最後の決闘裁判のレビュー・感想・評価
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嘘?
ストーリー展開が秀逸
三者三様の人生観
マット・デイモンが演じたジャン・ド・カルージュは、権威主義のお人好しである。名前に「ド」がついているから、貴族の出身であることがわかる。ボンボンなのだ。だからル・グリの人間性を洞察することができず、親友だと思っている。可愛さ余って憎さ百倍となる。百年戦争のさなかに生まれて戦闘が日常になっているから、生きていく頼みは自分の戦闘力だ。その戦闘力も、誰かに認めてもらわなければ生きる糧とはならない。認めるのは権威である。ジャンがすがろうとする権威は君主なのか、王なのか、それとも神なのか。意外な平等思想の持ち主で、大人の女は自分で決めることができると発言する。
アダム・ドライバーの演じたジャック・ル・グリは好色で狡猾な策略家である。ジャン・ド・カルージュのことは、親友だという名目で体よく利用している。ル・グリの目的は性欲と食欲の充足を中心に、人生を楽しむことだ。そのためには君主にも取り入るし、乱交パーティにも積極的に参加する。斜に構えているから人生も軽く見る。権威主義のジャンも自分と同様に女を軽んじているだろうから、責められるのは自分ではなく妻のマルグリットだろうと高を括っている。そこにル・グリの誤算があった。
マルグリットに権威は関係ない。頼るのは夫ジャンの権力である。夫を信じてはいるが、夫の権威主義が理解できない。つまり夫を尊敬してはおらず、愛してもいない。しかし大人の女は自分で決めるという発言で、夫が自分の自由を重んじてくれていることはわかった。女としてのプライドがあり、容易く誰とでも寝たりしないが、夫が女の歓びであるオルガスムスを与えてくれないことにやや不満がある。母となっては徹底してプラグマティストだ。裕福に不足なく生きていくことが望みである。
三者三様の人生観の違いで、同じ出来事がどのように違って映るのか、本作品はそれを上手に描き出す。このあたりはマット・デイモンとベン・アフレックの脚本がとてもよくできていると思う。
ル・グリから愚かだと思われていたジャンだが、ル・グリの奸計を目の当たりにすることで、信義や友情が必ずしも信頼性のあるものではないと悟る。妻が自分を愛していないことも同時に悟るが、もともと妻には跡継ぎを産むことだけを求めているのであり、愛は求めていなかった。ただ妻の人格を認めているのはこの時代にあっては画期的な夫の姿である。
ジャンが頼ろうとした法だが、法を司る若い王は、残虐な快楽主義者である。ジャンはそのことも見抜いていたフシがある。王を信頼できなければ権威も信頼できない。権威のためにある家も名前も、もはや何の意味も持たない。自分の腕っぷしだけに賭ける以外の生き方がないのだ。虚しさに満ちたジャンの顔が悲惨であった。やはりマット・デイモンは素晴らしい役者である。
ジョディカマーが圧巻、当時の女性を思うと胸が痛い
ジョディカマーが圧巻です。
当時の女性を思うと胸が痛いです。
重い余韻を引きずっていますが、ビジュアルがここまでとは想定していず、衝撃でした。
待ちに待った公開、夫の友人に強姦されフランス最後の決闘裁判の中心に立たされた女性の実話を元にした作品ということ以外、一切前情報なしに見ました。正解でしたね。
未見の皆さん、是非前情報なしでみてください。
羅生門形式だったんですね。
強姦された女性は被害者なのに、同じ女性である義母にすら同情されず、夫は冷たく労りを感じられず、裁判でも非情な質問を受ける。
女性の権利は無きに等しかった当時、立ち上がった女性がいたこと、未だ謎の多い当事件にスポットライトを当てたリドリースコットが残した功績は大きい。
強姦のような事件は合意の有無が問題になりますが、男女でこうも捉え方が違うものか。
まさかここまで詳細に描かれるとは思っていなかったから驚きました。
問題のシーンは女性の私は正直見ていて辛かった。
戦闘シーンも執拗に繰り返される。
思わず目を背けたシーンがいくつかありました。
結局女性の尊厳のためではなく、男のプライドのために行われる決闘。
アダムドライバーが上手すぎて初めて嫌いになりかけました。
マット・デイモンも優しさや思いやりに欠ける粗野な夫を好演。
終始重々しく、決してただ楽しめる映画ではないですが、非常に真摯に女性の権利やアイデンティティに向き合った映画で意義深い作品でした。
最後は当時の女性を思い思わず涙が出ました。
いやそのままなのかーい
言葉が見当たらない
余りにこの映画が内包する事柄についての考察が浮かびすぎて
何か頭がまとまらない
よくレビューで見るように登場人物(ジャン、ル・グリ、ジャンの妻)3人の言葉から真実を浮かび上がらす、という意味では羅生門っぽいのだけど
個人的にはこの3者の視線というのは余り生きてなかった感じもある
この映画で描かれた女遊びに興じる貴族、それにこびた生き方をして女を大切にしないル・グリ、忠誠心が強く頑固な男ジャン、そしてジャンの妻
その4人を通じて腐敗した権力構造、その構造に利用される騎士、
取りいるのが上手いだけの男前、能力はありながらも認めてもらえない女性を描いていて
そこから始まる物語で男尊女卑、嫉妬、妬み、暴力、など
美しくない人間の感情を全て洗い出そうかというような作りになっている
物語が進むにつれ、物凄い拒否感が高まっていって
そのピークが誰も得をしない決闘という形によって
感情が爆発するとゆうか、発散するような感じがあった
今年観た映画でなかなかここまで精神を揺るがす作品はなかった
結局ね、決闘しても誰も得しなかった気がするよね
何も事実をわかってないで騒いでる領民とか負けて引きずられるル・グリの姿に
いったい正義ってなんなのだろうか?
って考えるのは
今の世の中のアメリカの都合で戦争が引き起こされ
アメリカの都合で戦場に放置される人々見てると余計に考えさせられる
この映画は色々な感情、視点で考察できてとても深い、物凄く
そう感じた映画だったな
神は裁かない、ただ勝者を祝福するのみ
職場でセクハラ問題が発生した際、聞き取りをすると、確実に証言が食い違います。確実にね。
冗談のつもりだった。
みんなに笑って欲しかった。
あれは、スキンシップ。
仲良しの証のつもりだった。
全て断罪されたのですが、罪状認否で、容疑を認めた被疑者は皆無です。つまり、セクハラの意識、罪の意識が、初めから最期までなかったことになります。このような悪意無き罪は、これからも現れることでしょう。だってそれは不死身で、しかもヒトの心の裡に棲む。そしてある日、私達の胸を突き破って出て来る。そう、エイリアンのように。
事実はひとつだとしても、ひとつの事実が導き出す正しさは、ヒトの数だけあるようです。この映画はひとつですが、どう受け止めるかは、御見物によって大きく変わる気がします。そもそも真の主役が誰なのか、意見が食い違いそうなお話です。
非道い目に遭わされた自分を圧し殺す時代は終わり、たとえセカンドレイプに等しい証人喚問を受けてでも、闘う時代が、訪れるようです。エイリアンと闘う覚悟、お持ちですか?。
そしてリドスコおじさんは、たとえそれが過去であれ、未来であれ、私達にバトンを渡そうとしているみたい。受けとる覚悟のある方は、前へ。ちょっと恥ずかしい方は、取り急ぎ映画館へ。男臭で、むせ返りそうな映画ですが、女性に観てほしい。みんな観てね。
「デュエリスト」
私、観てないですけど、リドスコおじさん、中世決闘もの創るのは、二度目だそうです。一体、リドスコおじさんは、何と果たし合いしようとしているのか解りませんけど、本作と併せ観ることで、リドスコおじさんの心の裡を、垣間見ることができるかも。見てはいけない深淵をね。
どうせヤるなら、前戯の愛撫くらいしたれよ。!!馬じゃ無いんだから。
標題が全て。結局は「勧善懲悪」かよ!!ってツッコミ入れたくなった。いや〜中世のおフランス人様は英語が流暢だねぇ。(皮肉)終わり方が予定調和であったよ。私的には、救いのないバッドエンドの方が60年代アメリカ映画みたいで良かったよ。ただ、女性受けしないだろけど。もっとも、土曜夕方、大スクリーンで観客10人だか15人だから、エグい方が興行的には良いかもね。
中世のフランス、騎士と従騎士の戦友。マット・デイモン、アダムドライバー
この友人がクセモノ。
主人公マットの妻を留守中本能のままに家に押し入り、強・。憤慨した主人公は妻の声を広め、領主らしき伯爵だかの不公正極まりない審判では不満足で、国王へ強・事実の告発に至る。
マット・デイモンが絵に描いたような昔の男。亭主関白で口も重い。アダム・ドライバーが好対照の口の軽い、下半身も軽い、プレイボーイ。
妻はもし国王の裁きで決闘裁判となり、夫が敗れて死ねば、有無を言わさず、偽証で生きて焼かれる火あぶりになる。んなこと聞いていない妻は激怒し、途方に暮れる、結婚後5年でやっと子宝(誰の子?)に恵まれたというのに。しかし中世の時代は圧倒的に男尊女卑で酷いねぇ。
イヤしかし、不可解なのが、言い逃れに徹する強・野郎の友人。1人の神父の前でも「彼女は感じていた」と強気。勿論公の場では事実すら認めない。酷い男だ。ただ一番腹立ったのは、タイトルどおり、どうせヤるんなら、人間らしく、服脱がして、愛撫くらいしろよ。つまんね〜S・Xだなぁ・・・
決闘場面は馬のアクションも剣術も決まっていて良い。しかし、双方同じように落馬して、同じように切り合うって・・できすぎ。ただ、死闘であり見どころではある。
「中世の女性でも声を上げていた」的な、ジェンダー論的な評論家みたいな感想は聴きたくない。ただでさえ現代、セクハラ、パワハラ、イクメンで女性優勢になりつつあるのだから。できれば中世の騎士の男っぷりを称賛すべきだ。もっとも1人は強・野郎だけども。
中世の街、城と曇天のコントラストは良い。できれば、時代考証してはいるのだろうから、中世の食事描いてほしかった。他の衣服等の描写がキチンとしているのに、なんかケーキみたいな祝いの膳で抽象的で残念。
歴史物でも、裁判物でもなく
サイコロの表と裏のはなし
片方から見たら1
反対側から見たら6
同じ事実が人によって全く違う様に見えている
男は女を愛し、抱きしめていたつもりでも
女にはそんな愛情表現は伝わっていない
歴史なんか知らなくても
裁判の仕組みがどうであろうと
真実がなんであろうと
人間の愚かな部分をしっかりとみた方がよい。
嘘はついていないのに
自分の感じたこと自分から見えたことをそのままに述べているのに
真実は別の形をみせる。
聴こえていない声や、見えていないことがある。
都合良く見えてしまっていることもある。
いつの世も、どの世界でも人間の愚かさは変わらない。
同じカットで同じ構成、同じセリフなのに
役者のちょっとした間合いの違い、視線の違いで
全く別の感情を持っているように見せるのが
中々絶妙でおもしろかった。
中世の世界観で
暗い中の蝋燭の灯りや暖炉の灯が美しかった
めちゃくちゃよくできてる
予想外にめちゃくちゃ面白い
タイトルなし(ネタバレ)
まぁまぁ面白い。3視点を描く理由が分からなかった。
リドリースコットと聞いてもピンとこない。
オデッセイの監督だった。なるほど、マット・デイモンが繋がった。
マット・デイモンが出てることに気付かなかった。太ってたし、背が低いから別人に見えた。
ストーリーはシンプルで、旧友が妻をレイプしたが、旧友は否定するので決闘で決着をつけましょう!という話。
凄い時代だ。原始人か?決闘では真実を知る神が勝たせてくれるそうだ。負けると妻も処刑。
決闘なんてやりたくもないけど、この時代では自分の主張が絶対に正しいなら、神は必ず勝たせてくれるのだから、恐れず決闘に挑めるのかもしれない。
3視点で描く理由がわからなかった。そうしないと話が持たない?
マルグリットは強い女性だった。ジャンの元に嫁いできたけど、彼女は幸せだったのだろうか。
強姦されたと聞いて怒るジャンの振る舞いには、どうしても応援してあげたい気持ちがわかず、だからもしかして負ける?と思ったけど、勝ちました。
ジャンは決闘で足に深手を追って、出血多量で死ぬと言われてたのに、そのまま戦いを継続し、勝利後も治療せずに馬に乗る姿を見て、アホなのか?と思った。
男尊女卑が強い時代なので、男性の振る舞いには余り共感できない。
映像は素晴らしかった。いくらかけたらあのような映像を作れるのだろ?
マルグリットには脱いで欲しかったかな。
圧倒的な映像美と練り込まれた脚本の賜物
字幕版を鑑賞。リドリー・スコット監督ならではの重厚な歴史ドラマである。古来より、裁判の判決に重要な影響を及ぼすのは、まず何より物証であり、その次が自白を含む証言である。ヨーロッパで中世に行われた魔女狩りは、100% 冤罪であったので、物証は得られるはずもなく、自白だけが頼りとなったために、容疑者には酸鼻極まる残虐な拷問が行われたのである。物証もなく、証言すら怪しくて判決が下せない状態に陥った場合、中世では決闘によって白黒をつけるという方法が取られた。真実は神のみが知っており、神は正しい者に味方するはずだという宗教的な思い込みによって判決が出されたのである。
時は英仏が 100 年以上にわたって戦争を続けていた「百年戦争」の真っ只中の 1386 年の話で、歴史上、決闘によって決着をつけた最後の例に当たっている。史実が元になっており、全員が英語を話しているが、ジャンヌ・ダルクが登場するより 40 年ほど前のフランスでの話である。名誉ある騎士のジャン・ド・カルージュがスコットランドに遠征中、愛妻のマルグリッド・ド・カルージュが、夫の元親友のジャック・ル・グリにレイプされたと夫の帰還後に告白し、夫は法廷に訴えたため、裁判となったが物証はなく、証言が原告側と被告側で真っ向から食い違っていて埒が明かず、それならば決闘で、という運びに至ったものである。
決闘で夫が敗れた場合は妻も神を欺いたとされ、極刑に処せられる。この当時は夫婦は対等ではなく、妻は夫の所有物という扱いでしかなかったためである。当時の社会制度を美化することなく描いているのには非常に感服した。最近軟弱になる一方の大河ドラマにも是非見習わせるべきである。
物語は3部構成になっていて、夫の立場、被告の立場、妻の立場で同じ物語の見え方が違うことが絶妙に示されているが、見終えた観客も、真実はどうだったのかと自問させられることになる。実はこの件は歴史学者たちも未だに真相が明らかにできておらず、論争が続いているためである。
出演俳優は非常に贅沢で、主演のマット・デイモンと、アランソン伯ピエール2世役のベン・アフレックは脚本も担当している。妻役のジョディ・カマーの圧倒的な美しさは、物語のリアリティに不可欠であると思わされた。
戦闘シーンの見事さは「グラディエーター」を凌駕するほどであり、大群衆を含む登場人物一人一人の衣装を全く手抜きしていないところにも制作姿勢の心意気を感じた。ライティングやアングルは、各場面が歴史的名画を見ているかのようであり、画面の隅々まで行き届いた徹底した美意識には圧倒された。
音楽はベテランのハリー・グレッグソン=ウィリアムズが担当しており、いかにも中世的なシンプルな楽器編成の器楽曲や、英国のアカペラヴォーカルグループである Voces8 を起用しての無伴奏のポリフォニー曲などで良い雰囲気を出していた。リドリー・スコットの演出は冴え渡っていて、観る者を 700 年の時間を超えた世界に連れて行ってくれた思いがした。大変な傑作である。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)×4= 100 点。
決闘シーンの迫力は、これぞリドリー・スコット。
マルグリットはこの時代の女性にしては自立心旺盛で自らを主張してやまない方だったのでしょう。筋肉バカの夫が死んだあと再婚せず30年間、女主人として頑張られたとこを見てもそうなんだろうと思います。
ラストカットで我が子を愛おしく見つめる瞳には、この子は私の子であって、あの筋肉バカの種だろうと色男の種だろうとどうだっていいって雰囲気を醸し出していて、美しさと狡猾さを合わせ持った感じがなんとも印象的でした。
これはマルグリードの映画ですね。
三者三様
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