沈黙のレジスタンス ユダヤ孤児を救った芸術家のレビュー・感想・評価
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迫害や暴力に屈しない、芸術家の心意気
おそらく史上最も有名なパントマイム役者であり、舞台芸術に詳しくなくてもマルセル・マルソーという名前に聞き覚えがあるという人も多いのではないか。そのマルセルが、まだ何者でもなかった第2次世界大戦の頃の実話だという。
ドイツ国境に近いフランスの街に暮らすユダヤ人一家の次男であるマルセル(ジェシー・アイゼンバーグ)は、家業の精肉店を手伝いながらもチャップリンのようなアーティストを夢見ている。何より自分の夢が大事な青年が、思いを寄せる女性エマに頼まれしぶしぶ手伝うことになったのが、ナチスに親を殺されドイツから逃れてきたユダヤ人孤児たちの世話。本作は英語劇なので若干あいまいになっている気もするが、孤児たちにとって、家族を失う過酷な体験に加え、外国に連れてこられて言葉の壁があることも心を閉ざす要因になっていたはず。
そんな子供たちを見て、マルセルが即興で演じてみせたパントマイムが、無言の身体表現だからこそ言葉の壁を乗り越え、子供たちを一瞬にして笑顔にすることができた。そもそもマイムは歴史的に、多言語が行き交う中世の欧州を放浪した大道芸人によって洗練されたといい、そんなマイムの本領があの場面で発揮されたわけだ。子供たちとの交流は、マルセル自身を成長させることにもなる。妹をナチスに殺され復讐を口にするエマに、マルセルは「殺された家族が生き残った者に望むのは、ナチスを殺すことではなく、子供たちを救うこと」と言い聞かせる。
ナチスドイツは勢力を拡大し、ついにフランス全土を占領。マルセルたちは子供たちを中立国スイスへ逃がすため、冬のアルプスの雪山を越えることを決意する。子供たちを連れてスイスに脱出という点で思い出すのは、ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」。同作でも、戦争の暴力性と対照的な、美なるものを愛する人間性の象徴として、音楽が効果的に使われていた。戦時中のマルセルはまだ無名だったが、迫害や暴力に屈しない芸術家の心意気は確かに持っていた。現代美術界の巨匠ゲルハルト・リヒターをモデルにした昨年日本公開の「ある画家の数奇な運命」もそうだが、国家や戦争による暴力のカウンターとして芸術や芸術家を描く映画は、これからも作られ続けるのだろう。差別や暴力を生むものに対抗する芸術の使命が、映画自体にもあることを証明するためにも。
パントマイムの神様にこんな壮絶な日々があったとは
白塗りにキュッと引かれた赤い唇。落涙しそうなほど寂しげな瞳。ひと目見たら忘れないメイクでおなじみのパントマイムの神様、マルセル・マルソーにこのような日々があったとは知らなかった。ジェシー・アイゼンバーグ演じるのはまだ何者でもなかった頃の若き彼。バーでチャップリンの真似事のようなパフォーマンスを演じつつ、自宅では気ままに絵を描き、父親に将来を心配されながらもいちおう家業を手伝うなどの最低限の息子としての責務は果たしている。そんな彼がナチスによって親を殺された子供たちを保護し、やがては仲間と共にレジスタンスへと身を投じると急激にサスペンス色が増す。史実や人物を丹念に紡ぐというよりは、演出としての緊張感が意識され過ぎている感が否めず、その温度差にやや戸惑う場面はあれども、戦争が様々な傷痕を残す中で「芸術」には一体何を成すことができるのか、暗闇の中でその答えを必死に手探りする視点には心動かされる。
出鱈目な話に加えて、なんでパントマイムも出来ない俳優に演じさせるの...
出鱈目な話に加えて、なんでパントマイムも出来ない俳優に演じさせるのか?理解し難い。
演者ではないので、主人公の全てを否定したくないが、パントマイムを強調して撮影はしていない。従って、名前だけで彼の偉業を判断する他ない。だがしかし、一人一人の人物設定も眉唾な設定になっている。
レジスタンスは一枚岩ではない。
ドイツ人の自虐的歴史史観であるが、ことごとく否定したくないが、大日本帝国はそのドイツと友好国で、しかも、ドイツからヒトラーがいなくなった後も自由と民主主義のアメリカと戦っていた事をわするべからず。しかも、この映画にも登場するパットンとの地位争いに勝って、大統領になったアイゼンハワーはドイツ系のアメリカ人である。
日本人は誤解していると思うが、この主人公を何人?と聞いた場合。
即座に『ユダヤ人』と答えるだろう。チコちゃん◯叱られる!
ユダヤ系フランス人になる。
但し、日本に於ける在日韓◯人若しくは朝◯人はまた別で国際的にも大変に特殊なアイデンティティと理解するべきだ。ともかく、多くの日本人はそれを分からないで、生活している。
レジスタンスの在り方
いっときはレジスタンスに参加するマルセル。
駒に過ぎないバルビーらに復讐するために命をかけることより、子どもたちの命を救うことを選ぶ。
マティアス・シュヴァイクホーファー演じるのはリヨンの虐殺者と呼ばれるクラウス・バルビー。
彼がフランスで裁かれるのは80年代を待たねばならない。
フランス人の密告や、ドイツに劣らず激しかったユダヤ人迫害を描くなど、意欲作でもあるように感じた。
ただ肝心のパントマイムがいまいちだったような…
チャップリンとあまり変わらないように見えたけれど、この時代のパントマイムはこうだったのだろうか。
文化人と野蛮人を分けるもの
文化人と野蛮人を分ける一つの指標として芸術を楽しむ、解するがある。
文化を解さないとは人間性を失った蛮人なのである。
視野を広げれば、他者の文化に対する無理解にまで行き着き、人とは思えない蛮行を生み出す。
本作に当てはめるならばそれはホロコーストなのだ。
作品序盤、水の入っていないプールに並ばせられた者たちはサーカス団員のような服装だ。
ナチスが迫害したのはユダヤ人だけではない。身体的な不具の者や同性愛者なども迫害された。これはナチスの将校がどこかで教えてくれる。迫害されたのがユダヤ人だけではないことを扱う作品は意外と少ないので、これは良い。
話を戻すと、サーカス団員らしき者たちはおそらくそういった身体的不具の人たちなのだろう。彼らはあっさりと殺されてしまう。
サーカスも一種の芸術だ。つまり彼らは芸術の体現者だった。芸術の体現者はもちろん文化人に違いない。
物語を牽引する主人公マルセルは、自分を役者だと言い、パントマイムをする。
ナチスの追及を逃れるためだとしても、子どもたちには歌を教る。
マルセルは文化を伝播させようと努力する人、もちろん文化人ということになる。
ラストはマルセルのパフォーマンス。観るのは連合国の兵士たちだ。
戦場へ赴く兵士だとしても人間性を失った蛮人のような殺戮者にならぬように芸術を嗜む。
迫害される者と迫害する者を文化人と野蛮人として一貫させてラストまで持っていったのは良い。
表層的な物語は数多くあるホロコースト関係の作品と大差なくとも、この一点において独自性を生んでいる。
いくつかの良い言葉があり、そして、映画という芸術を愛する映画ファンとしては、芸術の話をされたら評価せざるを得ないのである。
嫌な時代の話
ナチスに関する映画はたくさんあるけど、どれも暗い気分になってしまう。
あの場面、もう少し木の上に居られなかったかな。あとあんな雪山で寝てしまったら凍死しそう。そういうところは映画的だった。
また、全般的にパントマイムがあまり上手くなかったため、史上最高と言われてもピンと来なかった。
評価:3.2
“パントマイムの神様”"沈黙の詩人" と呼ばれたアーティスト マル...
“パントマイムの神様”"沈黙の詩人"
と呼ばれたアーティスト
マルセル·マルソー
1940年6月
ナチス·ドイツはフランスを占領
俳優を目指していたマルセルマルソーは
親を亡くした子どもたちの世話をし
パントマイムを通して笑顔にさせていた
1942年
ドイツ軍はフランス全土を占領
安全な地へと子どもたちをスイスへ逃がす
多くのユダヤ人孤児を救った実話
彼が20歳になる前のこと
子役のほとんどが
ユダヤ系チェコスロバキア人だそうです
ホロコーストを生き延びた人々の子孫
彼らが願った命は繋がれてい
単に子どもたちをパントマイムで楽しませていただけかと思ったら、実際...
単に子どもたちをパントマイムで楽しませていただけかと思ったら、実際に国外に逃がす活動もしていたとは意外だった。
ナチスからの追跡を受けるシーンは緊迫感十分。
ナチスへの復讐が本意ではないため、ただ逃げるだけで終わったが、できればユダヤ人迫害の報いを受けるところまで描いてほしかった。
マルセルマルソーの知られざる一面だった
実話に基づく話。
マルセルマルソーは有名なパントマイムの役者。誰もが知っていると思う。
そんな彼に、このようなエピソードがあったと初めて知った。ナチスによるユダヤ人虐殺。その中には当然、多くの子どもたちがいた。子供たちを山を超えてスイスの国境を越えさせるという命懸けのことを、一度ではなく何度もやっていた。何という勇気でしょう。
123名の子供たちはその後成長して家族をもったことだろう。結果的にはその何倍もの人を救ったのだ。
戦争は人の理性を狂わせるが、そんな中でも周りに左右されず信念に基づいて正しいことを見極め実行するのは簡単ではない。
とてもいい映画だった。
演出し過ぎだと。分かっちゃいるけど泣かされる。
ここ数年のナチスものの中では、コレが一番良かった。と言うか好き。
第二次大戦中のフランス、ヴィシー政権時代に、ユダヤ人の子供たちを匿い、国外へ逃がしていたと言う逸話に基づくドラマです。
はい、ここから、いきなりですが完全脱線モードに入ります。
史実で有名なフランス人と言えば、アンドレ・ドロクメ牧師とマグダ・ドロクメ夫妻。彼はル・シャンボン・サー・リグノンという村にある教会の牧師。プロテスタントのユグノー会衆11の教会と村ぐるみでユダヤ人を匿い、レジスタンスや学生組織と協力しながら、アルプス越えでユダヤ人をスイスへ脱出させていました。彼が救ったのは、3,400人と推定されているらしく。今回の物語りのプロットは、ドロクメ牧師夫妻のエピソードに基づくものと推測します。エンドロールで50,000と言う数字が出ましたが、これはマルソーが係った件のみならず、フランス全体としての数字だと思われます。
当時のフランスには32万人のユダヤ人が暮らしていました。ホロコーストで命を落としたのは最大で11万人と考えられており、30%を超える人が犠牲になっています。
ヴィシー政権は、ナチスSSと一緒になりユダヤ人をホロコーストに送り込んだ。ドイツに占領された国は、程度の差はあれ同じだったんですが、一か国だけ、敢然と歯向かった国があります。デンマークです。映画にもなっている有名な国王クリスチャン10世は、以下の様に発言したと言う逸話が残っています。「もしナチスがユダヤ人への非人道的な措置を要求した場合、われわれは皆”ダビデの星”のバッジをつけようではないか」。
実際、盾突きまくったデンマーク人。村にいたユダヤ人1,000人を、村中で協力して匿い、一人残らずスウェーデンに脱出させたのは、コペンハーゲンの北にあるリンビィの人達。全員が杉浦畝な訳です。すげー。偉いです。すご過ぎです。
ほぼ一か月の間に、デンマークを脱出したユダヤ人の総数は7,742人。ゲシュタポに逮捕され収容所送りになったユダヤ市民は472人でしたが、そのほぼ全員が生還しています。デンマーク政府が、収容所からの解放を要求したんです。ベルリンに。
ここで、母国ドイツの敗戦を予測し、ヒトラーからの命令を忠実に実行する事よりも、デンマーク政府との関係性を重視した、ドイツ全権代表ベストの存在は大きかったと考えられます。デンマーク政府は、「高齢者・家族持ちの解放」、及び、「解放されないユダヤ人も、テレジエンシュタト収容所(チェコ)に留める事」を、ベストを通じてベルリンに要求します。このテレジエンシュタトは中継地であり、ガス室のある「死の収容所」では無く、環境も過酷では無かったため、ほとんどの収容者が生還することになります。が、そもそも、ナチスの内部事情に詳しくなければ、そんな要求ができる訳もなく。ベストは、その他、ベルリン側の諸情報をリークしていたと考えられています。
国王クリスチャン10世に倣い、毅然としながら、悪知恵も使い、うっまい事やりやがったデンマーク人。今の俺たち日本人に、こんなこと出来ますかね?
映画にするなら、これもやって欲しい。
デンマークの一般人も、マルソーに負けずに偉い。
って思いました。
沈黙の詩人
マルセル・マルソーが、
数人ずつの子供を笑わせて、
子供をおんぶして、
国境を越える話でした。
マザーテレサ:
「大きなことをする人たちはたくさんいます。けれど小さなことをしようとする人は少ない」。
― これですね。
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ただ、構成について、
少し違和感を感じたので調べてみました。
・思ったほど劇中でパントマイムが演じられていないし、
・少しパントマイムを想起させる動作をしても、それはパントマイムそのものではなく、マルソーのマイムをうっすらとイメージさせるものでしかなかったから。
調べた結果、
なるほど、本作品はいわゆる〝マルセル・マルソー物語〟として脚色するために、時系列的には前後するエピソードをシェイクさせた、2つのテーマによるものであったと判明。
すなわち
①10代でドゴールの呼びかけに応えてパルチザンに加わり、子供たちを助け、堪能な英語力で連合国軍のパットン将軍の部隊を渉外係として支えた「対独戦争の功労者」としてのマルソー。
(パントマイミストになる以前のマルソー)。
そして
②戦争が終わってから=終戦後に=演劇学校に入って、ジャン・ルイ=バローらと共に演劇・パントマイムを学び、フランス政府も絶賛する「世界一のパントマイマー」になったこと。
よって、シェイクです。
フランスの誇るパントマイマーマルセル・マルソーは、若い頃にもレジスタンスとして画期的働きを成し、文武両面で偉勲を成した国家の英雄であった旨伝える、
そういう〝偉人伝作品〟に仕上げたわけですね。
観始めて首をかしげた「パントマイミストとしての描写がなんか中途半端かな?」という違和感の理由がこれで解明しました。
せめては映画のエンディングででも、マルソー本人のアーカイブ映像をしっかり流してしてくれれば良かったですね。
あの冒頭の、連合軍兵士たちの前で白い衣装で立つマルソーの こじつけシーンは、きっとそれで大幅に違和感が緩和されたと思うのですが。
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【派生して思うこと】
コロナウイルスによる不況で、世が荒れ、隣国への蔑みが止まりません。
国内においても貧しい移民や生活保護受給者に向けて、あるいは“上級国民”と富裕層へのルサンチマンの憎悪が逆巻きます。そのようないまの我が国日本にとっても、教わること大の映画でした。
ヒトラーは不況の最中に台頭しました。
ヒトラーは差別と分断を煽りました。
ヒトラーは人間の心の中に存在する差別と分断の思いを焚き付けることで、国民を熱狂的親衛隊に仕立て上げたのです。
水色のベレー帽をかぶった少女にお父さんは、「そうであってはいけないよ」と語ります。
ドイツナチの軍事侵攻はフランスを南下して国土を奪い、フランス国内においてはフランス人=Vichy政権が自国の国民を心の内側から侵した。
劇中で欧州の地図が表すその侵食具合が、ハンフリー・ボガートが「カサブランカ」(1942)で見せた「Vichyワインの叩き棄てシーン」を想い出させます。
そして重要な出演者、実在の「リヨンの屠殺者クラウス・バルビー」は、芸術を愛し、生まれたばかりの娘にも何かを習わせたいと笑顔で望むマイホームパパ。
ところが彼はピアノを奏でながらピストルを取り、呆気なく捕虜を処刑し、レジスタンスの生皮を剥がす。
ドイツは芸術を愛する国。しかしその芸術を用いて戦火を鼓舞した国でもあります。
自分の心の中のナチス。
自分の心に蠢くヘイト。
それら自らの心に巣くう二面性や悪魔性と、血を流してでも戦って、崇高な人間の魂を奪還しなければね。
棘のある言葉を慎み、
温かな眼差しと 手と腕のいざないで
そよ風を生み出すパントマイマーのようになりたいです。
・・マルソーが子供たちの手を取ったこと。子供たちをおぶったこと、
あれも、人の命を体温で感じるパントマイムだったかも知れません。
エマやミラを失った彼の、祈りのマイムだったかも知れません。
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戦争の恐ろしさと人間の素晴らしさ
戦争映画は あまり見たくない。
銃撃戦や爆弾戦、戦車、飛行機などで国同士、兵士同士が戦う話は 全く観たいと思わない。
でも…一市民達から見た戦争の話は別。
それが、かの有名なパントマイマーのマルセル•マルソーの実話なら!マルセル•マルソーについては幼い頃、何かで見た気がするくらいだったが、マイケル•ジャクソンのムーンウォークのヒントになったという事は知っていた。観たいと思った。
凄く怖かった…
とにかく ずっと 心臓がドキドキして、緊張しっぱなし😨💦
でも、観て良かった!
改めて戦争の醜さ、恐ろしさを感じ
それに対抗する人々の崇高な志に感動した。
[以下ネタバレ含みます]
物語が始まるやいなや、突然に幸せな日常が消されて行く!少女はどうなるの?!と ずっと最後まで、怖いけど見届けなければ!と思った。
マルセルが兄アランと共にレジスタンスになろうとする動機が、少し分かりずらかったけど、親が結婚を勧める相手 エマが一緒にいたというのもあったのだろうか?
最初は孤児達がバラバラだったのが、マルセルのパントマイムに魅せられて みんな笑顔になって元気になって行く…しばし 安からかな時間…でも、
すぐにナチスが迫って来る!どうする!?
大人達は子供達に逃げる術を教える。その中で、マルセルが木になれ!木の一部になって見えなくなれと木登りを教えるシーンが とても面白い。それが、後に生きて来るが、もう…心臓に悪い…。あの時、もう少しずっと木の上でナチスが居なくなるのを待ってたら…どうだったのかな?やはり見つけられた可能性が高かったのかな?
マルセル家族は全員故郷を去って逃げた…
マルセルと父のエピソードが 私は好きだ。
故郷にいた時はマルセルの芸術活動に全く否定的であった父が、何と!客の前で自慢の歌を披露していた!それを見たマルセルは信じられず父に訊く。すると
「歌が好きだった。でも、親もその親もずっと肉屋だった、肉屋をするしかなかった。だが、全て奪われた…だから 歌えた」と言う!そうか…奪われたから叶う夢もあるんだ…不思議な感覚。マルセルに「飢えて欲しくなかった」という親心をやっと知り、良かった!と思っていたのに…😨ナチスの罠に嵌ってしまった父。
マルセルは父の為にも芸術活動を続けたのだろう。
マルセルはパントマイムだけでなく絵画も得意で、パスポートの偽造も出来る人だったんだ…😳
ユダヤ名(マルセル•マンジェル)からフランス名へ それでマルセル•マルソー。終生 その名を使い続けたのは、戦争の記憶を消さない為だったのだろうか…
とにかく、ナチスが怖い。残虐非道なシーンが極力 映像として描かれてないから、私でも見れたが、映像になくても、ナチスの将校クラウス•バルビーの演技が凄まじく恐ろしく(いかにもナチス!のイメージ…本当にドイツの俳優だった!)て、エマとサラが捕まり、拷問を受ける…想像するだけで…😱心が引き攣る…
あの後 エマは釈放される。エマはサラへの拷問に耐えられず 仲間の事を吐いてしまったのだろう。でも…サラは殺された。もしかしたらエマが拷問より死をと訴えたのかもしれない…アランと愛し合えた喜びの直後 またも突然の捕縛!そして、死と恐怖。
そして、そのおぞましい中尉も 生まれた子供を愛する父であるという事実。
マルセル達が逃亡する途中で、子らの合唱に感心して、マルセルに「どうしたら芸術方面に子を向けさせる事が出来るのか?」などと質問していた!残忍な事を平気で出来る事と芸術を愛する事、それが一人の人間の中で共存する姿で有る事が 恐ろしい…違和感。
でも、それが 「戦争」の最も恐ろしい所だと思う。普通の人間が狂わされる!もし 戦争が無く、ナチス党員で無ければ…彼も 普通の良き父親として生きて行けた…かもしれない。
ラスト辺りの緊張感は 本当に息が出来ない程!心臓がなりっぱなし!でも、遂に 子供たちは助かり、エマは…
この後、何とマルセル達?(兄アランは?)は
何回もアルプス越えという難局を経て多くの子供たちを救ったという…
同じ方法だと ナチスに感ずかれてしまいそう!本当にどうやって成功させたのか…
自分なら、あの追われる恐ろしさに怯んでしまいそう!
当時のレジスタンス活動は分からない事だらけ。あれだけの人数の食料を賄うのはとても大変な事だったろう。今のような通信手段も無いのに、外国から物資や資金援助があった事に驚いた!と共に、どんな狂った戦争、世情でも、
人間として在るべき姿を貫こうとする人々が居る事に感動する!
戦争後のアメリカ兵の前でパントマイムを披露するマルセル。その表情が悲しく、でも…力強く…素晴らしい!
戦争の恐ろしさと 生き抜く力強さ、勇気、人間の愚かさ、優しさ、気高さ、色々な想いを抱かせられた映画だった。
Wikipediaで調べたら、マルセルは英語力が優れていた為、パットン将軍の元で「渉外係」という役をしていた…とあった。それで…「兵士たちの仲間」だったんだ…。
でも…今 Wikipediaには マルセル達の映画で描かれた行動は、全く載せられていない。それは、自らは話さなかったから…らしいけど、では 何処から?マルセルに助けられた孤児達からなのだろうか…
主人公の笑顔がよい
パントマイムといえば、ヨネヤママコが思い浮かぶ(汗)
「マルセル・マルソー」と言う名前は知っていたけれど、彼のパントマイムを元に、ルイ・バローが天井桟敷の役を演じた?とか。
彼の活動も知らず、ましてやレジスタンスだった事、ユダヤ人の孤児たちを救った事も知らなかったので、ヘーっとビックリばかり。
けれどもこの映画では、肝心のパントマイム場面は少なく、いわゆる芸術家を目指す若い彼の模索途中と言う感じだった。
アウシュビッツに関する映画としては、悲惨な画像はあるけれど、見る側からしたら少し楽だった。それは、多分、全体主義として大勢の収容者たちをいたぶる場面がなく、戦争という名の非日常の中の壊れてしまった人、バルビーの行為として受け取った自分だからかもしれない。
戦争になると、普通が普通で無くなる恐ろしさ、何かした罪、何もしないでいる罪、そんな事を強く考えさせられた。
戦争は、絶対にしちゃいけない。
余韻が残る映画である。
【後年の天才パントマイム・アーティストは、若年期は高所大所の考え方を持つ人道主義者だった。マルセル・マルソーと仲間達が子供たちを連れ、スイスを目指す緊張感が凄い作品。】
ー 今作でマルセル・マルソーを演じたジェシー・アイゼンバーグは”あるシーン”を除いて高速台詞トークを封印している。そして、それが効いている。ー
◆感想
<Caution‼内容に触れています>
・ユダヤ系の少年少女が、アルプスを越え、永世中立国スイスに逃げ込む映画では「少女ファニーと運命の旅」が記憶に新しいが、今作の逃亡シーンも相当にスリリングであった。
・ピエロになりたかった肉屋の息子マルセル。彼は、当初はユダヤ系の子供たちを逃がすことに手を貸す事より、自分の夢を果たす事に夢中になっているように見えた。
ー だが、両親をナチスに殺された少女、(冒頭の苛烈なシーン・・。)が笑顔を無くしている時に、笑顔を取り戻させる仕草により、少女が微かに微笑み、子供たちが彼の仕草で大笑いする姿を見て、生来の人を笑わせる楽しさに気付いたのではないかな・・。ー
・恋心を寄せるエマも、彼の姿を見て心が動いて行く。
だが、そんな中でも、ナチスはフランスを占領し、本格的に民族浄化に入る。
ー ナチスのバルビー親衛隊中尉の執拗なまでの追跡。そして、レジスタンス運動に身を投じたエマとミラは市民の密告により、捉えられ・・。
当時、実際に多かったというフランス人の密告。匿う人も多かったが、密告する人もいたのだ。
ナチスの人の心の弱みに付け込んだ行為は、赦しがたい。ー
・マルセルが仲間に言った言葉が素晴しい。
”敵を倒すより、未来を考え、一人でも多くのユダヤ人の子供を救おう・・”
・そして、いよいよ危険が迫り、マルセルたちは列車で子供たちをスイスへ逃がそうとする。この列車内での彼らと、バルビーとの緊張感溢れる遣り取り。
高速台詞で、バルビーの気を逸らそうとするマルセル。トイレに隠れるエマ。
密告により山中に逃げ込んだマルセルたちを執拗に追い詰めるバルビー達。
<テロップで流れた、バルビーの末期。一方、世界的名声を得たマルセルとの対比もシニカルである。
奢れるものは久しからず、である。
バルビーにも可愛い幼子がいたのに・・。
悪行は必ず報いが来る.善行はきっと、誰かが観ている。冒頭とラストでエド・ハリス演じるパットン将軍が多くの連合軍兵士の前で言ったように。
そして、マルセル・マルソーの瞳に涙を浮かべたパントマイム。
あの涙は、エマを思ってのモノだと、私は思った。>
<2021年10月17日 刈谷日劇にて鑑賞>
命をつなぐことがマルセル・マルソーの正義
子どもたちはもちろん役者一人一人の演技や緊張感が素晴らしかった。
ユダヤ人の子どもたちを救うためにただ武器を手に取るのではなく、過酷な現実から生き延びるために前を向いていく力強さを感じた。
全41件中、1~20件目を表示