「カタルシスを捨てた仮面ライダー」シン・仮面ライダー nomさんの映画レビュー(感想・評価)
カタルシスを捨てた仮面ライダー
エヴァンゲリオンファンとしての感想。
庵野秀明監督のシン・シリーズとして、シン・ゴジラ、シン・ウルトラマンと続いての名作のリブートである今作。前2作は個人的にもとても楽しめたし、興業収入も非常に高かったのに対し、今作はどちらもいまいちである。その原因は何か?初見の時から考えていて、今日2回目の視聴をしてやっと見えてきた。その原因はカタルシスの不足である。
ゴジラやウルトラマンは正体不明の生命体、すなわち人類を脅かす絶対的な敵との戦いである。敵は打ち負かすべき悪であり、視聴者はそれと戦う日本政府や禍特対にスムースに感情移入することができる。
一方で今作のショッカーは、仮面ライダー旧作のそれと異なり、「幸福を追求する組織」とリアリティを持たせるべく現代的にアップデートされているのだが、それが余計だったように思える。
最強の敵であるチョウオーグ・緑川イチローは母親を惨殺されたという過去を持ち、ハビタット世界という理想郷に人類を導こうとしていた。いわばイチロー自身の正義のために戦っているのである。ライダーたちとの戦いのなかでその意図が明らかになるにつれ、視聴者はショッカーを悪とみなすことが難しくなり、感情移入に迷いが生じてしまうのである。
シン・エヴァを観た人はすぐに気がつくと思うが、これはWILLEとNERVの戦いの構造(また、その目的さえも)とほぼ同じなのである。敵とみなしていた側にも主人公とは異なる形の正義があることを目の当たりにした時に、主人公を、ライダーを手放しに応援できなくなってしまうのだ。
戦いとはある正義と別の正義の衝突であることは現実世界においては真理である。しかし、視聴者は必ずしもそのリアリティを映画には求めていない。むしろ虚構としての悪を打ちのめす正義を欲しているとさえ言える。それは、水戸黄門から半沢直樹まで時代を問わず勧善懲悪物が支持されていることを考えてもわかる。
ゆえにシン・仮面ライダーを、エンタテイメント作品として見れば失敗だと言える。例え子供騙しであってもショッカーは同情の余地もなく叩きのめすべき悪でいるべきであった。これはあくまで私の推測であるが、庵野秀明は本作を作るうえでシン・エヴァを引きずってしまったのではなかろうか。今回シン・エヴァのスピンオフ短編が併映されていたために余計にそう思えてしまった。
それが正解だったかどうかは10年後20年後の今作の評価が答えを出してくれるだろう。