サンドラの小さな家のレビュー・感想・評価
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もっと助け合っていこうよ
主人公の苦境も周りの方々の優しさも分かるが、いくらなんでも甘えすぎでは?と考えてしまうのは日本的な自己責任論に毒され過ぎているのか…
もっと助け合っていこうよ、ということなのかもしれないが。
生きる力の象徴としての「家」
DVを受けたシングルマザーのお話。
いくつかある同様のお話と違うのは、
「家」がテーマになっているところでしょうか。
ラストの展開にびっくりしました。
義理の母のお話は胸詰まるものがある。
負の連鎖の重さ。
逃げられなかった母と逃げられた主人公の差は、
時代の違いでしょうか。
家づくりに参加してくれる仲間があれだけ集まるのは、
都合がいいなと思って見ていたけれど、
参加することで得ていたものが各々にあったようで、
こちらはプラスの連鎖になっていた。
人が集まって助け合えば結果的に自分も助けられることを意味するメハルという言葉が印象的でした。
どれだけ隠れて、、、
私は、この映画を見て、正直家を建てる過程とかどうでもよくて、このコロナ下、どれだけの大人が、「家で隠れて子供を傷つけているのか」という事例の暗示だと受け取りました。
おうち時間が増えました。
良い方にとれば、それは素敵な時間です。
でも、そうじゃないお家だってあるはず。
大人は、いつだって忙しければ自分のことしか見えません。知らず知らずのうちに子供を傷つけます。でも、大人も人間だから、それが悪いことだと気がつくこともあるだろうし、自分のことで本当に精一杯になって、分からなくなってしまうことだってある。それは分かってる。
でも、大切なのは、サンドラのような、子供のsosにしっかり気がつくことができる大人の存在ではないでしょうか。
法律は、あくまで基準。それがあるから成り立つことはたくさんある。けれど、それだけでは通用しない、「ハート」の動きがあります。
DVクソ男(女)は撲滅すべし
ポスターが美しく、ずっと観たかった作品。
2児のシングルマザーが自分で家を建てる話だが、その背景には元夫からの過酷なDVがあった。
本作はDV、パワハラ、モラハラ被害者たちの心の傷やトラウマなどがリアルに描かれている。
弱者に対する社会や法律の不平等が浮き彫りになり、改めて弱者の生きづらさを感じられずにはいられない。
世間は弱者たちからきちんと耳を傾け真実を見れているのだろうか。
ラストのまさかの展開には衝撃を受けるが、これはこれで良かったのかもしれない。家は無くなったが、大切な大切な娘たちが居てくれる。原題にあるように“自分自身を立て直すこと”である。
ラストのDVクソ男の母の登場で再確認したことは、負の連鎖を断ち切ることは簡単ではないこと。
そして、人生何があるかわからないからこそ、女性は結婚しても子どもを産んでも、可能な限り仕事は続けること、女性こそ自立することの大切さを痛感した。(もうそんな時代ではないけど、今でも専業主婦に憧れる女性が少ない割合ではあるがいると聞くので)
サンドラの雇い主であり、土地を提供してくれるペギー演じるハリエット・ウォルターが素晴らしい!包み込むような包容力、彼女の人間性が溢れていて何度も何度も彼女のセリフに涙した。
一緒に家を建てる仲間たちも良い人ばかり。少し描き方が雑ではあるが90分なら仕方ないですね。
家とはどんな物か
人が生活する上で基本且つ大事な「衣食住」の「住」についての物語。
DV夫に耐えかね娘2人と家を出るも、行く宛がなくホテルで仮暮らしをするサンドラ。
公営住宅はなかなか順番が回ってこない。
そこで自分で家を建てることを考えつく。
なんてパワフルな人なのだろう。自分のことは自分で、と動ける人は魅力的だ。
だけれども、もちろん1人で家を作れなんてしない。
しっかり頼れる人には頼る姿勢も良し。
土木関係のおじさんに"この国に見返りなしで協力する奴なんていない”と言われたけれど、やっぱりいるんだよね。
もちろんギブアンドテイクがあるから、世界は成り立っているんだろうけど、それだけの世界じゃ寂しいじゃない。
協力してくれる人が少しずつ増え、心躍る音楽とともに完成に近づいていくサンドラたちの家。
その間間に元夫から受けた癒えない傷が差し込まれ、うまく物語としての波があり観ていていい緊張感があった。
ラストは何というか個人的には日本映画っぽいなと言うのかな。
悪くはなかったけれど、そうしましたかって感じだった(笑)
日本タイトルは"サンドラの小さな家”。
物理的には確かに小さな家でも、その存在は大きく、
普通に生活ができてしまっている自分に「住」について考えるきっかけをくれました。
#28 築くのは家じゃなくて自分自身
邦題だとサンドラが自分で家を建てるのがメインのように見えるけど、原題の『Herself』が示すように、家を作り上げることで自分のアイデンティティと周りとの絆を築いてくお話。
住む家も頼る人もいなくて、収入も低くて子供たちだけが生き甲斐のサンドラ。
子供たちのために家を自分で作ろうとすることで、周りの人達との信頼関係が生まれ自身も強くなっていく様子がわかりやすい。
それにしても暴力夫が彼女にあそこまで執着する理由は世間体のため?
日本の場合収入がなくても母親が親権を得る場合が多いけど、アイルランドはどんな暴力夫でも子供に手をあげなければ親権が得られるのね。
論理的だけど心情的には理解できません。
【頭の痛い問題】
改めて、ドメスティック・バイオレンス(DV)が、世界的な問題なのだと認識させられる。
日本でも、凄惨な事件のほか、コロナ禍の下でDVが増えているように報じられているが、子供に対してはもちろん、配偶者への暴力なども迅速に取り締まれるような体制づくりは喫緊の政治課題だろう。
僕らからしたら、この家を建てるストーリーは、ちょっと出来過ぎ感はあるが、これがアイルランドの「メハル」という伝統的な協力し合う試みからなのであれば、なんか良い国だなと思ったりもする。
最後の事件は、更にDVの闇を濃くするが、それをも乗り越えようとする親子や周りの人のモチベーションは応援したくなるだろう。
※ ところで、菅義偉が、「自助、共助、公助」の順に…などというが、ほとんどの人は、自助も共助もしているのだということが理解できていないのかと考えたりする。
安倍もそうだが、学業をおそろかにして政治は家業だと言ってる人間や、上昇志向だけの人間に日本国の首相などやらせてはいけないと心の底から思う。
※※ ところで、最近、映画のレビューとは関係のない、特定のレビュワーに対する批判を繰り返す書き込みを見ることが多くなっている。
退会したユーザーとなっているところから考えると、アカウントを開いてから批判を書き込んで退会するヒットアンドウェイ方式だ。
内容は、不正をして共感数を水増ししているというのだが、対象のレビュワーがユーザー名を複数回にわたって変えているとか、こんなことを許容している映画.comからレビュワーが他の映画SNSに流出しているという記載も、既に消去された書き込みにはあった。
不正という批判はいかにも曖昧だが、おそらくは、Twitterの捨て垢のような複数のアカウントを保持して、自身に共感を繰り返しているというようなことだと思う。
もし、そんなことがあるなら、直ちに止めるべきだし、止めさせるべきだし、モラリティに依存しても変化がないのだとすると、映画.comは、セキュリティを最大限に強化して、電話番号と紐付けるような措置を講じるべきだと思う。
Twitterは、その辺はかなり改善してると思う。
ユーザー名を晒されているアカウントには気の毒だけれども、誤解を受けて、あちこちに書き込まれるよりは良いのではないのか。
多分、もう既に多くのレビュワーは、この事態を認識しているし、この映画.comという老舗の映画SNSから、他のSNSにレビュワーが流出しているのも事実だと認識もしている。
既にキャッチアップできるような差ではなくなってしまっているが、映画.comの存続意義にも関わることだと思うから、対応を考えてみたらどうかと思う。
DVから逃れ貧困に喘ぐ母親の決意を見守りながら、容赦ない社会の非情さからも目を逸らさない凛とした人間ドラマ
台はアイルランドのダブリン。夫ガリーによる暴力に耐え切れず二人の娘を連れて別居したサンドラ。市の福祉制度は脆弱であてがわれた郊外のホテル住まいは職場からも遠く、住宅を借りようにも民間のアパートはボロいのに高家賃、公営住宅に申し込もうとしても内覧すら長蛇の列。そんな中サンドラは低予算で自分で家を建てるというアイデアを思いつき、彼女がハウスメイドを務めている家の家主ペギーや、DIYショップで知り合った大工のエイドといった友人達の援助を受けて週末にコツコツと建設作業を進めるが、サンドラを見つめる世間の目は冷たく様々な妨害に晒される。
温かみのある感じの邦題に騙されましたが、これはかなり辛辣な人間ドラマ。『家族を想うとき』にも通底する容赦ない貧困に健気に立ち向かう親子と彼女達を支援する人々の絆を優しく見つめながらも、親権を守るためにはDVに耐えたことすらデメリットになってしまう絶望的な状況や痛々しいDVそのものも容赦なく描いているので、終始曇天のダブリンの街に微かに灯る希望の灯が鮮明に映えます。アイルランド映画なので著名なキャストは一人もいませんが、短い尺の中でそれぞれが印象的な演技をさりげなく披露していて、地に足のついた演出が深い余韻を残す印象的な作品となっています。
DV被害者のお話し
家を建てるのは、本作の本筋ではない。
違う視点から見ると、すごい作品だ。
主人公・サンドラを追って観ていると、無償で自宅を建てるのに協力してくれたボランティアスタッフに対して、偉そうだわ、高圧的だわ、感情的だわと、非常に観ていてつらくなる。
(事情が分からずに)あんなこと言われたら、私だったら即座に帰るし、縁切るわと思うレベルにひどいことを口にする。
なんで、欧米の映画の登場人物って(物語でもドキュメンタリーなどでも)感情のままに叫んで、人をなじって、後先考えない行動に出るのか? と思わなくもない。
動物的、脊髄反射的。
素直に感情を表現するのが美徳、という風潮もあるものの。
しかし、サンドラは精一杯をすでに通り越して、PTSDによる感情コントロール不能状態に陥っていると考えると、腑に落ちる。
ここまで苦しみ、追い込まれることの恐怖。
そして、サンドラが苦しめば苦しむほど、執着のあまり更なる精神的苦痛を際限なく繰り返す元夫の異常性が浮き彫りになっていく。
また、法的に元夫に子どもと会わせなければならないことが、妻や子どもにさらなる精神的苦痛を与え、逃げたくても逃げられない環境を作っていることを表している。
これは国や法に対する、痛烈な批判だ。
DV加害者を、被害者と接触させてはならないという指摘だ。
家族円満に暮らしている身には、観ていてかなりつらい作りになっていた。
自分で家を建てる話として観ると、まったく共感ポイントはない。
その視点ならば、かなり駄作の部類になると思う。
家はあくまでも、安心して暮らせる「居場所」の象徴に過ぎない。
これはDV被害にあった女性と子どもたちの、「恐怖」と「決別」と「自立」の物語だ。
そう考えると、実に素晴らしい作品だと思う。
そして、ラストの展開は、こちらの想像を超えたものになっていた。
10分程度のそのシーンに驚かされました。
久しぶりに良かった内容。今週迷ったらお勧めな一本。
今年54本目(合計120本目)。
今週は全般的に本数が少なく(コロナ4波問題?)、その中でもこれをチョイスしました。
原作は herself ですが、これは多くの方が書かれている通り、「家を建てる」ということの DIY(Do it yourself)の考え方と、「自分自身を取り戻す」という2つの意味があるのだと思います(これに関しては意訳も仕方がないかな…。「彼女自身」というタイトルでは何が何かわからない)。
シナリオとしては、いわゆるDV夫から逃れるために自分の家を作るという内容で(タイトル通りなので、ネタバレでもない)、ストーリーとしてはわかりやすいほうです。テネットに代表される「時間ずらし描写」もないですし、意味もなく「大人の営み」の表現もない上、登場人物は実質3名(サンドラと、その2人の子供と、しいて言えばDV夫)といえるので(ほか、家を建てるためにお願いしてきてもらったボランティアもいますが、彼らはほとんどストーリーに関係しない)、「登場人物が多すぎて理解できない」という類型はまずもって存在しないと思います。
サンドラが家を秘密裏に立ててめでたしめでたし…と思ったら…そんな簡単に映画って終わらないですよね。ここから先はネタバレなので実際にご覧になってください。
でも、それでも自分の意思を貫くというのは男性でも女性でも難しいことだし、ましてDV夫に追い回される社会的弱者である女性が…となると一苦労で、こういう「社会的弱者をみんなが助け合ってうまく解決に導くストーリー」というのは、史実に着想を得ていなくても見ていて良いものですね。
採点対象は下記の0.2のみですが、大きな傷と言い難いので、5.0まで切り上げています。
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(減点0.1) 序盤に「特定の電話番号」をそのまま伝えるシーンが登場します。しかもこの番号は「098」から始まるもので、日本では実際に存在するか、今後存在しうる番号です(市外局番098は、那覇市や宜野湾市など)。
もっとも、「その番号に実際にかけてみよう」という人がいるとも到底思えませんが、日本では有名な「サザエさん事件」(新聞の四コマ漫画に、特定の電話番号を載せたら、たまたまそれが実在する電話番号で、「人気漫画に乗じて宣伝するとは何事か」という苦情電話が殺到したという事件)があるのも事実。もっとも、当時と今とではそのあたりの考え方も違うとは思いますが、DVD化されるときにはここは一桁か二桁、伏字にしたほうが良いのでは…と思いました。
※ 今回はイギリス映画でしたが、アメリカ映画では、ドラマや映画などで「自由に使ってよい、架空の電話番号として予約されている、映画・ドラマなどで自由に使ってよい番号」というのがあり、それはイギリスもそのようなものはあると思うのですが…。
(減点0.1) 「家を建てる」という内容上、行政に対する空き地使用申請や登記といった話が結構多く登場します。ただ、その説明がほとんどなく、「登記」にいたっては、「知っている人もいるが、具体的に何か」と言われるとなかなか説明がしづらいです(専門的には司法書士で、宅建や行政書士でも若干は扱う。行政に関する手続きは、行政書士が行う手続き)。妙にマニアックな展開になっており(ただし、字幕だけが)、もうちょっと平易な字幕にできなかったのかな…とは思います。
※ ただ、行政書士や司法書士といった概念があるのは、日本や日本の影響を受けた一部の国のみで、「弁護士」しか法律職がない国も多いです。
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社会はサンドラを守ってくれない
21世紀は女性が政治の中心になっていく時代ではないかと当方は睨んでいる。女性が中心になるということは、非暴力の政治体制になるということだ。それは世界の民主主義にとって大変いいことだと思う。アフリカで原始的な生活を送る民族の映像では、狩りに出るのは男ばかりで、対立する部族との闘争をするのも男ばかりだ。女は家事や農耕、収集などの仕事をして土地を守っている。人類の歴史が狩猟採集から農耕へと移り変わったように、政治も、戦争を最悪とする暴力から、非暴力の時代に移っていくと思う。
既に各国の指導者の中には女性指導者がたくさん誕生している。そして優秀な政治手腕を発揮している。コロナ禍においてはニュージーランドのアーダーン首相や台湾の蔡英文総統のように迅速で的確な政策を確実に実施してコロナを封じ込めている政治家もいる。日本の無能な総理大臣とトレードしてほしいくらいだ。
日本の大学の医学部の入学試験では、女性の成績がよくてそのままでは女性学生の割合が多くなってしまうから男子学生の成績に下駄を履かせたというニュースもあった。もはや男性が女性よりも優れているのは筋肉だけである。
家庭内暴力は例外もあるが、大抵は夫が加害者で妻が被害者だ。夫の方が筋力で優っているからそうなると思っている人が殆どだと思うが、当方はそうは思わない。妻の側が争いを好まないからそうなるだけだ。妻自身の精神的なブレーキが夫のDVを成立させているのである。
確かに夫の方が筋力で優っていることが多いかもしれないが、家庭内には武器となるものが沢山ある。場合によっては夫を殺してしまってもいいと覚悟を決めれば、フライパンでも包丁でも、時にはボールペンでも武器になる。格闘の訓練など必要ない。相手を脅威と見做して、ひたすら自分を守るために相手を無力化することに努めれば、つまり相手を殺してしまうかもしれないという精神的な禁忌を超えてしまえば、妻が勝つ可能性はかなり高くなる。
元暴走族の女などは暴力を振るうことに何の抵抗もないから、夫の暴力に屈することはない。逆に夫が温和しい場合はDV妻になってしまう場合もあるだろう。当方は非暴力だから元ヤンキーの女性には絶対に近寄りたくない。
しかし暴力的な女性は例外中の例外で、殆どの女性は暴力を振るったことがないと思う。万が一自分の子供に暴力を振るってしまったら、それは彼女自身のトラウマになってしまう。女性というのは根本的に非暴力の性質を持っているのである。根本的に暴力的な男性と非暴力の女性。どちらが政治家に向いているかは一目瞭然だ。
さて本作品はDV夫と別れてふたりの娘と暮らしたいサンドラの物語である。サンドラは元暴走族ではないからDV夫に反撃できない。お金があれば自宅に監視カメラをつけて夫の暴力を白日の下に晒すこともできるが、それも叶わない。お金がないから行く場所もなく、家を出ていく決断もできない。しかしあまりにも酷い暴力を受けた日にとうとう家を出て娘たちと三人で暮らしはじめるが、金を稼ぐために昼夜働き通しの生活に未来は見えない。おまけに週に一度は娘たちを夫に預けなければならず、そのときに夫と顔を合わす短い時間が苦痛で仕方がない。夫から受けた暴力の記憶がサンドラを苦しめる。
原題は「Herself」でDIYのYourselfと同じ意味だ。家も娘も夫との裁判も、サンドラ自身でなんとかするのだ。サンドラは懸命に努力する。応援してくれる人たちも見つけることが出来た。しかし執念深くて性格破綻者の夫はサンドラの未来を挫くことに余念がない。結局のところ、社会はサンドラを守ってはくれないのだ。そんな社会の代表としてアジア系のホテルマンがサンドラに冷たく当たる。金持ちにちやほやして貧乏人を見下すこのホテルマンは、我々自身であるかのように思えた。
アイルランド映画だが、世界中のどの国でも同じような問題を抱えていると思う。女性が政治指導者の主体となって、あらゆる暴力を徹底的に排除し、世界から暴力をなくさない限り、同じ問題が起きる。筋肉バカで戦争大好きの男たちが政治を牛耳っている場合では、もはやないのだ。我々もそろそろ覚悟を決めて、金銭を尺度とした価値観から脱しなければならない。
戸惑い
68本目。
始まってすぐに原題がherselfと知る。
邦題タイトルで作品をイメージしてたから、ギャップに戸惑い気味。
正直、面倒臭い女性と思ってもしまったけど、生きていく為なら仕方ないんだろう。
でも最後は子供に救われた。
ラスト15分の作品
前半トントン拍子に家を作る資金や場所、仲間が集まって何だこの良い人しかいない映画は。悪者は元旦那家族だけじゃんって。裁判もあまり他の映画と変わらない作りで正直言ってつまらないの一言で終わる映画だなって思ってたら。
火事はまぁ想定の範囲内で皆集まってさぁやり直しましょうって言って終わるかと思いきや、ここからがこの映画の見せ場でした。旦那の母出てきて、これは義母と主人公の対決であり、義母の敗北宣言であり、
母の二人の女の傷のなぐさめ合いであり。主人公は立ち直れずだが、ラストはあんなに頼りなかった二人が家を再建しようと。
この映画は色々な登場人物の女性の成長
物語だったとは。前半をなんとかすればアカデミー賞ものの、ケン・ローチものの最高の映画になったのに。
惜しい限りです。
「あの子が壊せたのは、あの子自身だけ」
DVや被虐待者・児に関わる人や加害者には、ぜひ見てほしい。
身体的・心理的暴力やパワハラ・モラハラが、人や子どもに与える影響について、とてもリアルに表現されている。
司法の、行政の無理解・無配慮にも腹が立つ。
暴力被害のフラッシュバック等に苦しんでいる最中の方は、見ないことをお勧めしたくなるほど。
予告を見て、『わたしは、ダニエル・ブレイク』のような映画かと思った。
理不尽に住処を失って、自分で家を建てようとしたら、行政に振り回されて、協力者集めも一難去ってまた一難、さあ、どうなるか…というような映画かと思った。
試写会にて鑑賞。違った…。
否、まったく違うのではないけれど…。
暴力被害におびえる姿は『Dear フランキー』を思い出させる。展開は全く違うけれど。
原題 『herself』 (hは大文字じゃない!)
試写会後の、建築家たちと配給会社の話によると、フライヤーにある「自分たちの手で家を建てることで、人生を取り戻す」≒サンドラの再生物語なんだそうだ。
特典映像でも監督・脚本兼主演女優が「心に傷をもっている女性が、一歩踏み出して、自分の人生を作り上げる話」「コミュニティから切り離された女性が、自身でコミュニティ(居場所の意味も含むのか?)を得る話」と言っている。
とにかく、冒頭にも書いたが、DV被害の痛みの描写が半端ない。
否、サンドラは立ち直ろうとしているから、被害者ではなく、”サバイバー”か。
サンドラの怯え、でもそれに負けないで歯を食いしばる様、それでも負けそうになる様が、ビシバシと伝わってきて、ついこちらも体に力が入ってしまう。
サンドラは、本来、一般的に欠点にもなりそうな痣も、プラスに捉える力がある女性なのだが。
娘二人の父に対する反応の違いもリアル。
映画の途中で明かされる体験の違いが、姉と妹の言動の違いを生み出す。
姉の健気さはアビゲイルさんの小さい頃を彷彿とさせる。
妹は甘ったれなれど、品のある顔立ち。それが…。
行政・司法での、父子面会の場面、親権・養育権を巡る裁判には唖然…。
父娘の面会権行使のためとはいえ、あれほどの暴力をふるった相手と会うことを強制するなんて…。日本では、もう少し配慮があると思うのだが…(私の甘い期待?)。
いつ、ドアの鍵をこじ開けて押し入ってくるかという恐れを常時抱きつつ(頑丈な鍵を幾重にもつけたくなるよね)等、万国共通、心にトラウマを抱えながらの生活・子育ては厳しい。
恐れが引き起こす情緒不安定、自責、諦観、焦り…。攻撃こそ最大の防御と臨戦態勢になり、それを麻痺させようとすると無感覚、鬱になり、自分のことだけでいっぱいになる親は多い。野田の事件のように、自分を守るために子どもを加害者に差し出す親さえいる。
そんな中で子どもは…。サンドラの対応が嬉しい。そんなサンドラ母子を見守るペギーの言葉。涙が出てきた。
そんなサンドラの協力者たち。
難民キャンプにも従事したという、元軍医。
唯一の建築に関する専門家は、最初、渋る。けれど、彼の息子の方が先に動き出して、父の重い腰を上げさせる。
他の協力者も、なんと多彩なこと。
彼らの協力の動機は、はっきりしている人から、ほとんど語られていない人までいるが、いろいろな人種・国籍・立場の人たちの集まりというのも、この映画の製作者達の、ある種のメッセージなのだろう。
アイルランドに息づく”メハル”の輪が広がる。
ここがもう少し丁寧に描かれていたら、満点なのだが…。
でも、楽しそう。一緒に加わりたくなる。作り上げる喜び。相互扶助の喜び。これがまったくの絵空事ではないのは、日本での各地災害支援のボランティアが証明してくれている。ボランティアの勝手な行動にリーダーが手を焼く場面もちょこっとあったりして(笑)。アイルランドを身近に感じてしまう。
そして、家は…。
この展開はある程度予想していた。
でも、この段階に持ってきて、その後、こう映画を閉じるか…。あんなに慎重に場所がわからないようにしていたのに…。
心がかき乱されて、収まりがつかない。
わかりやすいハッピーエンドを望む人は、文句を言うかもしれないほどのざわつき…。鑑賞後感にかなり影響が…。
けれど、エンディングロールの前に、浮かび上がる原題『herself』が活きてくる。
理不尽で、生きづらいこの世ではあるが、人生は続く。
そして、見過ごしてしまいそうなほどの小さな希望の種が見つかる場がいい。
それを最初に見つけるのが、彼らというのもうれしい。
満点をつけたいけれど、ちょっとご都合主義的なところもある(半面、超絶リアルでシビアに描かれている)のと、
サンドラと娘たちの演技がリアルすぎて、心が痛すぎて、たくさんの人に見てもらいたい反面、お勧めする人をちょっとだけ選んでしまう映画なので、ちょっと減点。
サンドラを演じたダンさんは映画でこそ”新星”だが、舞台では賞も受賞している実力派。この後、すでに映画出演作も決まっているという。その彼女の演技力が半端ない。その分、サンドラの気持ちが、私の気持ちにぐいぐい迫ってくる。
紆余曲折あるし、思い通りにならないことが多いけれど、それでも、傷ついた人、何もかも失ったかのような体験をされた方が、もう一度、ご自身の人生を作っていけますように、祈るとともに、
と同時に、この子どもたちのような経験をさせたくない。そういう誓いを立てたくなるほどの想いを与えてくれる。
暴力では何も解決しない。
あら、お家、いつの間に完成?
久しぶりのアイルランド映画。
ダブリンに住む主人公は。旦那の暴力に苦しむホームヘルパー。耐えきれなくなった彼女は2人の幼い娘を連れてホテル住まいに。先の事を考えていたら、雇い主が土地を支給してくれ、そこに家を建てることに。お金もないし旦那ともまだ離婚していない。もし旦那にバレたら何をされるか分からない。なので建築は秘密で進めます。なんかよく分からないのが、建築を手伝ってくれる仲間達。見返り無しのボランティアで、週末集まって作業をしてくれる。家作りが楽しいから?いい人だから?謎。
この作品、家を建てる工程のすったもんだを楽しむ映画かと思ってたのに、本筋は暴力のトラウマと旦那との親権争い。全編通して懐かしいヒット曲満載で、全体が軽い印象になった。自分は、女目線で観られないので共感度も低かった。頑張るお母さんはいいんだけど、全てのエピソードが軽かったわ。旦那を悪者にする為に最後あんな事件起こさせるのも、無理矢理じゃね。
ソコソコでした。
絶望しない
持たざる者たちの話ということでケンローチを思い起こさせる。正義も法律も、弱者の味方をしてくれない。理不尽な目に遭いながらも、娘たちのために踏みとどまりさらに前に踏み出すサンドラ。
前向きで救いのあるストーリーは、ケンローチの絶望感を突きつけられるものとは違う。社会や政治に向かっていかないかもしれないけれど、これも理不尽なこの世界で生き残る方法だと思う。
家を捨てる「ノマドランド」、家族のために家が欲しい「サンドラの小さな家」この二つが同時期に見られる2021年という不思議
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