ノマドランドのレビュー・感想・評価
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人という孤独な存在を詩的に映像化
久しぶりによい映画でした
静かな映画でした
よいというしかないが
小津安二郎の
『東京物語』
と同じものが貫かれているとおもいます
人という寂しい生き物が
詩的に描かれている
その時私も兄さんの口を迸しる Einsamkeit, du meine Heimat Einsamkeit !(孤独なるものよ、汝はわが住居なり)という独逸語を
夏目漱石 行人より
日本の終身雇用は良かった。アメリカンドリームは枯渇した
日本の少子高齢化社会と同じで、
これから訪れる問題と言うよりも、既に深刻化している問題を描いている。
単なる老人の問題ではないので、注意すべきだ。
勿論、ノスタルジックな見方も出来ない。
映画を見終わって思う事は、
社会問題なのに、解決策を提案していない事。日本映画の『PLAN75』と同じ。
この映画で描く問題は3点
1.未就業者には、日本の健康保険のような物がない事
2.元々の車社会に加えて、税金がかからないので、車生活に貧困層はおちいってしまう事。(州によって住民税の様な税金がかからない場合がある)
3.能力主義ゆえ正規従業員としての雇用が無い事。つまり、終身雇用ではない事。
単なる老人の孤独とか貧困な白人社会の話ではないと判断できる。映画の途中に若者が沢山出てくる。日本でのゆるキャン△ではない。それを理解して鑑賞しよう。
昨年、ロサンゼルスに行ったが、綺麗な街だと思ったが、車が無いと生きられないと感じた。日本の様に目の前にコンビニがあると言う事が無い。
勿論、日本も能力主義に雇用形態を変えたので、健康保険がなくなれば、都会以外はこの映画と同じ状況に陥る。
それが『PLAN75』の正体だ。老人問題ではない。貴方がたの問題だ。
3回目の鑑賞になるが、
黒人の方はどうしているのか?
追記 この映画をロード・ムービーと称する方がいらっしゃるが、ロード・ムービーとは逆に放浪していた者が、一つの環境に囚われて生きている。そんな蟻地獄の様な困難を描いていると感じるが。ロード・ムービーとは題名だけ。
もっちゃりとロードムービーが見たくて…
見始めた。想像通り物語は進み、大した事件は起こらないのだが、それでも残酷に淡々と生き方を問う。
超高齢化社会と現代資本主義に疲弊しきってる自分には考えさせられる内容であったがストーリーは退屈だった。
想像するがそこまでは求めない
自分も60歳の齢を越えたので、自分だったらって想像してみたが、なかなかやろうとは思えない。もちろん、ファーンの場合には、住んでいた町が町ごと無くなったためという理由があるが。日本には、人が住んでいないアリゾナの荒野のような土地がないせいもある。アメリカには、西部開拓の歴史もあるからか。
アマゾン等の単純労働を転々としながら、同じような高齢者が助け合って、一つのコミュニティを作るのは、アメリカならでは。リーマンショック、製造業の没落、国民皆保険制度がない等、ブルーカラーを締め付ける環境の中で、座して待つだけではなく、自分の力で切り抜けようとする力強さが、アメリカ人に宿るDNAみたいなものか。
抑え目のピアノのBGM、不便なバン生活の制約、雇用の不安定、物々交換、その中でも馴染みの仲間との支え合いと交流。
日本でも、単身世帯となった高齢者の生活は、子どもたちとの関係がなければ、大きな差はないかもしれない。仕事は限られ、地域との付き合いは限定的、あとは同じ趣味を持つ人たちとの交流程度。
「ノマド」は、過酷な環境ではあるが、街にいる路上生活者に比べればまだいいのかもしれない。アメリカ人のスピリットの自由な生活を選択しているから。でも、やはり日本人には想像が難しい。自由よりは、便利さに慣れているためか。未開の荒野もないし。同じようなことは、恐らく日本ではできないだろう。
ただ、映画の中で、「家」は、心の中にある物とノマドが発していた。ファーンにとっても、それは夫と暮らした美しい日々だったのだろう。それが、大自然の美しさ、人の優しさとリンクする。最後、家財道具を売り払っては、夫との過去に決別するため。人は、心が満たされるものを求めて、旅をし、彷徨うのかもしれない。
生きる事の壮絶さ
固定の住居に寝泊まりし、固定の職場に勤め続ける事の息苦しさ、というものを理解してるだけに、ノマド的な生き方の開放感も想像出来る。
どんな生き方だろうが、生きるとい事が厳しいのは違わないんだろうな、と感じた。
ドキュメンタリーかと感じる重苦しさがそこここに散りばめられてた感じ。それらを克服するヒントもちゃんと在る事が救いとなる。
“もう充分”と言える様なモノに出逢えてない事に気付かされ、まだこれからなのか?と引き止められた気分にもなった。
穏やかながらも悲壮感の強い音楽も雰囲気を重くしてた要因となってるが、個人的に好みな旋律。
全体的に暗い雰囲気ではあるが、嫌ではない作品。
価値観が少し変わるかも
本作が好きか嫌いかは別として、とにかく人生を見つめ直すよい機会になった。
めくるめく雄大な自然は、人間の強さとはかなさの両面を映し出していたと思う。
観ていてドキュメント作品と勘違いするほど出演者皆の演技があまりに自然というか日常的に感じた理由については、観終えて初めて知りびっくり。このあたりも本作の評価どころか。
個人的には少々行き過ぎに感じるシーンもちらほらあったが出演者皆を引っ張りあげた主演のフランシス・マクドーマンドの演技力は、演技の枠を遥かに越えていると言っても過言ではないしほど素晴らしかったのは言うまでもない。
観ている途中は正直そこまでは…的だったが、今感想を書きながら想うことは、アカデミー賞3部門受賞はやはり相応なのかもしれない。
ところで、フランシス・マクドーマンドを観ていて、大竹しのぶを思い出したのは私だけ?
イージーライダーの現代版
この映画を見て、イージーライダーを連想したのは私ぐらいだろう。ただ、バイクが車に変わっただけ、放浪する点では同じだ。しかもイージーライダーがコミュニティには馴染めなかったのと同様、彼女もまた好きになった男性の家では暮らせないと判断して、放浪の旅へ再出発した。イージーライダーの彼らは世間から偏見の目で見られたが、こちらのノマドはどうだろう?子供が彼女のことをホームレスになったのと訊いたら、彼女はホームレスじゃなくてハウスレスと答えたのが笑える。
昔、普通の社会に馴染めない若者から、イージーライダーの彼らを生み出し、現在、「普通」の暮らしができない老人たちからノマドが生まれた、っていうことかな。
車上生活って憧れんことはないけど
人生すべて後ろ向き!の拙にとって
カネなくなったらアマゾンで働こか、
とは絶対ならんねえ。
だからこそ自分にマネできん人生観には憧れるが
現実的に嫁さんもガキも居るわけで
作品もあーそうなんだ、の域を出なかった。残念
60点
イオンシネマ近江八幡 20210428
(ノン)フィクション
現実と創作の間にある映画でした。
どこまでが現実でどこからが創作の世界なのか混乱しました。でも、そんなことはどうでもいいんです。こういう世界は現実にあるのだから。と思わせる良作でした。
社会で活躍しみんなの役に立ってきたのに、社会情勢の変化でその立場を失う。その大きな変化で自分たちの居場所を求めて彷徨う人々を、数多くの美しい風景、絶景、奇観との対比も加えて、スケールの大小と合わせて描いているのも考えさせるものがありました。
そして何よりもフランシス・マクドーマンドが素晴らしい。スリービルボードの時も思いましたが、自然というかその世界に溶け込み過ぎて怖いくらいでした。ほんとにすごい表現者です。
これは、アカデミー賞取っちゃうでしょうね。
孤独感がすごい
期待値がありすぎたか、観終わった時は私には合わなかったと思いましたが、いろんな方々のレビューを読んでじわじわきました
フランシス・マクドーマンドの演技は演技とは思えない程さすがでした
ストーリーは淡々と進み終わったように感じて、ストーリーより実際にノマドとして生きている方々を考えてしまいます
若くなくこれから先を思うと不安ではないのでしょうか
余計なものを持たず、煩わしい人間関係もなく、それを自由と思えれば良いのかもしれませんが
お金に不自由もなく周りに家族もいればノマドとして生きる選択をされるのでしょうか
その時だけの仕事をして、ホームレスではなくハウスレスと自分に言い聞かせて生きていく覚悟
アメリカの雄大な自然がさらに孤独を感じました
これも生き方の一つ
これも生き方の一つではありますが、私には共感はできなかった。
ラストにある「またね」には共感はできました。
渋々、その道を選ぶ人もいれば、望んでノマドとなる人もいるので、それを誰も否定はできないです。
孤独感がすごい
期待値がありすぎたのか、観終わった時は私には合わなかったと思いましたが、いろんな方々のレビューを読んでじわじわきました
フランシス・マクドーマンドの演技は演技と思えない程さすがでした
ストーリーは淡々と進んで終わったように感じて、ストーリーより実際にノマドとして生きている方々を考えてしまいます
若くなくこれからを思うと不安ではないのでしょうか
余計なものを持たず、煩わしい人間関係もなく、それを自由と思えれば良いのかもしれないけど
お金に不自由もなく周りに家族もいればノマドとして生きる選択をされるのでしょうか
その時だけの仕事をして、ホームレスではなくハウスレスと自分に言い聞かせて生きていく覚悟
アメリカの雄大な自然がさらに孤独を感じさせました
アメリカ魂
事実としてこういった人たちがいる。
そこを伝えた点でなら評価できるけど
それならドキュメンタリーでよくない?っていう。
画面は美しいし、マクドーマンドの演技も素晴らしい。
でも映画として面白いかっていうと、全然そうじゃなかった。
別に普遍的なものを描いているわけじゃなく、
あくまでアメリカ国内の、アメリカ人に向けた作品だった。
マクドーマンド体当たりぶり
フランシス・マクドーマンドの体当たりぶりは半端じゃない。だけどこの映画がどうして評価されるのか理解できない。根底には、定住文化の日本人と、フロンティア精神が残るアメリカ人の開拓民文化の違いがあるのか。「アメリカの原風景なのよ」とか言うセリフがあったとしても、それが大多数のアメリカ人に刺さる言葉とは思えない。一定数、そんな人々がいるなあという認識程度ではなかろうか。
編集は巧みで、ものすごい情報量をぶつ切りにして繋いであるので、セリフのつなぎ目がない。どちらかというと、登場人物がすべて独り言をつぶやいているように聞こえる。たまたまそこに、マクドーマンドが居合わせているだけのように。特徴的なのは、絶対に目を合わせないでしゃべっていること。ちょっとアメリカ人の印象が当てはまらない。だからこそ、ものすごいリアリティを感じた。音楽も、たまに情感を強調したピアノソロなんかがはめられているが、基本的には状況音しか入らない。例えばラジオから聞こえてくる音楽とか。みんなでキャンプファイアしながら合唱する歌とか。
そんなこんなで、意外にいろいろと事件が起きているのだが、お気に入りの皿が割れてしまった。とか、文字にするとその程度のことが積み重なっていくだけのこと。ゆっくりと時間が流れているかのような錯覚を起こす。これが、老人にとっては目まぐるしい変化なのだろう。放浪の一年を通して、彼女の身の周りがどんどん変わっていく。
或るミュージシャンと知り合った時、彼が「ツアーの時に、その土地土地の断酒会に顔を出し、地域性や風土を知る。それがその街を知る一番早道だ」なんてセリフがあった。とても印象に残った。
時間があまりないので、多分もう二度と見ない映画だと思うのだけれど、眠れない時にずっと流してぼーっと見ていたいとも思う。不思議なテイストの映画だった。ただ、若い人にとっては退屈で、良さが伝わらないんじゃないのか。そうじゃなきゃいけないとも思う。だから賞なんかとって欲しくない。
静かに漂う物語に映画らしい映画を見た。
物語は静かに、滑り出すように始まる。
心に留まる音楽、演技、ロケーション、
気がついたら心は客席から離れ浮遊してた。
静かな物語の苦手な人は数分で飽きるはず。
しかし映画の中の意味のある空気を捕まえられれば
気持ちよくラストシーン、エンドロールを迎えられる。
監督のクロエ・ジャオは編集・脚本も手がけた。
監督は編集・脚本・撮影が出来ていいと思っている。
この映画での彼女の編集には場を読んだ流れがあり、
自身の言いたいことの見える編集をしている。
もちろん主演のフランシス・マクドーマンドと
話し合いながら決めることもあったはず。
いい脚本と撮影と編集と俳優、そして監督と製作陣。
映画館で鑑賞して2年経った今も残っている。
※
車上生活者の未亡人ファーンがノマド達と出会い別れ、自分の過去の思い出を乗り越える
Youtubeでキャンピングカーで旅行する人たちの動画をよく見る。自分自身小旅行をよくするし、そういう生き方をしてみたいとあこがれていたので前から見たかった。
エンディングを見終えた気分はハッピーでは無い。ファーンは悲しい思い出と共にその日暮らしの生活を続け、車上暮らしという水道代、電気代、ガス代のいらない必要最低限の生活費ながらも巨大企業での期間労働に依存しなければ生きていけない。それを見せつけられる。エンディングの後も彼女がノマドとして生きるならば、それは変わらない
ノマドになるには皆理由がある。その理由は悲哀のあるもの。ファーンはエンディングにて、悲哀を胸に懐きながら、自分がノマドとなった起点から次の新天地へ向かう。直線道路を走っていく車の後ろを見て自分は前向きな可能性を感じられなかった。視聴後に改めてその時の自分の心境を内省すると、それは今の自分に起因するのかもしれないと思った(改めて考えると、彼女はエンディングで今まで目を背けていた自分の過去の思い出を再度直視し、それを乗り越えて次へと向かったという風に取るほうが自然だと思う)。そんな自分の心境もあって、パッケージには『全世界絶賛の感動作』とあるが、感動はしなかった。エンディングの後、作中のファーンに対して思うのはノマドとして、もしくはそうでなくなったとしても幸せになる方法を模索して生きてほしい。
原著から遊離したスイートなノマド像が分断国家の現実から視線を逸らさせる
1)ノマドの意味と発生原因
ノマドとは広く「遊牧民」や「放浪者」を意味するが、この映画ではキャンピングカーで移動しながら季節労働に従事する「ワーキャンパー」を指している。ワーキャンパーが激増した原因は、言うまでもなく経済格差である。
『ノマド~漂流する高齢労働者たち』(ジェシカ・ブルーダー著)は、「崩壊はすでに始まっている。上位1%の人の平均収入が、下位の50%の人の平均年収の81倍もある」ことから、「何百万人ものアメリカ人が生活様式を変えざるを得なくなっている」とレポートしている。
そして「車上生活者は生物学で言う『指標種』のようなものなのだ。他の生物より環境の変化に敏感で、生態系全体の大きな変化を他にさきがけて予言する、そんな生物」だと説明する。
2)ノマドは負け犬か自由人か
ノマドはホームレスと異なり、ネットや労働、キャンプ場を通じてゆるいトライブ(集団、組織)を形成している。その有力な一つの主宰者ボブ・ウェルズは、次のように書いている。
「普通の暮らしを捨てて車上生活を始めれば、ぼくたちをはじき出す現在の社会システムに異を唱える"良心的兵役拒否者"になれる。ぼくたちは生まれ変わって、自由と冒険の人生を生き直せるんだ」
絵に描いたような転落の人生を経て、60歳を過ぎてもろくに年金がなく、車上でちっぽけなバケツに排泄し、そのバケツに乗せた板の上で食事をとり、アマゾンで酷使されなければならないノマドの生活は、悲惨としか言いようがない。まさに「アメリカの分断ここに極まれり」である。今にも「ジョーカー」がここから誕生しかねないのではないか。
ところが、原著が紹介する数十人のノマドたちは悲惨さに埋もれるのではなく、トライブの交流を盛んにし、助け合い、未来さえ語る。
経済・社会的には落伍者、難民となってしまったものの、車で移動し、労働している限り、精神は独立性を留保している、ということだろう。「自分たちはホームレスではなくハウスレスだ」という映画の一言は、それを表現しているように思う。
ノマドたちにはこうした経済・社会的な敗者、矛盾の犠牲者という側面と、トライブの交流を通じて決して人間性を失っていないという二面性がある。しかしながら、ボブの言うような「自由人云々」というのは、負け犬の遠吠えにしか聞こえないのも事実である。
3)映画が表現したロマンティックなノマド
映画は大筋では原著にあるノマドの生活をたどっていくのだが、半ばからかなり飛躍したノマド像を描いて見せる。それは死別した人々に対する喪失感と記憶に生き、再会を希求するロマンティックなノマドだ。
ヒロインのファーンは、病死した夫の記憶とともに生き、そのよすがをたどりつつ毎日を送っている。
ボブも自殺した息子への弔いの意味で、ノマドたちの支援を行っている。2人とも、「ノマドに真の別れはない。だからいつか、死者にまた巡り合える」という祈りを人生としているのだ。映画の基底に流れるBGMの悲哀は、この喪失感と希求からくるのだろう。
数多くの出会いを繰り返すノマド生活の中で、いつか亡くなった人々の生まれ変わりに巡り合うかもしれない、いや死後の世界では間違いなく会えるだろう、と思わせながら映画は終わる。エンドロールの次の言葉は、生者と死者双方を指し示しているに違いない。
「旅立った仲間たちに捧ぐ またどこかの旅先で」
ノマドの存在を全世界に知らしめたこの映画の功績は、非常に大きいだろう。しかしスイートなノマド像の中からは、原著の提起した「分断国家を放置していていいのか」という問題意識が抜け落ちている気がする。中途半端なまま、本質的なことを描き忘れているのではないか。逆に言えば現実を捨象したがゆえに、本作は大きな映画賞に受け入れられたのだ。
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