「人は誰でも何らかの方法で人・社会・世間と繋がろうとするものだけど、『TITANE』とも通じる相手を殺したり傷付けたりいたぶったり操ったりしないと繋がれないという“人”もいるかも知れないというお話。」死刑にいたる病 もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
人は誰でも何らかの方法で人・社会・世間と繋がろうとするものだけど、『TITANE』とも通じる相手を殺したり傷付けたりいたぶったり操ったりしないと繋がれないという“人”もいるかも知れないというお話。
(原作未読)①「またァ、サイコパスもの?」(因みに“サイコパス”ほど誤解されている言葉はないでしょう。私も双極性障害なので精神病・精神障害について色々と本読みました。上で書いた「サイコパスもの」というのは、映画・小説・マンガ等で刷り込まれてしまった「サイコパス=異常殺人鬼」という意味で使ってます。)、と初めは食指が動かなかったのですが、私は映画・本・音楽以外(仕事は食べていかなくてはいけないので37年間勤めあげましたけれど)長続きしないとても三日坊主な人間なので、“24人もよく飽きずに殺せたなぁ”と、“どんな人間として描かれているのかな”と気になり出して観ることにしました。②先ず、榛村大和は本当の意味でのサイコパス(反社会性パーソナリティ障害)ではないように思います。殆んどのサイコパスの人って自分がサイコパスだと周りに分からないように表面上は上手く繕って生きておられますから。中学生の時に偶々会った小学生女児に瀕死の重傷を負わせて少年院送りになったりはしないでしょう。では何か?というと、これはもうわからない、生まれつきそういう人間だ、としか言い様が無い。子供の頃虐待されていたとか、周りに虐待されている/いた子供たちを配したりしてますが、レッドへリングでしょうね。簡単に動機や犯罪の背景を解明・説明してくれて観客がスッキリして映画館を後に出来る映画ではなく、「ああいう訳の分からなさのある現実に戻っていくのだ」と映画館を後にしても不安感・モヤモヤ感・後味の悪さを引き摺る(サスペンスですね)を狙っているのではないでしょうか。③大和は(大和に住む人間としてはシリアルキラーの名前に使って欲しくなかったですけど)人心操作術を少年院に入っていた時期に磨いたのではないかと。榛村児童福祉施設では入所してきた子供たちを上手く操っていたという証言がありましたけれども、施設長の心も操っていたのでしょうね。だから、大和が雅也に冤罪の証明と犯人探しを依頼したのも結局雅也を操るのが目的だったし(偶々雅也が犠牲者に出来る適齢期に近くにいなかったか、高校では優等生ではなかったからか、それでせめて操ってあげた)、多分死刑になる直前まで(殺人はもう出来ないので)人心操作は続けるのでしょう。証拠に看守(という言い方で良いのかな?)もいつの間にか手懐けていたし。大和が何故途中で連続殺人を止めたのか、今までになく杜撰な殺人をして逮捕されるようにしたのか、これも今の時点ではよくわかりませんので(自分では慢心したと証言していましたが多分嘘。)これから頭を悩ますことになりそうですけれども、結局分からないかも知れない。動機などなく、そういう病と言ってよいのか疾患と言ってよいのか障害と言ってよいのか、を持って生まれてきたので死刑になる直前まで止められないのだろうと思います。死刑になる道を選んだのも大和なりの人心操作だったのかも知れない。④大和自身も“24人ではなく全部で何人殺したか分からない”と言っているように、人心操作もこれまでどれくらいの人間を対象に行ってきてその犠牲者(というか)は何人いるのかも分からない。大和としては殺人の代わりに死刑になるまでそちらで犯行(と言えるなら)を続けるつもりかも知れない。雅也が調査を続けるうちに自分以外の人間にも手紙を送っているのが分かったように。雅也も未遂に終わったけれど人を殺しそうになったし、手紙を送った相手の心を操作して犯罪を行わせることに切り替えたのかもしれない。何せ死ぬまで止められないのだから。手紙を送った相手の中には灯里のような人間もいる(或いは頭の良い大和の事だから気づいていた)かも知れないし。人心操作して他人に犯罪を行わせるというアイデアは決して新しいものではない(アガサ・クリスティの『カーテン』もそういう話。未読の人がおられればネタバレしてスミマセン😅)。⑤ところで、灯里は登場したときから何か変な女の子だな、薄気味悪い子だな、と胸騒ぎがしておりましたが(雅也の血だらけの手の傷を舐めるところも気色悪かったし)私の第六感も満更捨てたものではありませんでしたね。演出と灯里役の女の子の演技のせいかも知れませんけれど。⑥なお、現実社会のリアリティという点から見ると、“こんなことはないだろう”という話。優秀な日本の警察が、被害者が24人(或いはそれ以上)に及ぶまで犯人を検挙(検挙出来ないまでも容疑者として特定)出来ないことはないでしょう。これに思い及んだ時点でこの映画は暗喩(メタファー)ものだと理解した次第。いくら弁護人の依頼とはいえ弁護士が一介の大学生に事件関係の書類一式を見せることは有り得ないし有るとしても一人で別室に置き去りにはしないでしょう(もう一人同席させる筈、私ならそうするし)。事務所の名刺を作るなんて私から言わせると言語道断。しかし、これらは話を進める為の仕掛けでしょう。大和と雅也と雅也の母との関係も出来すぎ。ただ、これも雅也を心理的に追い詰めさせる為のセッティングでしょうね。一介の大学生が警察を出し抜いて真相(結局は大和に誘導されて騙されそうになっただけだけど)にたどり着くなど“それこそ映画や小説の中の話”だし。確かにちょっと粗い流れであり、もっとやりようもあったと思いますので減点。まあ、原作がそうなら仕方ないか、ですが。⑦ただ、映画のリアリティという点から見れば、そんなに瑕疵ではないと思います。要はこういう形で構築された映画から何を読み取るかということ。私は、頭から最後まで”榛村大和”劇場だったと思います。剥ぎ取った爪を桜のように川に撒いたのも何もかも彼なりの儀式だったと。なにゆえか?それは分からない。分かったとしてどうなる?人の心の闇なんて実は本人以外に分からない(本人でも分からないかも)。そのよく分からない榛村大和を見事に具現化した阿部サダヲはかなり役を深読みしたんだろうと思う。あまり好きな役者ではなかったけれども演技力に感心した。⑧白石和彌は『凶悪』で感心したけれど(『凪待ち』はあまり感心出来なかった、『虎狼の血シリーズ』は観てません)、本作もかなりの力作で今年の邦画の中でも注目すべき作品だと思います。ミポリンは期待ほどではなかったけど(役柄が記号でしかなかったからでもありますが)。⑨以上が現時点での鑑賞後の感想でありますが(小学生の感想文みたいですね)、原作を読んでみて原作の意図するところと違っていたら原作者の方、すいません😅
※追記:つらつら考えていたら、大和が何故殺人を止めたのか捕まる(死刑になる)ようにしたのかは、多分“繋がる”ことを自分から放棄したからではないかと、ふと思いました。私も、(勿論、殺人や暴力・他人に対するマインドコントロールなどしませんが)時々人や世間と繋がりたくなくなる事がありますので。自分に引き寄せて考えたらアカンか😅
masamiさん、勿体ないお言葉恐縮です。また、前から私の拙いレヴューに目を通して戴いていたこと光栄です。有難うございます。なにせ文才がありませんので、私の方がmasamiさんのレヴューの内容が羨ましいです。面白く参考になるネタから入られて本題の映画の話に入って行かれる軽快な筆運びが素晴らしい。私の好きなユーミンの「まちぶせ」を持ってこられる辺りも大変嬉しかったです。私にはとても真似は出来ませんので、これからも勉強半分・楽しみ半分で閲読させていただきます。よろしくお願いします。
もーさんコメントありがとうございます。共感、コメント、フォローありがとうございます。実は以前からもーさんのレビューは読んでいました。
本作のレビューも精緻で素晴らしいですね。
これからもよろしくお願いします。
はじめまして、みかづきさん。もーさんです。
私の拙いレヴューを読んでくださり有難うございます。映画というのは勿論作り物ですが、その中でどれだけ人間や世界の真実に迫っているかが映画の醍醐味だと思っています。仰る通り現実には理屈で割りきれないところ、分からないことは多々ありますからこそ、その人間の心理や行動の割りきれなさや分からなさの怖さを描いているのがサイコサスペンスの醍醐味であるというご意見には全く賛同です。何せプライドだけは高い人間なので、これ迄は他の方のレヴューは殆んど読んで来なかったのですが、最近反省して読ませて戴くようにしています。みかづきさんのレヴューも楽しみに読ませて戴きます。どうぞ宜しくお願いします。
はじめまして、もーさんさん。
みかずきです。
共感ありがとうございます。
10年くらい映画レビューを書いていますが、
こちらのサイトには本年2月に登録したばかりの新参者です。
宜しくお願いします。
本作、理屈でみると、分からない箇所、何故という箇所があります。
しかし、仰る様に、それは本人にさえ分からないこともあります。
全てが分かってしまえば、スッキリしますが、分からない方が、恐怖、不気味さは増します。それがサイコサスペンスの醍醐味だと思います。
では、また共感作で交流させて下さい。
-以上-
上の「かつ」は間違いです。すみません。
まさに「大和劇場」同感です。「晴れ、時々殺人」とちゃかして言ったようですが、大和を演じた阿部サダヲは凄いと思いました。