余命10年のレビュー・感想・評価
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人生で一番泣いた映画
親父という存在の希薄さよ
藤井道人監督でなければ絶対に観ることが無かったタイトルであるし彼が撮っていなければこの名作(恥ずかしいが他に相応しい言葉が無い)は生まれなかったであろうしそもそもがあまりにもベタで恥ずかしい(原作者の小坂流加さんには申し訳ないが)物語であるしそれに加えて野田洋次郎(RADWIMPS)が音楽で感動を上塗りするわけでどこから見ても「お涙頂戴」であることは間違いなく「ヤクザと家族」という傑作のあとによくもまあこの作品を手掛けたなぁという興味一点で鑑賞したがあまりにも真摯で純粋で嘘が無く良く出来ていたし相変わらず自然な会話のやりとりを大事にしていて今回も125分と長尺になる所以。職人映画監督として俺はやるんだという宣言を聞いた気がして「新聞記者」の監督という色から全力で逃れようとしているのかとも思ったり。彼がオファーを受けた際に出した条件は一年を通して撮影することだったそうだが主人公が回すハンディカムの四季点描を通して残された年月がぐるぐる駆け足で2周する描写は圧巻で恐れ入ったがどうしても職業柄「この1年目の桜並木と2年目3年目の桜並木を同じ日に撮影したんだろうなあ」と思って撮る側から観てしまう自分が情けない。撮影の今村圭佑がやはり素晴らしい。
泣きました…!
もし自分が茉莉の立場なら...
もし自分が余命10年と言われたら「10年しかないなら死んでもいいかも」と思い、死を選んでしまうかもしれない。仮にそれを周りに引き止められても絶対に笑って過ごせないだろうし、他人と話す際に無理に明るく振る舞うのもしんどいだろうし、そういった辛いことがたくさん待っていると考えるだけで見てて本当に辛かった。
茉莉の「一体どっちが可哀想なんだろうね」という言葉には考えさせられた。難病を患う茉莉本人ももちろん可哀想だが、その話を聞かされた相手や身内も可哀想。茉莉自身もそんな姿を見たくないから難病のことを誰にも話すことができないというスパイラルに陥るため、すごく精神的にも苦しい状況だと感じた。
後、かずやの「2度目があるとは限らない」という言葉には共感した。人生は1度きりだと言うし、悔いのないように生きることが今の自分に必要なことだと感じたので若い間にいろんなところに出かけたり、遊んだり、恋人を作ったり、後悔のないようにたくさん楽しいことをしたいと思う。
心のひだをみせてくれる丁寧な作品
撮り溜めた映像をひとつずつみては消す場面。
命の限界を感じた彼女がその間際にただひとつ消せなかったのは、それが愛するかずくんへの永遠のメッセージだったからでしょう。
命は長さではなく、どこでどう生きたか。
何を感じてその時を過ごしたか。
満開の桜が散りゆくときの美しい切なさがまつりの恋とはかない命にシンクロした。
ラストシーンのかずくんに舞った桜吹雪はいたずらっぽく笑うまつりちゃんでしょうね。
小松さんも坂口さんも役そのものの純度で、演じながらきっと辛かったのではないかと思うほど。。。
脇を固めるベテランのみなさんも然り。
音楽もイメージにぴったり忘れられない作品になりそうです。
言葉で説明したら良さが減りそう
エンドロール後も家に帰る途中も帰宅後もずっと思い出しては考えるくらいすごく良い映画でした
登場人物全員に感情移入してしまって、過呼吸になりかけて終わった後鼻声になる程号泣しました
RADWIMPSのうるうびとの歌詞と2人が重なってエンドロール中もずっと涙が止まりませんでした
悲しいけど前向いて頑張ろうって凄く励まされました
見るか迷ってる方いたら私としては全力でオススメしたい映画です。
このように作品として形に残して下さった小坂先生、それを映画として創り上げて私達に届けて下さった方々に感謝の気持ちを伝えたいです。
今日この映画を見る事が出来て良かったです
気軽にみていい
頬を撫でる桜色の春風
思い出しても鼻水が止まらない導入。「泣かせる」とわかっていながらもオープニングからやられるのは中々ない。素晴らしい入りだった。しかも、それがずーーーーっと尾を引いていて、ラストまで鼻水が止まりませんでしたよね、かんべんかんべん。
素晴らしい所は皆さんが余すところなく紹介して下さっているので割愛して、ひじょーーーに残念な所を一点だけ。
マツリが友達と会うお洒落(風)飲食店の件。飲食業を25年程やらせて頂いて、自営でショットバーもやっていた事のある身としては、「結婚しまーす(うふ)」のシーンはクソ(失礼)だった。その前の邂逅のシーンから違和感はあったのだけれども、あそこで爆発。「ココはテメェらのリビングじゃねぇよ!テメェの店だったとしてもな!」とファッ○ン(失礼)な気持ちになってしまいました。アレは油断の演出と感じてしまいましたねー…。わざとだったら恐ろしいですけども。
菜奈さんは「明日僕は〜」が一番好きでしたが(きっと一番好きなのは変わらない)、コレは「凄いな…」と思いました。これからの俳優人生が楽しみで仕方がありませんね。
ただ泣かせるだけの作品ではない
彼女の為の映画、それで良かったと思う
彼女のための映画であり、伝記の様な映画だった。前評判にあった「薄っぺらい」と言う気持ちも分かるんだけど、単純に場面の変化に心情が付いて行けてないだけだと思ったり。
邦画に良くある余命モノ。そう言われることも多いが、大体こういう作品は実話がベースとなっていて、そこにドラマを盛り込むことが多い。この作品には、そんな色があまり無いように思った。彼女の10年にいくつもの景色が流れ、周りも変化している。
ただ、変化に留まっているのが惜しかった。心の内を描くのに、藤井道人監督の映し出す画の可憐さに寄りかかりすぎて、補いながら感情を補完していくように観なくてはならない。場面もかなり移ろうので、ドラマに関しては物足りなさを感じてしまった。ただ、その中にも、彼女のワードチョイスにキレがあったりしたのが何とも上手い。ほとばしる文才と、言語化されない痛みを拭っていく。
主演は小松菜奈さん。彼女の作品にハマりにくいのだが、本作は演技も素晴らしく、とても良かった。共演の坂口健太郎さんもいい抜け感だったし、さすがの1言。2人にとっての永遠がより華やかに写ったし、その繊細さを引き出してくれる。脇役も豪華で抜かりないが、大学の友達グループに上原実矩さんがいるとは!なんだか微笑ましかった。松重豊さんの佇まいも刺さり、チクッとする。
余念のない完成度が持ち味だが、少し出来上がりすぎて引いて観ていたのも事実。彼女はこの本を発売したあとに亡くなったそう。彼女の為の映画、それで私は良いと思った。
観てよかったです。
映画の定番を詰め合わせた作品
余命10年
難病純愛ものは古今東西映画の王道テーマの一つだが、この出尽くした時代において、まだ傑作が産まれる余地があったか‼️
劇場での観賞時、近くの席にお母さんと中高生くらいの女の子二人の家族連れがいた。このお母さんが後半はず〜っとすすり泣き。上映が終わって、両脇にいた娘さんたちが泣き崩れたお母さんを気づかっていた。
まぁ、このお母さんは極端だとしても、これで泣かなきゃ人じゃない…という感じだ。
ベストセラー小説の映画化だが、内容はかなり違う。
岡田惠和による脚色(共同脚本 渡邉真子)は、実話に基づいて同氏が脚本を担当した『8年越しの花嫁 奇跡の実話』と対になっていると言えなくもない。主人公茉莉(小松菜奈)を同じ病気で夭逝した原作者と同化させたようなアレンジが、観客の気持ちを強く映画の中に引き込む。
難を言えば、自殺しようとしていた和人(坂口健太郎)が生きることに向き直すトリガーが弱い気がした。茉莉の母親が病気だと勘違いして彼女に詫びるが、茉莉から「もう死にたいなんて言わないで」と言われたときには既に死ぬ気が失せていたように思う。
彼女を好きになって、彼女のために生きようとする…でもよかったのではないだろうか。
映画は満開の桜のショットで幕を明け、それが病室の窓越しだと判る。
命を終えようとしている入院患者の女性が、茉莉に「サイゴまで生きて」と言ってビデオカメラを渡す。
誰でも命を終える時が「最期」なので矛盾したような台詞だが、命がつきるその時まで生き抜いて欲しいという死を目前にした者からの願いとして、重い台詞だ。
茉莉は残された数年間をビデオカメラに切り取る。折りあるごとにビデオに撮るその様子が、ビデオ映像を見せる終盤の演出で見事に効いてくる。
若者4人組の交流を追って2013年から2016年の時の経過を見せるシーンが、なんだか良い。青年たちが友情を深めていく様子が、心の荒んだジジイの目には眩しい。
奈緒と黒木華が泣かせる。
巧い役者というのは、何をやらせても上手に訴えてくれる。
四季折々の風景が見事にスクリーンに映えていて美しい。
【原作を映画として昇華し、また原作にバトンを渡す映画】
映画『余命10年』は、原作を改変しているのに、原作へのリスペクトを忘れていない。それどころか、この映画をあなた(原作者:小坂流加氏)に捧げますという言外のメッセージが伝わってくるほどに丁寧に映像化した作品だと言える。だが、ある意味で原作小説のPR映像。そのため、細かい描写とかにはツッコミを入れないスタンスでいこうと思う。
◉映画の構成について
この映画は昔原作を読んでいて、内容を忘れかけていたタイミングで見直すと、新鮮かつ、小説を読み直したくなる圧巻の構成のなっている。
原作を直近で読んでいた場合、登場人物の設定の相違点や主人公の性格などで気になる点が多々ありそう。そのため、ある小説家の自伝的な物語として見にいった方が素直に映画と向き合えると思った。
◉名言(ネタバレ含みます)
名言のオンパレードというレビューを見るので、個人的に刺さったシーンを紹介。(正確な言葉は失念)
冬のスノボー旅行でプロポーズをする予定だった坂口。しかし、それを知った小松菜奈は急遽家に帰る。その後、しばらく2人で会うことはなくなる。坂口も東京に戻り、リリー・フランキーの焼き鳥屋で焼き鳥を焼いているシーンでの一言。
リリー・フランキー「で、どうなった?」
坂口健太郎「どうって」
リリー・フランキー「茉莉ちゃんのことだよ」
坂口健太郎「そうですね」
リリー・フランキー「ダメなら次だよ、次」
坂口健太郎「次なんかないんですよ」
個人的に、この「次なんかないんですよ」というセリフに心を鷲掴みにされた。
というのも、昨今はマッチングアプリの影響か、インターネットのおかげか、SNSの普及か、色々あるが、人と人が簡単に会えるようになった、なってしまった。
その結果、自分と合わないと思った人には見切りをつけ、次の恋愛に切り替えるという流れが散見される。そんな時代背景もあるなかで、(この映画の原作が書かれた時点ではそこまでSNSは発達していないが)「次なんかないんですよ」というのは現代の次から次へと恋愛を乗り換える人に対するアンチテーゼになっていたと感じる。
一途に思える人、思いたい人がいるって良いなぁ!なんて思ってしまう今日この頃である。
◉小松菜奈の成長
もともと好きな女優さんではあったが、映画『糸』を見て小松菜奈という女優を追いかけるようになった。この言い方だとストーカーみたいだな(笑)それは置いておくとして、『糸』を見た時に感じたのは、彼女はそのビジュアル以上に、表情や演技を通して醸し出す独特の空気があるということ。それが、まるで飲み込めない水の奔流をガブガブ飲んでいるかのようで、静謐な水の上に浮かんでいるように感じられた。これが俗にいう、スクリーン映えしていると表現するのかは分からない。しかし、他の女優さんにはない彼女だけが持つ雰囲気、ニュアンスというものがあったのである。もちろん、他の女優さんには他の女優さんの良さがある。しかし、『余命10年』という映画にあえて小松菜奈をキャスティングするということの意味。彼女がスクリーンの中で何を表現するのかやはり気になってしまったので今作も鑑賞した次第である。
さて、前書きが長くなったが、今作は良くも悪くも小松菜奈が出ていたと思う。原作の茉莉のイメージとはやや異なり、少々力強いというか。かなり自分の芯や意見を持っている人物としてスクリーンに映っているのだ。既に原作者が亡くなっており、想像でしか役作りができなかったというのもあるだろう。今作の主人公の茉莉は、原作者小坂流加氏の小説で描かれる自伝的な茉莉とは異なる。
あくまで、小坂流加氏が書いた茉莉を演じる小松菜奈なのである。
しかし、この小松菜奈の演技を通して映る茉莉。
これが圧巻だった。原作の茉莉とも違う、現実の小松菜奈でもない。映像の中にはたしかに茉莉という人物が存在したかのように思わされたのだ。
しかし、この小松菜奈の演技を通して映る茉莉。
これが圧巻だった。原作の茉莉とも違う、現実の小松菜奈でもない。映像の中にはたしかに茉莉という人物が存在したかのように思わされたのだ。
◉余談
映画『余命10年』の監督の藤井氏は、小坂氏が花好きであるという話を聞いて、小松菜奈演じる高林茉莉が小説を書くデスクの周りには季節の花を飾って、その一つ一つに花言葉の意味を込めたと語る。(「余命10年」パンフレット、編集・発行:松竹株式会社事業推進部)
→デスク周りにもっと注目しておけば良かった。
◉映像化
多くの人に病気について知るきっかけを提供した本作はやはり映像化の意味があったと思う。
もろもろの感情面については原作の方が細かく丁寧に綴ってある。
また、本作は泣かす映画として語られることが多いが、『そしてバトンは渡された』よりも演出は酷くない。むしろ穏やか。
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