し収監中の連続殺人鬼・榛村から、1件だけ紛れ込んだ冤罪事件を調査してほしいと依頼された落ちこぼれ大学生・筧井雅也。本作はミステリードラマの常道を辿り、この一見事件に無関係の筧井雅也の視点で映し出されていきます。それゆえにもどかしさと間怠さを見せつつ、一つずつ謎が解かれ、事件の真相に一歩ずつ近づいていく痛快さを観客に感じさせていきます。
但し、謎解きのプロセスでは、榛村の暗示と寓意に満ちた言葉に翻弄されながら、意外な自らの出生にも遡り、物語は混沌を極めミステリーがいつの間にかスピリチュアルで無気味な話にすり替わっていくという、本編が進むにつれて結末がどんどん不透明に陥っていきます。
そもそもが、榛村と筧井雅也との会話が本作の原点であり、都度都度の作品の進行を司るのですが、二人の対話は拘置所の面会室での制約されたものでしかなく、映画が進行するにつれ、本作の実態は、筧井雅也が手掛かりを求めて彷徨いながら一つずつ証拠を積み上げていく謎解きにあるのか、それとも或る意味で哲学的な二人の会話にあるのか、観客にも訳が分からない錯乱状態に導かれていきます。
二人の会話は、透明の仕切版で隔てられており、このアクリル板の反射を実に巧く使って同時に二人の表情を映しながら進むこのシーンは、本作の肝であり、榛村を演じる阿部サダヲの柔和でいながら殆ど無表情で淡々と話すだけの演技は戦慄させます。特に輝きと生気の失せた眼つきには、生理的な恐怖を感じざるを得ません。
アクションのない映像なので、ひたすら人と人との会話のみの映像ゆえに、人物の上半身、特に顔の寄せアップ映像がやたらと多く使われ、食傷しながらも観客を一種のトランス状態に置くことには効果的でした。
ミステリー仕立てではあるものの、サイコスリラーでもあり、私は、巨匠・黒澤明監督のグランプリ受賞の70年前の名作『羅生門』に通じる、人間のエゴイズムの醜さと不条理性が通底しているように思えました。
が、『羅生門』はラストで、それでも未来への希望を仄めかせたのに対し、本作にはただただ茫漠とした乾燥した砂漠の風景が残像に残るのみでした。
全554件中、201~220件目を表示