夕霧花園

劇場公開日:

夕霧花園

解説

「百日告別」などで知られる台湾恋愛映画の名手トム・リンが監督を務め、「the EYE アイ」などで知られるマレーシアのリー・シンジエと日本の阿部寛が共演した歴史ラブストーリー。マレーシアの作家タン・トゥアンエンの小説「The Garden of Evening Mists」を原作に、亡き妹の夢だった日本庭園造りに挑むマレーシア人女性と日本人庭師の切ない恋を、戦中の1940年代、戦後の50年代、80年代の3つの時間軸で描き出す。1980年代、マレーシアで史上2人目の女性裁判官となったユンリンは、さらなるキャリアアップを図るべく奮闘していた。そんなある日、かつて愛した日本人庭師・中村が、終戦時に日本軍が埋めたとされる埋蔵金にまつわるスパイ疑惑をかけられていることを知り、彼の潔白を証明するため立ち上がる。共演に「眺めのいい部屋」のジュリアン・サンズ。

2019年製作/120分/PG12/マレーシア
原題または英題:夕霧花園 The Garden of Evening Mists
配給:太秦
劇場公開日:2021年7月24日

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(C)2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT ALL RIGHTS RESERVED2019 ASTRO SHAW, HBO ASIA, FINAS, CJ ENTERTAINMENT ALL RIGHTS RESERVED

映画レビュー

5.0シジフォスの山

2024年10月27日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

終始、ふしぎな雰囲気に包まれる。
進駐した日本人、在留の華人、引き揚げ直前の支配階級の白人、マレーの現地人、インド系の苦力クーリー。
加えてマレーの政府軍、日本軍、解放勢力の共産主義ゲリラたち。

あの時代は、人も国家も、非常に不安定な最中にあって、すべてがバランスを失っていた。
個々人すべてが、自身の生きる意味を探していた頃だ。

空気感と映像が、オリエンタル。
外国人の目を通して見る日本人と日本庭園の姿が大変面白い。
つまり、それも西洋社会の視点で観察して西洋人が撮った日本人像ではなく、インターナショナルなマレーシアの土壌で、マレーシア人や華僑たちの目線で、日本人とその文化、ならびに受け継がれてきた伝統が、異国の土の上で捉えられているからだ。
ここでは、西欧のキリスト教世界から垣間見た日本人像ではなく、森と雨の湿気の中、白檀の香りや翡翠の輝きが主人公たちの上に夕霧となって放たれるのだ。
― そういうアジアンな作風になっている。

「何が見える?」
「変人が埋めた岩」。
笑ったやり取りだった。
二人の目が例えようもなく美しい。

施術あと、同じ客間でユンリンは裸で、マレーの緑の景色の前に立つ。
ひなびた庵の、暗い室内から見る外の世界。
極上のカメラだ。

造っては壊し
壊しては造り。
理由も解らずに、そして永遠に完成しない人間の嗣業を、=彼ら人間たちの姿を、借景は映し、
四角く開いた障子を通して、「マレーの森」が、あちら側から静かにこちらを、大きく見つめる。
「マレーの森」が人を見ているのだ。
あの緑の山が「借景」として絶品。かつ物語のベースとしてマレーの山が象徴的なのだ。

マレーという国家を借景して
一人は庭師として生き、戦時中の日本の蛮行を、自らの遺作の庭に刻んだ。
一人は法律家として、死んだ妹の姉として、拷問と 強かんと 入墨の記憶を背負って、戦後を生き抜いた。

「造園」の終わらない苦役と、この
「入墨」の耐え得ぬ痛みで、それぞれに於いて贖罪を完成させようとした、中村有朋とユンリンの生き様だったと思う。

シジフォスのように、岩をコロガシ続けた男は
結局マレーを出国せずに行方がわからなくなったらしい。

中村有朋は、誰にも明かされない、何がしかの自分の意図のために、庭を造り続け、
ユンリンは妹のために墓標の石を建て続けていた。

今はまだ答えが分からない。それで良いではないか。
我々は説明を求めるのか?そんなに納得が必要か? 予感だけで生きていてはいけないのか?

情交は必然。

目的の全く異なる者同士が、ひとつの築山の上で岩と格闘するのだ。
僕はいい知れぬ感情の湧き出しを覚え、震えてしまった。

凄い映画を観たと思う。

·

・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・

追記 ①
【DVDの特典《削除シーン》について】
この「大切なやり取り」はカットすべきではなかったと思うのだ。カットを悔いたゆえ、特典としてこれを付録したのだろうと僕は推察する。
⇒フレデリックが街で喧嘩をして目を怪我して帰ってくるシーン。
理由を問うユンリンに逆にフレデリックは詰問して
「あのFackin-Japと寝ていないと言ってくれ」
「よりによってジャップと・・」
「君は慰安婦ではないだろ?」
ここは削るべきではない大切なシーンだったはず。

・・・・・・・・・・・・・

追記 ②
《僕個人の忘備録として》
うちの母が大昔に歌っていた変な歌がある。母が子供の時分に覚えたらしい。「マレー」の名でそれを思い出した。
戦前戦中の子供たちの戯れ歌なのだろうが、船主で、東南アジア貿易を手掛けていた親類が母の身内にいた事もあって、我が家に引き継がれている童謡だ。

〽あのおっさん言わはった (なんや?)
アフリカに行ったとき (ふんふん)
火喰い鳥に水を飲ませ
腹裂いて風呂いった (ふーん)

〽あのおっさん言わはった (なんや?)
マレーに行ったとき (ふんふん)
ゴム林に忍び込んで
枝引っ張ったが伸びなんだ (ふーん)

ここに「朝鮮バージョン」も加わってトンガラシを食べて発熱するという詞に続いているようだ。
つまり、相当に大東亜共栄圏を感じさせる戯れ歌。
この関西地方に伝わっていた伝承歌は、高石ともやがレコード化をしていた事が検索で判明したが、うちの母が口ずさんでいたのは60年ほど前の事であり、彼女がこの歌を覚えたのはもちろんそこから遡ること遥かの昔だ。
だから高石ともやの功績は採譜。彼のオリジナルでないことだけは確かだ。

あの オッサン 言わはった
ドド レレミファファミミレ (なんや?)
♬ ♪ ♬ ♬ ♬ ♪

マレー に行っ たとき
ミファソソミララ ソソミ (ふんふん)
♬ ♪ ♬ ♬ ♬ ♪

ゴム 林に 忍び 込んで
ミファソソファミ ミファソ ドドファ
♬ ♪ ♬ ♪ ♬ ♪ ♬ ♪

枝引っ張ったが伸びなんだ(ふーん)
ドドレレミファファミミレ
♬ ♪ ♬ ♬ ♬ ♪

YouTubeでも聴ける。

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きりん

2.0マレーシアの日本庭園

2024年1月16日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
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odeonza

4.0英領マレーシア

2022年4月11日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

マレーシア人姉妹は日本軍に捕らえられ、収容所に送られる。
二人は京都に行ったことがあり、妹は日本庭園に興味を持っていた。
その妹が慰安婦として連れ去られ、終戦時に殺されていた。
姉は妹の夢であった日本庭園を作ろうと、日本人庭師(阿部寛)に教えを請う。
日本人には辛い内容だが、美しい映像が救ってくれる。

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いやよセブン

2.5西側チャイニーズの世界観

2022年3月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

第二次世界大戦中、マレーで日本軍が行った虐殺行為などを描きつつ、他方で中国系女性と日本人男性の恋愛を描いています。

文化的に見るなら、日本文化の宣伝もしてくれているのでありがたいようではありますが、造園家が入れ墨の専門家でもあるという、ちょっと摩訶不思議な設定で、ようするにリアリズムという点から見てかなり問題があると言わざるを得ません。映画だから目くじらをたてる必要もないという見方もできますが。

しかし、他方で日本軍による残虐行為も描いているので、この映画がどの程度現実に立脚しているのかは、慎重に見定める必要があります。

この地域で中国系住民に対する日本軍の虐殺行為があったこと自体はそのとおりです。
しかしこの映画だけではその背景が分かりません。「日本軍は残酷だからこういうことをやった」では説明になっていない。
なぜなら軍隊は基本的に駐留する土地の住民とうまくやっていかないといけないので、戦闘員でもない一般住民を殺すような真似はふつうはしないものだからです。

マレーには大きく分けて三種類の住民がいます。
マレー系(現地民)、中国系(華僑とも呼ばれる)、インド系です。
そして第二次世界大戦の直前まで、マレーは英国の支配下にありました。だから支配階級は英国人なのですが、経済関係を牛耳っていたのが中国系。これに対して先住民族のマレー系は農業、インド系は肉体労働が多かった。

第二次世界大戦が始まると、日本は英国と戦闘状態になったわけですから、英国の支配していたマレーにも電撃的な作戦を敢行して英国軍を破ります。
そして問題の虐殺は、中国系に対してだけ行われたのです。
なぜか。
中国系は、すでに本国の中国で日本軍と中国軍が戦争状態になっていたので、その関係でマレーにおいても日本軍に敵対行動をとると見られたからです。
これがどの程度実際にそうだった(中国系住民がひそかに反日本軍の行動をとった)かについては諸説あります。
ですから、中国系住民に対する虐殺は無論国際法違反なのですが、純粋に無辜な住民を殺したとは言えない面もあるのです。
実際、マレー系とインド系の住民に対しては日本軍はそういう虐殺行為は行っていませんから。

また、それ以外に慰安婦についての描写もありますが、これまたどの程度歴史的事実に即しているのか、疑問です。慰安所があったこと自体は間違いありませんが、いわゆる「強制」によって慰安所勤務を余儀なくされた女性は、いたかも知れませんが、少なくともそれほど多数だったとは思えない。このあたりの描写には、韓国のプロパガンダの悪影響があるようにも見えるのです。

以上の点に留意してこの映画を見ると、もう一つのの特徴が浮かび上がってきます。
植民地としてマレーを支配していた英国人は悪く描かれていないこと。
これに対して、共産主義ゲリラは悪役として描かれている。
実際には、英国は共産ゲリラを嫌っていましたが、戦時中は日本軍が主敵なので、共産ゲリラとも妥協していたのですが。

そうしたいくつかの点に鑑みて、この映画は西側チャイニーズが作った、或いはそれに都合のいい映画である、と言うことができるでしょう。
監督はアメリカ生まれの台湾人だそうですが、中国人としてのアイデンティティーを持ち(したがってこの映画では中国系であるヒロインに感情移入している)、第二次世界大戦に関しては日本を批判する立場に立つが、しかし共産主義イデオロギーには距離をおいている、ということです。だから英国の支配は善(中国系住民には好都合だった)、共産主義ゲリラは悪、という構図になるのです。

そうした点に注意して見ると、この映画が一見すると敵対する国家の男女の愛を描いているように見えながらも、プロパガンダ的な面も少なからず備えていることが見えてくるのではないでしょうか。

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odyss