わたしは最悪。のレビュー・感想・評価
全154件中、101~120件目を表示
女の人生の充足は自立でこそ得られる
高い能力と魅力的な容姿を持ちながら、自分にしっくりとくる行き場所ややりたいことを見つけられない…という主人公。
医学部→心理学→カメラマン…と転々とした挙句に、男性と恋に落ちたところからドラマが始まります。
自立していない女性にとっての恋愛って、自分の人生を放棄して男の人生に乗っかってしまう形になりがちですよね。
漫画家としての才能を開花させている彼の隣で、彼女は次第に焦燥感を覚えるようになります。
自分の人生なのに脇役な感じ、というのは、先天的な能力の高さ故の葛藤でしょう。
でも、自分の人生を生きる、を実現する方法が次の男との恋愛…ということがまずかった。
外的な要素に幸せを期待しても、自分は満たされない。キャリアや人生に対する不安や不満は拭えず、優しくて相性のいい彼にも50年後もコーヒー売ってんの⁉︎とバカにして八つ当たりします。
彼女の男性に対する甘えや依存は、父親との関係に難がある女性によく見られるものなので、キャラ造形にとてもリアリティを感じました。
父親とも決別し、流産し、彼とも別れ、男ありきの人生を捨てて自立の道を歩み始めたラストシーン。
彼女が描いていた未来ではないにせよ、そこには充足があるのでらないかと希望が持てました。
人生って難しい
タイトル…、人生は選択。でもいいよね。
でも最悪なのに、笑顔で走ってるポスター見て、そのギャップにやられて、見たくなったから結果としてはオッケー?
みんなこれが正しい!と思って突き進むことなんてできてないと思うし、(私も迷いながらあーじゃない、こーじゃないと進んでいる。)みんな思うことは同じだと思う。
妥協しないって言ったらかっこいいけど、
その先に、後悔があるかもしれないって考えると、ついつい、楽な方を選んでしまうよね。
人生って難しい。
人生の分岐点でまた観たい映画のひとつ!
とりあえず、呼ばれてないパーティに飛び込みで参加する主人公の強気な姿勢は大好きだし笑、
そのポジティブさでなんとかなってるし、
色気のシーンの色気がはんぱなくて、こちらも照れながら見ました。
余談だと、元嫁のインスタ面白かった。
いいね押しちゃったやつも笑いました。
1つのシーンがすべてを変える
主人公ユリヤはアラサー女子。
彼女は、映画の冒頭では外科医を目指す医大生だったが、「身体より心に興味がある」と言って、医学部をやめて心理学を学び始める。
もちろん、医学部に入る困難さは承知の上で。
ところが、ほどなくカメラを学びたいと言い出して心理学もやめてしまう。
その頃、ユリヤはマンガを描いている恋人アクセルと出会い、同棲を始める。年上のアクセルは子どもを持つことを願うが、ユリヤにその気はない。
あるときユリヤは偶然出会った若いアイヴィンに惹かれる。そして彼女はアクセルと別れ、今度はアイヴィンと暮らし始める。
本作はプロローグと12の章、そしてエピローグからなる。
終盤の第11章、ユリヤは、アクセルがガンに冒されていることを偶然知り、病院に見舞いに行く。
邦題「わたしは最悪。」は英題「The Worst Person in the World」(世界で最悪の人間)の、ほぼ直訳である。
ここまで見る限り、ユリヤは自分で選んだのに簡単に心変わりして、フラフラと生きているように見える。
でも、本人は絶対に自ら「わたしは最悪。」なんてことは言わないだろう。もちろん、「世界で最悪の人間」という自覚もない。
では、このタイトルの意味は、どう理解すべきか?
アクセルの見舞いに行ったとき、ユリヤは妊娠していた。だが、彼女には産む覚悟もなく、アイヴィンも、そのことを望んでいない。
そしてアクセルには死期が迫っている。皮肉なことにアクセルは、ユリヤとの子どもを持つことを望み、彼女と一緒に人生を歩みたいと思っていたのに。
病室でアクセルはユリヤに「君は最高だった」と言う。
病院の食堂のような部屋でテーブルに座り、2人は話している。ユリヤがアクセルに手を伸ばす。
そのときカメラのアングルが変わり、天井から見下ろすショットになった。こんなショットは、本作では、ここしか出てこない。
ユリヤとアクセルを俯瞰するカメラ。
このショットは、初めてユリヤが自分を(見下ろすように)客観視した、ということを表しているのではないか。
自分のお腹に宿った新しい命。
そして死にゆく元恋人。
命に関わる事態に直面して、このとき初めて彼女は悟ったのだ。
「わたしは最悪。」だ、と。
このとき、ようやくユリヤは自分自身を振り返った。
「君は最高だ」と言ってくれたアクセルに、ユリヤは応えない。
が、このとき心の中で呟いたであろうセリフがタイトルになっているのではないか。
例えば、アクセルと暮らしながら、ユリヤがアイヴィンのもとに走ったシーンでは、ユリヤとアイヴィン以外はすべてが静止していた。
それほど周りが見えておらず、それほど身勝手だった、ということだろう。
アイヴィンに出逢った日、同棲する恋人がいながら一緒にトイレに入り、「これは浮気じゃない」と言うのも同様だ。
終盤には、もう1つ気になる演出がある。
ユリヤの心情を説明するナレーションが入り、ユリヤが、その心情を表すセリフを言う場面がある。
ということは、この映画の中の時間はリアルタイムで流れているわけではない、ということだろう。
未来のどこかの時点から、過去を振り返って描いているのだ。
エピローグ、ユリヤは写真家の仕事をしている。
第12章とエピローグのあいだでユリヤはものすごく変わったはずだ。
第12章で初めて自分自身を振り返り、自分を見つめ、自分がほんとうに目指したいものは何かを本気で考えたはずだ。そしてユリヤは写真家になっていた。
だから、エピローグでのユリヤは、それまでの彼女とは全然違うということが分かる。
そして本作は、時系列としてはエピローグからの視点で作られているのではないか?
そのとき、映画としては、第12章とエピローグのあいだのユリヤを描くという選択肢もあったはずだ。
この間、ユリヤはアクセルの死に向き合い、そして真剣に悩み、やがて写真家こそが自分の生きる道だということを見い出した。そしてアイヴィンとは別れた。
だが、本作はそこを描くことは選択しなかった。
第11章までの“最悪”の期間を丁寧に描くことで、第12章のターニングポイントと、エピローグでの変化を鮮やかに際立たせて見せたのだ。
なかなかに巧緻な構成に唸る。
では、この「仕掛け」を用いて本作が訴えたかったメッセージは何か。
第10章までのユリヤはモラトリアムだったと言っていいだろう。でも、本作は第10章までの彼女を決してネガティブには描いておらず、むしろ肯定しているようにも見える。
自分で「わたしは最悪」とまで言っているにも関わらず、だ。
エピローグのユリヤは写真家を職業としているが、ここまでにくるには相当な苦労があったはずである。
(思えばアクセルと付き合う直前までは、彼女は写真を学んでいた。だが、アクセルと付き合っている間に写真からは離れたようだ。アクセルと参加したパーティで彼女は何をしているかを訊かれ、ためらいながら「本屋でバイト」と答えている。おそらく、せっかく始めた写真をやめてしまったことへの罪悪感からだろう。そしてユリヤは、死を間近にしたアクセルを撮影することで写真を再開する。ここまで彼女が写真を撮っているシーンはなかった)
他人は、「どうせ写真家を目指すのなら、もっと早く、その道を選べばよかったのに」とか言いがちだ。
でも、人は神様じゃないんだから、未来のことなんか分からない。だから、いつも人は迷いながら生きる。判断ミスをしたり、他人に流されたりして、選択を失敗することだってある(アクセルと別れ話をしているとき、彼女は雰囲気に流され彼とセックスしてしまうが、終盤の病院では、求めるアクセルの手を払いのけている。こうした対比も上手い)。
でも彼女はいつだって自分が信じる道を選んできた。彼女にとって選択してきたことは、すべてが、そのときどきで「必要なこと」だと言えるのだ。
だから彼女は、ラスト近く、偶然目撃したアイヴィンが結婚していて、子どもがいたとしても温かい眼差しで、その光景を見ることが出来る。
ラストでは、彼女は好きな写真を仕事にして生きている。だが、本作は、そこに至るプロセスは描かず、一見、遠回りしたようにも見える道筋を描く。
ということは、本作のメッセージは遠回りの肯定だろう。いや、人生に遠回りなんてない、とまでユリヤは言っているかも知れない。わたしを見て、そもそも、最短距離を行くなんてムリなんだから、と。
人生に失敗は付きもので、僕たちはとかく悔やんだり、悲しんだりしがちである。
でもユリヤは、そんな僕たちのことをどこまでも肯定し、背中を押してくれるようだ。
手遅れ感の表現かな?
すべてを失ってから、やっと「やるしかない」とキャリアが始まるのは、(重要性に気づかないまま死ぬ人間もいるので)いいんだけれども、「遅い」「手遅れ感」がすごいです。
そういった「失敗」を見せるのが目的ならば、成功した作品かもしれません。
軽く「なんかちがうな」だけで、仕事や恋人や家族を放り出して、自分探しに興じられるのは、恵まれた環境があるから。
許してくれる周囲の人間の存在や、社会福祉面の補助、金銭的に太い関係などが揃っているからで。
依存し甘ったれて、よりラクな方へ乗り換えしてるだけの人間は、幸せを目の前で逃がしていると言いたいのかな、と思いました。
行動力★5 忍耐力★1
行動力★5 忍耐力★1のユリア
幕開けから彼女の天真爛漫なペースに持ってかれて彼女に釘付けになる。
アイヴァントのパーティーでの秘密の言い合い。
勃つ前が好き。勃たせてあげられるのは私だから。
見られながら尿を出すのが好き?見るのが?
といった楽しいことを何でもできるアイヴァン。
でも文学やアートについては話せない。それを話せるのはアクセル。
年齢が離れすぎると、人生のステージ違いすぎて求めるものが異なる。
身を固めて子供が欲しいアクセルと、いつかは欲しいけど今ではないユリア。
結局はないものねだり。自分の欲のままにいきるユリアが1番素敵。
30歳のリアルを描いていてとても共感できふ部分が多かったけど、結局なんで写真だったんだろってちょっと疑問。
あと、時間止めたり薬でラリってる非現実的なシーンもいいね。
最初の黒いドレスでタバコを吸って立っている姿が、美しくて、惹き込まれました。
聡明な女性良いね。
映画の良さより主人公の価値観への嫌悪が勝った
ユリヤの周りの人は包容力があって良い人ばかりだったから許されていたけど、自己中心的で人を裏切ったり傷つけたりしてる所が、自分の中にも少なからずある嫌な部分だと思って、だからこそ彼女に対して強い嫌悪感・不快感をおぼえた。アクセルは本当に人が良すぎてその分可哀想だったけど、彼の運命を思うとユリヤくらい図太く生きた方が、一度きりの人生楽しいのかもしれないなどと思った。
わたしは私
タイトルは最悪ですが、中身は生き生きとした女性の自立物語としては、最高点をあげたくなる。今までいろんなタイプの女性像を映画で観てきましたが、こんな共感できるヒロイン像を作り上げるとは、この監督はかなりの切れ者とみました。
職業を転々とする自分探しは、あくまでも軽やかにすっとばし、me tooや環境問題等々を絡め、男が望む女性の姿は自分にはしっくりこないと言い放つスタイル等、「最悪」とは思えない位の吹っ切れ方ではありませんかね!?
古くは私は好きだったんですが、「欲望という名の電車」のビビアン・リーが演じた主人公。「草原の輝き」のナタリー・ウッドが演じたヒロイン等、ほんとうの女性の姿が描かれていたのかはギモンかな???
映画的に観たらあの時代はあれがベストのドラマツルギーなのかもしれないけれど、今は違いますよね。監督もいいし、脚本も素晴らしい。もちろん主役の彼女はベストな役作りで魅力的でした。
新しい時代の新しいヒロイン誕生ですね!
主人公を反面教師として行きたい
周りが結婚し子供のいる家庭を望む
さらに出版が成功し夢に向かっている彼
その中で主人公は孤独を感じる
なんで自分は中途半端なのだろうかって
だからこそ自分と価値観の合う同じような人を見つけて
好きになる、安心する
と思ったら妊娠をきっかけに関係は破滅
現実逃避したい、そしてその刺激に耐えてる私カッコいいでしょ!!!?
そんな感じが伝わってきた
でも最後、
元彼がベビーカーを押し奥さんといる姿を見て
逃げてるのは自分だけだと気づいたんじゃないかな
それと同時に
あいつはそんなもんか、私はまだ自由でいたいわ
とか思ったのかもしれない
自分は自分らしく生きたい!
そう言ってるけどひたすらに甘えている主人公
こんな30歳にはなりたくない!
でも
タバコの煙を吸い合うシーンすんごく美しかった…
痛みのない決断は無い
30歳という節目となる年齢の女性が主人公。
彼女のあらゆる決断を章立てた映像表現でいっしょに体験ができる作品。
そろそろ結婚しないと、子どももね
という周りからの声に対して、
あくまで自分自身の選択を尊重しようとする姿から
現実世界においての女性ならではの居心地の悪さがあるのだということに改めて気がつかされた。
男である私はこの女性の居心地の悪さについて今までに無い解像度で感じることができた。
作中、彼女があらゆる決断をするが
その決断は、自分の気持ちを尊重するためのものだが、必ず痛みは伴うものとなっている。
やはり痛みなくして前進はしないのだという
現実の厳しさを学んだ。
愛してるけど、愛してもいない。
基本自分大好き。感動している自分大好き。私はイケてる。
見た目は大人だけど頭は子供のような。
容姿が良く勉強もできるが世間知らず。
分からないことは否定する。苦手なことは認めようとしない。
向上心があるようで努力はしない。
相手を思いやるより自分の感情が1番最優先。
異性には積極的だが人には興味なし。
空気は読めるが気は利かない。
好き嫌いで選んでいる人生。
同じことを繰り返す成長しないタイプに見えてしまう。
できれば関わりたくないタイプだったりする。
こいう人いますよ身近に。好きにしてって感じ。
実は自分のことだったりする…
The worst person in the world
世界で一番最悪の人
なるほど…納得。
潔くて気持ち良い彼女の選択、経過を微笑ましく見れる不思議さ
言葉にするのが凄く難しい。けどなんかそれが凄く心地よい。分岐の前に現れた予感。高ぶって、後悔して…そうして一人の人間が出来ていくのかもしれない、なんて思ったり。
キャリア至上主義は世界共通で、それを壊しながら自分を作っていくヒロインもなかなか珍しい。そこに対してのアプローチがとにかく絶妙。高学歴や既婚者といったかつての理想を鮮やかに壊しつつ、幸せの本質を手繰っていく姿がなんとも微笑ましい。良くも悪くも彼女らしいと周りの人は感じていただろうし、何よりそれが生き生きしている。
この作品が他の作品と一線を画すのが、選択と結果を章付けされたプロットに組み込みながら照らしてくれる点だ。複雑に華やかに見せる訳ではなく、フィクションの力を借りながら選択を写し出し、よって起きた変化を1つの形として落とし込む。だから、同時に周りの彼らも歳を重ねていき、それによる変化を伴う。少し大人っぽい作品だと感じつつ、また見方が変わる頃に再鑑賞したいと感じた。
思い切りの良さが作品に拍車をかけ、形容し難い感情へと引き込んでいく。だから、恋も愛もセックスも仕事も皆鮮やかに見えちゃう。観た日も相まって、こうして2時間ちょっとで別世界に連れて行ってくれる映画を改めて有り難く思った。
タイトル通りだと思います。
色々ノミネートされてたので期待しすぎたのかも知れない。
自分軸が揺らいでしまう若い女性ありがちなフラフラ顔半端なく人生を重ねた者から見ると青すぎる😱
主人公が可愛いからまだ良かったけど途中まだ続くのかとため息がでそうになった。
映画館で見なくても良いかな。
わたしは最高。。
自分自身が最悪なのか、それとも自分の周りが最悪なのか、浮ついて将来や男もコロコロと変えながら決め兼ねる人生があっという間に若くもなく、でも嫌な女性に思えないし感じが悪いのは父親くらいか。
時が止まったり幻覚症状に陥る場面はヨアキム・トリアーらしい演出描写でありながら『母の残像』や『テルマ』と比べると清々しいロマンティック・コメディでありながらのダークな雰囲気はチラつく。
ポール・トーマス・アンダーソンの『リコリス・ピザ』とセットにみたいな?ジャック・オーディアールの『パリ13区』とのセットでも、確かに『フランシス・ハ』でもフランス映画の『プレイリスト』もミランダ・ジュライの『ザ・フューチャー』も良い。
漫画家の彼の件はロバート・クラムを参考にしているように『フリッツ・ザ・キャット』の映画化の話と似ているナイスな展開。
職場の本屋で女性の客を相手に再会する場面の演出に驚かされ、彼女の人生に於ける意味ありげな圧倒的映像に陰鬱さが醸し出される雰囲気とそれに相反するように街並みや空の色が綺麗で、そんな両極端で難解にも取れる世界観が印象的でもある。
彼女は最悪?
自己中で人を振り回すから最悪なのか?
それができる人間はそうやって生きていくのは問題ないと思う
許容範囲の迷惑でなければ
男女関係についてはヨーロッパ、特に北欧ではドライでくっついたり離れたりなので問題無いのだろう
普通、映画が進んでくると主人公が魅力的に見えてくるものですが、今回は違った
顔がだんだん丸くなってきたきた感があるが、それは意図したものなんだろうか?
それとも私が気持ち的にそう見えただけ?
それを正直に反映して星減です
女性に関する十二章
予告編で街の人々が静止している中を女性が走り抜ける映像に惹かれたので見に行ったのだが、あの箇所を除くとほかはそんなに飛び抜けたシーンはなかった。ああいう映像の遊びがあと10くらいあると良かったのだが。「1秒先の彼女」にも似たシーンがあって、あちらもよくわからない理屈だったが、この映画でも主人公とアイヴィンは丸一日過ごした後に前の日の朝に戻っているので、「1秒先〜」と同じく“失われた一日”パターンなのか?彼女の心象風景とかで済ますには謎が残る。
ジョコヴィッチ似の漫画家とレンドル似のバリスタの間で心のラリーが行ったり来たりする主人公は、ちょっとどうなのとは思うが、所作や感情表現がいちいちリアルで自ずと寄り添わされてしまう魅力はある。基本ささいな日常のスケッチではあるが、章で区切ることで良いメリハリになっている。
ちょっと古い統計だが、ノルウェーの年間の映画製作本数は27本で、世界31位だそうだ(2009年。ちなみに.日本は同年448本で4位)。月に新作2本程度か。人口も少ないので当然マーケットも小さく、映画産業もなかなかきびしいと思われる。
トナカイと接近遭遇するシーンが心地よかった。ああ、まさしく北欧だなぁ…と。
人生はその都度の選択
映画は序章に始まり、12章の本論があって終章で語り終わる「ユリヤ(レナーテ・レインスベ)の人生の物語」です。『わたしは最悪。(原題:The Worst Person in the World)』、思い切ったタイトルですが、元々自分の性格をおおいに自覚し、客観的に見て語られた「彼女の自伝」になっています。
ユリヤは、自分の力で制御できないようなことにぶつかると「方向転換」を辞しません。若いころはそれが自身の進路のことなど、主に自分自身への影響で済むことでしたが、年齢を重ね、男性と交際をすることでそれが自分以外にも影響し、更には人の生死にまで及ぶこととなり、おおいに思い悩み、そして選択に苦しみます。
しかし、彼女の性格を理解し、そこを含めて彼女を愛している男性たちは、最終的に説得しようとすることを諦め、彼女の生き方を尊重することを選びます。その点では、ユリヤの選ぶ男性の正しさも裏付けられるような気がします。或いは、最後まで見れば、全ての選択についての意味と、自身の人生について納得している彼女が語っていることなのだと理解ができるのです。
ちなみに私、このユリヤの生き方に強いシンパシーを感じます。
(それを踏まえて、)他人の映画評を読んでいるとたまに「主人公に共感できない」と低評価を付けているのを見かけることがありますが、そのたびに「共感と評価は別物だろう」と思ってしまいます。逆に、私にとってこの作品、共感云々を評価に直結させているつもりはありません。純粋に面白いし、きちんと今の時代の作品になっているし、時に思い切ったVFXによるギミックで楽しませてくれます。特に『第5章:バッド・タイミング』における「思わず走り出すシーン」は印象的です。
悩み
「北欧では〜」とよく進歩的な例として取り上げられる事は多いが生活に溶け込んだ先進のテクノロジー、社会通念の変化はあっても人間の憂い迷いは普遍
周囲には衝動的かつセルフィッシュに写る主人公がなりたい自分を探し当てる道程の悲喜こもごも
主演女優は最高。
主役女優は魅力的でした。
わたしは最悪。
自由奔放の30才女性の生き方を12章で描く恋愛ドラマ。
自分の未来の可能性を諦めきれず安定を望まない主人公ユリヤの行動に右往左往する男性達。
ラブシーンも卑猥には見えず変態チックな行為もこの美人なら許せてしまう。
題名のセンスが微妙な感じ”わたしは最悪。”と口では言うが勢いで行動してしまう主人公に共感できる女性は多いかも。
女性監督の作品かと思っていましたが男性監督とプロデューサーのオリジナル脚本でした。
人生の岐路に迷っている方、彼女の決断と行動力は何かの指針になるかも。
大人の女性向けの作品に感じました。主人公の女優はとても美人で魅力的に撮れてます。
個人的には彼女に共感はできませんが飽きないで見れました。
全154件中、101~120件目を表示