「托卵(たくらん)を人類に置き換えた、こわ~い話。」ビバリウム Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
托卵(たくらん)を人類に置き換えた、こわ~い話。
「ビバリウム」(原題:Vivarium)。
とてつもなく気味悪いけれど知的な面白さがある。マトモな人なら困惑する映画だが、それは大自然に対する人間のエゴイズム(利己主義)なのかもしれない。
動物の托卵(たくらん)習性を人間に置き換えた実験的な作品。
新居を探すカップルのトマとジェマが、挙動の怪しい不動産屋に紹介された"Yonder(ヨンダー)"は、同じ形、同じ間取り、同じ色の建売住宅が並ぶ不思議な住宅開発地。案内された"9番の家"を内見していた2人が気付くと、近くにいたはずの不動産屋の姿が見えなくなっていた。
帰ろうとした2人がクルマを走らせるが、どこまでも続く同じ形の家。迷い込んだ2人が車を止めると再び"9番の家"の前。"Yonder(ヨンダー)"から抜け出せなくなったカップルの恐怖の生活が始まる。
毎日、食料や消耗品が入ったダンボールが家の前に届くが、いつ、誰が置いていくのかも分からない。そんなある日、ダンボールには赤ん坊が入っており、"育てれば開放される"の文字。
人間とは思えないスピードで成長していく赤ん坊に戸惑いながら、主人公たちとともに観客もどんどん精神崩壊の道連れになっていく。
この映画にフィクションとしての典型的なオチを求めることはできない。実際、先に述べたように単なる"托卵(たくらん)"の隠喩でしかないのだから。
"托卵(たくらん)とは、卵の世話を他の個体に托する動物の習性のことである。代わりの親は仮親と呼ばれる"(出典:Wikipedia)。
鳥類のカッコウが自分の卵をオオヨシキリの巣に托卵するようなもの。鳥類だけでなく昆虫や魚類でも同様の行為が見られ、自然界では特にレアケースというわけでもない。
自然界における人類は、動物の種のひとつに過ぎない。
もし人類に托卵を仕掛ける種がいたとして、それでも淡々と生活を続けるとしたら。
知恵を持つ人類は、"動物の頂点に君臨している"と勘違いしている。だから地球を汚し、傍若無人な行為に気をとめることもない。そんなことをこの作品は遠回しに警告しているのか。
カッコウの托卵については、"そういうもの"と理解してしまう割に、我々はこの作品の持つ隠喩に理不尽と思えるような混乱を受ける。
本気で、種の多様性を守るとしたら、すべての人間が生き残ることを前提とした自然環境活動さえも否定しかねない、こわ~いテーマだったりする。
(2021/3/13/TOHOシネマズシャンテ Screen1/G-10/シネスコ/字幕:柏野文映)