「緑川ルリ子の"ツンデレ"設定は、庵野監督の確信犯的な趣味」シン・仮面ライダー Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
緑川ルリ子の"ツンデレ"設定は、庵野監督の確信犯的な趣味
「シン・仮面ライダー (IMAX)」。
『シン・仮面ライダー』(2023)は、『シン・ゴジラ』(2016)、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(2021)、『シン・ウルトラマン』(2022)から続く、アラ還(アラウンド還暦)の夢を次々と叶える、庵野秀明監督の「シン」シリーズで括られる話題作。どんな実力のあるクリエイターが望んでも手が届かない、日本映像史の伝説キャラクターの映画化は、庵野監督だけが持つカリスマ性に引き寄せられる社会現象でもある。
すでに「シン・ジャパン・ヒーロー・ユニバース」(https://sjhu.jp/)というクロスマーケティング的な枠組みが始動しているが、映画としてのユニバース作品が登場するのかしないのか、それも庵野氏の掌のうちにある。
『シン・仮面ライダー』は、一度見では消化できないほど観念的な情報がギュッと詰め込まれているという点において、庵野監督らしい仕上がりになっている。日本語字幕がないと、マスクの下で喋る重要なキーワードが一度では判別しづらい。2度3度と見る愉しみのある作品になっている。
アスペクトはシネスコ画角なので、IMAXで観る必要はない。入場者特典のポスターが欲しければ別だが、画質・音質を求めるならドルビーシネマだろう。
本作を特徴づけているのは冒頭のスクリーンに投影される「映倫/PG12」(12歳未満の年少者の観覧には、親または保護者の助言・指導を必要)のマークである。オープニングの戦闘シーンで仮面ライダーはショッカー下級戦闘員に対して尋常ではない血しぶきをあげるほど、殺人を展開する。これは"For Adults"といっていい。
とはいっても、原体験としての”仮面ライダー”は、庵野監督にとっても子供時代のものだ。あえてこういった演出になるのは、今なお脈々と続いている子供番組仕様と一線を画す必要があったから。子供が見てはいけないのではなく、決して子供騙しではないホンモノを目指している。
だから『シン・仮面ライダー』は、必殺技の名前を一切発しない。石ノ森章太郎先生が主題歌に込めた、"ライダーキック"も"ライダージャンプ"の掛け声はない。一方で、"変身! トォー"もない寂しさ。1号、2号それぞれの変身の決めポーズは歌舞伎の見得のように残している。
もうひとつは贅沢すぎる豪華俳優陣。主人公で仮面ライダー1号/バッタオーグとなる本郷猛を演じるのは、池松壮亮。作家性の高い監督作品に人気の中堅俳優だ。ヒロインの緑川ルリ子は浜辺美波。言わずと知れたメジャー俳優だ。中盤から仲間となる仮面ライダー2号は柄本佑。
とくに長澤まさみの"サソリオーグ"は、仮面ライダーではなく政府機関に呆気なく制圧されてしまう。登場シーンが一瞬すぎて、"長澤まさみって出てたっけ?"となるのは必至。ストーリー上もサソリ毒の伏線だけのためにある。
"オーグ"とは"AUGMENT(オーグメント)で、"本作における改造人間のこと。"コウモリオーグ"(手塚とおる)は原作シリーズにおける"蝙蝠男"にあたる。周知の通り"仮面ライダー"は人間とバッタの合成改造人間であるが、本作では"バッタオーグ"となる。
大森南朋は声だけで"クモオーグ"を演じ、声だけという意味では、"ロボット刑事K"(石ノ森章太郎の漫画作品)を彷彿とさせる、"外世界観測用自立型人工知能ケイ”を演じる松坂桃李もいる。ちなみに松坂桃李は歴代ライダーではなく、侍戦隊シンケンジャーのシンケンレッド。
本田奏多が演じたのは"カマキリカメレオンオーグ(KKオーグ)"だが、"ハチオーグ(ヒロミ)"の西野七瀬以外は、いずれも顔が一部または全部隠れている。本田奏多は、仮面ライダー2号(柄本佑)のライダーチョップでマスクを破壊されて顔が見えるものの、緑のペインティングで認識は不可能という有様。有名俳優の使い捨てには予算の余裕度がうかがえる。
"カマキリカメレオンオーグ"は、3体(人間+カマキリ+カメレオン)合成オーグメントで、死神グループが開発したとされているので、これで死神博士(イカデビル)やゲルショッカーのエピソードにつながる続編への可能性を残す。
本作は仮面ライダーTVシリーズの前半と、石ノ森章太郎の原作漫画のダークヒーローエピソードをベースに、庵野秀明の人類解釈の総集編になっている。見れば見るほどエヴァンゲリオンとも酷似している部分が多いが、それはむしろ庵野監督自身が仮面ライダーを原体験としてエヴァに昇華させたともいえる。
人類にとっての現世と心の世界ハビタットワールドの概念が出てくる。
ショッカーに洗脳された人々が取り込まれる「ハビタット(システム)」という言葉は、現存する国際NGOのHabitatと同名で、「誰もがきちんとした場所で暮らせる世界」を本作では精神世界レベルまで拡大解釈している。
生物の生命力の源を"プラーナ"と呼び、あらゆる生物における魂のようなもの。プラーナを圧縮して増幅することで改造人間のオーグメンテーションを支える。一方で、物質的な肉体を捨てて、プラーナを"ハビタットワールド"に転送して幸福を得られるというのが緑川イチローの考え方だ。
洗脳されたショッカーの信者を解き放つことを"パリハライズ"という。人工子宮生まれの生体電算機と自らを表現するヒロインの緑川ルリ子(浜辺美波)が、"パリハライズ"を可能とするプログラムを作り出し、兄でありショッカーの幹部である緑川イチロー(森山未來)を救い出そうとするエンディングへ向かう。
50年前の仮面ライダーを見たことのない世代には、場面転換が唐突すぎると感じるかもしれない。いきなり崖の上にライダーが現れたり、敵の先回りをしたり、これこそが仮面ライダーの様式美なのである。30分番組の省エネ手法だが、それだけでただ美しい。
序盤シーンで山小屋が時限爆弾で破壊された直後に小屋内にあったサイクロン号にすぐに乗れるのは、仮面ライダーの様式美そのものである。
ただし敵が崖から落ちて爆発して終わるという安易な手法は使っていない。本作ではライダーキックの美しいシルエットを徹底的に見せる。
倒された敵は泡となって消える。ショッカー関係者は情報漏えい対策として融解されるという設定。これには子供心にひどく怖かったドクダリアンが人を食べて服だけを残すシーンを思い出した。
原作の「13人のライダー」のネタから、大量発生相変異型バッタオーグ(ショッカーライダー)がクライマックスで出てくる。元タイトルの"13人"から本郷猛(仮面ライダー1号)と一文字隼人(仮面ライダー2号)を外した11人がショッカーライダーで、劇中では緑川イチローの両側に並ぶ(左に6人、右に5人)。
エンディングで、プラーナとして魂だけとなった本郷猛と、体を共有しながら新"1号+2号"となって新サイクロン号で疾走して終わるのは、石ノ森章太郎の漫画と同じ帰結である。そもそもショッカーの本体である大ボスの人工知能のアイや、その"外世界観測用自立型人工知能ケイ”は倒されていない。
TVシリーズで仮面ライダーをアシストした"おやっさん"こと、"立花藤兵衛"がいないなぁと思ったら、最後の最後に一文字隼人に「名前を名乗らない人間は信じない」と言われて、竹野内豊が「立花」と答える。原作には執事の「立花」も出てくるので名前を同じにしただけかもしれない。斎藤工は「滝」。滝は同じく原作に登場したFBI捜査官・滝和也を彷彿とさせる。
そのシーンでは、"コブラオーグ"の登場もコメントされており、『シン・仮面ライダー2』を作れる余地を残した。
最後に2度見、3度見で楽しいシーンをいくつか。
やっぱりヒロイン緑川ルリ子の"ツンデレ"設定は、庵野秀明監督の確信犯的な趣味。浜田美波の起用は綾波レイ似に尽きる。コウモリオーグシーンではルリ子似のコピー人間がたくさん出てきたりもする。エヴァのマリやアスカのように、ルリ子が本郷猛を「信用しない」と突き放したかと思ったら、着替えのシーンでは「私から離れるな」と甘える。悲しみにくれる女性に「肩を貸して」なんて言われるのは作家の願望そのもの。
ハチオーグ/ヒロミ(西野七瀬)の口癖は"あらら"だが、様々な"あらら"を指折り数えてみると、あらら✕8回。
オープニングで仮面ライダーが初登場するシーン。ルリ子が這って逃げる瞬間、一匹のクモが彼女のブーツに取り付くところに注目。これが次の山小屋のシーンにつながる。
その山小屋で、本郷猛が改造人間となった自分に驚愕するカット。洗面台でグローブ、そしてヘルメットを外して、自分の変容に驚いた本郷猛が慌ててヘルメットを被りなおすとき、すでにグローブをはめている。オヤオヤ。
クライマックスで11人のショッカーライダーに追いかけられるシーンは、いくつも登場するサイクロン号の数が合わない。そのために自走するサイクロン号の設定があり、スペアがあると想像することにする。
(2023/3/17/TOHOシネマズ日比谷/Screen4/F-16/シネスコ)
(2023/3/18/丸の内TOEI/Screen1/K-12/シネスコ)