竜とそばかすの姫のレビュー・感想・評価
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「あの子を解き放て! あの子は人間だぞ」→金色の野に降り立つべし→好きな人ができました
↑ タイトルは、、 モノノケ × 姫 = 美女と野獣、ということで。。(オマケ付)
デジモン(’00) → サマーウォーズ(’09) → そばかす姫(’21)と、
監督のなかで、時代毎に確実にブラッシュアップされてきた お得意の手法なんだけれども、
改めて感じるのは、デジタルや仮想現実を描いてはいるけれど、
結局、この人(細田氏)は、世代的にも、根っからのアナログ人間なんですよね。
家族とか、親戚とか、友達とか、恋人とか、仲間とか、そういった
人間同士の繋がりを、どうしても賛美する描き方になってしまう。
もちろん、毎回、(拗らせ気味とはいえ)人間賛歌の作風であるし、
人間、そこが大事なんだという心の根っこの部分ですから、
否定的に描きようがないのですが、
どうしても、新しい時代、新しい世代、新しい価値観は生まれてこないんですよね。
時代は進んでいるのに、どうも「昔の日本はよかった」「人間かくあるべし」という懐古的な視点から脱却できません。
(もちろん、現代から振り返り、学ぶべきこと、思い出すべきことは多いのですが)
せっかくの「U」というデジタル世界も、物語の結末(リアル)とは どうにも相性が悪く、
途中から描かれなくなります。
これは、 美女と野獣のテーマに照らし合わせると、
愛し愛された結果、偽りの魔法(自分の内面の裏返し=ネット上の仮の姿)は解けないといけないため、
ネットから解放されて、リアルに戻らざるを得ないのですね。
デジタル(魔法)から解き放たれ、本来の姿に戻る、、この構図が、
非常に素晴らしいアイデアなのですが、同時に、呪いとして、作品のテーマを、少し、作家の意図しない方向へ足を引っ張ってしまっているような気がします。
結局、仮想現実で、歌で、人々の心は繋がり、救われるのか、世界が変えられるのかというと、
どうも、テーマがそこにないため、宙ぶらりんになってしまいます。
ではこの映画の主題は、というと
主人公「すず」の成長と、弱者(被害者)への救済がテーマなのですが、
彼女の愛も、方向がどうにも定まらないのは、姫がキス(救済)すべき王子様が多すぎるのですね。
現実の恋人と、仮想空間を通じた相手(しかも兄弟)と、妻(と子)を失っていた父親と、、
あと、実は、
いちばん手を差し伸べてあげないとならないのは、虐待していた竜の父親、ですよね。
さすがに現実の女子高生が救済するには荷が重すぎたのか、
歌で通じ合えたはずのネット民からの応援もなく、リアル仲間もリモートでサポートもなく、
その場では一見、対決のように表現され、直接の救済は描かれません。
ただ、虐待父も、すずと、兄弟によって救われる道筋が、台本上は約束されているのですが。。これを読み解くのは、少々難しい。
竜と姫が向かい合う構図のポスターからもイメージできるかと思いますが、
この映画において、すずと竜は、常に「鏡合わせ」の存在なのですね。
デジタル世界で竜と姫が「鏡合わせ」だったように、(どちらも母親を失い、その自身が抑圧した心の傷が、
仮想現実世界で吹き出し、大きな力となった、歌か暴力の違い、ふたりとも本質は同じ孤独な存在→だから惹かれ合う)
ふたりは現実世界でも、抱き合ったあと、まるでキスするかのような、互いの顔の距離を「鏡合わせ」とすることで、
2組の家族を光と影として対比させており、本質的に、同じ存在だと示しているのですね。
無事に帰還したすずは、ずっと見て見ぬふりをしてきた父親の愛と心の傷に気づき、受け入れることができた。この和解により、すずも父親も救われました。
であれば、鏡合わせの存在である、竜と、竜の父も受け容れられ、救われないと、台本上の構造としておかしいのですね。
あの兄弟にとっても、父親の歪んだ愛(が孤独化し、暴力化してしまった、それは「U」で暴れ廻った竜自身と同じであり、
つまり、父親と自分もまた表裏一体の存在であるということ)に気づいて、受け容れられるはずなのです。
虐待してしまっているため、一見、絶対悪と受け取られてしまいがちですが、
(現実には虐待するようなクズ親からは行政が保護して、子供だけでも救済するのでしょうが)
それでは真の救済にならなず、テーマから反れてしまうのですね。
★ ここが非常にわかりづらく、この映画が共感されにくいポイントになっています。(!)
更に詳しく言えば、
この物語には幾重もの鏡、対比構造があり、そのひとつに、「誰もが被害者であり、同時に、加害者である」というものがあります。
たとえば、
川の少女は被害者であり、同時に、すずの母親の命を奪った加害者でもあります。
母親は事故の被害者でありながら、すずにとっては、自分を捨てた加害者に映る。
すずは被害者だが、父親に対しては無意識のうちに加害者だし、妻を失った被害者である父親も、すずを救済できない意味では、遠い加害者でもあります。
同じように、
妻を失った虐待父は被害者である。と同時に竜兄弟へ対しては虐待する加害者である。
竜は父親の暴力の被害者であり、同時に、ネットの世界では、暴力を振るう加害者でもある。
同時にネット民は竜の暴力の被害者であったが、転じ、加害者として、暴力で竜を追い詰めます。竜は加害者にして、被害者になります。
このように、この物語は、登場人物それぞれが、被害者にして加害者(光と影=太陽と月=生と死)という、鏡合わせの対比構図になっています。
それに気づき、自分の影である相手を理解し、受け容れることで、この物語の登場人物は救済されるのです。
ですので、虐待親を絶対悪と定義してしまうと、「U」で悪というレッテルを張られ、
(大して悪さをした訳でもないのに)同調圧力的に叩かれた竜もまた絶対悪というなり、救われなくなってしまいます。
ですから、虐待親もまた被害者であり、救済されねばなりません。(!)
また、
2組の父親同士も、どちらも妻を失い、傷ついた気持ちを抱えたまま、
子供に対して愛情がうまく伝えられない、愛情の距離や方法が見つけられないという意味では、
すずの父と竜の父も、光と影、本質的には同じ存在なのですね。
例えば、
すずの父親も、濁流に飛び込む形で妻を亡くしたのだから、すずを大切に愛するがあまり、
竜兄弟のように軟禁し、外に出させないようにした可能性だってあった訳ですよね。
それは歪んではいますが、大事な者をもう失いたくない、大切にしたい、といういう愛情ですよね。
愛情が行き過ぎて、なぜ俺の言うことを聞かないと手が出ると、それはもう、監禁、虐待となるのです。(※ 虐待の一例であり、肯定する意ではありません)
すず親子はそうならなかっただけで、そうなってしまったのが竜親子なんですね。
ですから、鏡合わせのように、
すずも母親の気持ち(死)が理解でき、父親の心の傷に気づき、受け容れられたように、
竜兄弟もまた、いつか、母親の死を、虐待に走ってしまった父親を受け容れることができるはずなのです。
(もちろん、その前にまず父親が変わらないといけないのでしょうが、、、
竜の身代わりに血を流したすずとの対決で、彼が何に気づき、怯えたのか、、もう、彼は実は気づいたのでしょう、
彼は息子達を傷つける事はあっても、流血させた事はなかったのでしょうね。
また、すずも、「U」の世界で「その光を放て」と言ったベルですから、「その拳を放て」と心の中で叫んでいた事でしょう。(ここはデジタルとリアルの対比構造になっています。伏線とも言います))
ですから、どちらの家族も救済されるはず・・なのですね。でないと、物語の構造上、成立しない。
ね、かなり複雑な構造でしょう?
サラッと見ていると、モヤっとするのは、ここなのですね。
これを描かずに、観客に読み解かせるのは、なかなか高度な手法かと思います。
とはいえ、この映画の随所で、こういった直接描かず、構図や絵や演技で観客に想像させる、読ませる
(匂わせる)技法は散りばめられてありますよね(!)。 読み解けるはず。
これは安易に、作家の説明不足、力量不足と安易に捉えてしまうよりは、
むしろ、敢えて描くことをしなかった、作家の意図を鑑みるべきで、
監督が観客の想像力や教養に期待している、ということですよね。
このあたり、やっぱり、アナログ人間なんだなあと感銘を受けます。
(・・なんでもかんでも台詞でわかりやすく説明してしまう昨今の鬼・・いや、やめようw)
台本上、「すず」が現実の激流に身を投じ、無事に帰ってくることで、
作家のテーマ的にはちゃんと成立しているのですが、
(ここも対比で、生きて帰ってこれたのがすずで、生きて帰ってこれなかったのが母親です)
どうしてもモヤっとしてしまうのは、やはり、「ネットを解けるべき魔法」としてしまったことの弊害で、
たとえば、最後に、再びすずが成長した姿で、新世界のディーバとしてデジタル世界へ繋がりなおし、
そこでアクセスする全世界の人すべての救済が、彼女の歌によって成されるような展開があれば、(そうなるともう宗教ですね、ますます「ナウシカ」になってしまいます)
竜の家族が、そこで救済されたり、傷の癒えた竜と姫が再び抱き合うような、それを全世界の人が、祝福できるような、
そんな昇華されたビジョンが、デジタル世界とアナログ世界の融合が示されないと、
どうにも、今作における「救済」が、デジタルを通じた全世界まで及ばない気がするのです。
ドラマ的にはご都合主義的ハッピーエンドかもしれませんが、
リアル世界に根ざさない形の、未だ見ぬ、新たなハッピーエンドが、
デジタル時代ならではの、新たな救済、新たな切り口や、可能性もあったように思います。
昨今の、SNS上の炎上的な描写(竜の城など文字通り「炎上」させられる・・この意味!)、
心無い書き込み、ネットゲーム的な表現、過度な叩き行為、アバターと中の人のギャップなど、
社会的問題も含め、上手に取り上げてあったのですが、やはりどこか、
デジタル世界や、新しい世代の価値観は、どこか否定的なまま終わってしまったのが、
非常に残念でなりません。
(というのは、この監督が新しいと信じている感覚が、既に古いから、なのです・・
映像的手法はとてつもなく新しい、が、リアルとデジタル空間を分けたり対比させたりする感覚が、もうかなり古いのですね。
今はもう、それらの境目は極めて曖昧になっており、地続きというか、癒着して、説明しきれない、
まったく、訳のわからない混沌化したものになっており、
従来の価値観や正しさでは測れない、新たな物理法則が発生しているからなのです。
一方、作家の根底はリアルに根ざした古き良きもののままなので、
デジタル世代との感覚の差は大きく、これを「作家性」としてゆくなら、今後、細田作品は
高齢者向けの懐古主義的な作品となってしまう、
しかし、描こうとしている内容は、そこを目指している訳でないのは明白であり、
現代を汲み取ろうとしている方向性なので、頑張ってほしいのですが、
どうしても若者ぶったおじさん構文が横滑りしてしまっている感触は拭いきれません。
この作家性の壁は非常に大きく、デジタル世代とリアル世代の隔絶した社会問題そのものに挑むことになり
年長者には、一度、これまで積み上げてきた成功体験やキャリアを捨てる覚悟が必要であり、
並大抵ではないと感じております。そういう意味では、 非常に期待しております)
映像も音楽も非常に美しく、本棚にいつまでも飾っておきたい絵本のような作品なだけに、
もっと寓話的に美しい終わり方があったのではないかと、つい期待してしまうのは、
もちろんこの作品が、非常に良質な佳作だったからでしょう。
私は大好きです。
歌と映像と前半は良かった
ベルが歌ってるシーンがすごく良かった。
キラキラして花が散って綺麗で、歌とも合ってて見てて胸が高鳴った。
田舎の景色とか、Uの世界とか映像が本当に綺麗。
前半は映画を観ていて、この後の展開はどうなるんだろう??また歌うかな?とかワクワクして見れたし、ルイちゃんとカミシンの駅でのシーンもニヤニヤして見れて楽しかった。
ラストで「?????」がいっぱい。
それまでもなんでだろう?はあったけど、映像の綺麗さでそんなに気にならなかった。
ラストの展開は本当に理解できなくて、なんかもう映画が台無しに・・・。
声も下手な人ばかり使っていて、勿体ないと思った。
せめて「途中ストーリーが酷くなるけど、ラストは良かった」って形にすればいいのに・・・。
ベルのキャラデザと歌は本当に好き。
ひどい
私はいわゆるメタバースの住人であり、サマーウォーズに絶大な影響を受けたので、かなり期待して見に行った。
が、かなりひどかった。
特にほぼ見ず知らずの男を探し出すために家出をする主人公。
生々しい虐待描写。
「おい顔晒せよ」と言うためにみんなで大合唱。
曲が良かったので涙が出そうになったが、途中で我に返った。
いわゆる感動ポルノでサマーウォーズのような本当に感動できる映画ではない。
何より気に入らなかったのは、「バーチャルよりリアルが大事だよね♪」といった感じのコンセプト。
たしかにそれがマジョリティだが、我々のような社会の爪弾きには明らかにケンカを売っているようなコンセプトだった。
脚本と配役が酷い。美女と野獣見た後に作った?
いい所もあります。
映像、音楽、ベル(中村佳穂)の歌唱シーン含め素晴らしかったです。
もうそういうストーリーとか声も無しで単なる映像作品としてしまえば良かったのではと思う程に。
それと対比して、脚本が悲しいくらいにつまらない。
へぇ、ネグレクトの子だったのね。
じゃあ主人公といい感じのにーちゃん、お父さんとの微妙な関係の構図いる?
身近にいるものだと勝手に思ってたけど、普通に知らん子だった。
過去のトラウマから歌えなくなったのはわかるけど、何ともありきたりというか、よくある話によくある「仮想世界」の構図。
驚きも興奮もなく、どこかで見たような展開だらけ。
もしかしてですけど、細田さん、これ作る前に美女と野獣見ました?
としか思えない「城」「バラ」「ベルと野獣(竜だっけ?)」「小さな妖精(というかルミエールとコグスワース)」というラインナップ。
途中竜と打ち解けるシーンなんて、「愛の芽生え」そのものじゃないですか。
ガストンっぽい自らの正義を振りかざした奴等の「夜襲」も無事成功し、クライマックスへ。
既視感の連続で、正直退屈でした。
それに、声酷いね。ほんとに。
アバターと同じ声でやりたいっていうどなたかのこだわりのせいで、声優でも俳優でもないアーティストが主演の声を担当し、まぁ合わないこと合わないこと。
佐藤健の声は、竜だから何とか聞けるものの、14歳?の少年の声には全く聞こえない。
何よりも玉城ティナが酷すぎる。
高校生の声にも、学校のマドンナの声にも聞こえないし、違和感しか覚えなかった。
おばさん軍団も酷いし、途中途中の、明らかにゲスト声優です!っていう大衆の声、コナン君の劇場版に必ず出てくる棒読みの子供達みたいな下手さ。
学祭の出し物で作ったんじゃないんだから、みんなでワイワイ出したい人出せばいいってもんじゃないんですよ。
とにかく、批判の的だった理由が見た事でしっかりわかりました。
他の皆さんも言っているように、ガッカリです。
時かけ、サマーウォーズの感動を返してよ。
脚本くらい誰かに書かせましょうよ。
もう前作共々の大批判でいい加減気付きましょう。
どれだけファンの期待を裏切れば気が済むのか、今後も楽しみにしておくことにする。
歌はよいけど
やっぱりすずが1人東京に行くシーンで???となってしまってそれが終盤なので、全体の印象としてもいまひとつになってしまったけど、中村佳穂の声も歌もとても良かった。虐待?されてた子たちは初め外国かなと思った。探し出すのはもっと難しく描いて欲しかった、難しいけど工夫して、みたいな、、それで見つけたものの外国で、実際に会いに行くのは難しくて、でもなんとか遠隔でどうにかしてどうにかなって、数年後初めて出逢うというのがいいなぁ。すずのその後も気になるし、川縁でみんなで喋って一件落着感だったのもうーんと感じた。ベルがどんどん有名になってライブをやるまでになる過程はもう少し詳しくみたかった。
安定の
サマーウォーズのさらに近未来化したような設定で楽しみにしていました。
心を閉ざした竜が誰なのか気になって探るのだが、心を開くまでの道のりが少し美女と野獣に似ているな〜と思った。
周りのキャラクターも毎度ながらキャラが濃くて見ていて楽しかった。
終盤、アンベイルした後、少し緊張しているような不安が残る歌声だったのがBellの姿に戻るとそれが無くなったように感じて凄かった!
Uは何するところなの?
タイトルの通り、終始頭にあったのはこの疑問でした。
ベルがライブをしていましたし、他にもベルが現れる前にスターがいたようですが、Uはライブをするところ?ライブ以外の時はみんなは何してるの?あの大名行列のように行き交ってるだけ?
みんなはただ行き交ってコメントしてるだけなのに、竜はなぜ家(城)があるの?
メタバースというにはあまりにもすることがない世界に見えた。せっかく本人の感覚とシンクロまでしてるのに、さほど意味がないような…
そもそも若い方向け映画なのかもしれませんが、Uの存在がよくわからないので入り込めなかった…
あと竜とベルの下りは完全に美女と野獣でした。オマージュとのことですが、もうちょっと別のひねりがあっても良かったのでは。
有能すぎるお友達やイケメン幼なじみなど、すずの置かれている環境が都合良すぎてこれまた?です。
良い点としてはヒロインの吹き替えの方、セリフはイマイチでしたが歌がとてもお上手でした。
全体通して私には今時すぎました…
雰囲気と歌に騙される
まずUの中に入りたいと思わないほど質素なコピペビルが乱立してる中での話、最初からワクワクできないし多分他の無駄な要素にお金を使いすぎたんじゃないのかって感じ。
序盤の世界観の説明ももう少ししっかりしてほしい、少し置いてけぼりな気分で見なきゃ行けない、
置いてけぼりの中で重要なのか重要じゃないのかわからない会話シーンが多いから話が全く入ってこないし、名言を作ろうってのが見え見えでうすら寒い。
いくら歌がうまくても同時視聴で二億人ってのは無理があるけどまあ映画だからそんなもんかで流せるが、竜の正体を探そうってみんなが血眼になるほど探すには理由が乏しすぎない?
竜のことを何もわかってないのにわかったつもりになった主人公が慰めて歌う感動シーン(笑)は共感生羞恥が働いたのでコップに水を汲みに行った。
終盤はまあまあ面白かったがラストは良くなかった。
説明とか伏線回収とか"分かり易さ"を求める観客の多さよ。
最近、説明過多の「甘やかし作品」が多いからなんだろうけど、説明のない箇所を欠点としてレビュー・批評している人が多すぎて、残念。
物語の本筋はきちんと分かりやすく描いてるし、そしてテンポが素晴らしい。終始引き込んで離さず勢いのまま駆け抜ける。これこそ細田監督の真骨頂。と思う。
セリフやナレーションで意味を説明せず、繊細な表情から心情の機微を読み解いたり、片足を失う犬を飼っているシーンも弱ったものをほっとけない鈴(母?)の性格がそこで垣間見えたり(←あくまで個人の主観)、観る度新たに感じる各キャラクターの心情が、また観たいわくわくに繋がっていく。
特に、表情の繊細さでは、殴ろうとするDV父に立ちはだかる鈴の目と口。残念なものを見る諦めの目でありながら信念を持った目でもあり、そして、食いしばることのない口が恐怖を感じていないことを表していて、おそらく亡くなった妻が子を守るときにこういった表情で見据えていて、それを彷彿とさせたことでDV父は腰を落としたと読み取れる。
理解できないことは作品のせいにせず、分からないなら想像したら良いし、何度も観ればいいと思う。
原作小説がある作品なのだから、2時間にまとめつつ、そちらにも忠実でなければいけない。想像で補う部分が多いのは当然。
むしろ想像こそが本来、物語を観る楽しみであるはず。
SNSで"わかってない"感想が可視化されたから
一層説明の多い作品が増えているのだろうけど
観客の幼稚化を助長する作品が増えず
わかる人だけわかればいい、と、クリストファーノーランくらい、観る人をバタバタ置いて、振り払っていき、想像力を育む難解作品が増えることを願う。
分かりやすい=面白い、ではない。
分からない=星の数にしないでほしい。
監督の業とテーマが解離してる
今までの細田作品を見ていると、細田守は「小さな男の子に憑依してお姉さんによしよしされたい」というある種のオネショタ願望に突き動かされていると私は読んでいる。
しかも、自分が憑依するショタキャラの方の造形にどうしても力がはいりがちであるように思う。
今回、その細田守の業ともいえる部分が、とってつけたような児童虐待によって描かれているので、なんだか体重ののったパンチが放てていない感じがする。
背景のうつくしさや、ディズニーの美女と野獣に真っ向から喧嘩を売る3D作画とか、ものすごく力が入っているしスピードもある。歌もいい。オシャレ。歌オシャレ。
でも、作品を通して体重がのってない。
ノックアウトされなかった。
結局のところ、竜はベルのソウルメイト的なモノ
アマプラで鑑賞。かなりの酷評が多く最初みるのを躊躇ったが無料なんでながら作業で観る事に(でもしっかり見ました)。
確かにストーリー的にクビを傾げたくなる展開がチラホラと出て来て、最後の兄弟探しに至っては余りにお粗末な展開であっという間に居所を突き止めるところなんかは「ハァ???」って感じだったが、まぁ〜無料だから良いやって思えるラインだった(コレ、お金払って見た人達からしたらブチギレるのは当たり前だなぁって思う)。
それと、竜とベルの関係って、結局の所は兄弟的なソウルメイト関係なんだなーと思う。観る前は恋愛趣向が強いのかなとか思っていたけど実際は全く違うと分かり、正直ホッとした(美女と野獣を彷彿とさせる〜と言うレビューが多かったので、観る前まではそんなイメージがあったが、実際観てみると個人的には美女と野獣のイメージは感じられなかった)。兄弟と三人で抱き合いながら好きだと軽々しく言ってるし(その前に信用出来ないとか散々喚いてたくせに、助けてもらったら好きだとか会いたかったとかよくも言えたなと)、なーんか取ってつけた流れがイマイチ。
寧ろ、成田凌の役の幼馴染と互いに何を言わんとしていたのか?が結局最後までキチンと言及されずに終わったのが気持ち悪い(恐らく、ただ単に成田凌的には主人公がベルだろ?って言いたかっただけなんだと思うが、主人公の性格がウジウジタイプで車が態とらしく通り過ぎて聞こえなーい&主人公フェードアウトで有耶無耶に終わる流れが今どき面倒くさいパターン)感じで、二人は恋愛的に上手く行ったのかどうかも怪しい。
時をかける〜、サマーウォーズを観てきて思うが、私はこの作者のドタバタ騒動アニメがどうも性に合わない。まぁその中でも時をかける〜はまだ良かったが(古い方の原作観てるしファンだし現代版との違いとして楽しめたので良いかなと)、それでも他の二作品を含め総合的に観ると余り落ち着かない感が強い。
この作品の見どころはたった一つ、中村佳穂の歌声である。正直映像はそこまで良いとは思えない。
ベルも含めて別段可愛いや突出してカッコいいとか魅力的だと思えるキャラクターが存在しないから。
それと、ヒロちゃんとか言う子は今時の毒舌眼鏡隠キャリケジョなんだろうけど、この手のキャラって最近どのアニメでも出て来て食傷気味で飽き気味。取り敢えずこの手のキャラ出しとけは世間受けしそうとか思ってんのかなぁ?正直口の悪い眼鏡ブス位にしか思えないのでいい加減、こう言うキャラはとっとと淘汰されて欲しいなと思ってる位なんだけど。
お父さんとお母さん
お父さんとのギクシャクした関係、人を助けようとしたお母さん、足を怪我した飼い犬、大きな屋敷に住む理系の親友、美しい女友達、すずを見守るしのぶくん、一人でカヌーを操る男友達、すずを見守るおばさんたち、虐待されている兄弟、Uの世界で自分勝手な正義を唱える輩、そして何よりベル…訳ありで魅力的な登場人物が多いのに一人一人の背景がぼんやりしていて物足りない。
深読みせずに流して鑑賞できれば良いのですが、それぞれの目線からのスピンオフ作品を観てみたくなります。
映像美、歌唱は圧巻。ただ詰まらなくもなければ面白くもない。
細田守版「美女と野獣」
流石に映像、キャラクターのディテールは美しく、劇中歌も天才、プロ達が奏でるだけあって圧巻。
ただやや脚本がこれまでの細田作品と比べると粗が目立つかなという印象。
ベル/すずが竜を気にかける理由があまりよく分からず、心を通わせる描写もちょっと薄い。終盤にかけて何かと説明が足りないので
もの足りず感じる人にも同感。
終わりの方が、うーん。
ベルの歌声は綺麗だったし、仮想世界のお話も好きなので楽しく観れた。
ただ最後のくだりがあんまり納得出来なかった。
松山から東京の知らない場所にひとりでいくかな?
土地勘もないのに、そんな運良く外に出てた兄弟に会えるかな?なんで外に出られたの?
あんな虐待してた人が急に弱腰になって逃げ出すかな?
会えたから、もう大丈夫っていうのはドラマすぎる。
あの後、本当の解決は出来たのか謎に思う。
ちなみに。私は途中まで、竜の正体はすずのお父さんなんじゃないかと思ってた。娘に話しかけても避けられることに傷ついたお父さんが、、みたいな笑
お父さんに非はないのにあんなに拒否されるのはかわいそうだなと思った。あとワンちゃんの足が怪我してるのはなんかあったのかな?
自分が良いと感じたのならそれで十分では
映画を見た後に本サイトで皆さんのレビューをさっくり確認させていただきました。思ったより評価点が低いと感じたからです。
総論としては「歌と映像は素晴らしいがストーリー展開、特に終盤で賛否が分かれる」ということのようでした。
後半を説明不足と見るか表現の余白と見るかは人によって異なると思いますが、
作品は文芸であって家電の取り扱い説明書では無いのであるから読み手が読み解く要素があってしかるべきではないか。というのが私の結論です。
いくつかの要素が最終的に説明が無いまま提示されています。自分としてはそれらは製作者から渡された読み解きの鍵ととらえています。
(竜の城にあったひび割れた写真、忍と合唱隊はBelleが鈴であると気づいていたほか)
見解が分かれている疑問について個人的な見解を記します。
・恵(竜)の自宅の場所は特定可能なのか?
ビルの正面と側面の面積比が映像の通りになる方角は一箇所しかない
室内の物品から窓の大きさは推測可能であり窓に映り込んだビルの大きさから三角測量原理でビルからの距離がわかる。方角と距離の交点が当該場所となる。
高知には後方支援部隊がいて(ヒロとしのぶ)逐次計算結果を伝達したのではないか。
・なぜ鈴一人で出かけたのか?
この事案は中州に取り残された子の救出の投影であり自分が追体験することで長い間の疑問に自ら答えを見出すためだった。
未成年者の単独行動にはリスクが伴うため、あるいは父親が隠れてついてきていたのかもしれない。合唱隊から情報は入手可能であり描かれていないだけで可能性は否定できない。鈴のスマホは父親が与えたものであろうしMDM(位置情報確認)が入っていてもおかしくはない。
・男親の行動には違和感がある?(鈴父もも恵父も)
配偶者の喪失は大人にも影響を与えると考えるべきではないか。
・恵(竜)の父は鈴を見てなぜ狼狽したのか
全くの個人的な解釈としては次の通り
恵の母は夫とのトラブルにより自ら死を選んだ、それを憎んだ時期に恵が写真を傷つけた。恵の父は子供たちをを守る鈴の姿に亡くなった妻を見たのではないか。
この作品は2時間1分の映画部分だけでなく、視聴前後も含めて評価すべきかと感じました。
頭がお花畑な人におすすめ!
2021年7月16日公開。
「未来のミライ」に続く細田守監督作品の第六作です。
結論からしてよく分かりませんでした。
サマーウォーズで見飽きたバーチャル空間のアイディアに、どこかで見たようなキャラクターやストーリー、世界観、棒読みのセリフ、全てが退屈でした。
ファンタジーが大好きで頭がお花畑な人々にはおすすめでしょう。最高傑作を語る方々に、面白さ、そしてこの監督の良さを聞いてみたいです。声優の感情の籠らない渇いたセリフ読みも個人的に苦手です。
良かったとすれば、中村佳穂さんの歌ですね。これはサラウンドに包まれたので映画館で観て良かったですね。
画質、カット割などは二の次で良いので、ストーリーにもっと重きを置いた方が良いのではないでしょうか。
ごめんなさい。まったく面白くなかったです
レビューを見ず割と期待して見ていたんですが全く面白くないです。ストーリーはガバガバだし、伏線は回収しないし、ベルがどうしてあんなに竜に執着するのかさっぱりわかりません。期待してたぶん残念でした。
全1492件中、121~140件目を表示