望みのレビュー・感想・評価
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セリフがおかしい。つまらない映画。
俳優のセリフまわしがおかしい。変です。
聞いていて、なんかウンザリします。
脚本が悪いのか、監督が下手くそなのか。
石田ゆり子の設定もピンとこない。
理路整然の堤真一も少し考えが及ばない。
雫井脩介の名作なのに。。。。
清原果耶は凄い。
高校生の息子が帰ってこない。連絡も取れない。やがて息子の同級生が殺害されたニュースが流れ、逃げている者が2人ともう1人殺された者がいるのではという噂が流れる。
息子は加害者か被害者か。
父親は息子が加害者でないことを望み、母親は加害者でも生きていて欲しいと望む。
胸が締め付けられる思いで鑑賞しました。
刑事の「真面目な子供ほど、親には黙っている」という言葉が、重たくのしかかります。
ただ。。。
好みの問題なんですが、どんな役柄もいつも同じな堤真一と、棒読み感が引っかかる石田ゆり子。夫婦としての二人の演技があまりにリアリティがなく、なかなか感情移入出来ませんでした。この二人のキャストが違う人だったら・・・涙がこぼれたと思います。
そんな中。
抜群の存在感だったのが、清原果耶。劇場公開当時、18歳かと思いますが、兄が殺人犯だった場合、今後の人生はどうなるのか?苦悩する中学3年生という難しい役柄を見事に演じています。18歳で少し幼さの残る中学生の雰囲気を醸し出す彼女は、将来、どんな素晴らしい俳優になるのかと
楽しみで仕方ありません。彼女が出演している他の作品も、観てみたいと思いました。
心の優しい子供ほど両親に心配をかけまいとする。 しっかりした子供ほど自分で問題を解決しようとする。
WOWOWの放送にて。
ちょっと、泣かずにはいられなかった。
母親と父親の子供に対する思いの違い…堤幸彦は『人魚の眠る家』でも、事故で植物人間化してしまった娘に対する母親と父親の思考の解離を描いていた。
母性と父性の違いと言ってよいのだろうか…。
ニコール・キッドマン主演の『ラビット・ホール』で、事故で幼い息子を亡くした夫婦が、悲しみ方、克服のし方が違うことで対立する様子か描かれていたのを思い出した。
行方知れずの息子は殺人事件の加害者か、被害者か。
加害者であっても生きていてほしいと願う妻。死んでいたとしても加害者であってほしくないと願う夫。
そもそも事件とは関係ないことを私なら願うと思うのだが…その部分においては、原作がベストセラー(未読)なのだから、小説ではもっと納得できる設定なんだろう。
夫(父):堤真一
妻(母):石田ゆり子
息子 :岡田健史
娘(妹):清原果那
なんと、理想的な一家か。
ほとんど主人公の自宅が舞台で、息子が巻き込まれる事件はあるものの、さしたるアクションはない。
タイトル明け、俯瞰撮影で町並みを延々捉えて主人公宅にカメラは降りていく。
そしてエンディング、主人公宅からカメラは上昇し、町全体を捉えて終わる。
このオープニングとエンディングは堤幸彦が得意の移動撮影だが、本編でもさりげなくカメラが動くショットがちりばめられていて、場面の単調さをカバーしている。
舞台設定が地味でも映画的スケールを出す良い手本だ。
奥寺佐渡子の脚本は、泣かせる台詞は上手だと思うのだが、ストーリー全体としては物足りない感じが強い。
前述した夫婦が二択で割れるのもそうだが、まだ第二の殺人が確認されていない段階で、犯人でないなら殺されていると決めつけたかのようだ。
事件の真相説明も少し雑に感じた。
何より、マスコミの取材陣と竜雷太演じる大工の棟梁の言動が、あまりにステレオタイプだ。
逆に、雑誌記者の松田翔太が意外にものわかりがよい紳士だったのは拍子抜け。ただ、彼は母親の最後の台詞を引き出す役回りだったことで、納得。
息子を信じる同級生の女子たちには感動したが、つまり彼はモテたんだと見えてしまった。
この映画で、何が誰の望みだったのだろうか…と思う。
妻は息子が生きて帰ることを望んだ。夫は息子が無実であることを望んだが、死んでいることを望んではいなかったはず。
だとすると、この両親の望みは叶わなかった…という物語なのか。
母親、父親、妹、祖母、級友、それぞれがそれぞれの関わり方で少年のことを理解している。
真実が明らかにならない中で不安を募らせつつも、盲目的に信じて待つ者、最悪を覚悟して心の準備をする者、当事者ではない我々は想像するしかないのだが、どの立場の人の思考も理解できる気がする。
そして、全員が一縷の望みを持っていたのだろうと思う。
最近の堤幸彦は円熟期とでも言うか、淡々と物語を追いながら泣かせる場面を丁寧に演出して、ベテランらしい職人的な手腕を発揮している。
オープニングとエンディングの空撮は、単に逆順でなぞっているのではない。上空から道路をなめるように辿る映像で不安感を煽りながら主人公宅に行き着くオープニングに対して、主人公宅から焦点を外さずに上昇したカメラが上空でパンして町全体を見渡すことで、家族が事件を乗り越えて歩みだしている靄が晴れたような明るさのあるエンディングになっている。
正直、こういう監督になるとは思わなかった。皆さんは「マルっとお見通し」だっのかもしれないが。
悲劇を包み込む愛と優しさ
本作のストロングポイントは、終盤の素晴らしさである。終盤までは典型的な犯罪に巻き込まれた家族の悲劇を描いたサスペンスだった。しかし、終盤になって、犯罪の被害者、加害者という結果を追い求めていた作品が色を変えていく。心癒されていく。
本作の主人公は、一級建築士の石川一登(堤真一)。彼は、妻の貴代美(石田ゆり子)、長男(岡田健史)長女(清原果耶)の4人家族で幸せに暮らしていた。ある日、長男が無断外泊をしたまま行方不明になる。同時に、長男の友人の殺人事件が発生したことから、警察は長男が殺人事件に関与したのではと疑いを持つ。マスコミ取材も過熱し、加害者であってもいいから長男の無事を信じる妻と、被害者であってもいいから長男の無実を信じる主人公は、次第に対立していく・・・。
本作は、サスペンスではあるが、殺人事件の犯人を追い詰めて突き止めていく物語ではない。長男が加害者なのか被害者なのかに力点をおいて、殺人事件に翻弄される家族の姿を描いていく。
長男のことが世間に知れるにつれて、長男は加害者扱いされ周りの人達は主人公から離れていく。世間の冷たい目に晒された主人公夫婦が、精神的に追い詰められ、主人公の正義と妻の母性が真っ向から衝突していく様を、堤真一と石田ゆり子が迫真の演技で表現している。
長男が加害者でも被害者でも家族の悲劇には変わりはない。したがって、ラストは悲劇で終わるだろうと思っていた。しかし、そんなベタな作品ではなかった。終盤、事件の真相が一気に解明されるとともに、序盤の伏線も一気に回収される。家庭では無口だった長男の想いが明かされる。
加害者、被害者という結果ではなく、その奥にある真実が一筋の光明のように主人公家族の闇に差し込んでくる。家族の悲劇は、愛と優しさに包まれていく。
本作は、終盤、殺人事件のプロセスに丁寧に迫ることで、人間の愛と優しさを浮き彫りにし、救われたという気持ちに満たされる良作である。
息子は被害者か?加害者か?
2020年。堤幸彦監督。原作・雫井修介。
幸せな家族のモデルケースのような家庭が巻き込まれる殺人事件。
息子が学園の暴力事件に巻き込まれたらしい。
生徒がひとりむごたらしいリンチ殺人で亡くなった。
遊び仲間たちの揉め事らしい。
その仲間たちと関わりのあったらしい息子は音信不通で家に戻らない。
サッカーの怪我でプロ選手の道を絶たれて以来、悪い仲間と連んでいるらしい。
事件に巻き込まれたらしい息子・規士(岡田健史)の帰りを待つ父親(堤真一)と母親(石田ゆり子)。
息子が加害者だとすれば、生きている可能性がある。
被害者なら死んでいるかも知れない。
被害者であって・・・と、願うことは息子の死を望むことに近い。
加害者なら罪人となった息子のその後の人生を背負う覚悟がいるだろう。
そして民事訴訟での賠償責任が生ずるだろう。
父親は社会的地位と自分で設計した美邸を失うかも知れない。
母親と父親の気持ちに微妙にズレが生じます。
どんな形でも生きていて・・・と願う母親。
直ぐに仕事に支障が出て戸惑う父親。
家の周りは心無いマスコミの取材攻勢にさらされて、息が詰まり、
ネットの誹謗中傷にも苦しめられる。
妹の雅(清原果那)も不登校になってしまう。
加害者であれと望むこと。
被害者ならと望むこと。
どちらも親にとって悲し過ぎる究極の二択です。
身につまされる、いつ降りかかって来るか分からない事件でした。
地味な映画ですが、とても他人事とは思えず、心に迫りました。
希望は一体何処にあるんですか…😭 「親」になるということへの覚悟を試される一作。
とある暴行殺人事件の渦中に巻き込まれた石川家の人々の、それぞれの「望み」が描き出されたヒューマン・ドラマ。
監督は『20世紀少年』シリーズや『SPEC』シリーズの堤幸彦。
脚本は『時をかける少女』『サマーウォーズ』の奥寺佐渡子。
一級建築士として働く家長、石川一登を演じるのは『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズや『海街diary』の堤真一。
一登の妻、貴代美を演じるのは『もののけ姫』『コクリコ坂から』の石田ゆり子。
一登と貴代美の息子、規士を演じるのは『中学聖日記』『MIU404』の水上恒司。
規士の妹、雅を演じるのは『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』『3月のライオン』の清原果耶。
事件の取材をする週刊誌記者、内藤重彦を演じるのは『LIAR GAME』シリーズや『イニシエーション・ゲーム』の松田翔太。
……………。
…よくこんな地獄みたいな映画作れるな😱
どっちに転んでもバッドエンドが待っている、最悪の十字架を背負った家族の物語。
映画の冒頭、クライアントに自宅を紹介するシークエンス。ここでの家族の描き方が非常に巧い。
父親の一登は愛想がよく、仕事熱心な男。家族のことを大事にしている。ただ、どこか「良い父親」を演じている素振りが見受けられる。息子へのアドバイスも、確かに正論ではあるのだが所詮は唯の一般論であり、どことなく空虚な印象を受ける。
母親の貴代美は子供たちを溺愛している様子。ただ、息子の夜遊びへの注意をLINEで行うなど、彼の非行に対して正面から向き合っていない感じもある。
妹の雅は明るいが少々生意気な、至って普通の中学生の女の子。しかし、目標に向かって努力する自分と、挫折した兄を比較して、なんとなく悦に入っているような雰囲気が感じられる。
そんな家族の態度に、苛立ちを募らせている長男の規士。若干グレてはいるようだが、思春期の男の子にとってドカドカと部屋に入り込まれるという行為は最悪なことだし、親からの上から目線なアドバイスが癪に触るということもわかる。
このように、規士はどこにでもいるただの反抗期男子なのだが、しかしやはりどこか思い詰めたような表情を覗かせている、ような気もする。
冒頭で描かれるのは、ごく普通の、というよりはかなりハイソで幸福そうな家族の姿。しかしその裏側に、何か不穏なものが横たわっていることがありありと感じられます。
さりげなく、しかし殊更に一登と貴代美の指にはまっている結婚指輪が映し出されるのが嫌らしくも巧いポイント。
何となく危うさが漂う石川家。その不穏な気配は、″規士が隠し持つナイフ"という形でその姿を現します。彼の両親がナイフのことを知り、それについて問い質す時こそが、この最悪な事態を回避することが出来た最後のターニングポイント。…なんだけど、当然登場人物たちはそんなことは分からない。
そうじゃないだろ一登!そうじゃないだろ貴代美!
何故ナイフを隠し持つことになったのか、その原因を理解しようとすることもなく、一登はただ「良い父親」を演じ、貴代美はただ不安がるだけ。ここにおいて、この一家の行く末が決まってしまった訳であります。
この最悪な物語から我々が学ぶことができる教訓はなんなんだろう?
と考えると、やはり「親」になることへの覚悟を持て!ということなんだと思う。
じぶんの子供が最悪な事件に巻き込まれてしまったら、または最悪な事件を引き起こしてしまったら、あなたは腹を括れますか?子供の苦悩を理解するように努め、それに向き合う事が出来ますか?
「親」になることを選択した以上、たとえ地獄のような苦しみが待っていたとしても、それを受け入れなくてはならない。その事を突きつけてくれる映画だったように思います。この映画を観て覚悟を決められない人は、親になんかならない方が良いのかも。
最後の最後まで物語がどう転ぶのか予想がつかず、あの決定的な瞬間まで祈るような気持ちで鑑賞していました。非常に苦しい作品ですが、ドキドキ度合いは凄まじく、退屈はしません。
ただ石川家は事件の真相を解き明かすことに対してはあくまでも受動的であり、能動的ではありません。そのため、殺人事件の真相こそが作品のコアではありますが、調査や推理などといったミステリー的な面白さは皆無。
これは本作のジャンルがミステリーではなくヒューマンドラマなので致し方無いところではあるのですが、いわゆる「イヤミス」的なジャンルなのかと思って鑑賞していたため、少々肩透かしを食らったことは事実であります。
気になった点を一つ。
加害者家族ものにありがちなんだけど、家の玄関に堂々と落書きされるという展開。
こんなことってある?なんかこういうのを観る度に「グラップラー刃牙」(1991‐)を思い出してしまって、ちょっと冷めてしまう。特に今回は犯人だと確定していないパターンなのだから、こんなに大々的な感じにはならんのではないだろうか。
1998年に発生した「和歌山毒物カレー事件」では、その犯人とされる人物の自宅がひどい落書き被害を受け、遂には放火までされてしまった。その事件を参考にしたのかもしれないが、この映画の場合はもう少し抑えめのトーンで描いた方がそのリアリティは増したように思う。
スーパー重くて辛気臭い、地獄のような2時間の映画体験だった。ご鑑賞は、精神的なゆとりがある時に行うことをお薦め致します。
個人的な好みとはズレるし、もう一度鑑賞しようとはどうしても思えないけど、作品自体はかなりの良作だと思う。「堤幸彦ぉ!?商業主義バリバリのドラマ監督に面白い映画が撮れるわけねぇだろぉ〜!?」とか思っていてスミマセンでしたっ💦
…にしても堤真一って演技上手いなぁ〜…。
そして石田ゆり子は可愛いなぁ…。
究極の二択
どっちも嫌だけど、この結末を見るとやっぱりこっちの方がいいのかなとも思う。自分の子だったら‥と考えると、やはり辛すぎる。どっちに転ぶかによって、その後の人生が変わる。人生を犠牲にするか、息子を犠牲にするか。息子が家族を救った、という表現は、しっくりきた。それにしてもマスコミは本当にいつも損な役回りですね。
事件に巻き込まれた息子が加害者で生きているか、被害者で亡くなってい...
事件に巻き込まれた息子が加害者で生きているか、被害者で亡くなっているかの2択。被害者であっても生きていてほしいというのはないのだなと不思議には思ったが、とても重い内容です。
母親と父親でも望み方は違う。世間の捉え方も違う。
どちらにしてもそれぞれにとって辛い望みです。
親としてはどちらを望むかな、、、
タイトルの"望み"は、立場が変わればそのモノ自体も変わるを意味しているようで、今回私は"母親"の立場から鑑賞した。
思春期の長男がある日突然いなくなり、そこから家族の空気がガラリと変わる。
仕事大好き父ちゃん((堤真一)。仕事とはいえ、自宅をお客様に見せるのはどうかなと。リアルはリアルですが、モデルルームのほうが客も家族も助かるんじゃないのー?
出版関係のお仕事しながら、子供二人に恵まれ、アイランドキッチンでお洒落な料理する母ちゃん(石田ゆり子)
事件が分かってから一番気持ちの揺れが大きく描かれていたけれど、誰よりも一番我が子の安否を心配し、割と早くから覚悟(事件自体を受け入れる)していて、不安になりながらも母の強さを感じた。
子供を育てていると、普段からやったやられたの繰り返し。家の中のことならさほど気にしないけど、外で遊ぶ相手とのイザコザは本当にぶっちゃけ面倒くさい。
そしていつも思うのが、加害者より、被害者の立場になるほうが楽。
とはいえ、本作を鑑賞していると、そんな呑気なことは言っていられなくなる。
本作の事件に巻き込まれた長男は、優しく
て親に心配かけまいと、話を伏せていたけれど、やはり喋らないと親は守ってあげられないし、優しさにも時と場合があることを我が子に教えなければなと改めて感じた。
たくさんのマスコミが登場し、そのキモさ120%の存在感が本作でも光っている。人のプライベートに確信もないのにズカズカ土足で上がりこんできて、勝手なことをいって一般人を傷つけ、巻き込み、煽る。
SNSが普及した今の世の中。
便利だからこそキヲツケなければ、本当に世知辛い世の中だわ。
どう望むのが正しいのか
タイトル通り、まさに『望み』。
父、母、妹のそれぞれの『望み』が交錯する中、息子が被害者か加害者か、それとも…
被害者・加害者の2択しかない人の表現が家族をより苦しめる。
そもそも望むという行為は、その事件には何の影響も及ぼさない。
つまりこの映画の面白い点は結末だけでなくその心理の全てなのである。
その望みの中身は今が良ければいいのか、この先の人生を考えるのか。
家族の中の立場によってもきっと大きく違うのだろう。
変わらない結末にむしろ望みなんてさっさと捨ててしまった方がいいのではないかとさえ思うが、きっと何も望まないという選択をしたとしても間違えていたと思うのではないだろうか。
どのように望めばよかったのか。
ないはずの正解を探してしまう自分がいた。
映画としては高得点だが・・(再見:2023年5月26日)
子供が死ぬ映画、とは言え、良い映画で俳優陣も完璧である。映画としては高得点だが、やはりメインテーマは子供の死である。但し望みと救いがあるのでこの★の数。あまり見直したいと思わない作品である。
坂元裕二であれば
個人評価:3.7
よくあるサスペンスではなく、着眼点が他とは違う物語だ。望みという単純なワードに様々な思いが込められている。
ただ登場人物たちの望みの掘り下げが浅く、消して深度は深くない。原作未読たが、坂元裕二であれば、もっと深く、さらに人々は交わり傷ついていただろう。
表情の演技がすごく良い
どこにでもいるような普通の家族が、一つの事件をきっかけに全てが一変していく様子がすごくリアルに描かれていた。たった数日の中で、父、母、妹のそれぞれがもつ「望み」が少しずつ鮮明になっていく様子が、セリフの有無にかかわらず、表情から読み取れる複雑な心境で表現され、また、重たいBGMやスローの演出によってそれらがより効果的に表れていた。
この映画のような、被害者か加害者かわからない状態の家族を描いた作品は観たことがなかったので、すごく衝撃的だったし、事件の全貌が明らかになっていくのが劇中の家族と視聴者が同じタイミングということで、感情移入しやすかった。
役者さんの表情の演技がすごく良く、時が経つにつれてやつれて目が虚ろになっていくところが素晴らしかった。
息子(兄)が人殺しの被害者なのか加害者なのか。どちらにしても最悪の状況下で、それぞれの言い分や心情をそれぞれの立場で考えると理解できたので、鑑賞中、心が苦しくなるほどだった。
話の論理展開もきちんとしていたし、役者さんの演技、音響、映像のどれも良かったと思う。
果たしてどちらが良かったんだろうか
観ていてとても辛かった。加害者よりも被害者でいてくれた方がまだいいのでは、と感じている父と娘。加害者でもいいから生きていてほしい母親。もし、自分なら、、、と考えても、どれだけ考えても答えは出ない。加害者では絶対にあってほしくない。でももちろん生きていてほしい。
我が家の息子も小学生から高校までサッカーをしていて、引退した後はポッカリと空いた時間をどう過ごすのかと少し心配もした。特に問題はなかったが、今は個人で携帯を持つ時代、学校の連絡網も今はない。たとえ親でも友人関係はよくわからず、多感な思春期、出かけるたびに誰と遊ぶの?誰に会うの?と聞いてもいつも答えてくれるわけでもない。映画の中で、殺された子の名前を聞いても友達なのかわからなかったけれど、それはあることだと思う。
規士は怪我でサッカーを辞めた後、何もしていないわけでもなく、父親の言葉を素直に受けとめ、きちんと将来を考えていた。規士としては加害者ではないと家族に信じてしてほしかっただろう。
やはり我が子が人を傷つけるような人間であってほしくない。でももちろん死んでほしくないし、怪我もしてほしくない。やはり答えは出ない。
望まない望み
「息子が殺人を犯しているわけがない」と望む父と、
「殺人犯でいいから生きていて欲しい」と望む母。
被害者であることを望むということは、息子の死を望んでいるのか。
息子の生存を望むということは、殺人犯であることを望んでいるのか。
そんなの、どちらも望んでいるわけがないんですよね。だから苦しい。
テーマとしては非常に面白いのですが、極論であるが故に
「どうしてこの両親は、その間にある可能性を考えないのか?」という疑問はあります。でもそこがこの映画をわかりやすく、楽しめるものにしているとも言えます。
重い現実を受け入れ、それでも生きていこうと前を向く主人公たちの様子は、観ている側にも救いがあり私は好きです。辛いテーマですが、鑑賞後イヤな気持ちにはなりません。この映画が好きな方は「人魚の眠る家」もオススメです。私なら何を望むだろう?何をするだろう?と自分事として観れる面白い作品でした。
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