MINAMATA ミナマタのレビュー・感想・評価
全221件中、61~80件目を表示
MINAMATAミナマタ
写真を趣味としている私にとってユージン・スミスは例えばロバート・キャパのように偉大な存在です。当然、入浴する母子の作品やアイリーンの存在も知っており、映画化を知ったときは驚きと楽しみでいっぱいでした。自分は映画ファンというほどではないので、こんなに集中して鑑賞したのも、胸がいっぱいになったのも久しぶりです。
暗室作業のシーンで、現像液を手で撹拌していたのが印象的でした。
実は、アイリーンとは、30年近く前ですが、とある活動の場面で同席し食事をしたことがあるのです。その時に彼女のニコンF2フォトミックがユージンのものかどうか尋ねました。アイリーンは「ユージンのものではないが彼も使ったことがある」というので、触らせてもらいました。その時の感触は今も残っています。劇中、アイリーンが住民が集めてくれたカメラの中から自分用として手にしたカメラもニコンF2フォトミックだったように見えました。
そんなことを思い出しながら本当に集中して感動して鑑賞しました。
この映画は環境問題の映画というよりはユージンという人間のドラマのような気がします。
しかし、日本映画でも環境問題を真正面から取り上げればそこには必ず人間ドラマが付随すると思います。
この映画を通して、環境問題により関心を持っていただきたいのはもちろんですが、フィルムで撮るカメラにも興味を持つ方が増えることを期待します。
《水俣病は全く終わっていないことを国外から学ぶ》
1956年に確認された水俣病は2021年においても全く解決していないことに驚いた。身体の不調を訴えた人全てが、満足とは言えないものの折り合いを付けて生活できるだけの保障を、国と発生源の会社は支払った上で「終了」したものだと思っていた、なんと恥ずかしいことか!。
今もなお水俣病申請をした人たちの1割の人しか病気であることを認めず、9割の苦しんでいる人たちは救済されていない。これは金を払いたくない一心なのだろう。政権与党はお金の使い方を全く分かっていない、それは昭和時代も現在もだ!。
写真を撮ることで魂をすり減らすだけではなく、肉体的暴力を受け、それが遠因で若くして亡くなった故ユージン・スミス氏が今の日本を観たらさぞかしがっかりするだろう。
そんな反省できない国である日本で、今も原発反対運動などで当時の妻であるアイリーンさんが活躍されている。お二人とも広義の「ソーシャルワーカー」ではないか?。社会を正しく導こうとするエナジーをスクリーンから受け取った。
お二人から学んだことを行動に移そう。それが未来に対する今を生きる人の責任だ。
もう少し重厚感がほしかった
「映画は面白ければ、それでいいのだ」といつも言っている僕ですが、この作品はちょっとそれだけではすまされないような気がします。
その理由は、言うまでもなく、本作が、現在も継続している、ひじょうに重い、センシティブな問題を扱ったものだからです。
たしかに面白かった。いや、面白かったと言えば語弊があるな。
とにかくエンターテインメント作品としては、よくできていたと思います。
それでいいといえばいいのかもしれないけれど、でも、肝心なテーマの重さがいまひとつ伝わってこなかったようにも思う。ストーリーがテンポよく進むのはいいのですが、その分、テーマじたいの深刻さが薄れているような印象を受けたというか……。もう少し重厚感がほしかった。それに、これほどシリアスな題材なのに、全体的にイマイチ緊張感に欠けるようにも感じました。
要するに、うまくまとめすぎてない? という気がしたのです。「ユージン&水俣についてのダイジェスト版」みたいだなぁ、と。
まあ「事実に基づいたフィクション」なんだから仕方ないのでしょうが、その一方で、これでいいのだろうか? と僕はいささか懐疑的なものを感じてしまいました。このテーマは、そんなに簡単にまとめられるものではないはずであり、まとめてはいけないものだと思うからです。
タイトルを、『EUGENE SMITH』ではなく、『MINAMATA』にしたんだから、そこのところをもっと突き詰めるべきではないのか? 本当なら上映時間を3時間くらいにして、ユージンが地元の人々との関係をじょじょに築いてゆく様子などを、もっとじっくりと丁寧に描いてもよかったのではないか? などと思ったりもした。
今回もまたいろいろとケチをつけて申し訳ないのですが、ついでだから、そのほかに気になったことを以下に記します。
◇水俣の人々の「生活」にリアリティーが感じられない。これには、画面から湿度や匂いがまったく感じられないということも原因していると思う。季節を夏に設定して、「汗」を映し出したほうが効果的だったのではないか。
◇エキストラの地元住民たちから、辛酸を舐め尽くしている人々の雰囲気が感じとれない。手を使って、体をつかって働いている人の顔ではない。「頭の人」の顔が多すぎる。エキストラ選びにもこだわってほしい。
◇当時の水俣に、あんなリゾート地のコテージのような民家があったのか?
◇民家の内部にも違和感がある。とくに照明器具がお洒落すぎる。
などなど――。
それから、この映画を観た、水俣の人々、チッソの元社員、現社員たちはどんな思いを抱いたのか、そのあたりのことも大いに気になった。というか、それがいちばん気になりました。
ネガティブな意見を並べましたが、本作が、水俣をはじめとする環境問題に希望をもたらす契機のひとつとなることを期待しております。
追記
中盤、ユージンが奮起するところで流れる音楽が『ラスト・エンペラー』で使用された曲に酷似していると思ったら、この映画の音楽も坂本龍一なのね。教授、あれいくらなんでも似すぎでしょ。
今この作品を世に問うた意味
ユージン・スミスが水俣を取材した写真群のことは知っていたが、その機会を作ったアイリーンという女性(当時の妻)の存在は知らなかった。
映画では、二人の出合いと水俣に向かうきっかけは、あっさりとしか描かれていないが、実際はそこだけでも相当ドラマチックな気がする。
事実に基づくとは言え、創作部分は相当あるようだ。チッソの病院を関係者のように変装して探索するところ、特に、研究室で動物実験の結果を見つけるあたりは、ちょっとやり過ぎな感じも。しかし、ユージンがチッソの社員から暴行を受けたのは、場所は別だが、本当にあったことだそうだ。当時のチッソは株主総会の警備に暴力団も使っていたそうで、時代が時代とはいえ、おそろしい。
映画としては、ところどころ繋がりが悪いところもあるが、ユージンがチッソの妨害工作に挫けそうになりながらも、患者の家族の理解を得て、プライベートな姿を写すことになり、最も著名な入浴する母娘を撮った写真がクライマックス。ユージンから送られた写真を見たライフの編集長が「やりやがった」と呟くシーンにぐっときた。
ジョニー・デップは自らの姿を消して、ユージンになりきっていた。日本人俳優陣では、チッソの社長役の國村隼が出色。
ラスト、いまだに水俣病の患者認定や補償が決着していないこと、そして、タイトルバックで紹介される水俣以降も世界で続く公害・薬害・環境破壊の写真を見て、ジョニー・デップをはじめ製作者たちが、今この作品を世に問うた意味が分かった気がする。
塵も積もれば山となるですよ?
水俣病についての映画制作をジョニーデップが提案し、自ら主演と制作を務めた本作。一歩間違えたら批判殺到になりかねないテーマなので、期待はそこまでせず。
すごい映画だ...。
忠実に丁寧に分かりやすく、後世に伝わる歴史映画。目を離すことが出来ず、2時間驚くほど集中していた。
1971年ニューヨーク。かつてはアメリカを代表する写真家と言われていたユージン・スミスは、酒に溺れる毎日を過ごしていた。そんなある日、日本人女性のアイリーンから熊本県水俣市にあるチッソ工場が海に有害物質を流しており、それにより苦しんでいる人々を撮影して欲しいと言われる。
ジョニーデップだから出来た映画だと思う。
酒に溺れ子供の写真なんて撮ったことがない男がミナマタを通して、自分のあるべき姿に気づき成長し変わっていく。ユージン・スミスという男を丁寧に繊細に演じ、ラスト20分辺りは最初と対比しながら感動した。水俣病をテーマに映画を作ってくれてありがとう。
非常に分かりやすく見やすい映画。
ストーリー構成も脚本も、詰め込みすぎず緩すぎない。このような伝記映画だと、内容を少しでも多く伝えようとして見にくいと感じることが多いのだが、本作は所々でクスリと笑えるところもあるため、見やすく内容が頭に入りやすい。
映像もまた素晴らしい。
カメラワークが写真家を主人公にしただけにとても良く、目の前が1971年になる。ユージンが写真を撮影するシーン、現像するシーン、飛び込むシーン、暴行を受けるシーン、どれも斬新なカメラワークで見るものに現実を叩きつける。
映像よりも深く訴えかける写真。色があるよりも白黒の方が想像が広がり、恐ろしさが伝わる。たった1枚が重くのしかかる。ユージン・スミスに敬意を示したい。思い出すだけでも泣けてしまう写真。自分にとってすごく意味のある2時間だった。ありがとう。
しかし、すっ飛ばしている部分がいくつか。
それで終わりなの?とか深追いはしないの?とかそこ描かないんだ?とか、気になる点が多く見られた。最初のカメラマンとかもどこいったんだと思ったし。
人物関係性がイマイチ。
アイリーンとユージンは上下関係でもあるの?というくらい、ユージンは彼女に頭が上がらない様子だし、浅野忠信や加瀬亮の扱いも雑。水俣病については文句無しなのだが、ユージン・スミスについてはもうちょっと丁寧に描くべきだったのではと思った。
でも、とてもいい映画でした。
劇場には小学校高学年の男の子がおじいちゃんと一緒に見ていた。この子はどんなことを思ったのだろうかと考えながら、孫を連れてきたおじいちゃん素晴らしいなと感じた。
問題との向き合い方
有害物質を排出し続けて水俣地域の方達に甚大な影響をだしてしまったチッソ株式会社。
住民達からの抗議に向き合おうとしないチッソ。そこへアイリーンと共にユージンスミスが取材をしにやってくる。
最終的にはチッソの社長は事実を認めて損害の補償をするようになるが、それまでの間に長い時間向き合うとしなかった。
問題が起きてしまった時に、起きてしまったこと自体は変えられないのだからいかにそれに向き合おうとするのか。そのことの大切さを痛感しました。
水俣城の被害について教科書的なことしか知らなかったのですが、とても辛い出来事だったのだと学びました。いまだに十分な補償をされてない人が多くいるというニュースを読み、まだこの問題が続いていることも知りました。
事実と向き合えるように努力していきたいと思いました。
外国作品としてこそ価値のある作品
この手の作品は記録映画やドキュメント等ミニ系でひっそり公開されるケースが多いが一流の出演者でメジャー作品として公開されたことに意義があり通常この手の作品は架空の町や企業名が使われる事が多いが堂々実名で登場 チッソの病院があるとは知らなかった現在の現地やその後の企業がどうなってるか気になるが!
暗室の明かりと水俣の光が重なった
鑑賞後すぐにパンフレットを買った。LIFEみたいな表紙で嬉しかった。
こういうジョニー・デップは大好きだ。シャッターを押すごとに魂を抜かれ命を削ってきたカメラマンだからどうしようもない。
お風呂での母と娘の写真は美しいとしか言いようがない。ユージンとジョニーが震えるように感動する心が重なって目に表れた。私も震えた。
他の俳優もみな素晴らしかった。
「アイダよ、何処へ」を見て、この映画ではアイリーンを見て思った。通訳は人間であって機械ではない。通訳はAIにはできない。
写真は撮る側も撮られる側も
写真を撮る側も撮られる側も魂を奪われる。
訴える側も訴られる側も魂を奪われる。
働く側も働かされる側も魂を奪われる。
見る側も見られる側も魂を奪われる。
求めるのは、解決ではなく、「共有」。
忘れず、忘れられずにともに生きていくこと。
写真は共有され、忘れられずに、その瞬間を残し続ける。
だからこそ、「解決した」という首相の発言に怒りを感じるのだろう。
「復興五輪」が終わり、何が復興したのかわからないまま「解決した」ことになるのだろう。
そんなことを考えてしまいました。
オススメ。
今日は一日休息日にして、ツレと場末のイオンモールで、ジョニー・デップ(観ているのは「ギルバート・グレイプ」と「パイレーツ・オブ・カリビアン」ぐらい)主演のミナマタを観てきた。50歳高齢ペア割引適用。小さいとはいえ、一つおきの座席がほぼ満席。映画は実際の出来事に基づいたフィクション映画だけど、これはこれで良かった。ストーリーが終わったあとの映画の末尾の作り方も目を開かされる。ところで、イオンモールはパンフレットは売っていた(カウンターの表に出ておらず)が、それ以外は関連本も映画評の貼り出しも一切無し。映画文化を担おうという気概ゼロゼロ。
"入浴する智子と母" 時として写真は語る
2回鑑賞、パンフレット
ここではないどこか。水の音と子守唄、女性の横顔。
ニューヨーク。写真、暗室、JAZZと酒。
モノクロの距離感と印象。
カラーの親近感と現実味。
映画を通して一気に幼い頃に感じた"怖さ"の記憶が蘇る。
エンドロールで現在進行形の世界の公害問題を写真ではっきりと提示。
あまりの多さに圧倒させられる。
恥ずかしながら義務教育で少しなぞった程度の曖昧な知識と"恐怖"の印象だった
"水俣病"
1971年、ニューヨークから日本へ渡りファインダーを通して見た悲惨な現実を命懸けで撮り、世に知らしめ、闘う人々の背中を押した写真家と編集者がいた事、それにより世界を動かした事実がある事。
"ミナマタ"の苦しみに寄り添い、自身も戦争写真家として負った傷を抱えながらも再び生きる意味を得てパートナーと共に闘った事。
人間の弱さ、そして、受け入た芯の強さが見えた。
勇気ももらった。
彼がアイリーンと共に撮影するに至った
"入浴する智子と母"の写真は
あまりにも神々しく、全てを包み込むように揺るがない愛とありのままの姿が写真を通して語りかけてくる。
言葉にならない息を飲むほどの美しさ。
まだ終わっていない。解決には至っていない。
戦い続けていかなくてはならない現実にもどかしさを感じつつ、、
利便を最優先するが故に生まれる悲しみの可能性を忘れてはならないし、共生する術を考え続けることをやめてはならないとも感じた。そして、それらを想像する力を失いたくないとも、、
公害問題は人災だ。では環境問題は?" "社会問題は?""
エンドロールの壮大な歌は
その全ての闘う者たちへの応援歌であり賛歌であろう。落涙。
坂本龍一さん(教授)の劇判の圧倒的旋律と儚さと洗練された撮影、編集のテンポの良さ潔さが伝記映画として強く印象に残る、生きたメッセージが詰まった作品でした。
大きなアクションを起こさずとも知る事で向き合い考えて一人一人が行動する事で大きな何かにつながるのだろうと再認識出来る大切な時間になりました。
改めて、鑑賞出来てよかったです。気になる方は是非!
あれほどに"ジョニーデップ"ではない彼を見るのは初めてだった。
英語、日本語、きつめの熊本弁が飛び交うので聞き取りづらいため
(日本語にも字幕付きver.)をオススメします!www
みんなに知って欲しい事を映画にしてる
どうやって撮影したんだろうと思うリアルな
シーンも結構有り、迫力がありました。
重い内容で心が苦しくならないかも心配でしたが、
良い意味で見やすく分かりやすく、素晴らしい内容でした。
「自分の生まれる10年前にこんな事が有ったんだ、
命懸けで水俣病のことを世界に伝えたアメリカ人が居たんだ。」
「沖縄線の写真も残してくれたんだ。
今までどうして知らなかったんだろう」と
思いました。
社会で起きてる理不尽な事や病気、誰かの苦しみも、
映画で俳優さんが演じることで、知れる事が沢山ある。
コロナ禍でエンターテイメントの意義みたいな事も話題になってたりしましたが、こういう所に意義を感じます。本当に観て良かったです。みんなに観て欲しい。
「いまさら水俣病か」 ではない歴史の事実
「いまさら水俣病か。1970年代の公害病だろ?」自分が最初にこの映画の話を聞いた時の印象。しかし、この映画はそれこそ、そんな考え方で忘れ去ろうとする俺に、「こんなことを再発させない唯一の方法は、みながちゃんと知って、記憶し続けることなんだよ」と教えてくれる。そして、そのことは、映画の役割のうちの大切なひとつなんだと、最近は痛感している。みなさん、ぜひ、観てください。
患者である少年キヨシのセリフ 「僕にさわるの、怖くない?」 これが、世間一般の水俣病に対する反応だったろうし、遠く離れた静岡で水俣病の話を聞いている当時少年だった俺自身もまったく同じだ。今あらためて激しく反省する。
1956年に最初の患者が確認され、1968年に厚生省が、「原因物質はチッソ水俣工場の廃液に含まれたメチル水銀化合物である」と認定した。この映画は、患者とその家族が株主として1970年の株主総会に参加し、1971年の訴訟に勝つまでを、数か月日本に滞在して水俣病の写真を撮り続けた「LIFE」誌の写真家ユージン・スミスの目とカメラを通して追う。
「LIFE」誌で公表された水俣病の現実が、日本を動かしたのも事実の一環であろう。
そしてスミス本人は、企業に忠誠を誓う多数派労組の暴行により脊椎を折られ、片目失明の重傷を負っている(暴行の容疑者は不起訴処分)。
水俣病の健康被害を訴える人とその認定問題は2020年代においても継続中。汚染海域の沿岸に居住歴がある人は約47万人。未認定患者で認定申請した2万2229人のうち認定されたのは1790人(8%)。(Wikipediaから引用)
「入浴する智子と母」の写真は、遺族である両親とアイリーンの話し合いにより、1998年6月、今後は同写真の使用を許諾しない方針と発表されたもの。今回の映画では公開されているが、ユージンの妻アイリーンは「この写真を大切にするなら今何をすべきかと考え『本物の写真を見せることだ』という結論に達した」と述べているとのこと(Wikipediaから引用)
引用ばかりになってしまったが、この歴史の事実をしっかり記憶しようと思う限り。そして、この映画はジョニーデップが製作したアメリカ映画。日本でも、(ドキュメンタリーとは言えないが) 多少の脚色でエンタテインメント性を付け加えて観やすくしてある本作のような 「事実に基づく物語」 である作品が、多く撮られるようになることを期待します!
本作のセリフにもあるように
・ 感情に任せちゃダメだ。何を撮りたいのか、何を伝えたいのかに集中しろ。
・ 知らないふりをしていることは、隠そうとしている方に加勢をすること。
・ 注目が集まれば、無視できないはず。
渾身の…という言葉が相応しい
水俣というテーマを、日本人の私たちは忘れてはならないけれど、実際には日常の中で忘れています。それは、最後のテロップで写真が流れた福島第1原発のことも同じ。
素晴らしい俳優さんと素晴らしい音楽で、この重たいテーマを描ききった渾身の…という言葉が相応しい作品だと思います。
入浴しているアキコさんの写真は、本当に美しかった。
魂をすり減らしてシャッターを切る・・
魂をすり減らしてシャッターを切る。まさしくプロ根性!過去の栄光にしがみつき酒浸りの冴えないカメラマンもジョニーデップにかかればめっちゃカッコイイ。何かジョニーデップも一皮むけたプロ意識 魂をすり減らす雰囲気を漂わせた秀作でした。シアター会員で安く鑑賞できましたが、定額でも損はない作品です!
未だに日本の魚は食べたくないという欧米人がいる
まだ解決されていない公害
子供の頃日本三大公害として習ったどこか他人事だった事実を突きつけられた。
今でも水俣3世が戦っているらしい。
当時、水俣の人々は国にたかるハイエナと後ろ指を指されていたのを、世界に知れ渡ったことで逆転した。
大変意義のある仕事を成した
これぞジャーナリズム
劇中ジョニー・デップはいない。ユージン・スミスがいるのみ…
観る前は今さら感のあったジョニー・デップの水俣病映画。
しかし実際に観てみると、日本人のくせして小学生時に社会科で習った薄っぺらい知識しか無かったことに愕然とする。
アメリカ人写真家が、チッソ(現JNC)社員による暴行でファインダーを覗くこともシャッターを切ることもままならなくなっても記録し続け、結果、我々日本人はアメリカの雑誌経由で水俣病の実態を知るまで国やチッソのウソや隠蔽を信じ続けた恥ずかしさ…
まだ本作鑑賞前の早朝観たドキュメンタリー番組で知ったが、国とチッソが水俣病と認めたのは、ほんの一握りの重症者のみ。
番組内、ジョニー・デップの「水俣病がまだ続いていることに更なる衝撃を受けた」という言葉で、またもや真実を知る情けない俺…
個人的には本年No.1作品。
「現在も旧チッソの水俣工場は操業を続けている。しかし、石井によれば、工場の正門にはチッソと書かれてはおらず、「JNC」と横文字が記されている。Japan New Chissoの略らしい。チッソは社名の変更を求め、被害者はそれに反対してきたが、2011年の分社化と共に国は変更を許可したという。」(佐高信氏の記事より)
魂が震える作品だと思います!
環境、公害問題は今では少なくなりましたが、この作品を見て、タリバンや北朝鮮、銃社会にこそ世界が動いて解決すべき問題ではと思うキッカケとなりました。ジョニー・デップと真田広之さん他、日本の名優が魅せる作品は最高だと思います。
全221件中、61~80件目を表示