こちらあみ子

劇場公開日:

こちらあみ子

解説・あらすじ

芥川賞作家・今村夏子が2010年に発表したデビュー小説を映画化。広島で暮らす小学5年生のあみ子。少し風変わりな彼女は、家族を優しく見守る父と、書道教室の先生でお腹に赤ちゃんがいる母、一緒に登下校してくれる兄、憧れの存在である同級生の男の子のり君ら、多くの人たちに囲まれて元気に過ごしていた。そんな彼女のあまりにも純粋で素直な行動は、周囲の人たちを否応なく変えていく。大森立嗣監督作などで助監督を務めてきた森井勇佑が長編監督デビューを果たし、あみ子の無垢な視線から見える世界をオリジナルシーンを盛り込みながら鮮やかに描き出す。主人公・あみ子役にはオーディションで選ばれた新星・大沢一菜が抜てきされ、井浦新と尾野真千子があみ子の両親を演じる。

2022年製作/104分/G/日本
配給:アークエンタテインメント
劇場公開日:2022年7月8日

スタッフ・キャスト

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(C)2022「こちらあみ子」フィルムパートナーズ

映画レビュー

5.0ハゲか兄貴か。ホクロかお母さんか。そういうことじゃ。

2024年8月7日
PCから投稿

オレは広島出身だし、舞台はなじみある呉市だから、どうしてもひいき目はあるもんだが、「この世界の片隅に」に並ぶ呉映画の代表作といっていい。

「この世界の片隅に」がオレのおばあちゃんの話であるならば、これは、オレの話であり、オレの娘の話だ。

「こちらあみ子」





しかし、まあ、情報量の多いこと。これを21日間で撮ったとのこと。ちょっとどうかしているほどにヤバい。スゴイ。原作未読だが、本作を観れば、作り手がどんなに原作を愛し、咀嚼し、腹に落とし込み、作り上げたのかが、滴るように感じる。

オレはこのあみ子を特別な子とは思えないし、ましてや発達障害だという風にも思っていない。あえて言うなら、ノリ君の苗字が分からないところぐらいか。

■見える世界

カメラは基本、「ある視点」で少し距離をとってあみ子を描写する。時にあみ子からの視点となるのは、

・サチコのホクロ
・同級生の小坊主

の2点。

お父さんの新しい奥さんになるサチコをホクロオバケというあみ子にコウタは自分のハゲをみせ、わしははげか、兄ちゃんか?と尋ねる。あみ子は兄ちゃんだと答え、コウタは「そういうことじゃ」と返し、あみ子はへたくそなスキップで「お母さん♪」と喜ぶ。

実際にサチコと生活すると、ホクロばかり見てしまうあみ子。

しかし、臨月のサチコが病院から帰ってくるのを、猛暑の中、外で待つあみ子。そのあみ子をみて、「びっしょりじゃね」とサチコはあみ子の顔、頬を手で愛おしく(一方で執拗に)汗をぬぐう。この時にあみ子から見るホクロはなぜか小さくなっている。

ここで初めてあみ子から見て、ホクロオバケではなく、お母さんになったのだろう。

しかし、実は死産という結果で、あみ子の家庭は崩れていく。(オレはこの死産の理由が、サチコの崩れようからして、ちょっとイヤな想像をしているが、ここでははっきりと描かれていない)

もう一点、同級生の小坊主との会話。小坊主のある言葉を境に、風向きが変わる。(本当にカーテンの揺らぎが変わる!)そこから小坊主はあみ子からの視点となる。

子供は残酷だとか、無垢だとか、発育障害だとか、親からして、人間からして、そういうことではなく、向き合うきっかけは誰にだって必要だ。

この2点はあみ子の視点。そして大体を占める「ある視点」だが、これはラストとエンドクレジットでわかる。

「おーい、水はまだ冷たいじゃろ」と問いかける声は、エンドクレジットでトランシーバーが横に書かれた監督、いや監督だけでなく、オレらの声なのだ。

「大丈夫じゃ」と答えるあみ子。

「ある視点」とは監督のこの作品への誠実さの表れであり、またオレらの誠実なまなざしでなければいけない。

■予兆

落ちてこないミカンは、その後の誕生日の食事の悲しい出来事の予兆。

とうもろこしのビシャビシャは破水の予兆。

テレビで流れる「フランケンシュタイン」は「ミツバチのささやき」のオマージュと、そこから聞こえる悲鳴は、病院にいるサチコの悲鳴。

保健室でのチャイムの音の音程がズレるのは、その後の悲しい出来事の予兆。

玄関のすりガラスは不安を感じさせ、玄関からところどころ物語が展開する。

■お気に入り

あみ子が霊の音を感じ始めるところはちょっと「エクソシスト」を思い出し、家の階段もちょっと「エクソシスト」を感じさせるんだよね。だけどそれはホラー的な見せ方ではなくって、あくまで作り手が映画好きってことだろう。(サチコの伏せた髪はさすがに貞子ではないだろう)

ノリ君の腹キックを不謹慎に笑ってしまったり、保健室の先生役播田美保が妙に怪演で笑ってしまった。

追記

ちょいちょい挟む小動物

「僕らはみんな生きている」

そういうことじゃ。

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しんざん

4.0文字から映像へ、あみ子のしあわせな跳躍

2022年7月19日
iPhoneアプリから投稿

 たまたま、まわりの人たちと原作本を回し読みししており、「そういえばこの本、映画になるらしいよ」と話題にしていた。イメージどおりの女の子のちらしや予告を目にして「わー、楽しみ!」と盛り上がりながらも、「いったい、どんな映画になっているんだろう…という不安というか、怖いもの見たさのような気持ちも、むくむくと膨らんでいた。
 小学5年生のあみ子は、(傍目からは)自由気ままに生き、枠からはみ出しまくっている。同級生・のりくんを好きでたまらないあみ子が、こっそりと「赤い部屋(母の書道教室)」を覗き見ているように、読者もこっそりと、あみ子の真っ直ぐではちゃめちゃな言動を覗き見ている…気持ちになる。(ぼとぼとと汗がしたたり落ちるシーンでは、読み手の立場を忘れて「見つかった!」と叫びそうになった。)でも、映画はそうはいかない。暗闇の中とはいえ、無数の見知らぬ人たちと時間と場所を共有し、あみ子の物語を追うことになる。想像すると、自分が覗き見されているようで、何ともむずがゆい気持ちになった。
 さて、本編。早速あみ子は、スクリーンの端から端をめいっぱい動き回る。教室が並ぶ校舎や川沿いの通学路を遠景で捉えた、ヨコ移動の繰り返しが印象的だ。粒のように小さくても、あみ子の生き生きした存在感は群を抜いている。「とても見ちゃおれない」と思っていた覗き見のシーンも、のりくんへの2度の告白も、不思議な明るさと力強さに満ちていて、文字から映像が立ち上がる瞬間を存分に味わえた。のぞき穴に閉じ込められていたあみ子が、スクリーンという広い活躍の場を与えられたのは、大正解・大成功だったのだ。
「弟」の誕生を控えた10歳の誕生日をピークに、あみ子の家はゆっくりと壊れていく。母は(ホラー映画さながらに)乱れた髪をテーブルに投げ出して反応しなくなり、兄はライオンのような髪をなびかせながらバイクで轟音を撒き散らす。そして成すすべのない父は、その日暮らしがやっととなる。けれども、あみ子の中では、彼らは何も変わっていない。(自分にきょうだいがいないからかもしれないが、)特に兄との関わりには、心打たれるものがあった。ベランダからの「霊の音」に日々悩まされ、追い詰められるあみ子を唐突に救ったのは、幼いころにグミの実を跳び上がって取ってくれた兄。(絶妙なコントロール!)幼いあみ子の好物を書き留めていた母も、あみ子との生活をつなぎ止めてくれた父も、それぞれにあみ子と繋がっている。
 冒頭と同様に、画面いっぱいの道をひとりで歩いてきたあみ子は、広々とした海に出る。そして「あるもの」たちに大きく手を振る。映画ならではのラストと、エンドロールに寄り添う音楽の余韻が、じんわりと心にしみた。
 帰り道、「えー、何かわかんなかった!」と小5男子は頭を抱えていたが、「好きやー」「殺す!」、「好きやー」「殺す!」の告白シーンの再現は、やたら面白がっていた。自分も、何かにあれほど情熱を傾けてみたい。そしてもし、子がそんな告白を誰かにしたら/されたら、本当にうらやましい、と心から思う。

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cma

3.0側転のシーンはまるで奇跡。

2022年7月30日
PCから投稿
ネタバレ! クリックして本文を読む
コメントする 1件)
共感した! 5件)
村山章

3.5心が痛くなる

2025年4月26日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

まだ観ていないが、最近公開された綾瀬はるか主演のルート29という映画に興味があり、その監督の初期作品という事で、レンタルDVDで鑑賞しました。
主演の子役は、ルート29にも出演していた大沢一菜という子らしいのですが、女子だか男子だか判らない独特な外見と、どんな波乱にも一切動じない無頓着さ、言い換えれば最強の鈍感力を表現し切った演技に驚かされました。
あみ子の人格の設定が、ADHDの様な病理的な原因によるものなのか、単に天真爛漫なだけなのかは判りませんが、他人の機微にも無頓着だし、自分が酷い仕打ちをされても無頓着だし、悪意はないにしても、周りの「常識的な」人達がことごとく影響を受けて人生を破綻させていくにも関わらず、本人はそれでも飄々として我が道を突き進む姿勢に、複雑な気持ちになりました。
ピュアすぎる故に、周囲に理解されず取り残されてしまっている可哀想な存在なのか、それとも無邪気過ぎる言動故に周囲を不幸にしている悪魔的な存在なのか、理解に苦しみました。
こちらあみ子という風変わりな題名も、作中に登場するデバイスから取られていたのだと判りましたが、劇中では結局これが通信成立する場面はなかったし、終盤では片方を紛失してもはや一方通行でしか存在し得なくなった状態になっても尚これは捨てきれず、逆に本来は家族の思い出が詰まっているはずの別デバイスは、執拗に捨てようとする場面は、いつまでも周囲に理解されず、一方的な送信のみで終わってしまっている人間関係と、一番大切にしたかったものが何なのかを物語っている様に感じました。
最後まで感情を露わにしない父親にも、優しいのか冷たいのかよく判らない不気味さを感じるし、本当は優しいはずの兄も義母も、本音が見えないし、そんな無関心な周囲に囲まれて健気に生きているあみ子が不憫に感じました。
あの世からの誘いも毅然と跳ね除け、毅然と生きていく超鈍感な姿勢に、生物としての根源的な強さを感じました。
最後に声をかけてくれた人が誰なのかは判りませんが、救われれば良いなという一抹の清涼感を感じました。

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だるちゃ