エッシャー通りの赤いポスト : インタビュー
園子温と新人俳優たちが圧倒的な熱量でスクリーンを占拠!
鬼才・園子温監督による最新作「エッシャー通りの赤いポスト」が公開される。今作には園監督初のワークショップに参加した51人の俳優の卵が参加、ある映画に出演するため、それぞれの思いを抱きながら応募用紙をポストに投函し、オーディション会場に集う人々を描く群像劇が繰り広げられる。“何者かになりたい”そんな思いを抱えた若者たちが全身全霊をかけた圧倒的な熱量、園監督の深い映画愛と絶妙なユーモア、そして繊細な詩情を湛えたみずみずしい作品だ。彼らのように映画に出なくとも、すでに大人になっていたとしても「人生の主役は自分」――この映画からそんなポジティブなメッセージを受け取ってほしい。公開を前に、園監督と5人のキャストに話を聞いた。
――個性豊かな5人を演じたみなさんの、それぞれのオーディション参加動機は?
●カリスマ映画監督の小林正役、山岡竜弘 園監督の芸術に自分は必要か?と問いかけたかった
演技は20年ぐらいやっていますが、自分が好きだと思う芝居が必ずしも世間の良しと揃わない時がありました。それでも自分が思い描く理想の表現を一生求めていきたいので、自分の表現を提示して測って欲しかったし、園監督の芸術に自分が持つものは必要かと問いかけたかった。映像作品では経験3年ぐらいの新人なので、今回、全く歯が立たないと感じてしまう瞬間も味わい悔しい思いもしました。でも、その荒削りなものの中に何か輝くものがある!ということを園さんが教えてくれたような気がして。僕は決してうまいタイプではないかもしれないけど、それを理由にあきらめないでいいんじゃないかと希望を見出すことができました。
●助監督ジョー役、小西貴大 園監督の大ファン「ヒミズ」を毎年見ている
上京して俳優になり、映画に出たいと思っていました。園さんの映画が大好きで、一番会ってみたかったのが園監督で、願わくば出演したかったし、やっぱり1秒でも多く園さんに見てほしい、認められたいという思いで応募しました。僕は特に「ヒミズ」が好きで毎年見ています。DVDに入っている「ヒミズ」のメイキングがもうめちゃくちゃ好きで、見るたびに熱くなれますし、本当にここまでやらないといけないって思わせてくれるんです。
●切子役、黒河内りく 演技はほぼ未経験、園監督を知らなかった
事務所のマネージャーさんがオーディションを教えてくれて応募しました。実は、失礼ながら、その時は園監督も作品も存じ上げておりませんでした。まだ俳優活動を始めて半年も経ってない頃だったので、駆け出しの中で、とにかく与えられたものはすべてやるという流れの中での出会いです。切子役が決まった時は、喜びよりは与えられた使命なので、やり遂げるしかないなという気持ちでしたね。園監督は俳優に厳しいという噂をちょっと聞いていましたが、全然全くそんなことはなかったです。むしろ愛を感じるというか。51人もいるのに、ひとりひとりにちゃんとアドバイスをされて、イメージが覆りました。
●安子役、藤丸千 自分自身と安子は正反対なのに不思議と惹かれた
園監督が6年前に「ひそひそ星」の公開の時に高円寺で個展をされていて、そこで詩を読む朗読モデルとして初めてお会いしたのですが、それから演技を見ていただく機会がなくて。で、今回のオーディションの募集要項に「気球クラブ、その後」に続くようなテーマの作品になるかもしれないって書いてあって、私は園監督の初期作品が特に好きなので、これは応募しなければと決意しました。オーディションではじめていただいた安子のセリフに惹かれ、他の役もある中で私は一貫して安子を演じたかったので、決まったときはよし!って思いました。
●方子役、モーガン茉愛羅 過去の園監督作品のオーディションでは落ちていた
この映画の主催のアクターズ・ヴィジョンのワークショップに良く参加していて、お芝居をやってみたいとずっと思っていました。実は、3年前ぐらいに園さんの映画オーディションに行ったことがあって。その時に園さんはいなくて、映像審査で落とされていたんです。それで、直接芝居を見てもらいたいと思って、今回参加しました。オーディションでは安子や切子を演じることもあったのですが、ワークショップで方子というキャラクターが出てきて、私は方子一本で行こうと思って積極的に演じて行きました。
■園監督に聞く
――ワークショップに参加した彼らの現実と、オーディションから映画製作を描くという虚実入り混じるような作品ですね。
今回はこういうワークショップの映画なので、彼女、彼らたちの等身大の作品にしてみたいと思っていました。日常とあまりかけ離れたものではなく、ドキュメンタリーにも近いものをドラマ化していくような気持ちがありました。
――ワークショップ中に新たな役柄を追加されたりと、脚本も即興的に変化されていったのでしょうか。
ハリウッド用に書いた「エキストラ」というタイトルの台本がありまして、それがまだ完成していなかったんです。そのアイディアだけちょっと抜粋した形で、ちょうど良いタイミングでこれ使えるなと思って。実際、その映画はハリウッドで来年撮影が始まります。公開はこの「エッシャー通りの赤いポスト」が先になりましたが、非常に近いストーリーです。
――物語の先が予想できない面白い展開、出演陣の荒削りな部分もフレッシュに感じるような、園監督のオリジナル脚本の良さが十二分に発揮された作品だと思いました。ハリウッド作も手掛けながら、国内では無名の俳優たちと映画を作るということはどういったご経験になりましたか?
実際、僕のハリウッドの友達のショーン・ベイカー監督(「タンジェリン」「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」)は、毎回、街で見つけたような素人で映画撮ってますからね。彼の最新作も、映画館でたまたま出会った人を主役にしたそうです。日本では珍しいかもしれないけど、こういう映画もたくさんあっていいはずだと思います。だから、なんだか今年は自分のこれからの人生のやり方を表した年だったような気がします。ハリウッドではスターを使って、日本では逆にインディペンデントにこだわってワークショップ映画を撮り続けたい。今後はそういう感じかなって、思ってるんですよね。
――急なご病気など、プライベートでも大変なことが重なられたそうですが、このように精力的に作品を発表し続けられるバイタリティはどこから湧いて来るのでしょうか?
やっぱり、映画が大好きなんですよね。映画の世界は大変なことがいっぱい起こります。お金もかかるし、嫌な人や悪い人もいっぱい絡んできたりして、何回もへこたれそうになるんだけど。やっぱりそこで諦めないで続けている理由は、やっぱり映画に対する愛情がすごく強い。だから、むしろ映画によって生きながらえているというか、映画がなかったら、もしかしたらもう今は死んでるかもしれない。
――出演者のみなさん、この作品に参加したことでどのような変化がありましたか?
山岡 監督が僕らの中にあるものを引き出してくれて、57人ひとりひとりが粒立ち主役になれました。監督は自分の好きなことを押し出していく姿を日々傍で見せて下さるので、自分を野放しに自由に生きていけば、もっと楽しく生きていけるんだということを学ばせてもらいました。例えば僕はいつも黒やグレーを選んで、今日みたいな真っ赤な服なんて絶対着なかったんですけど、いろんなことに縛られずに自分を貫くことができるようになって、生きやすくなったし、そんな風に生きるからこそ、人に何かを届けられるようになると考えられるようになりました。
小西 自分に対しても他の人に対しても、「お前は誰なんだ」ということを問われている気がしていました。自分の本当のことが出た時、園さんはもっとそれを引き出そうとしていました。表現の場では、常に自分の中の本当のことを伝えてないといけないんだなと思いました。それは怖いところでもあると思うし、覚悟が必要なこと。それを現場の最前線で走っている園さんを見て感じたし、自分も一緒に走れるような人間になりたいです。
黒河内 私はオーディションからワークショップを通して、ほとんど園監督と会話をしなかったんですけど、撮影が始まって数日後に、今後どんな作品に出たいのか聞いてくださったんです。その時は、将来自分がどんな姿になりたいかなんて全く想像していなくて。そう問われて私は将来何がしたいんだろう? と撮影中考えました。で、ハッと、園さんの作品にまた出たいなって純粋に思ったんです。それは俳優としてやっていきたいっていう決意だったなって。だからこの作品に出演できたことが私の原点なんだなと感じています。
藤丸 監督とは撮影中に演出を介した話をすることが多くて、私はあまりおしゃべりが得意な方ではないので、シーン替えとかの時にあいさつ程度の話しかしていません。でもあるシーンのテイクが終わって、もう1回撮る時に、「いいぞ、自由にやれ!」って言っていただいたことが、その撮影も、その後もちょっと背中をふっとしてくれるような、勇気みたいな、強いエネルギーをいただけました。
モーガン ちゃんとしたお芝居が初めてのことだったので、撮影現場で監督が誰よりもパワフルな姿を見て、それに付いていくようにやっていました。シーンごとに「じゃあ、そこでこういう風にとってみようか」とか、「ここは思いっきり走っちゃおう」とか、その場で生まれてくるものがたくさんあったのが嬉しくて。とにかくお芝居って楽しいな、もっとやっていきたいなという風に思わせてくれたきっかけが園さんでした。
――この作品が若い俳優陣の人生を変えたように、見ている観客も元気をもらえるような作品でした。様々なキャリア積み上げた現在、園監督は若い世代に継承していくような立場でもあられると思いますが、今後の日本映画界にどういったものを残し、伝えたいとお考えですか?
フレッシュなものを届けたいですよね。評論家や賞レースで評価を得たいとかそういうことではなく、門外漢というか規格外っていうか。園は園で勝手にやってる、そういう姿を見せたらいいのかなと思っています。いわゆる日本映画というジャンルの枠から外れてしまうことがあまり怖くないです。もう、今の日本は経済から映画から、いろんなことが世界から何周か遅れてしまっているような状況だと感じるので、正規の方法で世界に対抗していくより、むしろこういう作品で日本映画の輝きを作っていった方が、そんなに遠回りしないで済むんじゃないかなと思います。
――今作のラストは、1993年の東京ガガガを想起させる、渋谷のスクランブル交差点でのゲリラ撮影でしたね。
勝手知ったるというか(笑)。以前、「BAD FILM」で新宿アルタ前で大ゲバシーンを撮ったとき、警官は怖がって止めないだろう……と予想したら案の定来なくて。来てくれた方がうれしかったんですけどね。昔は自由があったけど、いまはそういった撮影もなかなか難しくなってきました。当初は総勢51人が揃って大合唱する案だったのですが、相当な緊張感が必要なので、ぎりぎりまで悩んで今回は2人にしました。ああいう表現の原点は寺山修司。僕は彼の映画が大好きで、「書を捨てよ、町へ出よう」などには影響されています。
――園監督が彼らのような20代の頃、今のご自身を想像されましたか? 今、20代のご自身にどんな言葉を掛けたいですか?
全然想像していなかったですね。もし、言葉を掛けるとしたら、「めっちゃ時間かかるけど、目標には到達するっぽいよ(笑)」と。来年のハリウッドの動向がどうなるかまだ分からないけど、「エッシャー通りの赤いポスト」に20歳の俺に報告できる手紙が出せるかもしれません。