青くて痛くて脆いのレビュー・感想・評価
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(´༎ຶོρ༎ຶོ`)感動した。自分がお恥ずかしくなった。
前日 『君の膵臓を食べたい』を地上波で見たのをきっかけに視聴。『君の膵臓を食べたい』は何とも良い作品でした。本作品も、、、、最高でしたと感想を述べると同時に若かりし日の自分がいかに下劣であったのか、、、、悔恨。帰り際 スクーターを運転しながら大声を出してしまった。お恥ずかしい限りです。
理想と現実どっちを取るの?みんなから望まれる自分はいますか?利用される自分に耐えられますか?復讐心に燃える自分に耐えられますか?全てぶっ壊して何か生まれましたか?
言い出したらキリがありません。悔恨の数々。
しかしながら最後の主人公の言葉は救いでしょう。
その時の悔しい思い、、、、伝えたいけど伝えることができない事、、、、好きだという事、、、、その場で全力で昇華させてあげなければいけないんですね。
今からでも遅くない、、、全力で生きようと思う。
本当に嬴政と同じ人?
まず、これだけは言わせてください。吉沢亮が素晴らしいです。これほどまでに作品によって、いや一つの作品の中でも、顔が変わる俳優さんを見たことがありません。きっと顔が完璧な黄金比だから、角度や髪型、力の入れ方によって自在に顔を変えることができるのでしょう。この作品においても、一年生と四年生の時の顔が別人のようで、時間の流れがダイレクトに伝わってきますし、10年間の下積み時代のさまざまな作品での経験を活かした演技力が最大限に発揮されていて、目を離せませんでした。彼の出世作である、「銀魂」、「キングダム 」、「なつぞら」などとのギャップが凄まじくて、しかし、それらと同じくらいの演技の熱量を感じ、大袈裟でなく、映画館でのけぞりそうになりました。これほどまでに、「演技」と「顔」の両方を自在に操れる俳優が出てきたのは、日本映画界にとって、とても喜ばしいことですね。
また内容も素晴らしく、最近のヒットする映画は、個人的には心の表面を当たり障りなくかすっていくだけの印象でしたが、今作は心の奥深くまでグサッと刺さる内容で、たとえヒットはしなくとも、2020年を代表する名作と言っても過言では無いと思います。心に響くか響かないかで、賛否は分かれると思いますが、この映画は、この映画の良さを理解できる人たちだけであっても、強烈なインパクトを与えられる作品なので観て損は無いと思います。
これもまた青春
青春と言えば、部活動で友と共に汗を流し目標に向かって切磋琢磨したり、好きな人と恋愛するような王道の青春を思い浮かべるが、若いがゆえに失敗をする、そんな苦い青春も他と変わらず価値のある同じ青春であることは間違いない。
勝手に好きになり、勝手に裏切られたと思い、心のどこかでは間違ってるのではないかと思いながらも復讐に走り、すべて終わってしまった後に悔やむ。もしかしたらありえたかもしれない未来を妄想し、さらに悔やむ。
小説版も読んだが、映画では映像ならではの表現の仕方で、パラパラ漫画や、秋吉との幻の未来を想像しながら泣く場面が特に良かった。
苦い苦い青春を悔やみながらも前へ進もうとする主人公の成長に感動した。
傷付いたっていい
この物語の趣旨とは、主人公の楓が「傷付きたくない」から「傷ついたっていい」に変化する過程を描いたものです。僕がこの物語を考える上で、着目した点は下記の3つです。いづれも脇役の何気ない一言と漫画示す意味についてです。
◎「人はその時々の間に合わせで人と付き合っているじゃない?」~脇坂さんの言葉~
◎「お前一度、秋好と真剣に話をしてみた方がいい」 ~董介の言葉~
◎ 憎しみは自分に跳ね返ってくること ~パラパラ漫画の示すもの~
◎「人はその時々の間に合わせに人と付き合っているじゃない?」~脇坂さんの言葉~
楓の「秋好は自分を間に合わせに使った」という言葉に対して、脇坂さんが楓に返した言葉です。
続けて脇坂さんは「人は寂しさや悲しさを抱き、その時にたまたま近くにいた人を、間に合わせ人として使い付き合っていくのではないか?人間関係とはその繰り返しなのではないか?」という発言をします。脇坂さんの言う「間に合わせ」とは僕の解釈では、「縁」という言葉に置き換えられるのではないかと感じます。楓が大学でたまたま秋好と出会ったのも何かの縁。楓がその時に抱いた感情と秋好がその時抱いていた感情が二人を引き合わせた。そう考えると楓が秋好の元を去り、モアイを脱退したのも一つの縁であったと思います。この「間に合わせ」という言葉に、人間関係を考える上での核心があると感じました。
◎「お前一度秋好と真剣に話をしてみた方がいい」 ~董介の言葉~
モアイの個人情報流出をネットに晒そうとする董介が楓に、頭を冷やさせる意味で発した言葉です。楓は秋好が自分をモアイから追い出したと思い込んでいます。楓は秋好への憎しみや嫉妬心が増幅し、人や物事に真剣に向き合う姿勢から、どんどん遠ざかっていっていました。「人と向きあうこと」とはすなわち「人と話し意見を交換すること」それにより誤解を解くことだと僕は思います。誤解を生んでいる相手に対して、話し合うことで誤解が解けた、単なる自分の思い込みだったなんてことは、世の中にはたくさんあると思います。
董介は楓にそのことを分かって欲しかった。楓が抱く秋好への憎しみや嫉妬心は、楓の中の単なる思い込みであり誤解だということ。そのように私はこの言葉を解釈致しました。
◎ 憎しみは自分に跳ね返ってくること ~パラパラ漫画が示すもの~
楓がメモ帳に描いていたパラパラ漫画は、走っている人が壁にぶつかり、また走り出し岩を登っていくというものでした。「壁にぶつかる」=「傷つくことを恐れない」ということを象徴しているのではないかと感じました。楓は周囲との摩擦を恐れず「傷つくことを恐れない」秋好の姿を潜在的にまぶしく思っていたのでしょう。自分も秋好みたいになりたいと。だから楓がモアイや秋好に向けられた憎しみや嫉妬の感情は、ある意味で不器用な自分に向けられた苛立ちから来る感情でもあったのだと思います。
僕は物語を観る時に脇役の何気ないセリフなどに着目します。そこに主人公の存在以上の物語の核心が内包されているように感じるからです。一つの参考にしていただければ幸いです。
痛くて痛くてつらい
原作は読了済。
大学で出会った女友達と2人で結成した秘密結社モアイ。理想とはかけ離れたモアイを元に戻すためぶち壊そうと画策する男の話。
観終わった後、周りから聞こえてくる「思っていたのと違う」という声。原作を読んだ時点でそう思っていたので密かにめっちゃ共感してしまった。
原作と違う点が結構よかったのでまだ観れた感じはする。特にラスト。コミュ障的な主人公が、コミュニケーション不足から勘違いし逆恨みし暴走するという基本構図は同じだけど、映画の方がまだ救いがある。いや、それでも十分痛くてつらいけど。
それにしても吉沢亮がこの役をやることにかなりの違和感。演技がだめとかではなく、あの顔で目立たないようにおとなしく生活するってできるのかな?と思ってしまう。オーラがありすぎるのも困りものだ。
「青い」「痛い」「脆い」
原作が発売された時から気になっていたが、原作未読のまま鑑賞。主人公の勝手に勘違いして、被害妄想して、全部他人のせいにする感じ、自分もそんな経験が何度もある。そんな時って良くないってわかっていても勢いで変な方向に行動してしまうんだよなあ、、そしてすぐにこんなの間違ってたって気づくんだけど、どうすればいいかわからなくなって、、ほんとにこの点は共感した。この後、傷つくことを避けてきた主人公が傷つくことを覚悟で動き出すことができたのがすごい。自分じゃできないなと感じた。青臭い学生生活を痛いと感じながらも傷つきやすい脆い心。そんな心は若者なら誰にも、いや人間なら皆持っているのではないか。誰もが自分の意見をバンバン言えたりできるものではない。そういう人間のなんとも言えない感情をひしひしと感じた。
俳優陣も素晴らしい演技で、吉沢亮さん、杉咲花さんはもちろんだが、森七菜さんのシーンでは演者魂というか、必死さがとても伝わってきた。タイトルを見て少しでも引っかかったらぜひ見てほしい作品です。
題名通りの若気の至り
原作は単行本発行当時に既読。住野よるさんの作品は、等身大の青春像とその時代の淡さや切なさ、そして、若さに任せて突き進む姿が、若者の共感を呼ぶのでしょうね。
時の流れの中で変化していく理想…。そこに、この主人公のようについていけない若者も、世の中には多いのかもしれません。
『誰もが鳴りたい自分になって、世界平和を願う』という当初の理想像を掲げて、モアイを立ち上げた田畑と秋吉。しかし、現実と理想のはざまの中で変化していく理想論。自分が信じ、恋愛感情も芽生え始めた秋吉に裏切られたと思い込み、その腹いせに、自分が感じた傷と同じ傷を秋吉に追って欲しいと願った田畑。
しかし、その結果として残ったものは、自分自身に対する後悔と恥だけだった。大人の階段を行きつ戻りつしながら、厳しい世の中に一歩踏み込み、自分自身や人生の価値観に葛藤しながら歩んでいきます
題名通り、若さゆえに突っ走ってしまう、正に『青さと痛さと脆さ』がテーマとなるストーリー展開。あとタイトルに付け足すなら『後悔、そして成長』かな(笑)
杉咲さんは、本のイメージにピッタリ。また、吉沢君はもう少しオタク的なイメージでしたが、青く痛く脆い青年役をスクリーンいっぱいに演じていたと思います。
普通で面白かった
面白かったけど感情はあまり揺さぶられなかったかな。
でも主人公の自分の居場所がなくなっていく孤独感、好きな人が他の人と付き合う嫉妬心やそのやりきれない思いを正当化してぶつけたくなるのは共感できました!誰しもがある黒い部分が上手く表現されてた気がする。
でも秋吉もモアイ立ち上げの時と比べると現実的な考え方になったり最初なら誰かを否定する事は言わなかったと思うけど主人公に『気持ち悪っ』て言ってしまうのはやっぱり変わってしまったんだなって思いました。
それがいい事なのかダメなのかはわからないけど…
総合的に普通で面白かったです(o^^o)
モろくてアおくてイたい。。
杉咲花どうやって殺されんだろ。
気持ち悪ってどういう流れで言うんだろ。
と予告編の時点でストーリーの想像がつかなかったけど、あぁ生きてたのね、むしろ吉沢亮の心が死んだほうやねと。やっぱりほんとに死んだほうがインパクトは強いので予告より弱い方向に倒れるってのはちょっと期待ハズレ感は残るかなと思う。
人間誰しもが抱える心の弱さや、それに間違った形でしか抵抗できなくて、でも最後は少し成長して、痛々しくて気持ち悪くて青かった、、思ってたのと違ったので高評価とはいかないまでも楽しめる映画でした。
理想を掲げる杉咲花が代表でも、でかくなりすぎたサークルを制御し切れないのか、あんな風になるかなぁとちょっと違和感はありつつ、、実態がよくわからんから杉咲花目線のスピンオフでも見てみたい、笑。
俳優陣はいい感じでしたね。吉沢亮はかっこよくて気持ち悪かったし、杉咲花も安定、そしてやはり森七菜は好きだなぁ、、とてもよい。岡山天音もなんであんなにもバイプレイヤーがハマるのだろう。
なりたい自分になるって信じて頑張って生きることは大事だよな、と心に刻みながら、今日もダラダラと過ごす。
まあ、いいんですけど、、、。
予告を観て、勘違いした私が悪いんです。
彼女生きてるやん!
から、ああだから、あの予告の
気持ち悪っ!
さあ、来い。いつ言うんだ?
ああ、ここですかー。
そりゃー、そう言われるよ。
私の大好物の、いい人だけでできてる映画なのに、
一人でどんどん拗らせてしまった話だった。
結果、天野さんや脇坂さんもむしろいい人やん。
ビラ撒くのとか、貼るのとかやり過ぎてて、本当に気持ち悪い。
しかも、大学のサークルの代表が死んだら、そのこと知らないはずはないでしょう。すぐ嘘だとわかるし、一年後、モアイがMOAIになって、その活動を見に行くなんてある?
終わりもなんかスッキリしない。
えっ、そこから全力で走って、声かける?!
久しぶりに、スルーしても良かったかなと。
気持ち悪い感じで帰り道。
まあ、私には合わなかった。
予告の死んだを間に受けすぎたので、
本当気持ち悪いと思ってしまった。
この嘘を見破れ。
これもそんな大したことだった?と言う感じです。
二人はどこで間違えたのか。
「君の膵臓をたべたい」の桜良と僕のように、自分にないものを持っている相手と補完関係になって惹かれあうはずだったのにそうならなかった。どこで間違ったのだろう。秋好は理想主義だけど前向きな性格だからどんどん現実を取り入れて前に進む。一方楓は内向きな性格だから自分の思いと違ってくるとどんどんそこから離れていってしまう。楓が復讐を考えるのは、秋好と過ごした日々が大切で秋好を尊敬(+愛)していたからなのだろう。本来なら強く結びつくべき二人の関係がこんなにも脆く崩れ去るのを見るのは残念だ。
確かに青春時代にはありがちな物語だと見ていたのだが、どうにも登場人物たちに共感できないのが作品上どうなのかなと思う。最後まで秋好はよく分からない奴で、楓は見苦しい奴という印象が残ってしまう。
もう少し深掘りして欲しかった
原作未読で鑑賞。最初の方のセリフを聞いたら
「君の脾臓〜」系なの?と思ったら大違いでした。
人間の本質をぐいぐい浮き彫りにしていく、
それも高卒間もない二十歳前の男女の成長中の
本質をぐいぐいと・・・。
心当たりあるわぁ・・・とヒリヒリすること多数。
青くて痛くて脆い・・・これこそ多かれ少なかれ
人間があまねく持っている物なのかな?と思います。
それがあるから辛いしめんどくさいし・・・、
だから逃げちゃおっか・・・?なんて思っちゃうわけで。
答えはもちろん一つじゃないし、こうしなくちゃならない
なんてセオリーもない。けど生きていく上では・・・
ちょっとした勇気がもらえる映画かもしれません。
吉沢さん、杉咲さん、見事でした、演技。
最後の方、もう辛くて辛くて・・・。
けど、秋吉さん側の心情、考え方、背景などなどもっと深掘り
して欲しかったな。
そんなに尺使うエピソードかなぁ?これ。。。と思う物多数。
けど、観てよかった。ちょっと元気でます!
世界観の浅い幼稚な作品
暴力を否定する人は多いが、暴力を否定しない人もたくさんいる。日本では親や教師による暴力を「愛のムチ」と呼んで美化あるいは正当化している時代があった。いまでも子供を殴る親や教師はたくさんいると思う。TBSのテレビドラマ「スクールウォーズ」の山下真司扮する熱血教師がラグビー部員を殴るシーンについて、感動的なシーンだとする人と、単なる暴力シーンだと切り捨てる人に分かれているようだが、あれを感動的としてしまえば、すべてのパワーハラスメントは正当化されてしまうだろう。
杉咲花が演じた秋好寿乃は行動力はあるが思考力に欠ける性格で、自己肯定感に溢れているから他人を巻き込んで恥じることがない。対して吉沢亮の田端楓は自己否定気味であり、その延長として世界のことも否定気味である。人との摩擦を避けるためになるべく穏便な行動を取る。ソーシャルディスタンスで言えば、秋好は50センチ、田端は3メートルというところか。通常なら絶対に関わることのない相反する人物設定だが、これを強引に絡ませることでなんとか物語が成り立っている。しかし秋好の行動は思考力に欠ける人間の典型でよく分かるのだが、田端の行動は否定的な人間という設定を逸脱して理解できない部分が多い。物語は破綻していると思う。
暴力反対、戦争反対、自分らしく生きるというスローガンは若者らしいところと、宗教のお題目みたいなところの両方の印象がある。このスローガンではサークルなど立ち上げようがないのだが、それも強引に立ち上げてしまう。活動内容は他愛もない福祉活動だ。田端は否定的な人間の特徴として内省的なのだが、サークルの活動についての内省はしないようだ。この辺りも理解できない点のひとつである。
あらゆる暴力は否定されるべきだが、暴力を否定するだけでは暴力はなくならない。暴力というのは人間の行動のひとつであり、行動には必ず理由がある。その理由を明らかにすることで因って来る源となる問題を探り当て、それを解決することで漸く暴力がこの世から一掃される。単に暴力反対を叫ぶ秋好がドン引きされたのは当然で、ドン引きする方を無理解として秋好を支持するのは無理筋だ。
一般的にどの共同体でも暴力は禁止されている。しかし家庭内暴力、警官による暴力など、暴力事件は世界中で後を絶たない。人間は本来的に暴力を振るうとも考えられる。ただ日本では、戦前から戦後のやたらに人を殴る時代から比べれば、最近は日常的な暴力が減少しているように思える。教師が毎日のように生徒を殴っていた時代はもはや昔の話だ。それはパワハラといった言葉が普及して無意識にブレーキをかけたことも大きいと思うが、それ以上に人間はみな平等という民主主義の考え方が徐々に普及しているのも大きな理由であろう。
法の下の平等という考え方は古くからあるが、それが基本的なものの見方として定着するには長い時間が必要で、未だに定着してはいない。殆どの人間は勝手な基準で人を差別する。それが自尊心の働きだ。自分が他人よりも優れていると思わなければ自分を肯定することが出来ないのだ。そのためには自分よりも劣っている人間を探すか想定することになる。人を見下すという心理だ。相手を下に見るからその相手が自分に反抗したり言うことを聞かなかったりするのが許せない。自尊心を傷つけられるからだ。そして暴力を振るう。
差別の基準は多くは封建主義的な考え方に起因している。子供より親が上、生徒より教師が上、部下より上司が上、店員より客が上、黒人より白人が上など、法の下の平等という基本的人権の考え方を無視した基準がまかり通る。その逆はない。遅刻した生徒を殴る教師はざらにいるが、遅刻した教師を殴る生徒は滅多にいない。言うことを聞かない子供を叱りつける親はときどき見かけるが、赤信号を渡る親を叱りつける子供は見たことがない。部下を怒鳴る上司はいるが上司を怒鳴る部下は滅多にいない。店員に怒鳴りつける客はいるが、客を怒鳴りつけて言うことを聞かせようとする店員はいない。
言葉遣いも重要だ。英語では「please」とつけるかどうかくらいの話だが、日本語には敬語があるから厄介である。敬語は差別の象徴であり、目上と目下を設定する。その基準は前述の封建主義的な基準にぴったりと合致している。本作品にも敬語を使う使わないのシーンがあるが、敬語を使わせる精神性が暴力に結びついていることにまでは考えが及んでいないようで、登場人物の関係性だけに終わってしまっている。
敬語は互いの距離感を遠ざける。親しき仲にも礼儀ありという通り、互いに敬語を使う間柄には暴力は生じにくい。もし秋好と田端が思考力に富んだ人間だったら、暴力反対のサークルはタメグチ反対というスローガンを打ち出すことも出来た筈である。そうすれば日本の敬語が世界の暴力反対に役立つだろう。
吉沢亮も杉咲花も力いっぱいの演技で好感は持てたが、いかんせん映画自体が世界観の浅い幼稚な作品で、柄本佑をはじめとした脇役陣の好演があっても作品の質を高めることは不可能であった。
自分の青くて痛い部分にグサグサ刺さる
泥臭く生きてる人には斜に構えて批判をぶつけて、
自分は常識人のふりをして、世の中のことがわかったような顔で、口ぶりで、生きていやしないか?
他者に向き合わず、自分の本心に向き合わず、ただ安全な場所を確保することだけにかまけていないか?
自分の青くて痛くて脆い部分に手を突っ込まれたような、そんな映画です。
そうなんだ。殻を破れ!自分を生きろ!
みるべし。
様々な青さと痛さ
大学生は、まさに大人と子どもの間の時代。きっと人生の中で、一番自由で、一番危うくて、一番感情が行動に出るときだと思います。人生の選択肢や可能性が溢れているからこそ、大学という狭い世界の中で勝ち組系・負け組系みたいなカテゴライズがされる。ぜんぜんそんなことはないのに。
この作品の登場人物のそれぞれの行動は、共感できるし理解できる。でもたぶん、私はそれはしない、この人とは仲良くならない、そんな人ばかりでした。ただ、もし今この時代に自分が大学生だったら、あの場にいたら、どうだったのだろうと考えたりもしました。やっぱり青くて痛い行動を取っていたかも。
この作品を見て、何やってんだよって思えるのは、大人になったってことなのかもしれません。
友達少なめ男子大学生にオススメ。
人と距離を取りがちな男子大学生が、世界を本気で変えようとしている同級生の女の子に気に入られ、二人でモアイというサークルを作り、女の子への気持ちも揺らいで、サークルも順風満帆かと思いきやそうはいかなかったお話。
自意識過剰で友達が少なくて、物事を穿った目線で見ていて、思い込みが激しくて、他人のことを分かったつもりになっている男子大学生に是非観てほしい。
めちゃめちゃ刺さると思う。(自分も含め)
主人公の言動は行き過ぎなところもあるけど、大なり小なり共感する部分があり、そして題名通りに登場人物の全員が青くて痛くて脆かった。
というよりも、青くも痛くも脆くもない人間なんていないのかもしれない。年齢関係なく。
未熟な登場人物たちを、それを観ている自分を肯定してあげたくなる映画でした。
青くて痛くて脆くてなんぼのもんじゃい。
あと映画と全く関係ないけど観てて思い出した。
とあるラジオ番組で、パーソナリティが30歳の誕生日を迎えたのにも関わらず、いつまでも感覚は20歳前後のままだと発言していた。
とあるテレビ番組では、MCの方がある有名俳優の55歳を迎えた際の昔の写真を見て、「あと7年後にこんな貫禄出せない」と嘆いていた。(細かいところはうろ覚え)
そこで経年の感覚というものは10年ほど若いのかもしれないなと思った。
この映画では登場人物は大学生が主なので大体18歳から25歳くらいの間。
となると大学生というのはまだ中学生の頃の青さを持ち合わせているかもしれない。
そう思うと妙に納得できる観賞後でした。
役者が素晴らしい。 詳細は後日記載 キャストが本物の俳優を揃えてい...
役者が素晴らしい。
詳細は後日記載
キャストが本物の俳優を揃えているうえ豪華で、宣伝もサスペンス要素もあり出来の良いCMだったので、原作読まずに鑑賞。
前半はCMとは全く違い、これはこれで素敵な青春もので良いがCMの作り方としてはどうなのか?と思った。
しかし、観続けているうちにそれも含めて観客に何が正しいか思い込みで物事を捉えてないかを考えさせるという作りだったとわかりなるほどと思った。
ただ、このご時世映画館にお金を払って足を運んでくれる観客からするとあまり失敗したくないと思う人が多いであろう事を考えると、テレビの連ドラなどではこの方法でも話題になればまた続きをとなるかもしれないが、そこで思考を止めてしまう人は帰ってしまったり、裏切られた気持ちで一杯になり本意が伝わらないリスクもある作りのCMではあったとも思う。
というのも、この夏以降ヒットした作品の殆どが出演者のファンとヒットしているから観に行った人が多い印象で、コロナが流行る前以上に観に行くハードルが上がっているわけで、理解力が足りない人にマイナスイメージを持たれれば評価を下げられ、さらに他の観客が足を運ぶハードルが上がってしまう。
制作側が理解力が足りない人をそのまま振り落としていくのか、そういう人にこそ視野を広げて物事を捉えていってもらいたいと思うのかでこのCMの評価が全く変わる。
CMの作りが魅力的だったからこそ、足を運んだにもかかわらずサスペンスを期待した観客に落胆させるのは少しもったいない気はした。
内容は誰もが持ち合わせている感情だが、そこに気づいているか、もしくは気づいたうえでどんな行動をとっているかで評価が変わる作品。
観た直後より後になればなる程理解が進み、何度観ても色々な気づきがあり楽しめる。
いわゆるhappyといった楽しいとは違うが面白い。
とにかく主演2人の講堂でのシーンはBGMも全くなしで2人だけの演技で魅せられる。
若さ、見た目だけでなく圧倒的な演技力にはさすがとしか言いようがない。
青春ものではあるが、夫婦間をはじめとする家族間でもあり得る、思い違いや相手に甘えすぎて理解しようとする事を怠ったりする事で起こる部分も描いているので、幅広い年代が楽しめる作品。
そして、この作品のタイトルは青くて痛くて脆いだが、好き嫌いではなく、この作品を観て共感するとはいかないまでも全く理解さえ出来なかった観客はまさに痛いということだろう。
「感動の渦が」
今年57本目。
皆さんの評価が高かったので鑑賞。行く前にレビューは見ないのですが、チラッと☆4.0の評価が目に入ると「あっ面白いんだ」と今作も評判通り抜群でした。
実は前半は☆3.0かなあと見ていましたが、中盤からかなり面白くて☆1.5評価が上がりました。
この部類の号泣は久しぶりでした。それは杉咲花、吉沢亮が普段人間が思っていても実行出来ない事を、映画を通して体現してくれた事に感動でした。
森七菜は1か月間ベースの練習をして撮影に。森七菜は左利きだが右利き用のベースなので、そこも大変な所でした。ベースとヴォーカルも様になっていて格好良かったです。
主題歌のBLUE ENCOUNTの「ユメミグサ」とは「桜」の別称。作品とMatchした最高の曲でした。
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