白い牛のバラッドのレビュー・感想・評価
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ひたすら我慢の映画です。最後に心を動かせます。
冤罪により夫が死刑執行された妻とその死刑判決を下した元裁判官の物語です。寛容と償罪のイラン映画です。
イスラム教やイランの刑事法制度を知っていないと理解が難しいと言う評者もいますが、そんなことはありません。死刑制度反対の意図も少しはあると思います。でも、私が感じたのは、先に述べた寛容と償罪はどのようにしたらいいかです。
今のイランは、イスラム教を骨格として国家運営されていると聞いています。私達のいる民主主義国家ではありません。未亡人に聾唖の娘がいたり、元裁判官には不和な息子がいたり、またその息子が兵役について死んで帰って来たりと現実の厳しさを表しています。元裁判官は官憲に監視されたり、未亡人は訪れた男性を家に入れただけで、家主から退去させられるなど宗教国家イランの閉鎖社会を描いています。この二人は声をあげて訴えたり、悔やんだりしません。淡々してそと見では現実を受け入れているように見えます。おそらく、現在のイラン人を表象しているのでしょう。だから、山がなく退屈極まりない。最後の夕食の場面で、未亡人の心の内が明かされ揺り動かせます。それまでが本当に我慢の映画です。牛はイスラム教の神に捧げる御供物の意味らしい。人間は全て神に捧げる御供物とだと私は解釈しました。最後の場面がなければ、星一つ減点していました。私が聞いた話では、日本にも死刑執行された方で冤罪ではないかと噂されている人が1人いるそうです。勿論、法務省はだんまりです。死刑制度を揺るがしかねません。
「無実の罪」というテーマ
「疑わしきは罰せず」という言葉はあるが、「無実の罪」というテーマは、常に、この世に存在し続けている。
イスラム世界では、罪は厳格に裁かれるのだとは思うが、人権意識は日本や欧米諸国よりも、低いといえるのかもしれない。
冤罪を作り出した判事が、罪の意識を持つことは、良心が許さないからだとは思うが、その償いの手段を誤ってしまうと、これもまた、罪を作り出してしまう。
世界から、このような問題はなくなることはないだろう。そして、この映画のようなドラマも繰り返されていくことだろう。
日本にいると、交通事故に遭うよりも、低い確率かもしれないが、このような世界があることも、知っておく必要があるのかもしれない。
ぜひ、劇場で確かめてみてほしい。
"許す"と"許される"が、日本とは比にならない重さを持つ社会
本国イランでは上映禁止処分を受け、たった2回しか上映できなかったというキャッチフレーズが話題の映画
夫の死刑から一年経ち、冤罪だったと知らされる主人公
その賠償金を狙う亡き夫の親族
不意に訪れる亡き夫の友人
夫が殺人罪で死刑となり、聾唖の娘と2人、貧しいながらに懸命に生きる主人公
ある日突然、夫は無罪で死刑は過ちだったと告げられた日から、人生が思わぬ形で動き出す
何の罪もない主人公が、他人や環境に振り回される系のストーリー
イランという独特の文化と風習の社会で、苦しみ悩みながらも凛と前を向き戦う主人公
そして意識的にも無意識的にも彼女を苦しめる男たちと社会
亡き夫の弔問に訪れた男性を家に招き入れただけで、アパートを追い出される現実
それを昨日まで友好的で夕飯もお裾分けしてくれた大家に告げられる残酷
"許す"と"許される"が日本とは比にならない重さを持つ社会で、主人公の最後の行動をどう受け取るか
イランという国で、この映画を女性が制作・監督・主演したなんて、素晴らしい勇気と才能に感嘆する
話題負けしない、芯のある深い映画でした
個人的に☆5中☆3.6
脚本、監督、主演のマリヤム・モガダムは大変に見事だった
監督、脚本、主演のマリヤム・モガダムという女性は本作品ではじめて知った。素晴らしい才能である。テヘランの現在がよく伝わってくる。
夫を失ったイスラム教徒の女性がテヘランで暮らすことがどういうことなのか、ハンディキャップのある子供を抱えて生きていく勇気はどこから導き出せばいいのか。役所も裁判所も大家も、社会はいずれも冷たい。義理の家族は金目当てで接してくる。主人公ミナはどうやって生きていけばいいのか。
娘との関わりの中で、ミナは夫が処刑されたことを話せない。だから嘘を話す。嘘が嘘を呼んで、夫ババクに関することは、ほぼ嘘だらけになってしまった。自分は娘ビタに本当のことを話せなかった。教師にそのように説明する。説明するということは理解を得ようとすることだ。しかし自分に嘘を吐いた男のことは許せない。自分がビタに本当のことを話せないことを思い起こせば男の嘘も許せたはずだが、そこまでミナが追い詰められていたということなのだろう。
夫が死んで、遺族がもらえる給付金が月に20万トマンだと役人から告げられるシーンがある。イランの通貨について調べておけばよかったと思ったが、そのあとのシーンで新聞を買うときに、3部でいくらと聞くと6000トマンという答えが返ってくるシーンがあった。新聞が200円だとすれば、トマンは円の30倍くらいである。ということは20万トマンの給付金は月に7,000円ほどだ。給付金にしては少ない。道理で金額を聞いたときにミナの反応が素っ気なかった訳だ。
夫が無実と分かったときの賠償金は2億7千万トマンほどで、日本円だと900万円くらいということになる。ミナの年齢を考えるとババクは処刑時にはまだ40歳より手前である。日本式の賠償金計算では、それから死ぬまでに稼ぐ金額から夫の分の生活費を引くので、年平均400万円-200万円=200万円×25年で5,000万円くらいとなる。5,000万円×30=15億トマンとなる。2億7千万トマンはやはり安すぎる。
ミナは夫の命を金で、、、と言っていたが、下世話に考えれば、安すぎたからと見ることも可能である。そして、そんなはした金を求めてミナの娘の親権を求める義理の家族の愚劣ぶりも明らかになる。
ラストシーンの解釈は人それぞれだと思うので、当方なりの解釈を披露してみる。
レザと名乗った男は牛乳の食品アレルギーである。重度のアレルギーだ。ミナはレザの覚悟を測るために温めた牛乳を飲ませる。レザはミナの真意を知って、意を決して牛乳を飲む。案の定、アナフィラキシーを発症したが、死ぬほどのことはなかった。ミナはレザを許すが、一緒にいることはできない。
イスラム教が政治を支配するイラン。国民全員にイスラム教が強制される。信教の自由はない。中には無宗教の人間もいるかもしれないが、言葉にはできない。国外退去になるか、場合によっては死刑になる。厳格な宗教だから罪刑も厳しい。もちろん極刑は死刑だ。本作品は死刑廃止の問題を正面から問いかける。
イランの映画は検閲を経なければならないから、イスラム教支配の問題を正面からは扱えない。本作品は鑑賞した観客の誰もが、イスラム教が支配する政治には問題があると気づくように出来ている。脚本と演出の工夫が伺える。マリヤム・モガダムの面目躍如である。
本作品は、イスラム教支配の社会の中で差別や格差と戦いながら生きていく姿を、検閲をかいくぐりながら上手に描いてみせた佳作である。脚本、監督、主演のマリヤム・モガダムは大変に見事だった。
女性監督の秀逸なイラン作品
昨年鑑賞した「ジャスト6.5 闘いの証」と「ウォーデン 消えた死刑囚」の傑作ぶりが記憶に新しいイラン映画。本作はフランスと共同ですが監督がイランの方で女性、観ないわけがないです、期待大。
この独特と言っていい映像の雰囲気が好きなんです。モノクロのような感じだけどそうじゃない。色はあるけど無機質な感じはイラン映画の特色なんでしょうかね?すごくいいです。なんでこんなに温度を感じない殺伐とした雰囲気があるんだろう?ただの先入観なのかなぁ?けど、それが作品の厚みを演出してくれます。
さて、本作。コーランがベースになっているようですね。全く詳しくないので読みかじりですが、白い牛は生贄・・・さらに「目には目を」の同害報復も絡め「罪の償いとは?」「人が人を裁くとは?」を女性の目線や立場からイスラム社会を風刺しながら描くという・・・なかなかのお腹いっぱいになりそうなテーマがわんさか入っています。そりゃ、本場では上映できないですよね。納得です。ですが、それらがストーリーの中にスッキリ描かれていてかつ考えさせられる1本になってます。
本作は死刑制度の是非についてがテーマとなっておりますが、イスラムの世界における<弱者=女性>の立場に関するアンチテーゼにもなっている・・・というかそちらの方が強いのではないかなぁ?って思える味付けでした。死刑制度云々というのならラストの描き方がちょっと消化不良なんですよね。あれ?認めちゃうじゃん・・・な感じが、むぅぅぅぅぅんなんですよね。
ただ、兎にも角にも男性社会に翻弄されるものの奮闘するシングルマザーのミナの「一人の女性として」「母として」「一人の女性として」「未亡人として」の描かれ方の方が印象に残るのです。口紅の演出がシビれました。女の決意と妻の決意ってとこでしょうかね。おぉぉぉぉぉぉって感じで。女優さんが上手いのかなぁ?(監督さんですけどね)
演出上、いくつかのメタファーを使うのも好きですね。結構散りばめられていると思います。白い牛然り、クライマックスの飲み物然り、ビタが声を出せないのはイスラム女性の現れ?とかとか。また、登場する男性が大体傲慢っていうのもの。また画面の作り方もいいです。ひび割れた鏡の使い方もよかったなぁ。
派手な作品ではありませんが胸に迫る作品でした。
遠いところ
夫を死刑にされてしまってから1年、実は冤罪だったと告げられ嘆く未亡人の元に、夫の世話になったという親切な男が現れ、聾唖の娘と共にいつしか家族のように過ごすようになっていくが・・・と言った物語。
初っ端から胸が張り裂けそうな展開。
死刑になる夫に会いに行くミナの表情1つひとつがなんともやるせない。。
これで最後だという悲哀?
最後に一度だけ会えるという慰め?
個人的に早くもここがピークだったかも。
全体を通し、BGMもなくスローテンポな展開で少しウトウトするが、イスラム社会のシングルマザーの生きづらさ、ミナの悲壮感がよく描かれている。
謎の男、レザは一体何者なのか。
・・・という謎はもっちょっと引っ張っても良かったような。まぁサスペンスですし、わかってる上でミナ達の動きに注目するのが正解でしょうか。
あとは毎度、何でもかんでも神のご意志とか言って片付ける風潮はやっぱり好きになれない。
とは言え、終始マッタリなテンポの割には、登場人物皆の仕草等々味があって飽きずに観られたのは良かったし、色々察したビタちゃんとミナのシーンは胸に迫るモノがあった。
重厚なサスペンスが好きな人にはおすすめです。
そして本作、本国イランではすぐに上映中止となってしまったようですが、そんなに問題作には見えなかったけど・・・?
確かに重苦しくはあったけど、向こうは色々と表現規制が厳しいんですかね??
bitter milk
殺人罪で夫が処刑されて1年、夫が冤罪であったことが判明し、担当判事からの謝罪をし続ける未亡人の話。
夫の冤罪が告げられた7歳の聾唖の娘と暮らす主人公のもとに、夫から金を借りていた、世話になったと述べる男が現れ巻き起こって行く展開で、かなり早いうちに観ている側はあれ?この男って…と感づくこと必至。
親族以外の男性の出入りで、アパートを退去させられ、又、新たな住まいを探すのに苦労して、とイスラームの社会事情をみせつつ、そんな主人公の良き理解者、支援者となっていく男を共に映し出して行く流れは、なかなか面白くはあるけれど、ず~っと煮え切れ無さというか、振り切れなさというか、そういうものを感じてイマイチ物足りず。
もしかしたら製作国のお国柄から、倫理的に引っ掛かってしまうのかな?
途中から妙にマッタリテンポも悪く感じるし。
いよいよ主人公が突き付けられた事実、からの展開は、おっ!!となったけれど、それも何だかあやふやにされちゃって、最後の最後までもう一歩というのは感じだった。
リップスティック
印象的なのは主人公が2度、口紅(リップステック)をつけ、あるいは心をゆるしかけた男性のもとへ行くシーン。そして記憶に間違いがなければ最後の食事の場面に出てくる。
抑圧された女性の心の描写を表すのに、こういうシーンは効果的なのだ。
古くはまたスタイルは違うが、アメリカのヘミングウェイの孫だったかひ孫だったかのマーゴ・ヘミングウェイのデビュー作「リップスティック」が思い浮かんだ次第。
しかしイランの女性監督兼女優の描いた世界は、なんとも重っ苦しいシーンが続くので、トップシーンの白い牛が登場するシーンに後から思いを馳せると深い意味が提示されている。
何もかも失い心の寄る辺を失った人が、ここからどこへ行こうと社会自体の問題に行き着くというところが、なんともやるせない。
余談:フランス合作なので、ルージュというのが正解かもしれないですが・・
前提知識を相当要求される上にかなりの広範囲の知識がないと無理?
今年47本目(合計320本目/今月(2022年2月度)19本目)。
シネ・リーブル梅田さんから50分で移動してみた作品、その1。
特集や予告などにある、イランの死刑制度のありかたの問題提起という軸で見るのが普通なのかな…と思います。
一方で、趣旨がわかりにくい「牛」の描写に関しては、コーラン(クルアーン)にも登場し(その章のひとつを占める)、その中で「キサース」(同害報復、「目には目を~」という私刑(わたくしけい)の話)であることは辛うじて理解ができます。
牛から連想される牛乳などが作内で多く登場するのもこの部分でしょう。
一方でイランの法律制度はまた日本と違いますが、日本基準でいって、民訴法・刑訴法・行訴法(行政事件訴訟法)等、かなり多くの内容が登場するため(ただ、出てくるだけで裁判のシーンは登場しないが、「棄却」と「却下」の違い程度は知らないとハマる)、最低限何らかの「手続法」(「こういう状況になったら、こうする、という、具体的な流れ論が書いてある法律を、権利義務が定められている「実体法」(民法等)と比較して「手続法」といいます)の知識がないとハマり現象が発生します。
さらにイランのその制度ですので、日本のその制度の知識があればある程度有利になるにすぎず、イスラム教の教えにそった知識(法の支配より、コーラン(クルアーン)が優先される等)がないとさらに混乱を招きます。
作内にはイランの弁護士の方も登場しますが、日本国内ではこのご時世ですので、実際新規入国者はゼロに限りなく近く、「イランの弁護士資格を持っている、日本で(適法に)在住している方」って、片手で数えるほどしかいないのでは…と思えます(もしかすると0人?)。
そうすると、もう日本の類似する制度の知識を援用・類推するしかないですが、それとて刑訴法にいたっては司法試験以外では出ませんので(辛うじて、行政書士試験の行訴法からある程度類推がきく程度に過ぎない)、その上にさらに「イスラム教を取り巻く事情」「イランの死刑制度の在り方」まである程度把握できる人となると、もう限りなくゼロに近いんじゃないか…と思います。換言すれば、「ある程度でも」知識を持っていて援用・類推してやっと5割か6割か理解できるレベルです。イランの法制度は日本ではほとんど触れることがないからです(それでも、誰でも彼でも法学部出身だの、行政書士試験合格者以上の知識を持っているなんて要求できないので、正直、どういう層を想定しているのか理解が難しい)。
評価に関しては下記の通りとしました。
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(減点0.3) 要は上記の部分につきるのであり、「牛」の解釈は上記のコーラン(クルアーン)の部分からきているのだと解釈できますが、そこにさらにイラン特有の法律制度の話をどんどん始めるので(刑訴法・民訴法だけならまだしも、(日本国内基準の)行訴法や、はては国家賠償法を想定するようなシーンまで登場する)、義務教育までの中学校や、準義務教育と言えうる高校の政治経済のレベルでは、まるで???な状況になってしまっています。
日本で公開されたことはもう事実なのですが、正直、この映画の趣旨を7割でも7.5割でも理解しようと思うと、相当な知識が要求される(イスラム教・イラン事情に詳しい+法律の知識を幅広く知っている)状況で、さすがに「そんな人、日本にいるの??」レベルで、そもそも論として「日本国内で公開されるにあたって配慮不足が過ぎる」(字幕もわかりにくい部分もあります)点につきるかな、と思います。
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(減点なし/真相不明) この映画、主人公の妹さんが聴覚障害をお持ちという設定です。特にそうする必然的な必要性はないのですが、実際そうであり、日本手話でもアメリカ手話でもない、実にレアな「アラビア系の国の手話文化」に触れられるシーンもあります。
ただ、個人的推測ですが、映画内では明確に描かれないとはいえ、イランも男女同権思想という観点では及第点にすら達しておらず、「声をあげることができない女性の象徴」として、聴覚障害の子がメタファー(比喩)として出たのではないか…と思えます(個人的推測)。
何にせよ「牛の部分」にせよ何にせよ、かなり比ゆ的表現が多いので(まぁ、イランでは放映禁止になったそうですが)、調査して得られる知識に限界があり、「合理的に考えてそう考えうるなら、その可能性では?」と考えるしかないかな、と思います。
※ このような事情なので、見る方はかなり選ぶかな…という印象です(少なくとも、趣旨的に娯楽映画とはいいがたい)。
ドキュメンタリーみたいな映画。
サスペンスではないなぁ、ドキドキもハラハラもしなかった。ただ重い内容で命を扱う仕事の人はこんな形で荷を背負うのかと思うと、冤罪はダメだけど、あまりにも職務自体がやりきれない。人が人を裁くことの難しさがわかる映画だったけれど時間の流れが遅くて、よい題材だったわりに想定内の展開と終わり方だったのが残念。
まさに牛歩のような映画
のそりのそり……
セリフもたまに……ボソボソ……
サスペンスと聞いてたんだけど……
こんなにゆったりしてて
ドキドキもせず
展開も変わらないサスペンスある……?笑
なので途中やっぱりウトウト……
(気持ち良かった)
そして、起きても大体変わらない風景。
ってか、話自体も進んでない。
あらすじ見て良さげと思ったんだけどなぁ……。
主人公の行動にも理解出来ないところがあったり
周りの人たちも?
文化の違い? 知識不足?
ラストも結局?
分かるんだけど、分からん……
もしかしたら
コレが限界の表現だったのかしら?
「自国イランでは正式な上映も認められなかった」とあったし……
そういう余白から察するしか無いのかも知れませんね。
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