クライ・マッチョのレビュー・感想・評価
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如何せんおじいちゃん
齢91歳、名匠クリント・イーストウッドの新作とあって、『本当これがイーストウッド新作を劇場で観るのは最後だろうな』と思い、観てきた。
恩人から頼まれ、彼の息子をメキシコから連れ出し、無事に連れて行くというミッション。
そしてそこにメキシコの母親がその息子を自分の元に戻そうとし、手下を2人の元に送り込むという、極めて簡単なストーリーだ。
少年ラフォと、イーストウッド演じる老いぼれた元ロデオ選手のマイクのバディムービーともとれる、またはロードムービーともとれる内容だが、極めて穏やか。ロード、と言えるほど旅をしてないし、2人で困難を乗り越えるというほど、熾烈なものでもなかった。
これまでイーストウッドが描いてきたような、真っ直ぐで信念を曲げない主人公像は健在で、少年とのやりとりの中でもそれが示されている。そこは2000年代に観た『グラントリノ』や『ミリオンダラーベイビー』にも通ずるものがあったと思う。
しかし、映画が本当穏やかで、『もはや映画にするような事か』と思う点がいくつか。
最後もちょっと『これで終わり?』感が否めなかった。
あと、適役で出てくる連中が雑魚過ぎて雑魚過ぎて。。。
あの母親が送り込んだアウレリオという奴は何だったのか。そもそも母親は何者で、悪の組織なのか、ただの放蕩人間なだけなのかわからず。終始、丸く作りこまれた感が否めない。
どこかイーストウッドの齢に合わせて、刺激の内容に、そしてかなり省エネで作られたようだった。
穏やかで悪い映画ではないが、若干の肩透かしは喰らった感じだ。
奇しくも同じ時期に、同じようにメキシコから来た少年を目的地に届けるというミッションを担った主人公をい描いた『マークスマン』という映画を観たが、そちらではリーアム・ニーソン(現在69歳)が麻薬カルテル相手にバリバリ戦っていた。
90代になっても新作を届けるというのは本当凄いことだが、期待に負荷をかけないで観れば良いかな、と言う感じの映画だった。
クリント・イーストウッドの創作意欲に脱帽
男の生き方と、帰るべき新しい家。
君にとってマッチョとは何かを考えよう!
マッチョの意味は強いということです。作中で言っているのでここでの定義はそれ。では強いっていうのはどういうこと、人を指すのか?を考えさせるのがこの映画です。
かつては一流の腕を持ち馬を自在に操っていた老カウボーイと、誰も信じないと強がり一人で生きている少年。この二人を通してマッチョとは強さとは何かを描いています。
筋肉モリモリのシュワちゃんだけがマッチョではない。マッチョとは生きざまです。どう生きていくか、自分自身の人生をどう使うのか、信念を持てるのがマッチョだと受けとりました。
とまあ、感想としてはそんな感じでしょうか。
実際のところこの映画はイーストウッドを観るための作品です。年老いたイーストウッドが、イーストウッドだ!というのを味わうためのものです。そこんところ、よろしくお願いします。
こんな夢を見た
クリント・イーストウッド監督からのメッセージは「グラン・トリノ」に織り込まれているので、
本作にはメッセージというものはなく、
あくまで、本作は 永い旅をしてきた90歳の男が、人生の終着駅に着く直前の"最後に観る夢"を淡々と描いた作品。
夢の中では、本人が思うより、まだ僅かに若い老人は 背筋伸ばして、さっそうと かっこよく歩き、荒馬にもまたがるが
画面での現実には 骨盤が開き"老人歩き"をするひとりの男。。。現実は哀しい。
"映画界の伝説"の見納めとなるでしょう。
無頓着に撮影を行う監督を撮影監督がうまく追う。
本作は 夢なので、主人公の奮い立つアップ面はない。
おなじく夢つながりで、黒沢監督の「夢(1990年)」と併せて観ると良いと思う。
脚本が残念なのだろう
偉大なるクリントイーストウッドの作品とあれば、是が非でも観ねば!とばかりに勇んで劇場に足を運びました。
結論から言えば、残念の一言。
映像、音、俳優が素晴らしいのは言わずもがな。
クリントの言わんとしたいところも分からなくもない。
しかし、脚本はこれでいいのかと。運び屋も手がけた脚本家さんも加わっているので、そうそう変なものにはならないと思いますが、何故???
クリントの作品にハズレは無いし、これからもないと盲信していた分、反動はかなりのものでした。
高齢となり大変でしょうけど、これが最後にして欲しくありません。
以下ネタバレ含む。
本作で私が感動出来なかったのは脚本の不出来に尽きる。
まず、1つめ。
人生生き急ぐな、というメッセージがあるかとは存じますが、にしても、にしてもですよ。
母親のところでトラブっている以上、急いで目的を果たすべきところを、いい町だからちょっと寄ってこう。歩こう、なんて意味が分からない。その上、車のトラブル発生で、それの解決のためにお金を稼ぐために2週間もゆったりとか???そもそも、その車盗品でしょう。さっさと他の車を手にいれようと思わなかったのか?(まあ、盗みは良くないと諌めたのだろうとは思いますけど。)それでいて、最後はシレッと盗むし。
2つ目。
少年に感情移入しずらい。ほざく割に行動が伴わないとか、最後まで鶏を離さないとか(彼の唯一の心を通わせた存在だったのだとは思います。だからこそ、別れの際にそれをクリントに渡したのだと)
3つ目
終盤に明らかに追われている、という認識があり、別れもそこそこに逃走したのに、何故彼女のもとに戻れるの??危ないでしょ??
これらが気になって、本作を高評価出来ません。
繰り返しますが、映像、音、俳優は素晴らしいのですよ。
ですが・・・ですが・・・。
残念です。
毎日寄り添っていれたなら…
歳を重ねなければ分からないことがあります
若いうちは見境なく突っ走ってしくじって後悔することも全てが積み重なり見えてくるものが
煮えたぎる怒りの収め方
甘美な誘惑の怪しさ
見知らぬ人々との交わり方
どうしようもない悲しみの堪え方
いつの間にか時代が年寄のことを社会のお荷物のように扱われるように見えてなりません
ほんとはもっと人生の先輩達から学ぶ事があるのだと思います
施設へ預けて悠々自適な暮らしをしてもらうのもいいでしょうが今の私達に必要なものを先輩方から何も受け取らずに「またね」と言って手を振っていいのだろうか
時間をかけて時を過ごし泣いたり笑ったりしながら寄り添って生きたい
生活が楽になり物が増え毎日食べたい物が食べられる
心はどこに置いてきてしまったのか
祖父や祖母、父や母からではなく映画やドラマ、小説から人生を学んでも上っ面だけなのかも知れませんね
人のことは言えません、私も親と離れて暮らしていますから
そんなことを思いながら見入ってしまいました。
老いて無知を知る
やはり正解が欲しい。私の生き方、間違いではないと云う正解がね。
無知を自覚することが、成長の始まりだそうです。ただ、そんな知ったかぶりが多すぎると、逆に何も見えない。私は何を見てきたのかな。
マッチョな二人と、一羽が決めた道。おそらく一本道ではない。それでも踏み出す。踏み出す理由は、その先が分からないから。始めから分かるなら、踏み出す勇気もマッチョである必要も無い。
私、ロードムービーって、普段ピンとこないんですけど、何故か本作は…。今の私が、道を見失っているのかな。ホントは正解なんてない。仮にその先が袋小路だとしても、躊躇いながら踏み出す私を、御大イーストウッドは、静かに微笑んでくれるかな。それにしても、私のマッチョは何処にあるのかしら。近所のコンビニには、なかったですけど。
こんな御時世ですが、最近、ちょっと道に迷われる方は、是非劇場へ。地図もナビも要りません。皆様の、ささやかなマッチョがあればいいのだから。
肩の力を抜いてイーストウッドの人情噺に乗ってみる価値はある
イーストウッドはイーストウッド
脚本家ニック・シェンクの過去2作の組み合わせでしかない!!
『運び屋』や『リチャード・ジュエル』に関しても、決して悪い作品ではないが、傑作というには、ほど遠い作品を連発している。しかし「さすがイーストウッドだ」とか言っている人が多くて、いったい何処を観ているのだろうか…….
撮影方法や技術面に関しては、否定することは全くなくて、脚本に入っているかどうかの問題もあるが、物語の構築が単調でしかない。
クリント・イーストウッド監督作品は、なんでも素晴らしい作品と言わないといけないようなバイアスがかかっているのは、いかがなものかと思う今日この頃。
今作も地味な作品の割には、特別濃厚な人間ドラマがあるわけでもなく、描いていることは王道でシンプル。しかも今回は全体的なプロットが『グラン・トリノ』と『運び屋』を組み合わせたようなものであって、それは2作の脚本家ニック・シェンクを再び起用していて、脚本家の問題にも思える。
もはやイーストウッド作品に新しさを求めるのは無理な話で、いつものような作品を撮る監督だと割り切って観るのであれば、ある程度の安定感はあるだろうが、観ている側が無理に良い点を探さなければならない負担に疲れる。
当てつけというべきか1週間差で公開される元イーストウッド組ロバート・ロレンツの『マークスマン』がコテコテに、麻薬カルテルや人身売買といった治安の悪さを主張した「ザ・メキシコ」的作品だったのに対して、別方向からのメキシコのアプローチが随所にあることと、少年ラフォ役のエドゥアルド・ミネットの演技が上手いのが唯一の利点だ。
イーストウッドが終始、学校に孫を迎えにきたお爺ちゃんにしか見えず、悪役の女性やメキシコの未亡人からアプローチをかけられる不自然さを感じてしまう。そこはイーストウッドの女性好きな部分や、いつまでも自分を美化する意識が抜けていないようでならない。
未亡人と孫たちと擬似家族のような関係が築かれていくが、たまたま会った80代後半か90代の老人に恋愛感情を抱くだろうか……物好きと言ってしまえばそうだろうが、さすがに無理がある。
強くなりたい
かつては優秀な馬乗りとして名をはせた老人が、恩人からの依頼で毒母のもとから連れ出した少年と旅するロードムービー。
恩人とは言えちょっと他力本願すぎる父親に頼まれ、煽り度MAXアバズレ母さんの元へ行くマイク。
探せるものなら探してみろとのことで、成程、ここから少年を探す冒険が始まるのかと思ったら…見つけるの早ッ‼
程なくして、警察や母からの刺客をやり過ごしながら、テキサスを目指す旅が始まる。
強さに憧れるラフォの気持ちが身に染みる‼ワタクシもその年の頃は、自身の弱さ・無力さ故強い男に憧れたものです。自立した今も、やはり強さには憧れますね。
道中は中々面白かったですね。酒を飲むなと注意するマイクだが、あんたも今はダメでしょw
緩いのかなこの地域は。
アウレリオはちょっとおバカさん!?助けてくれたメキシカン達、正義感あって素敵だがちょっとやり過ぎではw?
そしてマルタは最高‼察しの良さと優しさで沢山助けてくれましたね。女の子たちとの時間もホンワカしてて、ホントこのままで良いのではと思ってしまうほど。
形は違えど互いに孤独なマイクとラフォの暖かな交流を描きながら、時折訪れるピンチにはハラハラしたし、物語としてはとてもグッド。
「運び屋じゃないぞ」には少しツッコみそうになったが(笑)ここファンサ!?
そしてアウレリオ…もはや何だか可哀想に(笑)
終始良かったんだけれども、ラストに向けての流れは、何と言うか打ち切りドラマの如き詰め込み感が激しくなかったですかね?ちょっと色々展開が唐突過ぎて。。んで、ここで終わりなの!?お父さんの考えもあったし、なんか重要なポイントが残ったままのような…
まぁ、ここからはラフォ自身が本当のマッチョになって頑張れ‼…って思う所かな。
話が良かっただけに、後半のテンポの良さというか端折り感が少し気になったので、あと20分長くて良いからじっくり観たかったな~と思った作品だった。
運び屋じゃないぞ!
とにかく印象的な言葉がこの「運び屋じゃないぞ」と「ドリトル先生じゃないぞ」でした(「ムツゴロウじゃないぞ」ならもっと良かった)。91歳を迎えたイーストウッド御大が自身の集大成ともいうべき内容で彼の過去作品をも思い出してしまうのです。
鑑賞前には世話になった牧場主の依頼によって彼の一人息子を元妻から取り戻すためのロードムービーだとか、その放蕩息子ラファエロの成長物語だとかを想像していたのですが、なんのこたぁない。イーストウッド自身がマイク・マイロに投影し、自分の死に場所を探し求めるのがテーマなんだと感じました(あくまでも個人的な意見です)。
『運び屋』のオマージュというかセルフパロディを取り入れたり、少年との交流なんてのも『グラン・トリノ』に繋げているし、マイク・マイロの設定自体も『許されざる者』に近かったり、砂漠なんてのも『続・夕陽のガンマン』をはじめとしたマカロニ・ウェスタン風だったりする。動物好き(特に馬好き)という性格もいくつかの作品にあったような気がするけど、猿が出てきたら失笑してしまったかもしれません。
強さを象徴する言葉のマッチョはむしろ今までイーストウッドが演じてきた男であり、物語でもかつてロデオスターだったことと共通している。そんな中で闘鶏(ルースター)のマッチョを「チキン(弱虫)」と表現したりして、虚勢を張ることだけが強さではないとマイロの心も変化していったりする。「強さ」ってのは何だったんだろうなぁ~と、人生の特等席ならぬ終着駅に向かう哀愁漂う老人の姿が清々しい。さらに現代的なDV問題などをさらりと組み入れている素晴らしさ。
「バーベキューにして食っちまうぞ」などいうと笑えないジョークも少年と心が通じ合ったことの証し。ただ、マルタの差し入れた朝食にはスクランブルエッグが入ってたように思えたし、イーストウッドが調理したのも鶏の唐揚げのように見えた。マッチョに共食いさせようとするブラックジョークだったのかな・・・それにしてもマッチョの演技が最高すぎる!
「グリンゴ」「メヒコ」なんて言葉も印象に残りましたが、最も痺れたのは「手話を覚えたのは長い人生の経験の中で」・・・って台詞。使ってみたい!
乾いた大地に潤う魂
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