「応援上映は本郷を推せる!」シン・仮面ライダー A・ガワゴラークさんの映画レビュー(感想・評価)
応援上映は本郷を推せる!
仮面ライダーは1971年から続く特撮アクションシリーズで、初代「仮面ライダー」も2年間放送しているため放送中も作風が変化している。今回の「シン〜」は藤岡弘が怪我で降板するまでのいわゆる旧1号編(1話〜13話)を意識したリメイクで、TV番組と同時連載された石ノ森章太郎のマンガ版の影響も大きい。
初回鑑賞時、4体目の怪人・ハチオーグ戦までは楽しめたがアクションエンタメとしては満足できなかった。特にイチローによる「ハビタット計画」でどんな被害が起こるか、ハビタットの中はどんな世界かが描かれないことで、カタルシスが結実しにくいと思われる。
またSHOCKERの本体であるAIのシンギュラリティについてもっと踏み込みがあれば、更に今日性を獲得できただろう。
さて初見では不満だったが、ドキュメンタリー番組を見て、応援上映(字幕付き)に参加してみると見方が変わり、求められる「仮面ライダー」像の1つを実現したのではないかと思うようになった。
新たに気づいたのは、ほとんどのシーンで仮面ライダーの中に俳優の池松本人が入ってアクションしていること、戦い終わったら必ずマスクを脱ぐこと、敵に黙祷を行うこと、そして応援上映で「泣かないで」「がんばって」とさかんに声援が入ることだ。
自らの悲しみを抱えながら他者のために闘う姿は初代「仮面ライダー」のテーマの一つで、石ノ森のマンガ版でも強調されている。また、変身後も本人が演じるのも旧1号編の特徴だ。
池松本人が変身前〜変身後を通して演じることで、ライダーの姿に悲しみと苦悩が乗り、それでも闘う意志や信念を感じることができる。
このヒーロー像はTVでは実現しにくいもので、仮面ライダー/本郷猛(池松)の悲しみと優しさが観客に伝わったのなら、「仮面ライダー」の原点回帰として役割を果たしているのではないか。
ドキュメンタリーでは、決められた見栄えのするアクションを作ってきたアクション監督の田渕氏と、不確実性や身体性を求めた監督が対立的に描かれていたが、仮面ライダーの身体性や感情、ドラマのためにそれが必要だったことがわかる(ただより多くの予算とスケジュールがあれば、テスト撮影と検証が行われると良かったとは思う)。
本編で語られなかったSHOCKER側の論理や設定は、前日譚マンガ「真の安らぎはこの世になく」に期待したい。