「誰か、大人はいなかったのか?」明け方の若者たち kwmdさんの映画レビュー(感想・評価)
誰か、大人はいなかったのか?
原作があるのは知りませんでした。もちろん、読んでいません。
街の上でと比較されますが、下北沢の扱いが不当ではなかと評価を下げました。
本作は駅前の『イケテナイ』感じや、すずらん通りや、宮古が出てきたのは明大前を語る上で重要なのでよかったと思います。
しかし、物語として取りたてて、面白いこともないし、登場人物の行動にリアリティーを感じず、ガッカリでした。
これは原作のためなのか、脚本の問題なのか、監督の手腕が足りないのかは分かりません。
演者はよくやっていたように思えました。
学生が就職し、現実の向き合い、挫折感を味わうよくある題材と思います。
通常面白いと感じるのは、元から成績が悪かったり人付き合いが悪い人が、社会で挫折を味わい成長するものです。
捻ったものでは、ダメな人が、社会で挫折して、ダメなままの自分を受けれる話です。
本作はどちらにも当たりません。普通そうに見え、明治大学(たぶん)から一流企業に就職し、内心の不満わあれど仕事はこなし、
問題はあるが恋愛・失恋する話で、最後に何も達成しません。
それでも、ハプニングがあったり、そうでなくても共感できる日常があれば良い作品に思えます。
どちらもありません。
以下にネババレを含みます。
まず、宴会が何の集まりかわかりません。このため、二人の出会いにいかなる意義があるのかもよく分かりません。
このため、彼女は本当にただのビッチであった可能性さえ考えられます。彼も孤独な人と描かれておらず、
普通の特徴の薄い学生と感じられます。成長する様子はないため、物語としての面白みはありません。
授業、仕事、飲酒、性交が生活のほとんどを占めています。
学業・仕事をこなすのは当然として、こんな生活が退屈なのは当然です。会社や社会のせいではありません。
自分が何もしてないためです。
『渋谷をジャックする』と言ってクリエイティブな仕事をしたいそうです。
でも、飲酒と性交しかない人に何かクリエイティブなことができるのでしょうか。
自室には本も、雑誌も、映画のポスターも、CDも(2010年代前半ならまだ)、文化的な生活はしてなさそうです。
別にTVゲームでもいいのに。本位読めよ。
そもそも、総務の仕事を舐めています。会社の土台の大事な仕事です。しっかりやってほしいです。
おそらく、映画製作陣が総務のことをまるでわかっていないのではないでしょうか。
ビールが大抵泡が消えていて不味そうです。
食事も喫茶店のナポリタン以外ほとんど出てきません。
逗子マリーナにすごく良いレストランがないことが問題ではありません。
生活実態がわからないのです。フード理論的に問題です。
素敵なお母さんがいるのだから、お家でご飯食べましょう。
高円寺に引っ越す意味もわかりません。
明大前に通っているくらいなのに、大卒の新人の給与でアパート借りるのは大変。
家具も新たに揃えているし。そうでもしてしたかったのは、何?何もない。
やっぱり、性交だけ?
これぞという感じで音楽を使いますが、それ以外の音楽を大事にしていません。
彼は日常で音楽をきいいていないし、クリエイティブならKRINJI位は知っていた欲しい。
製作陣もあまり音楽聴かないんじゃないかな。
全体の音楽の入れ方で素敵な映画になりうるのに。
大学や大学院を舐めていませんか。
学部によって違ったり、就職のときに関係ない職種に着くことはよくあります。
しかし、卒業前にはそれなりの忙しさがあったり、自分の専門分野にはそれなりのひと頃はあるでしょう。
二人とも就職するまで、何も進歩がない。でも、普通の学生として見える。バランスが悪いです。
逗子マリーナで性交しかしていないのに、それが人生の絶頂のようにいうのはどうでしょう。
もちろん、良い思い出かもしれませんが、本当に何もしていない。そりゃ、逗子マリーナには何もないですよ。
それから、バスローブ着たままするのは、倦怠期のカップルだって。
数年引きずる恋なら、全裸で密着したいはず。
撮影の問題なら、布団かぶれば済むはず。
結局彼女のビッチ感だけ残ってしまう。
報われない恋であることはわかっていたのに、落ち込み具合が突然すぎる。
バレないように用心全くしてないくせに。
連絡来なければ、あらゆる手段を使っても、会いに行くだろう。
自宅での引きこもりは、とってつけたよう。
通常、ものにあたる→寝込む→昇華するの順番ですよ。
また、復帰後の職場の反応もおかしい。みんなに、無断欠勤じゃないんだよ。
みんなに、振られたから明日から休みます、とか宣言したのか?
気になることがたくさんあって、まとまっていませんので、まとめ。
普通の大学生がいい就職をした。夫が長期出張のビッチに騙されて、逢瀬を繰り返した。
夫が帰ってきて終わり。理想の人生でないと思うも、自分は何もしない。
思いますに、製作陣が、世間を知らずに作ってしまったんじゃないかと。
普通の人の人生にも、注目すべき、ドラマや感動があるのに、それが理解できないのではないかと。
追記
あの、指のシーンもひどい。
あの規模の工場なら、自己の訓練してるだろう。
『不謹慎』はつげんするなら、自傷にはしるとか、ナンパしまくるとかないの?
あの指は、マイクロで血管縫合できないので、着きませんよ。
もやもやしたので、自分で改善策。
彼女は彼のまえでは、ちゃんと年上として振る舞う。
彼も少し前の音楽が好きになり、なんならドライブの時に車内で二人で歌う。
彼女の家に上げてもらうとレコードが沢山あり、KIRINJIは夫の趣味と分かり少し、がっかりする。
海に行って、ビーチコーミングをする。きれいなガラス片を拾って、彼女が喜ぶ。翌朝、彼からの帰国のメッセージに気付き、書き置きをのこして消える。ばれないように、彼からの通知は拒否の設定にする。
事故の時、山中崇の手際の良い自己対応に感動する。
彼女と再会。彼女は『ありがとう』とか『ごめんなさい』といわず、『あなたのことが好きよ。』と現在形でいう。(普段から、ちゃんと『好き』と表明させる。)。将来の再開を約束して、消える。
落ち込む。
総務に安全管理のチームが出来ができて、山中のサブリーダーになる。
(少し出世。)。高橋春織にほめられる。高橋にKIRINJIを聞いているところで、『何聞いてるんですが。いいセンスしてますね。』といわれ、ちょっとうれしくなる。
最後のくじら公園の空き缶のところで、もう少し彼女の痕跡であることをにおわして終わり。角ハイボールの空き缶の中にガラス片に気付く。目をつぶって懐かしむが、元の場所に置いておく。
(裏)
夫はもうちょっと年上にして、少し若めの彼女には基本優しいし、礼儀正しい。音楽にはこだわりがある。彼女はちゃんとほれているが、物足りなさを感じる。
彼女は彼のまえでは、余裕をみせるが、一人になると彼のことが恋しくなる。
最後、くじら公園でずっと持っていたガラス片を空き缶の中にいれて、消える。
これでどうでしょう。『500日のサマー』の見過ぎでしょうか?