ノマドランドのレビュー・感想・評価
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シンプルに美しい「ゆきてかえりしものがたり」
これはすばらしかった。
「多様性」という言葉は、世の中にあふれており、陳腐化している。
本作を評価する時には「多様性」という表現を使わざるを得ないのだが、ネガティブなニュアンスではなく、本来そうであった、ある種の懐の広さを示す表現として受け止めてもらえたらよい。
監督が中国人のクロエ・ジャオであること。扱っている題材が、ノマドと呼ばれる漂流民の日々と描いているということ。さらに、そのノマドの人々がおもに老人であること。このように、いわゆるメインストリームではない要素が多々ある。メインストリームなのは、プロディースと主演をつとめたのが、アカデミー賞ではおなじみのフランシス・マクドーマンドであることくらいか。
本作がアカデミー賞を受賞した当時は、オスカーの受賞者が白人ばかりだという批判を受けていた頃でもあり、その批判をかわすために賞を与えたような印象もあった。実際そうだったのかもしれないが。とにかく、オスカーを受賞したことで、逆に本作の価値に泥を塗ってしまったな、と、鑑賞後に思った。本作は、オスカーを取らずに、ただ、すばらしいインディペンデント映画であったほうがよかったのにと思う。
物語はシンプルだ。
巨大企業の工場があるおかげで栄えていた街からスタートする。
工場が閉鎖され、町そのものが立ち行かなくなる。
主人公のファーンは、自分のヴァンに荷物を積み込んで旅立つ。
行く先々で働いたり、人に出会ったりする。その多くはファーンと同じノマドだ。彼らはほとんどが高齢者だ。
ノマドの老女は自分が癌におかされていて、もう長くないと語る。
しかし、旅の中で出会った美しい風景を前にすると、自分はもう今ここで死んでもいいと思えるのだと語る。
他の老人は、ノマドは別れ際に「また会おう」と言葉をかわすという。「さようなら」とは言わない。そして、かならず再会する。それは、相手が死んだとしても、再会するのだ。
ファーンは旅を続ける。
旅を続けるときは、基本的にヴァンの後方からカメラが撮っている。しかし、最後のほうで一度だけ、前方から撮影しているショットがある。
このとき、ファーンは旅をはじめた町に戻った。
ドキュメンタリー風のインディペンデント映画でありながら、多くのエンターテイメント作品が採用している、行きて帰りし物語の構造になっていた。
話を戻そう。いや、話を戻すというのはこのさい適切な表現ではないかもしれない。むしろ、話を循環させよう、というのが適切だろう。
ファーンは町を離れ、ふたたび旅をはじめるのだ。
ノマドライフが本当の人間の生き方なのだ、という映画ではない。
屋根のある家に住む人も、そうでない人もいる。
本作で描かれるノマドライフは、過酷で不自由だ。ただ、彼らは屋根のある家に住む、という選択肢を与えられていないわけではない。みずから、ノマドライフを選んだのだ。そして、そこに自分の人生を見出した。
本作で語られるのはノマドとして生きる人々の生と死だ。人生、というよりは死生観というほうがしっくりくる。人は誰もが死ぬ。愛した人の死をどう受け入れるか。もしくは自分にも、遠からず死は訪れる。「それでも世界は美しい」と言える生き方をしているだろうか。
本作は製作費7億5千万円以下。世界での興行成績が59億円。30億円以上が大ヒットの基準だというから、本作の内容からすると、正直信じられないほどのヒットだ。申し訳ないが、誰が観たんだろう、と思う。
それはともかく。こういった良質な映画がまだ作られているという事実をうれしく思う。
人という孤独な存在を詩的に映像化
想像するがそこまでは求めない
自分も60歳の齢を越えたので、自分だったらって想像してみたが、なかなかやろうとは思えない。もちろん、ファーンの場合には、住んでいた町が町ごと無くなったためという理由があるが。日本には、人が住んでいないアリゾナの荒野のような土地がないせいもある。アメリカには、西部開拓の歴史もあるからか。
アマゾン等の単純労働を転々としながら、同じような高齢者が助け合って、一つのコミュニティを作るのは、アメリカならでは。リーマンショック、製造業の没落、国民皆保険制度がない等、ブルーカラーを締め付ける環境の中で、座して待つだけではなく、自分の力で切り抜けようとする力強さが、アメリカ人に宿るDNAみたいなものか。
抑え目のピアノのBGM、不便なバン生活の制約、雇用の不安定、物々交換、その中でも馴染みの仲間との支え合いと交流。
日本でも、単身世帯となった高齢者の生活は、子どもたちとの関係がなければ、大きな差はないかもしれない。仕事は限られ、地域との付き合いは限定的、あとは同じ趣味を持つ人たちとの交流程度。
「ノマド」は、過酷な環境ではあるが、街にいる路上生活者に比べればまだいいのかもしれない。アメリカ人のスピリットの自由な生活を選択しているから。でも、やはり日本人には想像が難しい。自由よりは、便利さに慣れているためか。未開の荒野もないし。同じようなことは、恐らく日本ではできないだろう。
ただ、映画の中で、「家」は、心の中にある物とノマドが発していた。ファーンにとっても、それは夫と暮らした美しい日々だったのだろう。それが、大自然の美しさ、人の優しさとリンクする。最後、家財道具を売り払っては、夫との過去に決別するため。人は、心が満たされるものを求めて、旅をし、彷徨うのかもしれない。
生きる事の壮絶さ
価値観が少し変わるかも
本作が好きか嫌いかは別として、とにかく人生を見つめ直すよい機会になった。
めくるめく雄大な自然は、人間の強さとはかなさの両面を映し出していたと思う。
観ていてドキュメント作品と勘違いするほど出演者皆の演技があまりに自然というか日常的に感じた理由については、観終えて初めて知りびっくり。このあたりも本作の評価どころか。
個人的には少々行き過ぎに感じるシーンもちらほらあったが出演者皆を引っ張りあげた主演のフランシス・マクドーマンドの演技力は、演技の枠を遥かに越えていると言っても過言ではないしほど素晴らしかったのは言うまでもない。
観ている途中は正直そこまでは…的だったが、今感想を書きながら想うことは、アカデミー賞3部門受賞はやはり相応なのかもしれない。
ところで、フランシス・マクドーマンドを観ていて、大竹しのぶを思い出したのは私だけ?
イージーライダーの現代版
車上生活って憧れんことはないけど
人生すべて後ろ向き!の拙にとって
カネなくなったらアマゾンで働こか、
とは絶対ならんねえ。
だからこそ自分にマネできん人生観には憧れるが
現実的に嫁さんもガキも居るわけで
作品もあーそうなんだ、の域を出なかった。残念
60点
イオンシネマ近江八幡 20210428
(ノン)フィクション
現実と創作の間にある映画でした。
どこまでが現実でどこからが創作の世界なのか混乱しました。でも、そんなことはどうでもいいんです。こういう世界は現実にあるのだから。と思わせる良作でした。
社会で活躍しみんなの役に立ってきたのに、社会情勢の変化でその立場を失う。その大きな変化で自分たちの居場所を求めて彷徨う人々を、数多くの美しい風景、絶景、奇観との対比も加えて、スケールの大小と合わせて描いているのも考えさせるものがありました。
そして何よりもフランシス・マクドーマンドが素晴らしい。スリービルボードの時も思いましたが、自然というかその世界に溶け込み過ぎて怖いくらいでした。ほんとにすごい表現者です。
これは、アカデミー賞取っちゃうでしょうね。
孤独感がすごい
期待値がありすぎたか、観終わった時は私には合わなかったと思いましたが、いろんな方々のレビューを読んでじわじわきました
フランシス・マクドーマンドの演技は演技とは思えない程さすがでした
ストーリーは淡々と進み終わったように感じて、ストーリーより実際にノマドとして生きている方々を考えてしまいます
若くなくこれから先を思うと不安ではないのでしょうか
余計なものを持たず、煩わしい人間関係もなく、それを自由と思えれば良いのかもしれませんが
お金に不自由もなく周りに家族もいればノマドとして生きる選択をされるのでしょうか
その時だけの仕事をして、ホームレスではなくハウスレスと自分に言い聞かせて生きていく覚悟
アメリカの雄大な自然がさらに孤独を感じました
孤独感がすごい
期待値がありすぎたのか、観終わった時は私には合わなかったと思いましたが、いろんな方々のレビューを読んでじわじわきました
フランシス・マクドーマンドの演技は演技と思えない程さすがでした
ストーリーは淡々と進んで終わったように感じて、ストーリーより実際にノマドとして生きている方々を考えてしまいます
若くなくこれからを思うと不安ではないのでしょうか
余計なものを持たず、煩わしい人間関係もなく、それを自由と思えれば良いのかもしれないけど
お金に不自由もなく周りに家族もいればノマドとして生きる選択をされるのでしょうか
その時だけの仕事をして、ホームレスではなくハウスレスと自分に言い聞かせて生きていく覚悟
アメリカの雄大な自然がさらに孤独を感じさせました
アメリカ魂
マクドーマンド体当たりぶり
フランシス・マクドーマンドの体当たりぶりは半端じゃない。だけどこの映画がどうして評価されるのか理解できない。根底には、定住文化の日本人と、フロンティア精神が残るアメリカ人の開拓民文化の違いがあるのか。「アメリカの原風景なのよ」とか言うセリフがあったとしても、それが大多数のアメリカ人に刺さる言葉とは思えない。一定数、そんな人々がいるなあという認識程度ではなかろうか。
編集は巧みで、ものすごい情報量をぶつ切りにして繋いであるので、セリフのつなぎ目がない。どちらかというと、登場人物がすべて独り言をつぶやいているように聞こえる。たまたまそこに、マクドーマンドが居合わせているだけのように。特徴的なのは、絶対に目を合わせないでしゃべっていること。ちょっとアメリカ人の印象が当てはまらない。だからこそ、ものすごいリアリティを感じた。音楽も、たまに情感を強調したピアノソロなんかがはめられているが、基本的には状況音しか入らない。例えばラジオから聞こえてくる音楽とか。みんなでキャンプファイアしながら合唱する歌とか。
そんなこんなで、意外にいろいろと事件が起きているのだが、お気に入りの皿が割れてしまった。とか、文字にするとその程度のことが積み重なっていくだけのこと。ゆっくりと時間が流れているかのような錯覚を起こす。これが、老人にとっては目まぐるしい変化なのだろう。放浪の一年を通して、彼女の身の周りがどんどん変わっていく。
或るミュージシャンと知り合った時、彼が「ツアーの時に、その土地土地の断酒会に顔を出し、地域性や風土を知る。それがその街を知る一番早道だ」なんてセリフがあった。とても印象に残った。
時間があまりないので、多分もう二度と見ない映画だと思うのだけれど、眠れない時にずっと流してぼーっと見ていたいとも思う。不思議なテイストの映画だった。ただ、若い人にとっては退屈で、良さが伝わらないんじゃないのか。そうじゃなきゃいけないとも思う。だから賞なんかとって欲しくない。
静かに漂う物語に映画らしい映画を見た。
物語は静かに、滑り出すように始まる。
心に留まる音楽、演技、ロケーション、
気がついたら心は客席から離れ浮遊してた。
静かな物語の苦手な人は数分で飽きるはず。
しかし映画の中の意味のある空気を捕まえられれば
気持ちよくラストシーン、エンドロールを迎えられる。
監督のクロエ・ジャオは編集・脚本も手がけた。
監督は編集・脚本・撮影が出来ていいと思っている。
この映画での彼女の編集には場を読んだ流れがあり、
自身の言いたいことの見える編集をしている。
もちろん主演のフランシス・マクドーマンドと
話し合いながら決めることもあったはず。
いい脚本と撮影と編集と俳優、そして監督と製作陣。
映画館で鑑賞して2年経った今も残っている。
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