クライ・マッチョのレビュー・感想・評価
全321件中、161~180件目を表示
退屈と言われるかもしれない、でも、悪くない
元カウボーイ
旧友の義理
旅と出会い
少年との友情
そんな、クリントイーストウッド臭の漂うアイテムで飾られるも、そこには緊迫や衝撃の展開もなければ、意表を突いたラストも用意されていません。
退屈だと評価されるのも仕方ないけど、私は嫌いじゃなかった。
夕陽を背に鶏を間に挟んだシルエット、心を開きふざける少年を眺める老人の表情、小屋のような教会の佇まい、朝日とともに届けられた朝食、レストランの陽だまりの中でのダンス。ゆっくりと、美しい絵画の連なりと温かく深みのある台詞を追う、心地のよい作品です。
そしてもう一つ。老いることも悪くない、楽しみが増えるかも、とも思わせてくれる作品。90歳で監督と主演を務めることのできる唯一無二の存在ゆえの、説得力なんだろうなぁと思います。
生涯現役の姿は見事ですが
かつてマッチョだった男の再生劇
最近の映画は2時間30分声は当たり前になってきた。多くの娯楽映画がアトラクションの要素を増やしてきてもちろんそれは十分見ているものを楽しませてくれるし映画館の大スクリーンで見るそれは面白いのだがやはり長く感じる。しかしそんな中でこの作品は昔ながらの空気感やプロットを今の我々にも伝えてくれる。それは言い換えれば「古臭い」と言われてしまうかもしれない。派手なシーンもなければ、敵も武装はしていないし相手は1人で追いかけてくる。普通は何十人も連れて来るかもしれないがそこはお約束で正々堂々と向かってくる。イーストウッドは見るからに年季がこもっており、彼の振るうパンチは少し弱っちく見えてしまう。その老人のパンチ一発で沈む若者は側からみて違和感を覚える人は多いと思う。しかしこの映画はそんな昔気質で、イーストウッドという人物が好きならば楽しめる作品だとは思う。
この映画を見終わって思ったのは、「ただひたすらのんびりできた」と思ったのが印象的だった。簡潔に言えばメキシコにいる若造をただ連れてくるだけの物語なのだが、メキシコの広大な風景、馬の躍動感、人と人との文字では言い表せない感触の美しさ、そこに生きる人々の絆、よそ者であるイーストウッドたちを受け入れてくれる現地の人々の優しさ、太陽の照具合、遠くに見える荒野の熱気、建物がほとんど出てこない広々とした空間、余計なシーンがないからこそ物語に惹かれるし、その時間はゆっくり静かに流れる。そんなゆったりとした風景を見たときに忙しなく物語に集中して見れたことがこの作品の最大の魅力なのだと思った。
ニワトリが大活躍するのも愛しいです
スーパー爺さんを絶賛する作品
あれ?この既視感は一気に「マディソン郡の橋」まで戻されたような、、、
「グラン・トリノ」を最後にすれば良かったのに・・と切に思った・・。...
マッチョ。
如何せんおじいちゃん
齢91歳、名匠クリント・イーストウッドの新作とあって、『本当これがイーストウッド新作を劇場で観るのは最後だろうな』と思い、観てきた。
恩人から頼まれ、彼の息子をメキシコから連れ出し、無事に連れて行くというミッション。
そしてそこにメキシコの母親がその息子を自分の元に戻そうとし、手下を2人の元に送り込むという、極めて簡単なストーリーだ。
少年ラフォと、イーストウッド演じる老いぼれた元ロデオ選手のマイクのバディムービーともとれる、またはロードムービーともとれる内容だが、極めて穏やか。ロード、と言えるほど旅をしてないし、2人で困難を乗り越えるというほど、熾烈なものでもなかった。
これまでイーストウッドが描いてきたような、真っ直ぐで信念を曲げない主人公像は健在で、少年とのやりとりの中でもそれが示されている。そこは2000年代に観た『グラントリノ』や『ミリオンダラーベイビー』にも通ずるものがあったと思う。
しかし、映画が本当穏やかで、『もはや映画にするような事か』と思う点がいくつか。
最後もちょっと『これで終わり?』感が否めなかった。
あと、適役で出てくる連中が雑魚過ぎて雑魚過ぎて。。。
あの母親が送り込んだアウレリオという奴は何だったのか。そもそも母親は何者で、悪の組織なのか、ただの放蕩人間なだけなのかわからず。終始、丸く作りこまれた感が否めない。
どこかイーストウッドの齢に合わせて、刺激の内容に、そしてかなり省エネで作られたようだった。
穏やかで悪い映画ではないが、若干の肩透かしは喰らった感じだ。
奇しくも同じ時期に、同じようにメキシコから来た少年を目的地に届けるというミッションを担った主人公をい描いた『マークスマン』という映画を観たが、そちらではリーアム・ニーソン(現在69歳)が麻薬カルテル相手にバリバリ戦っていた。
90代になっても新作を届けるというのは本当凄いことだが、期待に負荷をかけないで観れば良いかな、と言う感じの映画だった。
クリント・イーストウッドの創作意欲に脱帽
男の生き方と、帰るべき新しい家。
君にとってマッチョとは何かを考えよう!
マッチョの意味は強いということです。作中で言っているのでここでの定義はそれ。では強いっていうのはどういうこと、人を指すのか?を考えさせるのがこの映画です。
かつては一流の腕を持ち馬を自在に操っていた老カウボーイと、誰も信じないと強がり一人で生きている少年。この二人を通してマッチョとは強さとは何かを描いています。
筋肉モリモリのシュワちゃんだけがマッチョではない。マッチョとは生きざまです。どう生きていくか、自分自身の人生をどう使うのか、信念を持てるのがマッチョだと受けとりました。
とまあ、感想としてはそんな感じでしょうか。
実際のところこの映画はイーストウッドを観るための作品です。年老いたイーストウッドが、イーストウッドだ!というのを味わうためのものです。そこんところ、よろしくお願いします。
こんな夢を見た
クリント・イーストウッド監督からのメッセージは「グラン・トリノ」に織り込まれているので、
本作にはメッセージというものはなく、
あくまで、本作は 永い旅をしてきた90歳の男が、人生の終着駅に着く直前の"最後に観る夢"を淡々と描いた作品。
夢の中では、本人が思うより、まだ僅かに若い老人は 背筋伸ばして、さっそうと かっこよく歩き、荒馬にもまたがるが
画面での現実には 骨盤が開き"老人歩き"をするひとりの男。。。現実は哀しい。
"映画界の伝説"の見納めとなるでしょう。
無頓着に撮影を行う監督を撮影監督がうまく追う。
本作は 夢なので、主人公の奮い立つアップ面はない。
おなじく夢つながりで、黒沢監督の「夢(1990年)」と併せて観ると良いと思う。
脚本が残念なのだろう
偉大なるクリントイーストウッドの作品とあれば、是が非でも観ねば!とばかりに勇んで劇場に足を運びました。
結論から言えば、残念の一言。
映像、音、俳優が素晴らしいのは言わずもがな。
クリントの言わんとしたいところも分からなくもない。
しかし、脚本はこれでいいのかと。運び屋も手がけた脚本家さんも加わっているので、そうそう変なものにはならないと思いますが、何故???
クリントの作品にハズレは無いし、これからもないと盲信していた分、反動はかなりのものでした。
高齢となり大変でしょうけど、これが最後にして欲しくありません。
以下ネタバレ含む。
本作で私が感動出来なかったのは脚本の不出来に尽きる。
まず、1つめ。
人生生き急ぐな、というメッセージがあるかとは存じますが、にしても、にしてもですよ。
母親のところでトラブっている以上、急いで目的を果たすべきところを、いい町だからちょっと寄ってこう。歩こう、なんて意味が分からない。その上、車のトラブル発生で、それの解決のためにお金を稼ぐために2週間もゆったりとか???そもそも、その車盗品でしょう。さっさと他の車を手にいれようと思わなかったのか?(まあ、盗みは良くないと諌めたのだろうとは思いますけど。)それでいて、最後はシレッと盗むし。
2つ目。
少年に感情移入しずらい。ほざく割に行動が伴わないとか、最後まで鶏を離さないとか(彼の唯一の心を通わせた存在だったのだとは思います。だからこそ、別れの際にそれをクリントに渡したのだと)
3つ目
終盤に明らかに追われている、という認識があり、別れもそこそこに逃走したのに、何故彼女のもとに戻れるの??危ないでしょ??
これらが気になって、本作を高評価出来ません。
繰り返しますが、映像、音、俳優は素晴らしいのですよ。
ですが・・・ですが・・・。
残念です。
毎日寄り添っていれたなら…
歳を重ねなければ分からないことがあります
若いうちは見境なく突っ走ってしくじって後悔することも全てが積み重なり見えてくるものが
煮えたぎる怒りの収め方
甘美な誘惑の怪しさ
見知らぬ人々との交わり方
どうしようもない悲しみの堪え方
いつの間にか時代が年寄のことを社会のお荷物のように扱われるように見えてなりません
ほんとはもっと人生の先輩達から学ぶ事があるのだと思います
施設へ預けて悠々自適な暮らしをしてもらうのもいいでしょうが今の私達に必要なものを先輩方から何も受け取らずに「またね」と言って手を振っていいのだろうか
時間をかけて時を過ごし泣いたり笑ったりしながら寄り添って生きたい
生活が楽になり物が増え毎日食べたい物が食べられる
心はどこに置いてきてしまったのか
祖父や祖母、父や母からではなく映画やドラマ、小説から人生を学んでも上っ面だけなのかも知れませんね
人のことは言えません、私も親と離れて暮らしていますから
そんなことを思いながら見入ってしまいました。
老いて無知を知る
やはり正解が欲しい。私の生き方、間違いではないと云う正解がね。
無知を自覚することが、成長の始まりだそうです。ただ、そんな知ったかぶりが多すぎると、逆に何も見えない。私は何を見てきたのかな。
マッチョな二人と、一羽が決めた道。おそらく一本道ではない。それでも踏み出す。踏み出す理由は、その先が分からないから。始めから分かるなら、踏み出す勇気もマッチョである必要も無い。
私、ロードムービーって、普段ピンとこないんですけど、何故か本作は…。今の私が、道を見失っているのかな。ホントは正解なんてない。仮にその先が袋小路だとしても、躊躇いながら踏み出す私を、御大イーストウッドは、静かに微笑んでくれるかな。それにしても、私のマッチョは何処にあるのかしら。近所のコンビニには、なかったですけど。
こんな御時世ですが、最近、ちょっと道に迷われる方は、是非劇場へ。地図もナビも要りません。皆様の、ささやかなマッチョがあればいいのだから。
肩の力を抜いてイーストウッドの人情噺に乗ってみる価値はある
全321件中、161~180件目を表示