わたしは最悪。のレビュー・感想・評価
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本当に最悪。
怪作快作テルマからスリラー要素を抜いて成功。
異性の主人公を描くと…
赤裸々な女性の姿、ユリヤ
生きるなんて分からないことだらけ
わたし最悪。なるほど。共感する
私が最悪
昨年のアカデミー賞で『ドライブ・マイ・カー』と国際長編映画賞を競ったノルウェー映画。
主演のレナーテ・レインスヴェがカンヌ国際映画祭で女優賞を受賞、その他多くの映画賞や映画祭で絶賛。共感も必至と評判も上々で期待していたのだけれど…、
う~ん…、自分には合わなかったかな。
描かれている事は普遍的。全世界や個人個人にも通じる。
30歳を迎えたヒロイン。人生の目的が定められずにいる。
自分の人生はこれだ!…とスパッと決められる人なんてそうそう居ない筈。仕事を転々としたり、思い悩んだり、一応今の仕事や人生を歩んでいるけど、これじゃないと感じたり…。
誰にだってある。私もそうでした。それに、時折今も思っている。
ならばこのヒロインには共感必至…とはならず。何処にでもいる平凡なヒロインに見えて、なかなかクセあって、その考えや身の振り方に共感出来るか否か。
実は割りと才能に溢れているヒロイン。並大抵の事はそれなりに出来る。
故にあれもしたい、これもしたい…。当初は医学の道に進もうとするも、心理学に興味持ったり、かと思えば写真家になりたいと大学を辞めて本屋で働く。
かなりのあっちにふらふら、こっちにふらふら。
人生設計もそうなのだから、恋愛に関しても。
年上のコミック作家と付き合う。描いている作品は時々物議を呼ぶ風刺的なコメディが多いが、性格は穏やかで優しい。おそらく、仕事も含め一緒になったら安泰。実際、彼は結婚を意識している。
だけど…。今一歩、踏ん切りや決心がつかない。
そんな時とあるパーティーで、年下の魅力的な青年と出会う。
お互い急速に惹かれ合う。
年上の安定した男性か、年下の魅力的な青年か。
彼女が選んだのは…、後者。
人の色恋に良い悪いは無いし、本人が選んだ事だけど、この時ばかりはしっかりとした理性より、女性としての本能や欲が出た気がする。
絡みは激しい。こっちも求めたり、あっちも求めたり。
それで幸せを見出だしたのならいいんだけど、喧嘩もするし、何処か元カレとは違うズルズルとした関係な感じだし、いつもながらの考え。
これでいいの…?
このヒロインの言動で、本作に共感出来るか否かのポイント。
揺れに揺れ動く心情は誰の身にも置き換えられつつ、つまりそれは優柔不断。見てて結構イライラもする。
恋に仕事に人生に、迷いに迷っているが、実は結構自己チューな気もしない訳も…。
“わたしは最悪”なんて自虐的なタイトルだが、行き当たりばったりのゴーイング・マイウェイ。
そもそもこのヒロイン像に共感を求めていないかもしれない。
共感というより、突き刺さるか、否か。
突き刺さる人には突き刺さるだろう。特に女性で、同年代、似たような経験があれば。
普遍的な人生右往左往物語として作り、誰にも思い当たる設定や要素を込めているも、なかなかどうして突き刺さらない。響かない。あくまで個人的見解として。
性別や国、これまで歩んできた人生などから来るのもあるかもしれないし、単にヒロイン像や話の展開が好みじゃなかったのかもしれない。
作品的には優れていると思う。
巧みな章仕立て。
描写はリアル。
レナーテ・レインスヴェは魅力的。好演。
“陽”なロマコメの雰囲気から、“陰”をも感じさせる切なさ、悲しさ。
ヒロインの喜怒哀楽、苦悩、成長、進む道…。
秀作ドラマ。
人は時に悲観的になる。“最悪”と思う事もしばしば。
しかしそこから、自分の“最高”を見つけ出す。
あまり好みの作品じゃなかったかもしれないが、作品自体は最悪じゃない。
まだまだ人生経験が乏しい私が最悪。
ある意味、自分の無能っぷりを思い知らされる衝撃作だったのかも…??
自分の中にある妄想と重なる
北欧版『大豆田とわ子』と書いていたレビューには共感できない
『大豆田〜』と似ているのは台詞とモノローグの形式のみであって、中身全然違うと思うんですが…
ユリヤとほぼ同世代独身女性ですが、全然共感できなかったので。
子孫を残すことに私自身が全く興味がないからかもしれない…ドラッグの幻想によってその強迫観念を示したり、彼女の奔放な男性遍歴を見させられたりしても、説得力に欠けているので、殆どが「このシーン要る…?」と感じてしまった。
ただ、人生の脇役のままである・傍観者のままである、という焦燥感だけは理解できた。
18世紀の女性は35歳が平均寿命で、愛のない結婚をしてたくさん子供を産んでいた女性も多かったと聞くと、30歳にさしかかっても人生が迷子であること、子を持たないことへの彼女のこだわりやリミット感みたいなのはあるのかもと思った。
皮肉なのは、最後の彼氏、サーミ人の血が入ってた彼女とヨリ戻して、結局子どもが産まれていたことかな。子を持つことこそ「持続可能な生き方」から盛大に矛盾してると思うのですが。
まあ、人の考えは変わるし、生きるとは変わることと思うと、そんなもんかなと思った。ユリヤこそ変わりまくって生きているわけだし。
被害妄想
尊敬もするけど大っ嫌い。
30歳になって、年上の恋人との関係もまずまず、仕事については書店で働きながらまだ模索中のユリヤが、新たな若い男と出会い舞い上がる話。
タイトルが「わたしは最悪。」のように、間違いなく私はユリヤのこと最悪だと思うし嫌い。でも、自由奔放に踊ってる姿は可愛いと思うし、自分の主張をハッキリと伝えられる頭の良さは尊敬する。でも、死にかけの元恋人に自分の迷いを解消したい(と私は感じた)がために会いに行く感じ本当に嫌い。でも、パートナーの意見に流されない姿勢はかっこいい。こんな無限ループに陥った。
#Metoo以降、やたら女性の目線に寄り添ってくれる作品が多い中、今作は主人公に適度に距離を置いた「まぁ女だってこんなもんでしょ?」という姿勢が正しいなと思った。女性映画は過剰に共感して燃え上がっちゃいがちなので。
最近言われてるジェンダーとか多様性とかなんだかんだって100やろうとするから疲れる。アイヴァンの元カノが環境問題とかサスティナブルに100傾倒していくのは疲れるけど、ユリヤのように譲るところは譲って(アクセルの漫画の時代錯誤なジョークとか私は許せんな)突き通すところは突き通すのがちょうどいい。
時間が止まったり、風景を見て泣くユリヤ、ヘッドフォンをしてドラムを叩く真似をするアクセルなどなど色んな印象的なシーンはあるけど、私はアクセルがフェミニストと口論になってる様子を見てるユリヤのシーンが印象的だった。今まで自分も感じた違和感を代わりに行ってくれて清々してるようにも見えるし、話せば話すほど失言をするアクセルへの同情か、久しぶりに彼を見れたことへの嬉しさにも見える。
ユリヤのチャーミングたるや。
ノルウェーのお国柄もあるのかもしれないけど、振り返ってみると「子供」が真ん中にあったドラマだったようにも思う。だからこそ、あくまでも女性起点で描いたということなのだろう。楽しかった。
時間が止まりオスロの街中を入るユリヤのランニングフォームは力みがなく、とてもキレイだった。手足も長くカッコいい‼︎いち一般ランナーとして見惚れたしまった。
30代が一番惑った
私は仕事も恋愛も30代が一番惑っていました。だから、ユリヤの気持ちが良く分かります。
紆余曲折あり、アクセルは亡くなり、ユリヤは流産し、アイヴィンには子供が誕生した。ユリヤに関係があった人達の生と死が見事に対象的に描かれており、私を含め全ての人に当てはまる実に普遍的なテーマを扱っていました。作品のメインはここかな?と思います。
生と死は刹那。人生は不確かで不条理。
ボヤボヤするなわたし❣️
“私の映画”では無かったけれど
本作も凄く評判が良いので観たかった作品です。
何故、評判が良いのかは観終わってよく分かりました。所謂映画好きが、観終わって色々な事を語り合いたくなる様な作品だと思います。
ジャンルは30代になった女性の自分探しの作品であり、それを時代性と普遍性を見事に重ね合わせ表現した優れた作品でした。
しかし、充分に優れた作品と認めながらも“私の映画”とは思えませんでした(苦笑)
まあ基本“女性映画”ですし、描かれているのは才能も容姿もの上層の(“上の下”か“中の上”)意識の人達の物語であって、中以下の意識の私の層ではない時点で“私の映画”にはなり得ないのは仕方ないのでしょうね。
この程度で“最悪”と言ってる時点で意識高い系の人達であり、特に欧米文化的な(パーティーからの煙草・アルコール・ドラッグ・SEX)シーンが必ず入るというのも“私の映画”から引き離す要素の一つになっています。
ただ面白いと思ったのは、よくあるこの手の“女性映画”にある成長(覚醒)物語というより、諦観というかあるがままの自覚というか(まあ、これも一種の成長であり覚醒なんだけど)そちら方向の作品だったのが、ある意味新鮮で面白かったです。一つでも強烈な個人的共感があれば、もっと好きになれた作品だったと思います。
秀逸な会話劇!
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