Ribbonのレビュー・感想・評価
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必要な描写の少なさ
のんが観れて満足
コロナ禍の2020年、美大生のいつかは大学卒業制作展が中止となり、1年かけて制作した作品を持ち帰ることになった。喪失感から何も手につかない彼女は、心配して来てくれた母や父とも衝突してしまった。妹のまいもコロナに過剰反応し、親友の平井も苛立ちを募らせた。そんな中、コロナ禍により決まっていた就職先の内定を取り消されてしまった。その後、絵を描くきっかけをくれた同級生の田中と再会や、平井が自分の描いた絵を持ち帰りたいと言った事をきっかけに、自分の未来を切り開くため途中だった作品の制作を再開する、という話。
色とりどりのリボンがいつかの心を表現しているようで斬新な演出だった。
今よりワクチンも打って無い2020年の方がコロナで怯えてたなぁ、って思う。大袈裟なようだが、何年か経って観たら、こんなかったよなぁ、って言えるようになれば良いなと思った。
のんは、キレ芸も観れたし、相変わらず可愛かったし、のんファンとしては満足だった。
成程と思ったり
のん 脚本・監督・主演・編集 新人賞のクオリティだ!凄い!
監督するより、もっと演じてほしいな
画面では相変わらずの魅力爆発のんさん。(いつ能年玲奈さんと呼べるのだろうか?)瞳がいいんだよなぁ、良い演者さんだなぁ〜、カメラ映えするなぁ〜って見てました。
本作はのんさんの脚本・監督作品。素晴らしい才能ですね。映画を一本取り切るって・・・作品として発表できるって・・・素晴らしいですよ。岩井俊二さんや特撮の特撮の樋口さんまで参加されているなんて・・・なんとまぁ贅沢な一本です。そして、描かれるのはコロナ禍の若きアーティスト達。のんさん自身も創作活動されていますから、作り手側の心の叫びが詰まった今だからこそ作れる1本なのかなぁって思いました。
ただ・・・面白味に欠けちゃいました。残念。
もどかしさや鬱憤をコミカルに描くあたりは良いなぁとは思いましたが、すごく肝心なクライマックスで冷えてしまったんですよね。あの親友との夜の所業は、創作素人の僕から見ると「作品や作り手への冒涜」に見えちゃって。どうなんだろ?創作者達は共感できるのかなぁ?それと、のんさんの女優としての引き出しの少なさを感じてしまったんですよね。親友とのぶつかるシーンって、まんま「海女cafeでのアキとユイの衝突」だったし、ただの駄々っ子の甘えん坊にしか見えないし、そもそも主人公の葛藤が「ほんとに悩んでる?」って感じだったし・・・。
やっぱり、自身ではなく実力ある監督さんや脚本家さんに生かされる女優であってほしいと思いますし、きっとそうであろうと思います。いろんな芸能界のしがらみがあるんでしょうが、活躍の場を広げてほしいなぁ、切に願います。
のんの想いを全力で受け止めた!
はい。良く私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きました。ありがとうございます。
この映画ですが上映館が少ない。製作がイオンなのに系列の映画館でやってない。まあ察しはつきますが、言いません。
もうすでに語っていますが・・・私は朝ドラの「あまちゃん」が大好きなんですね。岩手県には行けなかったんですが東京のロケ地、御徒町には何度も行きました。
アメ横センタービルです。
ここはGMT47の活動拠点です。(GMTとは地元の意味、47は都道府県の数です。勿論AKBグループのパロディです。AKBグループはのちにチーム8を立ち上げました。フィクションが【のん】フィクションになったんです。)
GMT47の出世頭は松岡茉優。次は山下リオです。
のんの映画は「私をくいとめて」以来です。その前は「星屑の町」散々語ってるんですが・・・
惚れた弱みと申しましょうか・・・
そのフレーズが多いよ‼️
わざわざ新宿まで行ったんですよ。劇場はテアトル新宿。お久しぶりでござんす。昭和の匂いの映画館。前に観たのは「ヒミズ」か「呪怨」か「冷たい熱帯魚」いずれにしても凄い前だよ。でも音響は良くなっています。
最近はテアトル系でもシネコンにかかるからね。そもそもこのご時世。映画を観に新宿にいっちゃあダメでしょうが!
いやね都内はここだけなんだよ。しょうがないでしょ。渋谷はちょっと苦手。新宿はもっと苦手。だってね1日の乗降客数が350万人って!なんですか!世界一なんですか!なんですか、こっちは迷子の迷子の子猫ちゃんだよ。
こちとら限界集落の住人なんじゃ!我が区内は全部無人駅じゃ!
そんなわけは無いですね。
映画はガッチリコロナ禍の映画です。主人公のいつか(のん)は美大生です。親友は平井(山下リオ)
嗚呼・・・GMT47かよ!盟友ですよ。もうね丁々発止のやりとりが楽しい。
そして、いつかのアパートのピンポンがなる。まあ家族なんですが・・・お母さん、お父さん、妹。もう笑いの刺客。笑ってはいけない・・・的なね。
まずはお母さん(春木みさよ) 重装備でやってきました。原発作業員か!でも料理好き、掃除好き、いいお母さんです。しかし余計な事を言ってしまう。そしていつかの大事な絵を捨ててしまうんですね。勿論・・・
はい。出ました。のんの十八番、キレ芸! ゴミじゃねえんだよ‼️
お父さんが来ました。お母さんよりは軽装備。でもなんか持ってます。なんと!さすまた!ソーシャルディスタンスだと。大体ね。さすまた持って歩いてる奴っていますか? 職務質問されたって、当たり前田のクラッカー。
暫し脱線。私もごく最近職務質問されたんですよ。大通りの信号に従い左手のレーンに。すぐ後ろに交番。ボーっと、立っているおまわりさん。はい。私に職質。
防犯登録を確認させてもらいますか?
なんじゃ!それ!暇つぶしか!ある言葉が頭にうかんだ。
行き掛けの駄賃って知ってますか?
知りません・・・
まじか?やや先輩も来た。同じ質問。
知りません・・・
なんじゃあそれ!私は10代から知ってるよ。けっして難しい言葉じゃない。
小難しい事、言いやがって・・・顔にそう書いてた。
落語の一眼国か!私がおかしいのか?知識がある方が間違いなのか?
検索しておけって言ったけど多分しない。私がおかしい人だからね。
閑話休題、その後妹のまい(小野花梨)も来ます。いや、お姉さんに負けてない。喋る喋る。
この映画はのんの企画、製作、監督、主演。いわばのんそのもの。公開が伸びて今時になったけど、もっけの幸いじゃね。(難しい言葉じゃないですよね)
エンディングの桜を観てて、そう思いました。
春よこい。早くこい。日本にも、ウクライナにも。
読んで頂きありがとうございました。
初期のコロナ禍と今の違いに気づく
コロナ禍における物語ってでき始めているが、まだその渦中ということもあってまだまだ作り方が難しそうだ。
本作もコロナ禍真っ最中の物語。しかもテレビで報道されている新規感染者数を見るとコロナ禍の序盤だ。こんなに少ない感染者数なのに今以上にいろいろと制限されていたなとか、どれくらい予防すればいいのかわからないから極端な人もいたなとか、すでに懐かしくなってしまう。
自営業の人や会社経営の人ももちろん大変だが、コロナ禍で苦労している人は高校生や学生のような気がする。何しろ学生たちの一年間はその年しかないのだから。部活動や学んできたことを発揮する場がなくなってしまうのは本当にかわいそう。
卒業作品展が中止になった美大生の物語だから、自分には共感できない気もしたが、そんな心配は不要だった。いろいろとその後がハッキリしないところがあるのはスッキリしないが、それもあまり目くじらを立てるほとではない。それなりに楽しめる映画だった。
おそらく、のんさんが好きな方か、美大生の方を想定した映画?
今年65本目(合計338本目/今月(2022年3月度)7本目)。
大阪市では2週間遅れ、それもミニシアターで1日2回という寂しい状況の中見に行きました。
もうすでに多くのレビューがあるし、結局のところ、「コロナ事情と芸術活動」という論点、さらに、「のんさん」の応援枠という解釈が普通なのではないか…と思います。
特に初監督である(ここの公式サイトより)ことも考えると、ある程度わかりにくい点や、妙にストーリーが飛び飛びになっている点等はあるものの、そこは減点対象ではない状況です(それまで0.5単位で引いてると、新しい監督さんが委縮しちゃう)。
個人的には上記の通り、大阪市では2週間遅れ公開でここである程度の情報を得ていたので、行政書士試験合格者の目線で、「コロナ事情の中でも芸術活動はどこまで許されるか」といった、憲法論的な論点がどこまであるか…という点は意識して見に行ったところです。
(逆に言えば、「私が」この方の「積極的な」ファンではない以上、「ファンサービス映画」という解釈は、「私には」できない)
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(減点0.3) 2時間ほどの映画で、多くの方が触れている通り、初監督といった事情もあり、わかりにくい点や描写が抜けている(恋をしたいのかしたくないのか、趣旨がわからない男性が出るところ等)のは事実です。ただ、何がなんだかわからないという点はないし、お話自体は架空としても「コロナ事情で芸術活動はどこまでできるか」という論点それ自体は史実として実際に現在(2022年2月)も存在し、この点について触れられていた点は評価は高いです。
一方で、明らかに犯罪行為を助長しかねない点もあり(「武器」らしきものを持っていくシーンや、不法侵入を想定できるシーン)、これらの点のサポートがない状況です。
少なくともコロナ事情も2年になり、大学1年で入った方は今はもう3年生になっているという状況です。もちろん地方によっては実際にやっている(=オンライン授業ではない、という意味)学校もありますが、ほぼすべての大学、高校で事実上、オンライン授業になっているのが実情でもあります(換言すれば、入学式と卒業式と、最低限どうしても出ないといけない授業以外は、オンラインになっている)。
その中で、いくら学生証など身分が明らかであっても、武器を携帯したり、それら施設に勝手に入るのは、やはり法律的にはまずいです(もっとも、せいぜい厳重注意程度にしかならない)。
(減点0.1) 要は、本映画の趣旨は、「監督の応援枠ではない」という観点では、「コロナ事情で芸術活動などはどこまで許されるか、均衡関係をどう取るか」という問題提起、そこにつきます(憲法21条(表現・集会の自由)、22条1項(国内移動の自由))。
リアル日本でも、コロナ事情で緊急事態宣言であった時でもこれらは制限されておらず(事実、マスク反対だの宣言反対だのの集会自体は、何ら規制されていない。これを規制すると憲法論になってしまう)、それは映画内でも同じです。
ただ、映画の趣旨的に、特に「コロナ事情と芸大生(美大生)の芸術活動の、政策と活動の均衡」という観点があるのは明らかで、その部分は存在はするものの、その問題提起は足りていないように思えます(ある程度は読めますが…)。
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結局のところ、「コロナ問題の中での美術芸術活動の在り方」という論点か、「のんさんの応援枠」という観点で見るか、それ以外なら、上記の論点で見るだろうというところで(多分、それ以外の論点ってないと思う…)、そうであれば3番目の観点で見たときの感想です。
初めての監督とのことですが、確かにわかりにくい点、ストーリーが追いかけにくい点などあることはありますが、意味不明なこともないし、上記のように明確な問題提起はないものの、「コロナ問題での芸術活動の在り方」という、およそ他の映画でやらないような題材を扱っている、それ自体は事実で、これらに興味があれば一押しかな、とは思えます。
「ゴミじゃない…。」
世界観に頼りすぎでは?
のんも出演していた「8日で死んだ怪獣の12日の物語」からのつながりから出来た作品なのだろうか?岩井俊二と特撮監督の樋口真嗣が関わっているのがエンドロールで気づいた。それ以前、映画を観ている時点で「8日で死んだ・・・」と同じコロナ禍を別の側面から描いたもんだなぁと思っていたが、繋がっている点が多く驚いた。
内容としてはコロナ禍で学校が閉鎖され卒業展も中止になった美大生の話。泣きながら自分の作品を壊すなど、今だから描ける事をリアルに残したことは良いことだと思った。
着想は素晴らしいと感じたが、作品としては疑問が多く残った。要らないシーンが多く、必要なセリフが足りてなかった。観てる人はわかりきってるが一言足りてないと映画の中の世界では成り立たない。観てるとわかるけど、なんで描かれてる人はそれで理解できるの?ってモヤっとする。
「おちをつけなんせ」よりは相当良かったがそれでも満足には達しなかった。エンドロールが一番良かったが、そこでかかる曲はその曲で正解なのか?「おちを・・・」でも感じたが、、、
のんのアーティストとしての世界観を否定するつもりは無いし、映像美を含めて良い作品と感じたが、映画としては別の人に監督と脚本は任せた方が良かったのでは?というのが私の評価になる。なんかチグハグ。
のんちゃんの才能を感じる映画
自称・あーちすとに枠組みなんかない、創造を駆る独特なテイスト
作品そのものとしての完成度は決して高くはないとは思う。でも、見てきたことや感じたことを咀嚼しながら、芸術を題材にした映画として出来ていたと思う。そこに迷いもなく。
自称あーちすと。彼女の肩書きだ。女優としての活躍もあるし、音楽もする。そして今回、監督と脚本を務めた。その才能はやはりすごいと思うし、その中でもストレートな表現にスパイスが効いていて、分かりやすくも似て非なる作品に仕上がっていたと思う。自己満足感の強い作品とは違い、目指しているゴールに観客を連れてってくれる。だから、観ていて咀嚼しがいがある。
強いて言うなら、「あの頃な…」と言いたかった所。最初の緊急事態宣言からの葛藤を、美大生の視点から描く本作。それだけに、並々ならぬ感情を抱えているのは分かるのだが、他も一緒なわけで。なんとなく、笑い飛ばしたいシーンも笑いにくいのが悔しい。それでもそこはあーちすと。芸術家の視点と揺るがない芯による、思い切りのあるスイングが感じられる。今後も期待していいんじゃないかな。
のんさんと言えば、 その人脈の強さも1つ。岩井俊二さんが冒頭に登場し、特撮のクレジットには樋口真嗣さんの名前が入る。また、小野花梨さんや山下リオさん、渡辺大知さんといったキャストも魅力的。お金はかけられていないんだな…とは思うけど、凄く忠実で救いも感じられた。
まだまだ予断は許さない。けれど、分かったことが多いから、今なら少し動ける気がする。あの絶望とはもうオサラバ。「ゴミじゃない。」誰だって自分が分からなくなりそうだったあの時、抱いた感情は紛れもなく、今に生きる。清涼感もある、心地良い作品だった。
溢れる思いと才能
ちょっと自分にはハマらなかった。
のんさん。初の監督・脚本と言うことで期待しながらの鑑賞。
ご祝儀で0.5点を加点(笑)
コロナ禍の中、美大生が行動が制限され苦悩する作品。
のんさんが美しいのは良かったけど、何を表現したかったのか?
あまり共感出来ず。
喜怒哀楽の表情がとても良かった。
CGのリボンは何を表現したかった
のか?
田中君の本人確認のシーンは面白かったけど、ちょっとしつこかった感じ。
ラストシーンは良かったけど全体的に
満足度は高くは無かった感じ。
エンドロールに岩井俊二さんの名前を確認。
調べたら本作の予告編の監督をしていたんですね( ´∀`)
もはやコロナ禍は終わった❗️と言える日はいつ来るのだろう
のんさんが頑張ってる。応援したい。
そういう思いはあります。
でも、その気持ちの部分を除くと、映画としてはあまり面白くはないと思います。スローテンポの多用で全体としてかなりまったり感に覆われますが、それがさして効果を発揮しているようには感じられませんでした。
ただ、コロナ禍による時間と機会の喪失、はけ口のない停滞、出口の見えない焦燥感、そういった社会の変化の実害をモロに受けてしまった若者たちの心情は痛いほど伝わってきます。
そしてもうひとつ、自分の思い違いかもしれない、と知らされたこと。
それは、コロナ禍による変化をコロナ前とコロナ後で分けて考えることが増えてきましたが、実はまだコロナ後というのがまったく見通せず、戦前、戦時中、戦後という概念と同様、コロナ(禍)中という区分も考えなくてはいけないということ。
もはや戦後ではない、と1956年の経済白書が宣言し所得倍増計画が始まったたように、もはやコロナ禍ではない、と宣言して、所得2割増計画(いや、この際1割増でも良しとします)がスタートすることを切に願います。
いつか、という名前…いつかは報われる日が来るということでしょうか。
大丈夫‼️
必ず来ます。
コロナ禍
のんは、自分をわかってる
のんが監督、脚本、編集、主演を務めた「ribbon」を観る。大ファンの私も、大ファンだからこそ、ちょっとというか、かなり不安はあった。何だか学園祭や自主制作映画のような「自我」がダダ漏れな感じになってないかなと。
120分の上映時間。見終わった後、迷わずパンフレットを買った。何というか、最高の自主制作映画という感じだった。
コロナで大学が閉鎖された美大生の話。脚本や台詞には「いや流石にそれは」というものもあった。
でも、のんの存在感と感情を揺さぶるシーンが帳消しにしていく。
本人が脚本を書き、絵コンテを描いたという映像の中で、のんは剥き出しの表情で地団駄を踏むように苛立ちを表し、次の瞬間、世界が明るくなるような笑顔でキュートに笑う。
のんを表舞台に戻す事になった「この世界の片隅に」
戦火の困難にもいつでも笑顔の「すずさん」が、クライマックスで叫び声をあげる。
その叫びは戦争を含むこの世の無情への叫び声であり、能年玲奈がその頃被っていた様々な理不尽な状況への叫びでもあった。
<ゔわぁぁ〜!>
芸能界で過去例をみないほどに干されていたのん。
テレビで彼女を見ることはなく、正に「いないこと」にされていた。
その状況が彼女に与えたものは、大きな力に抑圧されるものたちの象徴としての存在。
それは抑圧的な時代に生きる私たちにもどこか似ていて、彼女が叫ぶ時、僕らも叫んでいるように思えた。
「ribbon」でもそんなシーンはあった。
自分の作品を理解されなかった時、芸術を要らないものとされた時、友人に自分の気持ちを伝えられない時、のんは大声で叫ぶ。小動物のように怒りをあらわにする。言葉にできない苛立ちを、全身で表現する。
彼女自身の脚本の中で。
発見があった。
彼女は十分に自分自身を客観視できているということ。
それまで僕は、のんの俳優としての才能は、彼女の特異なキャラクターにふれた脚本家や監督が「当て書き」のようにセリフや台本を書く事で実現されてきたのではないかと考えていた。
彼女自身は、それほど「演技」をしていないのではないかと。
映画を見る前の心配もそこからきていた。
彼女が、自分の好きなようにやったら、ちょっと痛い感じになるんじゃないかと。
でも、そんな事はなかった。映画では、計算と計算外が相半ばする。例えば、無数のリボンを心象風景として映像に浮遊させる演出。そんなに斬新ではないし、PVを初めて作るバンドのような稚拙さを最初は感じた。
でも映画が進むにつれて、その稚拙さもある種の味に変わっていく。
ぎこちない脚本や台詞回しも、どこまでが意図したものかそうでないかわからなくなり、またどうでもよく思えてくる。
きっとこういうことだ。
のんは、自分自身の魅力をある程度理解していて、どこまでが自分で、どこまでが役なのかわからない、その「区別のつかなさ」が自分の本質であることもつかんでいる。
僕はちょっと驚いて、少し安心した。
彼女の才能には、まだまだ先がある。
予告編を作ったのは岩井俊二(!)
彼はパンフレットでこう書いた。
「皆様、2時間近い劇場映画をあなたは作れると思えます?普通思えないですよ。作れるかどうか以前に、作れると思えるかどうか、というハードルが立ち塞がることを僕は見逃しません、のんさんは思えてしまった」
ある種のアイドル映画、ではある。
でも、その映画はアイドルその人が作っていて、その人は時代と共振するシャーマンのような資質を持っている。
その自分自身の資質を把握する力と、その自分自身の枠さえも突き抜けていく可能性がある。
テアトル新宿。かなり大きなスクリーンで上映している。
彼女が苦手な人にはお薦めしないけど
(そう思う人がいても仕方ないっす)
気になっている人は、絶対見ておいた方がいいと思う。
「弱いつながり」の強さと重さと
自分には2020年のコロナ禍での自宅待機の頃の記憶がほとんどない。自宅には家族がいて、普段通りの会話をしていたし、仕事はリモートワークで確りと支障なく繋がっていた。
ただその間、友人や知人とのたわいの無い会話は完全に閉ざされ、街や公園は人がいない無機的な環境になってしまっていた。
家族は大切な存在だけど、その繋がりが強すぎて、時に煩わしく時に息苦しさも感じてしまう。「弱いつながり」の大切さはコロナ禍で失って初めて気がつくもの。
それはSNSやビデオチャットのようなもので満たされるものではなく、リアルの質感や重みを感じさせるものでなくてはならない。あのRibbonのように。
コロナ禍での息苦しさや繋がりの重みに真正面から向き合っていて、10年後にこの作品を観た時、私たちはどう感じるのだろうか。
予想以上ののん監督のリテラシーに脱帽。
セリフのひとつひとつが繊細で丁寧で自然なところがとても心地良い。
中盤以降のコメディタッチandウェルメイドはいい
予告編(作・岩井俊二)がしんねりしていたので観るのをためらっていたけど、確かに立ち上がりはそんな感じなのだけど中盤から、そう、小野花梨(超絶いい)が出てきたあたりから完全にコメディ色が強くなり、女の子の友人をやらせたらこの人の右に出る者はいないという山下リオに繋がると本当に元気が出て、泣ける青春映画にまとまってとても良い気持ちで劇場を後にできます。
脚本も書いてるのんちゃんのメッセージではなく、自分を見ててくれている人、たったひとりでもそれが勇気になる感じがちゃんと伝わっていて。
なので、振り返ってみると予告編がこの映画の良さを伝えきれてないのでは、という気もしてくる。予告編もこの際若い勢いでやっちゃってもよかったのではないかと。でも将来、日本のブックスマートみたいなもの作れそうな人だと思いました、のんちゃん。
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