わたしは最悪。のレビュー・感想・評価
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秀逸な会話劇!
ノルウェー版大豆田とわ子、と書かれているのを鑑賞後に見たが確かにその通りだと思った。秀逸な会話劇が現代を生きる私たちに刺さるのだと思う。私自身、坂元裕二脚本のファンなのでこの作品はどストライクだった。音楽も場面に馴染みながら映画のテンポを良くしていて、見やすく、とても良かった。見てよかった!
「俺って最悪」・・・口には出さないが心密かに“自分って最悪”と思うことがある人に寄り添う秀れたコメディ(人生悲喜劇&讃歌)
①大変感心した。人生の色んな断面・人間の心の揺れ動きを様々な映像手法を駆使して綴っている。例えば、周りの全てが静止している中でユリアがアイヴァンに向かって走ってゆく(そして戻ってくる)一幕。今まで色んな映画で観たことのある手法だけれども、ここではスイッチが入ったらもう恋に向かって走ってゆくしかない(物理的な距離という意味だけではなく)気持ちを見事に伝えている。ホント、恋のスイッチが入っちゃったら周りの人も目に入らないし周りで話していること(それも私に対して話しているのにですよ)耳に入らない。恋する相手の事しか頭になくなるんだもの(経験者は語る)。“俺って最悪”と思いながらも、その裏で一生でそんな恋に巡り合えた自分は実はとても幸せ者だと思っている・・・ってやっぱり俺って最悪だわ。②お互いの放尿を観察したり(屁もこくし)、相手の腋臭を嗅いだり、吐き出した煙草の煙を吸い込んだり等々結構変態ちっくな描写が却ってリアリティーがある。どんな人間だって1つか二つフェチは持っているもの(実は自分の腋臭や足の匂いが好きだったり。人には言わないけどね)。そういうところを然り気無く挿入してくるのが巧いね。③ヨーロッパ映画らしく考えることは結構しつこい。「#Me Too時代のオーラルセックス」なんて笑っちゃうけど、なかなか日本ではこういう発想は出てこない。「ボブキャット クリスマスをぶち壊す」のアクセルとフェミニズム活動家(?)のラジオでの応酬合戦もなんか面白い。人間を描くと言うことでは(人間を描くということと人間社会を描くということとは違います)、昔から日本映画やアメリカ映画と比べて一日の長があるヨーロッパ映画だけれども今でもそうみたいだな。特に最近の日本映画ってマンガの実写化かTVのヒット番組をスクリーンに引き伸ばしたようなものばかりで、その時その時楽しかったら良いというものばかり。まあ、それも活動写真の一つの形だけど。④近代高等教育を受けて“自我”と言うものを教えられた我々は否応なく自意識過剰になっちゃうし、ミスしたりポカしたり空回りしても(仕事だけじゃなく)周りの人は自分が思うほど注目してくれていないのに“自分て最悪”だと勝手に内省しちゃうもの。⑤さて、話は変わって自分が「大人」というものになったと疑いもなく言える人ってどのくらいいるのだろう。仕事を持っているから、家庭を持っているから、親だから、社会というものの規範の中にちゃんと収まっているから、常識(これもよくわからん言葉ながら)があるから・・・だから「大人」なのか?でもこういうものって結構簡単にひっくり返るし、私の周りでも上のような人々が“いい大人(ここパラドックスですけど)が”ということを時々しやはります。⑥ユリアは(視覚の人らしいから)映画のラストにスチール専門の写真家になるが、それまであっちを見たりこっちを見たり軸が定まらない生き方をするけれども、私も日本社会という暗に同調圧力で人を枠に嵌めようとする社会に生きていなかったら、もう少しフラフラしていたかもしれない。(日本は失業者保険が最大1年しか出ないけれども、スウェーデンは最大600日、フランスは最大36か月月、デンマークも最大2年、そら人生に少し余裕はあるわ)。同調圧力社会のお陰で世間的には良い大学・良い会社に入って30数年模範的な社員として真面目に働いて来ましたけど(社会にどれだけ貢献できたかどうかわからないけれど)、それなりの性体験も積んだけど果たして自分が所謂「大人」というものになれたのか未だに良く分かりません。⑦ただ、「自分探し」は学生時代から引き続き社会人になってからも続けていたので、同期の中の何人かの様に“趣味もなく、定年後何をしたらよいか分からない”と言う風にはなっていないだけマシかと。「自分探し」なんて何歳になっても出きるもんだし。日本の様に圧倒的大多数が「先ずは就職、先ずは結婚、先ずは・・・」、と言うような同調圧力が暗にかかってくる社会になら、定年して子育ても終わってから本当の「自分探し」が始められるのかも。俺もこの歳までまだ独りなのはまだ自分探しを続けているのかも知れないし、此れが俺の自分探しの終点かもしれない(結局独りが好き)。⑧人生は幾つになっても選択の連続、一見運命や周囲に決められているようでも結局決めるのは自分。誰も責められないし自分で選択したのだから受け入れるしかない。それで良いんじゃない。⑨それに、もしかしたら、“自分は最悪だわ”と自分を冷静に見つめられる人こそが真の「大人」というものかも。⑩ヒロインの女優さんは、ダコダ・ジョンソンとジュリアン・ムーアを足して2で割ったような感じだけど、アバのフリーダといいこういう顔がノルウェー美人なのかしらね。⑪映画館が激減しちゃった奈良県だけど、もう少し上映してくれるみたいだから又観に行かなくちゃ。
《2022.08.21 ユナイテッド・シネマ橿原にて2回目の鑑賞》
⑫やはり良くできた映画だと思う。どの台詞もとてもリアル。その中で、アクセルの友人夫婦達との家族パーティで子供以外で雑談をしていた時の会話も好き(自然に男女の性の話を出きるなんて羨ましいな。それも下品じゃなくて知的な猥談みたいな・・・その中で耳慣れない単語があったのでWikipediaで調べたので少し長いけれど下にそのまま引用。)読んでみると、俺も無意識でやっているみい(蘊蓄たれるの好きなんで)・・・やっぱり俺って最悪だわ・・・
※「マンスプレイニング(英語: mansplaining」男(man)と説明する(explain)という動詞の非公式な形のsplainingのブレンド語)は、「(男の)見下したような、自信過剰な、そしてしばしば不正確な、または過度に単純化された方法で女性や子どもに何かについてコメントしたり、説明したりする」という意味の批判的な用語である。作家のレベッカ・ソルニットは、この現象を「自信過剰と無知」の組み合わせだとしている。『アトランティック』紙のリリー・ロスマンは、この現象を「説明を受ける者が説明者よりも多くのことを知っているという事実を無視して説明すること、多くの場合、男性が女性に行うこと」と定義している。
本来の使い方では、男性が女性よりも知識が豊富であることを前提にしていると言われていた点で、他の見下しとは異なっていた。しかし、現在ではより広く使われるようになり、年齢や性別を問わず、男性が誰に対しても見下したような口調で説明することを指すことが多くなっている。
⑬人間って自分の考えている事や言いたい事の半分も言葉に出来ないか、伝えられないよね。逆にいま言わねばならない事を言えなかったり言わないでも良い事を言って“なぜ言って上げなかったのだろう。何故あんなこと言ってしまったのだろう。相手はどう思っているだろうか。”なんてくよくよと悩んだり。私も若い頃はそれを大分苦にしたものだが(歳を取ってくると人はそれ程他人の言うことに気を配っていないということが分かって悩むのが馬鹿馬鹿しくなってくるけど)、レナーテ・レインスベは、そういう言葉にはなかなか出来ない想いを表情で上手く表現していたと思う。⑭それと、アクセルの出版記念パーティからユリアが先に一人で帰ったとき、途中で街の風景を眺めながら涙ぐむシーンがある。ああいう事って・・・あるよね。
時間を止めて会いに行きたい
「わたしは最悪」って言うほど、最悪じゃないやん、って言うのが第一印象ですよ。医大から心理学へ転身し、物書きに中途半端に手を出したり、カメラを手に取ったり。年上の彼との同棲から情動に任せて浮気しーの。その浮気相手とも別れて、物語りの最後ではカメラマンとしての生活を送っている。
途中に妊娠や母親になることへの怖れ、何ての織り込んで来たりするんで、こりゃありがちな、女性の自分探し&自立物語りであって、「最悪」ってほどの話でもなく。
と物足りなさの残る映画なんですが。
不思議と。奇妙なことに。
「The Worst Person in the World」と言う原題フィルターを通して物語を眺め直すと、印象が変わります。"Person"なんっすよ。”Woman”でもなく、「私」でもなく、客観的に”Person”なんですよ。
確かになぁ。主人公は、いくつかの場面で、最悪の選択をしてしまう最悪の人物、って言えなくも無く。流れに沿って、一人の女性の生き方として見ればですよ「ただ自由に生きてるよね」って言うだけの物語りですが、局面局面では最悪の選択を積み重ねてたりして。
脚本が技巧的、って、見終わってから感心することしきりです。
と言うか、邦題、酷いね、地味にw
ユリヤ役のレナーテ・レインスベのカンヌ主演女優賞には納得です。128分の間に、よくも、これだけの表情を見せてくれたなと。それにも感心致しました。
人間って迷うもの。
人間って、気が変わるし、選択を迷うし、迷ってもいい結果が得られるとも限らないし、決めて安住するのも辛い、えいやって捨ててみても、結局もとのままじゃない、とか、今さらどうしようもないなあ、でも切ないなあ、といったことの繰り返し。そういう気持ちがみなにあるから共感できる。ヒロインの愛嬌あるか可愛さも、この映画の強みか。
女は上書き保存、男は別名保存
と誰かが何かに書いていた。
現実はどちらでもあり、
どちらでもない。
アクセルが言ってた、
何でもモノがあって、
触れて体感をフィジカルで、
物差しにしてる世代と、
全てはデジタルで概念をメンタルで、
レーダーにしてる世代。
だから意見が合わない。
意見が合わないのは、
世代間ではなく、
お国柄間でもなく、
個人間のちがいでは?
と、
ユリア。
狼たちの午後は、
何度も観ないといけない、
と、
ユリア。
こちらは永久保存しときます。
ウインターボトムの
『ひかりのまち』を再見したくなった。
よかった
評判が高かったので見たのだけど、自分は女性ではなく、子どもが好きなのであまり共感できるところがない。
せっかく医学部に入ったのなら医者の資格を取ってから別の道に進むのがいいのではないだろうか。その道の枠のなかで自分に合う方向を目指せれば、それが精神科でもいいし、途中で道がそれ過ぎだ。カメラなんて極端な話、中卒でも関係ない商売だ。もともと教養の高い層に所属している人は、そこに価値を感じないのだろうか。僕はヤンキー高校の出なので、賢い人たちとそうでない人たちの違いがすごく分かる。もともと教養の高い層の人なのだろうそこも共感できない部分だ。
正確に難ありと言ってもそもそも美人だし、持たざる者ではなく、それほど最悪ではない。僕の知っている若い人は、本当に見てくれが悪くて友達もいなくて親ともうまくいかず、お金もない。その人に比べると全く最悪じゃない。
勝手に見知らぬ人たちのパーティに入っていくところはハラハラする。
共感したくなかったけれど
この作品のレビューを読んでいると、沢山の「主人公が我儘すぎて共感出来ない」「自分探ししすぎ」「思いやりがない」というコメントに出会う。
主人公のユリア、良く言えば自分に正直で魅力的だけど、本当に自分勝手で甘ちゃんですよね。
私はこんなにモテても優秀でもなかったけど、ダメなところはめちゃくちゃ身につまされてしまった。
歳上で才能ある恋人が好きだけど、一緒にいると自分の何者でもなさがコンプレックスになってしまう。妻や母親の役割を引き受けるのも受け入れがたい。
それなら仕事や自分自身にもっと向き合えばいいのに、居場所を次の恋人に求めてしまう。
作中でいちばん「あちゃー、最悪だな」と思ったのは、ゴミ箱にあった原稿を拾って褒めてくれたアイヴィンに、八つ当たりで怒るシーン。
「落ち着いて50歳になってもコーヒー淹れてれば?」
自分が何者にもなれてない焦りとプライドと、アイヴィンのことそんな風に見てたんだ…っていうのが合わさったひどいセリフ。
いちばん「甘えてるなー」と思ったのは、病気のアクセスに「いい母親になるよ」って言ってもらうところ。自分が浮気して振っていて、相手は余命わずかで辛いのにね。でも、この友情がちょっと救いでもあるんだけど。
ひどいひどいと書きましたが、ここまで主人公の勝手さや子供っぽさを描きだしたのは本当にすごいと思う。
この映画に限らず、30前後の女性の焦りや葛藤を描いたストーリーはとても多い。妊娠出産のリミットが迫り来ることと、未熟でも若くて魅力的だった時期が過ぎていくことの焦りは、世界共通なんだなと感じた。
ユリアはエピローグでようやく腹をくくって自立していた。この先はどうやって幸せに生きていくんだろう?
答えはないだろうけど、知りたいと思った。
嘘に背中を押される
ラースフォントリアーは苦手だけど、その親戚のトリアー監督の映画はとても爽やかで良かった。話は全然爽やかではないが、別れ話ながらも、『ブルーバレンタイン』のような重さがない(これも良かったけど、打ちのめされてしまうので二度と観られない)。
会話の間に、主人公の気持ちの動きをゆっくり観察できて、そこに嘘とほんとが混ざっていることもわかるし、ついた嘘に背中を押されて自分を騙しながら前進しようとする機微も見えるように描かれているような気がして、すごく良かった。
こんなにも人の表情と間合いを、第三者的に観察できるのって、日常ではしてはいけないことだから、贅沢。(映画だから当たり前なんだろうけど)。
自身に正直に生きようともがくユリヤ
ユリヤを演じるレナーテ・レインスヴェのナチュラルな美しさと、リアルな静と動の演技に魅了された。
聡明な恋人アクセル( アンデルシェ・ダニエルセン・リー )と、パーティーで出逢ったアイヴィン( ハーバート・ノードラム )、二人の男性の間で揺れるユリヤ。
作品の中の男性が皆、保守的ではあるが家庭的で優しい。感情をぶつけるユリヤと向き合う彼らの姿がリアル。
映画館での鑑賞
わたし
ミーハー作品しかかからない109川崎にしてはロングラン上映だったので見てみる
お話自体に映画にする特殊性をかんじられなかった
主人公も「最悪」らしいのですが、そんな振る舞いにも共感、感情移入できず
だから清廉潔白であれという意味でなく
いつの世、どこの場所でも繰り返されてきたことをやってる気がしました
だから"尊いんだ馬鹿" と言われそうだけど
こういった○○系映画好きな人はスキなんでしょうけど
と、なぜ微妙かをなんとか絞り出す
女性のキャリアは北欧といえどもなかなか厳しい
一般的には、北欧でも家事、育児は女性主体で、キャリアプランが描きにくいと言う報告を読んだことがある。北欧は、女性も男性と互して働くイメージがあっただけに
驚きを覚えたが、この映画はまさにそんな北欧の女性の苦しさ、もどかしさを描いている。
やりたいことがあっても、パートナーを優先したり、そこでストレスを溜め込んだり。最後には好きな仕事につく。この直前に最初のパートナーの臨終のシーンで別れるんじゃなかったでは、陳腐な終わり方になったけど、そうでない終わり方であったところもよかった。
ミニシアターで、ほとんどが女性。男性は数えるほどだったが、こう言う映画は口コミで人が来てるんだろうなと思った。
映像、展開、音楽が素晴らしい。ただ主人公の「自分探し」にはついていけない。大人になろうね。
時間が止まったような主人公だけ動く映像【有料パンフの受け売り】古典的手法らしいのにビックリ‼️
オスロ、北欧の街の美しさ、誰でもついていける画面展開の快適さ、音楽のノリの良さ、大自然のトナカイの不思議感
ヨガの不思議感、漫画家の主張の機転も大変良い、飽きさせない大人の作品。
ただこの掲示板の「萌える、楽しい・・とか」絵文字の全てに当てはまらない不思議な作風。
基本全てが高水準。12章に分けた構成も素晴らしい、サクサク進行。
ただ30過ぎて未だに「自分探し」してる、恋人もフラフラ変える、元恋人の危篤に駆けつけない?駆けつけたが逃げてしまう
主人公には全く共感できない。
「少子化を憂うるワシとしてはとても肯定できない作品」
女性の総理大臣、社長大いに大歓迎だけれども
「お母さん」が一番「強くて、偉大」なんだよ。
屁理屈ジジイのワシも、とっくのとうに亡くなっているお袋お母さん思うと
たまらない。いまだに崇拝状態だ。今の家族が基準では無くて
全ては「死んだおふくろがこれ見たらどう思うだろう?」がジジイの行動規範。
それほど、母親は偉大なのだ。
トリッキーに大学の専攻を変える、職業も恋人もフラフラ変えるのも良い
ただ「30過ぎて自分探しも無いだろよ」と言いたくなる。
映像的には最善。素晴らしい。北欧の美しさ満喫。テンポも最高
音楽もGOOD👍。
最後の最後に恋人に裏切られる【少しネタバレ】のは因果応報。
元カレとは言え死の直前にあれほど濃厚なやり取りがあったのだから・・最後まで完璧に看取るのは当然だと思うが・・・
技術的にもテンポ的にもなかなかの秀作。
少し考えさせる後味も良い。男性と女性、キャリアハイの女性とご家庭の偉大なるお母さんでは感想が異なる作品。
ただ、「偉大なるお母さん」は子供と「アンパンマン」の鑑賞はあっても
こういう作品には費用的に来れないだろう。お母さんは偉大だから・・・
イヤ、いいと思うよ、職業を極める女性も。それはそれで・・時代は急速に変わっているから・・・。
前半のパーティシーンは最高。
自分探し大好き、普通の女の子でいたくない
主人公。
前半の勝手に侵入したパーティでの
駆け引きはなかなか楽しかった。
だが後半はちょっとモヤモヤします。
1番の理由が、2人の男性にギャップもないし
そんなに魅力を
感じられなかったから。。。
北欧の人たちが見たら、
あの男性陣はちゃんと見分けがつくのかしら。
うーん、ポスター映像のハツラツさを
期待して観たんですが、
予想を超えてくれなかった。
ある意味、あのシーンを切り取った
アートディレクターはすごくセンスが良いんだろうなぁ、、つられて観た人間の1人です。
もし暇だったら是非!
次々に飽きない映像がくるので最後まで楽しい 人生の選択肢をこんなか...
次々に飽きない映像がくるので最後まで楽しい
人生の選択肢をこんなかたちで描くなんて
物語の構成、表現方法、脚本の巧さに舌を巻く
わがままに見えるけどそう見えるか見えないかのギリギリ
俳優さんが凄いのか脚本が凄いのかもうわからないけど多分全部だと思う
人生は1度きりときには間違うし後悔もする
価値観も人それぞれ
許すこころと心を開くこと
自分探しのお年頃
共感するところとそうでないところとあったけど、章立てのストーリーで、集中して見れた。
自分の思いで突き進んでいる時は周りは止まっている、ってか見えないのね〜。
なくしてから気づくこともある。。。
最後はそうきたか。
見応えあった。
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