流浪の月のレビュー・感想・評価
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きっかけは、どうあっても…。
二人の関係性が良好なら、本来、それは他人様がいらぬ世話を焼く次元のお話ではないと思うのですけれども。
ふつうに「誘拐」といえば、身代金目的やわいせつ目的で、相手方(被拐取者)を無理やり連れてくることがイメージされると思うのですが。
しかし、特に相手方が未成年だったりすると、可哀想に思って連れて来たり、家の中などに連れ込まなくても、相応の長い時間に渡って連れ回したりすると、警察などの捜査機関の眼から見れば、それも立派な「誘拐」になってしまうことから(そうは思ってはいない当事者にしてみれば)訳が分からなくなってしまうという次第になるようです。
ものの本によると、「略取・誘拐の罪は、人の自由を侵害する犯罪の一種であるが、その本質(保護法益)について、被拐取者(略取又は誘拐される者)の自由に重点を置くか、被拐取者が未成年者であるために監護者がある場合には保護監督権に重点を置くかによって見解が分かれている。判例や通説的立場は、一面においては被拐取者の自由が保護法益であるが、他面では被拐取者が未成年者や精神病者であるために親権者などの保護監督者がある場合には、この親権者などの保護監督権(監護権)もまた保護法益と考える」(斎藤誠二著「刑法各論」八千代出版、1990年)とされているので、捜査機関の眼から見ると、上記のようなことになる訳です。
誰しも、保護者に身代金を要求する目的だったり、体を触ったり、その他(まだまだ「子供」の評論子には詳しく分かりかねますが)いろいろと「いけないこと」をするために自分を拉致してきた人に好意を寄せることは、ふつうには、あまりないだろうと思うのですが。
しかし、お互いに何となく惹かれ合って、それで結果として、ずっと行動を共にして来たりすると、とくに相手が未成年者だったりした場合、本作のようなことは、起こり得ないとは断言できないだろうなぁと思います。実際問題として。
(「いいパパをゲットするまで」とは言いつつ、結局は行方不明になってしまった安西の子供の面倒を見ていたことが「誘拐」というのは、いくらなんでも無茶だとは思いますけれども、評論子は。最初に、保護者(親権者)である安西からの明確な委託がある訳ですから。)
その意味では、本作の「私が愛した人は、(私を誘拐した)誘拐犯でした」というキャッチフレーズは、まるまるは嘘ではないのですが、当事者の二人の心情にしてみれば、「誘拐した」「誘拐された」という意識は、どちらにも、しかもハナからなかったように思うので、評論子的には、いささか羊頭狗肉の感が否めないところです。
いずれにしても、他者(世間一般)からは偏見を持って見られがちな恋愛…というのか、語弊を恐れずに端的に言ってしまえば、他者(世間)からは理解されない恋愛関係の二人は、いつか出会うであろう理解者に巡り合うその日まで、満ちては欠ける「月」のように延々と世間を「流浪」しなければならない―。
そこに、本作の題名の意味があって、そしてその「痛さ」が、胸に迫る一本で、観終わって切ない一本でもあったと思います。評論子は。
充分に佳作と評することができると思います。
<映画のことば>
自分を好きになってくれる人と、恋もしてみた。そういう人なら、本当のことを分かってくれると思って。
でも、やっぱり人って、見たいようにしか見てくれないのかもね。
<映画のことば>
「生きていても、どうせ、いいことないし…」
「でも、僕は生きていたから更紗にまた会えた」
ちりばめられた沢山の問題
更紗は更紗だけのものだ。
人は見たいようにしか見ない。
印象的なセリフです。
世間から見たら誘拐犯。
あの頃の少女からしたら救いの手。
世間から見たらロリコン=気持ち悪いのレッテル。
彼からしたらここまでも悩んできた辛い思い出。
母親からハズレとされて、見てもらえてなかった事から
初めて自分をしっかり見てくれたのが少女だったから、
そこにいつのまにか惹かれて恋心が生まれたんじゃないかとと思いましたが、シンプルにロリコンだっただけじゃないかと言う人もいるかもしれません。
見る人によって受け取り方は変わる作品なのかなと。
本当に心配している人もいるんだよと言ってくれた店長の仕事先に、彼女を本当に心配してくれてる人なんていたんでしょうか?
なにもないと証言しても通らない世界で
週刊誌に好き勝手書かれて、また再び誘拐犯扱い。
沖縄に旅行に行った職場の女の人も、すごく仲良くしているように見えたけど、実際は子どもより自分の恋愛が優先で、連絡も取れなくなり帰ってこず。
小さい子にロリコンってなに?と聞かれたふみくんは
【小さい子しか好きになれない人のことだよ】と。
『じゃあふみくんのことじゃないね、サラサちゃんのこと好きだもんね』
【そうだね】
という会話も印象的ですが、
冒頭で、ふみくんの家にいるとき幼少期のさらさちゃんに
『ロリコンってつらいの?』と質問され
【それよりも辛いことが人生にはある】
みたいな会話をしていたのですが
あの会話は、ふみがさらさちゃんにロリコンを打ち明けていたのか、どういう経緯であの会話になったのかわかりません。
普段全然笑わないふみが唯一すごく嬉しそうに笑ってたのは、預かった女の子と遊んでいる時でした。
スポットが2人に行きがちですが
噂好きの職場の人、少女の母親、ふみの母親、
さらさの彼氏など、色んなところに沢山の
人の愚かさや、悩みや、問題が詰まった作品だなと思いました。
ふみの彼女もすごくかわいそうな結果となってしまって
できない理由は自分がロリコンだから、大人もできるかなと思って試しただけと、彼女を突き放すために
酷い言い方をしてましたね。
半分本音と半分嘘の演技力がすごかったです。
ふみの病気ってどんな病気だったのか
あとで検索しようと思いました。
裸になった時にこの役のために体つくりをしたのかな?
股間部分がおかしいくらい小さくて
その病気が原因で彼女とできなかったんだと
思うのですが、その病気の詳細がわからず。
後から調べて、なるほどなとなりました。
その病気が人に知られることを恐れていたんですね。
ロリコンと言うより、子どもならそういうことも
関係なく、人と人で一緒にいられるからシンプルに子供が好きということあるのかもしれません。
だから楽しそうに遊んでいたのかなと。
すごくガリガリで、肌も荒れてて、目の中も真っ黒で
演技はすぎて、引き込まれます。
横浜流星さんも、目つきの変わり方など
すごい演技力でした。
動くたびに怖いってなりました。
ナイフで刺しに行くのかと思ってハラハラしましたが
自殺をはかってましたね、彼がどれほど追い込まれてたかなんて、こちらにはわかりません。
人は知らないところで知らない悩みを沢山抱えてて
繊細で儚くてもろいけど、一つの光さえ見つければ強くなれるなぁって思いました。
10歳と19歳は犯罪で
25歳と34歳は犯罪じゃない。
分別がつく年齢かそうじゃないかなのか。
なんだか不思議な感覚になります。
原作を読まなければわからないことが
たくさんありそうです。
ラストの唇ケチャップを拭うシーンも
あれだけ見たら、え?ちょっとロリコン?ってなるかと思いきや、小説では
性的興味が沸くのかどうか確かめるためにしたが
特になにも感じなかった、と書かれているそうです。
自分の感情がどういうものなのか確かめていたのですね。
きっと単純に性的な気持ち抜きの好きが、
出てきていたのかもしれません。
この先の2人にどうか幸せになりますように。
そんな作品でした。
あと、広瀬すずさんと、幼少期役の女の子が
とてつもなくそっくりですごかったです。
今の邦画にはとがった映画も必要なのかもしれない
李監督作品は怒りに続いて2作目。気合を入れて観ないといけないのはわかっていたので観るか迷ったが広瀬すずが前作に続いての主演だったので観ることにした。わかっていたが観るのがつらいシーンが多かったが、誰もが持ってる痛みやつらさを表現したとても良い映画だったと思う。リアリティの表現はこの監督の素晴らしい部分だしこれを表現できる俳優は間違いなく演技の幅を広げる事ができる。事実広瀬すずの演技は以前に比べるとはるかに素晴らしくなっており同年代では負けなしだと思う。いい演技は観客を映画の中に連れて行ってくれる。つらいシーンが多いとがった映画も今の邦画には必要なのかもしれない。
事件立件の判断は
松坂桃李はもちろんだが、広瀬すずの終始感情を抑えた演技、対照的に感情剥き出しの横浜流星の演技どちらも良かった。
世間的には
児童連れ去り犯の文、
エリート会社員の亮、
幼い頃に事件に巻き込まれた更紗、
三人とも母親との関係で本人が望む満足な愛情を得ずに成長した。
文(松坂桃李)は、変わり者と見放される。
なぜあの小屋で住まわされるのか。忌み嫌われているからか。(母親役疑問)
更紗(広瀬すず)は、父親と死に別れ母親にも出て行かれ伯母の家で厄介者扱い。
亮(横浜流星)、母が男と家出、父や祖父母に育てられ、母には捨てられた、という意識が強い。
そして元嫁(母親)を嫌う祖父母たちの刷り込みか、
女性を下に見るように育てられた。
そのせいか玄関ドアも更紗に開けさせる。
児童連れ去りの罪については、どこから罪となるのだろう、か疑問に思う。
親の承諾なしに違う場所に連れて行けば罪が成立するのか?
被害者?となった児童の証言はどこまで信じてくれるのか。ストックホルム症候群で信用性0なのだろうか。.
この時点で大事にもならず事件にもならなければ二人の人生は違っただろうに、と思ってしまうのである。
二人とも善人であるのに。
公にされなかったが、従兄弟に性的虐待を受けていて厄介者扱いされる居場所の無い家と
優しく制約の無い生活を与えてくれる見ず知らずの男の家と
どちらを選ぶか?
辛い境遇で幼いながらも
人を見抜けるようになった更紗。
更紗が住みたいと思う場所と法律や世間一般が住むべきと考える場所が違い、結果児童の更紗が住みたい場所に住めない。
更紗が亮とつき合わなければ良かったのだろうか。もっと屈託の無い男性なら明るく過ごせて文を見かけても過去のことと忘れることができたのか。
それとも、やはり、文と更紗は出会うべくして出会ったのか?
ただ、二人が上手く一緒にいれるには時間が必要だったのか?
梨花についての事は、警察に説明できると思うのだが。ここまで人の話を聞けない組織なのだろうか疑問。
またどこかに流れて行けばいいよ。 だね。
ハッピーエンドなのかどうか
レンタル110
公開当時は出演者の顔ぶれを見ただけで敬遠してしまった一作
ん 監督は李相日だし原作は本屋大賞と
これは観ておくべきかと思い直した
横浜流星いい
松坂桃李は蘇るだか野獣の松田優作を彷彿とさせる
多部未華子はミスキャストかと
むしろ広瀬すずの方の役かと思った
よく見る映画youtubeでハッピーエンドなのかどうかで言い合っていた
オラは断然ハッピーエンドだと思った
いつもはピントが外れていると感じる映画プロデューサーと珍しく一致
原作を読んで理解を深めたい良作だ
自分でいれる人。
誘拐された可哀想な子とレッテルをはられた女と、小さい女の子を誘拐したとレッテルをはられた男の話。
雨の日に傘もささずに公園のブランコに座る幼い更紗、そこへ通りかかった文、「ウチ来る?」と言った文と「うん。」と頷く更紗、そこから始まるストーリー。
この作品は公開初日に観てます。
今日時間があり自宅にて久々にBlu-ray鑑賞、改めて好きな作品だなと思い今更ながらレビュー。
この作品を観て広瀬すずという女優をホントに好きになれました。
この作品をきっかけに過去作をNetflixにて、海街diary、チアダン、ラストレター、他にも広瀬すずさんが出演してる作品は全て観ました。
流浪の月という作品で今まで幼く見えた広瀬すずが大人のいい女にもなったなと思えた作品。
幼い頃の更紗を演じた白鳥玉季、無邪気さ、可愛さ、こんな幼いのにこんな艶っぽさ出せちゃう白鳥玉季さんが改めていいな思えました。白鳥玉季さんは「ステップ」って作品から応援してます。
個人的好きなシーン、セリフは、文の家での夕飯時、「壁にもたれ掛かって二人でアイスを食べるシーン」、「公園でハンバーガーを頬張る更紗」、更紗のセリフで「あの湖で手を繋いでくれたの覚えてる?...」という描写とセリフは印象的。
コンプレックスを抱えながらも終始優しい文、広瀬すず演じる更紗の文を追う目が切なくて何度観ても泣けてしまう。
広瀬すずさん作品で一番好きな作品です。
更紗は文との時間が一番居心地がよかったんだよね…
本屋大賞で話題になった作品でずぅっと観たいと思っていた映画だ。原作は読んでいない。あらすじだけ読むとかなり重い内容で、私には理解できないのでは?と心配していたが、何となく更紗の気持ちがわかるような気がした。最初はストックホルム症候群を描いたものかと思っていたが、そんな単純なものでもない感じだ。更紗は私はかわいそうな被害者ではないと強く思っていて、ある意味自立している。一方、文は心の奥に深い闇を抱えている。亮は更紗に執着し、依存している。そんな3人の関係がだんだん変化してゆく。2人ともただ一緒にいたいだけなのに、まわりの人たちがそうっとしておいてくれない。そんなにミーハーに干渉しなくてもいいのにと思った。更紗も文も家庭的に恵まれなかったから、弱い者の気持ちがわかるのだと思う。誰にも理解してもらえなくても、あの道を進んで行くのだろうか? 2人がそれで幸せなら私はそれでいいのではないかと思う。何よりも2人の幸せを祈りたい。
何が正しいのか分からなくなる、とりあえず横浜流星最高。
映画館で見逃したため、サブスクで鑑賞。
暗いけどどこか穏やかな映画の雰囲気がすごい好きだった。松坂桃李のハマり役感がすごいし、すずちゃんの幼少期役の女の子の魅力がすごかった。誘拐はれっきとした犯罪、でも幼児自身が望んでいる。何が正解なのか、何が正義なのか、分からなくなった。第三者として映画をみるとすずちゃんと松坂桃李の味方をしたくなるけど、“誘拐”という事実で見たら確かに気持ち悪い。でもこの誘拐はどこか美しくて。そんな色んなことを考えた映画だった。でもなんといっても横浜流星が覚醒したんか?ってくらい演技がハマってたしほんとにかっこよかった。これを機に流星沼にハマった。すずちゃんと横浜流星のシーンが最高すぎて、、、流星結構ヤバいやつだったけど普通に沼だった。観て良かった。
社会的マイノリティvs.未成年性加害
大きくは、社会的マイノリティ(今作ではロリコン)への差別を風刺する作品。社会的に受け入れられないロリコン、当人達の実情をよそにバイト先や住居マンション、警察やネットから社会的圧力をかけられる。
とても印象深い文のセリフがある。幼少の更紗と文が離れ離れになる公園で2人が手を繋いでいるシーン。
「更紗は更紗だけのものだ。誰にも好きにさせちゃいけない。」
この【誰にも】にはきっと文自身も含まれているのだろう。文の折れない「強さ」と「優しさ」に心を打たれる。
ただやはりこれはあくまで映画として文、それから更紗の主観で見ていたからマイノリティへの差別を語れるのであって、客観で見るとやはりそこには未成年への性加害が疑われるのは自然だし、社会的圧力がかかるのも理解できないものではない。マイノリティの受容を叫ぶのは簡単ではあるが、社会の歯車に噛み合い受容されていくのは容易ではない。
細かいが気になった点。警察描写への違和感。さすがのさすがに現行犯にできるわけない描写多数。あと更紗と文の出会いである、雨の中の公園のシーン、「更紗が帰りたくない。」といった後の文のセリフ「いいよ」が2秒ほど早すぎた。食い気味の「いいよ」はあの場面では似合わない。違和感を感じてしまった。
しかしとにかく演出は上手で、時間が経つのを忘れ、画面に釘付けになり、没頭できる、深い映画だった。
闇夜を照らす灯り 月の満ち欠けのように彷徨う2人の感情🌒
周りから見て歪んだ愛に見えても、私には
純粋な愛に見えました。
儚さ、文が母親に
やはり僕ははずれですか?
と質問する場面、見ている方にも問いかけているように見えました。
更紗が私はかわいそうな子ではないよと
言ったときの悲しい瞳が心に残りました。
月明かりが照らす2人の行く末は、
彷徨い歩くのか、びしょ濡れになった2人の
気持ちに寄り添いたい
そんな微かな希望を感じながら、観終わりました。
レビュー投稿遅くなりすみませんでした。
気持ちで繋がる
勝手な偏見や当たり前だという勝手な常識で生み出された佐伯文というモンスターは、
気持ちでしか繋がることが出来ない優しいピュアなハートの持ち主。
自らを認められない2人は出会うべくして出会う運命の2人。
幸せに過ごすには流浪するしか術は無いのか。
これって週刊紙のゲスな解釈が正解だよね
文と更紗の関係って、純愛の仮面を被ったヤベー2人だと思う。横浜流星が「分かりやすくヤバイ奴」であるから相対的に二人は善側な人物に押し出され、好い人っぽく映るだけで。作中では直接言及されてないが、過去の二人はどうやら肉体関係を持ってるっぽい。どこまでの行為が肉体関係に当てはまるかは置いておいて。「文の幸福を願う」はずの大人更紗は間違いなく少女を文に差し出すようなムーヴをするし、文は文でナチュラルに少女を誘う姿に「手慣れている感」があるし、更紗の事件をカウントに含まずとも「同様の手口を繰り返し行っていた」ようにしか思えない。
横浜流星なんかよりダントツにヤバイ二人である。
あと、マンションに中傷のビラをまいたのってファミレスの店長だよね。
観ながら、観た後も、いろんな思いがうずまく
重い
とても重かった
端から見れば理解されない関係
もし身近にいたなら、否定まではせずとも、残念ながら理解はできなかったかもしれない
文はロリコンなのだろうか、なにか少し違うようにも見えた
そして、二人の間にあるものが、シンプルな男女の愛とは少し異なるようにも見えた
ただ、お互いにお互いを必要としていて、ともにいることで、自分を保てる、自分でいられるような存在、それはよくわかって、そんな端からではない視点で見ると、二人の好きにさせてあげればいい、理解できなくとも攻撃や排除せずに、ただ好きにさせてあげればいいと思わずにいられない
嫌がらせのバランスがおかしいかな。
松坂桃李も良かったし、横浜流星は目覚めたの?位のレベルでよかった。
ただ、ストーリーがね。
現在×殺人レベル×テレビのワイドショーならともかく、
ずいぶん前×誘拐された2人があってる×ネットであそこまでいくかい?
住まいも職場も突き止めてペンキで落書きはやりすぎ。
それも、少年院って言ってたからありえないよね。
あと、親が届け出てもないのにお店に警察乗り込んでくるって…。
そこまで暇じゃないと思うんだけどね。
女児を自宅に住まわせていたら犯罪になる。 たとえそれを女児が望んで...
女児を自宅に住まわせていたら犯罪になる。
たとえそれを女児が望んでいたとしても。
本作の場合、被害者は女児の保護者である叔母夫婦ということになる。
何ともおかしな話だ。
ただ、エンディングはあれでよかったと思う。
広瀬すずが「大人の女」を演じ、横浜流星が嫉妬深く、かつヒステリックな男を演じているのはそれぞれ新境地か。
松坂桃李さんすごい
原作一気読みして、衝撃受けて
映画化と聞いて楽しみなような辛くて見えないような
でも松坂さんがこの佐伯史という役に命かけたという
話を聞いてガリガリに痩せた姿見てこれは見ないとな…
結局劇場では見れず、家で見た
松坂桃李さんは本当に佐伯史だった
しかしそれ以上に広瀬すずさんの演技が…
元々苦手なので見るの躊躇ってたけど
やはりなにか気持ち悪い。わざとらしい。
私、かわいそうな子じゃないよって台詞では言ってるけど
私、かわいそうでしょ感、を出しちゃってる矛盾。
泣きの演技も。
そんな角度で綺麗に泣くわけないやんと思ってしまう
目に感情がなくて、ただ揺らしたり動かしてるだけ。というか。不自然…。わかってくれる方いらっしゃるかな
もはやアレルギーかもごめんなさい。
更紗の子役の方がずっと上手に感じちゃった
当たり前だけど内容は終始暗い、辛い
カーテンと風、光が印象的
悪いのは誰なのか
一つの事件から問題がどんどん絡んで来て、
話が広がって行く展開力は流石の一言。
これが実際に起こった事件ならきっと僕は、
気持ち悪いロリコン野郎で片付けてしまってると思う。
だけど、そこには家に帰りたくない事情があった、
15年後被害者には束縛のきつい彼氏がいて、
問題がが起こる。
この話を追って行くうちに、一番悪いのは決めつけで
見てしまっている自分なんじゃない?と思えて来ました。
加害者の店にロリコンと落書きした奴らと思ってる事は
一緒だなと。
加害者にもずっと隠されていた知られたくない謎が
あって、僕はだけどそれを理由にしたとしても軽はずみじゃないかとは思ってしまったのだけど、
松坂桃李さんの顔の演技や立ち居振る舞いは、
僕が簡単に、だけどさ、と言えるようなものではない
生きづらい気持ちが伝わって来る素晴らしいものだった。
広瀬すずさんも最初の自分じゃ何も決められない
女の子から、やっぱり文と居たい!と言う心の成長が
分かる見応えある演技で素晴らしかった。
これから2人、誰も知らない場所で穏やかに過ごしていて欲しいと思うラストでした。
全515件中、61~80件目を表示