空白のレビュー・感想・評価
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HUMAN
僕にとって、1番心に刺さる映画を撮るのが吉田恵輔監督です。
見終わった感想は、2014年公開のアクトオブキリングと、2018年公開のスリービルボードを足して2で割らなかったらこんな映画になるのかあ、、、でした。笑
照れ隠しです。
本当は分かってる。
誰しもが、騙し騙し生きている、
自分を騙して、諭して、隠して。
そんな感情すら形骸化してる。
この街で生きていかなければならない。
この地域で、この家族で、この親と共に。
学生の頃はキラキラしてた筈の世界がいつの間にかザラついている。
テレビや雑誌、映画の世界に答えを求める事にも飽きたし、テレビの中で巻き起こりまくってる奇跡みたいな出来事が、本当は起きない事もそれとなく気付いている。
いつか…と願う人がいる。
人に優しくしていればいつか…
これだけ苦労してるからいつか神様が…
この想いはいつか必ず届く。
だから、、だから、いつか俺に振り向いてくれ!!
届かないのに。
人生に不満がある人、認められたい人、赦しを乞う人、赦されない人、疲れた人、好きな人に振り向いて欲しい人、諦めた人、辞めちゃった人、それでも光を信じる人、毎日のお酒を楽しみにしてる人、繋がりたい人、死ねない人。
人と人に「間」と書いて人間。
この映画のタイトル「空白」にも通ずる部分があるなあ、と僕は想像しました。
ラスト、ほんの少しだけ光が差し込むシーンで慟哭してしまいました。
救いでも赦しでも無い。
だけど「生きていれば必ず良い事がある」
かもしれない。
そんな予感を漂わせながら流れるエンドロールに暫く放心状態でした。
上映が終わるとまた日常に戻ってしまうけど、観る前と観た後で少しだけ変化がある気がしてます。
だって、その答えは「生活」にあるんだから。
今年やっと出会えた見ごたえのある作品
登場人物それぞれが心に空白を持つことになる。
それを埋めようとすればするほど、制御できない感情に飲み込まれ、もがき苦しむ。
そして、そのことが更に周囲の人を傷つけ、追い詰めてゆく。
ああ、人間ってこんなにもなすすべもなく、感情に翻弄される生き物なんだと、まざまざと見せつけられた。
そして、そんな人の感情をワイドショーのネタにするマスコミや関わりを避ける学校。
正義とは、赦しとは、何なんだろう…
今年になって、やっと見ごたえのある映画に出会えた。
古田新太と松坂桃李の演技は圧巻。
映画のラストに、「救い」や人間の「再生」が見えたことで、より印象に残る映画となった。
監督の「人間」を見つめる目は、実は優しいのかな。
【泥沼のような負の連鎖の果てに、二人の”加害者=被害者”が辿り着いた境地。𠮷田恵輔監督渾身のオリジナル脚本は、重くて、哀しくて、遣る瀬ないが、鑑賞後の余韻の深さが凄い作品である。】
ー 𠮷田恵輔監督は、オリジナル脚本に拘る監督である。
初期は、「ばしゃ馬さんとビッグマウス」など軽妙なタッチが多かったが、「犬猿」「愛しのアイリーン」辺りから、人間が抱える闇を前面に出してきた感がある。
その、集大成が今作ではないだろうか・・。
重くて、哀しくて、遣る瀬無くて・・。けれども、引き込まれ、鑑賞後も余韻が凄い作品である。ー
■感想
<Caution 内容に触れています。>
・今作は、人が他者並びに自分自身に対し、赦しを与える難しさを描いている。
・スーパーの店長、青木(松坂桃李)が添田(古田新太)の娘、花音の万引きする姿を見つけ、車が行き交う道を追いかける時から、負の連鎖は始まって行く。
添田が、執拗に青木にまとわりつき、愚かしき報道陣に対しても、悪口雑言が止まらない。
ー それまで、娘の言葉には耳を貸さなかったDVに近い添田の、あの激しい怒りは
自らの”心の空白”を埋めるためであろう。ー
・青木も、正義を振り翳すパートのおばさん(寺島しのぶ)からの”正義の押し売り”や添田からの嫌がらせに衰弱していく。
ー 自分は、正しい事をしていると思っている人が陥りやすい、”正しくない、もしくは逆に迷惑な事”を只管行うおばさんの姿。ー
・添田の娘を撥ねてしまった女性が、何度も添田に謝罪に来るが相手にしない添田。そして、女性は”心の弱さ”故に自死してしまう。
ー 今作の、白眉のシーンであり、添田の心に変化を齎したシーン。ー
・その葬儀のシーンで、やって来た添田に対し、娘の母(片岡礼子)が、涙を流しながら言った言葉が凄い。激怒するかと思いきや、
”私の娘が、本当にすいませんでした。娘は心が弱かったので、キチンとお詫びもできなくって・・。けれど、明るくて、良い子だったのです・・”
◇ 今作は、出演している俳優さん達の演技も、物凄い。
突出しているのは、古田新太と松坂桃李だが、寺島しのぶや片岡礼子、添田の元妻の田畑智子、添田に罵倒されながらも添田を気遣い、一緒に船に乗る青年を演じる藤原季節。工事作業者のお兄ちゃんを演じた奥野瑛太。
皆、渾身の演技を見せてくれる。
・添田の気持ちが、徐々に変わって行く様。
それは、娘が本当に万引きをしていた事を知った事も一因であろうが、葬儀で詫びた自死した娘の母の言葉や、元妻の言葉”貴女に、私の夫を貶される言われはない!”と言う言葉に対し、初めて添田は深々と”すまなかった・・”と頭を下げるシーン。
・青木もスーパーがつぶれた後、交通整理の職に就くが、工事のお兄ちゃん(奥野瑛太)から”焼き鳥弁当、美味かったっすよ。”と笑顔で言われるシーン。
ー 自分がやってきたことを初めて、他人から肯定的に言われ、俯く青木の肩が震えているように、私には見えた・・。ー
・そして、且つての怒りは薄れた添田と青木が海辺で話をするシーン。
ー ”それでも、まだモヤモヤすんだよ・・”と添田はやや晴れやかな表情で青木に話しかける・・。ー
<今作は、重くて、2時間見ているのは正直シンドイ。
だが、この作品がテーマにしている
・誰もが、加害者になりうるし、被害者にもなりうる。
・人を、そして自分自身を赦す難しさ
を、𠮷田恵輔監督が、渾身のオリジナル脚本で描いた、記憶に長く残る作品であると私は思った作品である。>
善の中にも悪が、悪の中にも善が。桃李君の悪だけ棚上げか?
メディアのあり方や人の善悪を問うた点で、「由宇子の天秤」と重なるテーマでした。見比べて観るのもオススメです。
こちらも完全な悪人はいません(出番が少しの校長先生と男性教師には、良いところが見当たらなかったですが)。絶対関わりたくない強烈なキャラの古田新太の父親にでさえ、いや、だからこそ垣間見えた善の人間性に哀切を感じるのです。あて書きとのこともあって、古田新太ありきの映画でした。
松坂桃李は「虎狼の血」でも、迫真の演技が素晴らしかったのですが、やはり少し情けない気の弱い本作の店長役はハマり役でした。(でも彼にもまた、自分では抑えられない影の部分もありそう。冒頭部と校長先生の言葉がひっかかる。だけど断定はしていない)思わず手を差し伸べたくなっちゃう、寺島しのぶの気持ちに同感。で、この寺島しのぶが演じるボランティア大好きおばさんが、またあるあるなのです。正論バリバリで自分は絶対正しく、それを周りに理解させようと悪戦苦闘。一方いつも強気に見える彼女は、寂しさを払拭できずマグマがずっとフツフツしているのです。その他の登場人物も善悪両面出しながら、人間の多面性を見せてくれます。娘を轢いてしまったトラックの運転手だけ、蚊帳の外なのが、少しだけ気になりましたが。
有事が起きたとき、人はどんな顔を見せ、どう対応するのが正しいのか。重たくてヒリヒリしながらも、胸が熱くなる秀作です。古田新太が改心して「善」の部分が出てきた後も、「悪」の部分をチロチロ覗かせるところが巧みで、だからこそ嘘っぽくならずに良かったと思います。
今年は邦画の当たり年ですね。
イライラともどかしさ
マスコミが嫌いになりそう
同情できない空白を抱えた者たち
娘を事故で失った父親が、事件の真相を追い求めようと奮闘していくが、次第に暴走、関係するもの皆、そして自分自身を苦しめていく。
そして、事故の原因を作ったスーパーの店長はその父親と偏向報道に追い込まれていく。
本来なら両者に同情すべきはずだが、父親の誰とも相容れない姿勢、行き過ぎた行動がそれを阻む。
謝ってばかりの店長も可哀想であるが、常に何を考えているか分からず、本当に悪いことをしなかったのかグレーな状態が続きどこか不穏。
そして、ボランティア好きのスーパーの店員が厄介。正しいことをしているのだろうが、説得力もない。善意の押し売りがキツくて自分に酔っているのが、余計に店長を追い詰めていく。店員と父親の自分を絶対に曲げない2人の対面は見もの。
そして、登場人物皆、救いのない展開が続いていくが、観ていてタイトルの意味が分かってくる。
父親の娘を失ったことでできた心の空白、そもそも娘のことを全く知らなかったという娘との心の空白。
無気力に生きる店長のむなしく何もない空白の心。
そんな空白を埋めるわずかな救いが終盤にあることでとても安堵した。
吉田監督えぐい
人間の愚かさと優しさを知りました
古田新太さん演じる充はしょうもない奴だった。
傍若無人な振る舞いで、自己中、何でも決めつける、思い通りにならないと怒鳴りつける。モラハラ男の典型的なタイプ。
充に委縮して何も言い出せず、まともに話すこともできない娘。ただ一緒に住んでるだけの親子だ。
この作品を見て思ったこと。
人を許すこと。 責め続けることはまた犠牲者を増やす。人の話を聞くこと。自分の思いを押し付けないこと。人間関係で1番大切なことかも。親子でも、恋人でも、夫婦でも。
片岡礼子さんには泣かされました… それが充の転機のきっかけだったね。
亡くした娘のことを考え、知ろうと思った、彼女が何が好きだったか、何を見ていたか。娘のことを何も知らなかった自分の心の中の空白の部分を埋めるかの如く。
それをすることによって、充は人に感謝や思いやりや頭を下げることができるようになっていった。
本当は生きている内に気づけたらよかったね。
脇を固めるのはクセ強でお節介、草加部さん演じる寺島しのぶさん、万引きされたスーパーの店長には優柔不断で気が弱く、悪者になりきれない松坂桃李さん、そして、充のことを父親のように思い、陰ながら支え、理解者である下っ端漁師の藤原季節くん、同じく充の理解者である元妻の田畑智子さん。
キャストの皆さん、それぞれが不可欠な役回りをしっかりと演じきっていて、人はきっとみな、違った弱さや愚かさを抱えて生きていて、それでも支えてくれる誰かがいる。
最後にはそんな優しさと温かさを感じた作品でした。
他人事ではない
空白
現代風の人間模様
充のモンスターぶりと心情変化
女子中学生の添田花音はスーパーで万引しようとしたところを店長の青柳直人(松坂桃李)に見つかり、追いかけられ停車中の車の横から車道に飛び出して乗用車はねられ、倒れてたところに大型ダンプが来て轢かれ数十メートル引きずられて死んでしまった。花音の父・充(古田新太)はそれまで娘からの話も聞かず、ほとんど無関心だったのに、娘の死に直面し、娘は万引きしていないと思い込んで、スーパーの店長に対しモンスターとなって追求していくという話。
なかなか深みのあるストーリーだった。
古田新太のモンスターぶりが見所だが、松坂桃李の気の弱い店長役も良かったし、店員役の寺島しのぶが店長を支え、すごく良かった。
充の元妻役の田畑智子、充と一緒に船に乗ってる藤原季節、
花音の担任教師役の趣里など、味のある演技を見せてくれる。
観賞し終わって、じわりと余韻の残る良い作品でした。
恐怖→切ない、高低差
【ネタバレ】テンポ良し。ただし古田新太の主人公、コイツが一番悪い全てのの原因なのに最後すら行いを謝らない、「光が見えた」とも言い換えられるが、単なるクズ野郎で終わったのが残念。
荒くれのデタラメ父親役の古田新太の悪辣ぶりと、その他非常に繊細で常識的な人々のコントラストで終盤まで引っ張る。飽きることはない。ただ最後のモヤモヤな感じが残念。あと学校の教頭たるものが何の根拠もない痴漢の噂話しちゃダメだろう。
古田新太も、常に低姿勢弱気な店長松坂桃李も、中年独身女性の悩ましいポジションを演じた寺島しのぶも好演なだけに残念。
そもそも、成長期の娘、内気であることくらい毎日会ってればわかるだろが💢💢中学生の娘の申し出を、乱暴な男の暴言でドヤしている時点でDV確定。都合の良いバカで愚かな男だなぁ。おまけに娘の気持ちっとも考えず、話し合おうともせず。スマホ取り上げるのではなく、外へ投げ捨て。そりゃ娘おかしくなるわ。
それで、何だよ交通事故で残酷な状態で死んだら「娘を返せ、お前が悪い」ってか?💢犯罪には到底ならないのに、後述するようにトラッカーの会社にも怒りを向けるのがスジだろが。「遠いから無理」ってか。トラック運転手以外の2人は誠意を持って謝ってるではないか。オマケに学校まで乗り込んでイジメの詮索する有り様。松坂桃李を一方的に恨んで「娘は盗みなどしていない。」って
段々と私の中で古田新太の主人公ボコボコにしたいマグマが爆発寸前だった。
それで、何ですか?罪もない人が自殺して、風評被害で潰れたスーパー店長にも、盗みの証拠らしきもの見つかったにもかかわらず、双方に一言も謝らない無神経、唯我独尊ぶりが「希望の光」とはとても見えなかったなぁ。こう言う人間ドラマ系統は「(カタルシス 魂の浄化)がキモなだけに残念だ。
コレ敢えて言うと最初に突き飛ばした女の車は完全な不可抗力。スーパーの店長の松坂桃李は、敢えて言えば、追走距離が長過ぎ、昭和の昔あったコンビニでパン2、3個盗まれて、行き過ぎた正義感で犯人追い詰めて、返り討ち刺殺された事件思い出した。つまり結論としては、法定速度守るトラッカーなんて殆どいない現状で、解雇はともかく法人のみならず個人にも莫大な損害賠償かかるトラッカーが一番悪何だよ。法定速度を守り「前から何か落ちている」「なんか横から飛んできた」時点で急ブレーキ踏まないといけない。意外とブレーキ痕って難しいから。
善良なふりをする一般市民の怖さ
加害者家族と被害者家族。本来は相容れないがどちらもマスコミの報道によってバッシングされるという共通項がある。たとえ殺人を犯した人間だとしても、その家族は事件と何ら関係がないはず。でも加害者家族は責められ、嫌がらせを受けたりする。被害者家族も似たようなものだ。被害を受けたことをアピールしたり、公判での加害者の態度や証言を批判すると、調子に乗ってるとかいい加減許してやれとかのバッシングを受けたりする。なんて理不尽。
スーパーから走って逃げ車に轢かれて死亡した少女の父親と、万引きした少女を追いかけたスーパーの店長。基本的には真相を知りたがる父親が暴走したり、店長を詰問したりしていく。どっちもマトモには見えない。でも、もっと怖いのは興味本位で報道するマスコミと一般市民だ。特に一般市民は、スーパーに抗議の電話をかけたり、スーパーを放火したり、客として利用しなくなったり、誹謗中傷のビラや落書きをしてくる。姿が見えなくて、自分たちが善良であることを信じてやまない。なんて怖さ!
父親が被害者家族で、店長が加害者のような描き方だが、実は真の加害者は車で轢いた2人のドライバーだ。最初に轢いた女性はちゃんと描くが、トラックの運転手は途中から出てこない。ミステリー的な見方をすると、夜のシーンであそこでトラックが止まれるなら、あの子はあそこまで引きずられることはなかった。ミステリーなら、真に悪いのはアイツだ!と、スピード違反か前方不注意で追及される展開になるだろう。でも、本作はそんな映画ではないから仕方ない。
内容は全く異なるが、同日に鑑賞した「由宇子の天秤」とテーマがカブる気がした。正義・正しさ、報道の姿勢、遺族の悲しみ…。現代社会で無視できないテーマだ。本作の方が救いのある終わり方だったのでやや点数を高くした。
今週(9/23~)の本命筋には入ってくるかな…。
今年126本目(合計190本目)。
※ 「プリンセス・プリンシパル」(Ver2)もみましたが、このレビュー需要はないと思うので飛ばしています。
私自身は去年(2020年)に行政書士試験に合格した程度の知識(このご時世なので開業はしていないです。というかできません)。
さて、「空白」というタイトル、それ自体が何を意味するのかは映画内では明示的に出てきませんが、多くの方が書かれている通り、「それぞれの人がうまくいくこと、いかないこと、他人と意見があうこと、あわないこと」そうしたものがあって、その「隙間」のことを"空白"と指しているのではないか…と思います。
映画自体は架空のお話で、映画内では漁港も出ますが町(市ですらもない?)が異様にしょぼいので、漁港で成り立ってる人口1~2万人の都市が舞台なのかな…と思います(実際には、エンドクレジットで「●●市協力」と流れる)。
架空のお話とはいえ、万引きとそれをふせぐ(このような零細規模の)スーパーとのやり取りというのは壮絶なものがあるといわれ、スーパーはまだしも個人経営かそれに近い書店等だと廃業をやむなくされたり、というのはリアルにあります。そうすると、お話自体は架空のものとはいえ、「いつ起きてもおかしくない」類型ではあると思います。
採点にあたっては、下記がきになったので、まとめて0.5減で4.5としています。
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(減点/まとめて0.5)
・ 今回の映画の描写では、第一義的にはスーパー側にかなりの落ち度が言えるのではないか…と思えます。たとえ万引きであっても「告知と防御の機会」(実際に防犯カメラを見せて、やったよね?と確認すること)がなされておらず、かと思えば「(経費か何かの予算で)あれは偽物」とか言い始めるので、スーパーの落ち度はかなりあります。
また、すぐ追いかけるのではなく、不審な行動を見かけたら「お客様、何かお探しでしょうか?」と声をかけるのは常識で、あのやり方だと、正直その「告知と防御の機会」を何ら保証していないまま被疑者が死亡しており(よって、刑事事件としては、未成年者という事情もあるので、おとがめなしか(なくなっているのにどうしようもない)、行政からは「そんないい加減なフェイクな防犯カメラをつけるのはやめてください」ということ程度にしかなりません。
この点において、「誰を悪者にするのか」というのはこの映画の「ひとつの問」ですが、私であれば「店側の対応に何らの問題もないとは言えない」のではないか…と思います。
ただ、そこの問題提起もなく、人口1~2万人のいわゆる「スーパー」で当該商品(ネタバレなので回避)を、ああいう形(万引きを誘導すると言われても仕方がない。人口1~2万人のスーパーで、それが絶対的に必要で置くスーパーがおよそ考えられない)で置くのも、「万引きをしてもよい」理由になりませんが、「どうぞやってください」といっているのも等しい部分は否めず、そこの問題提起が足りないのでは…と思います。
・ 上記の通り、この事件は被疑者が死亡していることから刑事事件としては何もおきず(せいぜい疑い程度にはなるが、亡くなっている未成年者にそこまでするのかという道義的な問題もある)、行政としても「そんないい加減なビデオカメラはやめてください」ということ「くらい」にしかなりません。
しかし、問題が映画の描写のように複雑になり、やったのやらないだの証拠を出せだの何だのという、人口1~2万人程度と推知される町(か、市?下手すると、村?)で、「私人どうしで」争っても仕方がないんです。
こういうことは、弁護士や一定条件で認定司法書士(訴額が140万円を超えない)に話を持っていくべきで(なお、行政書士は「一通り話を聞いて、こうしたらいいと思いますよ」とは言えても、具体的に顔を突っ込むとアウト)、これらの人達は一切出てきません。
もっとも、そうした人を出すと、彼ら彼女らがいろいろ調べて、和解案などを出してはいおしまい(映画としては60分で終わってしまう)ということになるので、彼ら彼女らが出なかったのだろうとは思いますが、私人間であそこまで支離滅裂な事件が起きれば、誰かしら無料弁護士相談を呼ぶとか、行政も行政で「無料で弁護士の方と話してみませんか?」とか言うものであり、「そうすると、話がすぐ終わってしまうので仕方がなくそれらを全て無視した」ともいえますが、映画の作話の範囲ならともかく、あのようなトラブル(特に万引きがらみ)はよく多く、そこで私人間でやったのやらないの延々を何か月も(月のカウントは明示的にされないものの、3か月くらいは喧嘩してるっぽい)やってたら、関係者(上記のように、あまり大きな町ではないと推知できる)の「気がおかしくなる」レベルです。
そういうことを考えると、「空白」というタイトルでそういう人の葛藤を考えさせるという点は理解するものの、「事件の解決という観点」では私人間でやったのやらないのやってもダメであり(もっとも、今回のケースは、スーパーの防犯カメラがフェイクとか、証拠のとりようが制限されるので、「判断不可能」になる可能性さえある。そのくらいスーパーの対応は問題があると言われても仕方がない)、「いや、そりゃ弁護士やらを出したら30分で終わるけど、それじゃ映画にならないでしょ」は理解できても、「下手に泥沼化して、どうにもこうにもならない状況」になるのならそうするべきで、そこの配慮が足りない(たとえば、行政(市役所(町役場?)が「無料相談を利用してみませんか?」とか言わない)のは、ちょっとどうか…と思いました。
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