メタモルフォーゼの縁側のレビュー・感想・評価
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うららはあの頃の私だった
わかる…わかるよその気持ち…というシーンがオンパレードすぎて、もう私の心の琴線に刺さりに刺さりまくって、もはやなんでも無いシーンでもいちいちボロ泣きしてしまった。
別に御涙頂戴な映画でもないし、感動させるぜー!な演出も無い。人によっては「ほっこりする良い映画だった」で終わる人もいるかもしれない。でも私は主人公のうららの気持ちが痛いほどわかる。私もそうだったから。
今ではある程度地位がある漫画も、私が学生の頃は胸を張って好きだと言うのが少し恥ずかしくて、アイドルが好きだというのもなんか恥ずかしくて、でもそれはただ自分が周りにどう思われるか気にしてるだけで、好きなものを好きといえない自分が情けない。
趣味は?と聞かれてスポーツを答えられる子が羨ましかったり、オタクと見られたくなかったり…。でもそんなことを全く気にせず、好きなものを好きと同じ熱量で話せる友人が欲しかった。
私は小学生の頃から大好きな漫画が2年前映画化されたことで、同じ温度感で好きを共有できる友人とSNSを通して出会った。
あの時の嬉しさ、楽しさ、うららの気持ちが痛いほどわかる。自分の好きを解放したら、何かをチャレンジする勇気まで湧いてくること、楽しんでる自分のことが好きになること、毎日がキラキラして見えること。
うららは私だった。だから涙が止まらなかった。
最後のクライマックスシーンは、まさかの私が学生時代にバイトしていた書店が出てきた。もうこれは私のための作品なんじゃないかとさえ思った。
うららと雪さんを繋いでくれた作品を描いた漫画家さんのサイン会、もしこれが私だったらと想像しただけで声を出しながら泣いてしまった。
芦田愛菜ちゃんの素晴らしい演技力と、宮本信子さんのお茶目で可愛いおばあちゃん演技は最強で、この2人だったから作品がさらに素晴らしいものになっていた。
宝物のような作品と出会えました。ありがとう。
くすぐったい気持ちになる作品
こんなに気持ちよく映画を鑑賞したのは久しぶりな気がする。
ブンチャ、ブンチャ、ブンチャッチャのチャ♪
芦田愛菜ちゃん、本屋の店員さんガチ似合ってるし!
芦田愛菜ちゃんにBL漫画を探させるなんて😆
こんな本屋さん行きたい(*´∀`*)
同級生が自分のバイト先レジにBL持って来るって気まずいし(^_^;)
とゆーか…BLと留学が並列か!?💦
色々と笑
雪おばあちゃん、漫画の発行数が1年半に一度と知り
「まだそっちには行けないわ」笑
ニヤニヤしながら漫画読んじゃうのとか
大きいとは言えない本屋さんにアレだけのスペースのBLセクションが!まぁ〜
BLって、市民権得てるのね〜〜〜…と、感心( ´○`)=3
ひたむきに一生懸命、漫画を描くことに没頭する姿は応援したくなります。
作中の漫画、絵もキレイだし読みたくなったわぁ〜
宮本信子が最高
芦田愛菜と宮本信子というキャスティングが絶妙に良かった。特に宮本信子のチャーミングさ。何かに夢中になっている人というのは、それだけで魅力的に見える時があるのだけど、年を重ねても何かに熱中できるというのは素晴らしいことだなと思う。BLにのめり込めばこむほど、宮本信子が生き生きとしてくるのだけど、実際、新しい趣味に目覚めた時の、内から湧き上がってくる不思議なエネルギーってあると思う。本作は、そういう不思議なエネルギーを描くことに成功していると思う。
ものつくりの情熱と、作ったものを世に出す時の不安感もすごく丁寧に描かれている。漫画家になりたい芦田愛菜演じる主人公の不安と、彼女が憧れるプロ作家の悩み。同人文化の良さは「好き」という感情だけで何かを発表できること。それが誰かに伝わり、上手い下手を超えたところで刺さるかもしれないこと。そういう奇蹟みたいな科学反応が起こるのが同人の世界だけど、その素晴らしさも愛情深く取り上げられているのも素晴らしかった。
芦田愛菜の駆ける姿に惚れ惚れする。
芦田愛菜という人は、演技力だけでなく身体能力も凄まじいようで、如実に現れているのがこの映画で何度も登場する走るシーンではないか。BLにハマっているオタク系という設定からか、普段のシーンでは多少姿勢が悪く演じているのだが、宮本信子演じるお婆ちゃんとBL仲間になってからは、好きなものを語り合う喜びがはち切れんばかりで、とっととっとと駆けていく。惚れ惚れするような体幹とフォームとスピードだ。その時の、まるで別の生き物にでもなったかのような躍動感が、観ていて本当に気持ちがいい。そういえばアニメ作品だが『海獣の子供』でも芦田愛菜は駆ける役ではなかったか。
宮本信子に関してはやや分が悪いというか、セリフはセリフっぽく、キャラクターは類型的に演じてしまっているように見えて、それはそれで技術があるから成立しているのだけれど、芦田愛菜に限らず最近の若い役者はセリフとセリフのすき間にニュアンスを込めることに長けていて、W主演なだけにどうしても古いタイプの演技に見えてしまう。とはいえ、芦田愛菜や古川琴音といった今後の映画界を担っていくであろう才能の輝きが見られて満足だし、またふと見直すときに宮本信子の手堅い名女優っぷりに改めて感心するような気もしている。
ヲタク、共感の嵐
漫画で紡がれたふたりの友情
*
配信で観ました、それで正解でした
というのも劇中のBL漫画が普通に良作で
自分も一緒に読んでいるような気持ちになり
雪さんと一緒にあららららって
思わず声を出してしまったからです
【つづき】の文字にがっかりしてたり
続きを迎えるべく本屋に向かう雪さんが
うきうきしててとっても可愛い!
まるで少女のようでした
*
はじめて漫画セット?をつかって
うららちゃんが自分で描いた絵を見て、
「これを本にして売る…?正気か?私。」
このセリフが本当に面白くて
何度もリピートしてしまいました
まるで自分のことのようだと
お腹抱えて笑ってしまった絵師さんも
いらっしゃったのではないでしょうか…?
*
会場で売ることができなかったのは
ちょっと残念だったけど
あそこまで行動できるだけすごい!
好きという原動力って強いんだなあ
雪さんとうららちゃんの日常が
創作漫画のモチーフになっていて
ふたりの思い出がぎゅっと詰め込まれていて
涙がこぼれました…とってもあたたかい…
しかもそれをふたりが好きな漫画家さんが
買ってくれて読んでくれて
もう、もう、心臓止まる…
かもしれないけど!うららちゃん…!
漫画家さんから聞いてほしかったなあ〜〜!
なんでそんな遠くから見つめてるの!
もったいないよ何かお話して〜!
(と言いつつ同じ状況なら僕もああなってた)
*
いろいろと悔やむことがありますが
雪さん生きててね…生きててね…と
なんでかハラハラしたりもしますが…
観終わったあとは幸せな気持ちで
胸がいっぱいになっていました
これからもふたりの友情はつづく。
メタモルフォーゼ(変身)もつづく。
雪さんとうららちゃんの
エンドロールのデュエットも可愛かったです
*
芦田愛菜&宮本信子の演技が最高
BLのコミックを通じて交流する高校生とおばあちゃんの話
同じ趣味を持つ仲間がいることで、その趣味の世界はとても大きく広がることを教えてくれる
どんな趣味でもそこにハマった人は輝いている
ハマることにより生まれる人脈、収入もある
人の趣味はバカにしちゃダメだと気付かされた
高校生が素直になりたいけど素直になれない場面が多々あり多感な時期についても学べた
・BLの会話をする友達の輪に入りたい
・彼女の留学を見送りたい
お年寄りが動けそうな場所か心配して、コミケ会場の下見をする芦田愛菜がステキだった
相手を思い遣って行動することができる人間になりたい
主演二人の演技が素晴らしく、映画からBL愛が溢れ出ててとても良い映画だった
視野を広げてくれる優しい映画
魔法の縁側
ボーイズラブコミックを通して出会った非リア充の女子高生と夫を亡くしてひとり静かに暮らす老婦人との交流を描いたドラマ。
前にニュースで高齢者施設と保育園が併設されている施設が紹介されていて、高齢者にとっては子供の相手をすることで活気が甦り、健康にもいいとのこと。保育園側にしても子供と遊んでもらえるので人手不足解消に役立ち一挙両得なのだという。
本作でも女子高生と高齢者の世代間交流が描かれる。高校生なんて日々、学校と家との往復だけなので世界観が限られる。交友関係を広げることで二つの世界以外を知ることは視野を広げるのにも役立つし、人間的成長も促される。逆に高齢者にとっては若い人間との交流で若返り効果が得られる。
本作はまさに老婦人の雪がうららと年齢を超えた友人関係となることで活気づき、くすぶっていたうららも雪に背中を押されて何か一つのことにチャレンジすることで一歩成長する。
二人が過ごした雪の家の縁側にはうららに羽化を促すホルモンのような魔法の力があったのかもしれない。そして雪には若返りの効果を。
お話自体は悪くなかったけど、ちょっと長すぎるかな。そのせいで内容が希釈された感じ。
時間が愛おしい
奇跡の根源
「ズルい」
佐山うららが思わず漏らした言葉。
幼馴染のツムグがうららの部屋で読んだ漫画のテーマだったBL。
それをエリに話したことでクラス中がBLの話題で持ちきりになった。
うららはそれが「うらやましくて仕方なかった」のは、思ったことをすぐに話すことができそれをみんなで共有して楽しんでいる様子が、自分には全くできないことだったから。
どこにでもいる女子高生。授業中に描いている漫画。
うららに起きたたったひとつの奇跡が、老婆市野江雪との出会いだ。
書店のバイトで、老婆がBL漫画を買うということにうららは仰天した。
そして心躍るのに年齢は関係ない。そこまではっきりと認識したわけではなかったが、その漫画について誰かと語りたいと思っていた自分を発見した。
それは、このサイトを見つけた私と同じ心境かもしれない。
自分らしく居られる。
その時間が楽しい。
その時間があることで生活に張りが出る。
たったそれだけのことを、うららは今まで感じることができずに生きていた。
漫画の感想を話し合うことがうららにとっての最高の時間。
それは老婆も同じだった。
老婆はうららに言う「私だったら描いてみる」
うららは自分の好きなこと、漫画を描くことを否定している。
自分なんか どうせダメ できない それが彼女が今まで積み重ねてきた「常識」だった。
同時に、昔老婆が一歩踏み出せなかった後悔を感じ取る。
それでもうららは老婆との楽しみを少し発展させるためにコミケに誘うが、あまりにも多い人混みに老婆のことを案じ、受験勉強だと体裁よく断った。
それは誰もがしてしまう気を利かせた嘘。それが誰のためにもならないことをまだ気づかないうらら。
結局受験勉強など手につかないまま、好きな漫画を読む毎日。
進路調査票の提出期限。老婆との再会。
老婆が昔貸本屋で借りた本の作者にファンレターを書いたが、文字の汚さに自分自身が幻滅して出せないままだった。それが原動力になって習字を習い始め、今では先生になった。この思いがけない人生の道のりの話が、ウララの心に刻まれる。
自分がしたかったことを再発見したうららは意を決してコミケの出品者側を目指して漫画を描いてみることにした。
それは彼女にとってとても大変なことだったが、終わってみれば「とても楽しい時間」を過ごせた。人生で初めて何かに夢中になれた。
このシーンに私の心が強く動かされた。それはきっと私にとっての真実だろうと思った。そこに何らかの結果を求めてしまうと何もできないのだろう。また、「結果」に失望するのだ。
当日、うららは腰が痛くて動けなくなった老婆の力を借りることができず、一人でブース設置をしようとするが、この場所にいる自分自身が「正気」なのかと信じられなくなってしまう。
彼女の漫画を買いにわざわざ来てくれたツムグが彼女の描いた漫画を買ってくれた。
同じころ、車の故障で立ち往生している老婆に、女性が話しかける。この奇跡は、誰もが大きな伏線登場と期待したはずだ。
しかしそれはうららに起きた奇跡ではなく、そのまま老婆に向けられた奇跡だった。
その日が終わり、老婆の自宅で大泣きするうらら。行動できなかった自分自身が悔しくて仕方ないのだ。一人では何もできなかったという思い、挫折感。
でも二人の漫画トークは続いた。やがて最終回を向かえ、サイン会に行くことになる。
その作家との出会いという奇跡は老婆に起き、うららには起きなかった。
しかしその日ウララは、もじもじしているツムグを連れて途中まで一緒に行って、大急ぎでサイン会場まで行って目的のサインをもらうことができ、おまけに老婆から憧れの作家が自分の描いた漫画を読んでくれたということにとても満足できた。
この作品のタイトルが示す変化は、うららがしたいことを一つ成したことで達成したのだ。
自分で漫画を描き、製本し、販売したということができたのだ。
一歩踏み出してみること、結果を期待しないこと、そして「価値」とは、その人固有のもので、その人自身が大いに楽しめればそれで完了するもので、そこに他人の評価や相対的価値などないということだろう。
そういう一日を送ることができれば「今日は完ぺきな一日」なのだ。
そしてうららは、老婆と過ごした時間の中で学んだことを、「カレーの匂い」を嗅ぐたびに思い出すのだろう。
彼女の人生の中の大いなる学びは、老婆との出会いという奇跡によって起きたのだ。その奇跡を、うららが邪な常識を持って否定しなかったからこそ起きたのだろう。
大いなる真理が描かれた作品。とてもよかったと思う。
こういうの好きだな
BLでつながる年齢を超えた友情
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