MINAMATA ミナマタのレビュー・感想・評価
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問題との向き合い方
有害物質を排出し続けて水俣地域の方達に甚大な影響をだしてしまったチッソ株式会社。
住民達からの抗議に向き合おうとしないチッソ。そこへアイリーンと共にユージンスミスが取材をしにやってくる。
最終的にはチッソの社長は事実を認めて損害の補償をするようになるが、それまでの間に長い時間向き合うとしなかった。
問題が起きてしまった時に、起きてしまったこと自体は変えられないのだからいかにそれに向き合おうとするのか。そのことの大切さを痛感しました。
水俣城の被害について教科書的なことしか知らなかったのですが、とても辛い出来事だったのだと学びました。いまだに十分な補償をされてない人が多くいるというニュースを読み、まだこの問題が続いていることも知りました。
事実と向き合えるように努力していきたいと思いました。
外国作品としてこそ価値のある作品
この手の作品は記録映画やドキュメント等ミニ系でひっそり公開されるケースが多いが一流の出演者でメジャー作品として公開されたことに意義があり通常この手の作品は架空の町や企業名が使われる事が多いが堂々実名で登場 チッソの病院があるとは知らなかった現在の現地やその後の企業がどうなってるか気になるが!
暗室の明かりと水俣の光が重なった
鑑賞後すぐにパンフレットを買った。LIFEみたいな表紙で嬉しかった。
こういうジョニー・デップは大好きだ。シャッターを押すごとに魂を抜かれ命を削ってきたカメラマンだからどうしようもない。
お風呂での母と娘の写真は美しいとしか言いようがない。ユージンとジョニーが震えるように感動する心が重なって目に表れた。私も震えた。
他の俳優もみな素晴らしかった。
「アイダよ、何処へ」を見て、この映画ではアイリーンを見て思った。通訳は人間であって機械ではない。通訳はAIにはできない。
写真は撮る側も撮られる側も
写真を撮る側も撮られる側も魂を奪われる。
訴える側も訴られる側も魂を奪われる。
働く側も働かされる側も魂を奪われる。
見る側も見られる側も魂を奪われる。
求めるのは、解決ではなく、「共有」。
忘れず、忘れられずにともに生きていくこと。
写真は共有され、忘れられずに、その瞬間を残し続ける。
だからこそ、「解決した」という首相の発言に怒りを感じるのだろう。
「復興五輪」が終わり、何が復興したのかわからないまま「解決した」ことになるのだろう。
そんなことを考えてしまいました。
オススメ。
今日は一日休息日にして、ツレと場末のイオンモールで、ジョニー・デップ(観ているのは「ギルバート・グレイプ」と「パイレーツ・オブ・カリビアン」ぐらい)主演のミナマタを観てきた。50歳高齢ペア割引適用。小さいとはいえ、一つおきの座席がほぼ満席。映画は実際の出来事に基づいたフィクション映画だけど、これはこれで良かった。ストーリーが終わったあとの映画の末尾の作り方も目を開かされる。ところで、イオンモールはパンフレットは売っていた(カウンターの表に出ておらず)が、それ以外は関連本も映画評の貼り出しも一切無し。映画文化を担おうという気概ゼロゼロ。
"入浴する智子と母" 時として写真は語る
2回鑑賞、パンフレット
ここではないどこか。水の音と子守唄、女性の横顔。
ニューヨーク。写真、暗室、JAZZと酒。
モノクロの距離感と印象。
カラーの親近感と現実味。
映画を通して一気に幼い頃に感じた"怖さ"の記憶が蘇る。
エンドロールで現在進行形の世界の公害問題を写真ではっきりと提示。
あまりの多さに圧倒させられる。
恥ずかしながら義務教育で少しなぞった程度の曖昧な知識と"恐怖"の印象だった
"水俣病"
1971年、ニューヨークから日本へ渡りファインダーを通して見た悲惨な現実を命懸けで撮り、世に知らしめ、闘う人々の背中を押した写真家と編集者がいた事、それにより世界を動かした事実がある事。
"ミナマタ"の苦しみに寄り添い、自身も戦争写真家として負った傷を抱えながらも再び生きる意味を得てパートナーと共に闘った事。
人間の弱さ、そして、受け入た芯の強さが見えた。
勇気ももらった。
彼がアイリーンと共に撮影するに至った
"入浴する智子と母"の写真は
あまりにも神々しく、全てを包み込むように揺るがない愛とありのままの姿が写真を通して語りかけてくる。
言葉にならない息を飲むほどの美しさ。
まだ終わっていない。解決には至っていない。
戦い続けていかなくてはならない現実にもどかしさを感じつつ、、
利便を最優先するが故に生まれる悲しみの可能性を忘れてはならないし、共生する術を考え続けることをやめてはならないとも感じた。そして、それらを想像する力を失いたくないとも、、
公害問題は人災だ。では環境問題は?" "社会問題は?""
エンドロールの壮大な歌は
その全ての闘う者たちへの応援歌であり賛歌であろう。落涙。
坂本龍一さん(教授)の劇判の圧倒的旋律と儚さと洗練された撮影、編集のテンポの良さ潔さが伝記映画として強く印象に残る、生きたメッセージが詰まった作品でした。
大きなアクションを起こさずとも知る事で向き合い考えて一人一人が行動する事で大きな何かにつながるのだろうと再認識出来る大切な時間になりました。
改めて、鑑賞出来てよかったです。気になる方は是非!
あれほどに"ジョニーデップ"ではない彼を見るのは初めてだった。
英語、日本語、きつめの熊本弁が飛び交うので聞き取りづらいため
(日本語にも字幕付きver.)をオススメします!www
みんなに知って欲しい事を映画にしてる
どうやって撮影したんだろうと思うリアルな
シーンも結構有り、迫力がありました。
重い内容で心が苦しくならないかも心配でしたが、
良い意味で見やすく分かりやすく、素晴らしい内容でした。
「自分の生まれる10年前にこんな事が有ったんだ、
命懸けで水俣病のことを世界に伝えたアメリカ人が居たんだ。」
「沖縄線の写真も残してくれたんだ。
今までどうして知らなかったんだろう」と
思いました。
社会で起きてる理不尽な事や病気、誰かの苦しみも、
映画で俳優さんが演じることで、知れる事が沢山ある。
コロナ禍でエンターテイメントの意義みたいな事も話題になってたりしましたが、こういう所に意義を感じます。本当に観て良かったです。みんなに観て欲しい。
「いまさら水俣病か」 ではない歴史の事実
「いまさら水俣病か。1970年代の公害病だろ?」自分が最初にこの映画の話を聞いた時の印象。しかし、この映画はそれこそ、そんな考え方で忘れ去ろうとする俺に、「こんなことを再発させない唯一の方法は、みながちゃんと知って、記憶し続けることなんだよ」と教えてくれる。そして、そのことは、映画の役割のうちの大切なひとつなんだと、最近は痛感している。みなさん、ぜひ、観てください。
患者である少年キヨシのセリフ 「僕にさわるの、怖くない?」 これが、世間一般の水俣病に対する反応だったろうし、遠く離れた静岡で水俣病の話を聞いている当時少年だった俺自身もまったく同じだ。今あらためて激しく反省する。
1956年に最初の患者が確認され、1968年に厚生省が、「原因物質はチッソ水俣工場の廃液に含まれたメチル水銀化合物である」と認定した。この映画は、患者とその家族が株主として1970年の株主総会に参加し、1971年の訴訟に勝つまでを、数か月日本に滞在して水俣病の写真を撮り続けた「LIFE」誌の写真家ユージン・スミスの目とカメラを通して追う。
「LIFE」誌で公表された水俣病の現実が、日本を動かしたのも事実の一環であろう。
そしてスミス本人は、企業に忠誠を誓う多数派労組の暴行により脊椎を折られ、片目失明の重傷を負っている(暴行の容疑者は不起訴処分)。
水俣病の健康被害を訴える人とその認定問題は2020年代においても継続中。汚染海域の沿岸に居住歴がある人は約47万人。未認定患者で認定申請した2万2229人のうち認定されたのは1790人(8%)。(Wikipediaから引用)
「入浴する智子と母」の写真は、遺族である両親とアイリーンの話し合いにより、1998年6月、今後は同写真の使用を許諾しない方針と発表されたもの。今回の映画では公開されているが、ユージンの妻アイリーンは「この写真を大切にするなら今何をすべきかと考え『本物の写真を見せることだ』という結論に達した」と述べているとのこと(Wikipediaから引用)
引用ばかりになってしまったが、この歴史の事実をしっかり記憶しようと思う限り。そして、この映画はジョニーデップが製作したアメリカ映画。日本でも、(ドキュメンタリーとは言えないが) 多少の脚色でエンタテインメント性を付け加えて観やすくしてある本作のような 「事実に基づく物語」 である作品が、多く撮られるようになることを期待します!
本作のセリフにもあるように
・ 感情に任せちゃダメだ。何を撮りたいのか、何を伝えたいのかに集中しろ。
・ 知らないふりをしていることは、隠そうとしている方に加勢をすること。
・ 注目が集まれば、無視できないはず。
水俣の真実 メディアの役割
1971年のLIFE誌による伝説のフォトグラファーの派遣。
かつてユージン・スミスは、沖縄戦従軍カメラマンとして名を馳せた名カメラマンだった。
それから25年、酒浸りになり、年もとって借金まみれであったけれど、ある女性記者に誘われて熊本へ。
水俣で出会ったのは、公害を隠蔽し、住民訴訟で十分な補償をしない社長と会社の体制だった。住民たちは、垂れ流しの毒性の残った水によって何人もの被害者が出ていた。
ユージン・スミスをジョニー・デップ。
日本人キャストに加瀬亮、浅野忠信、國村隼、真田広之、美波。
すでに廃刊になっているLIFE誌の編集長にビル・ナイ。
ストーリーは、場所や日時など事実と異なる部分もあるとのことだが、よりわかりやすくなっているのかもしれない。
重い。
重い。
重い。
しかし、映像は、美しかった。
ジョニー・デップが素晴らしい。
坂本龍一の音楽もすばらしい。最初、ロックから始まったので、坂本龍一ということをしばらく忘れていた。
渾身の…という言葉が相応しい
水俣というテーマを、日本人の私たちは忘れてはならないけれど、実際には日常の中で忘れています。それは、最後のテロップで写真が流れた福島第1原発のことも同じ。
素晴らしい俳優さんと素晴らしい音楽で、この重たいテーマを描ききった渾身の…という言葉が相応しい作品だと思います。
入浴しているアキコさんの写真は、本当に美しかった。
魂をすり減らしてシャッターを切る・・
魂をすり減らしてシャッターを切る。まさしくプロ根性!過去の栄光にしがみつき酒浸りの冴えないカメラマンもジョニーデップにかかればめっちゃカッコイイ。何かジョニーデップも一皮むけたプロ意識 魂をすり減らす雰囲気を漂わせた秀作でした。シアター会員で安く鑑賞できましたが、定額でも損はない作品です!
未だに日本の魚は食べたくないという欧米人がいる
まだ解決されていない公害
子供の頃日本三大公害として習ったどこか他人事だった事実を突きつけられた。
今でも水俣3世が戦っているらしい。
当時、水俣の人々は国にたかるハイエナと後ろ指を指されていたのを、世界に知れ渡ったことで逆転した。
大変意義のある仕事を成した
これぞジャーナリズム
劇中ジョニー・デップはいない。ユージン・スミスがいるのみ…
観る前は今さら感のあったジョニー・デップの水俣病映画。
しかし実際に観てみると、日本人のくせして小学生時に社会科で習った薄っぺらい知識しか無かったことに愕然とする。
アメリカ人写真家が、チッソ(現JNC)社員による暴行でファインダーを覗くこともシャッターを切ることもままならなくなっても記録し続け、結果、我々日本人はアメリカの雑誌経由で水俣病の実態を知るまで国やチッソのウソや隠蔽を信じ続けた恥ずかしさ…
まだ本作鑑賞前の早朝観たドキュメンタリー番組で知ったが、国とチッソが水俣病と認めたのは、ほんの一握りの重症者のみ。
番組内、ジョニー・デップの「水俣病がまだ続いていることに更なる衝撃を受けた」という言葉で、またもや真実を知る情けない俺…
個人的には本年No.1作品。
「現在も旧チッソの水俣工場は操業を続けている。しかし、石井によれば、工場の正門にはチッソと書かれてはおらず、「JNC」と横文字が記されている。Japan New Chissoの略らしい。チッソは社名の変更を求め、被害者はそれに反対してきたが、2011年の分社化と共に国は変更を許可したという。」(佐高信氏の記事より)
魂が震える作品だと思います!
環境、公害問題は今では少なくなりましたが、この作品を見て、タリバンや北朝鮮、銃社会にこそ世界が動いて解決すべき問題ではと思うキッカケとなりました。ジョニー・デップと真田広之さん他、日本の名優が魅せる作品は最高だと思います。
ユージンとアイリーンが、会社の病院に侵入して写真を撮り、病気の証拠...
ユージンとアイリーンが、会社の病院に侵入して写真を撮り、病気の証拠を探すシーンがありますが、あれもフィクションです。 彼らが来たときはすでにその病院は廃墟になっていました。私が小学生の高学年だったかな、その会社病院に入って備品などで遊んでいた時に、多数の骨を見つけました。 今思うとあれは、水銀で冒された実験用のネコちゃんだったのですね。 小学校には、体の不自由の生徒が20人ぐらいいました。 最後の写真のお二人も亡くなりました。 ユージンの写真集は昔から知っていましたが、ほんとのところ見たくなかったのです。 映画もよかったのですが、写真も素晴らしいかったですね。 命を懸けて撮ったものという意味が付されていました。 警察がリーダーの家で暴れて、女の子が泣いていましたが、あの当時、彼女は小学生の5年生ぐらいです。 若干年代がずれていますね。 水俣病は複雑です。 だれにも語れませんよ。 何も知らない外国人だからこそ語り、映画も撮れたのだと思います。 感動でもなく、泣くでもなく、心に染みる作品です。
日本人が「過去」にした、水俣
深い愛と悲しみがこもる被写体で悪意を閉ざす。
演じる人物には特別の思い入れを持って挑む彼のことだ、此方も心して見届ける。即興と緻密さ、さながらChick Coreaの様に、感情と魂が吹き込まれた画の連続には息を呑む。今も変わらずに続いている「争いを好まない民による争い」を如何にして知れ渡らせるのか?これは飛躍した解釈ではなく、それを成し得る事こそ写真家が担える力の一部であり、“千の言葉よりも一枚で”なのであろう。役者個々の力が渾然一体であった、Johnny Depp一人の存在が浮いてしまっていたならば、この作品は美談に終わっていただろう。“教えるとは、押しつけることでなく、自分の情熱を伝えること”というユージンの言葉に忠実だったのだ。日本「公害の原点」を、取り糺さず冷静に人間を描いた秀作だろう。
アメリカ映画なんだ。
水俣病、いつの間にか忘れられていた。それを思い起こさせてくれたのが、ジョニー・デップとは。当時の映像とこの度の撮影映像上手く融合させてました。
今なら撮影した写真は瞬時にアメリカへ送信できます、当時はフィルムを守るのも命がけだったんだなあ。
犠牲の上に成り立つ便利
私たちが便利さを求めれば求めるほど、世界中のどこかで誰かが犠牲になっている。
写真だから伝えられること。映画だから伝えられること。教科書で習った程度の水俣病。私も含め、日本人は日本で起きたことなのに無関心過ぎる。
この映画を撮ったのが日本人ではないのも、その一つ。でも、だからこそ、観てもらえる機会は広がっている。
権力は強い権力につき、どんどん拡大していく。いつでも辛い想いを抱えるのは弱者である。弱者にならないように…ではなく、全ての人が幸せになる権利を持っていることを忘れないようにしたい。
なかなか興味深い
低予算B級洋画専門の配給会社・アルバトロスフィルムとロングライドの共同配給ということで、あまり期待せずに見た。
でも、なかなかどうして見応えある内容になっていた。
一番、大きいのは国内の問題を取り扱ったという事。そして、現在進行形の問題であるということもあるだろう。
ただ、写真というその瞬間の姿を形に留めるというメディアの力を映画という映像メディアの中でどう伝えるべきかに腐心しているのが良く伝わってきた。
名のある俳優が多く出演しているが、あくまでも主役は写真なんだ、という事が皆の共有事項であったのだろう。
それにしても國村隼の英語力は流石。
若い頃から海外志向が強く、あの松田優作の遺作・ブラックレインでも(セリフは日本語のみだったが)起用されたのも納得の流暢さ。
真田広之や加瀬亮など国際派と言われる俳優陣の中でも群を抜いていて、ハーフ女優の美波にも引けを取らないレベルと言っては大袈裟か?
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