クライ・マッチョのレビュー・感想・評価
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バランスの悪さを凌駕する、ヘンテコな魅力満載
正直言うと、途中まではもう劇場を出てしまおうかと思うくらい、雑なプロットに困惑した。ビシッと決まる絵も編集の妙も感じられず、さすがにイーストウッドも老いたのか、そりゃ老いるよな、おじいちゃんだもんなと自分を納得させようとしていた。ところが、メキシコの村にたどり着いた辺りから、「チェイスものでもロードムービーでもなく、これがやりたかったのか!」と霧が晴れたような気がした。お膳立てが冗長だったことはさておき、この村でのシーンに漂うロマンチシズムとラブの香りと若者への継承とセリフにもある謎のドリトル先生感は、盛りだくさんすぎて異様ですらある。しかしシーンが俄然生き生きして見えることは確かで、変なバランスだけど不思議と納得させられて、イーストウッド良かったねという気になる。90過ぎてモテモテなラストに何を観させられたのだろうと狐につままれた気持ちだが、不思議と読後感は爽やかという厄介な快作。
馬と車
クリント・イーストウッドは馬が似合う。そんなことはわかりきっていたのだけど、この年になってもものすごく様になっていてすごい。冒頭、イーストウッド演じる主人公がメキシコに入り、車を走らせている横を、数頭の馬が平行して走っているシーンがすごく良い。馬と一緒に同じ方向に走っているのが、なんというか、馬とともに生きてきた男の姿っぽい感じがあっていい。物語は、少年と老人の疑似家族的な関係構築の話だが、馬と車が媒介となって進んでいく。
車が駄目になったり、盗まれたりするので、何度か車を乗り換えていく。少年は時々、車を運転したがるが、未成年なので主人公はそれをさせない。代わりに、馬の乗り方は教えてやる。同じ脚本家の『グラントリノ』は車の継承の話だったが、今回は馬の乗り方を継承する話になっている。何かを継承する時に、運ぶものである乗り物を用いるのが、この脚本家は好きなんだろう。そして、それがイーストウッドにとても合っている。
生きることがタフな時代に、イーストウッドが問いかけること。
ひとり暮らしのマイクは、「息子のラフォを連れ戻してくれ」という恩人からの依頼を受けてメキシコへと向かう。まだあどけなさが残る少年ラフォは奔放な母との乱れた生活を嫌い、マッチョと名づけた闘鶏とストリートで暮らしている。突然現れたマイクを少年は警戒するが、マッチョなカウボーイへの憧れと、父との新しい生活に心を動かされていく。
90歳を過ぎたクリント・イーストウッドが演じるマイクと14歳のエドゥアルド・ミネットが演じたラフォ、歳の差も境遇も考え方も異なるふたりはアメリカ国境に向かって旅を始める。それは、互いを必要とする発見の旅であり、ふたりの人生を大きく変えていく。
クリント・イーストウッドが新型ウィルスの渦中で撮り上げた最新作『クライ・マッチョ』には、映画人として生きてきた彼のエッセンスが凝縮されている。
自分の流儀で生きること。他人には期待しないが、示唆することは忘れない。恩義をには必ず報いる。微笑みを安売りはしないが笑顔には応じる。決して自分を買いかぶらず、誇張もしない。不寛容なことには正しく憤り、身をもって立ち向かう精神を忘れることはない。
カウボーイハットで荒馬を乗りこなす。車を運転する。もてなしに対する礼を尽くす。目の前に障害があれば、慌てずに迂回する。必要とあれば後戻りする。生き急ぐことが理想ではない。人生には、回り道することだってあるのだから。
我が道を行くことで、小さなコミュニティが生まれていく。ひとりだけれど孤独ではない。人の外観 (人種)ではなく、人の本質を見つめる過程で、血のつながらないの疑似家族のような関係が育まれていく。悔恨は尽きることはないが、くよくよしても始まらない。人生に終わりはない。生きていれば、素敵なことだってあるはずだ。彼はいつも旅の途中にいる。人と人とのつながりの中で“今”を生きている。
Make it Yours、自分のことは自分で決めろ。
この科白は、半世紀分以上もの生きた軌跡を隔てた少年に向かって放たれる主人公の言葉だ。
“マッチョ”=“強い男”に憧れ、幼さが残る家族の愛を知らない少年ラフォは男らしく生きたいと願っている。かつて“マッチョ”としてならした男は、もはや自分は強くないと認めている。だから、その言葉は説得力を伴って心に染みる。
無理がきかなくなったが、許容範囲はわきまえている。いたずらに逆らおうとは思わないが、許されざることを黙認することはしない。映画を観ている僕たちは、ふと気づかされる。マイクがラフォに放った言葉は、彼自身に向かうと同時に、紛れもなく観客のひとりひとりに向けられているのだ、と。
監督イーストウッドは、説明することが大嫌いだ。冗長な描写も好まないし、過剰な演技は排除する。濁った水を湛えた川であっても、その流れは淀むことがない。映画という話術において、主人公たちと同じように時と場合をわきまえているのだ。研ぎ澄まされた描写であるが故に、演出家の意図に気づかないことすらあると言っては褒めすぎかもしれないが、素直にそう思う。
同時に、映画におけるカタルシスを見定める力が緊張感を生む。観客が望む決めのシーンを放つタイミングも絶妙だ。
愛犬の調子が思わしくない夫婦の相談に、「残念だが歳にあらがうことは出来ない。のんびりさせて、一緒に眠ってやると良い」と告げる。先に引用した「自分のことは自分で決めろ」同様、その言葉はブーメランのように自分に向かって放たれている。もはや老い先は永くはない、だからこそ出来ることがあるのだ、と。
☆☆☆★★ 《御大の老いらくの恋》 予告編を観た瞬間から、「あ?こ...
☆☆☆★★
《御大の老いらくの恋》
予告編を観た瞬間から、「あ?これはイーストウッド御大の集大成の作品になりそうだ!」…と思った。
これには一応は原作があるものの。予告編から醸し出される雰囲気が『パーフェクトワールド』であり。『グラン・トリノ』や、最近の『運び屋』を想起させる。
更には、今では落ちぶれてしまった元ロデオスターとの設定から『ブロンコ・ビリー』を。ロードムービーでもある事から、イーストウッド最高傑作の1つ『センチメンタル・アドベンチャー』を…と言ったように。長年イーストウッドを観て来たフアンからすると、「嗚呼!これをもってイーストウッドは伝説に、、、」等と、ついついセンチメンタルな気分に…
………あららら、、、とんでもなかった💧
イーストウッドはまだまだ【引退】等する気はなさそうだった。
それどころか、ますますお盛んなのを見せられるこっちは、一体全体どんな気持ちでスクリーンを見つめて行けば良いのやら^^;
基になった原作をどれだけ忠実に映像化されているのか?は、原作未読の為に今ひとつ分からないのですが。単なる原作未読の身から観て(おそらくは)こんな物語ではないんじゃなかろうか?…と。
尤も、原作そのものを忠実に映像化していたのならこちらの見込み違いって事になりますけども。
…って事で!(どんな事だよ!ですけど)
流石に今回のイーストウッド御大作品には。往年の作品群に見られたような人間賛歌であったり、人生の深み等が滲み出て来る何時もの人物像とはちょっと無縁な主人公だったのが残念。
(それでも、あの皺くちゃな御大の顔がスクリーンに映るだけで、大いなる反則なんですよね)
これは最早脚本上の問題でしょうかねえ。
wikipediaを確認したら、どうやら完成するまでの道のりこそを映画化した方が遥かに面白くなりそうな感じで、イーストウッド御大も、どちらかと言えば雇われ監督みたいな雰囲気がするし…と。
何となくですけど。御大自らは、仕事をしていないと、身体も心もドンドンと衰えてしまうから…ってところがひょっとしてあったのかも…と穿った見方をしながら観てしまった。
もう一つ考えられるとしたならば、共演したメキシコ人女優のNatalia Travenにあるのかも?
御大を相手にして、老いらくの恋の相手になるのだけれど。歳は召されてはいたけれど、凄く素敵な女優さんだった。
御大って元々共演した女優さんと…
本来ならお好きだものなあ〜(^^;)
御大!今回は今ひとつ、、、いや、今3つくらいだったけれど、次回はバシッと頼みますよ!
2022年1月15日 TOHOシネマズ日本橋/スクリーン6
なーんか、平凡
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カウボーイのクリントはかつて妻を亡くし、自暴自棄になった。
その時に仕事をくれて、自分を復活させてくれた男がいた。
息子の少年を連れて来て欲しいと依頼され、クリントは引き受ける。
少年は離婚した母とメキシコに住んでた。そしてその母は堕落してた。
男をとっかえひっかえで、少年は暴力を受けることもあり、家出してた。
少年はクリントとアメリカに行きたかったが、母親は許さなかった。
しかし事情を知ったクリントは強引に連れて行くことにした。
そして警察やら妻の雇った追っ手やらから逃亡する日々が続く。
ある町で車が故障して長居し、飲食店の女性店主と親しくなる。
やがて車は直り、またそこにも警察が来たので、別れを告げて出発。
しかし雇い主が少年の誘拐を依頼したのは愛情からではなかった。
妻の名で投資した案件が満期を迎えるので、それを有利にするためだった。
それを知ったクリントと少年だったが、もう進むしかない。
そしてクリントは少年を送り届け、自分は上記女性のもとに戻る。
マッチョとは少年が可愛がってた闘鶏用の鶏の名前だった。
そして何故か別れ際にクリントにその鶏をくれるw
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なーんかダラダラと、成り行き任せのロードムービー。
まあそれはええのやが、あんまり協感はできんかったなあ。
少年はグレてた割には素直なのだが、ただそれだけ。
クリントとの名コンビってほどでもなく、ただの脇役。
クリント自身も、大義や深い愛情を持ち合わせてるわけでもない。
へー、ああそうですか、そんな旅がありましたか、って感じ。
劇場で見ると話に集中できて大体3点以上が出るのやが、
この作品はその意味で珍しく2点となったわ。
退屈でしゃーない金返せってほどではなかったけどな。
俺の居場所はわかるだろ。困ったら来い。
こないだ鑑賞しました💿
クリント・イーストウッド演じるマイクは孤独感をうちに秘めた感じで、最初はエドゥアルド・ミネット演じるラフォとも多少ぶつかりますが…。
2人がメキシコからの旅を通じて絆が芽生える展開が、ベタながら良いですね。
最後のマイクとラフォの台詞にも表れています🙂
そして旅の途中で大いに助けられたナタリア・トラベン演じるマルタの所へ戻っていくマイク。
彼は穏やかに余生を過ごす場所を見つけたということでしょう。
マルタのやさしい眼差しと、保安官を追い返す時の毅然とした態度のギャップも、良かったですね。
私はこういう映画も好きです👍
❇️何も起きないでと願い。そして感謝した映画。
クライマッチョ
🇺🇸1979年 テキサス州 🇲🇽メキシコ
過去にロデオキングと呼ばれた男。🐎
今はおじいちゃん👴。
過去の栄光で仕事をしていたが遅刻を繰り返し、クビになった。
一年後、仲間の恩を返す為、メキシコに暮らす仲間の息子を妻から奪ってくる仕事を任される。
少年と元ロデオおじいちゃんの信頼関係と生き様を描くストーリー。
❇️少年が本当の強さと優しさを知る旅。
🌀噛めば噛むほど味がある映画でした。
◉82C点。
★彡やっぱり良いね〜なんか良い。んんー良いね。イーストウッドの映画はスルメの様に味があるなぁ。良かったなぁ〜
🟢感想。
1️⃣メキシコの土地柄や人々の生活などが垣間見れて旅行気分になれた。
★彡メキシコの怖さと緩さのバランスが良かった。
2️⃣少年と粋なおじいちゃんのハラハラ二人旅が心配させる。
★彡何も無い事を祈る気持ちで観ていた。
3️⃣ニワトリ🐓の役割と重要感。
★彡ニワトリから見て学び、ニワトリを比喩に教えられる感じが切なくて素晴らしい。
🥲☺️🤔🐔🐎🐓🔥🍗🌮☕️🚙🚗🚓🏘️⛪️📞💵💮🆒
🈲ネタバレ保管記憶用
俺はルパン三世…あっ違った。
俺は、友人に昔の貸しを返す為、虐待された息子をメキシコから連れて帰る面倒な仕事を仕方なく引き受けた。
母親からネグレストされている13歳の息子を見つけ、半ば誘拐犯の様に息子をテキサスに連れて行くが、母親の通報で追ってが俺たちを邪魔するし、車は盗まれるし、警察にも追われる。老体の俺にはかなり辛い任務だね。
どうやら俺はこの男の子が気に入ってきたんだな。
盗んだ車も故障し、街でジャジャ馬を飼い慣らし、売れる馬にして金を稼いだ。
少年もセンスがあり、乗り方や飼育も覚えていった。
依頼主の思惑が見えてきた、どうも息子を取り戻し、息子を金の担保で考えている様だ。
こんな良い息子何考えてるんだか💢
この街にいると知り合った人達に迷惑がかかるので、俺たちは警察や追手をなんとかやり過ごし、国境へやってきた。
少年は俺に大事なマッチョをくれた。🐓
きっとテキサスでマッチョに頼らず、自分が強くなる!と意思の表明だろう。
俺はメキシコに戻り、匿ってくれた女の所に行く事を決意した。
この度はこれで終わりにする。🔚
二人と一羽のマッチョ
クリント・イーストウッド監督はどちらかといえば好きではない。しかし、人生を悔いるジイサンの終活系作品は好きだ。具体的には「グラン・トリノ」「運び屋」そして本作だ。
細かい形は違えど人生の終わりに何かをなそうとするという意味では同じような作品だ。
そしてこれら作品の中でイーストウッドが演じた役柄にはイーストウッド本人の影がチラつく。
イーストウッド本人から始まって本作を含めたいくつかの作品が一本に繋がった大作のようにも感じる。
お隣と異文化交流をし、クスリの運び屋をして、知人の息子をメキシコまでさらいに行く。未来を守り、過去を悔いて、そして今回は、未来に伝えようとした。
自分の持っているものを伝え残し育む。過去作に出てくるような悔いの残った男を新たに作らないために若者に人生を説く。
物語としては、むかしマッチョだった男と、マッチョになりたい男と、今まさにマッチョな男(ニワトリ)のロードムービーのような交流だ。
マイクとラファの関係性、距離感が近付いていく様子が丁寧で、お互いがお互いに歩み寄るパートがちゃんとあるのもいい。
それが次第に親子のように、食堂のマルタも巻き込んで家族のようになっていく様子は傑作の風格さえある。
暴れ馬をなだめるシーンではそれが最高潮に達する。どうやったのかと問うラファに対して「一緒にやったんだ」と返した瞬間はちょっと涙ぐんでしまった。
マッチョとは、一人で強く生きられることではなく、誰かと寄り添い支え合える者のことかもしれない。少なくともマイクはそう考えたように思える。盗みをしながら闘鶏場に一人で生きることでは決してないのだ。
昨今の作品は、イーストウッドの遺言のようにも感じて…
全く知らなかったクリント・イーストウッド
作品だったが、キネマ旬報でも評価が高く
(選定委員第4位/読者第9位)、
TV放映を機会に初鑑賞。
しかし、一流の監督らしからぬ
ディテールの甘さとつなぎの粗さを感じて
なかなか没入出来ず、
残念ながらイーストウッド監督作品としては
余り買えなかった。
まず、母親の人物像が極端過ぎて、
息子の葛藤に深みを与えていないし、
寒村の食堂女性経営者から
最終的に好意を受けるものの、
初めは反権力的思想からだとしても
それが愛情へ昇華する彼女の心持ちへの
演出を感じない。
更には、幾つかの場面で、何故か都合良く
警察側からは見つけられない設定や、
息子が車のオイル漏れを見つけるシーンの
下手な演出等々、
余りにも稚拙な前提と演出による展開が
連続する脇の甘い作品に思えた。
この作品、解説にあるような
“人生のやり直し”がテーマだとしても、
関係修復が充分では無い中で
父親に息子を届ける設定も疑問だし、
主人公と女性経営者との関係も
「マディソン郡の橋」のように、
その当事者の思索に
充分に焦点が当たっていないのでは
テーマの上滑りにしか感じない。
従って、キネマ旬報第4位選出も、多分に
イーストウッドのネームバリューの賜物
だったのかなあ、と思わざるを得ず、
一流の監督作品としては詰めの甘さを
感じるばかりの作品だった。
ただ、「グラン・トリノ」と同じように、
自らがその年齢でリアルタイムに感じた
人生の摑みを
若い世代に伝えようとの意図が
見え隠れしているようで、
昨今のイーストウッド作品は、
まるで彼の遺言のようにも感じている。
タイトルなし
クリント・イーストウッドらしい作品ではあるが何か物足りない。形だけで大事な物を詰めていないような感じ。
万人に観せる映画用に練った物語ではなく自分の頭の中だけに留めておくべき空想を映画にしてしまったような内容だった。
最後の監督&主演作かと
お年寄りの姿勢でヨタヨタと歩く姿をみて、さすがに歳をとったなあと。でも、90歳を越えても、なお自分でも演じることができる原作を選んで監督、主演を務めたのだろうと。これが最後の監督・主演の映画になるのではと思った。彼の原点というべき「ローハイド」のカウボーイに回帰したかったのだろう。カウボーイ→西部劇→荒くれ者→刑事物をだどって、強い男「マッチョ」を演じ続けてきたイーストウッドが、晩年になって大切にしている信条を守るのが真のマッチョという境地に辿り着いたのではないか。見落とされがちな人たちの中にある人間としての素晴らしさに気づき、それらを守ろうとする姿が、ゆったりとしたロードムービーの中で描かれている。
90歳を越えて演じるにしても、できることは限られてしまう。彼の得意とするアクションシーンは、もう難しいだろう。荒馬を乗りこなすシーンも落馬したら大事だから代役だったろうし、敵と格闘したり銃撃するシーンもさすがにあの動作スピードでは厳しい。「運び屋」「クライマッチョ」ときて、それ以外にどんな映画があるだろうか。冒頭、友人とのダイアローグのシーンで、友人が仕事を流してくれて救ってくれたというセリフがあるが、この映画の話がもたらされた時のイーストウッドの本音ではなかろうか。
今回の作品には、自分の今までの生き方を振り返って、大切にしてきたエッセンスを詰め込みたかったのではないか。悪ガキというレッテルを貼られた友人の息子、女やもめで残された子供たちの面倒を見ているレストランの女主人、そういった人たちとの嘘のない触れ合いを通して、人として大切なものを守ろうとする姿を見せたかったのでは。そして、いつでも自分のタイプの女の人には傍にいてほしい。それがマッチョだと。
若い頃は、血気盛んで、暴力、理不尽、女、酒、反骨のエネルギーが有り余っていたけれど、それらの欲が全て枯れて、大切なものだけを守って生きていこうって。今までの作品からの流れを見て、そんなことを感じた。これが、最後の監督&主演作と自分は思う。
とても優しい作品
大スタークリント・イーストウッドが90歳代で監督主演を張った作品だから、面白いとかつまらないとか良いとか悪いとか、そんな目線で観るべき作品ではないのかもしれない。
ストーリー・映像ともに特筆するところはなかったが、老若男女誰でもほのぼの鑑賞できる作品といったところかな。
なんなのマジで
この爺さんなんなのマジで。最高なんだけど。
「グラントリノ」「運び屋」と併せて遺書三部作って感じ。
まだまだやれるとは言えない歳だろうけど、まだまだやってほしい。
イーストウッド御大、ありがとう。
マッチョな心
クリント・イーストウッド監督
主演・製作のロードムービー
テキサスで孤独に暮らす
ロデオ界の元チャンピオンの
老人マイクは
恩がある元の雇い主から
メキシコで、前妻と暮らす息子を
連れて来て欲しいと頼まれ
13歳の息子ラフォを探しに
国境越えをする。
母親が原因で荒れた生活を
していたラフォは
闘鶏用のニワトリを
マッチョと名付け
ストリートで生活をしていた。
父親の事を伝え
国境を目指す二人だが
警察や追手に追われながら
ある街に辿り着く
未亡人のマルタという
女性のお店で休憩することになり
マルタの優しさに
居心地の良さを感じ
車が故障中という事もあって
牧場で野生馬の訓練を手伝う
マイクとラフォ
そんな流れで進行してゆく物語。
公開時91歳(現在は93歳)の
監督 主演だが
目の輝きが確認できたり
存在感がありました。
年老いた自分を 自然のままに
表現されていて素晴らしかったです。
ラフォ役の若手俳優さんも
しっかりとした演技で好演。
雰囲気の良い
ロマンスもあったりで
こういった作品も好きです。
主題歌?
カントリーミュージックも
渋さがあってステキでした。
「荒野の用心棒」
「夕陽のガンマン」等
西部劇が似合う俳優さんの
イメージがありますが
「ダーティ・ハリー」シリーズの
アクション物があったり
「マディソン郡の橋」では
ラブロマンスも
その他
マット・デイモンの「ヒアアフター」
トム・ハンクスの
「ハドソン川の奇跡」
「運び屋」他
後半は、監督としての
作品も沢山ありますね。
まだ、観ていない作品が
多くあるので 鑑賞したいです。
大したカウボーイとしての実力
クリントイーストウッド扮するロデオの名手マイクマイロは、酒に溺れ落ちぶれたカウボーイをしていた。そんなマイクマイロにメキシコから13歳の息子を連れて来て欲しいと依頼があった。しかし息子はモンスターだと母親は言った。
クリントイーストウッドはもうじいさんの様相だね。旅が進むにつれ、ふたりに友情めいたものが生まれたものの車盗まれちゃったね。やっぱりメキシコはそういうところなんだね。それにしても良く慣れてる鶏マッチョだな。ましてやカウボーイとしての実力も大したものだ。メキシコの人情も最高だね。
最後の鶏の雄叫びはいいね
いい映画だった。少年と老境の男との短い旅。
男は言う、人生は選択だと。だよね、結局自分の人生の責任は自分にある、
誰のせいでもない。
主人公も波乱万丈の人生を経て、最後に居場所を見つける。
少年も、これから自分の人生を歩むのだ。
主人公を演じるには齢をとりすぎ
主人公はイーストウッドではなく、他の役者にさせた方が良かったのでは?
メキシコのギャングの元妻から息子を誘拐させる、という物騒な任務をさせるには齢をとりすぎで動きがスロー過ぎる。
(同様のことは、「アイリッシュマン」のデ・ニーロ、パチーノ、ペシの3人の主役にも感じたが、皆、好きな役者なので、彼らを見たい気持ち半分、作品の魅力が削がれている気持ちも半分)
例えば、「ミスティックリバー」の主演3人(ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコンなら60過ぎ)でも、本作の主役を演じることもできただろう。とかね。
最初は、「グラン・トリノ」みたいな映画かと思ったが、また違うな。
疑似親という以外にも、2人とも「居場所」が無く、それを探すロードムービー、というかな。
あとは、「少年の成長を描く物語」とすれば、父親、母親と対峙させる必要があると思うが、最後までそれは無し。
それは消化不良感が否めない。
まあ、良く言えば「観客の想像の余地を残す」とも言えるが。
好きな人は好きな作品だと思う。
クリント・イーストウッドに尽きる作品。
クリント・イーストウッドだから成り立つ作品。
ヨタヨタ歩こーが、声がかすれてよーが、かっこええわ。
昔は親戚にこういう頑固で頼りになる爺さんがおったけど…。
最近は世界の頑固な爺さんが居ない人達のためにイーストウッドが色々大切な事を教えてくれてる。自分の子供を夏休みの間預けておきたい。人間的に成長させてくれそう。
バッドエンドの多い過去の作品の事を考えるとクライマッチョ…じゃなくて、クライマックスの方はハラハラした。
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