ミッドナイト・スカイのレビュー・感想・評価
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SFだけれど、静かに進んでいくヒューマンドラマ。きっと原作を読めば...
タイトルなし(ネタバレ)
北極圏に残っているおじさんは
なぜ残ったのか気になりました。
ストーリーがバラバラで
パズルのピースが繋がらない。
おじさんは、持病を抱えているのに
頑張っているのに。
艦内のシーンになると、ヘラヘラしてて
その後に緊急事態のアラームがなる
通信レーダーを治しているとき
指示を出す人が歌を歌い始め
宇宙空間に行って修理してる人の
注意散漫に繋がったと思われる。
早く修理して、戻りなさいと思いました。
予想通り、一人怪我を負って助かりませんでした。
だけど、感情移入できなかった。
その人のストーリーを知らないから。
登場人物の人柄が、パッとしなかった。
映画にイライラしても仕方ないですが。
1.5倍速で、所々早送りにして、見ました。
緩急を大袈裟に表現してる気がした。
わかりにくい
1北極圏基地と2宇宙船内と3男の回想が、交互に描写される。
1基地内は、髭のクルーニーと、少女がおもしろいコントラストだった。
2船内は、しょうじき何をしているのか、したいのかわからなかった。
3回想は、クルーニーの若いころ──と思われるのだが、別人が演じているので、誰の回想なのかがわからなかった。
結論から言うと、映画は失敗している。
上記の1、2、3が、三つ巴になっているが、連帯性がなく、北極と船内が別の映画のような印象で進んでいく。
北極だけか、船内だけか、どちらかにすべき映画だった。
ただし、結論も言いたいことも、わかった。(と思う。)
以下は、わたしが個人的に把握したこの映画の構造/あらましであり、勘違いしている可能性はある。(ねたばれあり)
クルーニーは余命いくばくもなく、終の住処として、北極基地に残留を決め、地球への帰還途中にある宇宙探査船アイテルとの、通信を試みている。
なんらかの汚染によって、地球は壊滅し、僅かな生き残りは地下にいるだけであり、探査船アイテルが降り立てる地表は存在しない。
だから、きみたちは帰ってこられない──と伝えるために、通信を試みている。
状況から把握できるのは、地球での汚染が進む段階のどこかで、地球型惑星(人類が引っ越すことができる新天地)をさがす探査船アイテルが組織/出発したこと。+今、かれらが、それ(新天地)を見つけ出し、報告するために地球へ帰還途中にあること。である。
残された地表は北極圏基地だけで、そこに、いわば地球最後の男(ジョージクルーニー)が露命を全うしようとしている。
が、たまたま基地に置き去りになってしまった少女に出会う。
ただし、その少女には、なんとなく、不釣り合いな「身ぎれいさ」=非現実感があるため、クルーニーの幻想落ちではなかろうか、──の気配は感じた。
が、しかし。
冒頭で、娘がいなくなった──と狂乱している母親の描写があった。
だから、その「娘」が、取り残されてしまった少女であろうと、とりあえず、思った。
が、しかし。
じっさい少女=アイリスは、幻想なのである。
死にゆくクルーニーが見ているイマジナリーフレンド──なのである。(と思われる。)
が、しかし。
イマジナリーフレンドの少女アイリスは男の娘であり、しかも探査船アイテルには、成長したアイリスが乗っていて、父娘で最後の通信をする──構造になっている。(たぶん)
その構造に+して、探査船内のドラマがある。宇宙嵐によって女性クルーの死があり、また汚染した地球へ、それが自殺行為と解っていながら、家族や仲間への思いから、突っ込む男性クルー(2人)もいた。
さいしゅうてきに船長とアイリスだけが残ってどこかへ向かっていく。終。
こまかいところかもしれないが、いったん、少女に生身の実体を与えるために=観衆をあざむくために、冒頭に、娘がいなくなったと叫ぶ母親の描写を挿入した──と思われるが、かえりみて、それを考えると、もっとスマートにできた気はした。
クルーニーが水没しそうになる描写と、女性クルーの事故死が、要らない。悲哀も訴求しているポイントも明瞭だが、見ている側としては、感動には至らなかった。
顕著な特長は、北極圏と宇宙船内の、別働隊な感じ。
確かに別に撮ったと感じさせる気配で、新型コロナウィルス禍下らしい(じっさいなぜかは知らないが)リモートな仕上がり。およびリモートな父娘の別れが描かれていた。と思う。
新型コロナウィルスが終わっても、元通りになること、ならないことがある。たとえば職場や学習では禍下でついたリモートの機器やアプリケーションや慣習が、あるていど継続されると思われる。一般庶民の家ごもり/中食/家呑み等もあるいていど継続/慣習化し、映画は、配信サービスでの公開が増えると思う。ネットフリックスやディズニープラスが映画を牽引していく気がする。
ところで、わたしが懸念していることは、マスクです。
人間社会において、これほど過ごしやすいアイテムはない。
いまとなれば、若い女たちが、平常時に、健常にもかかわらず、なぜマスクをしていたか、ぜんぜんわかる。
見た目において、これほど明瞭な意思表明をする『社会参加忌避アイテム』はない。
目深にかぶった帽子とマスクがあれば、全身全霊で「わたしはあなたと関わりたくない」を表明できる。サイコーです。
(むろんそんな心配をしなくともオジサンと関わりたいひとはいないが、そういうことではなく、たとえばわたしたちが住む街のような、狭い社会で、顔見知り/知人/友人を避けたいばあいに、声をかけないでくれ──というような意思表明ができるのがマスクなわけである。)
新型コロナウィルスが終わったら、マスクをせずに、外を歩かなきゃなんないわけだが、わたしには、もはやそれができる──自信がない。
ナイーブな感じ
ジョージクルニー監督主演。地球の滅亡に、帰還途中の宇宙船に知らせるため、1人残った博士。もの言わない少女もいた。宇宙船と北極とクロスするシーン。過去も交差して、静かに続いていく。クルニーの好みのスタイルなんかな?
滅びゆく宇宙船地球号
過酷な北極の自然、宇宙船アイテル、宇宙空間での緊迫した船外活動シーンなど、見応えが有りました。
薄い大気のベールに護られた地球の儚さ、その未来を危惧するジョージ・クルーニー( 独り宇宙船との交信を続ける科学者オーガスティン役 )の強い想いを感じました。
出来る限り永く、美しい碧色の地球であって欲しいと改めて感じました。
ヘルマン・ヘッセが『メルヘェン』で問うたテーマをなぞる『復活の日』ミーツ『宇宙戦艦ヤマト』フィーチャリング『アルプスの少女ハイジ』
2049年2月、地球滅亡が迫る中北極の基地に独り留まることを決意した余命いくばくもない科学者オーガスティンは基地の中に一人の少女アイリスを見つける。そんな折太陽系で唯一移住可能な木星の衛星K-23での探査を終えた5人の宇宙飛行士を乗せた宇宙船イーサー号が地球に向かっていることを知る。もはや地球に戻っても仕方がないことをイーサー号に伝えようとするが電波が弱過ぎて通信が届かない。より強力な通信設備がある観測所まで行くことを決意したオーガスティンはアイリスを連れて基地を発つが、その頃イーサー号にも危機が迫っていた。
『復活の日』ミーツ『宇宙戦艦ヤマト』みたいなお話ですが、SF小説『世界の終わりの天文台』の映画化とのこと。一言も言葉を発さない少女アイリスと接するうちにオーガスティンの頑な心が次第に解れていく様はほぼ『アルプスの少女ハイジ』。そんな既視感も手伝って、時制が前後する物語がばら蒔いていく小さな疑問が一気に開花するクライマックスに大いに泣かされました。これは原作にもあることなのかも知れませんが、アイリスという名前の他にも花に言及する台詞が散見され、イーサー号のレーダーが稼働するカットもまるで一輪の花が咲くかのよう。そのイメージが暗示する未来には『インターステラー』と通底する力強い生命の息吹が感じられます。そんな繊細な演出を披露した主演と製作も兼ねたジョージ・クルーニーの手腕に深い感銘を受けました。そして少女アイリスを演じたケイリン・スプリンゴールの天使のような愛くるしさは格別で、娘を持つお父さんは全員メロメロになることでしょう。
そして恐らくはこれがものすごく重要なところだと勝手に推測しますが、このお話の最も深いところに影響を与えているのはヘルマン・ヘッセの短編集『メルヒェン』収録の小品『アウグストゥス』だと思います。“誰からも愛されますように“という母親の願い通りの人生を歩むアウグストゥスに突きつけられる試練と魂の救済の物語はまんま本作と同じ。それは主人公の名前がほぼ同じであること、『メルヒェン』には『アヤメ』、すなわち“アイリス“という物語も収録されているので個人的には確信を持っています。
アイスランドでのロケ撮影による美しさと凄惨さを湛えた雪景色も印象的で、独特な外観とインテリアが特徴的なイーサー号のデザインも見事。こんなどこにも隙のないハードSFもシレッと製作できてしまうネトフリの破竹の勢いはまだまだ止まりそうにないです。娘を持つお父さんは是非ご一緒に鑑賞下さい。
明日はどっちだ by 矢吹丈(寺山修司)
始まりを見送る
人類の存続やら、地球の環境変化やら、大スペクタクルな映画でありながら、主役の老研究者の内省的な面がテーマだった。
広大な暗い宇宙に映える、美しさすら感じる様な精密な宇宙船の描写と、画面全てが白く染まる厳しい南極の吹雪は、その過ぎた静けさも、孤独感も、共有しているようだった。それは、老研究者と、その娘を、無線の会話以上に繋ぐ何かであるようだった。
舞台の背景は何も説明されない。ひたすらに静かで、何も押し付けられない。美しさと、厳しさと、父の想いに満ちた画面。それはとても心地よく、癒されるような気さえする。
終始モヤモヤする内容だった。
まず、この映画の設定として、世界が汚染されてほとんどの人類が全滅?したらしいがそこら辺の描写が描かれてないので、淡々と進む主人公を理解していくのに精一杯だった。せめて何が原因で何が起こったのかぐらいは説明してほしいかった。それに、突然小屋の周りの氷が割れるシーンを見て北極の氷が簡単に割れてしまうのか?という疑問を持ったし、そこで透析器具を失ってしまっては腎臓が悪い主人公にはそうとうダメージだったのではないかと思う。
そして、あの全く喋らない少女。そもそも事件3週間後まで幼女がどうやって生活していたのかが気になる。そして、たびたび回想で宇宙船に乗ってる女性と重ね合わせるような描写があったり、吹雪の中突然消えて突然現れるようすから、何となく主人公の幻覚?として少女がいるような気がして、そうするとほとんど喋らないことと合点がいく。
あと、最後の終わり方として、北極組、地球帰還組、惑星移住組と別れたところで物語が終了しているのだが、それぞれのその後がどのような結末になったのかがよく分からず釈然としない終わり方だったと個人的には思った。
全体的に荒かったり、ありきたりな描写が多かったのでなんとなく見ててドキドキ感やワクワク感が少なかったです。
劇場に行こうと思ってたらネトフリにあったw
最近ネトフリの映画多いね
内容はSF物で地上と宇宙と半々で展開される物語
地球上で何か事件(核戦争?)があり皆避難して逃げていく(宇宙に?地下に?)
かたや宇宙から地球に帰還しようとする宇宙船がある
ひとり残った人物が宇宙船と交信しようとするがうまく行かない
同じく取り残された少女と共に通信できる施設を目指す...といった物語
映像は綺麗で宇宙のシーンとかよく出来てる、キャストも悪くないと思ったけど...
何か物足りないって感じ
ネトフリ資本の映画結構そうゆうの多くない?
悪い物語ではないんだけどねぇ...
ただストーリーを阻害する要素もあったかなと思う
主人公が水に落ちたのにその後普通に大丈夫なところとか
喋れない少女が観測基地しかないような場所にどうしているんだ?とか
透析みたいな機械なくて大丈夫なのか?とかツッコミどころがある
船で宇宙空間なのに重力があるような状態になっていてよくわからんし
遠心力で重力に近い状態は出せても船につかまってなければならないよね?
あと宇宙空間で出血させてその血を浮かばすのなら
それに顔突っ込んで窒息しちゃうのやって欲しかったかな
ひそかに重力ない状態で浮かんだ液体は窒息させる可能性あるから
物凄く危険だと思うんだけど...
ジョージ・クルーニーが特殊効果もあるんだろうけど
すっごいおっさんになってたのには少し驚いたな
一緒に取り残された少女が可愛そうに思えたな
人生の最後あんなおっさんと一緒とは...まぁしょうがないかw
分かりにくい
最初から状況が分からなくて、
説明もないので映画に入っていけなかった。
現在地球がどう言う状況なのか、
人間はどれくらいいるのかも全く分からないので、
主人公の持つ危機感とだいぶ差があり
冷静に見れてしまった。
アイリスと言う少女とオチも想像の範囲内で
これと言って驚きもなく、
なんとも静かでつまらない映画だったなぁと言う感想。
船外の淡々とした作業をドラマチックな音楽を流す演出も
ここより大事な事あるんじゃないか?
と思ったり、僕の好みとは全く合わなかった。
もっとドラマチックにエンタテイメント出来る内容だと
思うのでただただ残念でした。
ジョージクルーニーも老けたなぁ。
今持ってる自然環境やら地球への危機感と
映画が本人の中でマッチしてるのは重々分かるけど、
もっと万人受けする作りにしてほしかった。
人類が絶滅しそうな時を、地球と宇宙船の二元中継的に描くSF作品です。もっと色々と練り込んで欲しい気がしました。
「これは面白そうな気がする」と、
観る作品を直感で決めることがあり
この作品は 「それ」 で鑑賞してみました。
直感が働いた事も確かなのですが
設定に惹きつけられるものを感じたこともあります。
その設定(というか粗筋?)はこんな感じ
・核戦争(?)で滅亡寸前の地球の人類
・移住可能な星を見つけ、地球に帰還途中の探査船
・地球に戻らぬよう伝えたい地球の科学者
・一刻も早く地球に戻りたい探査船クルー
地球では
核戦争か何かが起こり、人類が絶滅しそう
人々がどこかへ逃げ出す中
北極の天文観測所にひとり残る科学者
一方
地球を目指す探査船
木星の23番目の衛星が移住可能
その調査結果を持って地球への帰還の途中。
地球と交信しようとするも、どこからも応答が無い…
◇
地球上 と 宇宙船の中
それぞれで起こる事を交互に描きながら
物語が進行するのですが
・時代の背景
・エピソードのつながり
・登場する人物の過去や現在の立場
それがいま一つ
作品の中に出てきません。
そのため、全体を通して
伝わってくるものが弱い印象を受けました。
なので
「今何が起きているの?」
「何故そうなるの?」
終始そのような感じでした。
もっといい作品になりそうな予感があった分
その反動で、すごく残念な気分です…。
◇
観た後も残った疑問
・あの小さな女の子は幻影だったの?
・地球を破滅に追い込んだ原因は何?
・フェリシティ・ジョーンズのお腹の子の父親は誰?
・木星探査に行った目的は何?
その辺りをもっとしっかり描いて欲しかったです。
惜しいというか、もったいないな、と。
◇あれこれ
惑星探査船
デザインが印象に残りました。
近未来的デザインといえばそうなのですが
飛行中にパーツがばらけて飛び散ってしまいそう…
仏教の曼陀羅にも見えた金色のパーツ
何の区画なのかが気になる…
衛星から見た宇宙
空に浮かぶのは地球でも月でもなく木星
これもまた印象的でした。
北極の海
間違いなく氷点下と思われます
落ちたら数秒で凍死しそうな気が…
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
期待しすぎたかも
抒情的ではあるが、散漫な印象でもある。
ジョージ・クルーニーが全精力を傾けたというハードルの上げ過ぎの為か、イマイチだった。
回想シーンから、事情をお汲み取りくださいの方式で話が進むが、全体的に説明と台詞が少な過ぎる為、各登場人物達に感情移入がし難く、本来ならばもっと琴線に触れそうなところも特に響かなかった。
北極海に落ちるシーンがありましたが、あれじゃ速攻で凍死。
少女が幻影なのはありがちな設定で、予想もついたが、幻影なのに何で電気を消せたのか?とか、不思議というかディテールが甘くて残念な感じ。
宇宙でのアクシデントも、デブリや小流星にぶつかって、船外活動で修理中にクルー死亡と、ありがちで予定調和。
原作を読んでいないので分からないが、古い作品の為なのか、アイデア全てが使い古されている感がある。
小説としては面白いのかもしれないが、
現代の映画シーンの中では、意外性に欠けインパクトも欠けてしまっている。
全くおもしろくなかった
この映画を簡単に説明すると、北極の天文台に残った老科学者と木星往還船のクルーの女性は実は親子で、老科学者はその女性の幼い頃の幻覚を見ていましたって話。女の子が出てきた瞬間に直感的に幻覚なんだろうなとわかるが、途中、老科学者不在のシーンでも女の子が行動しているので、「あれ?」と思うが、結局は幻覚だったというどうしようもないオチが待っている。
地球に何が起きたのか説明はない。放射能汚染に言及するシーンがあるので、核戦争でも起きたのだろうけど、そこは視聴者のご想像にお任せしますっていうスタンスをとっている。
人物を掘り下げていないので、別の女性クルーが事故死するシーンや、家族思いの男性クルーが死ぬのを覚悟で地球に還るシーン、別の同僚の男性クルーがそれに付き合うシーン、果ては老科学者と女性クルーが実は親子であると判明する終盤の無線通信のシーンを見ても何の感興も起きなかった。ただただ冗長で、途中から見るのが苦痛になる映画だった。
映画人ジョージ・クルーニーが挑む映像面と感情面の充実
《アイリス》父と娘 --- 大気汚染によって地上に住むことができなくなった地球、その北極圏で帰還途中の宇宙飛行士たちに交信を取ろうとする。生命体の目撃、新作や最近全く表立った活動なく音沙汰無かった印象のジョージ・クルーニーきっとそれだけ入魂の一作。なんせ主演、監督、製作。作家主義的とも言うか、一歩間違えると眠くなりそうな語り口と静けさに満ちた映像美の中で、キャラクターにスポットを当てる。かと言って個性がすごく際立っているかは分からないけど、その分もじっくりと感情を積み上げていく様が何よりリアル。音楽がそこに添い遂げ盛り立てる。
思った以上にキャッチーさは無い作品だったが、嫌いでもなかった。不必要に説明しないスタンスも好き。それ自体は悪くないのだけど、緊張感の欠如は幾分かあるかもしれない。にしても無重力に舞う血液はグロすぎる。『ソラリス』『ゼロ・グラビティ』出演経験もあってか(?)、今回自分は地球にいるものも内向きな葛藤はお手の物。共演にはフェリシティ・ジョーンズ、デヴィッド・オイェロウォ、カイル・チャンドラーなど実力派。タイトルは原作小説原題『グッドモーニング・ミッドナイト』の方が好きだったな。花の名前、花の一つ。けど実際に作品を見終えると納得してしまう。
この星・世界を、人類を救おうと家族も顧みずに躍起になっていた男が、世界の終わりに娘を救う。対象こそ広いものも、ある意味では利己的だったとも捉えられなくもない男が己を捨て、他者のために動くような様、主人公の変化はディストピアものという大きな規模感に反する個人的葛藤で沁み入る。
That's too much blood...
誰かを救えると思った
金持ちが想像した孤独感!!
粗筋を読んで「北極での孤独」をどう映画にするのか期待したのですが、そういった要素は無く美人ばかり出てくる上、退屈で全く入り込めませんでした。見た目でごまかしていますが、内容のみならず音響もショボいです。
観終わってどこかホッとした穏やかな気持ちになる
ジョージ・クルーニーは現代という時代に相当な危機感を抱いているのではないか。2018年5月に鑑賞したジョージ・クルーニー監督、マット・デイモン主演の映画「サバービコン 仮面を被った街」のレビューの冒頭にそう書いた。本作品では危機感を抱いていた事態が現実になってしまった世界を描き出した。
世界に警鐘を鳴らしていたオーガスティン博士は、病気で自分の寿命が残り少ないことを知っている。終盤で宇宙船から見た地球の様子からすると、地上の殆どの場所は台風と砂嵐が居座っているように見えた。住める場所は北極と地下だけだ。多くの人は宇宙船に乗って旅立った。博士は、任務を終えて地球に戻ってくる宇宙船に引き返すように伝えるために北極の基地からたった独りで無線を飛ばし続ける。「NO」を伝えるためだけにか細い生を繋いでいるのだ。なんとも悲壮な覚悟である。アンテナが壊れてしまうと、幼いアイリスを連れて離れた別の施設に移動する。はぐれたアイリスを見つけたのはある種の邂逅であった。
一方の宇宙船には5人のクルーが乗っている。こちらもアンテナが損傷し、そのために悲劇が起こる。修理したアンテナでオーガスティン博士に交信できるのだろうか。ここにもある種の邂逅がある。ふたつの邂逅は偶然だったのか、それとも必然か。映画は観客次第でどちらにも取れるような選択肢を提示する。
深読みだろうとは思うが、オーガスティンはアウレリウス・アウグスティヌスから取った名前かもしれない。Augustinus(アウグスティヌス)の英語読みはAugustine(オーガスティン)である。アウグスティヌスは国家を否定した聖人として有名であり、吉本隆明の「共同幻想論」にも通ずるような国家観の持ち主であった。人間の支配欲が国家を形成していると言ったのである。支配欲が源だから、自国だけでなく他の国家も支配したがるのが当然で、戦争は愚劣な支配欲同士の堕落した現象だと看破した。紀元4世紀から5世紀にかけての人である。
本作品がアウグスティヌスの世界観に基づいているのかは不明だが、地球を人間が住めない場所にしてしまったのは、愚劣な人間同士の堕落した現象であることは間違いない。松田聖子が歌った「瑠璃色の地球」(松本隆作詞)には、「~争って傷つけあったり 人は弱いものね~ひとつしかない私たちの星を守りたい~」という歌詞がある。宇宙船から見た地球はもはや、瑠璃色ではなかった。その映像に、ジョージ・クルーニー監督の深い悲しみが見て取れた。
アメリカやロシアや北朝鮮、それに日本の政治指導者を見渡せば、まさに支配欲に冒された愚劣な人間同士である。しかし選んだのは国民だ。国家は堕落した存在だと否定したアウグスティヌスの気持ちがよく分かる。本作品では、地球を護ることが人類を守ることだというクルーニー監督のメッセージが伝わってくる。そして人類はおそらく地球を守れないだろうという諦めのこもった確信もある。
宇宙船はUターンする。もはや地球に未来はないのだ。しかし人類には未来があるかもしれない。生と死。本作品ではその両方が描かれる。宇宙の歴史と人類の歴史。時間と空間の壮大な広がりに思いを馳せれば、国家も地球も人類も、ほんの小さなひとときの変化に過ぎない。そういった達観が心を平安にしてくれる。観終わってどこかホッとした穏やかな気持ちになるのは、そのせいかもしれない。素晴らしい作品である。
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