ファーザーのレビュー・感想・評価
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認知症映画と知りながらも・・・
一つ一つのシーンが2度ずつあるので、認知症なのか?夢なのか?迷い込んだのか?観てる方もよく分からなくなる内容だった。
最後も急にリアルになり終了。呆気ない。
感動する話しではなく、むしろサスペンスに違い。
最後まで飽きはしなかったが、面白くもなかった。
映画オタクさん以外にはあまりお勧めしません。
羊のホプキンスは、記憶として生きている。インテリだと頑固に主張し、...
映画としては最高なんですけどね
自分の未来を見せられているようで正直、ぞっとした。それくらい、アンソニー・ホプキンスの演技が迫真に迫っていたのはもちろんのこと、アン役のオリビア・コールマンの苦悩の表情が胸に突き刺さる。
認知症の人間が知覚する世界を映像化したということらしいが、時系列もグチャクチャだし、見えている相手と脳内の人間との結びつきが異なっている。見ている自分にとってはまさにミステリー。
アンソニーって名前がアンソニー・ホプキンスの名前そのものだからよりリアルに感じる。ジョークを飛ばしたり、タップダンスを踊ったりしているときは、おそらく状態がよいときだと思うが、認知機能がひどくなったときの周りへの迷惑のかけ具合がいたたまれない。
オリビア・コールマンの『アン』という役名は、アン女王役をしたことへのオマージュなのかな。
治る見込みない病気だけあって、もの悲しくて切ない。自分は、この病気になる前に天に召されたいとお祈りしたくなった。
映画としては、最高の出来なんですけどね。
未来の自分の話と思って観る
【”全ての葉を失っていく・・。私は誰なんだ・・、ママ・・。”稀代の名優、アンソニー・ホプキンスが自らの進行する認知症に気付かない男を演じる哀切極まりない姿と、斬新な作品構成、脚本に唸らされた作品。】
◆アンソニー・ホプキンスが、アカデミー賞を獲った事は僥倖だが、その事実に引っ張られずに観よう、と思いながら鑑賞。
ー 今作の主人公アンソニー(アンソニー・ホプキンス)は、調子が良い時には
”私は、非常に知的だ”と恥じらいもなく、口にする男である。
確かに、インテリジェンスを感じるシークエンスが、前半では随所で短いショットで映される。
だが、認知症は密やかに、彼の知的な脳を侵食していく・・。ー
■今作の優れている点
1.室内劇と言っても良いほど、物語は”様々な”室内で進行していく。
但し、この物語は認知症が進行しているアンソニー目線で描かれているので、観る側は、キチンと見ていないと混乱する。
ー だが、その作品構成、プロットが非常に優れている事に、観ている側は徐々に気付かされるのである。ー
2.アンソニーは”最初”に描かれるシーンで、住んでいるアパートメントを”ここは私の部屋”と何度も言う。
ー だが、ショットが頻繁に切り替わる事に、アパートメント内(特に印象的なのは、玄関に通じる廊下である。)の雰囲気が微妙に変わっている。ー
3.アンソニーの娘アン(オリヴィア・コールマン)は、父の介護係を手配しているが、父の気に入らず頻繁に変えている。
アンは近々恋人が暮らすパリに移住するために、新しい介護係ローラ(イモージェン・ブーツ)を手配すると、アンソニーは彼女に末娘の面影を見出し、親し気に話すが、態度が徐々に不安定になっていく・・。
ー ここでの、アンソニーの”英語も喋らない連中が住んでいる場所に行くなんて・・”と何度も言うシーンと、アンへの侮蔑の言葉とアンの妹ルーシーを褒め称える言葉の数々。
後半明かされる哀しき過去に起きた事故との関連性を、この時点で暗に描いている巧みさ・・。
そして、健気に父の面倒を見るアンの哀し気な瞳。ー
4.アンの夫ポールだという見知らぬ男(マーク・ゲイティス:この俳優を見ると、”英国を舞台にした映画だなあ・・”と思ってしまう。)が、自分の居間のソファに座っていたり、同じくアンの夫ポール(ルーファス・シーベル)だという男からは、”貴方は、私をイラつかせる・・”と叱責され、もう一人のポールからは2度、頬を引っぱたかれるアンソニー。
怯えるアンソニー。
そこには、序盤の尊大とも言えるアンソニーの姿はない・・。ー
<最後半、謎の男や女の正体が分かり、アンソニーが
”自分が置かれた状態を正確に把握しきれない中”、そして
”現実と彼の妄想が入り混じった中”
真実が明らかになった時のアンソニーを演じる、アンソニー・ホプキンスが涙を流しながら
”私は誰なんだ・・。ママ・・。”
と口にするシーンには、
”人間は、女性から産まれ、育ち、知識を得て、ある程度の地位まで達したとしても、認知症に侵されてしまうと、幼子の様になっていくのか・・”
という哀しき現実と、それを体現するアンソニー・ホプキンスという稀代の名優の、哀切極まりない演技に魅入られた作品である。
きっと、認知症の方を看護した経験のある方は、今作の観方が大きく違ってくるのであろうな・・、と思った作品でもある。>
認知症という悲しい病を追体験することで感じる様々なこと
老いとは
長生きする残酷さ
認知症の症状、苦しみを疑似体験出来る映画
「ビューティフル・マインド」では統合失調症の幻覚、苦しみを映像化して視覚的に統合失調症の症状を観客に見せていたが、本作は記憶がなくなる。記憶がすり替わっていく。などの認知症の症状、苦しみを視覚的に表現している作品。「ビューティフル・マインド」が統合失調症を疑似体験出来る作品だとすると、「ファーザー」は認知症を疑似体験出来る作品。アンソニー・ホプキンス含めて俳優の迫真の演技も相まって認知症の苦しみや怖さが伝わってきてホラー、サスペンス的な要素もある。本人も自覚がなくて悪気もない。周りの人間も必死にサポートしている。いわば「加害者がいない」のが逃げ場がなくて苦しい…高齢化社会が進んでいる実際の日本でもこうゆう事があり得るんだろうし、介護する。介護される当事者両方にもなる可能性は大だし他人事ではないのかも…
ある意味ではホラー
怖かった〜
世に認知症の老人を描いた映画はたくさんあったけれども、本作は認知症になった老人からの視点がメインなんですね。
だから記憶の混同、混濁、事実誤認が数分おきで起きてしまう。
全員が嘘つきなんじゃないか?真実っていったい何なんだ?と、主人公のアンソニーの立場になっても、そして映画を観てる人間にとっても混乱を招きます。
しかもシーンがメインである主観から、娘や介助士側や、第三者のいわゆる「神の視点」の客観にところどころ変わることがある。
これによって、常に「何が正しいかわからない」という状況に落とされました。
この「足場のなさ」が、一種のホラーみたいに感じました。
しかも、認知症老人にとっては「私の言うことは絶対なんだ、正しいんだ」という激しい思い込みがあり、それを否定されると攻撃的になる、実に厄介な状態。
で、映画を観てる最中は、アンソニー・ホプキンスの怪演に夢中になっているのですけれども……
観終わると違う恐怖が起きました。
ひょっとして、歩行者のいる歩道に車で突っ込み、アクセル踏みっぱなしで事故を起こしたのに「ブレーキを踏んだのにかかわらず加速した」と主張する老人とかって。
彼らにとっては、その主張は「正しい」んだ。
主観ではそれしか「真実」じゃないんだ。
そういう脳の構造なんだ。
うわぁぁぁぁぁ、怖えぇ。
みんな年を取る
認知症患者の立場からみた映像
ロンドンで独り暮らしのアンソニー(アンソニー・ホプキンス)は認知症により記憶が薄れ始め、娘のアンが手配した介護人を泥棒扱いし拒否してしまう。そんな時、アンから新しい恋人とパリで暮らすと言われたはずなのに、アンソニーの自宅には、アンと結婚して10年以上になるという見知らぬ男が居て、この家は自分とアンの家だと言う。また、アンソニーのもう1人の娘ルーシーの姿がみえない。何が現実で何が幻想なのかわからなくなっていくという話。
認知症の進むアンソニーの立場から映像化されてるのでストーリーがわかりにくく、自分が認知症になったような気がする作品。
あまり無い作り方なので、変わった感じを味わえて興味深かった。
ホプキンスの熱演が光った。
介護人ローラ役のイモージェン・プーツが可愛かった。
【ネタバレ少し】認知症は人それぞれ、千差万別でしょ。
83歳のアンソニー・ホプキンスが81歳の痴呆、、イヤ認知症を演ずる。
娘が入れ替わり、その、恋人旦那も入れ替わり、今一室にいる経緯もおぼつかない。架空の介護士は出るわ
自分を施設に入れる悪巧みだとの猜疑心にとらわれ、病気か事故で過去に死んだであろう 描写の次女の存在を求める有様。
ただ最後は幼児に戻って施設で大団円って・・・
アンソニー・ホプキンスは高齢なのに普通に演じていて大したものだ。敢闘賞。
ただアカデミー主演男優賞はどうかなぁ?
【羊たちの沈黙】は私の青春ど真ん中ですが、どうにも変に複雑なストーリーと当時の老齢に差し掛かるアンソニー・ホプキンスが好きになれなくて、いまだに全て鑑賞したこと無いしなぁ。
アカデミー脚色賞も取ったらしいけど、どこらへんだろね、ポイントは?
私もいい年だし、人生いろいろ認知症もいろいろ、認知症にならないまでもアンソニー・ホプキンス自身が父を語るように闘病で死を間近にした人は、みんな心も記憶も迷う傾向にあるし、逆に体が健康で認知症が極度に進む人もいるよ。
むしろこの映画の主人公、基本排泄食事は何の不自由もないようだし、その瞬間話す言葉は明確で、その時々は認識してる模様。おそらくベテランの介護福祉士が鑑賞したら、グッドエンドで夢物語だろね。人によるだろけど、徘徊したり、排泄もままならなかったり、自分のことさえ忘れてしまう人も多いだろうから。
コレは観賞用映画、実際はもっと修羅場あるよね。
認知症本人の視点で描写した点は斬新。それは認める。
パリでは英語が通じない
父親アンソニーと娘アンの二人を軸に、時間と場所が複雑に交錯しながら展開するストーリー。
アンソニーの視点で展開される物語は次から次へと奇妙なことが起き、住んでいるフラットがアンソニーのものだったりアンのものだったり、ポールがビルだったり、アンは結婚したり離婚したりパリに行ったり、観客の鼻面を捕まえてぐるんぐるん振り回すような、目眩を感じる展開が続く。
父アンソニーが恐らくは認知症であろうことは、誰もが早いうちに理解するだろう。だがこの、繋がりそうで繋がらない不連続な物語の、どこからどこまでが現実なのか、なにか仕掛けがあるのではないか、と、ついあれこれと想像を巡らせてしまうに違いない。
この映画は「騙されまい」という視線で見ている観客ほど騙されてしまう構造になっている。なんのことはない、唐突な幕切れの瞬間になってようやく、認知が歪んでいる目線で見えている世界が、時系列もバラバラに思い出されているだけなのだ、ということに気付かされるのだ。
同じフラットで起きていると見えていた出来事がそれぞれバラバラの場所で起きていたり、同じ人物が別の人に見えたりあるいは別の人物が同じ人に見えるのも、奇妙な形で繋がっているように見えた出来事がそれぞれ別のことだったりするのも、全て認知の歪みと思い出される時系列の順番が狂うことによってそう見えているだけなのだ。
そしてそれに気付かされるのと同時に、認知が歪むと世界がこのように奇妙に見えるのかという事実に、その経験のないわたしは旋律すら覚える。実際にこのような形で世界が見えるのかは知らないが、そうだとしたら、老いというのはなんと恐ろしいものであろうか。
しかしながら、物語の構造に驚かされるのとは別に、アンソニー・ホプキンスの老いた父親の演技にも驚かされる。
もちろんあれは演技に違いないのだろうが、身近に見てきた自分の祖父や祖母の様子をそのまま想起させるような見事な老いの演技に、主演男優賞も当然かと唸らざるを得ない。
そしてこれだけは覚えておこう、娘がパリに行く聞くたびに繰り返される「英語も通じない」というアンソニーの言葉を。
認知症とその周囲を取り巻く人々のリアルさを描く
本作に“希望”というものはない。絶望に近く、より現実的なリアリティさが胸にずっしりと重くのしかかる。
誰もが平等にやってくるものが「老い」
遅かれ早かれ必ず訪れるのが「死」である。
本作の面白いところが、鑑賞者も一緒に現実と幻想を行き来する。認知症を患った主人公アンソニーの目線、頭の混乱を巧みに描いているので、見ている側も何が現実で幻想かがわからなくなり戸惑うかもしれない。
老い、認知症、介護、介護業界を巡るあれこれも考えさせられる。
「人生100年時代」と言われるようになってからもう随分と経つが、介護の問題については日本だけでなく世界的に問題となっているようだ。果たして100年も生きたいか?と訊かれると私はキッパリとノーと答える。
なるべく若くて元気なうちに(欲を言うならある程度孫のお世話をして)、ぽっくりと逝くのが理想。
歳をとると子どもに戻るんだよね。最後のアンソニーのシーンには思わずもらい泣き。アンソニーの名演を超えた名演には圧倒される。
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