ノマドランドのレビュー・感想・評価
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自分の人生を生きている人たち
何にも囚われず、生きるために移動をするというノマドの生き方は過酷であるが、とても人間的な生き方であると強く感じさせられた。
ノマドな暮らし方はなかなか出来るものではないが、人間的に生きていくことは可能なのかもしれない。それは、自分の意思で行動をすることなのかもしれない。ノマドランドに登場するノマドたちはみな、自分自身の意思で行動をしている。自分の人生を生きている。改めて、自分の人生を生きようと考えさせられる映画だった。
加えて、空は広いものであるということを何度も感じさせられる映画は今まであまり記憶にない。
それでも自由を選ぶのか!
映像美とマクドーマンドは素晴らしかったが…
『夏時間』『ミナリ』に続いて、3作品連続でアジア系監督作品を鑑賞。
前2作品と同様に「家族」や「家」といった普遍的テーマの作品で、大自然の映像美とオスカー女優マクドーマンドのエモーショナルな演技が素晴らしかった。
マクドーマンドとあと1名を除いて、出演しているノマドたちは演技経験のない本人たちというリアルさで、殆どドキュメンタリーのような作りとなっているのも良かったように思う。
ただ、その生き方に共感できるかと言えばなかなか難しく、また登場人物が白人ばかりである点、巨大企業アマゾンが不遇な境遇の放浪者を都合よく使い古しているのではというモヤモヤも感じられ、何か喉に引っかかったような気持ちの悪い余韻となっている気がした。
ショック、ショック、ショック・・・
と歌ってるのはシブがき隊?ピンクレディ?などと茶化すことしか頭に浮かばなかったのですが、リーマンショックの影響はかなり大きいんだとビックリするくらいの冒頭説明。いやまて、日本でもバブル崩壊後の車上生活者やホームレス化した元社長さんとかよくテレビで放映されていたなぁ~と思い出してしまいました。
東海岸じゃ車上生活は無理だと言ってましたけど、都会じゃ車も停められない。それは90年代の日本でも同じでした。車で寝泊まりして、スーツに着替えて就職先へ向かう姿。コロナ禍の今でもあるのかもしれません。
そんな社会派的な作品かと思っていたのに多少違ってました。自然の恩恵を直接受け、人との絆を大切にする生き方。直接の原因はリーマンショックだったけど、敢えて家のない生活を享受する老後生活を描いてました。大病を患っても残りの人生で残せるものなんてない。40年働いても年金だけじゃ暮らせない。あれ?日本と似てるじゃん・・・
そんな中、ファーンの死別した夫について語るところ、「何度も点滴のチューブを押さえてしまおうと思った」。でも「苦しませないほうが良かったんじゃ?」というやり取りでじわりと胸を衝きます。そしてデイブ(デビッド・ストラザーン)の恋心(?)にもじわーん・・・と。
アメリカの中西部の自然。スワンキーの旅の話などを聞いて、こんな老後もいいじゃん!と、敢えてこの道を選んだ彼らに共感してしまった。
良作なのか。。
ノマドは自由か、不自由か
想像してたのと違った
不況のあおりで住んでいた街が消滅、定住せずにヴァン(キャンピングカーみたいなもの?)で
放浪する女性のお話。
主演女優が、Amazonで働いて役作りしたと聞いていたので、鑑賞するまで、「貧困」や「搾取」、「アンダークラス」といったキーワードを勝手に連想していましたが、内容は全く違うものでした。
社会保障こそ心もとないものの、主人公含め登場するノマドたちには頼れる家族が存在します。
彼らは、金欠で仕方なく放浪しているのではなく、個人的な事情でノマドを選択しているようです。
私は、「生き方を選べるだけ、まだ幸せなのでは?」と疑問に思ってしまい、感情移入できませんでした。
なので、大自然の映像と、主人公が働く場面、ノマドたちの交流…、これらが私のなかで化学反応を起こさず、ただぼんやりとスクリーンを眺めるだけで終わってしまいました。
捉え方
人はみんな生き方を迷ってる。
娯楽映画とは違うので、多分出会うタイミングで作品の評価が大きく異るのではないかと思います。とりあえず私には刺さりました。刺さりまくりました。
ほぼすべての演者が高齢で、それだけにリアルと重なり合ったセリフは、静かでありながら鬼気迫るような迫力が感じられました。「生きていることに意味を見つけずにはいられない人の哀しさ」みたいなものが痛切に胸に迫ってきて、時に息苦しさすら感じられました。実際に周囲の観客も、時々大きく息を吐くような反応をされている方が多かったように思います。
美しくも荒涼とした景色の中で、人として生きる意味を考える、、、。そこに答えはないのかも知れない。でもこの世界には、答えを出すことではなく、考えることにすでに意味がある問いというのが存在しているのではないか、映画を観ながらそんな風に考えていました。
ところで是非パンフレットが欲しいと思って帰りに買おうとしたら、この映画のパンフレットは売ってないんですね。発売予定はあるが準備が間に合ってないとか。そんなこともあるんですね(笑)
幸せの定義について考えさせられました。
そんな事あんのか?町の大きな会社が無くなって、住民は強制退去。町の郵便番号まで無くなるなんて。町ごと消滅!?
主人公は大竹しのぶみたいなおばさん。旦那とはだいぶ前に死に別れた。彼女は車上生活をしている。どうやってお金を工面してるのかが、疑問だったんだけど、移動しながら各地で期間の決まった仕事をしている。ローテーションで短期の出稼ぎをやってるイメージだ。そんな彼女の日常を淡々と描いてます。ローテーションで移動中してるので、知り合いも増えるよね。まるで家族だ。アメリカという家の中を、マイルーム(マイカー)で移動してる気持ちなのかな。彼女には戸建てに住むチャンスが何度も訪れるんだけど、選ばなかった。そこに彼女の幸せが見い出せないからだ。俺の定義だとロードムービーは目的地を目指して旅をするお話だけど、この映画の印象は、オン・ザ・ロードムービー。こんな生活してみたいよね。でも、もっと大変な事だらけなのも想像できる。仕事にあぶれた爺さん婆さんがメインだったけど、自分的には若い頃に体験したい生活だわ。
楽しかったです。
あ、見た事ないカップヌードルだ!
アメリカの青春と白秋
私にとってはザッツ・アメリカ映画って感じで、内容にも映像にも圧倒されてしまいました。
非常に個人的な話ですが、私が生きてきた時代の、私が観てきたアメリカ映画史の終焉を見たような気分になりました。
そういう意味ではこの作品、アカデミー作品賞というよりキネマ旬報外国映画ベスト1って称号の方が似合いそうな作品でもありました。
私の映画の入り口で原点はアメリカンニューシネマであり、即ちそれは私の青春でもあり、それはロードムービー(=アメリカ映画)であったと言っても間違いないでしょう。
私がアメリカ映画で教わったのは、自由と平等の精神であり、真実の自分にこそ意味があるということであり、それがずっと私自身の哲学の核の部分であった様に思っています。現実の私は真逆の生き方だったかも知れませんが、こうあるべき的な人生哲学への傾倒だと思って下さい。
しかし、ロードムービーとはいっても作品毎にテーマは全く違うのだけど、それでも私の思うアメリカ的な精神性(自由という言葉への信仰)は、どの作品にも通じていた様に感じます。本作の言葉を借りると「さよならは言わない。生きていればまたどこかで逢える」ということなになるのでしょうか…
恐らく本作の登場人物達はニューシネマの時代に流行ったヒッピー達に近い年代であり、本作の多くのシーンでは当時の光景のデジャブに似た錯覚を覚えましたが、内容的には真逆であり、成熟し、諦観した会話であり集いに変化していました。
更にニューシネマの頃のロードムービーは、どんなに悲劇的な内容であったとしても、季節なら初春、1日なら朝焼けの時間帯の印象でしたが、本作では季節なら晩秋、1日では黄昏れの時間であり、その雄大な風景の美しさだけが絶対的でした。
私はある時代のアメリカ人とアメリカの大地を、映画(ロードムービー)を通してずっと見続けてきたのかも知れません。
この壮大なアメリカの青春と白秋、朝焼けと夕焼け、光と影が醸し出す、絶対的アメリカ映画の精神を、クロエ・ジャオ監督という中国人が描ききったことに、また新たな時代のアメリカ映画を感じました。
旅は生き方であると同時に死に方でもある
♫サヨナラは言わない昨日の私に 時の流れ少しだけ止めさせて♫ 国鉄の職員だった歌手の伊藤敏博さんの「旅の途中で」の歌詞の冒頭である。旅を歌った歌はたくさんある。歌われる旅は帰る場所があっての旅であったり、または行ったきりの旅立ちだったりする。松尾芭蕉は奥の細道の冒頭で、時の流れそのもの、人の移動そのものがすでに旅なのだと喝破した。作詞家松本隆は「瑠璃色の地球」の中で「地球という名の船の誰もが旅人」と松田聖子に歌わせている。事程左様に「旅」というキーワードには人の琴線に触れる何かがあるのだ。
本作品では、最愛の夫を亡くし、住んでいる町が消滅して住所も失った主人公ファーンが、古いバンを住居兼移動手段としてアメリカ国内を旅する話である。ロードムービーの王道に洩れず、沢山の出逢いと別れがある。時に悲しいことや辛いこと、老いを感じることもあるが、ファーンは持ち前の体力と冷静さと洞察力で旅を乗り切っていく。
ファーンの洞察力を感じたのは、姉の家で不動産投資の儲け話に敏感に反応して鋭く反論したときだ。かつてサブプライムローンの不良債権化でリーマンショックが起き、その影響で自分が町も家も住所も失った構図と、不動産投資の儲け話が同じであることにすぐに気づいたのだ。
「旅」という言葉には憧れとともに不安の響きがある。住民登録された住所に住まいがあり、健康保険証を持っていて定職や家賃などの定収入があるという定住の安心に対し、旅は常に不安である。しかしファーンは、定住の安心など、本当は風前の灯に過ぎないことを知っている。丈夫だと思っている足元は、実はいつ崩れ去ってもおかしくないのだ。だから本作品を観て、言い知れぬ不安を覚えた人も多いと思う。自分たちもいつファーンと同じような境遇に陥らないとも限らない。そのときに生きていけるかどうか。
そんな頼りない我々とは違い、本作品のファーンは不安よりも旅を楽しんでいるように見える。出逢うのはたいてい年老いたノマドたちだが、彼らも皆、旅を楽しみ、旅の途中で死ぬことを恐れていないようだ。人の世話になるくらいなら孤独に野垂れ死ぬほうがよほど潔い。旅は生き方であると同時に死に方でもあるのだ。
家族第一主義の映画が席巻するハリウッドで、本作品は異色中の異色だろう。家族を捨て家を捨て、孤独な旅に生きるノマドたちの世界。現世の利益に汲々とする人々の目には、野垂れ死には惨めな死に方に映るのだろうが、ノマドたちにとっては理想の死に方だ。「古人も多く旅に死せるあり」芭蕉も野垂れ死にを理想としたのかもしれない。
死生観
Amazon
裏庭の砂漠
風景や自然が心情を語る映画。
怒りや悲しみをもっとストレートに表現してもいい題材なのに、あえてそこは抑え、人と交わす言葉と自然とで「ノマド」の生き様を浮かび上がらせようとする。
主人公はノマドをやめて、一箇所で暮らすチャンスもあった。しかし、彼女はそうしなかった。
都市ごと閉鎖された土地にある、かつての自宅の裏庭に広がる砂漠の風景。
おそらく彼女は、この街で亡夫と共に暮らした時間の中に生き続けることを選んでいる。
背後にかつての「ハウス」を感じながら、裏庭の延長のような砂漠の中に居続けることを選んでいる。
そのほかの新たな時間は不要だし、その生活こそが彼女の生きるべき場所なのだ。
「ノマド」として生きることを敢えて選ぶ生があるとさたら……
「街ごと閉鎖」という過酷な現実の先に広がる人生を切々と感じさせてくれる、傑作といっていい作品。
ノマドという生き方
主人公がノマドになったきっかけは企業の倒産、企業城下町の閉鎖、そして夫の死を受け入れ切れないといったものだった。だが、彼女は元々人とは異なる生き方を好み、何れにせよそうせざるを得なかっただろう。
ノマドの多くはそれしか選ぶ道の無い人達かもしれない。でも、主人公のようにノマドという生き方を選ぶしか無い人達もいる。その人達は自由を求めて、意味を求めて、自分を見つめるため、死んだ人を大切にする為にノマドを選ぶ。可哀想とか、辛いとか、そう感じることも多い生活に見えるかもしれないが、そんな言葉だけでは説明が付かない、もっと大切な何かのためにノマドという生き方を選ぶ。だから、そこに出会いが生まれ、友情が生まれ、恋が生まれ、別れがきて、気付きがある。
私はプロアクティブに孤独と不安定を選ぶノマドの生き方を羨ましいと思う。私は、街に住み、定職を持ち、家族と暮らす安定した生活を、自信を持って自ら選び、幸せだと感じながら暮らしている、と言い切れるだろうか?
ノマドは、ノマドとしての生き方を考え抜き、選び、生き、幸せを感じているように見える。
その証拠にエンドロールを見て欲しい。一本筋を通して生きるノマドの出演者の多くは、主人公を含めた2人を除いて実際のノマドなのだから。
そして、ノマド達が生きるアメリカの荒野は、いつも美しく、厳しく、素晴らしい。
何も起こらない。それが良いのかも知れないが、アカデミー賞とまでは過大評価すぎる。
ネバダ州の採掘場が閉山し、
夫も死去したもう高齢に差しかかる女主人公が、アリゾナだかネブラスカだかのアメリカ中西部の自然豊かな地帯を古いボロいキャンピングカーを住居に、Amazonの出荷倉庫から、石売り、飲食店厨房、公共施設のトイレ掃除等
季節労働職を転々としながら地域も転々とし、
同じ立場のキャンピングカーに住む人々と時に交流しつつ、時に自然と向き合い、車のバッテリーかなんか壊れて、金がなく、渋々姉だか妹だかを尋ねたりする。中にはこのような遊牧民生活から家族の待つ住居へ戻り、親切にも「一緒に住もう」と提案してくれる同じ初老の老人もいる。
それとアメリカ中西部の大自然。
ただそれだけ。ホントにそれだけ コレでアカデミー賞とはムリムリ。ただのドキュメンタリーに毛の生えた程度にオスカーがいくほど甘くはないと思うよ。この映画はプログラムパンフレットも無いし、決して客入りがいいわけでも無い。興行的に成功していないのに、作品賞とか監督賞はあり得ない。キネマ旬報が大特集って、意味わからない。
頭使わなくて良いし、人々の触れ合いも、豊かな自然も良い。
こいいう人も居るのかと参考になった。
でもねぇ、いつまでも、上級国民のクズじじいと同じく運転し続けられるわけじゃないんだよ。
いかにもアメリカ的な大雑把な寛容文化を感じるが、日本人には馴染まない、まあだいぶ前に西田敏行主演で同じように朽ち果てていく車乗生活のおじさんの映画があったけど。朽ち果てる分だけ西田敏行版の方が良い。悲哀を感じる。
そもそもよくわからないのがAmazon倉庫って恒常的に忙しくないの?一定時期だけなの?Amazonにしがみつけばいいじゃん。それに①飲水、生活水②トイレの始末 ③シャワーとか衛生面 この三つだけでも乞◯並にハードル高い。
アメリカには医療保険同様生活保護もないのかなぁ。
静か、でも豊かさが溢れている
漂泊の思い止まず。不自由である自由。自由である不自由。
定住する人、しない人、出来る人、出来ない人。放浪する人、出来る人、せざるを得ない人。ノマドの人々を描きながら人間存在の根源のようなものを感じさせてくれるから秀作なんだと思う。
①思っていたより明るい映画なのに先ず驚き。車上生活を送らざるを得なくなった人々の暗い、シリアスな社会派映画とばかり思っていたのに。②ノマドの人々は意外と明るくたくましい。劇中でファーンの姉が言うようにアメリカ人の中には開拓時代のDNAが受け継がれているのかも。自分の家を持つのが人生の目標、みたいな日本では(現代はそうでもないか)なかなかこうはいかないだろう。③ノマドの人たちが増えたのはリーマンショックとそれに続くグレートリセットのせいだが、ファーンが姉の家にクルマの修理代を借りに行った時、そこにいたたまたま不動産屋がいたのが皮肉。彼らにファーンがぶつける「貯金を吐き出させ借金までさせて家を売る必要があるのかしら」という言葉には賛否両論があるだろう。④
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