MINAMATA ミナマタのレビュー・感想・評価
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美しい映画
どう考えても重い内容だと思ったので観るのに勇気がいった。こういう社会派の映画は、なぜ娯楽で深刻な気持ちにならなければならないのか…、とひとしきり葛藤してから観ることになる。しかしこの映画は大変な名作である。観て良かった。
学校の社会の教科書の「公害病」のページは開くのも嫌だった。白黒の写真が悲惨さをより際立たせており、とにかく怖いイメージで…。しかしそれらの写真が有名な写真家である外国人の手によるものだとははじめて知った。
この映画は単なるノンフィクションではなく、ストーリーもドラマチックで面白い。主人公の外国人カメラマン(ユージン・スミス)は、かつては名声をはせていたが、今は借金まみれのドランカーにおちぶれている。ありがちな設定(パッと思いつくのだと「バードマン」に似てる…)なので少し事実を誇張しているところもあるのかな。天才肌だけど家庭を顧みず、常識や人の気持ちを無視する、でも実は人情味に厚い…、というのもステレオタイプではあるけども、演技がばつぐんに良いので気にならない。
映像も美しい。悲惨な映像が多かったらしんどいだろうな、と思ったが、高度経済成長期のころのひなびた寒村(といったら失礼なのか?)の雰囲気、光や水面、空気感が非常に美しいと思った。写真をテーマにした映画だけに、映像美にはこだわったのだろうか。
美しい、といえば、今まで水俣病の写真は怖い、悲惨、というイメージが強かったが、「撮る」視点からとらえてみると、「美しい」という気持ちで撮ったのだと気づいた。
あの有名な写真、「入浴する智子と母」を撮るシーンがこの映画のクライマックスだが、今更ながら、「あっ」と気づいた。この構図は、ミケランジェロの「ピエタ」そっくりだ。母親の聖母のような表情で気づいた。妊娠中に摂取した有機水銀は胎児が吸収することで、母体を守る。水俣病の娘はまるで人類の罪を代わりに引き受けて死んだキリストにも重なって見える。
ところで、テレビや新聞がやたら政府を批判ばかりしていることに辟易とすることが多いのだが、過去にこうした公害事件があったことを考えれば、今のメディアが基本姿勢として政府を批判したがるのは無理からぬことなのかな…、などとも思った(もちろん批判にも質があり、批判のための批判であってはならないが)。逆に今の若年層は政府を信頼しすぎなような気もする。
チッソ社長の「ppm」の論理は面白かった。
ppmとは百万分の一の濃度のことで、これくらい薄い濃度だったらその辺のもの(コーラの中)にも含まれているだろうし、それはゼロとみなしていいのだ。また、ごく一部の人間に水俣病が発症していても、それは少ないがゆえにppm、つまりゼロとみなしていいのだ。チッソは肥料をはじめ多くの人間に役立つ化学製品を作り出しており、この地域の雇用も生み出している。わずかな病人のために工場を止めれば、それらを失うことになる。
そのような話だった。もちろんこれは欺瞞である。ユージンが来日したころのチッソは浄化装置を導入した後だから、そのときの廃液には確かに有機水銀は含まれていなかったかもしれないが、それ以前に垂れ流した分がチャラになることはないし、仮に百万人に1人というわずかな割合で水俣病が発症したとしても、「因果関係がはっきりしている」のであれば、それは確実にチッソの過失であり、ゼロということにはならないはずだ。後半の話はいわゆる「トロッコ問題」に見せかけているが、これも欺瞞だ。
「ppm」の論理が面白い、と感じたのは、この話は最近の環境汚染問題を想起させるからだ。この映画がそこまで狙ったのか、単なる偶然かは分からない。
まず1つ目は、福島の原発処理水(トリチウム水)問題である。トリチウム水は安全なレベルまで十分薄めれば問題ない、ということになっていて(そもそもトリチウムは体内に入ってもすみやかに排出される、とされている)、実際に世界中の原発ではそのようにしている。しかし、どこまで薄めても放射性物質である、という理由でそれを危険視する見方がある。
2つ目は、子宮頸がんワクチンによる重篤な副作用の可能性についてである。重篤な副作用とは、手足のしびれ、記憶障害などで、これが発生する確率は一万分のいくつか(あるいはそれ以下)という程度で、今のところ因果関係ははっきりしていない。統計的にはそういったまれに発生する重篤な副作用は、ワクチンのせいとはいえない、つまりゼロとみなせる、ということになる。それよりはワクチンによって助かる命の方がはるかに多いので、ワクチンは打つべきだ、というのが今の流れである。
こういった科学的な判断が必要なことについては、感情論や印象で結論を出すのではなく、科学的な根拠に基づいて議論をすべきだと考えているが、この映画から、客観的には無理筋なような話でも、当事者や被害者の視点に立ってみなければ分からないことがあるのでは、ということを考えさせられた。
理不尽には闘うべき
私が水俣病を深く知ったのは中一の時、友人が夏休みの自由研究に取り上げていた痛ましい公害病…
50年以上前の高度成長期の日本において、熊本と鹿児島の県境にある不知火海に起こった公害病…当時の映像も組み込まれておりリアルに怒りと哀しみが胸を打ちます。
真実を収めるphotoには偽りは全くない
被写体の瞳が全てを物語る
撮る側も精神を持っていかれる
現像時にさえもphotoに自身の想いを注入する
ラストの母娘の生命力のあるphotoに、水俣病の現実と人間の愚かさと親の愛情が溢れていた…
ライフ誌に掲載された命を懸けた一枚のphotoは水俣病訴訟を動かす…
ユージン スミスさんに(外国の世論に弱い日本において)どれだけの勇気を貰った事でしょう…
「勇気を貰う」
理不尽な思いをしたら声に出し相談し仲間を作り勇気を貰って立ち向かう私でありたい。
現代の日本人全員が観るべき映画
私は、現在18歳の高校生です。
正直、水俣病のことは小学校の授業で少し習った程度で、自分が生まれる何十年も前のことだったので自分には関係のない遠い昔の出来事ぐらいの認識でした。
でも違った。水俣病に苦しんでいる人は今でも沢山いて、そしてこのような公害は世界中のいつどこでも起こり得る出来事だった。
そして今、私たちが当たり前のように新鮮な食物や安全な水が飲めるのは、間違いなく水俣病含め公害に対して戦ってきてくれた人達がいたから。
公害の原因を作ったのは人間ですが、それを止めてくれたのも人間。もし当時の人達が戦うことを放棄し、泣き寝入りするような状態だったら被害はもっと拡大していたでしょう。それこそ、現代を生きる私たちも当事者になっていたかもしれない。
だから、あの時諦めずに戦ってくれた人には感謝しかありません。
ですが、今が平和だからといって必ずしも公害が起こらないとは限らない。
地球温暖化のようにゆっくり着実に来る公害もあれば、福島第一原発事故のように突然来る公害だってある。
私たちは、私は、きっといつか必ずそれらの当事者になる。その時、はたして水俣病に立ち向かった人々のように戦うことができるのか?いや、本来ならば今すぐにでも立ち上がって公害が起こらないように戦うべきなのでは?
最近よく耳にする持続可能な社会という言葉。ずっとこの言葉を聞いては偉い人が何とかしてくれるだろうと他人任せにし、環境問題についてのニュースを見てもどこか他人事だった。
でもきっとそれじゃダメなんだ。水俣病に立ち向かった人達のように、これから先の未来を生きる自分が、そしてこれから生まれてくる新しい命が笑顔で暮らせるように行動しないといけない。
そこに関係のない人なんかこの世のどこにもいなくて、誰もが加害者であり同時に被害者で。
上手く言葉にできませんが、今のこの世界の問題から決して目を背けてはいけない。そう思わせてくれる映画でした。
特に最後のエンドロールで流れる世界中で起きた公害の写真がその思いを強めてくれました。
私が知らないだけでこんなに多くの公害が起きて来ていて、そしてきっと今もどこかで苦しんでいる人がいると思うと心がとても痛みました。
公害はもはやその国の問題だけじゃない。世界の問題で、国とか人種とか関係なくその問題にみんなで立ち向かって助け合えるような社会。それこそが本当の意味での持続可能な社会なのかなとふと思いました。
勿論そんな簡単なことではないということはわかっています。でも、簡単じゃないから、限りなく不可能だからと言って何もしなければ本当に不可能になってしまう。
一人一人の力がどれだけちっぽけでも、行動しなきゃ何も始まらない。そんなメッセージも感じられた映画でした。
心に焼き付く入浴の写真
女性の子守唄ではじまるシーンが印象的でした。後半でそれがあのようにつながるとは。
小屋に火をつけられたり、大ケガをさせられたり、本当に大変な目にあったユージン・スミス。
外国から来た人に写真を撮られたくないと感じた人も多かったのだと思います。
あれらの写真が撮れたのは、やはりアイリーンの仲立ちがあったからでしょう。
アキコちゃんと一時間お留守番をするシーンも心に残りました。
あの入浴の写真は忘れられません。
ジョニー・デップがこの映画を作ってくれて本当によかったと思います。
最後の一枚
最後の一枚の美しさがただただ印象に残る。
美しいというと語弊があるかもしれないが、本当に美しく感じたのだ。
公害によって痛ましい姿になり、介助がないと生きていけない体になってもその一枚の写真から感じるのはそれらを全て超えた普遍的な親子の愛だった。
映画はこのラスト一枚に向けてドラマチックに構成されている。
水俣病患者とその家族の苦しみ、ジャーナリストとしての苦悩、企業の妨害それらを乗り越えて撮影されたあの一枚だからこそあんなに感動できるのだろう。
正直な話水俣病は義務教育で習った「歴史上の出来事」といったイメージだった。
しかし、この映画がきっかけで調べてみると現在でも水俣病関連の裁判や水俣病と認定されるかどうか、患者家族の生活の困窮など水俣病という公害はまだ終わっていない事を知った。
そういう問題提起の映画として偉大な役割をこの映画は果たしたとおもう。
が、やはり一部には脚色もあったようで写真の現像をしていた小屋が燃やされるなんてことは無かったらしい。
後、アイリーンとは水俣で愛を育んだように描かれていたが、実際は結婚してから水俣にきたらしい。
ユージンスミスが暴行を受けたのも水俣ではなく千葉県五井の工場だったらしい。
このように脚色されているということも念頭に置いておく必要があると思った。
なぜ水俣でロケが出来なかったのか?ただそれだけが残念
かれこれ35年水俣の甘夏を買い続け支援してたので非常に楽しみにしてました
ドキュメンタリー映画ではないとは言え水俣の美しい海や山の風景がまったくないのには残念でしたが、俳優の演技は素晴らしく、内容も水俣のことがわかりやすく表現されており多くの人に観て欲しいと素直に思いました
追記
冒頭で「史実に基づくものである」と大きく画面に表示されて始まり
現存するチッソ株式会社の法人の実名や固有のロゴを登場させて
あたかもドキュメント風に映画を作ったまでは良かったにしても
事実に反した完全な大きなフィクション(創作)が2つあり
一つはユージンがチッソ工場内に入って社長から金を出された事実はない
もう一つは作業場が放火にあった事実もないということ
これは観た人なら解かるはずですが大きな映画のポイントになっていて、いうなればプロパガンダ的な演出と言われても仕方ないと思われます
ロケ地についてもすべて海外と言う中途半端なものになってます
せめて冒頭で「史実に基づく事件ではあるが、内容についてはフィクションである」とでもしてけば娯楽映画として楽しめたのに残念である
歴史を噛む
水俣病は、歴史の授業内で何度も聞き、その度にどのような症状が出るのかということは学んできました。ただ、深いところまでは学んでいなかったので、今作はとてもタメになりました。
今作の主人公ユージン・スミスは1人のカメラマンですが、酒に溺れ、かつて所属していたライフ社とも揉めており、死を考えるほどになっていました。現実のジョニー・デップもここまでとは言いませんがゴタゴタしているので、かなりリンクしていてナイス配役だなと思いました。
今作はなんと言っても、病と同じくらい病に苦しんだ人やその家族について強く描いています。特にユージンかま撮影した写真、風呂場で母親と娘がもつれ合っている写真、観賞後に実際の写真を確認しましたが、衝撃的なものでした。他にも目が左右に寄れている子供や、指の関節がままならない人など、見ていて辛い、けど背いてはいけない現実を目の当たりにしました。
ユージンも最初は水俣や土地についても無関心でしたが、段々と人の優しさに触れ、協力的になっていくのも、ユージンが元々持っていた優しさと辛抱強さが垣間見える瞬間でした。
訴訟も無事に勝訴し、一件落着とは思いましたが、エンドロールで流れた根本的な金銭問題などはまだ解決していないということです。安倍元総理の発言もピックアップされ、65年続いてもなお、闘いの歴史は続いているということを痛感しました。
とても難しい内容のはずですが、そこまで気負いする事なく観れました。日本のことなのにまだ分かっていないことも多い、色々と調べてみようと思いました。
鑑賞日 9/26
鑑賞時間 13:55〜16:00
座席 G-2
晩年の写真家の眼を通して
写真家ユージン、晩年の彼を通して見る水俣。
年老い堕落した彼と情熱をもつ女性そして水俣に住み苦しみながら生きる人々との触れ合いを通して、もう一度写真家として戦いに身を投じようとする彼の姿に共感を覚えました。
何かを伝え変えようとする人々、そこで平穏に暮らしたい人々、そして接することを遠ざける人や家族、いろいろな思いを体験することで、弱く脆いけど何かに突き動かされる彼の姿がとても人間らしく捉えられてると思いました。
また彼が写真について語る「撮られる側もそうだけど、撮る側も魂を削る…」という言葉に写真家としての自負が垣間見えるシーンが好きです。
最後にデップのユージーンの似せ方はやはり凄いなって思いました。
舐められていますね
ジョニー・デップと美波の熱演に、不覚にも涙を流しながら見てしまったが、真田広之が演じる住民運動のリーダーの子供が白人だったのに少し興ざめ。事情によるのだろうけど、ロケ地も日本じゃなくて、違和感だらけ。
「史実に基づく」とはあったけど、日本の「水俣病」とはあんまり関係ないお話だな。
秀作でもなければ凡作でもない。せいぜい佳作といったところか?
仕事にも家庭にも行き詰まった有名な写真家ユージン・スミスが再び再生する物語だ。アルコールが手放せない主人公が、再び写真に情熱を取り戻す肝心な場面が良く描かれていない。水俣病患者の若者に写真の手ほどきをすることで意欲を取り戻すみたいだが、そこをもっと描がいて欲しかった。
チッソ会社の社長を演ずる國村隼が、口には出せない苦悩を出して、好感が持てた。
スミス渾身の1枚の写真は、イエス・キリストを抱く聖母マリアのアングルを使っている。
キリスト教徒にとっては、衝撃の写真だ。
抑えた演出、抑えた演技、抑えた音楽が静かに胸を打つ
当時すでに落ちぶれていたとはいえ米国の一流の写真家が日本で水俣の写真を撮り世界へ伝えた、それを半世紀のちの今、ジョニー・デップが制作主演して映画化した。
それだけで観る価値がある。必見。
敢えて情報入れずに鑑賞。
音楽素晴らしいと思ったら坂本龍一さんでした。
美波さん、とても魅力的な女優さんでした。
國村さんが演じたチッソの社長を単なる憎まれ役として描いておらず作品を奥深いものとしていたと思います。
「写真は撮る方も魂を取られてしまう、覚悟して撮れ」
観る方も覚悟が要る映画のひとつでしょう。
まあまあの映画
今の時代、エコは当たり前だけど、この映画に描かれている1970年代なんて、日本の空はもっと霞がかって、川や海なんてもっと汚かった。新作ゴジラのライバル怪獣は、"ヘドラ"なんて名前だし…。学校では、お昼頃になると"光化学スモッグ警報"なんてのがちょくちょく発令され、"みんな大好き"体育の授業は中止になり休憩時間も校庭には出れず、大ブーイング…(まぁ、僕はその方が良かったけど笑)。
そんな時代、水俣病やイタイイタイ病、サリドマイドの薬剤被害とかの記録映画なんかを授業中に見せられる…もちろん広島や長崎の映像も…。
子どもながら、そのショッキングな映像の連続に胸を痛めたし恐怖した…「こんな事が起こるのだ」と。そして「この世には"悪い"大人がいるのだ」ということも改めて知る。
で、この作品…。
ユージン・スミスの名前は知らなかったけど、あの"母親が娘を抱っこして入浴させる"写真は知っている。
"5時間かけて娘に食事をさせている"というエピソードがちらっと語られたけど、全身の筋緊張が強く、頭が後ろへ伸びきった状態では、むせて仕方がなかっただろう…舌や口の動きも良いようには思えないし…。
そんな家族や患者自身の苦悩が今ひとつ描き切れていなかったように思えた…映像から伝わってきたのは、単にアジテーションの激しさ…声を荒げた訴えをいくらしても、柄が悪いだけにしか映らなかった。
あと、主人公を演じるジョニー・デップは熱演だったけど、なんか酒を口にするシーンばっかりで、カメラマン以上に"酔っ払い"という印象。
あの入浴シーンを撮影する事になった場面も、最初は撮影に対して拒否的であった"アキコの家族"が、ユージンに撮影を許可する心理的な変化とかをもっと丁寧に描いて欲しかった。
作品のテーマは良いのに、なんか残念な仕上がりだなと思った。
*ユージンがアキコの子守りを任され、抱っこしながらボブ・ディランの"Foever Young"を歌う場面はちょっとウルッと来ました(笑)…ディランが自分の子への思いを歌にしたらしい。
*水俣病云々よりも、写真家としてのユージン・スミスという人間に興味がある人の方が、この作品をより楽しめるのではと思いました。
水俣病の事を知れる良い映画だった。 ジョニーデップと國村隼が出てる...
水俣病の事を知れる良い映画だった。
ジョニーデップと國村隼が出てるのは鑑賞前から知っていたが、真田広之と浅野忠信が出演していて驚いた。
アメリカの写真家視点ではあるが、当時の被害者、家族、関係者の怒りが伝わってくる作りだ。観ていて胸が熱くなった。
智子さんに関する話は非常に悲しかった。調べたら21歳で永眠している。智子さんは食事に5時間掛かるし、生まれた時から目が見えず、話すことも出来なかった。それでもご両親は精一杯育てた。
ジョニーデップ演じる写真家ユージンは後に「入浴する智子と母」を撮影するが、元々は撮影を断られていたのだから、ご両親のチッソと戦う決意なのか、公にしたいのか、ユージンの活動を評価し信頼したからのか、よく分からないけれど、この写真が後世に残るのは非常に価値があると思った。
チッソとは長い戦いだった。とっくに病気の症状が明るみになっているのに、全く責任を取らないような態度は、とてもまともな人間には思えなかった。判決が下るまで傍観だったのだろうか。多くの人が犠牲になった。
ユージンが初めてマツムラ家に行って、出された食事に手を付けようとしなかったのは、刺身(生魚)を食べる文化が無いのか、水俣病が怖いのか、どっちだったんだろう?
マツムラとなってるけど、正確には上村なのでしょうね。智子さんは上村なので。
よく分からなかったのはアイリーンがユージンに恋した理由だ。いきなりキスして、あれ?っと思った。内面は端折られているので分からない。
智子さんは演技だったのか?リアル過ぎた。
チッソの附属病院患者にもガリガリな人がいて、あれもリアルなのか?
悲しい映画だ。裁判に勝ち真田広之演じるヤマザキが勝訴の文字を掲げても、胸が晴れると言う訳でもなかった。
とにかく悲しい映画だ。
愛は、何処にあって、どんな形に見えても、常に美しい。
2013年の首相発言、来るか?と予想してたら、来た。じゃ2018年国会の政府見解は?と思ってたら、来なかった。この時点で、感動が全部吹っ飛ぶ訳ですが。まぁ、邦画じゃないし。海外製作陣に情報提供したのが、どんな人達かも判る訳ですし。製作側に悪意はないだろ。と気を取り直して感想文。
ジョニー・デップとビル・ナイと言う豪華な取り合わせで、まずは満足感が上がります。特にビル・ナイが言葉を荒げる演技なんて、最近では超貴重やないでしょうか。ジョニデに至っては生涯代表作って言ってしまっても良いくらいに、持ち味出しつつの素晴らしさ。
二つ並べられた寝床を引き離したアイリーンが、自らもカメラを手に取り、ジーンに教えを乞ううちに、心を惹かれて行く描写が好き。
と。世捨てに走っているジーンの無作法を、顔と「ジーン」の一言で諌めるカカア天下は、絶妙なアクセント。美波さん、最高でした。
しかし加瀬亮。髪を伸ばしたら、誰だか分かんねー!
明子と母親の入浴にレンズを向けたジーン
極めてシンプルな描写です。母親と明子にポーズを付けるアイリーン。それを眺めるジーンの、10秒足らずの沈黙は、ジーンの胸中に去来する凡ゆる想いが、静かに音も無く消え去って行く時間。
写真を撮る時、何かが奪われて行くのだと、ジーンは言った。
あの時、ジーンは過去の悪夢と引き換えに、今ここにある確かな愛を、ファインダーに捉えて呟きます。
Beautiful...
もうね。ここが涙腺決壊箇所。問答無用の破壊力だす。今年一番ヤバかったです。
良かった。とっても。
感動ぶっ壊しの蛇足もあったけどw
よかった
カメラや写真が重要なテーマとして物語の中心に描かれていてすごくいい。現像の手作業の場面もいい。しかし、現像などしていないで、フィルムの状態で撮った先からアメリカに送っていた方がよかったのではないだろうか。
『テムジンカンパニー』を最近見たので、同じテーマでも表現が全然違って面白い。ジョニーデップはつまらない映画が多かったのであまり期待していなかっただけど、とてもよかった。
【忘れ去られつつある、近代日本の負の遺産をテーマにしたこの作品が、シネコンで上映される意義は大きい。エンドロールで流れる恐ろしい事実に、私達が出来る事は何かを問いかけてくる作品でもある。】
ー 近代日本の負の遺産。それは、今作で取り上げられた水俣病だけではなく、ジョニー・デップが演じたユージン・スミスが経験した苛烈な沖縄戦や、福島第一原発事故など多数ある。
エンドロールでも流れた、現在でも世界各地で起きている環境破壊を憂い、未来の地球の行く末を案じ、この作品を制作したジョニー・デップには、謝意と敬意を表します。ー
・だが、この作品はアメリカでは未だに未公開である。ジョニー・デップのDV疑惑が理由だそうである。一日も早い公開を祈念する。
DVは到底許されるものではないが、この作品が世界に発信するメッセージは、崇高且つ重要なモノだと思うからである。
・ユージン・スミスが、アイリーン(美波)に無理やり、NYから水俣に連れて来られるシーンや、彼とライフ誌との関係性の描き方は、ハッキリ言って粗い。
だが、ライフ誌の編集長を演じるビル・ナイとジョニー・デップの会話などから、推察出来る。
・ユージン・スミスが、アイリーンに頭が上がらない数シーンは少しオカシイ。
水俣の貧しい家(浅野忠信)が一生懸命に出してくれた食事に手を伸ばさないユージンに対し、アイリーンが一睨みすると”ア、オナカガヘッテキマシタ・・”
□チッソの社長を演じた國村隼(良く、引き受けたなあ・・。だって、あの役はやりたくないでしょう。役者の気骨を感じたし、立派であると思う。ジョニー・デップに決して負けていない、悩める社長を演じる姿にも。)とジョニー・デップの高所でのツーショットの駆け引きは、見応えがあった。
・水俣病に苦しみながらも、認定を受けられない男を演じた加瀬亮や、リーダー役を演じた真田広之の演技も見事であったと思う。
ー 特に、団交シーンの加瀬亮の迫力、目力は、凄かった。ー
<政府は、水俣病については、和解金を支払ったという事で、安倍首相の時代にケリがついたと思っている。
だが、現在でも水俣病に苦しんでいる方々は、多数いる。
今作でも描かれているような、見えざる差別や偏見。
最も恐ろしかったのは、現在も世界各地で発生している、エンドロールで流れた余りにも多い、「人為的な事件」の数々である。
だからこそ、現在でも世界各地で起きている環境破壊を憂い、未来の地球の行く末を案じるが故に、このエンタメ性の薄い作品を制作し、主演したジョニー・デップには、謝意と敬意を表するのである。>
より多くの人に観てほしい
実在したカメラマンのユージンとアイリーン、そして未だに水俣病に苦しむ人々にスポットを当て、日本政府と企業を訴え続ける実話物語。
エンディングでも触れていたが、水俣病に限らず、世界中の公害が出てきました。
それを見て決して他人事ではないと思いました。
もしかしたら、一歩間違えるとあなたも被害者の一人になるかもしれない。
そんなメッセージを強く感じました。
水俣病に苦しむ方も出演者になり、犠牲を払ってでもの姿に涙が出そうになりました。
ユージンの「写真は撮られる者だけでなく、撮る者の魂すら奪う。だから、本気で撮れ」の言葉が印象に残りました。
その最高傑作の写真を脳裏に焼き付けてほしい。
未解決の公害も多く、明日は我が身だと思うようになりました。
65年目の水俣病
2020年ベルリン国際映画祭で特別招待作として、ワールドプレミアムで上映され好評を得た。今年は、水俣病が公害として公式に確認されてから65年目となる。いまだに患者として認定されていない患者も居り、患者の苦しみが無くなったわけでも、問題が解決したわけでもない。
ストーリーは
ユージン スミスは第2次世界大戦で戦場カメラマンとして活躍し、雑誌ライフで作品が取り上げられ、高く評価されていた。26歳で、サイパン、硫黄島に派遣され、沖縄で日本軍の砲撃にあい重症を負った。このときの後遺症で、激しい頭痛と、固形物を咀嚼できない障害に一生苦しめられ、それがアルコール中毒の遠因となる。
1970年、51歳のユージンは、雑誌ライフ専属のカメラマンとして籍を置いていたが、わがままで酒びたりな為に、編集長の意向に合わず、衝突ばかり繰り返していた。ニューヨーク、マンハッタンに自分の仕事場をもっていたが、ある日そこに、日本の富士フイルムからコマーシャルを撮影する仕事を依頼され、通訳として同行してきたアイリーンと出会う。このときアイリーンは、20歳でカルフォルニアのスタッフォード大学の学生だった。母は日本人で父親はアメリカ人、11歳まで東京で育ったので日本語が流暢だった。初めて会ったばかりなのに、人嫌いで偏屈だったユージンはアイリーンに、これから自分のためにアシスタントになって欲しいと申し出る。そしてアイリーンもそのまま大学を中退し、二人はそのまま同棲する。アイリーンの勧めにより、ユージンは、公害病の水俣病に関心をもち、雑誌ライフの編集長に、会社から水俣に派遣してもらうように交渉するが、断られ、ユージンとアイリーンは自分達の意志で水俣に飛ぶ。
ユージンとアイリーンが水俣で見たものは、水銀中毒による悲惨な患者たちの姿だった。理解ある患者家族の世話で、小屋を借り仕事場ができた。しかしその家族からも、胎児性水俣病のために生まれつき重症の脳性麻痺患者の姿を撮影することを拒否される。人々はアメリカから来た有名なカメラマンがカメラを向けると、顔をそむける。やけになってユージンはアルコールをあおり、自分のカメラを四肢麻痺のあるシゲルにやってしまう。怒ったアイリーンは患者たちからカメラを寄付してもらって、患者たちと日本窒素との団体交渉の様子などをユージンに撮影させる。また患者でカメラマンの活動家の力を借り、窒素病院に潜入して患者の姿や秘密にされていた資料などを撮影する。水俣病患者と日本窒素との争いは、窒素の株主総会に患者団体と窒素の雇った警備員や暴力団とが衝突するなど、日本中に知られるようになった。時に、1972年ストックホルムで国連環境会議に、水俣病患者代表団が送られることになり、雑誌ライフの編集長は、ユージンに写真とストーリーを送れ、と檄を飛ばす。
はじめのころ、日本窒素社長は、ユージンを呼びつけて、50万ドルの札束を渡して母国に帰れ、という。この忠告にユージンが応じないでいると、次にユージンが写真を撮りネガを感光する仕事小屋を放火させた。自分が撮影した作品がすべて焼け落ちて、ユージンはまたアルコールを浴びるが、患者たちがこれを機会に、自分たちの大事な肉親が水俣病で苦しんでいる姿を撮影しても良い、という許可を与える。これによってユージンは救われる。しかし、1972年1月、患者交渉団とともに200人の窒素社員の強制排除にあい、カメラを壊された上、脊椎骨折、片目失明の重症を負わされる。ユージンは、負傷による後遺症に悩まされながら患者たちと交流を重ね、ライフにも写真を載せてもらいカメラマンとして再び脚光を浴びる。1974年10月、3年間暮らした水俣を後にして、ユージンはニューヨークで、写真集「MINAMATA」を出版する。
というおはなし。
映画が始まったとたんに、「音」に感動する。坂本龍一の音楽がとても良い。ニューヨークの仕事場でカメラマンとして、乗りに乗って仕事している暗室のユージンに、デイープなロックが腹に響く。しびれる。
胎児性水俣病で体を曲げることも、言葉を発することもできない娘の世話を頼まれて、逃げ出したい気持ちを抑えて、彼女を抱きながらジョニーデップが、「フォーエバーヤング」を調子外れに歌う。生まれてきた子に幸あれ、恵あれ、という歌詞のボブ デイランの歌だ。ジョニーの声に後追いでこの曲が流れる。音楽が映像につながっている。人から人へと生活の中でつながっていく。音の使い方が秀逸だ。
印象的なシーンがいくつかある。アイリーンが、「写真の撮り方を教えて」という。ユージンは急に冷酷な顔になって、「アメリカンインデアンはむかし写真を撮られると魂を抜きとられると信じて写真を撮らせてくれなかった。しかし’魂を取られるのはカメラマンの方なんだぞ。写真をとるということは魂と引き換えに撮る覚悟がないと、撮れないんだぞ。」と言う。
また後になって、患者交渉団に対して日本窒素の警備員や暴力団が患者に襲い掛かって一方的に危害を与える姿に怒り罵言するアイリーンに向かって、ユージンは「黙れ!!!口を閉じろ。怒りをレンズに向けろ。写真を撮れ。」と怒鳴る。これがプロの「ことば」というものだろう。実際、アイリーンはユージンの死後も水俣に関わり、この映画の製作にもかかわっている。これらはユージンの遺言のようなものだろう。
伝説の写真「TOMOKO IN HER BATH」だ。胎児性水俣病患者の娘を抱いて母親が風呂に入るシーンの音と映像が、神々しいほど美しい。このシーンを見るためだけのために、この映画を見る価値がある。素晴らしい。弱い風呂場の光に照らされて、母が抱く娘、折れ曲がった娘の手足、愛情にみちた母の横顔、信頼とあふれるほどの愛が映し出される。これほど美しいシーンを見たことがない。ユージンが、1枚の写真が1000の言葉以上の力を持つ、と言っていたが、このことだろう。素晴らしい。
映画はユージンを水俣病被害者の側に立った、ヒューマンで立派な男として描いておらず、父娘ほどに年の離れた妻アイリーンには頭が上がらないアルコール中毒で、繊細すぎる心を持った、弱さを抱えた男として描いている。水俣病訴訟も、宇井純先生の公害自主講座も、ユージンが窒素の暴行を受けて大けがをしたことも、当時東京に居て知っていたが、ユージンの人柄については知らなかった。
ジョニー デップは良い仕事をしてくれた。一流の俳優陣、音楽、製作陣、とても良い映画だ。映画配給がメジャーな会社ではないので街の大きな映画館で上映していないことがとても残念だ。
明治末期に農業と製塩業が衰退した九州熊本県で、合成肥料を作る日本窒素が工場を建設したのは、水俣の奥地の鉱山に電力を供給する水力発電所があったためと、水俣の熱心な誘致の結果だった。水銀を触媒にして塩化ビニールを合成する新技術をもった日本窒素は、日本の産業発展のための最先端をいく会社となり、小さな漁村だった水俣は一挙に人口数万人の企業城下町として繁栄した。会社は生産に追われ、水銀は無処理のまま海に捨てられた。
激しい脳神経症状を示す患者が続出したのが1956年5月。原因究明をした熊本大学医学部は、工場排水が原因だと考えたが、そこから取れる魚は多種多様の毒物を含んでいて、何が原因か同定できないでいた。そのころ日本窒素では、すでに原因が水銀であることを知っていたが、会社側も、通産省も、企業秘密にして情報を大学研究班に伝えなかった。会社側は、風土病だろうとしか、熊本大学に伝えていない。
1956年6月に新潟県阿賀野川下流で、昭和電工が工場から出るメチル水銀を垂れ流し、海産物を汚染、それを食べ水銀中毒になった第2の水俣病患者が、多発したことにより、水俣病が大きく取り上げられることになった。患者側の努力によって、1959年になって初めて水俣病の原因がメチル水銀であると認定された。しかし会社側は、わずかな患者に、わずかな見舞金で、ことを収めようとする。
1968年9月にようやく水俣病の原因が、窒素の工場排水によるもので、公害病であることが公式の認められたとき、この病気の発見から12年がたっていた。
それでも水俣病患者たちと、少額の慰謝料でことを済ませようとする加害企業窒素との争いは、果てしなく続く。政府と窒素は患者数を限定、患者を審査する認定委員会の委員を入れ替え、患者数を減らす、患者を「慰謝料目的のニセ患者」と決めつけ、窒素側を擁護する医師だけで患者認定を行う。その後も、熊本大学医学部水銀中毒研究班に対抗して、日本化学工業協会が御用学者の東大グループをつくり、水銀中毒を否定するなどの妨害が何年も続いた。
宇井純(1932-2006)は水俣病発生当時、東大工学部助手だったが、この原因究明と被害者支援に取り組み続けた。彼の地道な水俣病の研究なしに、水俣病の解明はなかった。1979-1986まで、東大で自主講座「公害原論」を主宰。自主講座は、鶴見良行、原田正純、桑原史成、荒畑寒村、石牟礼道子、高橋晄成など様々な分野の人々によって、講座が支えられた。1972年ストックホルム国連人間環境会議に出席、日本の公害状況が、国外に発信され、戦後日本の急激な経済性成長が、どれだけ人々の犠牲を強いたかが世界的に認識された。
当時不知火海岸に住んで、魚を食べていた人口は20万人、そのうち1割、2万人に何らかの水銀中毒の症状が出ていたと考えられる。そのうち患者として認定されたのは、生存者で2000人に満たない。水銀が体に蓄積されれば、心臓も肝臓にも水銀が溜まる。高血圧や糖尿病を併発するが、それは水俣病に関係ないと、患者認定を却下されている。政府も企業も限りなく患者を認定しないように切り捨てる。そのために水俣病による多様な症状が、いまだわかっていない。
また、政府は一度として水俣病全域について、健康診査をしていない。患者一人当たり200-300万円の補償(一律一人260万円の最終解決)、そのうえ国も企業も、一度として患者と患者家族に謝罪していない。
1994年に出た判決では国と県に水俣病の責任はなく、20年以上水俣を離れている患者には、時効により補償請求権が失効した、という。いまだ水俣訴訟は終わっていない。
足尾銅山鉱毒、カネミ油症、イタイイタイ病、PCB汚染、アスベスト、DDT汚染、オレンジガスなどなど、数えきれない公害が、政府と企業によって救済されないまま、患者たちは痛みを抱え、障害を抱えて生きざるを得ない。
また政府と企業が水俣病患者にしてきたことは、そのままそっくり311の東日本大震災の津波、放射能被害に当てはめることができる。一度として政府は、東京電力という企業を守るために、被害全域について健康診査を継続していない。ヒロシマ、ナガサキの被爆者に渡された「原爆手帳」さえ制作もせず、追跡健康調査さえしていない。なにひとつ解決していない。それが今の日本だ。
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