護られなかった者たちへのレビュー・感想・評価
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人間のすることはすべて間違っていると考えた方がいい。
すべて間違っているが、せめて赦される間違いを選ぼうとする努力はあっていい。 自然が引き起こすことに対して、それは理不尽だと叫ぶのは筋違いというものだ。自然は中立なのだから・・・・。人の幸せを人と人との繋がりの中だけで捕えようとすれば悲劇が起こる。幸不幸は表裏一体。人間関係は幸せにもするが不幸になる原因にもなりえる。 自然災害後に起こった殺人事件を描いたこの映画を観て、改めてそう感じた。人の心は脆い、まるで綿菓子のようだ。しかし、弱いばかりでもない。きっちり死を見つめたものは如何に生きれば良いかを身体が覚えてしまう。それは、哀しみという感情には間違いなく終わりがあるからだ。 そして、人との関係ばかりが幸せもたらすのではないことを実感し、自然の中にも幸せを探してみなくてはならない。
憎しみと恨みの「恐ろしさ」。
連続「餓死」殺人事件、切なすぎる真実そして「護られなかった者たちへ」のタイトル。 佐藤健が人を寄せ付けず、乱暴で何か暗い過去がありそうな雰囲気を終始醸し出している。当然、観客は佐藤健を追っていく。 始まりは震災のあと避難所で寄せ合う女の子とおばあちゃんと佐藤健。そして現在進行系の殺人事件の捜査に果敢に望む阿部寛。時間が行ったり来たりしているので、最初はよく飲み込めないところもあった。 震災で多くの人が家族、愛する人を失い悲しみ、また避難所での生活を余儀なくされている。震災で生活が一変したのだ。一方で、収入、親戚を失った人たちの最低限の生活を保証するための生活保護制度の存在。不正に利用する人たちも現に存在する中、どこまで真に必要な人を救えているのかという地方自治体職員の葛藤。 殺人事件の背景に迫る過程でさまざまな現実や関係性が明らかにされていく。サスペンスドラマの要素もあって、ハラハラ・ドキドキするところも多く、最後まで犯人と殺人に至る理由は明かされない。佐藤健、清原果耶、阿部寛という私の好きな俳優陣であったが、この映画では終始笑顔がほとんどなく、厳しい顔つき目つきの映画であった。 なぜ殺人をしたのか。行政の対応はどうだったのか。についてはそこまでエスカレートする話ではないのではと、冷静に見てしまった。こんなことが起きていたら、行政は破綻してしまう。そうではなく犯人が憎しみと恨みを持ち続け、何人も殺人に移せることの「恐ろしさ」に、後味が悪かった。そうせざるを得なかったほど、彼らの絆は固かったのだろう。ただ、死んだおばあちゃんは、そんな事は望んでないはずである。
最も感動したのはラストで利根の激白に、思わず筈篠が涙したシーンでした。ふたりにはお互いが知り得なかったある繋がりがあったこと
インディペンデントのピンク映画からメジャーの恋愛モノまで幅広く手がけてきた瀬々敬久監督、「64 ロクヨン」 「友罪」など社会派ミステリーの系譜にも連なってきます。中山七里の小説を原作にした猟奇連続殺人事件の物語ですが、東日本大震災を起点として今に続く悲劇を描き出そうとします。 震災によってすべてを奪われた人たちが、どのような状況で生きていかなければならなかったのか。貧困や孤独といった重いテーマが横たわる一方、人とのつながりが救いになるという希望も持たせてくれる作品でした。 いい人だと思われていた被害者に別の顔があったように、正義や善は決して一面的ではないこと、そして誰もが孤独や貧困に直面する可能性をはらんでいることに気付かされます。 瀨々監督の作品のいいところは、たとえ犯罪者でもステレオタイプに断罪せず、罪を犯す状況に誰もが思わず感情移入したくなるほどの犯罪者が犯罪に陥るざるを得なかった状況を深く掘り下げる点です。罪は罪として報いは受けなければいけないけれど、罪を犯すまでの抱え込んでしまった運命について理解を示す視点は大切ではないでしょうか。 東日本大震災から10年後、仙台市内のアパートで、両手を拘束されたうえ四肢や口をガムテープで塞がれ、餓死した状態の遺体が発見されます。被害者の名は三雲忠勝(永山瑛太)。福祉保健事務所の人間だということがわかり、金銭に手がつけられていなかったことから怨恨の線で捜査が始められましたが、身辺を洗っても、職場でも家庭でも三雲のことを悪く言う者は誰もいなかったのです。 しかしそれから4日後、今度は城之内猛留(緒形直人)が公園近くの森の中にある農機具小屋の中で遺体で発見されます。遺体の状態は記者クラブにも流していない共通項が多く、十中八九同一人物によるものだと判断されました。 城之内にも公私ともに悪い噂すら見つからなかったため、犯人は善人や人格者に照準を定めていると考えた捜査本部は、前科者や精神科に通院歴がある者からあたるよう指示しますが、宮城県捜査一課所属の笘篠誠一郎(阿部寛)は2人に必ず何か共通点があるはずだと考えるのです。そして三雲と城之内が塩釜福祉事務所で2年間、同じ時期に職員として働いていたことをつきとめます。 笘篠と相棒の蓮田智彦(林遣都)は、被害者の部下幹子(清原果耶)から福祉事務所の仕事の1つであるケースワーカー業務に同行して生活保護受給者たちと接触し、行政側が真っ当な対応をしていても逆恨みされていることがあることを知ります。そして2人は捜査対象を三雲と城之内が勤務している期間に生活保護申請を却下された者や、受給していながらケースワーカーの報告で打ち切られた者にしぼり、塩釜福祉保健事務所からその対象者のリストが入ったUSBと資料をなんとか手に入れるのでした。 そして2年間で700件近くあった該当者の中で、不服申し立てを含み申請が複数回に及ぶ者や事務所関係者とトラブルがあったものに絞ったところ、やがて容疑者が浮上したのです。 リストの中で、遠島けい(倍賞美津子)という人物の場合は本人ではなく知人男性が乗り込んできて、三雲と城之内に怪我をさせた挙句に建物に火を放ったと知った笘篠と蓮田は、その知人男性・利根勝久(佐藤健)こそが犯人ではないかとにらむのでした。 筈篠は、事件直前に刑務所から出た利根を追うことになります。施設で育った利根は、震災の避難所で出会った少女カンちゃん(石井心咲)、一人暮らしのけいと家族同然の暮らしをしていましたが、けいが生活保護を受けられなかったことに怒って事務所に放火してしまったのです。 映画の柱の一つは、災厄がもたらす孤独と格差、それを乗り越えようとする人間愛です。身寄りのない3人が肩を寄せ合って再生しようとし、震災で妻と息子を亡くした筈篠も、利根の過去を知るうちに自分の傷と向き合っていくのでした。 一方で、生活保護行政の影にも目を向けます。行政側の非情で官僚的な対応を描きつつ、財政難の事情や不正受給者の存在も示してゆくのです。悪意や怠慢に単純化するのではなく、むしろ制度を守ろうとして誰も幸せにならない不条理を浮かび上がらせたのでした。 本作をミステリーとしてとらえるのは、少々難があるでしょう。肝となるはずの動機や犯人捜しだが、こちらの意外性やドンデン返しのカタルシスは、残念ながらもう一つなのです。皆さんもご覧になれば、利根があっさり逮捕され、犯行を自白してしまうことに筈篠が疑念をもち、裏取り捜査に乗り出す時点で、事件の真相をほぼ予感できることでしょう。でせも本作は誰が犯人かということではありませんでした。 一見ミステリーぽく見せつつも瀬々監督は、今も残る震災の傷痕と、震災が明らかにした弱者救済制度の不備にスポットが当たるようにこの娯楽作に盛り込んだのです。生活困窮者が餓死してしまうという死因の強烈さを挿入することで、生活保護のシステムがなぜこれほど面倒なのか。餓死するとわかっていても突き放してしまう行政の非情さとそうせざるを得なくさせている不正受給の問題にも触れていて、行政の福祉担当者の切迫した苦悩は、鋭い問い掛けとなり、我々に深く突き刺ささってくることでしょう。 しかしながらわたしが最も感動したのはラストで利根の激白に、思わず筈篠が涙したシーンでした。ふたりにはお互いが知り得なかったある繋がりがあったのです。 利根はあくまで自分はいいヤツなんかじゃないと激白するのです。あの震災の時、海に乗り込まれる少年を見ても水が怖くて、足が止まってしまって助けられなかったような意気地なしなんだというのです。だからその少年と同じ黄色いヤッケを着ていたカンちゃんを見たとき、この子だけは護ってあげたいと思ったのだとも。 全編を通じて、寡黙で怖い表情を浮かべるだけだった利根のこの台詞に遭遇した時、なんて優しい奴なんだろうかと思いました。タイトルの『護られなかった者たちへ』の中にはきっと少年を助けられなかった利根の悔恨も確実に入っていると思います。 ところで本作は、佐藤健の熱演が物語に深みを与えて本当に素晴らしかったです。 予告編で話題となった利根が泥水に顔を突っ込みながら声を限りに叫ぶシーンや、初めて人の優しさに触れて心を動かす場面など、その名演シーンは語り尽くせません 時を経て、震災がドラマに昇華されるようになったことがうかがえる骨太の一作です。(2021年10月1日公開)
骨太で社会派な作品。
貧困問題、生活保護受給、東北の震災、震災によって家族を亡くし養子に出された、重いテーマがのしかかるが、それをどっしりどの俳優さんも受けとめ演じている。 今の法律や制度の問題を真正面から切り込んでいる。ちょっとでも助けがありそうな道筋があれば受給はさせない、本人の意思による申請、など。 制度はどこかで線引きをしないとなぁなぁになってしまい、担当者や自治体による差が生まれかねない。でも、スパッと切るだけがこの制度ではなく、本当に必要な人に届けるための制度であることを再確認できた。 婚姻や誰の子なのか、も法律によって苦しんでいる人がいるという。それも制度としてスパッと切るのではなく、客観的な視点を持ちつつも誰のための制度なのかをいうことを忘れてはいけない。
生活保護という観点
人の話かと思ったら、制度の話だった。なるほどそういう視点での映画も悪くない。
誰も悪くない。国の制度の問題。増える高齢者の孤独死。背景には本当に、こういうことがあるんだな。身近な人を見ても、独り身だと、余計に自分のことに気が回らない。変に頼りたくない。なんなんだその心理は。貰う権利ないのにずるしてもらう奴もいるってのに。最後のかんちゃんの訴えは、生活に苦しむ全ての人に聞いてほしい。
しかしかんちゃんが一人であの犯行をしたのはちょっと無理があると‥。大人の男性を20代の女の子が一人で運べないでしょ。。それに生い立ちも決して悪くない。母からは愛されていたし、里親もいい人。仕事で触れ合う人々に辟易していたとしても、殺そうとまで思うかな。
題名の意味が深い
二人の男が殺された。 二人は昔生活保護の業務をしていることが分かった その時生活保護を受けれなかったおばあちゃんがいた。 おばあちゃんは震災で生活が苦しなっていたが、震災で二人の男女と知り合いになった。 警察は二人の男女のことを調べて、男を捕まえたが、おばあちゃんの生活保護のことでもう一人関わっていることが分かって、その人物は行方不明になっていた。 男をそのことを知っていて本当の犯人を説得したという内容だった。 本当の犯人が最後になるまでわからなく、驚きました。 題名の「護られなかった者たちへ」ってとても深い意味のある言葉だなと作品を観て思いました。 生活保護を受ける側と受けさせる側の両方の大変さがみれた作品でした。
パンの配給所へのダッシュの仕方がまんまるろ剣(笑)
豪華俳優がバンバン出る商業主義的日本映画の監督の中でほぼ唯一の良心みたいな人。 揚げ足を取ろうと思えばいくらかあるけど、悪い意味でのモヤモヤが残る原作から上手に設定を改変し、少なくとも原作を越えた出来だ。 役所側から見れば、「弱者老人を食い物にしてるチンピラ(ようは千原せいじ側の人間)」にしか見えない以上、受給を辞退させたのはむしろ親切なんだよな。 この誤解がそもそもの悲劇で、役所側の人物もけして悪人でもなければ冷徹なマニュアルマンですらないんだよね。 (辞退に進展する前に誤解を解く機会が本当になかったのかってのは映画的な欺瞞ではあるんだが)
けいさんは、なぜ護られなかったのか?震災の爪痕と傷ついた人々がクッキリと浮かぶ秀作
2021年。原作:中山七里。監督:瀬々敬久。 映画の舞台は震災から9年後の仙台市。 凄惨な連続・餓死・殺人事件が起こる。 そして多忙を極める生活保護の申請・受給者の現場。 この2つを対比する事で、東日本大震災が人の心を如何に傷を与え、 困窮して頼る最後のセーフティネット《生活保護》、 その現場も、不正受給や申請却下そして申請取り消しで、荒んでいた。 生活保護の最前線で働く幹子(清原伽耶)・・・震災で母を亡くす 連続殺人事件を追う刑事・苫篠(阿部寛)・・・震災で妻と息子を亡くす 孤独な前科者・利根(佐藤健)・・・孤児だったが、震災で職場も住処も失う 本当に「護りたかったその人」が社会によって「護られなかった時」 生活保護システムの責任者に向かって行く。 そして善人・人格者と呼ばれる2人が生きたまま縛られて餓死して殺される。 映画は利根泰久、円山幹子、遠島けい、3人の避難所での出会いから、 交流そして困窮するけいの生活を回想の形で追って行く。 余りにも優しかったけいさん(倍賞美津子) 幹子が寒さに震える肩に掛けられた毛布。 泥水に顔を押し付けられて吠えてた利根泰久に、渡された乾いたタオル。 けいさん、幹子、泰久が3人で、家族のように囲んで食べた「あったかいうどん」 優しい人が護られなかった。 優しい人が無惨に見捨てられた。 東日本大震災で「罪なき善人」が1万6000名も亡くなりました。 「死んでいい人は誰もいない」と利根が言う。 生活保護。 国のお世話にならないとのプライド・・・世間に知れると恥ずかしい・・・ 扶養照会と言う残酷・・・ 困窮した誰もが受けるのが当たり前の権利。 偏見や差別や遠慮があってはならないです。 ラストの苫篠と利根の会話に、サプライズがあり、 利根と苫小篠が不思議な縁で繋がります。 この映画にあるのは「魂の慟哭」の記録でした。 過去鑑賞(2022/03/18)
いろいろ思うところはあるが演技力の勝ち
震災を軸にした重めのテーマ、豪華キャストも魅力です。 結末を知ってしまうとその犯行、あなた一人では 無理があるだろうとかいろいろ思うところはありますが とにかく俳優陣の演技力で成立してる気がします。 芸達者の中、特に福祉職員役の瑛太の表面的には 善人の中にあるいやらしい黒さがチラッと垣間見える 演技が秀逸かと思いました。
小説、映画の役割とは
演技、映像、音楽は本当に素晴らしかったです。
震災直後の街の様子や、遺体を確認する手続きなんかは、妙に納得してしまい、胸が締め付けられました。
ポニョですら地上波に流すときは賛否がある震災の爪痕ですが、この作品は見るべき映画として残ってもらいたいです。
生活保護についても、どこまでリアルか分かりませんが、決して良いものではないのかなと感じました。
脚本については、原作を読んでいないため、そもそもそういう話しなのかも知れませんが、かなり無理があるシーンが多かったと思います。単純に女性が一人で証拠も残さずやるのは不可能かなと思います。
せめて共犯くらいにしておいたら良かったのかなと。
とにかく皆さん演技ウマすぎでした。特に泣くシーン、それぞれの俳優さんが、それぞれのキャラクターの性格で、それぞれの感情の変化の表現が本当に素晴らしかったです。
公助の限界と声をあげる必要性
公助の限界。 やはり「公」だけど人間の雇用の現場である以上、疲労から悪巧みの本能が働いてしまうだろう。また、融通のきかない厳しい規則。 そこに公助の限界がある。 だからこそ、声をあげるべきだ。 人様や世間に迷惑がかかるから、といって躊躇うんじゃない。 人には生きる権利がある。生きてく上で限界な人を助けるための制度がある。
深い…。
かんちゃんとけいさんが利根に行ってらっしゃい、そして行ってきますと笑顔。あ〜、家族だなと。3人には幸せになって欲しいと願いたくなる。ただただ震災のお話だけではなく、そこに絡める殺人事件や生活保護の現状。色々考えさせられるが、ラストは護ろうとする人がいることに救われるかな。 黄色い上着がなんか悲しい。
愛する人を護ること
この映画の大きな特徴は、震災が背景にあるためほとんどすべての主要な人物が、大きな傷を心に負っているということだ。誰もが愛する者を護れなかった喪失感を抱えながら、今ある大切な人を護りたいと必死に暮らしている。
そんな中、震災から9年経った同じ街で事件が起きた。
護れなかった人のための復讐を実行する女の子、それに気がついて罪を被ろうとする男、犯人を追う刑事、みんな悲しいほどに傷ついていた。
そして貧困の中で死んでいった女性の愛が襖に言葉で書かれていた、最後のシーンには涙が止まらなかった。
震災、貧困、生活保護、社会問題として考えるべきことはたくさんあるけれど、私は愛する人を護りたいという気持ちの深さに心を動かされた。
生活保護
考えさせられる映画でした。 生活保護という制度は必要な人にとって最後の砦の様なものです。 だが、映画内で不正受給を疑われるシーンがありましたが、そういった者たちは徹底的に取り締まられなければいけません。 本来、護られなければいけない人が護られず、護られなくてもいい人が護られるなどといった事はあってはいけません。 また生活困窮外国人への支給は日本国が行う必要はなく困窮者の自国で行うべきです。 特に外国人は不正受給の割合が多いと聞きます。 外国人に生活保護を支給しているのは世界中で日本だけです。 生活困窮外国人は自分の国にお帰り頂いて、国は本来護られるべき日本人をしっかり護って頂きたい!と考えた次第です。
犯人候補が少なかったため、展開にあまり驚きがなかった。ヒューマンサ...
犯人候補が少なかったため、展開にあまり驚きがなかった。ヒューマンサスペンスとしては少し物足りなかったかも、、。
原作のもっとも変えてはならないと思えた設定が変えられてしまった
原作最大のサプライズだった、円山=カンちゃんという事実が割と早々にバラされたのも「ん?」だったが
作者がこの作品を世に出した目的とも思える大切な問題提起が完全に無くなっていたのにはがっかりした。
生活保護の対象者は増加傾向というのにそのための社会保障費は政府厚労省によって削減され
それに従わざるを得ない地方自治体が、本来生活保護を受けることができる人を理不尽に門前払いしているいう問題。
映画ではそんな問題など無いことにされ、三雲・城之内・上崎は全員が善人。遠山が自らが保護申請を辞退したことになった。
つい先月、経済産業省中小産業庁が行っているコロナ対策・月次支援金の申請の際の問題点について某議員が国会で指摘した。
申請しても書類の不備を理由に申請却下、再申請するも同様の理由で却下。不備の内容は訊いても教えてくれない。
結局申請期限となり結局不給付となったというホテル・旅館経営者が少なくなく不満の声が上がっていると。
本当に困っている人の切実な申請が理不尽なやり方で弾かれているというのは確実に今日本に存在する問題なのだ。
その問題提起を全削除してどうすんだよ。
2本立て2本目。これまたなかなかすごい映画。今日の2本は大当たり。...
2本立て2本目。これまたなかなかすごい映画。今日の2本は大当たり。 またまた震災お涙頂戴ものかと思ったら、そこに生活保護受給問題を絡めてきたか。悪いと思われる人が、実はそう簡単なものではないというところが深かった。 犯人は途中でなんとなく。ちょっと無理筋じゃあ?と思ったが、そこに応えてくれる映像もあります。そして犯人のメッセージが染みる。 私的にはラストシーンはやや蛇足感。そこまでくるとちょっとやりすぎかな。でもそこもよく考えられています。 映画ならではの豪華キャストも見応えありました。
護りたい人たちへ
恥ずかしながらその昔、生活に困って生活保護を受けようとした事があった。
だけど、申請がとにかく面倒臭い。
住んでる家の状況とかその時の収入とか、事細かに色々根掘り葉掘り聞かれる。例えば、家は2DKのようなアパートの狭い一室でなければダメ、収入も定められた金額以下でないとダメ。
血縁関係者が存命の場合、極力支援を受ける事。
…いやいや、それが無理だから申請しに来てんじゃん。親戚付き合いなんて祖父が死んでから全くナシ。絶縁状態。なのに、連絡取って支援受けろなんて、無理言いやがる。もう連絡先も知らねーって。勿論、それも出来ないと申請はダメ。
生活保護って生活困窮者を助ける国のシステムの筈なのに、本当は貧乏人どもにビタ一文足りとも国のお金を渡したくないのでは…?
結局、申請は諦めた。色々面倒クセェーし、イライラしてきたし。
それに、生活保護を受ける事に恥ずかしさも感じたから。そんな事をしないと自分一人の力で生きていけない無力さ。
劇中でも度々あった。生活保護は国民が誰でも受ける事が出来る権利。しかし、それに頼りたくない。
だから、見ていて思い出し痛感する点が多々あった。
震災から9年経った仙台で、全身を縛られたまま餓死した遺体が2件発見される。被害者二人は同じ福祉保険事務所に勤めていた事が分かり、警察は怨恨の線で捜査を進める。
やがて捜査線上に放火の罪で服役していた元受刑囚の青年が浮かび上がる。その背景に、3・11や生活保護問題の闇が深く関わり…。
事の発端は東日本大震災。多くの人々から大切な人や生活の全てを根こそぎ奪っていった“怪物”。
メインとして描かれるのは、生活保護問題。入りは殺人捜査ミステリーだが、思ってた以上に社会派。
絶対的に東日本大震災を絡める必要性があったのかと問われたら返答に困るが、人々の生活を一変させ、今尚続く困窮の引き金や悲劇の始まりとして、訴え迫るものはある。
容疑者の青年、利根。震災避難所で、一人の少女・カンと出会う。
二人に声を掛けてくれたのが、一人の老女・けい。
3人には何処か通じるものが。利根は生まれた時から天涯孤独の身。カンは震災で母親を亡くし、伯父にも見離され…。けいはかつて結婚していたが、DV夫で一人娘とは暮らしておらず…。(娘は母親は死んだと聞かされている)
身を寄せられる家族が居ない。
そんな3人が出会って…。どんな交流が育まれたかは、いちいち言う必要もないだろう。
けいの庇護を受けて二人は成長。仕事や進学にそれぞれ進み、久々に再会。
その時けいは、一日の生活も出来ないような身体と暮らし。困窮のどん底。
見かねた利根とカンは、けいを説得し、生活保護の申請に行くが…。
こういう時こそ、国が援助してくれなければならない。
が、こういう時に限って、国は何も助けてくれない。
国や社会や現実は、残酷だった。
生活保護の申請を渋るような職員の対応。それも、口調や表情は穏やかに。内心は鬱陶しそうに。
娘が居る事を知られると、娘からの援助を要請される。会った事もない娘にどう頼めばいいと言うのか…?
誰にでも触れられたくない過去や点がある。それを無情に掘り返す。
嫌になってくる。どうしてこんな思いをしてまで、国に頭を下げて援助を乞わなければならないのか。この時のけいの心情がかつての自分とリンクした。
そうなって来ると、お役所立場としては後は容易い。“逃げ”の方へ誘導するだけ。
一度申請した生活保護の辞退。
ノルマでもあるのだろうか。易々と生活保護申請を受けてはならない、と。辞退や断った職員は、“出来る職員”などと。
勿論世の中には、生活保護を不正に受け取る輩が居る。そういった輩や来る人来る人全てに生活保護の申請を通していたら…? それも分かる。
が、中には本当に生活保護を必要とする人たちも居る。それも分かって欲しい。
もし、救いの手が断られたら…?
もし、助けの声が届かなかったら…?
その最悪の事態、悲劇が起きた。
殺害された二人は、“善人”との評判。お人好しで、恨む者など居ない。
…が、それは誰の評価なのだろうか。
仏のような笑顔で無情な仕打ち。
自分や上の評価は良くても、実際やられた側は恨みたくもなる。
あんたのせいで…。
全員がそうではない。不埒なほんの一部。
でも、ご立派なお役所様に散々冷たく対応された事ある身としては、敢えて言いたい。
連中は、法を盾にしたやくざ同然だ。寧ろ、もっと質が悪い。
動機は単純。復讐。餓死体からも分かるように、同じ苦しみを知れ。
二人の他に、もう一人狙われる。
利根を緊急拘束するが…、どうやら彼は犯人ではない。
もう自ずと真犯人が分かってくる。ネタバレチェックを付けるので触れるが、
カン。現在は“丸山幹子(みきこ)”と名を変え(“幹”=“カン”)、ケースワーカーの職に。
生活保護の問題によって家族代わりの人を失ったのに、何故よりによって“支援”する立場の仕事に…?
カンは心から、生活保護を必要としている人を助けたい。
その一方、不正受給者や生活保護システムの矛盾さを許せない。
肯定でもあり、否定。
その両面を発し、問題を突き付ける。
原作小説をかなり脚色してるとか。Wikipediaでちらっと目を通したが、原作では元々カンの役は男性で、人間関係やストーリー展開もちょっと違う。刑事の苫篠が主役。
この映画版でも苫篠役の阿部寛が渋い演技を魅せているが、実質の主役は利根とカン。扮した二人の熱演に引き込まれる。
世の全てを睨むような佐藤健の鋭い眼差し。時々カッとなる荒々しさの中に、本当の性格と眼差しが見つめるものが滲み出る。
事件の真犯人。生活困窮者を助けたい優しさと、不正受給者への憤り、恩人を見殺しにした3人への憎悪…。この難しい役所を、見事体現した清原果耶。同世代屈指と言われる実力と、憑依型と言われる演技力を存分に発揮。監督や共演者も驚かせたというその存在感。この豪華キャストの中でもズバ抜けていた。
序盤は現在の殺人事件と、震災時のエピソードが交錯し、ちょっとこんがらがる。
でも見ていく内に、それらが繋がっていき、悲しい人間ドラマと殺人捜査ミステリーの醍醐味が巧みに融合。見応えと面白さ、社会派テーマとエンタメ性。
瀬々敬久監督の演出は時々バタ臭く、力み過ぎな点も感じられたが、上々。この監督も当たり外れの差が激しいが、個人的には今回は当たりの方。監督作の中でも特に好きな一本になったかも。
震災から11年経った。劇中で仮設住宅が出た時には、あれから全く時が流れていない…と言うか、時が止まった感覚に陥った。
ニュースなどで聞かなくなってきている。復興。
遅れに遅れ、困窮の生活を強いられている人たちは未だ沢山。
そこに、コロナだ。
不況だ。
人々の生活が全く良くならないのなら、生活困窮者の暮らしは明日のメドも立たないほど。
周りの助けや国の支援など頼らず、自分の力で生活を改善しろ! 甘えてんじゃねぇ!
…と思う人たちも大勢いるだろう。
出来るなら、そうしたい。
でも、分かって欲しい。そうしたくても、そう出来ない状況や立場とや身の人たちも居る事を。
耳を傾けてあげて。
声をあげて。
この混沌とした今の世の中でも、きっと微かでも、聞こえる筈。届く筈。
護られなかった人たち。
その人たちは、何も自分一人の為だけじゃない。
護りたい人たちへ。
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