ファーザーのレビュー・感想・評価
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思わず唸りたくなる凄さ!
鑑賞してから約1週間経ちますがまだ衝撃を引きずっています。
とにかく凄いの一言。認知症や介護を描いたかなり暗めの物語、と想像していましたが全然違いました。
まず構成、脚本がお見事!ある意味ミステリー仕立てになっていますのでできれば何の予備知識も入れずに観てアンソニーと共に混乱しちゃってください。
(ここはどこ?あなたは誰??)状態に陥ってしまいましょう。
そして主演のアンソニー・ホプキンスの圧巻の演技よ!
アカデミー賞の主演男優賞は納得です。あの時(え、チャドウィックじゃないの!?)ってなって本当にごめんなさい。
頑固だったり訳分からないこと言ったりお茶目だったり超はしゃいだり。誰もがまるであの人みたいだ、と身近な老人の姿を思い出して観ていたのでは?
80代であれだけの台詞を覚えてあんなに動いて演技して、ほんと凄いよアンソニー。うちの両親は2人とも70代で逝っちゃったからなぁ。
映画の構成が抜群に面白いし私なら作品賞もファーザーだったな。
2021年暫定マイベスト1です。
印象的だった壁や服の色「青」の謎を解くためにもう一度じっくり観たい作品。
これから観ようとする人は、全てのレビューや解説を先に見ちゃだめ
この映画を観ようとする人は、事前にどんな映画か、解説やチラシを読んで興味を持って観に行くんだろうなぁ。地味な内容で、何かのはずみで行くような映画ではないので、このジャンルの映画を観てみたいと思った人だけが行くんだろうなぁ。
でも、すべてのレビューやここの映画解説を読まずに、何を扱っているか知らずに観ると、映画の最初の方は???のはず。理解不能のはず。その方が楽しめるし、主人公に同化できる。で、徐々に分かる、なぜ???だったかの種明かしで、映画の構成にまだそんな手が残っていたのかと驚くと思う。残念ながら、映画解説自体がそのネタを書いてしまってるので、早々に想像がついてしまった。ま、驚かせることが監督の意図じゃなく、その哀しさを示したかったのだろうけど。でも、少なくとも最初の方ではアンソニーを体験できるのに。
ところで、役名や生年月日を役者の実際と同じにするというのは、誰の発案だろう。役と役者は一体化で撮影するためのアイデアかな。だったら、観客も・・・。
ただただ怖かった
サスペンスのような
認知症の擬似体験
自分の葉を失うのはどんな気分になるか
この作品は映画の予告だけ見てすぐに劇場に向かってほしい。この作品は単なる認知症患者と娘の純愛のような作品ではない。映画というVRを通じて認知症の人の気持ちを体験できる作品だとおもう。
映画とは世界最古のVRである、と俺は思う。だからこそこの映画の意義は素晴らしい。まず開始5分でこの映画の異様性に気付けるはずだ。さっきまで娘と話していたがカットが切り替わると今度は違う人間が入ってきて「私が娘よ」という。そしてまたしばらくして最初に出てきた役者がまた映画のキャメラに出てくる。あるいは「パリに行く」とさっきまで言っていたはずなのに次では「そんなこといつ言ったの?」といわれる。次第にこれは悪い夢なのではないか、現実なのか非現実なのか、その時系列さえも複雑に混ざり合い本当に混乱してくる。また演者の出るタイミングもスムーズでさっきまでいなかったのにいつの間にか部屋にいたりもしかして最初からスタンバイしていたのかと思うくらいな自然さで計算されていると思った。
部屋のデザインも無機質だがきちっとバランスなどが綺麗に揃っていて、さながらキューブリックの映画みたいにセットがきっちりしていたり、窓から風景を見るシーンなどはヒッチコックの裏窓を思い出す。
またアンソニーの演技もとても味わい深く、ルービックキューブのように場面が切り替わるがそれに合わせて演技しているのが本当にすごい。笑っていたら次に真顔になったり、混乱して自身を失い子供のようになる人物造形は臨機応変を問われるしそれにちゃんと応えるのが見事だ。
娘が献身的に介護するが、アンソニーはそれに応えず、娘より既にいない妹の方を溺愛している感情を見せつける所はこの認知症がいかに厄介か、親と子の関係性を壊していくのかがよく知れる作品なのだと思う。
そして自分を失っていく恐怖も同時に描いている。人生のサイクルが見れて、人間は子供→大人→老人(子供)に戻っていく。それはまるで木が葉っぱをつけ、落とし、また生えるように生命のサイクルを自然に例えるのが命の儚さを感じられた。
最後施設に入院をし、看護婦さんにすがるシーンは、人間というのは人がいる限り人を求める。人がいるからこそ安心してそれを抱きしめられる。人と人の普遍的な愛の形、関係性、受け止めてくれる人がいるというありがたさを感じられとても余韻が深い。
アンソニーは終始時計に執着している。それは自身の時間が失っていく中でそれを唯一確かめられ流からこそ安心できるからなのかもしれない。人生は限られた時間だ。だからこそ子の映画でそれを考えられるのも本当によかったと思った。
いつか行く道は…こんなにも切ない
自分の父は介護なんてできなかったくらい、呆気なく亡くなったから、認知症の苦労とか、介護の大変さも知らないのはラッキーなのか。
父のことは大好きだったから、亡くなる前にもっと話せればよかった。父の思い出話とか、家族の昔話とか、一緒に行ったゴルフの話とか…。だから、親御さんの介護で苦労している同僚には羨ましくもあるんです。
映画の中のアンは、よく年老いた父を置いてパリに行けたな…。実際は同居している子が親の介護をするなんて、多くないかもしれないけど、あのお父さんはかなりヤバめで、めんどくさいし、認知症もかなり進んでいるんだから、あの状態で、あの世代で愛する人の元へ行くために国外に行くのはどうかなぁ…。
アンソニーホプキンス、83歳かぁ…。この年齢で世界的に評価される仕事ができるなんて、相当幸せな人生だわ…。
時を戻そう
映画が認知症の疑似体験装置になるとは!ちょっとズルいけどスゴい作品です
すごい作品だな〜と思いました。
何がすごいって、アンソニーという年老いた認知症の男が主人公で、彼の視点で描かれているんですよね。だから観客に入ってくる情報が正しいのかどうか疑わしいんですよ。娘がさっきとは別の人に替わったり、相手の発言内容が以前と180度違ったりします。もしかしたら今スクリーンで起きていることはアンソニーの思い違いかもしれないというのは、とても混乱しますね。認知症を題材にした脚本を書きたいと思ったことはありますが、本人の視点で書くという発想はありませんでした。
認知症の人の視点で見るとこんな風に混乱するのか〜。映画がこんな風に疑似体験の装置になるとは発見でした。
アカデミー賞でいくつか賞を獲ったということ以外、前知識なしで観に行ったのも良かったのかもしれません。アンソニーが整然としていて、キッパリとものを言うキャラクターなのもあって、もしかして主人公を陥れる陰謀なのかもしれない、とか考えたりしてました。
実際に自分の娘の容姿が突然変わったり、独身のはずの彼女に夫がいることが分かったり、一晩のうちに部屋の内装が変わったりしたら、たぶん認知症でなくても混乱して頭がおかしくなりますよね。だから実は全部アンソニーを狂わせるための陰謀だったという暴露が、いつか来るんじゃないかとドキドキしてました。
結局、やっぱり認知症だったのだと分かり、ちょっと拍子抜けしましたが、この映画の本当の狙いが認知症を疑似体験させることにあったのだと気づいて「うわ、すげぇ」って思いました。
ただ、少し気になったのは、アンソニーのいない場面にまで認知症の影響があった気がするんですよね。例えばアンが眠っているアンソニーの首を締めるシーンがありましたけど、後にそっくりなシーンがあって、今度はアンソニーを撫でます。これってつまりアンソニーが首を絞められたのは思い違いで、本当は撫でただけだったということを示唆している──と読み取れるんですよね。他にもこの“よく似ているけど少しだけ違う=実はアンソニーの思い違いだった”という手法が使われているシーンはあったので。でもそれならアンの視点で描いちゃいけないんですよ。行動はアンの視点なのに記憶はアンソニーの視点というねじれ現象になってしまっているので。映画や脚本のセオリーとしてはNGです。
でもセオリーを外しているからこそ観客を混乱させることができるのだとも思います。セオリー通りに描くより、疑似体験を取ったのだろうな〜って。
しかしやっぱりズルいな〜とも思っちゃいます。だって何でもありになってしまうじゃないですか。もはや何が真実で何がそうでないのか、分からないですよね。果たして本当にその人物の言動なのかすらも疑わしい。テレビで見たことを娘が言ったと勘違いしてる可能性だってあるわけでしょ。監督や脚本家が何とでも言い訳できちゃうっていうのは、ダメだと思うんですよね。
とはいえ、すごい作品だということは揺るぎないです。
視点
単なる家族映画かと思ったら‥
父親目線で描かれる日常は、認知症のいわゆる見当識障害を擬似体験することができる。時間の感覚のなさ、自分が認識している人の顔の不整合、そして自分が今居る場所の不確かさ。ちょっと忘れたかな、という程度だと、認知を修正すべく周囲に合わせることができるんだけど、理解できないことが連続すると、もうその修正もできなくなる。最後、アンソニーが、何が何だかわからないと母を求めて泣く場面はほんとに共感してしまった。さぞかし、不安なことだろう。。
アンソニーホプキンスの演技は、リアルで、切なく、愛らしくもあり、主演男優賞は納得。
精神世界が崩壊する狭間の孤独
認知症の老人が主人公の地味なドラマかと思ったら、息詰まるような展開と巧みな構成が圧巻の心理劇でした。お話しの始めから主人公の発言がちぐはぐになり、さらに時間、空間、人物まで入れ替わり錯綜し、現実と老人の内的世界の境界線がわからなくなります。複雑な展開に観客は翻弄される形になるんですが、画面から目が離せない緊張感があると同時に、これは認知症患者の介護者にとって紛れもない現実。最後に主人公が何ヶ月も前から介護施設にいた事実と、さらに本人がその事実のショックから幼児帰りして、帰りたいと号泣するシーンは衝撃的です。思わず身につまされるようで、もらい泣きしました。アンソニー・ホプキンスは、これ以上ない名演でした。
文句なしの五つ星
名優が誘う知らない世界
個人的に好きな役、ハンニバルレクターを演じられてからずっと好きな役者。
彼が同じファーストネームを名乗り誘う世界は私たちが今後、踏み入れるかもしれない世界。
映画としては珍しい視点で、ストーリーを頭の中で組み立てながらどんどん引き込まれた。
いつかはこの、ある老人の視点のような世界に自分も行くのだろうか。。
愛する者も、大事な思い出もすべて自覚のない混沌の世界へ行ってしまった。今の自分を誰も理解してくれず、必要とされない。
想像を絶する孤独な世界だ。
タップダンスに胸締めつけられる
認知症を患ってからの日々を当人の視点で描くと、こんなにサスペンスフルな映画になるんだ。ナイスアイデア。面白かった。
一方で、やっぱり胸がつまるところもある。こんなふうに悪い夢の中にいるみたいなのかな、認知症の当人は、と思うと。
アンソニー・ホプキンスの役がまた、うちの父(今のところは体も脳も元気)に少し似ている。新しく出会った若い女性の前でおどけてみせたりする感じなんか、あるある。認知症になるまでは、自分の世界をしっかり持ちつつも社交を楽しんだ人なんだろうな。
寂寥感はあるけど、決して絶望的ではなくて、いいエンディングだった。少なくとも、心無い言葉でいじめてくる男(娘の当時の夫)はもういないし、娘はわざわざ会いに来て一緒に散歩を楽しんでくれる。
私から薦めると傷つけそうだからダメだけど、両親がどうかしてこの映画に出会ってくれたらいいなとちょっと思う。
見なきゃわからない恐怖…
いや、予告よりも大分ハードな映画でした。
まず、
認知症側と介護する側どちらの味方でもある
描き方に好感が持てる。
そして、どちらの気持ちも痛いほどよくわかる。
これ、最初の10分くらいかな?で
最初の衝撃が訪れるんですけど、もうそこから
痛くて痛くて。
今までって例えばジュリアンムーアの
「アリスのままで」とかって、こちらはアリスを見守る側として、同情しか出来なかったんですが、この作品ってそれだけでは無くて、認知症ってこういうことだけど?っていうのを画期的に分かりやすく、しかも納得のいく描き方をしている。それで観客は、一気に何が起きるか分からない緊迫感、ある種ホラーやサスペンスを見ているかのような感覚に陥る。当事者は本当にこれがリアルに、日常的に起きてるんだから、それはキツイよなあ。
映画では、演じる役者が全く別人になっている訳だけど、それを見るアンソニーの驚き方とかって、本当に認知症の人のそれだよなー…
彼の演技の幅もものすごくて、上機嫌に子供のようにはしゃぐ時もあれば、嫌らしい老人の時もある。そして最後には赤ん坊のように、介護士に泣きつく。
このシーンでは、『八月の家族たち』のラストでジュリアロバーツに置いて行かれて、移民である家政婦に泣きつくメリル・ストリープを思い出しました。ここまで、人間が生きている間の際まで演じ続ける役者魂に、泣きました。
あと、オリビアコールマン演じるアンの苦悩にも非常に移入しやすく作られてる。介護問題に加えて、途中で姉妹で比較されて、人前でなじられてる感じとか、本当に厭なシーン作るなあと思ってしまった。あの泣き出しそうな時のオリビアコールマンの表情たるや。あの口の動かし方。たしかに、よく見る。けどそんなに自然に、演じられる人、そういない。
アンソニーホプキンスの相手役として、まさに適役な素晴らしい女優さんでした。
あと、イモージェンプーツ。彼女が出てくる度に少しだけ場が明るくなるのがちょっとした救いでしたな。太陽のような。
本作も実は、「信頼出来ない語り部」スタイルを取りながら、我々を錯乱させているのではと思うのだけど、私自身その形式がだいすきすぎるなと改めて感じました。「ガールオンザトレイン」とかすき。本作はそれに加えて、時間のトリック?しかけ?まであるし、部屋がコロコロ変わるのも、もはや恐怖でした。もう制作すること自体が難しそうな凝った映画であります。
個人的には、まだあの父と娘ではなく、いわば孫にあたる立場なので(今のところ)、祖父母と両親どちらの苦悩も想像して胸が熱かったです。家族との時間の重要性を感じたというか…。
で、それと、将来自分もこの娘の立場になるんだなあ、そしてもっと将来、この父の立場になるんだなあと思うと、想像を絶する怖さに襲われました。本当に怖い。だから、この映画はあれですね。本当に何段階にも、怖さが重なる、ホラー映画より怖い映画ですね。
戯言
1、最初、編集の人名がヨルゴスランティゴスに見えて、すごいびっくりしてたんだけど、よく似た名前の別人でした。
2、今作は認知症ってこうですよ?ってのを、当事者目線で描くことで、現実社会でその周りにいる観客の認識を変えるってことをしていると思うんだけど(認知症の方に優しくできるとか)、それと同じ要領で、同性愛とかも、理解をしてもらえるような描き方が出来ないかなと思った。
どうしたら、理解、認識、してもらえるだろうか。もちろん、主人公はものすごく苦痛を伴うだろうけど…
追記
私がこの先、このような生活を送るようになれば、「50回目のファーストキス」のように毎朝自分にビデオを残そう、、と思ったけど、それでも駄目なのかな、、
晴れの日を楽しもう。
知らないうちに、世界が変容していく。
あいつは誰なのか。
ここはどこなのか。
話が違うのではないか。
なぜ自分をそんなふうに扱うのか。
「my flat」私の家への侵略者、私の日常への侵略者。
そして、私はいったい何者なのか。
認知症をこんなふうにして見せ、その認知の歪みを体験させるこの映画の凄まじさ。関わる人々の力量。
主要な演者はたったの6人なのに、誰が誰なのかわからなくなり、混乱するようなこの感覚が、「それ」なのだ。
アンソニーに忍び寄る不安の表現に、エンドロールでは涙が止まりませんでした。忘れられないアンソニーの最後の表情、最高の演技に、最大限の感謝を示したい。みんなに見てほしい。
ふっと出てきたフラットの共有庭のオブジェや、より深く伝えるために計算し尽くされているであろう家の作りやインテリアなどにも注目したいので、もう一度観たいと思っています。一度では追いきれず…涙
そしてどんなに認知が歪んだとしても、愛情が伝わる瞬間が、少しでも多くあればいいなと願ってやみません。
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