劇場公開日 2021年4月2日

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「社会はサンドラを守ってくれない」サンドラの小さな家 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0社会はサンドラを守ってくれない

2021年4月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 21世紀は女性が政治の中心になっていく時代ではないかと当方は睨んでいる。女性が中心になるということは、非暴力の政治体制になるということだ。それは世界の民主主義にとって大変いいことだと思う。アフリカで原始的な生活を送る民族の映像では、狩りに出るのは男ばかりで、対立する部族との闘争をするのも男ばかりだ。女は家事や農耕、収集などの仕事をして土地を守っている。人類の歴史が狩猟採集から農耕へと移り変わったように、政治も、戦争を最悪とする暴力から、非暴力の時代に移っていくと思う。
 既に各国の指導者の中には女性指導者がたくさん誕生している。そして優秀な政治手腕を発揮している。コロナ禍においてはニュージーランドのアーダーン首相や台湾の蔡英文総統のように迅速で的確な政策を確実に実施してコロナを封じ込めている政治家もいる。日本の無能な総理大臣とトレードしてほしいくらいだ。
 日本の大学の医学部の入学試験では、女性の成績がよくてそのままでは女性学生の割合が多くなってしまうから男子学生の成績に下駄を履かせたというニュースもあった。もはや男性が女性よりも優れているのは筋肉だけである。
 家庭内暴力は例外もあるが、大抵は夫が加害者で妻が被害者だ。夫の方が筋力で優っているからそうなると思っている人が殆どだと思うが、当方はそうは思わない。妻の側が争いを好まないからそうなるだけだ。妻自身の精神的なブレーキが夫のDVを成立させているのである。
 確かに夫の方が筋力で優っていることが多いかもしれないが、家庭内には武器となるものが沢山ある。場合によっては夫を殺してしまってもいいと覚悟を決めれば、フライパンでも包丁でも、時にはボールペンでも武器になる。格闘の訓練など必要ない。相手を脅威と見做して、ひたすら自分を守るために相手を無力化することに努めれば、つまり相手を殺してしまうかもしれないという精神的な禁忌を超えてしまえば、妻が勝つ可能性はかなり高くなる。
 元暴走族の女などは暴力を振るうことに何の抵抗もないから、夫の暴力に屈することはない。逆に夫が温和しい場合はDV妻になってしまう場合もあるだろう。当方は非暴力だから元ヤンキーの女性には絶対に近寄りたくない。
 しかし暴力的な女性は例外中の例外で、殆どの女性は暴力を振るったことがないと思う。万が一自分の子供に暴力を振るってしまったら、それは彼女自身のトラウマになってしまう。女性というのは根本的に非暴力の性質を持っているのである。根本的に暴力的な男性と非暴力の女性。どちらが政治家に向いているかは一目瞭然だ。

 さて本作品はDV夫と別れてふたりの娘と暮らしたいサンドラの物語である。サンドラは元暴走族ではないからDV夫に反撃できない。お金があれば自宅に監視カメラをつけて夫の暴力を白日の下に晒すこともできるが、それも叶わない。お金がないから行く場所もなく、家を出ていく決断もできない。しかしあまりにも酷い暴力を受けた日にとうとう家を出て娘たちと三人で暮らしはじめるが、金を稼ぐために昼夜働き通しの生活に未来は見えない。おまけに週に一度は娘たちを夫に預けなければならず、そのときに夫と顔を合わす短い時間が苦痛で仕方がない。夫から受けた暴力の記憶がサンドラを苦しめる。
 原題は「Herself」でDIYのYourselfと同じ意味だ。家も娘も夫との裁判も、サンドラ自身でなんとかするのだ。サンドラは懸命に努力する。応援してくれる人たちも見つけることが出来た。しかし執念深くて性格破綻者の夫はサンドラの未来を挫くことに余念がない。結局のところ、社会はサンドラを守ってはくれないのだ。そんな社会の代表としてアジア系のホテルマンがサンドラに冷たく当たる。金持ちにちやほやして貧乏人を見下すこのホテルマンは、我々自身であるかのように思えた。
 アイルランド映画だが、世界中のどの国でも同じような問題を抱えていると思う。女性が政治指導者の主体となって、あらゆる暴力を徹底的に排除し、世界から暴力をなくさない限り、同じ問題が起きる。筋肉バカで戦争大好きの男たちが政治を牛耳っている場合では、もはやないのだ。我々もそろそろ覚悟を決めて、金銭を尺度とした価値観から脱しなければならない。

耶馬英彦