ひそひそ星 劇場公開日:2016年5月14日
解説 園子温監督が2014年に設立したシオンプロダクションの第1作として、自主制作で完成させたモノクロSFドラマ。園監督が1990年に執筆した脚本を、妻である女優・神楽坂恵を主演に迎えて映画化した。類は数度にわたる大災害と失敗を繰り返して衰退の一途にあった。現在、宇宙は機械によって支配され、人工知能を持つロボットが8割を占めるのに対し、人間は2割にまで減少している。アンドロイドの鈴木洋子は、相棒のコンピューターきかい6・7・マーMと共に宇宙船に乗り込み、星々を巡って人間の荷物を届ける宇宙宅配便の仕事をしていた。ある日、洋子は大きな音をたてると人間が死ぬ可能性のある「ひそひそ星」に住む女性に荷物を届けに行くが……。共演にミュージシャンの遠藤賢司、映画「at Home アットホーム」などに出演する子役・池田優斗。
2015年製作/100分/G/日本 配給:日活
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2022年10月15日
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鑑賞方法:VOD
内容は、屋形船型宇宙船が宅配便として運航されている人類がほぼ絶滅した宇宙空間で荷物を届けると言う話。届ける場所が東北大震災跡の福島の街並みなので、震災後の街並みを残したいという意図がみてとれる。神楽坂恵を主人公にしている辺り困った感否めず、表現力を誤魔化すには良いアイデア💡と思うのですが、物語通してのヒソヒソ声は観ていて拷問級だ。印象的言葉は『着陸体制に入ります』と宇宙船が言うと同時に外壁扉が🚪開く所。思わずっんな馬鹿なって何度も思うシーンがあり困りましたし笑えました。好きな場面は畳の縁が神社仏閣でしか使用しない白中紋であった事は驚きで、ゴザやら畳の拭き掃除は逆の方向の雑巾掛けも誰が演技指導したんだと言いそうになります。宇宙船もエンジン噴射口は常に火を噴いてる🔥ワケな事なくSF表現のや日常表現にしても粗が目立ち過ぎ笑えました。テーマとして震災後の福島県の街並みや生き残った人々が使いたかったし残したかった様に思える手段が目的化してしまった感じの強くする自分にとってあまり好きな作品ではありませんでした。空き缶を靴底に片足だけ引っ掛けたまま歩くシーンは深い傷(思い出)を残したまま生きる事表現したいのだとは思いますが執拗で困ってしまいます。表現の未熟さをカバーする為のヒソヒソも手段が目的化した様で笑えました。最後の影絵の場面でも表現力の差が解り面白かった。情動音楽のヴァイオリンもしっくりこずに困りました。でも勝手に人の荷物📦開けて見ちゃうのは駄目だよ🙅なぁ。マシンNo.722鈴木洋子さん。
セピア調の昭和風屋内シーンから始まりますがパンすると宇宙船内です。 なぜか1Kアパート的な台所がありなぜか昭和風な女性がなぜか茶を飲んでいます。 宇宙船の操作パネルは手づくり感に溢れています。 レトロラジオのような箱の船内アナウンスが意味不明の航路を伝えてタイトルが出ます。 タイトルが出たあとの状況説明文は怪しいものでした。 『人類はあれから何度となく大きな災害と大きな失敗を繰り返した。その度に人は減っていった。宇宙は今、静かな平和に包まれている。機械が宇宙を支配し、人工知能を持ったロボットが全体の8割、人間は2割になっている。すでに宇宙全体で人間は、滅びていく絶滅種と認定されている。科学のほとんどは完結しているが、人間は昔と同様、百年生きるのがせいぜいだ。人間の人口は、宇宙の中でしだいに消え入るローソクの火のようだ。』(本編より) 国語力に乏しいのに加えて、率直に言って、とても馬鹿っぽいと思います。 機械が宇宙を支配、8割と2割、絶滅種と認定、科学のほとんどが完結、百年生きるのがせいぜい、消え入るローソクの火。 どうみても、他の言いようがあるんじゃなかろうか。 乗組員であるスズキヨウコは宇宙航行中の日記として音声を録音しています。 その録音として、現在の状況や立場などが説明されます。たとえばしつこいほど挿入される天井照明に囚われた蛾が、何とかいう惑星に着陸したとき入ってきてしまった虫だとか、例えば惑星間宅配サービスで十数年航行しているとか、などです。 それらが総てひそひそ声です。 やがてひとつの星に着き、とことこ荒野を歩いて廃墟のようなところに荷物を届けます。 普通のおじさんがそれを受け取ります。 そんな配達を何件かこなすのが映画の粗筋です。 予感していましたが、音声日記の録音によって、映画として訴えたいことも説明されます。例えば、テレポーテーションなら配達も瞬時だけど、「思い」を伝えるために、何年もかけて運ぶ、とかなんとか。 家での視聴だったゆえ、このへんで私は映画が何分経ったかを見ました。そしてあと何分あるかを見ました。映画が終わるまでにそれを4、5回やりました。 ここで、荷物をテレポーテーションによって一瞬で運ぶより、宇宙を旅して何年もかけて運ぶほうが「思い」が伝わる、という主張が出てきます。 おそらく機械的より人間的であれかし、というシンボルなのでしょう。ただし、それを呈示するには描写が足りません。説明として言ってしまうなら、映画である必要がないのです。スカーレットが、タラのテーマとともにいきなり出ててきて「明日には明日の風が吹くわ」と言えばいいのです。 あるいはテレポーテーションだって「思い」が伝わるかもしれません。なぜそうでないと言えるでしょう。いずれにせよ情緒がいきなり過ぎ、象徴へ導くには短絡過ぎ、なのです。 映画文法を無視というような問題ではなく、これが映画ではないということに、気付かされたわけです。 誰もいない浪江/南相馬でのロケ、またその住人たちの出演は免罪符になっています。素人感も意図的に隠していません。大震災を思い遣っている、彼らに寄り添っているという気配が、冷評を回避するのです。抜かりはありません。 これは、承認欲求で描かれたアートハウス風のプロモーションビデオです。プロモートするのは監督自身です。俺が描く俺の世界です。 言うなれば、桐島の前田涼也が、押しの強い先輩の隣で、先輩のつくった映画を観ている、ようなものです。 鑑賞中、先輩はずっと「どうだこのペーソスは!」とか「どうたこの映像美は!」とか「アルミ缶が靴に噛んだまま歩き回るのって楽しいだろ!」とか、絶対に、それを自負しているに違いないと思わせるねつこさにおいて、同意を強請してくるのです。 とりわけシルエットの回廊のあざとい愁嘆的雰囲気は凄まじいものがありました。 同意はしませんが、これが映画だとするなら、ありふれた体験ではないと思います。
2019年7月19日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
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園子温による、2015年製作のモノクロSF映画。 人工知能を持ったロボットが8割、人間が2割となった未来の時代、宇宙船に乗ってアンドロイド鈴木洋子が荷物配達員として、銀河を浮遊する話。全体的に静寂に満ちていて、音のないプラネタリウムにいるような感じ。 日本家屋の長屋がそのまま宇宙船になっているのを見た時は、ちょっと笑ってしまいました。 それにしても、どんなメッセージがあるのだろう? 正直なところ、残念ながら、今のところ私には奥の深さが理解できませんでした。 この先、ストーリーがどうなるか考えながら見ると、置き去りにされて、途中で見るのがイヤになってくると思います。前半30分を過ぎたところで、やっと、鈴木洋子以外の人物らしき人間が現れました。 ただ思ったのは、あまりにも欲望に心が支配されて、あれもこれもと精神が忙しい時なんかに見ると、シンプルになれるかもしれません。自分がそうでした。だから、よくわからないなりにも、嫌いになれない映画でした。 テレポーテーションが発達して、瞬時にどこにでも移動できる時代となり、最初のうちはそれが便利でよかったが、人間は「距離と時間の憧れ」を失って退廃的になってしまった…つまりは、この鈴木洋子は、絶滅寸前の人間たちに心のトキメキを配達し続けているのか? エンディングの影絵のシーンは美しくも哀しい感じ。荷物を影絵の女性が受け取った途端、悲しみに暮れるのは何を意味しているのか? 親しい人が亡くなったことを告げるものが届いたのか? 心に封印していた悲しい出来事を再認識しなくてはいけないもの(形見のような)が届いたのか? 影絵そのものが、過去の回想を意味しているようにも思えました。
まるで一編の詩のように文字どおり静かに語られる映画でした。 嫌いな人が大半だと思いますが私は大好きです。