ノマドランドのレビュー・感想・評価
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原著から遊離したスイートなノマド像が分断国家の現実から視線を逸らさせる
1)ノマドの意味と発生原因
ノマドとは広く「遊牧民」や「放浪者」を意味するが、この映画ではキャンピングカーで移動しながら季節労働に従事する「ワーキャンパー」を指している。ワーキャンパーが激増した原因は、言うまでもなく経済格差である。
『ノマド~漂流する高齢労働者たち』(ジェシカ・ブルーダー著)は、「崩壊はすでに始まっている。上位1%の人の平均収入が、下位の50%の人の平均年収の81倍もある」ことから、「何百万人ものアメリカ人が生活様式を変えざるを得なくなっている」とレポートしている。
そして「車上生活者は生物学で言う『指標種』のようなものなのだ。他の生物より環境の変化に敏感で、生態系全体の大きな変化を他にさきがけて予言する、そんな生物」だと説明する。
2)ノマドは負け犬か自由人か
ノマドはホームレスと異なり、ネットや労働、キャンプ場を通じてゆるいトライブ(集団、組織)を形成している。その有力な一つの主宰者ボブ・ウェルズは、次のように書いている。
「普通の暮らしを捨てて車上生活を始めれば、ぼくたちをはじき出す現在の社会システムに異を唱える"良心的兵役拒否者"になれる。ぼくたちは生まれ変わって、自由と冒険の人生を生き直せるんだ」
絵に描いたような転落の人生を経て、60歳を過ぎてもろくに年金がなく、車上でちっぽけなバケツに排泄し、そのバケツに乗せた板の上で食事をとり、アマゾンで酷使されなければならないノマドの生活は、悲惨としか言いようがない。まさに「アメリカの分断ここに極まれり」である。今にも「ジョーカー」がここから誕生しかねないのではないか。
ところが、原著が紹介する数十人のノマドたちは悲惨さに埋もれるのではなく、トライブの交流を盛んにし、助け合い、未来さえ語る。
経済・社会的には落伍者、難民となってしまったものの、車で移動し、労働している限り、精神は独立性を留保している、ということだろう。「自分たちはホームレスではなくハウスレスだ」という映画の一言は、それを表現しているように思う。
ノマドたちにはこうした経済・社会的な敗者、矛盾の犠牲者という側面と、トライブの交流を通じて決して人間性を失っていないという二面性がある。しかしながら、ボブの言うような「自由人云々」というのは、負け犬の遠吠えにしか聞こえないのも事実である。
3)映画が表現したロマンティックなノマド
映画は大筋では原著にあるノマドの生活をたどっていくのだが、半ばからかなり飛躍したノマド像を描いて見せる。それは死別した人々に対する喪失感と記憶に生き、再会を希求するロマンティックなノマドだ。
ヒロインのファーンは、病死した夫の記憶とともに生き、そのよすがをたどりつつ毎日を送っている。
ボブも自殺した息子への弔いの意味で、ノマドたちの支援を行っている。2人とも、「ノマドに真の別れはない。だからいつか、死者にまた巡り合える」という祈りを人生としているのだ。映画の基底に流れるBGMの悲哀は、この喪失感と希求からくるのだろう。
数多くの出会いを繰り返すノマド生活の中で、いつか亡くなった人々の生まれ変わりに巡り合うかもしれない、いや死後の世界では間違いなく会えるだろう、と思わせながら映画は終わる。エンドロールの次の言葉は、生者と死者双方を指し示しているに違いない。
「旅立った仲間たちに捧ぐ またどこかの旅先で」
ノマドの存在を全世界に知らしめたこの映画の功績は、非常に大きいだろう。しかしスイートなノマド像の中からは、原著の提起した「分断国家を放置していていいのか」という問題意識が抜け落ちている気がする。中途半端なまま、本質的なことを描き忘れているのではないか。逆に言えば現実を捨象したがゆえに、本作は大きな映画賞に受け入れられたのだ。
短期の仕事をこなしながら、バンで車上生活の旅をする女性。 自由気ま...
野垂れ死の美学
現代人は物やお金では満たされない心の飢えを抱えていると言いたいのだろうか?
お金とも物よりも大事なのは「自由?」
それを求める人々を追う映画。
しかし、自由があれば金は要らない・・・そんな綺麗事とは異なる。
囚われない生き方をする人々、を指す言葉がノマド。
ノマドは「遊牧民」や「放浪者」のこと。
そんなノマドの集団がいるところが「ノマドランド」
彼らは自由や気ままと引き換えに、リスクを買う。
冬場の寒さ、
女ひとりの危険、
そして何より病気や怪我のリスク。
ノマドは高齢化が進んでいると言う。
この映画には、実際にノマドの人々が実名で出演している。
彼らは自分を恥じてはいない・・・
仲間と助け合い自由を、遊牧の民を満喫しているかに見える。
ノマドは「ホームレス」ではなくて、「ハウスレス」、だとのこと。
ファーン(フランシス・マクドーマンド)の矜持が「ハウスレス」という言葉にこもっている。
誇り高き貧乏人の、
高齢者の、
自由人の、
世捨て人。
たとえ荒野の真ん中で野垂れ死しようと、なんの文句が有ろう!
それは正に、幸福な大往生!
ノマドは物質文明を否定しているとともに、
そして資本主義社会から置き去りにされた人々・・・と言う両面を持つ。
時に虚(うつろ)な瞳のファーン。
特に最初のシーンはとてもみじめで辛い。
カサカサの肌、自分で刈った薄毛のベリーショート。
未亡人のファーンはネバダ州の片田舎エンパイアで夫と暮らしていた。
リーマンショックで工場は倒産して、町は郵便番号さえ抹消される。
家を失ったファーンは全財産をキャンピングカーに詰め込み、長距離移動しつつ季節労働者として働く境遇になる。
Amazonの季節労働者。
移動しながら生活のためにする仕事の多くは、
トイレ掃除やゴミ拾いなどの雑役。
正直言って、私は彼らから「誇り」を差し引きしたら、
「不安」「貧乏」「病の危険」
もっと言えば「命の危険」さえ感じてしまう。
この映画は高い評価を受けた。
アカデミー賞作品賞、監督賞、そしてマクドーマンドは2回目の主演女優賞を受賞した。
監督のクロエ・ジャオは有色人種(中国人)の女性として初の監督賞を受賞した。
(原作は「ノマド 漂流する高齢労働者」を元にしている。)
スタインベックの「怒りの葡萄」の中にあった強い憤り。
人々の心の底にあった虐げられた者の怒りは、ファーンには、ほとんど感じられない。
達観。諦め。
流されて辿るアメリカのだだっ広いハイウェイ。
彼らは「ノマド・・・遊牧民」
自由と引き換えにした生き様は、
土に還ること、野ざらし。
風葬や鳥葬に似ている。
過去鑑賞
ノマド生活に至る理由
ノマドという生き方を教えてくれました。
『ノマドランド』鑑賞。
*主演*
フランシス・マクドーマンド
*感想*
ディズニープラスで鑑賞。映画館で観たら、確実に寝落ちしてたかもしれない。(笑)
ノマドを初めて知りました。色んな所で働いて、色んな人達と出会って交流し、そして、別れて、キャンプカーで新たな土地へ向かい、新しい仕事をして、新しい人達と出会って交流する。これを繰り返し、物語が進行していきます。
物語の急展開や、特に変化はなく、淡々と物語が進むので、退屈な所が結構ありましたが、ノマドという生き方をまるで、ドキュメンタリーかのように描かれているので、めちゃめちゃリアルだったので、良かったです。
スリー・ビルボードのフランシス・マクドーマンドも良かったけど、本作の演技が素晴らしかったです。何を考えているのかわからない標準が特に素晴らしかったです。(^^)
面白いか、面白くないかといえば、個人的には微妙でしたが、ノマドという生き方を教えてくれたような感じがしました。
厳しい放浪の旅を通して人生を見つめ直す中年女性のドキュメンタリー風映画のロードムービー
ネバダ州の石膏採掘所がリーマンショックの長引く不況の末閉鎖され、エンパイアという町自体が消えてしまい働く場所と家を失ったファーンという中年女性が、夫の死を切っ掛けに小型ヴァンを改造してノマド生活を始めるロードムービー。標高4000フィートのネバダ州からアリゾナ州やバッドランズ国立公園があるサウスダコタ州、そしてネブラスカ州と愛車を長距離走らせ、年金の早期受給を拒否して採用難の中、自立した一人生活を維持するため季節労働を繰り返していく。アマゾンの巨大倉庫の梱包や国立公園の清掃員、ファストフードの厨房係や芋の収穫と、事務職や代用教員を経歴したファーンにはきつい肉体労働だが、けして挫けることはない。そこまで彼女を奮い立たせるのは何か。
ノンフィクション小説を脚色したこの物語で描かれたファーンの過去を知るヒントの一つは、車の修理に掛かるお金を工面するため姉ドリーの家を訪ねた時のエピソードにある。若い時から独立心が強く、自分の事は自分で決めてきた気骨のある性格は姉が感心し羨むほどと、二人の会話に表れている。ファーンを信頼する姉の表情が温かい。もう一つは、同じノマド仲間のデイブを遥々カルフォルニアまで訪ねて、同居を持ち掛けられた彼女が黙ってそこを去っていくところ。家にあまり居ず父親の役割を果たせなかったデイブが、今は父親となった息子とピアノの連弾をしているのを、偶然ファーンが見詰める。この間に自分が入って家族の一員としてやっていけるかを、翌朝皆がまだ寝静まった食卓の椅子に腰かけシミュレーションしている。その前日にはデイブの初孫を預けられて抱くが、どこかぎこちない。映画で説明はないが、ここで分かるのは子供を生んだことのないファーンの愛の対象が、夫に総て捧げられていたのではないかと想像できる。子宝に恵まれなかった夫婦程長く連れ添うほどに仲が良いという。理想的な相思相愛の夫婦だったのだろう。ホームレスではなくハウスレスと元教え子に念を押したファーンは、小さい時の家族写真と夫の写真を大事に車に積んで旅を続けていた。デイブら他人から見れば、夫を亡くした孤独な高齢婦人と見られるが、心の中では死んだ家族と一緒に生きていたのだ。これが、彼女の覚悟であり強さであったと思われる。しかし、映画のラストは、そんな自分を振り返ることで一つの区切りを付ける。貸倉庫に預けたものを全て処分して、過去を引きずるノマド生活から身も心も軽くした新たな人生の旅に出発していく。これからは以前には見られなかった笑顔がこぼれる生き方になって欲しい、と思わせるラストシーンだった。
クロエ・ジャオ監督は、脚本と編集も兼ねている。このノンフィクションドラマの演出の特徴は、実際のノマド生活者たちを登場人物として主人公と絡ませ、まるでナレーションのないドキュメンタリー映画を観ているかの錯覚をさせる。当然ながらその自然で飾らない演技は限りなく現実に近いものであろうし、更にドラマとしての過剰な演出を廃して、説明的なショットも大胆に省いている。淡々と話が進んでいくのに時に付いていけない時もあるが、全体のリズムを優先した手堅い演出であった。この省略で唯一心残りは、何百キロにも至る旅の困難さが映像に表現されていないこと。砂漠と荒涼とした大地の夕景は美しく撮られていて、アメリカ西部の乾燥した風土が感じられる映像の鮮明さが心に残る映画だった。
主演のフランシス・マクドーマンドは、原作に惚れ込んで制作者に名を連ねる意気込みが直に感じられる熱演を見せる。ノマドの過酷な生活描写では、排泄行為を2度程敢えて挿入しているが、女優もここまで演じなければならないのかと驚くも、特に必要性も感じなかった。氷点下の路上で車中泊する極寒の厳しさ、狭い居住空間を工夫した食事風景、常に節約を優先する放浪者仲間とのふれ合い、そして様々な肉体労働を黙々と務める姿で充分彼らの生活の大変さは説明され表現されている。演技面では、ファーンの姉ドリーを演じていた女優が短い出演だが一番印象に残る。個性の強いファーンに対して優しいだけのデイブを演じたデヴィッド・ストラザーンは、役柄で損をしていた。主人公だけを追跡したコンセプト故の人間ドラマの葛藤の物足りなさがそこにある。
この映画がアカデミー賞始め多くの称賛を得たことは素直に認めたい。経済大国アメリカに限らないであろう、平和な社会でお金儲けが人生の豊かさと経済発展してきた末の格差社会から落ちこぼれた人々にスポットを当て、その苦労を丁寧に記録した社会的役割を果たしている。この映画でノマドを知る意味は小さくない。だが、それを持って絶賛するまでにはいかなかった。再現度の高いドキュメンタリー風映画としての評価に止まる。それは人間の心の内に深く踏み込まない演出法にあるし、それ以上に、今の映画祭が表現力よりテーマ性を重要視している思想優位の偏りを感じているからである。
生きることの原点
これ程素晴らしい作品だとは思わなかった。アメリカ・アカデミー賞作品賞に相応しい傑作である。題名のノマドとは遊牧民のことであり、本作は、夫を失って現代のノマド=車上生活者になった女性が懸命に生きる姿を描いている。ロードムービーではあるが、ドキュメンタリーでもフィクションでもない、新しいジャンルの作品である。冒頭からラストまで、哀切感溢れる音楽と大自然の景観が効果的に挿入され、心に響く、心に深く染み渡るシーンが多く目が潤みっぱなしだった。
本作の主人公は、アメリカのネバダ州で暮らす60代の女性ファーン(フランシス・マクドーマンド)。彼女は、リーマックショックで夫を失い、キャンピングカーで車上生活をしながら、季節労働者として転々と職を変えて、過酷な毎日を懸命に生きていく・・・。
主人公役のフランシス・マクド―マンドの演技が本作の作風を決定している。彼女を車上生活という環境に放り込んで生活させて撮ったような嘘のないリアルな演技である。主人公を含め仲間達の境遇については、敢えて劇的な再現ドラマにせず、モノローグを使って説明している。淡々とした台詞の中に、様々な感情が織り込まれていて胸を打つ。
主人公はキャンピングカーで全米を移動するのだが、カメラは車の後ろを追っていく。車の前方を撮ることはない。あくまで主人公に寄り添っていくという作り手の姿勢を端的に現わしている。
主人公が圧倒的景観のアメリカの大自然の中に溶け込んでいるシーンは、自然と人間の一体化、自然とともにある車上生活者の生き様を表現している。
車上生活者達は物質的余裕のない生活をして生きている。辛いことが多い、孤独な生き方であるが、彼らの生き方は生きることの原点である。起伏の少ないストーリー展開にも関わらず本作を感動的作品に昇華させているのは、過酷な環境の中で、生きることの喜怒哀楽、醍醐味を感じながら、毎日を懸命に、真摯に生きている彼らの姿が美しいからである。
Amazon繁栄の影
美しい景色と厳しい現実
日本では無いスタイルかな
See you down the road
心に残る台詞がない
耳に残る台詞は down the road
心に残るシーンは夕景
朝日ではないと察する
この物語が人生の夕暮れを迎えようとする人たちのものだから
今までの人生で何かを失ったり、後悔している人々が、まるで自らに生きる厳しさの試練を与えるかのように、信念を持って車での生活を選ぶ
そして希望を口にする
down the road
この映画がなぜアカデミー賞を受賞したのだろうと思う
現在の社会を映し、世の中にまだあまり知られていない人々の物語だからか
最近のダイバーシティの流れで選ばれたと思われるアカデミー賞の映画は、自分の中でも共感するものと、受け入れがたいものに分かれる
どちらも心に刺さるものではある
それは分断される社会のどちら側の人にも何かを伝えようとする試みなのか
家族を失った高齢者のロードムービーという観点で似ていて、豊かな国でこんなことがという衝撃は、日本映画「星守る犬」の方が大きかった
この映画を思い出してしまって、前向きに生きるというメッセージが受け取れなかったことを差し引いても、すっきりしなかった
心に染みる
2021年、最後の観賞作品
ドキュメントをみている感覚にさせられた
『先生はホームレスになったの?』
『ホームレスじゃなくハウスレスよ』
主人公はどこにいきたいのか?
彼女自身もきっと分からない
心に染みる作品でした
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