「庵野秀明のリスペクトによる仮面ライダー」シン・仮面ライダー ノルマン・Dさんの映画レビュー(感想・評価)
庵野秀明のリスペクトによる仮面ライダー
「シン」シリーズは庵野秀明の表したかった作品の在り方を伝えるもの、という大前提を見ずに、「大衆向けじゃないからダメ」という人が多すぎると感じた。
私はそもそも庵野ファンではなく、仮面ライダーファンだった。しかし、庵野秀明展をたまたま見かけて、この人の「リアリティの追求」と、相反するような「作られている映像ならではのこだわり」を見た者としては、それが十分に理解できた。
例えば、戦っているときのカメラワーク。近くで戦えば、互いが必死になるはず。その時のカメラワークが綺麗すぎると、臨場感が薄れる。最近の特撮は、子どもも見られるようやや遠目に、空撮などを駆使してきれいに撮影する。すると、目の前の戦いが他人事のように映る。一方の本作は、ブレて見切れて、拳が耳の横をかすめるようなカメラワーク。そこがリアリティ。
そこに昔ながらの戦闘BGMが流れてくる。先のカメラワークに、昔ながらのBGM。「リスペクト」を忠実にしながら、しかし映像は鮮明で、ただ昔を再現するだけではない、ひとつの「作品」として、作られたこだわりの部分が感じられる。
また、ストーリーが薄いという意見もあるが、ただ悪意的なエゴに徹して戦うものから、話し合うだけでは理解し合えないそれぞれの正義をかざして戦うものまで様々で、それが戦う描写ひとつひとつに表れていた。悲しみを越え、戦争を越え、強く生きることをテーマに生まれた仮面ライダーに「戦いが多すぎる」という批評はいかがかと思う。背負って戦うから、仮面ライダーたると思う。
ドキュメンタリーではあらゆる方面から文句をつけられていた庵野監督。しかし、エンドロールの名前を見るに、光学を一人で研究する気概も伺われた。それが、画面全体に広がる光や爆発に表れている。見る側からしたらただ眩しいだけだが、仮面ライダーが巻き込まれるあの位置で画面全体に光や爆風が映らないことは「ありえない」のである。
つまり彼は前線に顔を出さないものの、決してこだわりがないわけでは無いし、むしろ追い求めすぎるのだ。それについて行けないスタッフが多いことに何ら問題はない。それもまた仕方ないのだ。
光学的こだわりを描いたラフ画などが絶対あるはずだ。それらとスローモーション映像などを照らし合わせ、語ってもらって初めて120%の作品になると思う。シン・仮面ライダーへの理解を深めるためだけの庵野秀明展があってもいいくらいだと思っている。良い意見も悪い意見も含めて、まだ私達は、この作品を批評できる立ち位置にいない気がしている。