石井裕也監督が5月公開の「茜色に焼かれる」に続き、またも今の私たちが直面している難問を題材とする意欲作を世に送り出した(撮影の順は本作の方が早かったそうだが)。今回のテーマをやや大げさに言うなら、(主に政治や経済の分野で)日本と韓国の関係が悪化している現状で、市井の日本人と韓国人の付き合い方や助け合い、交流のあり方にどんな可能性があるのかを模索する、といったところか。もちろん石井監督のことだから、理屈っぽい話や理想論に走るのではなく、ソウルから地方へ向かう数日間の旅をたまたま同行することになった両国の3人組同士の姿を描き、人間味あふれるドラマを通じてさりげなく観客に考えること、感じることを促している。
妻を病気で亡くした小説家の剛(池松壮亮)は、8歳の息子・学を連れ、「韓国で仕事がある」という兄(オダギリジョー)を頼ってソウルに到着。早々に兄が仕事仲間の韓国人から商品を持ち逃げされて途方に暮れるが、3人は怪しげなワカメのビジネスの話をあてにして北東部の港町・江陵を目指す。
剛はソウルのモールで買い物をしていた時、観客のいない舞台で歌う元アイドルのソルを目にする。ソルは末端労働者の兄ジョンウ、喘息持ちの妹ポムを養うため細々と芸能活動を続けていた。3兄妹は若くして死んだ両親の墓参りのために電車に乗り、たまたま乗り合わせていた剛たち一行と思いがけず旅を共にすることに。
6人が最初に食事をした店で、酔ったジョンウは韓国人の嫌日感情と日本人の嫌韓感情が共に高まっているという世論調査の数字を韓国語で話す。韓国語がわからない剛は黙って聞いているばかり。剛がソルや他の韓国人に話しかける時は、通じていないのに日本語を口にする。観始めてからしばらく、なぜ剛も他の主要人物たちも簡単な英語でコミュニケーションをとろうとしないのか疑問だったが、これは序盤で容易に意思疎通させない石井監督の狙いだろう。旅の途中から片言の英語で、剛はソルたちと少しずつ会話するようになる。
コロナの時代を舞台にした「茜色に焼かれる」に比べれば、日韓関係の悪化はタイムリーさの点で弱いかもしれないが、長年にわたり改善が進まない印象だし、この問題を扱う映画もドキュメンタリーを除けばおそらくなかったのではないか。他の映像作家たちが敬遠しがちな、現在進行形の社会問題や国際問題といった扱いにくいテーマに果敢に挑む姿勢を石井監督に感じる。
「搾取する側と、搾取される側」という台詞が出てくる。あるいは、ソルが仕事をもらうため芸能事務所社長と関係を持っているという話。経済格差、男女格差が根強く残る社会という点でも、両国は似ている。剛の兄とジョンウはそれぞれ“搾取する側”になりたいと望んでいるが、その願いがかなうことはおそらくない。
それでも、たとえば家族を亡くした喪失感のように、ありきたりかもしれないが大切な感覚をきっかけに、歩み寄ったり共感したりできるようになるのかもしれない。あるいは、お腹がすいている時に、おいしい料理を一緒に食べるシンプルな喜びでもいい。
ファンタジックな要素が含まれる点では、「町田くんの世界」と共通する。現代の寓話のような側面はあるが、主要人物たちと同じようにもがき苦しみながらも支え合って今の時代を生きている人は大勢いる。
最後にもう一つ。ソルたちの親戚の家に泊めてもらう場面で、オダギリジョー演じる兄が色目を使うその家の娘・テヨンを演じているチャン・ヒリョンがなかなかに魅力的。これまで韓国向けドラマの出演が多かったようだが、日本で鑑賞できる出演作が増えるといいなと願う。