流浪の月のレビュー・感想・評価
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☆☆☆☆ 〝 モノも人も同じ。出逢って別れ、また出逢う 〟 原作読...
☆☆☆☆
〝 モノも人も同じ。出逢って別れ、また出逢う 〟
原作読了済み。
正直に言うと、この監督はかなり苦手な人でした。
以前に撮った『悪人』は、私が原作と映画化に於ける比較をレビューをする…キッカケになった作品でした。
但しその際の『悪人』を観た時に、(長尺になってしまうのを恐れたのでしょう)原作部分での《肝》にあたる箇所を描かなかった為か?どうしても出来上がった作品には歪な部分が多々あったのは否めなかったと思っています。
それだけに、観る前にはかなり心配な面があったのですが。出来上がった作品を観て、それは間違いであった事実を知る事となりました。
これは傑作ですね!
原作を読んでいたからこそ、上映が始まって1分程経った辺りで「こ、こ、これは!」と、凄いモノが観れるかも知れない…との予感に胸がドキドキと高鳴りだしたのです。
予め言っておきますが。本屋大賞を受賞した原作を、私は世評程には凄く良く出来た小説だとは思ってはいない…と、宣言しておきます。
勿論、駄作だと言っている訳では無く、良く書かれてはいるとは思いますが。前半部分での更紗が過去を振り返る描写に、少しモタつきを読みながら覚え、なかなか内容にスンナリと入って行けなかったのです。
原作では、そんな大きくなった更紗と、文が偶然にも再会を果たす迄が全体の1/3辺りになります。
でも、そこからは一気呵成にページをめくって行ってしまいます。この似た者同士な境遇の2人の運命に目が離せなくなって行きました。
そんな前半部分を一体どう描くのか?
ところが!本編では、この2人が再会を果たすのは、まだ始まって僅か数分なのです。
「えっ?マジか!」
驚いたのは言うまでもありません。
2人が再会してから、その原作に於ける前半部分の過去の描写を、映像化に於いて〝 出逢って別れ、また出逢う 〟…とゆうモチーフを基に。更紗の苦悩として《大好きだった文への想い》を、溢れさせる描写が以降ふんだんに描かれていました。
以降映画本編は、ほぼ原作を踏襲して進んでいます。
しかしながら、そこはやはり尺の都合でしよう。原作での様々な2人の絡みから、周りやネット・マスコミ・世間が、好奇の目を向けて行く辺りは、最小限の省略にとどめてストーリーを展開させていました。
その辺りの賛否は、観た人によって色々な意見があるかも知れません。
その辺りの【否】として。とにもかくにも、2人は出逢ってしまい。更紗の異変に気付いた亮が、嫉妬にかられた事から。更紗と文の2人は、坂道を転げ落ちる様にネットであり周囲の人達から蔑まれて行きますが。その際に、更紗が唯一心を許せる同僚だった安西であり。文の恋人の谷の描写は大幅にカットされている為。原作を読んでいない人には、多少都合の良い人物像…と思われてしまうのでは?とも感じました。
そんな安西と谷ですが。原作では安西は、更紗の相談相手であり。亮のDVから助けてもくれ、その代わりに…と、何度も娘の梨花を預け。それが最後には、2人にとっての過去と現在との【月と鏡】の関連性に繋がり。悲劇性はより増幅されてしまうのです。
一方で、文の恋人だと思っている谷。
彼女は(原作だと)更紗の事を、文に付き纏う《ストーカー》だと思い込み。諌める為に交番へ連れて行ったり、(年上である事から)更紗を何かと子供扱いします。
その事が、映像化でのオリジナル要素として、最後の最後に凄い展開を見せるのですが。それは映画本編のラスト40分辺りから展開されるパートで明らかにされるのです。
安西と谷のキャラクターは、2人の運命を握る人物像として展開上では重要な2人なのですが。
それぞれ、安西はそのビッチ的な性格。谷は病気により胸を失っている設定ゆえか、ある程度は観に来たお客さんを意識しての配慮なのか?あまり目立たない存在になっている。
主演の2人、広瀬すずと松坂桃李のコンビは本当に素晴らしかった。
会う人毎に「芯の強い人」と言われる更紗。
広瀬すずはまさに更紗そのものだった。
同時に、彼女の若い頃を演じた子役の女の子も素晴らしかった。
松坂桃李は、その見た目からしてもう圧巻の極み。
【幼女趣味のど変態】
世間で言われ蔑まれた辛い日々。
だが本当の彼は、人には言えない病気を抱えていた。
谷に言われて告白する文。
「僕は少女が好きなんだ!」
でも本当は全然違う。
映画のラスト40分は、そんな文から発せられる苦悩の叫びが、映画オリジナルと言えるくらいに爆発している。
男の子として生を受けたものの、「どうして自分は女の子にはなれないのか?」
女の子になりたいのに、どうしても周りには男の子として見られてしまう。
それゆえ〝 男の子になろうとするが、思えば思うほど女の子にはなれないし、そもそも女性を愛する事が出来ない 〟
「母さん…僕は出来損ないなの?」
それを感じながら生きて来た、その悲しさ。
谷に放った言葉の真の意味には、自分を蔑む世間に対する精一杯の怒りが伴っていたのだった。
それを、全身全霊を持ってスクリーンから殺気を帯びながら放つ松坂桃李は素晴らしかった。
映画本編での出番は少ない谷役の多部未華子。
彼女は、確かに先程述べた様に出番は少ない。
でも、最後に彼女の存在自体がこの作品では世間が蔑む【ロリコン変態野郎】の代弁者となっていた。
「少女趣味だから私を抱かなかったのね!」
この時の多部未華子がまた凄かった!
泣き崩れ、怒りに打ち震えなぎら叫ぶその顔の何という醜悪か!
この際のあの醜悪な顔のアップこそ、製作側が狙った〝 世間の偏見と差別による醜悪な姿 〟そのものだった気がする。
最後にもう1人。亮役の横浜流星。
原作以上にDV男を演じており。そのクソっぷりこそは、この作品での最大に見所と言えるかもしれなかった。
原作の最後に描かれる《2人+或る人物》のその後。
映像化では、あくまでも社会から蔑まれた【現在】の2人が辿り着いた、行き場のない閉鎖感で映画は締め括られている。
それにより、原作でほんの少しだけ示されていた(2人にとっての)ハッピーエンディングではなかった。寧ろバッドエンディングと言って良いのだと思う。
しかしながら、この映像化によるエンディングには。原作よりも深い2人の信頼性であり、お互いの境遇を慈しみ会う共有性に溢れ。原作を読んだ時以上の余韻を味合わせてくれるラストシーンでした。
一見すると、月は夜の帳に明るい光を放つ。
夜=裏の顔との存在として。
だけど、決して月は自ら光を放つ事などない。
寧ろ月は存在を主張する事などない。
月は本来、自ら光を放たない為に昼間にも存在しているものの、なかなか気付かれる事もない。
月は地球に引かれ続けながら絶えず寄り添い存在し続ける。
2022年5月14日 TOHOシネマズ西新井/スクリーン4
※ なお、原作に重要な要素として登場するタランティーノの『トゥルー・ロマンス』は、一切出て来ず。逆に、数本の今敏作品がヒューチャーされており。(おそらくは)そこが監督自身による、原作との1番の違いとしての拘りの1つなのだろう…とゆうのが分かる。
秘密を抱える
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少女時代のすずは父が死に、母が恋人を作って失踪したか何かで、
オバの家に引き取られたが、中学生の息子が深夜に体をさわりに来る。
それがイヤで家を出て、雨に濡れてた所を桃李に救われ、一緒に住む。
桃李は幼い女の子が好きだったが、性的なことは何もしなかった。
やがてこれが誘拐事件として社会で騒がれ、桃李は逮捕される。
すずは上記中学生のことがどうしても言えず、よって桃李を救えず。
そしてすずが大人になり、偶然入った喫茶店の店長が桃李だった。
すずは流星と婚約前提で同棲してたが、桃李に心を奪われる。
幼い頃のトラウマで、肉体関係が嫌いで、普通の恋愛ができなくなってた。
やがて桃李にも恋人がいることを知るが、それはそれで喜んだ。
しかし流星が嫉妬して、桃李を元犯罪者としてネットにさらす。
それを知ったすずが怒り、キレた流星にボコボコにされる。
そして何とか逃げ出したすずを桃李がまた救う。
すずは桃李のマンションの隣の部屋に引っ越して来る。
ところがマスコミがかぎつけ、桃李は世間から心無い嫌がらせを受ける。
こうして桃李は恋人とも破局、流星は流星で自殺をはかる。
すずは同僚の旅行中にその娘を預かり、そのまま音信不通になったりもする。
桃李は警察から怪しまれ、出頭を命じられたり、とにかく色々起こる。
人生に絶望した桃李はすずに自らの秘密を明かす。
よく分からんかったが、後でネット調べると桃李は病気だったらしい。
それは第二次性徴が起こらないという病気みたい。
桃李は誤解され犯罪者になってでも、それを知られたくなかったのだった。
桃李が好きなすずはそれも受け入れ、共に一生寄り添う方向で落ち着く。
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桃李もすずも、色んなトラウマを抱えてるから、どこか不器用。
でも2人とも素直でまっすぐな人で、応援したくなる。
でも世間は気持ち悪いとか色々面倒くさいことを言う。
最後は一つの「自分達らしさ」に到達し、ある意味ハッピーエンド。
もっと酷い終わり方を予想してたから、嬉しかったわ。
それにしても広瀬すずってすごい女優になって来たな。
感情を抑圧して生きてる人が感情を爆発させるシーンは必見。
思わず涙が止まらなくなっちゃったよ。
松坂桃李と広瀬すずの演技が良かった。 この二人は純粋にお互いを精神...
もどかしいところがある
これ程、詩的に静寂で感情が狂おしい作品に出会った事はないかも~
長いGWも過ぎて、仕事始めのツライ1週間も無事乗り越えたw
ご褒美に 今日は「流浪の月」を見に行ったよ。
いや~ 前から楽しみにしていたんだけども、
期待通りの作品仕上がりで 私的には満足満足!!!
さすが、李相日 監督。素晴らしい 波動の流れを
全編に組み広げ描き上げ、感情の一寸の途切れも無く
繋がりを繊細に表現し編み上げています。
これはちょっと驚いたかな。予想外に出来が良かったです。
この前見た ”悪人”の類の流れを強く感じたが、
でも別物で こちらの方がラストの持つ画力の波動形成は
高いと感じました。
特に、展開に組み入れている音楽が素晴らしく
絵の流れと合わせて
波動を増し秀逸さを感じましたね。
上映時間:150分
原作:凪良ゆうさん
監督・脚本:李相日さん
音楽:原摩利彦さん
(MC)
家内更紗:広瀬すずさん
家内更紗(幼少期):白鳥玉季さん
佐伯文:松坂桃李さん
中瀬亮:横浜流星さん
谷あゆみ:多部未華子さん
主人公の文は自らの性障害をロリコンと思われ、
周囲の人々や母親からも見放されて行く。
孤独に生きるしかない自身の前に、
同じ境遇を感じる更紗に偶然に出会い
二人は共に 心の拠り所を求め合いながら
暮らし始める。しかし 世間の目が二人を許さない。
やがて警察に見つかり そして罰を受け
それぞれの人生を歩む事になるのだが。
十数年後、偶然の出会いが、
二人の今やっと熟した生活が
少しずつ 月の満ち欠けの如く 暗闇に落ちていく。
月の形は人生そのもの。
満ちたり欠けたり。見上げた夜空に
雲の流れの隙間から ほんのりと現す月・・・
2人はそれを見て、今の境遇と
きっとこの先の運命を感じていたのだろうか。
最後に二人が見上げた月は 消えかけ前の細い三日月だった。
ラストに訪れる、松坂さんの衝撃の場面
渾身の演技に きっと心打たれるでしょう。
※ここは スクリ-ン前方を両目見開いて感じて下さい。
広瀬すずさん、松坂さん とても良く頑張った。
表情も素晴らしく、前に出ていて良いですね。
次回作も 期待しております。
そんな二人の行く末を、
是非 劇場でご覧ください。
「心配」とは利己的なもの
ただただ役者の演技力に圧巻された。表情、目線、息遣い全てが人物像を表しているようで、その人の感情や場面解釈において、いい意味で観客任せの映画だった。
人間誰しも、自分にとって、社会にとっての「異物」に嫌悪感を抱くものだろう。そこから理解しようとするか、排除しようとするかは関係性や期待度によって変わるだろうが。
だが、その言葉は真実を全て映し出せるものなのか。
「異物」の認識がどう影響するか。
「異物」認定された人の内情とは。
そのような点にスポットを当てたストーリーだと思った。
DVなど痛みにまつわるものであれば誰しもが後先考えず、駆けつけて心配する。
一方で性的嗜好や発育に対しては「正しいと思われるもの」を基準として、目を逸らしたり、拒絶してしまう。
周りがどう思おうが、本人が劣等感を抱いてしまえば誰にも相談できず、「外には出ていけないもの」として意識してしまう。
だが、エンタメや噂話ではそのようなネタを笑いものとして盛り上がるのだから、この文化は到底無くならないだろうと思う。
きっかけは、どうあっても…。
二人の関係性が良好なら、本来、それは他人様がいらぬ世話を焼く次元のお話ではないと思うのですけれども。
ふつうに「誘拐」といえば、身代金目的やわいせつ目的で、相手方(被拐取者)を無理やり連れてくることがイメージされると思うのですが。
しかし、特に相手方が未成年だったりすると、可哀想に思って連れて来たり、家の中などに連れ込まなくても、相応の長い時間に渡って連れ回したりすると、警察などの捜査機関の眼から見れば、それも立派な「誘拐」になってしまうことから(そうは思ってはいない当事者にしてみれば)訳が分からなくなってしまうという次第になるようです。
ものの本によると、「略取・誘拐の罪は、人の自由を侵害する犯罪の一種であるが、その本質(保護法益)について、被拐取者(略取又は誘拐される者)の自由に重点を置くか、被拐取者が未成年者であるために監護者がある場合には保護監督権に重点を置くかによって見解が分かれている。判例や通説的立場は、一面においては被拐取者の自由が保護法益であるが、他面では被拐取者が未成年者や精神病者であるために親権者などの保護監督者がある場合には、この親権者などの保護監督権(監護権)もまた保護法益と考える」(斎藤誠二著「刑法各論」八千代出版、1990年)とされているので、捜査機関の眼から見ると、上記のようなことになる訳です。
誰しも、保護者に身代金を要求する目的だったり、体を触ったり、その他(まだまだ「子供」の評論子には詳しく分かりかねますが)いろいろと「いけないこと」をするために自分を拉致してきた人に好意を寄せることは、ふつうには、あまりないだろうと思うのですが。
しかし、お互いに何となく惹かれ合って、それで結果として、ずっと行動を共にして来たりすると、とくに相手が未成年者だったりした場合、本作のようなことは、起こり得ないとは断言できないだろうなぁと思います。実際問題として。
(「いいパパをゲットするまで」とは言いつつ、結局は行方不明になってしまった安西の子供の面倒を見ていたことが「誘拐」というのは、いくらなんでも無茶だとは思いますけれども、評論子は。最初に、保護者(親権者)である安西からの明確な委託がある訳ですから。)
その意味では、本作の「私が愛した人は、(私を誘拐した)誘拐犯でした」というキャッチフレーズは、まるまるは嘘ではないのですが、当事者の二人の心情にしてみれば、「誘拐した」「誘拐された」という意識は、どちらにも、しかもハナからなかったように思うので、評論子的には、いささか羊頭狗肉の感が否めないところです。
いずれにしても、他者(世間一般)からは偏見を持って見られがちな恋愛…というのか、語弊を恐れずに端的に言ってしまえば、他者(世間)からは理解されない恋愛関係の二人は、いつか出会うであろう理解者に巡り合うその日まで、満ちては欠ける「月」のように延々と世間を「流浪」しなければならない―。
そこに、本作の題名の意味があって、そしてその「痛さ」が、胸に迫る一本で、観終わって切ない一本でもあったと思います。評論子は。
充分に佳作と評することができると思います。
<映画のことば>
自分を好きになってくれる人と、恋もしてみた。そういう人なら、本当のことを分かってくれると思って。
でも、やっぱり人って、見たいようにしか見てくれないのかもね。
<映画のことば>
「生きていても、どうせ、いいことないし…」
「でも、僕は生きていたから更紗にまた会えた」
ちりばめられた沢山の問題
更紗は更紗だけのものだ。
人は見たいようにしか見ない。
印象的なセリフです。
世間から見たら誘拐犯。
あの頃の少女からしたら救いの手。
世間から見たらロリコン=気持ち悪いのレッテル。
彼からしたらここまでも悩んできた辛い思い出。
母親からハズレとされて、見てもらえてなかった事から
初めて自分をしっかり見てくれたのが少女だったから、
そこにいつのまにか惹かれて恋心が生まれたんじゃないかとと思いましたが、シンプルにロリコンだっただけじゃないかと言う人もいるかもしれません。
見る人によって受け取り方は変わる作品なのかなと。
本当に心配している人もいるんだよと言ってくれた店長の仕事先に、彼女を本当に心配してくれてる人なんていたんでしょうか?
なにもないと証言しても通らない世界で
週刊誌に好き勝手書かれて、また再び誘拐犯扱い。
沖縄に旅行に行った職場の女の人も、すごく仲良くしているように見えたけど、実際は子どもより自分の恋愛が優先で、連絡も取れなくなり帰ってこず。
小さい子にロリコンってなに?と聞かれたふみくんは
【小さい子しか好きになれない人のことだよ】と。
『じゃあふみくんのことじゃないね、サラサちゃんのこと好きだもんね』
【そうだね】
という会話も印象的ですが、
冒頭で、ふみくんの家にいるとき幼少期のさらさちゃんに
『ロリコンってつらいの?』と質問され
【それよりも辛いことが人生にはある】
みたいな会話をしていたのですが
あの会話は、ふみがさらさちゃんにロリコンを打ち明けていたのか、どういう経緯であの会話になったのかわかりません。
普段全然笑わないふみが唯一すごく嬉しそうに笑ってたのは、預かった女の子と遊んでいる時でした。
スポットが2人に行きがちですが
噂好きの職場の人、少女の母親、ふみの母親、
さらさの彼氏など、色んなところに沢山の
人の愚かさや、悩みや、問題が詰まった作品だなと思いました。
ふみの彼女もすごくかわいそうな結果となってしまって
できない理由は自分がロリコンだから、大人もできるかなと思って試しただけと、彼女を突き放すために
酷い言い方をしてましたね。
半分本音と半分嘘の演技力がすごかったです。
ふみの病気ってどんな病気だったのか
あとで検索しようと思いました。
裸になった時にこの役のために体つくりをしたのかな?
股間部分がおかしいくらい小さくて
その病気が原因で彼女とできなかったんだと
思うのですが、その病気の詳細がわからず。
後から調べて、なるほどなとなりました。
その病気が人に知られることを恐れていたんですね。
ロリコンと言うより、子どもならそういうことも
関係なく、人と人で一緒にいられるからシンプルに子供が好きということあるのかもしれません。
だから楽しそうに遊んでいたのかなと。
すごくガリガリで、肌も荒れてて、目の中も真っ黒で
演技はすぎて、引き込まれます。
横浜流星さんも、目つきの変わり方など
すごい演技力でした。
動くたびに怖いってなりました。
ナイフで刺しに行くのかと思ってハラハラしましたが
自殺をはかってましたね、彼がどれほど追い込まれてたかなんて、こちらにはわかりません。
人は知らないところで知らない悩みを沢山抱えてて
繊細で儚くてもろいけど、一つの光さえ見つければ強くなれるなぁって思いました。
10歳と19歳は犯罪で
25歳と34歳は犯罪じゃない。
分別がつく年齢かそうじゃないかなのか。
なんだか不思議な感覚になります。
原作を読まなければわからないことが
たくさんありそうです。
ラストの唇ケチャップを拭うシーンも
あれだけ見たら、え?ちょっとロリコン?ってなるかと思いきや、小説では
性的興味が沸くのかどうか確かめるためにしたが
特になにも感じなかった、と書かれているそうです。
自分の感情がどういうものなのか確かめていたのですね。
きっと単純に性的な気持ち抜きの好きが、
出てきていたのかもしれません。
この先の2人にどうか幸せになりますように。
そんな作品でした。
あと、広瀬すずさんと、幼少期役の女の子が
とてつもなくそっくりですごかったです。
今の邦画にはとがった映画も必要なのかもしれない
事件立件の判断は
松坂桃李はもちろんだが、広瀬すずの終始感情を抑えた演技、対照的に感情剥き出しの横浜流星の演技どちらも良かった。
世間的には
児童連れ去り犯の文、
エリート会社員の亮、
幼い頃に事件に巻き込まれた更紗、
三人とも母親との関係で本人が望む満足な愛情を得ずに成長した。
文(松坂桃李)は、変わり者と見放される。
なぜあの小屋で住まわされるのか。忌み嫌われているからか。(母親役疑問)
更紗(広瀬すず)は、父親と死に別れ母親にも出て行かれ伯母の家で厄介者扱い。
亮(横浜流星)、母が男と家出、父や祖父母に育てられ、母には捨てられた、という意識が強い。
そして元嫁(母親)を嫌う祖父母たちの刷り込みか、
女性を下に見るように育てられた。
そのせいか玄関ドアも更紗に開けさせる。
児童連れ去りの罪については、どこから罪となるのだろう、か疑問に思う。
親の承諾なしに違う場所に連れて行けば罪が成立するのか?
被害者?となった児童の証言はどこまで信じてくれるのか。ストックホルム症候群で信用性0なのだろうか。.
この時点で大事にもならず事件にもならなければ二人の人生は違っただろうに、と思ってしまうのである。
二人とも善人であるのに。
公にされなかったが、従兄弟に性的虐待を受けていて厄介者扱いされる居場所の無い家と
優しく制約の無い生活を与えてくれる見ず知らずの男の家と
どちらを選ぶか?
辛い境遇で幼いながらも
人を見抜けるようになった更紗。
更紗が住みたいと思う場所と法律や世間一般が住むべきと考える場所が違い、結果児童の更紗が住みたい場所に住めない。
更紗が亮とつき合わなければ良かったのだろうか。もっと屈託の無い男性なら明るく過ごせて文を見かけても過去のことと忘れることができたのか。
それとも、やはり、文と更紗は出会うべくして出会ったのか?
ただ、二人が上手く一緒にいれるには時間が必要だったのか?
梨花についての事は、警察に説明できると思うのだが。ここまで人の話を聞けない組織なのだろうか疑問。
またどこかに流れて行けばいいよ。 だね。
ハッピーエンドなのかどうか
レンタル110
公開当時は出演者の顔ぶれを見ただけで敬遠してしまった一作
ん 監督は李相日だし原作は本屋大賞と
これは観ておくべきかと思い直した
横浜流星いい
松坂桃李は蘇るだか野獣の松田優作を彷彿とさせる
多部未華子はミスキャストかと
むしろ広瀬すずの方の役かと思った
よく見る映画youtubeでハッピーエンドなのかどうかで言い合っていた
オラは断然ハッピーエンドだと思った
いつもはピントが外れていると感じる映画プロデューサーと珍しく一致
原作を読んで理解を深めたい良作だ
自分でいれる人。
誘拐された可哀想な子とレッテルをはられた女と、小さい女の子を誘拐したとレッテルをはられた男の話。
雨の日に傘もささずに公園のブランコに座る幼い更紗、そこへ通りかかった文、「ウチ来る?」と言った文と「うん。」と頷く更紗、そこから始まるストーリー。
この作品は公開初日に観てます。
今日時間があり自宅にて久々にBlu-ray鑑賞、改めて好きな作品だなと思い今更ながらレビュー。
この作品を観て広瀬すずという女優をホントに好きになれました。
この作品をきっかけに過去作をNetflixにて、海街diary、チアダン、ラストレター、他にも広瀬すずさんが出演してる作品は全て観ました。
流浪の月という作品で今まで幼く見えた広瀬すずが大人のいい女にもなったなと思えた作品。
幼い頃の更紗を演じた白鳥玉季、無邪気さ、可愛さ、こんな幼いのにこんな艶っぽさ出せちゃう白鳥玉季さんが改めていいな思えました。白鳥玉季さんは「ステップ」って作品から応援してます。
個人的好きなシーン、セリフは、文の家での夕飯時、「壁にもたれ掛かって二人でアイスを食べるシーン」、「公園でハンバーガーを頬張る更紗」、更紗のセリフで「あの湖で手を繋いでくれたの覚えてる?...」という描写とセリフは印象的。
コンプレックスを抱えながらも終始優しい文、広瀬すず演じる更紗の文を追う目が切なくて何度観ても泣けてしまう。
広瀬すずさん作品で一番好きな作品です。
更紗は文との時間が一番居心地がよかったんだよね…
本屋大賞で話題になった作品でずぅっと観たいと思っていた映画だ。原作は読んでいない。あらすじだけ読むとかなり重い内容で、私には理解できないのでは?と心配していたが、何となく更紗の気持ちがわかるような気がした。最初はストックホルム症候群を描いたものかと思っていたが、そんな単純なものでもない感じだ。更紗は私はかわいそうな被害者ではないと強く思っていて、ある意味自立している。一方、文は心の奥に深い闇を抱えている。亮は更紗に執着し、依存している。そんな3人の関係がだんだん変化してゆく。2人ともただ一緒にいたいだけなのに、まわりの人たちがそうっとしておいてくれない。そんなにミーハーに干渉しなくてもいいのにと思った。更紗も文も家庭的に恵まれなかったから、弱い者の気持ちがわかるのだと思う。誰にも理解してもらえなくても、あの道を進んで行くのだろうか? 2人がそれで幸せなら私はそれでいいのではないかと思う。何よりも2人の幸せを祈りたい。
何が正しいのか分からなくなる、とりあえず横浜流星最高。
映画館で見逃したため、サブスクで鑑賞。
暗いけどどこか穏やかな映画の雰囲気がすごい好きだった。松坂桃李のハマり役感がすごいし、すずちゃんの幼少期役の女の子の魅力がすごかった。誘拐はれっきとした犯罪、でも幼児自身が望んでいる。何が正解なのか、何が正義なのか、分からなくなった。第三者として映画をみるとすずちゃんと松坂桃李の味方をしたくなるけど、“誘拐”という事実で見たら確かに気持ち悪い。でもこの誘拐はどこか美しくて。そんな色んなことを考えた映画だった。でもなんといっても横浜流星が覚醒したんか?ってくらい演技がハマってたしほんとにかっこよかった。これを機に流星沼にハマった。すずちゃんと横浜流星のシーンが最高すぎて、、、流星結構ヤバいやつだったけど普通に沼だった。観て良かった。
社会的マイノリティvs.未成年性加害
大きくは、社会的マイノリティ(今作ではロリコン)への差別を風刺する作品。社会的に受け入れられないロリコン、当人達の実情をよそにバイト先や住居マンション、警察やネットから社会的圧力をかけられる。
とても印象深い文のセリフがある。幼少の更紗と文が離れ離れになる公園で2人が手を繋いでいるシーン。
「更紗は更紗だけのものだ。誰にも好きにさせちゃいけない。」
この【誰にも】にはきっと文自身も含まれているのだろう。文の折れない「強さ」と「優しさ」に心を打たれる。
ただやはりこれはあくまで映画として文、それから更紗の主観で見ていたからマイノリティへの差別を語れるのであって、客観で見るとやはりそこには未成年への性加害が疑われるのは自然だし、社会的圧力がかかるのも理解できないものではない。マイノリティの受容を叫ぶのは簡単ではあるが、社会の歯車に噛み合い受容されていくのは容易ではない。
細かいが気になった点。警察描写への違和感。さすがのさすがに現行犯にできるわけない描写多数。あと更紗と文の出会いである、雨の中の公園のシーン、「更紗が帰りたくない。」といった後の文のセリフ「いいよ」が2秒ほど早すぎた。食い気味の「いいよ」はあの場面では似合わない。違和感を感じてしまった。
しかしとにかく演出は上手で、時間が経つのを忘れ、画面に釘付けになり、没頭できる、深い映画だった。
闇夜を照らす灯り 月の満ち欠けのように彷徨う2人の感情🌒
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