ノマドランドのレビュー・感想・評価
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アカデミー賞ノミネートされたから
アカデミー賞ノミネートされる映画は全体的に変わった映画が多く、審査員しか理解できないような映画が多いと感じていたが、ノマドランドは僕の想像を大きく上回り、とても素晴らしい映画だった。ネタバレはしたくないので、一言だけ!是非是非観てください!
これが、ノマドとしての矜持だというのだろうか?
私はファーンの気持ちが最後まで理解できなかった。一緒に暮らそうと言ってくれる人がいるというのに、なぜ一人でがんばり続けるのだろうか? 淋しくはないのか? 怖くないのか? 不安ではないのか? 愛よりも自由な暮らしがいいのだろうか? 確かに他人との暮らしは自分の思い通りにいかないことが多いだろう。でも、喜びは2倍に、悲しみは半分にできるのではないか。私にはそう思える。ファーンも夫が健在なら、ハウスレス生活は送らなかっただろうと思う。この映画を観て、2つの言葉が思い出された。「アメリカン・ドリーム」と「プーア・ホワイト」。アメリカの一面を表している言葉だ。一発当てれば、億万長者。でも、格差はすごくあってこんな暮らしを送っている人々もいる。Amazonの便利さは、こんな人たちが支えてくれているのだ。車の背景は美しいけど、荒涼とした印象を受けた。
ノマドはかぎ針編みをする
主人公がおじちゃんじゃなくておばちゃんなのがもうとてつもなくなんともいえない。
でも、主人公は女優が演じているので、それよりなにより映画に出てきたノマドたちがスクリーン外でちゃんと生きてるのかどうかとか考え出すと、もう何をどう考えていいのかわからないくらいドツボにはまって、「いい映画ってこういうのあるからなぁ」ってなってsee you down the road.
ただ生きていくという勇気
圧倒的な自然。
叫びだしたくなるような孤独と自由。
寄る辺なき人々の連帯感と誇り。
自分の足で立つという覚悟。
ただ生きていくという勇気。
ファーンに刻まれた皺が格好良くて見惚れてしまった。
コロナ禍、無駄に人と会わなくてよくなったことに
どこかほっとしている自分の甘さを思う。
つらいけれど、暗くはない
予告編を観て、好きなタイプの映画ではないなと思ったけれど、何か引っかかるものがあったので鑑賞しました。
べつに、何とか賞を取ったとかノミネートされたとかは関係ないです。
で、予想通りとくに感動はしなかった。
でも、何らかのメッセージは伝わってきました。
ちょっと、つらい話でしたねぇ。
スクリーンの映像を観ているあいだ、頭の中に「寂寞」とか「寂寥」という言葉が浮かんできたりして、心細い感じがずっとつきまとった。
僕も先のことを考えたら不安だらけなので(老後は、ほぼアウトだ)、身につまされる思いでした。
けれど、暗い話ではないと感じました。
つらい話だが、暗くはないナ、と。
我々は、いつの間にか経済社会にすり込まれた理想や幻想にとらわれすぎて生きているのではないか。
そういったものがつくり出した多くの「かくあるべし」から、もっと離れたところで生きてもいいのではないかとも思った。
そして、人と人とが繋がることの大切さを、あらためて考えさせられました。
ただ、この作品は、——出演者のほとんどが、実際のノマドということだし——ドキュメンタリーで撮ってもよかったんじゃないの? という気もしましたが、どうなんだろう。
以上、「ノマド」予備群より
ノマドという生き方
切ない…
ホームレスではない、ハウスレス。
家は心の中にあるもの。
ノマドを敢えて選んでいる人たちは、目的があって、群れない強さを持っているように見える。
ファーンは善き人。
だれとでも仲良くなれ、自分から偏見なく相手と関わろうとできる。
けれども、とこに行っても最後までみんなを見送る人。
彼女には、目的がないから?
きょうだいもいて、手を差しのべてくれる人もいるのに、そこに甘えようとはしないファーンの心にあるものが、最後の風景なのかもしれない。
ただただ、切ない。
一人になることが怖いわけではないけれども、ひとりの世界を突きつけられたような静寂。
ファーンを自分と重ね合わせて、あらためて隣に座っているパートナーの横顔を見つめてしまった。
フィクションとドキュメンタリーの融合
数々の映画賞を受賞しているので気になっていたのですが、なかなかタイミングが合わなずにやっと今になって観賞。
なるほど、フィクションとドキュメンタリーとが融合した今までに観たことがないような作品で素晴らしかったです。
雄大な自然の映像、生きるこということの本質の描写、そしてふたり以外は役者でない本物のノマドたちが出演ということですが演技ではない説得力がそこにありました。
ダブル・ミーニングとしての「ノマド」
まず初めに注意したいのが、本作は非常に注意力を要する映画だということです。
「会話」によって話が展開されていくため、散漫にスクリーンを眺めていてもストーリーの内容や面白みは頭に入ってきません。台詞を聞き漏らさないような意識が必要です。また、主人公であるファーンの家族や生い立ちについての情報が段階的に伝えられるため、序盤でここを聞き逃すと、ファーンの葛藤という本作のテーマが理解しにくくなります。
ストーリーは起伏が無いように見えますが、ファーンの内面における葛藤は映画後半に差し掛かるにつれて大きくなります。衣食住に困らない生理的充足を思い出す中で、それでも亡き夫との思い出を積んだヴァンでの車内生活を選びます。その意志の裏には「夫の生きた証を残すため」と語っており、過去の思い出を支えに生きるだけの「弱い女性」でなく、辛い車内生活を引き受けてでも亡き夫に愛を注ぐ「強い女性」としてファーンは描かれています。「夏のような」女性でしたね。
(愛についてのテーマは指輪や詩についての会話などで深められます。)
本作は「自然」もテーマにしており、美しい景観を撮った映像が何度も出てきます。しかし同時に、人間も含めた「自然」の美しくない側面(肉食の犠牲になる動物や排泄物、老いや死など)も前半を中心に描かれており、「映画」としての美しさと「ドキュメンタリー」としての説得力を兼ね備えた作品になっています。資本主義(文明化)の負の側面から逃れる「(漂流民としての)ノマド」な生き方が決して理想的で気軽なものではなく、当事者にしか分からない苦しみがあることを本作は代弁してくれていると言ってよいでしょう。
本作における「ノマド」とは「物質的および精神的な漂流」だと読み取れます。それは主人公のファーンが物質面での居場所であった家屋と、精神面での居場所であった夫を失っていることにあります。ちなみに私は東京の狭いアパートで一人暮らしをしています。私の生活は決して「ハウスレス」ではないですが「ホームレス」とは言えるでしょう(映画レビューを書いているのも寂しさゆえです)。孤独死が問題視されるように、今の日本に住む私たちにも決して無縁ではない作品なのでは、と思った次第です。
ノマドという生き方が持つ意味は?
友人からの薦めで前知識なしで観に行った。印象に残ったのは悲しげなピアノ曲である。
彼らノマドは不幸なのだろうか?
ファーンの年齢に近付いた自分にとっては憧れる生活でもある。家族という軛から離れて自由に暮らすにはリスクもある。
でも、病院のベッドで死にたくないという気持ちもあるのは確かだ。
現在の格差社会への批判もあるが、季節労働者をやりながら生きて行ける寛容さもあるのではないか?
ファーンが普通の生活に戻るチャンスがありながら戻らなかった理由は、死別した伴侶への思いだけではないような気がする。
原作を読んでみたいと思った。
アメリカ再生の静かなるファンファーレ!
エンタメ、劇場系、総ロックダウンという歴史的な状況下のアメリカにおいて、果たしてこの作品を映画館で観たひとがどれほどいたのかなど予想もつかないが、これだけは言える。一本の作品の95%以上のシーンに主演が映り続ける。これを映画と呼んでいいのか?同時に世界中の多くの俳優が羨ましがる「フランシスじゃ仕方ないか」と。
アメリカの光と絶望をみてきた世代が「誇り高き『ハウスレス』」を活きる姿に涙があふれた。
「また砂漠からはじりゃいいのさ、俺たちアメリカ人は!」そんな新たなる再生の宣言と思えた。
アカデミー賞候補作
うーん、これは…。
2011年、サブプライムローンからのリーマンショック後のお話。
移動→人との出会い→壮大な風景とそれっぽい雰囲気の音楽、の繰り返しが退屈。
非常に長く感じてしまい、のれませんでした。
(自分を含めて)明らかに映画に集中できていない人がちらほら。
見る側の資質を求められる映画かなと。
若くて体力があれば 自由気ままな一人旅に憧れることもあると思うけど...
若くて体力があれば
自由気ままな一人旅に憧れることもあると思うけど
高齢者が独りぼっちで
仕事を求めて
旅を続けていくという生き方は
観てるだけでもキツイ
本家の遊牧民(ノマド)だって
家族と一緒に助け合っている
車やスマホや
便利なグッズがあっても
ノマドたちと交流する機会があっても
基本は独り
でも、登場人達の
誇りと逞しさ知って
少し救われた
鑑賞してから2週間経つけれど
今でも時々
ノマドたちのことを想う
老いること、生きること
配偶者を亡くし、住む家を失ったファーンはノマドとして生きている。淡々と車の中で食べて寝て、働いて、旅をする。
古ぼけたバンの修理費が高くても、いっしょに住もうと姉や友人に誘われても、乾燥したアメリカ中西部の雄大な景色の中で、ファーンは旅を続ける。画面にしばしば映し出される夕焼けが美しい。
ファーンの旅の行き先はわからず、いつどこで何が起きるのかもわからない。しかしそれは我々の人生みな同じであろう。
いい映画だったので
皮肉たっぷりに書こうと思う。
中産階級の白人ですらこの有様なのに
国内でアニマル以下扱いされている有色人種はどうなってんだ?と言う疑問がまず浮かんだ。
そして劇中の会話で交わされるリーマンを揶揄する批判的な会話に米国の抱える根本的な課題を見
その病気に犯され切った我が国への憂いを改めて感じた次第である。
因みに最高特権を持つ米国人かつ白人でありながら、このような生活をしないと駄目なのに、敗戦国の有色人種のジャップが家を持って移動せずに生きている。と言うことに、またこの人達の嫉みが向かわないことを祈りばかりである🤞いよいよ世界のシロアリは自らの拠り所を食い散らかし移動を始めたな!❗️❕‼︎
高齢世代の価値観と大切なものとは!…
今の時代を象徴する作品でした。
リーマンショックから実態経済とは異なる富の求め方に変貌した価値観で、生きるために頑張ってきた老いた女性の『心情』を通して『大事な人との思い出』の爪痕を守るところと『人とのふれあい』『死』のテーマを捉えたところは興味深かったです。
一人ぼっちになったらと考えると…強く生きられるか心配になります。
こんな生活だけはしたくない
映像の美しさだけで映画作品としては素晴らしいけど
作品を見ただけで
車中泊生活者たちを幸せそうだとか、金に縛られない自由な人たちだとコメントしている方々は
あくまでも自分たちはこんな生活をするような人間にはならないと言う
経済的な保証を得ているからなんでしょう
排泄はどうする?
バケツを地面に置いて踏ん張るんだぜ!
その後は?穴を掘って埋める?
バケツは洗うのか?
それともそのまま使い続けるのか?
キャンピングカーだって維持費もあるだろうし
車が故障したらお姉さんにお金を借りたいなんて電話してるし
縛られていないようでも
結局は金がなくて困ってるじゃねーか
作品としては素晴らしいけど
もし、注文をつけるとしたら
一般的な暮らしをしている人から見た
ノマドに対する本音が垣間見えるような場面があったら良かったかな
序盤で主人公がスポーツショップで昔の知り合い親子と偶然に会うシーンがあって
主人公が昔、学校の代理教員をやっていて
目の前に大きくなった教え子と
思い出話しをする場面
自分だったら主人公が去った後に
娘が母親に
『先生、体臭きついね』とか言って
車中泊生活者ってこんな風に思われているんだよと
決して幸せに満ち溢れている訳ではないって演出があっても良かったかな
とにもかくにも
ノマド的生活なんてやめた方がいい
一生懸命働いて、貯金して
好きなもんたらふく食って
そしてまた働いてがんばろう
ノマド生活なんて
週末キャンプで充分味わえるんだから
大自然
車中生活と言っても大自然の中だから、心のあり方がそこらの駐車場とは全然違う。山の中でテントで暮らしているのに近い。でも、主人公はそこに身を置くことに満足するわけでもない。ノマドどうしの人間関係の中で生きていく。ホントのノマドかな?ノマドになり切れない人間の「煩悩」の映画か。
I’m not homeless, I’m just houseless.
主人公の「ホームレスではないわ、ハウスレスよ」という言葉の意味をずっと考えてました。
人や社会とのつながりを失ってしまえば、例え住む家があってもホームレスな状態と言えるのかな?
自然と一体となって生活する現代のノマドたち。スクリーンの彼らを見つめていると同時に自分の生活、生き方をも振り返っていました。いろいろ考えさせられますねぇ。
エンドクレジットを見ていてびっくりしたのはフランシス・マクドーマンドとデヴィッド・ストラザーン以外はほとんど役名が実名で…皆さん役者さんだと思っていたけど実際のノマド民だったのですね!ご高齢の方が多いのも現実なんですね。
ドキュメンタリーとフィクションを融合したような作りは邦画の「朝が来る」とちょっと似ているのかなぁ?
アメリカ西部の壮大な風景、自然の光と音、そして人間の逞しさ。それらは大きなスクリーンでこそ味わえる作品ですね。
こういうシンプルな生き方もあるんだなぁ。
結局、生きるためには拠り所が必要
いい映画だと思う、一方、寝ちゃう映画でもある。
脚本と編集がいいんだろう。最初の1時間は、ノマドという生き方をなんとなく理解しつつも、実際はこんなに苦悩があるんだ、っていう知識欲で観ていける。
でも、ノマドなのに結局、一年間を通すとルーティンであることも表現されていて。
ノマドな人たちは「さよなら」を言わない、この言葉に尽きるんだと思う。過去に経験した大きな喪失が、彼女たちをノマドでしか生きられなくしたんだろう。
いまの生活を考え直すきっかけにはなる映画です。
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