ホーム >
作品情報 >
映画「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」 ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶
劇場公開日:2020年7月25日
解説
第2次世界大戦時、日本で唯一の地上戦がおこなわれた沖縄戦の悲劇を描いたドキュメンタリー。当時、劣勢だった日本軍の本土決戦準備の時間稼ぎのために沖縄は捨て石にされ、女性や子ども、老人までもが徴用され、戦闘協力を強いられた。さらに軍が県民に集団自決を強制し、死に切れない子どもを親が手を下して殺すという悲惨な光景も広がり、沖縄県出身の戦没者は12万2282人、当時の沖縄の人口の3人に1人が亡くなった。沖縄戦の当時を知る体験者、専門家の証言、米軍が撮影した記録フィルムなどから、沖縄上陸作戦から、戦闘終了までを描く。当時、満州で戦線に立った宝田明と、原爆の悲劇を描いた「きのこ雲の下から、明日へ」を上梓した斉藤とも子がナレーションを担当。監督は、原発事故を描いた「朝日のあたる家」を手がけた太田隆文。
2019年製作/105分/日本
配給:渋谷プロダクション
スタッフ・キャスト
全てのスタッフ・キャストを見る

- ×

※無料トライアル登録で、映画チケットを1枚発行できる1,500ポイントをプレゼント。
2020年8月25日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会
これは、日本人なら必ず見なくてはいけない映画でしょう。太平洋戦争末期、来たるべき本土決戦の防波堤であり、シミュレーションの役割をになった沖縄本島、ならびに沖縄の人々が直面した、むごすぎる真実が描かれています。ここに描かれる出来事は、あまりにも辛く、そして切ない。私はこれ見て、次回、沖縄に行ったら、対馬丸記念館に行こうと決めました。あと、ナレーションはもっとあっさりの方が個人的には好みです。それにしても米軍が、1945年当時、カラーフィルムの機材を持ちこんで戦場を撮影していた事実に驚きです。
2020年8月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
ネタバレ! クリックして本文を読む
ー第二次世界大戦末期、沖縄で何が起きていたのか? それを、解き明かすドキュメンタリー作品。当時の奇跡的な生存者の方々の言葉が重い。-
■印象的だった事
1.アメリカ軍が上陸地として沖縄を選んだ一つの理由
-”日本本土と沖縄とでは、人種的な違いはないが日本本土の人々は沖縄を差別する傾向がある。なので、沖縄に上陸しても大多数の日本人の更なる憎悪を生む可能性は低い”
という当時のアメリカ軍の分析・・。-
2.教育の大切さ(誤った価値観を民に植え付けない)
・戦陣訓の”生きて虜囚の辱めを受けず”の一節や皇民化教育の影響により”洗脳された”沖縄の人々の、幾つかのガマ(鍾乳洞)での悲惨な事例をガマの中で語る男性の言葉。
ー日本軍の指示であるという説と、否定する説があるが、今作品では沖縄の人々に対する(全国民と言い換えても良いであろう。)が背景にあると語られる。ー
・そして、”「集団自決」と言われるがそうではない。「集団強制死」である” と強く主張する男性の言葉。
3.対馬丸撃沈の事実を詳細に語る、奇跡的に生き残った女性の言葉。
4.15歳以上の男子は、兵力として駆り出され日本軍を助ける役割を強制されていた事実。そして、女性たちも・・。
ー少年兵による「護郷隊」については、傑作ドキュメンタリー「沖縄スパイ戦史」で詳細に語られている・・。-
<第二次世界大戦末期の対米戦で、唯一住民を巻き込んだ沖縄の地上肉弾戦で何が行われていたのか・・。
その生々しさを”正視するのがキツイが、”日本人であれば”見なければいけない多数の写真”と、貴重な証人の方々の言葉で描き出したドキュメンタリー作品。
生き証人の方々の多数のインタビュー含め、ガマの中の映像など、今作制作陣の反戦の強い思いが伝わってくる作品でもある。>
<2020年8月30日 刈谷日劇にて鑑賞>
戦後75年、何度も胸に刻むために観に行きました。
高齢者の方が多かった(私は40代だが一番若かった?!)です。もっと若い人に観てもらいたい映画です。
一点残念だった点。私は何度か沖縄戦のドキュメンタリーや現地のツアーに参加していたので大体の流れはわかりましたが、はじめての方は時間軸が行ったり来たりしたのでわかりにくかったのではないでしょうか。読谷村上陸から摩文仁までの道筋を追ってもらった方が良かったかなと。
でも、生き残られた皆さんの生の声を聴かせていただけたのは有り難かったです。しっかり胸に刻み付けたいと思います。
2020年8月23日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
沖縄戦を扱った映画で最も迫力があり、かつリアリティがあったのはメル・ギブソン監督の「ハクソー・リッジ」である。沖縄戦を扱った作品だ。島の切り立った崖を登ると、痩せ細った日本軍兵士が鬼のような形相で銃を撃ち、日本刀で斬りつけてくる。物量で日本軍を圧倒していた米軍だが、個々の戦闘では多くの死傷者を出した。
本作品は沖縄戦が庶民にとってどのようであったかを教えてくれる。自分たちで掘った避難場所と食糧を日本の軍隊に奪われ、米軍は鬼畜で男は拷問されて殺され、女は強カンされて殺されると教えられる。他に情報のない住民はそれを信じるしかない。米軍が勝って占領された地域の住民は、ガマと呼ばれる穴に集まって隠れるが、出て行って殺されるか、ここで死ぬかの選択を迫られる。チビチリガマでは親が子供を殺し、死にきれなかった者だけが助かった。しかしシムクガマでは、ハワイから帰っていた比嘉平治さんが米軍と話すことが出来たので、強カンも拷問も殺されることもないと判って、全員が助かった。
教育の問題だと多くの登場人物は語るが、日本軍が自分たちに都合のいいことしか伝えないのは考えれば解ることだ。それを考えなかったのは権力に逆らうことをしない国民性だと思う。沖縄を含めて日本は市民革命で自由と平等が勝ち取られた訳ではない。明治維新はクーデターだし、戦後民主主義は戦争に負けて成立した。日本人は一度も権力と戦ったことがないのだ。そもそも権力を疑うこともしない。それこそが教育の問題で、権力というものが常に流転する相対的なものだという認識があれば、日本の軍国主義教育を鵜呑みにすることはなかっただろう。
そういうメンタリティは社会全体が建設的な場合には集合として強い力を発揮する。高度成長時代がまさにそれに当たる。しかしいま、下り坂の時代に入り、再び権力者が国家主義のパラダイムの下に人心の集結を図ろうとしている。その危険性に気づかないまま、現権力を支持していると、再び沖縄戦の時代がやってこないとも限らない。
既に成長が望めない時代になっていることを権力者が認めようとせず、夢よもう一度と朝鮮半島や中国、東南アジアに軍を派遣するようなことになれば、世界はもはや日本という共同体、日本人という民族を残しておこうとは思わなくなるだろう。先の大戦に対する反省を口にせず、代わりに積極的平和主義を主張するような頭のおかしい人間が総理大臣をやっているような国だと、世界は既に警戒を始めているのだ。