ホロコーストの罪人のレビュー・感想・評価
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浮き彫りになる幾つもの表情に胸えぐられる
ナチスによる大量虐殺を描いた映画は数多い。が、本作のような作品に触れると、その一つ一つに事情の異なる惨劇が刻まれていることに胸えぐられる思いがする。例えばこの映画の舞台はノルウェーで、当地には当地特有の、今なお禍根を残す事情が刻まれている。ここにはナチス侵攻後、手先となってユダヤ人政策を推し進めた秘密警察の存在があった。すなわち同国民の手によって多くの人が収容所へ送られたのである。幸福の中にあったユダヤ人家族がたどる運命に焦点をあてつつも、やはり強烈な印象を残すのは、ごく普通の人々が淡々と職務を遂行するように政策遂行に手を染める姿。人はおのれが悪魔へ変貌しているときほど、その事実に気づかない。あるいは気づいていても平然と自分を正当化しようとしているかのようだ。そうした幾つもの表情が本作では克明に浮き彫りにされ、言いようのない衝撃が広がる。これもまた人類の教訓として受け止めるべき一本である。
知られざるノルウェーでのホロコースト
ノルウェーでもホロコーストがあったことの知られざる歴史。実在したユダヤ人ボクサーの抱える葛藤を描く。順風満帆だった人生に影が差し、ユダヤ人であることを捨てようとした主人公の気持ちが痛いほど伝わる。収容所でのいたぶられるようなボクシングシーンが印象的。
最後、妻の元に戻ったチャールズだが、二人は別れてしまったというテロップに、彼の背負う「その後」の人生の重さを考えた。
ユダヤ人としての誇り。
悲惨さは語らずも、ナチスの酷さがノルウェーまで及んでいたという事にも驚く。
国がユダヤ人を登録させた時に誰もが無視をしていたら…。
誰がユダヤ人なのか?分からなかっただろうなと思う。
敢えて自ら登録してしまった経緯がユダヤ人なんだなと思う内容でした。
進行中のジェノサイドには口を噤み、70年前の話をぶり返して正義面する。
チャールズがナチスのメルセデス170セダンのボンネットに落書きした「ホーコン7世」は、最後までナチス・ドイツに抵抗したノルウェー国王でしたが、1942年にイギリスに政権と共に亡命。チャールズとその一家は、反ナチスであったと言う描写です。
1940年4月、クヴィスリング率いる国民連合は、ナチスのノルウェー侵攻(劇中では空襲のあった夜と思われ)に合わせてクデターを実行し臨時政権の樹立を宣言しますが、全権掌握に失敗。ヒトラーはクヴィスリングを信用せず、ヨーゼフ・テアボーフェンを国家弁務官に任命します。クヴィスリングは暫定評議会議長に就任し、警察組織を再編しナチズムを推進して行くのですが、この頃から、ノルウェー国内のユダヤ人狩りが始まります。
1942年2月、クヴィスリングがヒトラーにより首相に指名された後、国内に収容所が設けられ、後の事件は映画の中での描写通り。776人のユダヤ人を乗せたドナウ号がオスロ港を出港するのが11月26日。ホロコーストへの協力は、ノルウェー人である首相クヴィスリングと国民連合の手によって実行されています。
一応言っておくと、ノルウェー国内でも反ナチスのレジスタンス活動は展開されていました。一方、親ナチス政権であったことから、7,000人の国民連合党員と志願兵がドイツ軍に合流し、主に東部戦線に出征して行きました。
実態としては少数派の親ナチスと、反ナチスで国が割れたんですね。
戦後、ナチスへの協力者5万人以上が国家反逆罪で有罪判決を受け、2万人以上が投獄され、25人のノルウェー人が処刑されています。
ホロコーストは許されざる人類への罪ですが。
今年も二本の反ナチス映画を見ましたが、その度に思う事は。
「どこにも正義は無かった」って事だけです。
ノルウェーでのホロコースト
第2次世界大戦中のノルウェー。ユダヤ人一家のブラウデ家はボクサーの息子チャールズが結婚し、幸せな生活を送っていた。しかし、ナチスドイツがノルウェーに侵攻し、世帯調査を行い、ブラウデ家の人達をはじめとするユダヤ人男性はベルグ収容所に連行され、過酷な労働を強制された。残された妻や母たちは父や夫の帰りを待ちながら、スウェーデンへ逃亡する準備も進めていた。しかし、1942年11月、ノルウェー秘密国家警察によってノルウェーのユダヤ人全員がオスロ埠頭へ移送され、船に乗せられ、アウシュビッツへ送られた。着いた日にシャワーを浴びるという名目で全裸にされガス室へ送られて全員虐殺されたホロコーストのノルウェー版の話。
ユダヤ人に対する虐殺の作品は何本も観てきたし、ナチスドイツの酷い行為も知っているが、この作品のポイントはノルウェー人が指示されたとはいえ自国民のユダヤ人に対してホロコーストに加担していた事実だろう。2012年になって初めてノルウェー政府がこの事実を認めたとの事で、やっと作れた作品なのかもしれない。
ノルウェーだけでなくナチスドイツが侵攻した地でのユダヤ人に対する酷い仕打ちは全ての地で起きていたことを予測出来ると思った。
ぜひ知っておきたい、観ておきたい作品だと思う。
自分より上なのか下なのか
人間は意識しなくても、他人を自分より上なのか下なのかを判断し、接していると思います。
だから、下(ユダヤ人)と判断されてしまた場合は、攻撃対象にされてしまいます。
これは今の社会も同じですね。
学校、会社、または家庭の中でも、発生していると思います。
この問題を解決しない限り、人間は戦争を何度も繰り返すはずです。
だから、ノルウェー人がユダヤ人の迫害に加担していたというのは氷山の一角で、実際はヨーロッパのいたる場所で、似たような迫害が発生していたんだろうな・・と思いました。
きっかけがあれば国や人は舵を切る
降伏したから?敗戦したから?違うでしょう。
ナチスが強かったからというのはあるのでしょうが、ノルウェー内にユダヤ人を追い出したい人々は居たと思います。決して少なくない人数。根絶やしにしたいとは思っていなかったとしても、ナチスと利害が一致する人々は居たはず。
少しでも火種があれば、強い風が吹けば一気に大きな炎になる。ナチスへの降伏は風が吹いただけだったのではないかな?って思います。この火種がある限りいくらでも人は国はあの頃の過ちを繰り返す可能性があるのだとおもいます。日本にだってジェノサイドは発生した過去があるんです。この恐ろしさを改めて本作で味わいました。
日常がいきなり否定されて取り上げられる。人間として扱われなくなる。扱わない人間が生まれる。それを良しとする日々。淡々と無慈悲に進む悪夢からのラストの生々しさは胸が締め付けられます。これは、観るに耐えられないくらいです。人間はホントに恐ろしい。
このような家族がいったい何組いたのだろうか。
ホロコーストは繰り返してはいけない。しかし、火種がある限り繰り返すであろう。そして火種は確実に存在します。だって、学ばない人間のニュースは今でも目にする、世界のどこかで。
切なすぎる
日常が奪われていく様が、ごく自然な事の様に描かれていた。抗えない事って驚くほど自然に起きる、なんて残酷なんだろう。
立場で人間は豹変する。
甘い汁を吸ってしまった側の醜さを自分も持っているのかと思いたくないが、否定できない。
船に乗せられるシーン、あれ母さんじゃないか?と母の姿に気がつく息子と父親。切なすぎる。
切ない
ホロコーストや戦争の残酷さを心に沁みつけるために、定期的に観るようにしているが、この映画は切なかった。
自分にも、息子2人がいるので、自分も妻も観ている最中に苦しくなった(妻にはあとで聞いた)。
実際のモデルになった家族がいるのもショックだが、残酷なシーンがないのが救い。
答えのない答え
「ドイツ」ではなく「ナチス」が悪になった為なのか、何よりもナチスは消滅している(表向き)のでホロコーストも含め作品化しやすいのかもしれない。そういった意味では日本はまだまだ「真正面から触れている」とは言い難い。良い作品もあるのだけれども、中々に難しい所。「関東軍」に押し付けるのも無理があるしね。
でも、この作品からは日本も向き合えるきっかけの様なものがあった気がしました。ドイツに占領されたとは言え、全力でホロコーストに加担したノルウェー。そのノルウェーが、「忘れてはいけない」と作った作品。実話ベース(最後まで知らなかった)なので、抱えた重苦しさが半端無く、ラストの老夫婦の歩みの中にある「なぜ??」にスクリーンの中も外も答えられない。してしまった事をシャープに記憶していくのも大事なのだと、改めて教えられた映画でした。
「ユダヤ人とは?」についての説明が欲しい
ヒトラー・ナチス関連の映画は毎年必ず新作が公開されます。過去の悲惨な出来事を忘れないために映画として記録並びに記憶するためです。でもドイツ人が観たらどういう気持ちなのか考えてしまいます。いつまでたっても「戦争犯罪人」のレッテルを貼られ続けています。つまりナチスはそれだけ多くの憎悪を今でも生み出している証拠です。
ただ私たちアジアに住んでいると、ユダヤ人がヨーロッパにおいてどのような立場だったのかが明確にわからないのです。そしてユダヤ教とは、ユダヤ人とは、さらに人種とは何かがいまひとつ明確につかめないのです。肌の色によって差別偏見ではなく、ユダヤ人と言うのはどういう人なのかと言われると説明がつかないのです。
海外旅行へ行った際、真っ黒い服を着て、大きな帽子をかぶって髭もじゃな人をユダヤ人と教えてもらったことがあります。
ですから、本映画の中に出てくるユダヤ人の人たちが普通の「白人」つまりノルウェー人に見えてしまって、いまひとつ心を寄せることができなかったのです。もちろん戦争は反対です。拷問も反対です。何より許せないのは女性と子供に暴力を振るうことです。これは人間として最低の行いだと思っています。
結局本映画はナチスの悪夢が今でも続いていると言うこと、二度と繰り返してはいけないと言う事を訴求していると思うのです。ただですね、最終的な映画の着地点が不明瞭なんです。主人公は生き残るんですよね。それは良かったと思うんです。
あれだけ愛していた奥さんと再会しますか、結局離婚して彼はその後に2度結婚するとテキストが流れました。ここがゲンナリしてしまうんです。作りとしてです。最近の映画の傾向でエンディングで、テキスト説明が入ることが多いです。できるのならテキストではなく映像で表現してほしいのです。文字なら本を読めばいいのです。
もし本当にナチスの悪夢が今でも続いているのであれば、主人公の彼が精神的な問題を抱えて人生を過ごしていたと言う事は描いて欲しかったですね。奥さんと別れるのも、2度結婚するのもうまくいかなかった理由は、すべてナチスドイツの悪夢が原因だったとか。またノルウェー人は今でも反省しているとか。などなど。
うーん、評価がなかなか難しい映画ですね。
『運だぜ!アート』のluckygenderでした
ノルウェー版ユダヤ受難記
大戦中のノルウェーで起きた、ユダヤ人一斉検挙のお話しで、あるユダヤ人一家の視点から平穏な生活が徐々に侵されていくのを非常にリアルかつ丁寧に描いています。一方で、丁寧過ぎてお話の展開が遅く、内容も新味に欠けるので、やや眠けも…。また、一斉検挙に地元ノルウェー人が関わっていたと言う反省がテーマになっている割には、ノルウェー側の状況や葛藤が大して描かれていないので、最後のテロップも取って付けたような印象です。役者では,主人公の嫁さん役のクリスティン・クヤトゥ・ソープが魅力的でした。
何とも呆れるだけ・・・
本作品、見ていて可哀想だとか、悲惨だとかではなく、呆れるだけ・・・・
当時、なぜ、ユダヤの人がこんな仕打ちを受けるのか、ノルウェーもなぜ、ドイツのこう言った考え方に賛同していたのか・・・・
どの映画も、ドイツ人全ての人がああ言った事をしたように描かれているけど、ドイツ人の中でも、ユダヤ人を守ろうとした人もいただろうし・・・・
本作品の内容を見ているだけだよ、ただただ呆れるだけ・・・・
現代に合わせて考えても、これから同じような事が起きても不思議じゃないし・・・・
結局、地球にとっても、自然界にとっても、ガンは人間なんだろうし・・・・
正直、その過ちを乗り越えられるのも人間なんだろうけど・・・・
日本人にとって色々な意味で馴染みのない内容なので、理解に苦しむ事もありますが、この様な映画がこれからの世の中に多大な影響がある事を祈ります。
ひたすら悲し
穏やかな日々が一転し闇に転ずるのは、ディア・ハンターを思い出してしまった。
ユダヤ人。
これは差別の根源なのでしょうか。
今でもセクハラなど色々な差別が叫ばれていますが、もうそんなことはどうでもいいでしょと言いたくなるほどの国をあげての理不尽な差別。
真っ黒い巨大なドナウ号か出現した時は怖さしかなかったですね。これが地獄への道なのか。
人間てのは本当に愚かな生き物。
悲しいですね。
崩れゆく幸せ〜ブラウデ家の悲しみ
ナチス侵攻により、抗う事も出来ず或る朝突然連行される恐怖。
父と母の揺れる瞳、互いに呼び合う声、不安な中移送され、無言で服を脱ぎ震えながら歩を進める姿、エンドロールの哀しい旋律に涙が溢れた。
ブラウデ家の家族写真が切ない
映画館での鑑賞
時間をかけて徐々に「絶望」が迫ってくる
ノルウェーでのユダヤ人強制連行という負の歴史を映画化した今作。
全く同時期に「アウシュヴィッツ・レポート」という映画も公開されているし、
同じスターチャンネル配給なので、これは2本観ろ、という事だなと思い鑑賞。
序盤は、拍子抜けするような華やかな光景。1940年代頃のノルウェーってこんな感じなのかな、と思うと、とても第二次大戦中の世界とは思えない。
次男の結婚など、幸福そうなブラウデ家を中心に進むが、ドイツ軍がノルウェーに侵攻してきたことで、状況は一変。ユダヤ人であるブラウデ一家は収容されてしまう。
まず、ポイントとしてこの映画の主人公であるブラウデ家の次男、チャールズのアイデンティティ。
彼は自分自身をユダヤ人という意識で捉えてない。もっと世俗的で、ボクシングに打ち込み、非ユダヤ人である女性と結婚。この彼のイデオロギーが父と衝突する原因にもなるが、こういったアイデンティティを持つ青年がユダヤ人としての建前上の住民登録をする姿など、これまで観たホロコースト映画にはない光景だった。
また、この一家の男性陣が最初に収容されたノルウェー国内のベルグ収容所というところは、アウシュヴィッツとは異なり、強制労働はあるものの、服装は私服であり、食べ物もしっかり与えられている点で(不味いとは言っていたが)、まだ彼らに死の危機感を感じ取る事なく、どこか楽観的な雰囲気すらある。こういった一時的な収容所の光景もまた新たな発見だった。
そして、日時が過ぎ、やがて一家の財産は奪われ、終盤になり女性、子供も連行され、最後は両親が裸にさせられガス室送りと言う、何とも辛いシーンで終わる。
序盤の華やかさから2時間かけて徐々に絶望を描いている様は、決してドラマ仕立てではない恐怖感を覚えた。
私が思ったこの映画における恐怖や不安の原因は、この映画の登場人物には基本的に何も告げられていない、という事。安心させるような事も絶望させられる事も。ただ淡々と秘密警察は任務を遂行しているのだろう、だから映画は不安を常に纏い侵攻し、最期に至る。怖い。
決して脚色されていない本作だからこそ、ホロコーストの恐怖がわかる。
「アウシュヴィッツ・レポート」とセットで鑑賞するのがやはり良い。
時系列的には本作の方が先か。
隣人の裏切り
こんなストレートな表現は、かえって新鮮で怖かった。
連行されたユダヤ人目線で物語が進む。
前半はボクシングを楽しみ、家族を大事にする普通の日々、そして結婚式など、主人公の幸せの描写。
それが後半、突然の暗転。
友や信頼する自国の警官たちに騙され、裏切られる。
何の説明もなく連れていかれて、戸惑っているうちにそのままガス室送り。
命令はナチスだが、連行を主導したノルウェー人の秘密警察の連中……特に副署長は、戦後もそのまま警察の仕事をしていたとのこと。
ノルウェーが国家として責任を認め謝罪したのが2012年とはいえ、この警察副署長が戦後に死刑ならなかったのが、理不尽に感じられてならない。
ナチスへの協力者は数が多すぎたからだろうし、当時のナチスに逆らうのは困難であったという事情は考慮されたのであろうが。
調べてみると、ナチス占領下の国家公権力者は、ほとんどユダヤ人狩に積極的に関与していたらしい。
保身の裏返しとともに、どこか差別的意識があった可能性が高い。
そんな自らの過ちを認め、二度と繰り返さない、裏切らないということの必要性を説いていた。
だからきっと、この映画はノルウェーで作られたことに意味があるのだろう。
だからこそ、エンドロールで語られた内容を踏まえて、ラストに「今どうなっているのか?」「繰り返さない努力をしているのか?」といったことを映像として見せてほしかったとは思いました。
そこが物足りなさにも感じました。
こうも広範囲な国境を越えた大量虐殺はなぜ起こったのだろう
ノルウェーの警察が、一般人の役所の事務員(と思う)が秘密国家警察からの急な命令に疑いもせず従う。
命令に反く恐怖は何故にここまで人を縛るのか。
どのホロコースト映画でも島国の日本人には理解しがたい。
ここで700人強のユダヤ人がつかまった一方で、千数百人は隣国スウェーデンに逃げ延びる。
スウェーデンはユダヤ人を捕まえない国だったと思われる。
印象的なのは船で運ばれ最後貨車でアウシュビッツに到着し、家族が束の間の再会を果たした後。
そのまま女子供年寄りはガス室へ直行なのだ。
何分だったろうか、無音。
何が起こるかわからないままただ黙々と指示にしたがうスクリーンの中の無言の人々、映画館の暗闇で何が起こるかわかっている我々観客を 無音と言うBGMが包むのだ。
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