クライ・マッチョのレビュー・感想・評価
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何歳になっても人生を楽しもう
息が詰まるようなスリリングな展開があるわけでもなく、心揺さぶれる感動のシーンがあるわけでもない。だけれども、終わってみると幸せな気分に浸れる。
肉体的な強さを失い、どん底の人生を経て、あらゆることを飄々と受け流す強さを持つに至ったマイク。両親への愛情に飢え、無軌道に日々を過ごすラフォ。この2人のロードムービーかと思っていたら、車の故障で、とある街に留まる事になってしまう。
この街でのエピソードは、微笑ましくも人の温かさで詰まっている。他人から頼りにされることで、生きる喜びを取り戻すマイク。何歳になっても人生を楽しんでいこう。クリント・イーストウッドの現在の境地が伝わってくる。
MVPは間違いなくマッチョ🐓
てっきり主人公が誘拐した少年の成長物語かと思いきやラブロマンスで終わってびっくりしました。
内容は可もなく不可もなくでした。
ただ、もう少しだけ少年の成長を描いて欲しいという気持ちもあります。
マッチョ🐓が本当に良くて、この映画のMVPは間違いなくマッチョ🐓だと思います。
クリントイーストウッドが主演でなければ「許されざる映画」
クリントイーストウッドが主演だから許される映画でしょう。
あまりフィクション作品に対し現実的に突っ込むのは良くないですが、誘拐を依頼した父親は善人なのか悪人なのかはっきりせず終わってしまったし、助けてくれた女性が警察に追われて初めて街にやってきた二人を何故すんなり受け入れたのか、母親の手下のヘタレっぷり等々、、、、。時間的にもう少し尺をとって父親がやはり悪人で最後にあの息子も合流する所までやって欲しかったですね。
しかしながら、1979年が舞台ですが、現代版の西部劇みたいで絵面は良かった。ガンマンの撃ち合いはないですが旅人が悪人から追われて訪れたとある街の女性と恋に落ちるが、また行かなくてはならない主人公が悪と対決し、またその女性の所に戻る。良くありがちな西部劇の物語、イーストウッドだからこの映画は許されるのです、きっと!そういう事にしておきましょう!
紛れもない最後のカウボーイ映画
なんと言っても、御年91歳のクリント・イーストウッドの主演・監督の新作を観ることが出来る至福感が素晴らしい!何てことないロードムービーだし、近年の作品に比べると正直レベルがやや落ちるかもしれないけど、作品自体はどう見ても西部劇。今のイーストウッドでなければ絶対に出せない、かつてはマッチョだったロデオスターの枯れ切った佇まいだけで、西部劇が成立してしまうのが凄いです。まさに、イーストウッドを鑑賞する映画でした。
イーストウッドは老いさえ楽しんでいる
・ピアノのつぶやくような調べ
・古いシボレーのピックアップトラックでの老いぼれた登場
・運転席の横顔
・ひょろりとした長身の体はより細く骨ばって、足取りもおぼつかない
・昼寝のシーンをはさみ、老いを強調さえする
・元々声量は少なく吐き捨てるようなセリフが一層際立つ
・これら一連の表現で、老いを認め受容する潔さ
オープニングで「あぁ、こういうことか」と思い知る。
しかしイーストウッドは老いさえ楽しんでいた。
本作は、我々がイーストウッドに期待する強さには肩透かしを食うが、
・大地を俯瞰するカメラ
・人間関係を築き信頼していく過程
・優しさや本当の強さ
といったものは十分に描かれている。
また、登場人物が少ないために、相手役に多弁させることでストーリーを補完していく簡潔さで変化のない風景にテンポを持たせた。
ただし、ラファと母親の演技がありきたりでやや鼻白む。
反抗期の少年があまりに素直で拍子抜けするし、ステレオタイプな母親とその取り巻きも月並み。
一方、光っているのはカフェの女主人マルタ。大きな口、くっきりした目元と存在感で、老人イーストウッドに息を吹き込んだ。本当のマッチョはマルタなのかもしれない。
また、いつもながら怪しげな男を演らせるとピカイチのヨーカムもいい仕事をした。
イーストウッド作品に一貫する「本当の強さ」「信頼」といったものはあますことなく現れており、陳腐なストーリーではあるが、ファンとしては見ておくべきだろう。子どもの未来と世代交代を匂わせる佳作だ。
これを最後の作品にしてほしくない。
70年代最終盤の米国テキサス州。 かつてのロデオスターのマイク(ク...
70年代最終盤の米国テキサス州。
かつてのロデオスターのマイク(クリント・イーストウッド)は、ロデオ引退後勤めていた牧場から馘を言い渡された。
寄る年波には勝てず、朝も遅れ気味なのだ。
それから1年。
元雇い主から、別れた妻のもとで暮らす一人息子を連れ帰ってほしいと依頼される。
場所はメキシコ。
誘拐にも近い形かもしれないが、しぶしぶ引き受けたマイク。
元雇い主から伝えられたメキシコの場所では、彼の元妻がいかがわしい商売をしていた。
13歳になる一人息子のラフォ(エドゥアルド・ミネット)は、ストリートで闇闘鶏で金を稼いでいるらしい。
闇闘鶏場で出かけたマイクは、警察の手入れの最中にラフォを捕まえることができた。
しかし、米国への帰途、ラフォの母親からの追手が迫ってきていることに気づいたマイクは、う回路を通って行くこととする・・・
といった物語で、マイク役がもう少し若ければ、追跡アクション映画になるかもしれないが、90歳のイーストウッドなので、そうはならない。
『グラン・トリノ』に近い、老人と少年物語なのだけれど、あの映画よりはかなり緩い。
歳のせいといえばそれまでなのだけれど、イーストウッドには、監督デビュー作『恐怖のメロディ』(1971)の頃から、男女関係においては幾分緩い描写があり、本作でもそれが前面に出ている。
追手をまいたマイクとラフォは、メキシコの小さな町の食堂に行きつくのだが、そこの女主人マルタ(ナタリア・トラヴェン)と懇意になっていく。
その様は、『マディソン郡の橋』のようでもあるのだけれど、マルタに孫がいるところから、まぁ、経年版といったところ。
追跡劇は横に追いやられ、マイクとマルタの関係が大きく描かれていきます。
あまり新味はないけれども、マッチョな国メキシコで、男に頼らず生きてきたマルタのキャラクターは、イーストウッドが憧れる女性像なのかもしれません。
また、『グラン・トリノ』のような老人と少年の物語は、その小さな町でのささやかな暮らしとして描かれ、かつてのロデオスターらしく、馬の馴致に成果を出し、ストレンジャーの立場から、町の人々に必要とされる人間へと変化していきます。
ここいらあたりは、イーストウッドの老境のおおらかさが出ており、「俺は、ドリトル先生か」という嘆息とともに笑わせてくれます。
最後は、追手が迫り、町を出、ラフォとともに米国へ・・・となるわけですが、そこはそこ、あまり緊迫感はなく、ふふーん、といった感じでラフォを送り届けることになります。
メキシコ育ちの少年が米国に越境し、米国育ちの老人がメキシコに安住の地を得る・・・というあたりも、悪くない決着。
なので、そこそこのいい塩梅。
ですが、まぁ、米国映画界の人間国宝イーストウッド映画ですので、もう少し期待するところもありました。
イーストウッド監督・主演でなければ、まぁ、普通の映画かなぁ、といったところ。
もう少し若く、70代ならば、もう少しアクション寄りになったかも。
でも、それではさらに、ありきたりな映画か・・・
違和感
特別クリントイーストウッドファンでない人からすると、違和感ありありだった。
おそらく50歳以上年下であろう少年の母から迫られるシーンなんかは、クリントイーストウッドが90こえても俺は現役!女に求められる!男だぜ!のアピールのように思えて、なんだかしんどかった。
あのシーンいる?
同じく農場のマルタさんもそう。
おじいちゃんすぎて、ふつうに恋に落ちるとは思えないんだが...。
実年齢を知ってるからなのか、ものすごいおじいちゃんなかんじだからちょっと違和感があった。
キスシーンとかももうちょっと怖く感じてしまう。
正直、マディソン郡〜ですら、中年の恋愛にちょっと気持ち悪いと思ったたちなので、ちょっときつかった。イーストウッドにとって、老いても男性としてのアピールが結構重要なんだと改めて思った。
肝心の少年も、最初から最後まで普通にいい子で、
おじいさんとの交流で変わってくさまとか、そういうのも全くなかった。
鶏はめちゃくちゃ可愛かったが、ちょっとよくわからない作品。
予想外に凄く良かった‼️
出足はノンビリ、徐々にハマっていった。他人同士が温かい家族になり途中からは感動してしまった。
凄く温かい気持ちになった。良い話し。
あんなお爺ちゃんがいたらいいなと思う。
時間も短めであっという間に終わった。
尺の無駄もない。
非常にできた映画じゃないかもしれないが、期待せずに観れば元が取れた気になる映画。
個人的には非常にお薦めしたくなりました。
クリント・イーストウッドは、まだ頑張ってる
メキシコに住む友人の息子をテキサスの牧場まで送り届ける為、主人公と少年の旅が始まる。
メキシコの田舎町の感じがディズニーランドのウエスタンランドみたいで良いのよねぇ。
今までのクリント・イーストウッド監督映画に比べるとおとなし目な展開。
そりゃあ、イーストウッドも91歳だもの。
監督主演してるだけでも脅威だよ。
チキンとマッチョ
“強さ”に憧れる少年ラフォと、かつては“強かった”元ロデオスターのマイク、二人の絆が強くなるメキシコを舞台にしたロードムービー。
監督製作主演を務めたクリント・イーストウッド・ジュニアの最新作。驚きました、監督91歳だと。カントリー音楽、カウボーイ、メキシコの広々とした風景も美しい。
旅路での思わぬ出逢い、マイクとラフォの築く友情、心温まるシーンや台詞に思わず目頭が熱くなる。
メキシコ行ってみたいなぁ〜。メキシコと言えばテキーラ、警察官とのやり取りのシーンや車の盗難など改めてメキシコの治安の悪さを思い知るけど、、、。
ラフォのダメな母親を演じた見目麗しい女優さんは誰だろう?
これはなんの映画?
驚くほどにサラッとした内容で、観終わった後にほとんど何も残っていないというのが正直な感想。
マイクとラフォの2人の関係をしっかり描く人間ドラマかと思いきや、それほど描かれず。それじゃあロードムービーかなと思ったら、中盤で1箇所に留まり始めて移動はほぼ終了。
迫り来る危機はわりとサラッと切り抜けて(違法行為しまくりだけど)、ラフォとの別れもアッサリ。父親も下衆だし、あの後にどうなったのかが知りたいのだけど…
何より、1番描かれていたのが途中で出会ったメキシコ人家族との関係って…まさか高齢男性のラブロマンス映画だとは思わなかった。
演出や脚本の意向で説明をなるべく省いたのかもしれないけど、あれだけ省いてしまうと映画の内容が薄く感じてしまう。
上記にもある通り2人の関係性の変化は「察して」程度にしか描かれず、なんなら途中からラフォはほぼ通訳だし、流石に扱いが雑だったような気がする。
マイクが特別強い人間として描かれてもいないので、終盤のマッチョに関する台詞もあまり響かなかった。
唯一良かったのは、イーストウッドの芝居が枯れても尚若々しかったことか。正直、イーストウッドぐらい人生経験を積んだ役者が演じなかったら、マイクという役は全く説得力が無かったと思う。
けっこうよかった
先日見た『マークスマン』と、メキシコ国境の舞台と、少年と年寄りなど、テーマが被る。こっちは完全にメキシコで、子どもも13歳でけっこう大きい。敵がほぼ一人でしょぼい。しょぼいところがリアルだ。
イーストウッドと子どもと鶏が並んで歩いていく後姿が印象的だ。イーストウッドが動物の相談が殺到して「オレはドリトル先生か」と言う。
少年のママさんに迫られるのだけど、あの年でたつのだろうか。最終的に彼女も作る。
あの女の子たちは、後々カルテルに誘拐されないかと心配だ。鶏を飼ってみたい。
イーストウッド過去作のエッセンスを集約
デニムシャツ、ウエスタンブーツ、テンガロンハットを着こなし、女にモテまくる91歳なんて存在するわけない。でもクリント・イーストウッドが演じると違和感がない。背筋は曲がり足元もおぼつかなくなったけど、彼が演じると様式美の域に達してしまっている。
「イーストウッドの集大成」とキャッチコピーがあるけど、これが言い得て妙なのは、これまで彼が撮ってきた作品のエッセンスが盛り込まれているからだ。
そもそも(元)カウボーイという役柄が『ローハイド』だし、老人と少年の交流というテーマが『グラン・トリノ』であり、境遇こそ違えど、老齢の男女が恋に落ちるのは『マディソン郡の橋』を思わせる。動物と仲良くなれるという能力(?)に至っては、相棒がオランウータンだった『ダーティーファイター』ですでに身に付けている。何よりロードムービーという形式そのものは、『ガントレット』や『センチメンタル・アドベンチャー』などなど、何度も描いている。
そして、何度も何度も演じてきたマッチョ(男らしさ)を、本作では少年に“伝承”する。『グラン・トリノ』では自己犠牲でそれを伝承していたが、本作では生きながらにして行う。真のマッチョとは内面の弱さを伴う事で得られると諭し、イーストウッドは安住の地へと戻っていく。
ストーリー自体はありきたりかもしれないが、イーストウッドというフィルターを通してしまうとどうしても許容してしまう。新作が発表される度に繰り返し言うが、彼には時間の許す限り、気力の続く限り映画を撮り続けてほしい。
キャスティング
今回のイーストウッド作品はヒリヒリ感がなく、全体を通してハートウォーミングな物語となっています。十分に楽しめてそれなりに満足感はありますが、、、
正直に感じた点は、今回は御大自らでなく、適当な年齢の他の誰かをキャスティングしても良かったのでは?と。(Wikipediaによればシュワルツェネッガー主演で進めていた時期もあったとのこと)
勿論、イーストウッドの演技にケチをつけるつもりはないのですが、物語の主役でイーストウッド演じるのマイク爺さんは、「以前は一世を風靡した元ロデオスターで、今はもう世捨て人に近い枯れきった老人」です。
イーストウッド本人はまだまだ矍鑠とされていて、実年齢を感じさせないかもしれませんが、逆にこういう役を演じるとどうしても、崖を上るシーンで(気持ちとして)手を取ってあげたくなったり、女性とのダンスもなんだか介護っぽく見えてしまいます。
これが例えば『運び屋』のアール爺さんみたいな脂ぎって癖のある老人役だと、そのメリハリに「まだまだイケるぞイーストウッド」と思えるのですが、今回はちょっと気になっちゃいましたね。
逆に、驚くべき光っていた助演をしていたのが「マッチョ」です。マイクと対する人懐っこさと、やや都合よく見える展開も許せる彼の演技(?)。今回は彼に助演男(雄)優賞をあげたい笑。
クリント・イーストウッドのファンが観るべき映画かな?
正直言えば期待してたほどの内容ではありませんでした。内容的には元の雇い主からメキシコにいる彼の息子を国境まで連れてくるだけの単なるロードムービーという感じでした。
ただこういう淡々とした緩い内容の映画が好きという人も一定数いると思いますので好みの問題だと思います。
ラストの展開は「あれっ?そっちに戻るの?」って感じでした。
しかし何がすごいって言えば、クリント・イーストウッド氏が91歳で現役バリバリの俳優・監督であること。また次の新作が観れればいいかなと思います。
イーストウッド仕様に120%カスタマイズされた、ファンとキャリアに捧げる私的「ご褒美」映画。
良くも悪くも、クリント・イーストウッドを観るための映画だよね。
齢九十一にしてなお、スクリーン上で動き、しゃべり、演技する彼を観る、このうえない幸せ。
それだけで、なんかほっこりした気持ちになれる。
そんな映画だし、そういう客向けの映画。
しかも、実年齢に則した「相応の老人役」じゃない。
初老の役者がやってもおかしくないような「プチヒーロー」を、「年齢不詳の得体の知れない何か――クリント・イーストウッド」として、そしらぬ顔で演じ上げているのだ。
その意味で、あまり類例のないタイプの「変な」映画でもある。
だって、素に戻って考えてほしい。
こんな、きちんと歩けているのが不思議なくらいの老人に、
メキシコから子供を連れ帰るよう依頼する人間なんか、
そもそもこの世にいるはずないんだから(笑)。
なんか、クリント・イーストウッドだから、許されてるというか。
『許されざる者』ってより、『許されちゃう者』だよね。
これまでのキャリアに対する尊敬とか、イメージとか、
まだ生きて活動していること自体の奇跡性とかもひっくるめての、
映画の外も内もない交ぜになった奇妙な映画体験だった。
例えていえば、人間国宝の老女形を見て、「そこにはもう得も言われぬような艶と色気があって、女性の業みたいなもの演じさせると、さすがは●●屋さん」とか言うじゃないですか。
歌舞伎ファンからしたら、まさにそういう風に観る「訓練」が成されてるから、ちゃんとそう観えるんだろうけど、部外者から言わせたら「いや、こて塗りの立ってるのもやっとの老人見て、色気感じろって言われてもなあ」ってなりかねないし、それはそれでしょうがない。
それに近い感じ。
先に言っておくと、僕はかなりのクリント・イーストウッド・ファンだと思う。
僕にとって生涯最高の映画は『続・夕陽のガンマン』でこれからもあり続けるだろうし、
これまでの人生で何度『ダーティハリー』シリーズを観てきたか、それこそ数えきれないくらいだ。
この人は30年前に『許されざる者』を撮り、約20年前には『スペース・カウボーイ』を撮って、とっくにもう「敗れざる老残」をテーマにした映画を作り済みなわけだが、ほぼ実年齢で演じた当時の役柄には本当に説得力があったし、その系列において『グラン・トリノ』(2008)はガチ泣きさせられた真の傑作だった。
口先だけのリベラルを心底小馬鹿にしたような映画も多いし(なんでリベラル層まで真顔でこの監督の映画を褒めるのかよく分からない、マゾなのか??)、初監督作の『恐怖のメロディ』以降連綿と描かれる根の深い「女性憎悪」もこの人の闇の部分だと思うが(時にフェミニスト映画みたいな言い方する人いるけどあいつらマジでバカなのか??)、僕は本質的にクリント・イーストウッドが大好きだし、彼の作った映画もまた大好きである。
でも、今回のは映画としてはどうなんだろう?
少なくとも「この原作を映画化する」ための最適手がとられているようには、どうしても思えないけど。
当然ながら、もっと若い人間が主演をやるべき映画だし、もっとアクションがあっていい映画だし、肝心のロデオシーンがあからさまな吹き替え、みたいなダサいことはしてはいけない映画だろう。
何より、敵が手を出してもよさそうなところで、あえて何もしないで帰っていく、見逃すみたいなシーンが多すぎる。なんか、出演者がみんなで、クリント・イーストウッドをそっとおもんぱかってるみたいな……。
実は、店頭に原作がすでに並んでいたので映画を観る前に買って、すでに読みだしているのだが(これが、もうすげえ面白いんですよ)、まあまあ原作を徹底的に改変してるんだよね。「クリント・イーストウッドが出られるように、それに合わせて」。罪のないほほえましいのだと、原作ではマルタは「子連れの未亡人」だが、クリント・イーストウッドの年齢に合わせて、映画では「子供のおばあちゃん」になってるとか(笑)。
でも、たとえば原作では、少年の心をマイクがつかむシーンって、例の村で持ち金盗まれてから、「野生の馬をマイクが捕まえて、乗りこなして、慣らして、売りさばいて」お金を作るのを間近で見て、ロデオスターとしての彼の技量にハートを撃ち抜かれるんだけど、おそらくなら「今のクリントには難しい」って理由で、「気性の荒い馬を馴らす」だけのシーンに下位変換されちゃってる(しかもそこだけダブル)。
あれって、ストリートに生きる少年の心をつかむことと、野生化した馬を捕まえて馴化することは当然、物語のうえで相似形を成してるわけだし、原作を尊重するなら、絶対いじったり変えたりしちゃいけないシーンだと思うんだが。
全体に、原作はもっとシビアで、もっと主人公は追い詰められてて、もっと不幸な過去があって、少年はもっと懐疑的で、警察の追跡はもっと暴力的だ。そして、あえてここでは触れないが、ラストもぜんぜん違う。
こぢんまりとしたドメスティック・アクションであることには変わりないが、フィクションとしての濃度も、重さも、たぶん原作のほうが格段に上だろう。
それを、120%クリント・イーストウッド専用機として、徹底的にカスタマイズし、フルモデルチェンジしたのが、映画版の『クライ・マッチョ』だ、と言っていい。
半分は、身体的な条件に合わせて、負担の少ない脚本に変えることで。
半分は、ヒーローとしてのクリント・イーストウッド像に主人公を近づけることで。
前者は、映画として正直あまり褒められたことではない気がするし、後者は昔ペキンパーの『ゲッタウェイ』でスティーヴ・マックウィーンがゴネて、ラストがハッピーエンドになった話を思い出させる。でも今回は、監督が主演なんだから、まさに何でもありだよね(笑)。
結果として、映画版の『クライ・マッチョ』は、どこかのんびりした、幸せなテイストを身にまとったロード・ムーヴィーに仕上がっている。ラストの改変も、その延長上にあるものだ。
お話だけで考えると、「なにそれ、そんな終わり方ありかよ??」みたいな珍エンディングにも思えるけど(実際僕は映画館で爆笑した)、前半をあれだけ毒抜きして「ぬるい話」にした以上、ラストだけシビアにしてもノリがおかしくなる。そのあたりは、さすがクリント・イーストウッド、ちゃんとわかっている。
今回、偏った政治性はほとんどないし、女性観もドン・シーゲルやセルジオ・レオーネの頃に逆行したかのような「包んでくれる存在」「子どもと男を慈しむ存在」に限定されていて(敵役のメキシコ女はその逆の存在としてダメ人間認定される)、観ていて(今までのクリント・イーストウッド映画で引っかかったような部分での)不快だったり挑発的だったりする要素は、ほとんどない。
すべては、人生の最後に観る、スパイスは効いているが温かで幸せなほっこりした夢。
人生で演じてきた幾多の「ロデオスター風キャラ」をモチーフにとった、同人誌のような「最後のあいさつ」。
これはそういうふうに作られた映画だし、そういうふうに観る映画だ。
そもそも、90歳の人間がやるような話ではない時点で、「ありえない話」を「ありえない話」として楽しむように観客はおのずから誘導されるし、それを監督・主演も理解したうえで、「みんなも一緒にクリントと楽しもうぜ!」ってノリでふるまってくる。
「ロデオは吹き替えだけど、年齢が年齢だから、許してチョ!」
「部屋への侵入も、過程はすっ飛ばすけどわかってくれるよね!」
「殴り合いは徹底的にモンタージュでごまかすから、そっちの技を見てくれ!」
「代わりにマジで馬に乗ってみたから、そこはぜひ注目してくれ!」
「ラブもやるけど、あったかい目で応援してくれよな!」
みたいな。
で、こっちはアクションやロデオは適当に見逃すかわりに、実際にあの年齢でクリントが矍鑠と歩き回り、独力で車のソファーを持ち上げ、車のなかにぶち込むだけで喝采をあげるわけだ。
「すげえぜ! あの齢であんなアクション、独力でやってのけたぞ!」って。
クリント・イーストウッドは、大スターだ。
生ける伝説だ。いや、イキガミ様といってもいい。
なんで、まあ基本的には、もう何をやってもよいわけだ。
神様が受肉して地上に降臨して、また「演技」を見せてくれる……しかも、『運び屋』の年齢設定からはるかに若返った謎設定で、「動ける初老」みたいな役を楽しそうにやっている。
それで十分、といえば十分なんだと思う。
役者としてはもう引退したかと思っていたレジェンドがくれたサーヴィス特典。
それが長篇一本分もあるなんて、すごいご褒美感だ。
でもまあ、この映画を諸手をあげて傑作とか言っちゃうのは、たぶん違う気がする。
映画としては、原作に対して不誠実な部分や、まっとうでない理由で捻じ曲げられた部分が多くて、あまり褒められた出来ではない、いや正確に言うと、こういう「個人にカスタマイズすることを是とする」のは「お遊び」の範疇以外で表立って認めるのにはおおいに抵抗がある、というのが僕の個人的な感想だ。
あくまで、ファンと、自分と、自身の長いキャリアに捧げる個人的な映画として、「お互いの共犯性」のなかでひっそり愉しむ「小品」。そういう位置づけでなら、十分に楽しめる映画だと思う。
イーストウッドが繰り返し問う贖罪に加えて、自身の若かりし頃の栄光を省みるかのような台詞が胸に沁みます
舞台は1980年、かつてロデオスターだったマイクが元雇い主で古い友人ハワードに頼まれて、元妻とメキシコに暮らしている彼の息子ラフォを連れ帰るという話。原作も1975年に発刊された古い小説、昨年鑑賞した『すべてが変わった日』や『マークスマン』といった作品に通底する贖罪を巡るドラマであり、それはクリント・イーストウッドが自身の主演作で延々問うているもの。ラフォとマイクの対話、旅の途中で出会った人達との交流の中で育まれる信頼と友情、男らしさについて語るマイクの言葉が胸に沁みます。年老いた者から若者へバトンを渡す話ですが、若者からそのお返しに渡されたものがタイトルの意味と被っていてエンドロールの入口でまたひとしきり泣けました。
出来れば『マークスマン』と併せて鑑賞していただきたい作品です。
♪いいないいな人間っていいな
最初はまどろっこしい程ゆっくりと時間が流れていきます。
後になるとそれがいい。
いい人の周りにいい人が集う。
こう有りたいって思わせてくれる作品です。
もう優しいクリントイーストウッド満載です。
それはそれで素敵なんですけど山田康雄が声をあてた頃のイーストウッドをちょっと観てみたい…出来ない相談だよねー(悲)
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