サンドラの小さな家のレビュー・感想・評価
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DV被害者のお話し
家を建てるのは、本作の本筋ではない。
違う視点から見ると、すごい作品だ。
主人公・サンドラを追って観ていると、無償で自宅を建てるのに協力してくれたボランティアスタッフに対して、偉そうだわ、高圧的だわ、感情的だわと、非常に観ていてつらくなる。
(事情が分からずに)あんなこと言われたら、私だったら即座に帰るし、縁切るわと思うレベルにひどいことを口にする。
なんで、欧米の映画の登場人物って(物語でもドキュメンタリーなどでも)感情のままに叫んで、人をなじって、後先考えない行動に出るのか? と思わなくもない。
動物的、脊髄反射的。
素直に感情を表現するのが美徳、という風潮もあるものの。
しかし、サンドラは精一杯をすでに通り越して、PTSDによる感情コントロール不能状態に陥っていると考えると、腑に落ちる。
ここまで苦しみ、追い込まれることの恐怖。
そして、サンドラが苦しめば苦しむほど、執着のあまり更なる精神的苦痛を際限なく繰り返す元夫の異常性が浮き彫りになっていく。
また、法的に元夫に子どもと会わせなければならないことが、妻や子どもにさらなる精神的苦痛を与え、逃げたくても逃げられない環境を作っていることを表している。
これは国や法に対する、痛烈な批判だ。
DV加害者を、被害者と接触させてはならないという指摘だ。
家族円満に暮らしている身には、観ていてかなりつらい作りになっていた。
自分で家を建てる話として観ると、まったく共感ポイントはない。
その視点ならば、かなり駄作の部類になると思う。
家はあくまでも、安心して暮らせる「居場所」の象徴に過ぎない。
これはDV被害にあった女性と子どもたちの、「恐怖」と「決別」と「自立」の物語だ。
そう考えると、実に素晴らしい作品だと思う。
そして、ラストの展開は、こちらの想像を超えたものになっていた。
10分程度のそのシーンに驚かされました。
僕には、いい作品でしたよ。
夫からのDVから逃れるために、
ホテル住まいを娘2人としているサンドラ
住宅は、すごい順番待ち
家政婦や仕事は掛け持ち
夫に週一面会
俺は変われると言うが、死んでも治らないやろな。
男は、ほんま弱い!
あることから自分で家を建てようとする、
ある言葉が出てきた
絶望するには、いい人がいて
希望を持つには、あまりにも悪い奴らが多い。
しかし、人々の助けを借り家は、できあがる。
ラストは、絶望感がただようが
娘たちをみると
希望がわく!
タイトルは、Herselfだ!
久しぶりに良かった内容。今週迷ったらお勧めな一本。
今年54本目(合計120本目)。
今週は全般的に本数が少なく(コロナ4波問題?)、その中でもこれをチョイスしました。
原作は herself ですが、これは多くの方が書かれている通り、「家を建てる」ということの DIY(Do it yourself)の考え方と、「自分自身を取り戻す」という2つの意味があるのだと思います(これに関しては意訳も仕方がないかな…。「彼女自身」というタイトルでは何が何かわからない)。
シナリオとしては、いわゆるDV夫から逃れるために自分の家を作るという内容で(タイトル通りなので、ネタバレでもない)、ストーリーとしてはわかりやすいほうです。テネットに代表される「時間ずらし描写」もないですし、意味もなく「大人の営み」の表現もない上、登場人物は実質3名(サンドラと、その2人の子供と、しいて言えばDV夫)といえるので(ほか、家を建てるためにお願いしてきてもらったボランティアもいますが、彼らはほとんどストーリーに関係しない)、「登場人物が多すぎて理解できない」という類型はまずもって存在しないと思います。
サンドラが家を秘密裏に立ててめでたしめでたし…と思ったら…そんな簡単に映画って終わらないですよね。ここから先はネタバレなので実際にご覧になってください。
でも、それでも自分の意思を貫くというのは男性でも女性でも難しいことだし、ましてDV夫に追い回される社会的弱者である女性が…となると一苦労で、こういう「社会的弱者をみんなが助け合ってうまく解決に導くストーリー」というのは、史実に着想を得ていなくても見ていて良いものですね。
採点対象は下記の0.2のみですが、大きな傷と言い難いので、5.0まで切り上げています。
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(減点0.1) 序盤に「特定の電話番号」をそのまま伝えるシーンが登場します。しかもこの番号は「098」から始まるもので、日本では実際に存在するか、今後存在しうる番号です(市外局番098は、那覇市や宜野湾市など)。
もっとも、「その番号に実際にかけてみよう」という人がいるとも到底思えませんが、日本では有名な「サザエさん事件」(新聞の四コマ漫画に、特定の電話番号を載せたら、たまたまそれが実在する電話番号で、「人気漫画に乗じて宣伝するとは何事か」という苦情電話が殺到したという事件)があるのも事実。もっとも、当時と今とではそのあたりの考え方も違うとは思いますが、DVD化されるときにはここは一桁か二桁、伏字にしたほうが良いのでは…と思いました。
※ 今回はイギリス映画でしたが、アメリカ映画では、ドラマや映画などで「自由に使ってよい、架空の電話番号として予約されている、映画・ドラマなどで自由に使ってよい番号」というのがあり、それはイギリスもそのようなものはあると思うのですが…。
(減点0.1) 「家を建てる」という内容上、行政に対する空き地使用申請や登記といった話が結構多く登場します。ただ、その説明がほとんどなく、「登記」にいたっては、「知っている人もいるが、具体的に何か」と言われるとなかなか説明がしづらいです(専門的には司法書士で、宅建や行政書士でも若干は扱う。行政に関する手続きは、行政書士が行う手続き)。妙にマニアックな展開になっており(ただし、字幕だけが)、もうちょっと平易な字幕にできなかったのかな…とは思います。
※ ただ、行政書士や司法書士といった概念があるのは、日本や日本の影響を受けた一部の国のみで、「弁護士」しか法律職がない国も多いです。
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社会はサンドラを守ってくれない
21世紀は女性が政治の中心になっていく時代ではないかと当方は睨んでいる。女性が中心になるということは、非暴力の政治体制になるということだ。それは世界の民主主義にとって大変いいことだと思う。アフリカで原始的な生活を送る民族の映像では、狩りに出るのは男ばかりで、対立する部族との闘争をするのも男ばかりだ。女は家事や農耕、収集などの仕事をして土地を守っている。人類の歴史が狩猟採集から農耕へと移り変わったように、政治も、戦争を最悪とする暴力から、非暴力の時代に移っていくと思う。
既に各国の指導者の中には女性指導者がたくさん誕生している。そして優秀な政治手腕を発揮している。コロナ禍においてはニュージーランドのアーダーン首相や台湾の蔡英文総統のように迅速で的確な政策を確実に実施してコロナを封じ込めている政治家もいる。日本の無能な総理大臣とトレードしてほしいくらいだ。
日本の大学の医学部の入学試験では、女性の成績がよくてそのままでは女性学生の割合が多くなってしまうから男子学生の成績に下駄を履かせたというニュースもあった。もはや男性が女性よりも優れているのは筋肉だけである。
家庭内暴力は例外もあるが、大抵は夫が加害者で妻が被害者だ。夫の方が筋力で優っているからそうなると思っている人が殆どだと思うが、当方はそうは思わない。妻の側が争いを好まないからそうなるだけだ。妻自身の精神的なブレーキが夫のDVを成立させているのである。
確かに夫の方が筋力で優っていることが多いかもしれないが、家庭内には武器となるものが沢山ある。場合によっては夫を殺してしまってもいいと覚悟を決めれば、フライパンでも包丁でも、時にはボールペンでも武器になる。格闘の訓練など必要ない。相手を脅威と見做して、ひたすら自分を守るために相手を無力化することに努めれば、つまり相手を殺してしまうかもしれないという精神的な禁忌を超えてしまえば、妻が勝つ可能性はかなり高くなる。
元暴走族の女などは暴力を振るうことに何の抵抗もないから、夫の暴力に屈することはない。逆に夫が温和しい場合はDV妻になってしまう場合もあるだろう。当方は非暴力だから元ヤンキーの女性には絶対に近寄りたくない。
しかし暴力的な女性は例外中の例外で、殆どの女性は暴力を振るったことがないと思う。万が一自分の子供に暴力を振るってしまったら、それは彼女自身のトラウマになってしまう。女性というのは根本的に非暴力の性質を持っているのである。根本的に暴力的な男性と非暴力の女性。どちらが政治家に向いているかは一目瞭然だ。
さて本作品はDV夫と別れてふたりの娘と暮らしたいサンドラの物語である。サンドラは元暴走族ではないからDV夫に反撃できない。お金があれば自宅に監視カメラをつけて夫の暴力を白日の下に晒すこともできるが、それも叶わない。お金がないから行く場所もなく、家を出ていく決断もできない。しかしあまりにも酷い暴力を受けた日にとうとう家を出て娘たちと三人で暮らしはじめるが、金を稼ぐために昼夜働き通しの生活に未来は見えない。おまけに週に一度は娘たちを夫に預けなければならず、そのときに夫と顔を合わす短い時間が苦痛で仕方がない。夫から受けた暴力の記憶がサンドラを苦しめる。
原題は「Herself」でDIYのYourselfと同じ意味だ。家も娘も夫との裁判も、サンドラ自身でなんとかするのだ。サンドラは懸命に努力する。応援してくれる人たちも見つけることが出来た。しかし執念深くて性格破綻者の夫はサンドラの未来を挫くことに余念がない。結局のところ、社会はサンドラを守ってはくれないのだ。そんな社会の代表としてアジア系のホテルマンがサンドラに冷たく当たる。金持ちにちやほやして貧乏人を見下すこのホテルマンは、我々自身であるかのように思えた。
アイルランド映画だが、世界中のどの国でも同じような問題を抱えていると思う。女性が政治指導者の主体となって、あらゆる暴力を徹底的に排除し、世界から暴力をなくさない限り、同じ問題が起きる。筋肉バカで戦争大好きの男たちが政治を牛耳っている場合では、もはやないのだ。我々もそろそろ覚悟を決めて、金銭を尺度とした価値観から脱しなければならない。
メハルは人の為ならず
暴力夫と離婚した二児のママが、安い公営住宅への入居がままならないことを切っ掛けに、自分で家を建てる話。
飲食店ウエイトレスとハウスキーパーを兼業しつつ小さな娘二人を育てることになった主人公が、ネットでみつけた自作の家に興味を持ち、周囲の人達の手を借りて動き出すストーリー。
そもそもの取っ掛かりとなった土地の問題から始まり、日頃の行いや態度は大事だよねとあらためて感じさせる主人公を取り巻く仲間たち。
一部は元旦那を知る人物からの同情というのも面白い。
これだけじゃ話が単調になるかなというところに、週に1度の子供たちと父親との面会や、親権争いにまで話を膨らませつつ、みせるドラマも、上げ下げがうまいし弛みが無くてとても良かった。
モヤモヤ少々の上塗りをするかの様な母親のどこか他人事の様な発言が、また妙にリアルだった。
戸惑い
ラスト15分の作品
前半トントン拍子に家を作る資金や場所、仲間が集まって何だこの良い人しかいない映画は。悪者は元旦那家族だけじゃんって。裁判もあまり他の映画と変わらない作りで正直言ってつまらないの一言で終わる映画だなって思ってたら。
火事はまぁ想定の範囲内で皆集まってさぁやり直しましょうって言って終わるかと思いきや、ここからがこの映画の見せ場でした。旦那の母出てきて、これは義母と主人公の対決であり、義母の敗北宣言であり、
母の二人の女の傷のなぐさめ合いであり。主人公は立ち直れずだが、ラストはあんなに頼りなかった二人が家を再建しようと。
この映画は色々な登場人物の女性の成長
物語だったとは。前半をなんとかすればアカデミー賞ものの、ケン・ローチものの最高の映画になったのに。
惜しい限りです。
「大きな庭の小さなお家」〜🎵
「初めて人に信用されて嬉しかった!」
家作りを手伝う寄せ集めチームの中の1人である男性が言った
D V夫から逃れても住宅問題や貧困に喘ぐ2人の娘を持つシングルマザーの主人公サンドラだけでは無く、偶然出会った建設業の男性と障害を持つ青年….移民や医師…多様性豊かな登場人物達…現社会で居場所が無い人々にも喜びや幸せ誇りを与え
登場人物1人1人の存在感も実に丁寧に描かれている
結末の展開には驚きましたがこの母娘の次なるホーム造りに注目とエールを!!
大丈夫!神様がサンドラの居場所を知っているからね!
重いテーマでありながら決して悲壮感だらけの作りになっていない所がいい!
観た人それぞれが色々な視点で何かに気付き思う事があるかもしれない
厳しいこの時代を生きて行く為に希望を照らしてくれる前向きな物語でした
にしても腰の悪かった先生がいつの間にか歩いてる😵のにはビックリ⁉️
「あの子が壊せたのは、あの子自身だけ」
DVや被虐待者・児に関わる人や加害者には、ぜひ見てほしい。
身体的・心理的暴力やパワハラ・モラハラが、人や子どもに与える影響について、とてもリアルに表現されている。
司法の、行政の無理解・無配慮にも腹が立つ。
暴力被害のフラッシュバック等に苦しんでいる最中の方は、見ないことをお勧めしたくなるほど。
予告を見て、『わたしは、ダニエル・ブレイク』のような映画かと思った。
理不尽に住処を失って、自分で家を建てようとしたら、行政に振り回されて、協力者集めも一難去ってまた一難、さあ、どうなるか…というような映画かと思った。
試写会にて鑑賞。違った…。
否、まったく違うのではないけれど…。
暴力被害におびえる姿は『Dear フランキー』を思い出させる。展開は全く違うけれど。
原題 『herself』 (hは大文字じゃない!)
試写会後の、建築家たちと配給会社の話によると、フライヤーにある「自分たちの手で家を建てることで、人生を取り戻す」≒サンドラの再生物語なんだそうだ。
特典映像でも監督・脚本兼主演女優が「心に傷をもっている女性が、一歩踏み出して、自分の人生を作り上げる話」「コミュニティから切り離された女性が、自身でコミュニティ(居場所の意味も含むのか?)を得る話」と言っている。
とにかく、冒頭にも書いたが、DV被害の痛みの描写が半端ない。
否、サンドラは立ち直ろうとしているから、被害者ではなく、”サバイバー”か。
サンドラの怯え、でもそれに負けないで歯を食いしばる様、それでも負けそうになる様が、ビシバシと伝わってきて、ついこちらも体に力が入ってしまう。
サンドラは、本来、一般的に欠点にもなりそうな痣も、プラスに捉える力がある女性なのだが。
娘二人の父に対する反応の違いもリアル。
映画の途中で明かされる体験の違いが、姉と妹の言動の違いを生み出す。
姉の健気さはアビゲイルさんの小さい頃を彷彿とさせる。
妹は甘ったれなれど、品のある顔立ち。それが…。
行政・司法での、父子面会の場面、親権・養育権を巡る裁判には唖然…。
父娘の面会権行使のためとはいえ、あれほどの暴力をふるった相手と会うことを強制するなんて…。日本では、もう少し配慮があると思うのだが…(私の甘い期待?)。
いつ、ドアの鍵をこじ開けて押し入ってくるかという恐れを常時抱きつつ(頑丈な鍵を幾重にもつけたくなるよね)等、万国共通、心にトラウマを抱えながらの生活・子育ては厳しい。
恐れが引き起こす情緒不安定、自責、諦観、焦り…。攻撃こそ最大の防御と臨戦態勢になり、それを麻痺させようとすると無感覚、鬱になり、自分のことだけでいっぱいになる親は多い。野田の事件のように、自分を守るために子どもを加害者に差し出す親さえいる。
そんな中で子どもは…。サンドラの対応が嬉しい。そんなサンドラ母子を見守るペギーの言葉。涙が出てきた。
そんなサンドラの協力者たち。
難民キャンプにも従事したという、元軍医。
唯一の建築に関する専門家は、最初、渋る。けれど、彼の息子の方が先に動き出して、父の重い腰を上げさせる。
他の協力者も、なんと多彩なこと。
彼らの協力の動機は、はっきりしている人から、ほとんど語られていない人までいるが、いろいろな人種・国籍・立場の人たちの集まりというのも、この映画の製作者達の、ある種のメッセージなのだろう。
アイルランドに息づく”メハル”の輪が広がる。
ここがもう少し丁寧に描かれていたら、満点なのだが…。
でも、楽しそう。一緒に加わりたくなる。作り上げる喜び。相互扶助の喜び。これがまったくの絵空事ではないのは、日本での各地災害支援のボランティアが証明してくれている。ボランティアの勝手な行動にリーダーが手を焼く場面もちょこっとあったりして(笑)。アイルランドを身近に感じてしまう。
そして、家は…。
この展開はある程度予想していた。
でも、この段階に持ってきて、その後、こう映画を閉じるか…。あんなに慎重に場所がわからないようにしていたのに…。
心がかき乱されて、収まりがつかない。
わかりやすいハッピーエンドを望む人は、文句を言うかもしれないほどのざわつき…。鑑賞後感にかなり影響が…。
けれど、エンディングロールの前に、浮かび上がる原題『herself』が活きてくる。
理不尽で、生きづらいこの世ではあるが、人生は続く。
そして、見過ごしてしまいそうなほどの小さな希望の種が見つかる場がいい。
それを最初に見つけるのが、彼らというのもうれしい。
満点をつけたいけれど、ちょっとご都合主義的なところもある(半面、超絶リアルでシビアに描かれている)のと、
サンドラと娘たちの演技がリアルすぎて、心が痛すぎて、たくさんの人に見てもらいたい反面、お勧めする人をちょっとだけ選んでしまう映画なので、ちょっと減点。
サンドラを演じたダンさんは映画でこそ”新星”だが、舞台では賞も受賞している実力派。この後、すでに映画出演作も決まっているという。その彼女の演技力が半端ない。その分、サンドラの気持ちが、私の気持ちにぐいぐい迫ってくる。
紆余曲折あるし、思い通りにならないことが多いけれど、それでも、傷ついた人、何もかも失ったかのような体験をされた方が、もう一度、ご自身の人生を作っていけますように、祈るとともに、
と同時に、この子どもたちのような経験をさせたくない。そういう誓いを立てたくなるほどの想いを与えてくれる。
暴力では何も解決しない。
家を建てるワクワク感がもっと欲しかったかな?な作品です。
予告編を見てた時から結構気になっていた作品を鑑賞しました。
で、感想はと言うと、個人的には悪くないかな?と思うんですが全体的に重い感じです。
DVの旦那の暴力から耐えきれず、娘二人を連れて別居状態になるが、公営団地の順番待ちもかなり先。
ホテルでの仮住まいも金銭的には危うくなる中でサンドラはふとした事から自分で家を建てる計画を実行しようとするが、何の知識も無い事に壁にぶち当たるが、様々な人の協力もあり、家の建築は順調に進んでいく。
だか、旦那が親権の違法をたてに裁判を起こす…
ざっくりと言うとこんな感じのお話で初っぱなから旦那のガリーがサンドラに暴力を振るうシーン。
暴力を振るいながら「自業自得だ」と言うセリフに吐き気がする。夫婦の問題があるかは置いといたとして弱き者を暴力を振るうのは大嫌い。
弱者を痛めつける事を正当化する事自体に嫌悪感がします。
自分の家を自分自身の手で建てると言うのはモノ作りが好きなDIY系の人には目標と言うか理想の1つ。
それを行うと言うのはもっとワクワク感があっても良いと思うんですが、そんなワクワクを置いといて結構どんより感が漂いますw
サンドラが娘を連れて家を出たのも旦那のガリーが圧倒的に悪いのですが、この作品のなかなかダメな所はサンドラが結構ワガママと言うか身勝手に映りますw
何の知識も無い状態でいろんな人達に協力を要請するが、正直きちんとした手当てを払っているとは思えない。
殆どの人が無償もしくは微々たる賃金で働いていると思われるだけに建築の中心にいるエイドにもいろいろと口論になりますが感情的になると「手伝ってくれて感謝」感が物凄く薄くなって上から目線になるんですよねw
勿論、サンドラもいろんな事があって情緒不安定と言うのは分かるが、それを協力してくれている人達にぶつけるのはどうかと。
「ちゃんと仕事して!」なんてセリフはきちんとした対価としての賃金を払っている人が言うセリフで、それをボランティアに近い人には言っちゃあいけないと思うんですよね。
なので、劇中であんまりサンドラに共感出来ない部分も多数ありますw
クライマックスの親権に関する裁判もいろいろと不利になる場面が多々ありますが、サンドラのミスと言うか、不手際で不利になるのがちょっと多い。
それがサンドラへの共感を薄くさせてるんですよね。
また、いろんな登場人物も割りとそれ以上でもそれ以下でもなくて結構おざなりと言うか存在が雑。
もっといろんな役割と言うか、意味があっても良いキャラがいても良いのにその他大勢にしているのは勿体無いかな。
一番はサンドラの左目下にあるアザはサンドラのアイデンティティでもあるんですが、言う程意味が成してない感じです。
他の方も言われてますが、ケン・ローチ監督作品に近しい感じがあります。
ケン・ローチ監督の作品は貧困などの社会問題に焦点を当てて、報われないのが多いですがw、この作品も割りとそんな感じで予告編とかタイトル程ふんわりした感じては無いw
なので、予告編のイメージで観ていくと結構ビックリします。
娘2人がなかなか健気で頑張り屋さん。ちょっと大きめの安全ヘルメットを被るのなんて可愛らしい♪
でも、完成した家は中は良い感じなのに、外の色は紺色ってどうなんでしょうか?もの凄く重い感じですw
裁判で逆転不利になったガリーが出来たばかりの家に放火をすると言う暴挙には予想が出来ていたにしても観た時には口がアングリしました。それぐらいビックリ。
その後、ガリーは捕まり、長いお務めになる訳ですが、ガリーの母親がサンドラに話したガリーの性格も幼き頃に形成されたと言うのもケン・ローチ作品な感じなんですよね。
燃えた家の灰や砂を親子で救っている所なんかも、また立ち上がるしかない…的なメッセージがケン・ローチ作品っぽいし、なんか「ミナリ」みたいにも思えます。
真となるメッセージはDV、シングルでの子育て、貧困と言った現代社会が抱える問題であっても良いのですが、もっとDIYでの家を建てよう!のワクワク感を醸し出してくれても良かったかなと思います。
良い部分が多いだけに、その良い部分が活かせてないのは「ブラック・ウィドウ!」ですよw
でも、いろんな事を考えさせてくれる作品ですので、ご興味がありましたら如何でしょうか?
あら、お家、いつの間に完成?
久しぶりのアイルランド映画。
ダブリンに住む主人公は。旦那の暴力に苦しむホームヘルパー。耐えきれなくなった彼女は2人の幼い娘を連れてホテル住まいに。先の事を考えていたら、雇い主が土地を支給してくれ、そこに家を建てることに。お金もないし旦那ともまだ離婚していない。もし旦那にバレたら何をされるか分からない。なので建築は秘密で進めます。なんかよく分からないのが、建築を手伝ってくれる仲間達。見返り無しのボランティアで、週末集まって作業をしてくれる。家作りが楽しいから?いい人だから?謎。
この作品、家を建てる工程のすったもんだを楽しむ映画かと思ってたのに、本筋は暴力のトラウマと旦那との親権争い。全編通して懐かしいヒット曲満載で、全体が軽い印象になった。自分は、女目線で観られないので共感度も低かった。頑張るお母さんはいいんだけど、全てのエピソードが軽かったわ。旦那を悪者にする為に最後あんな事件起こさせるのも、無理矢理じゃね。
ソコソコでした。
絶望しない
ちょっと展開が雑だけど…
ごくごくノーマルの映画
自分の居場所は自分で作る
ユーロライブにて試写会鑑賞。
2人の娘を持つ主人公のサンドラは夫から激しい暴力被害を受けてる所からストーリーは始まる。
警察の介入により法的にサンドラと娘たちは夫と別々で暮らすことが認められ自宅から離れるが、金銭的な余裕もなくホテル暮らしが続く。
2人の娘の面倒も見ながらサンドラは昼夜ともに働かなくてはいけない環境となりとても苦労している姿が描かれる。
そんな厳しい生活の中で低予算で自分で自宅を出る事ができることをネットで知り自分もマイホームを建築することを決断する。
もちろん技術も知識もないわけだから1人では無理である。
そこで同じ街に住む人たちがサンドラの現状を理解し協力する事を決断し半ばボランティアでマイホーム作りを協力する事となる。
そして勤務先の雇い主の人からも事情を理解され土地を譲られ資金援助も受けることとなる。
この辺は主人公に都合が良い展開が続くがまぁ周囲の優しさ、そして優しい言葉が魅力的に描かれている。
そこから家を建築するのがストーリーと主となるが建築作業にスポットを当てるというよりかは、家を作りながら娘たちの面倒も見て、そして生活費を稼ぐために働く…加えて夫との娘の親権問題も発生し、行政の手続きも行いと自分の居場所を確立するのに必死なサンドラの姿が終始描かれる。時には一人で抱えきれずパンクしかけても娘の存在や仲間の存在が優しく描かれサンドラを立ち直らせてくれる。
最後は家を完成させたが完成直後に夫に放火されあっという間に家は塵となってしまう。
夫は逮捕され刑期も長いことから、娘の親権問題をはじめとした夫からの圧力が解放されようやく自由となり再度新しい一歩を踏みはじめるところで作品は終わる。
ストーリーとしては上でも書いた通り少しサンドラに都合の良い展開が続き飽きを感じる。
裁判シーンとかは特に感じた。
ただこの作品の良いところは人の優しさや、DV夫から離れる事ができてもさらに苦労するサンドラの姿、そして娘の健気な姿がとても美しく描かれた作品である。特に娘のセリフが妙にリアリティがあったりして心を擽られる。
物凄く心に響く作品とまではいかなかったが心が少し温まるハートフルな作品ではあった。
タイトルなし
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