Mank マンクのレビュー・感想・評価
全65件中、41~60件目を表示
【『市民ケーン』を創作した、脚本家ハーマン・J・マンキーウィッツの生き様をゲーリー・オールドマンが流石の演技で見せる。MBM関係者を含め、『市民ケーン』創作に関わった人々の姿も興味深い作品である。】
■『市民ケーン』のモデルと言われる、ウイリアム・R・ハースト(チャールズ・ダンス)の愛人であり、女優でもあるマリオン・デイヴィスをアマンダ・セイフライドが華麗に演じ、敵対する筈のマリオンと、マンクが不思議な友情で繋がれていく過程が良い。
彼女とマンクの月夜の噴水の傍でのロマンティックで粋な会話。
ー マンクは、マリオンが出演する作品が10作以上ヒットしていない事実と、彼女自身が女優としてはすでに終わっている事を自覚しつつ、ウイリアム・R・ハーストの愛人になっている事を知っているのである・・。-
■効果的な回想シーン
・1933年のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MBM)の創始者の一人、ルイス・メイヤーの48歳の誕生日のシーンから始まり、
・彼が、MBMの従業員、俳優たちに給与を半額にすることを”依頼”するシーン。
・ウイリアム・R・ハーストについて本を書いた”弱者の視点に立つ”アプトン・シンクレア”がカリフォルニア州知事選に民主党から出馬し、MBMが推す共和党の”フランク・メリアム”との選挙戦を”MBM関係者たちの会話の中”で、伝える手法も良く、
・1936年、アーヴィング・タルバーグの葬儀のシーンも、アメリカ映画史の一区切りがついた・・、という象徴的なシーンとして使われている。
<反権力の思想を持つハーマン・J・マンキーウィッツが、保守的思想が蔓延る当時の映画界の中で惑いつつも奮闘する姿を、ゲーリー・オールドマンが流石の演技で見せる。
常に弱者の側に立ち、温かき心を持ち、”不器用”に生きたマンクが、自分の意志を貫き、『市民ケーン』により、アカデミー賞脚本賞を獲得した生き様に魅入られる。
現代社会への皮肉、警句も感じさせる作品でもある。>
凝ってはいるが面白くない!!
女とくっちゃべったり、屁理屈をこねたりして、やるべき事が全然進まず退屈です。と思ったら脚本は仕上がってたりしてポカーンとなりました。時事は雰囲気だけは出ていたと思います。凝ってるが特に面白くはない、いつものフィンチャーだと思います。
モノクロ映え
ハーマン・J・マンキーヴィッツって何者か知らない人には、ずいぶん政治色の濃い作品だと思ったと思う。
しかも市民ケーンってなんじゃいとなったら、
もうこの作品の7割がた意味不明なのかもしれない。
しかしDフィンチャーがNetflixで敢えてのモノクロ作品で表現したかった理由もそこにある気がする。
これ上映作品だったら、2週間で打ち切りになるレベルだったかもしれないw
それほどにコアな人向けの作品ではあるが、
やはり元々CM監督だっただけのことはあり、
映像の美しさ、カット割りの絶妙さだけで、
私は十分に満足してしまう。
モノクロなのに、カラーよりも極彩色とでも言うべきか...。
消音でずっと流し続けていても映える作品。
かつてのハリウッドは色と政と薬がぜんぶ揃った世界だった。
まさにそんな時代背景を鑑みるなら良い作品だと思う。
ウィキペディア
ハーストは今となっては市民ケーンのモデルとして名が通る人な訳で、暴露本作家の勇気はその結果を今に伝える。オーソンウェルズの扱いが酷いが。
映画を見ながら携帯を触るのは御法度だとは思うのだが、ウィキを読みながら見ないとさすがにつらい。それを許容する意図があるのかと思うほど説明がない。
むずかしい…
「市民ケーン」を予習してから観賞しましたが、やはり難しく、正直面白く感じられるほど理解が出来ませんでした。
時代背景や人間関係などの前提知識が無いと厳しいのかもしれません。
でも映画文化の一つの大きな転機とエピソードを知ることが出来て良かったです。
デヴィッド・フィンチャー「Mank マンク」を観る。社会主義者アプ...
デヴィッド・フィンチャー「Mank マンク」を観る。社会主義者アプトン・シンクレアの存在が重要な位置を占めているんだけど、この映画はイデオロギー的な事より、生きていく上での理想を追及することの重要さ、そしてその理想を追求することを許さないハリウッド、社会へのフィンチャーの怒りの表明なんじゃないかな
配信向きかも
ずいぶん昔に『市民ケーン』は観たものの、うろ覚えだったから色んな資料やwikiまで読んでから劇場へ観に行きました。
ドキュメンタリーではなく物語になっていて、オーソン・ウエルズとマンクの対決シーンは最後の方にわずかだけ。
ケーンのモデルになったハーストはもちろん、MGM創始者ルイス・B・メイヤー やウエルズの盟友ハウスマンまで登場し、1930年代ハリウッドの妖怪たちのえげつないキャラクター性や、映画制作の闇の部分を描いていく。
基本的にフィンチャーらしい会話劇。
すごい出来なのは間違いないが、会話の内容を理解しきる間がなく次のシーンへ移るため、確認のためにもう一度観たくなる。
配信やビデオ向きかも……ってネトフリ作品だった。
理解するならリテラシーも必要だが、映画の完成度は今年ベスト級で、内幕物や群像劇としても楽しめる
1941年の古典的名作映画『市民ケーン』をめぐる制作秘話的な内容だが、脚本家のマンクの皮肉屋だが愛敬もある姿と新聞王ハーストとその妻マリオンとの友情と別れを中心とした群像劇としても楽しめる。
1930年の大恐慌も格差も今のアメリカ社会と地続きなのを、鮮明にしている構造なので、その周囲に興味や知識がないと半分ぐらいしか飲み込めないことや『市民ケーン』関連の知識が無いと分かりにくい部分が多々あるのが難点だが、映画好きのアメリカ人なら判る範囲なのだろう。たぶん。
全編を最新のデジタルカメラを使ったモノクロ撮影で行い映像も、陰影が深いのにも関わらず暗部の調子やディテールが残っており最先端の技術を見せつけられる。
キュアロン監督の『ローマ』などでもALEXA 65ミリの大型撮像素子を使ったデジタルカメラでのモノクロ撮影をしているが、あちらは、硬質でパキっとした透明感の強い仕上げに目を見張るがこの作品は、陰影もあるが柔らか目で時折、赤外線フィルム調の場面も有ってこちらも素晴らしい。
撮影カメラが、発表当時からRAW撮影が得意で、スチールカメラの発展型動画カメラとして話題になったREDのモノクロ機を使用して、そのポテンシャルをフルに使っているのだろうと思う。
フィンチャー監督は、デジタル撮影を以前から推進しており、多くの作品でREDを使っている。
8Kで撮影された本作をNetflixの配信で観てしまうのは、残念だが8K画質のポテンシャルを発揮できる上映環境が近場に無いので仕方ない。(ちなみに自分は5Kの液晶モニターで鑑賞)
特にマンクとイギリス人タイピストが屋外で会話する場面の背景は、赤外線写真の様なテイストで美しい。
しかし面白いのは、当時の映画の雰囲気を出す為か、冒頭からフィルムにあるシミの様な黒点をワザと入れたり映写フィルムの交換を知らせるチェンジマークのパンチを所々表示したりと凝った仕掛けも見受けられる。
フィンチャー監督もアナログ撮影に拘るノーラン監督とは違う方向からシネフィル振りを発揮している。
主演のゲイリー・オールドマンのなりきり振りは、正直アカデミー賞の主演男優賞を取ったチャーチルとダブるが、チャーミングな皮肉屋と道化の悲哀も見事に演じている。
アマンダ・ミシェル・サイフリッドが当時の偽りのスター女優マリオンの孤独と優しさも体現していて心に残る。
特にマンクと、月夜の庭園をデートの様に楽しげ散歩する場面や別れの場面での恋愛感情とは違う友情を感じさせるところなどが心に残る。
ハースト役のチャールズ・ダンスは、近年の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』時とは違う雰囲気で、存在感もあり監督が違うと、こうも役者は変わるのかと驚いた。
しかし『市民ケーン』を監督した天才オーソン・ウェルズは不思議な存在感と胡散臭い部分があり、登場場面は少ないが、画面をさらって行く。
そういえば、ピーター・ジャクソンの『乙女の祈り』やティム・バートンの『エド・ウッド』でもオーソン・ウェルズが虚実で現れて物語の推進力になるのは、多くのクリエーター達が、ウェルズの作品に魅せられいるからだろう。
全編に渡ってセリフも映像も気持ちいいぐらいにキレがあり、地味な話しなのに引きつけられる。
フィンチャー監督の実力の凄さを見せつけられ完成度は今年ベスト級だと思う。
回想場面の多さや理解するならある程度のリテラシーも必要なところは、評価が別れるかもしれないが、内幕物や群像劇としても楽しめる。
2021年1月追記
音声コンテンツのポッドキャストPOP LIFEを聴いていたら、映画音楽ライターの木津毅氏が、『Mank/マンク』に限らず近年の映画全体がハイコンテクスト化(文脈)して知識が必要になっていると指摘されていたのは納得。
批評家や一部見巧者には評価される本作だか、レビューサイトだと今一つ評価されていない印象なのは、その前提となるアメリカの歴史や映画文学の知識が解らないと理解し難いのと面白くも無い側面もあり、その側面があまり先鋭化すると娯楽を求める人には、敷居が高くなり大衆娯楽としての映画の衰退にも繋がる恐れがあると思う。
40代の男の振る舞いを教えてくれる映画です。
あえて少数派として逆張りで生きる。
自分の信じるものに投資する。
いい女と仲良くなれるように頑張る。
自分の働きたい時間で働く。
よそ見して運転する人とは付き合わない。
現場に飛び込む。そこが修羅場になろうとも。
お金に困っている人には助けてあげる。他人のお金でも。
ゲイリー・オールドマンという色彩
『市民ケーン』をきちんと観たうえで鑑賞。
デヴィッド・フィンチャーの一番の特色と言えるサイコ的なサスペンスフル要素はないけど、個人的にフィンチャー作品の中では上位に来るぐらい面白かった。
前に『ゾディアック』の感想でも書いたけどフィンチャー作品の「憂鬱な胸糞さ」が苦手で後半の方は疲れきってしまうのだけど(そこが面白くもあるのでつい観てしまうのだが)今作は後半にいくにつれて面白くなり気が滅入ることなくサクサク観れた。
正直に言うと当時のハリウッドの背景などほとんど知らないし、登場人物が覚えられなくて、「誰だっけ?」ってなった(フィンチャー作品では毎度のこと)けど、あの毒とユーモアを織り交ぜたセリフの言い回しがすっごい面白くてハマった。
フィンチャーはスリラーもいいけど、皮肉に満ちた作風が個人的には好きだったりする。
それとゲイリー・オールドマンの圧倒的な佇まいに見入ってしまう。
彼がモノクロ画面に色を添えていたような感覚でゲイリー・オールドマンだけでも観ていられる気がした。最後に本物のマンクさんの映像が流れるのだけど、劇中の姿を瓜二つ過ぎてビックリした!「あれ?これって実際の映像じゃなくて映画用に撮った映像なんじゃないか?」と錯覚してしまうほど。
というか最初ゲイリー・オールドマンが何処にいるのか分からなかった。
自分の中ではゲイリー・オールドマン=ダークナイトトリロジーの刑事役だったから見た目が違いすぎて気づかなかった。
役作りが凄まじい!
これを観て確信したのは「現代で撮った白黒映画」は何故かハマるということ。
『ROMA』とか『異端の鳥』だとか…
滑らかな美しいモノクロ画面は妙に説得力があって感銘を受けてしまう。
では最後に1番好きなセリフを。
「映画というのはな、ここと、ここと、ここで感じるもんだ。」("ここ"が何処かは観てのお楽しみ)
知識不足
飛び交う
機知や風刺に富んだセリフ
おそらく有名な文化人や著名人の名前
私は、オーソン・ウェルズしかわからない
でも
フィンチャー作品
何度
そう
何度集中力が途切れ
スマホに手が行こうとも
今日の食事に思いを馳せようとも
最後まで観ようじゃないか!
悪いのは、
私なのだから。
フィンチャーは現代のウェルズ?古き良き自分の罠にかかる共作・共犯関係!!
(FLASHBACK) 40年代の現在と30年代の回想が入り組んだ語り口を突破口に、テンポ良く時にコミカルに昔のハリウッドを描く。その中で冒頭ではうだつの上がらないアルコール依存症の中年脚本家が、徐々に積み上げていき、後半からと相手の本拠地に乗り込む圧巻の終盤にかけてただ一人反骨の象徴としてヒーローに見えてくる。昔らしいゆっくりとした暗転に、丁寧に右上のチェンジマークまで。映画史上屈指と名高い傑作『市民ケーン』のモデルとなった人々ウィリアム・ランドルフ・ハーストとマリオン・デイヴィスとの出会いから執筆中・後のあれこれまで、脚本家ハーマン・ジャコブ・マンキーウィッツを中心に描かれる。
NETFLIXとの4年間との独占契約を結んだのも記憶に新しい完璧主義フィンチャーが父の脚本を、同業者からの支持リスペクトも厚い名優ゲイリー・オールドマンをタイトルロールに、アマンダ・セイフライドや、白黒で見るとより一層オードリー・ヘップバーン味のあるリリー・コリンズを起用した見応えあるドラマ。正直、長年愛されてきている傑作『セブン』『ファイト・クラブ』といった作品群に比べるとまだ愛着も取っつきやすさも覚えていないが、撮影や編集、衣装美術など技術・裏方的な部門でもストリーミング作品としてはよりインパクトあるアカデミー賞大量ノミネートもあり得そうな各種方面での充実っぷり。そして映画の魔法は意識的に起こそうと思って起こせるものだと証明してみせた。遂に、やっと見られた!
60日とパスタ「タイプの音が聞こえないぞ」なぜかZ
個人的にはいろいろとダメだった
マンクがいかに「市民ケーン」の脚本を書き上げたのかを描く物語。
「市民ケーン」を観た記憶なんてほとんど残っていなかったから、事前にネットにあったネタバレ解説を読んで臨んだらそれが大正解だった。
ケーンのモデルとなった新聞王とマンクの因縁を徐々に明らかにしていく流れなのだが、それが市民ケーンと同じ構成。オマージュもあった(自分が気づいたのは少しだけ)し、裏話的なエピソードもあったりする。だから好きな人にとってはたまらないのかなと思いながら観ていた。
後半盛り上がるはずなんだが、後半も退屈だった。話し方とか内容が個人的に受け入れられなかったからなのか。もっと面白いのかもしれないのにと思いながら、それでも退屈だなと感じてしまった。不思議な映画だった。少しだけ自己嫌悪。
市民ケーン脚本家の半生を市民ケーンの演出で…
市民ケーンと言えば、ベスト映画ランキングの王座に君臨する大名作である。現在と回想シーンが入り混じる脚本、撮影手法等が当時革新的であり現在に至るまで色々な映画に影響を与え続けている。
もちろん本作Mankの監督であるデヴィッド・フィンチャーも色濃く影響を受けており、監督作ソーシャル・ネットワークは現代版市民ケーンと評されるほどである。
Mankは脚本家ハーマン・マンキーウィッツの半生を市民ケーンの構成で描いている。市民ケーンの脚本を書く現代パート、
MGMスタジオ時代の回想パートが入り混じり物語が進んで行く。
ただ、最後は対になっており市民ケーンは権力に溺れ、バラのつぼみと言い残し孤独な最期を迎える。が、マンクのもとには様々な人が訪れる。そして彼は最後にアカデミー脚本賞という花を咲かせる。
感想としては、思っていたほどグッと来るものがなかった。時代が古すぎて引っかかる物が少なかったし、白黒画面はやはり平坦に感じた。ハリウッドの懐古趣味に浸るのも良いが、もっと未来を見てほしい。
ただ、市民ケーンは新聞王ハーストの近くにいた者が自分の身を切る思いで書いた物凄い熱量の作品だと知ることができて良かった。特にマンクが脚本クレジットに載せるようオーソンウェルズに頼むシーンは良かった。
『市民ケーン』に憑りつかれた者たち
『ソーシャル・ネットワーク』で『市民ケーン』のような作品を撮ったデヴィッド・フィンチャーが、今回は完全に『市民ケーン』を撮ってしまった。
フィンチャー作品といえば、怒涛の対話劇と圧倒的な情報量がウリだと思っているが、今回はまさに“全乗せ”状態。特にハリウッド黎明期の小ネタを随所に盛り込んでるので、ルイス・B・メイヤーだとかアプトン・シンクレアだとかマルクス兄弟とか言われても、知らない人には全く分からないと思う。
そういう意味でフィンチャー作品は、一見さんお断りなところは無きにしも非ずだけど、それでも観てしまうのは、やっぱり「デヴィッド・フィンチャー」というブランドが確立されているから。
ウィンストン・チャーチルを演じた時は肉襦袢を纏っていたゲイリー・オールドマンが、本作ではチャーチルを彷彿とさせるでっぷり体型を造っていて驚き。クライマックスでの大演説は白眉。彼はもう個性派俳優ではなく「名優」の肩書を纏ってしまった。
また、オーソン・ウェルズ役の俳優が実に本人そっくりだったり、『仁義なき戦い』の金子信雄扮する狡すっからい組長を思わせるルイス・B・メイヤーの面の皮の厚さなどニヤリとするシーンもあり、フィンチャー作品の中でもコメディ色が結構強いかも。
ゲイリー演じる脚本家マンクは、権力を持つ者の意向一つで製作体制が変わるハリウッド業界に抗うフィンチャー自身。そんな彼が、自由な製作体制で映画が撮れるNetflixを選んだのは自然の摂理なのかもしれない。
今回は先行劇場公開で観たけど、これだけ情報量が多いと、やっぱりこの作品は自宅とかでじっくり観られるNetflix向きなんだろうな。
パワーゲーム
もっと芸術性の高い内容かと思いきや、極めて政治性の強い内容だった。
ひたすらパワーゲームを見せられた感じですね。
余談だが、あれだけ毎日酒浸りになれば早死にするわな・・残した作品は1級かもしれないが、人としては好きになれない。
全65件中、41~60件目を表示