FLEE フリー 劇場公開日 2022年6月10日
解説 20年の時を経て祖国アフガニスタンからの脱出を語る青年アミンの姿をとらえたドキュメンタリー。主人公をはじめ、周辺の人々の安全を守るためにアニメーションで制作され、アカデミー賞で史上初めて国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメーション賞の3部門ノミネートを果たした。また、アヌシー国際アニメーション映画祭でも最高賞となるクリスタル賞ほか3部門を受賞している。父が当局に連行されたまま戻ることがなかったアミンは、残された家族とともに生まれ育ったアフガニスタンから脱出した。やがて家族とも離れ離れとなったアミンは、数年後たった1人でデンマークへと亡命する。30代半ばとなり、研究者として成功を収め、恋人の男性と結婚を果たそうとしていたアミンだったが、彼には恋人にも話していない20年以上も心に抱え続けていた秘密があった。親友である映画監督の前で、アミンは自身の過酷な半生を静かに語り始める。監督は自身も迫害から逃れるためにロシアを離れたユダヤ系移民であるヨナス・ポヘール・ラスムセン。
2021年製作/89分/G/デンマーク・ スウェーデン・ ノルウェー・ フランス合作 原題:Flee 配給:トランスフォーマー
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受賞歴 ノミネート 長編ドキュメンタリー賞 国際長編映画賞 長編アニメーション賞
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これまで感じたことのない手触りを持った作品だ。内容としてはドキュメンタリーに属するのだろうが、しかしアニメーションを採用することでその印象や浸透の度合いは全く異なるものとなった。アニメにした理由が「匿名性を守るため」なのは大いに納得するところだが、と同時に、いわゆるフラッシュバック構造が本作の随所に挟み込まれている点もまた、アニメだからこそ。これにより主人公アミンの逃避行は単なる「語り」でなく、家族の温もりや心の機微が際立って伝わってくる「実態」となった。祖国を離れ、ソ連では理不尽な暮らしを強いられ、他国への脱出にも命がけの覚悟が必要だったアミン。さらに彼がずっと胸に秘めたものを口にする場面が印象的だ。この瞬間、彼が二つの長い道のりを歩み続けてきた事実が鮮明となり、よりいっそう尊さがこみ上げてくる。並走して描かれる現代の恋人との関係性も含め、人間の尊厳をめぐる旅路がギュッと詰まった秀作だ。
2022年6月5日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会
アフガニスタンから脱出(flee)した青年を題材にしたドキュメンタリー映画と聞いて、まず昨年9月公開の「ミッドナイト・トラベラー」を思い出した。同作は監督とその家族の難民としての旅と暮らしを、本人と家族たちが数台のスマートフォンで撮影した手法がユニークだったが、本作「FLEE フリー」も手法のユニークさの点で引けを取らない。 本作の主人公は、諸事情(映画の中で具体的に明かされる)により本名を明かしていない。映画の中ではアミンという仮名が与えられているが、本人の特定につながる可能性のある周辺情報もぼかすか、事実から変更されているようだ。監督のヨナス・ポヘール・ラスムセンは、15歳の時に自身が住むデンマークのある町にアミンがやって来て以来の友人だったが、アミンが過去の過酷な体験をラスムセンに明かしたのはずっと後のことだったという。ラスムセン監督は友人の半生をドキュメンタリー映画化するにあたり、匿名性を担保するためにアニメーションで語ることを選択した。しかも、同じタッチのアニメで作品全体を語るのではなく、アミンの記憶に基づき客観的に再現するシークエンスは2Dのカラーアニメで、トラウマに結びつくような悲惨なシーンはモノクロ調の抽象的なタッチで描き分けられ、さらに時代時代の統治者や街の風景などが実写のフッテージで挿入される。 アミンとその家族が欧州へ逃れるために体験したことは、なかなか簡潔に言葉に代えられるものではないが、本作の秀逸な表現手法によって視覚的に“体感”することはできる。多くの人に鑑賞してもらい、難民問題に関心を持つ人、問題意識を深める人が少しでも増えることを願う。
2022年8月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
あえて滑らかさを排したアニメーションと、時に言い淀みながらも懸命に言葉を紡ぐさまがいつまでも印象に残る作品です。 主人公がカウンセリングを受けるように自らの出自を話し始めるところから物語は始まります。その語り口は決して流暢ではなく、言葉に詰まったり、言い直しが加わったりするため、語り手はアニメーションのキャラクターではなく、まるで実在の人物が台本もなく、思いつくまま話しているかのように感じます。実際のところ本作には、証言した人の素性が分かると本人やその周辺の人々に危害が加わるかも知れない、という切迫した要因があり、当初予定していた実写のドキュメンタリー映画という形式から、アニメーション作品として制作することにした、という事情があります。確かに、戦火を逃れた難民、というだけでなく、様々な意味でマイノリティとしての自らを引き受けざるをえない主人公であることが明らかになるにつれ、その意図が十分理解できるようになります。 昨今のアニメーションを見慣れている眼からすると、一見するとキャラクターの動きはいくぶんぎこちなさがあります。これは恐らく、本編で展開する様々な凄惨な状況を描く際に、できる限り生々しさから派生する心理的衝撃性を弱めつつ、しかし状況についてはなるべく克明に伝えるため、あえてぎこちなさを残しているためだということが分かります(時折抽象的な表現が用いられるのも同様の意図があると感じました)。 ただし、「様々な事情により、アニメーションという手法をとった」という経緯があったとはいえ、ポスターなどの作品イメージからも明らかなように、その表現方法、技法は極めて高度で、かつ実に多彩な人々が、表情豊かに演技しています。このように本作は、高度なアニメーション表現を駆使しつつ、その背後にある”語り得ないもの”の深淵を感じさせるという点において、特に強烈な印象を残す作品となっています。
どうやら元祖はあるらしいのだが、アニメにすることが、こんなにも有効的に作用するものなのかと感心した!! 確かに自身が生まれつきのデリケートな部分、そして何より辛い過去を下手に実写化するより、我々には想像する力が備わっている。 それは心の奥底に訴えかけ、鑑賞者を揺さぶる。 アニメはシンプルだが、絶対的な平和という理想を叶えるまでは、永遠の名作として語り継がれるだろう。
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